Hatena::ブログ(Diary)

まくろこすむ徒然日誌

2011-05-02

[]マイヤー『逃げるアタランテ』の楽曲がiTunes入り

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販売元は東京エムプラス

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神聖ローマ皇帝の侍医を務めたオカルティスト、ミヒャエル・マイヤーの"逃げゆくアタランタ"!

マイヤー:逃げゆくアタランタ(1617)〜17世紀初期の音楽、錬金術薔薇十字団

アンサンブル・プラス・ウルトラ〔グレースダヴィッドソン(ソプラノ)、クレア・ウィルキンソンアルト)、ウォーレン・トレヴェリアン=ジョーンズ(テノール)、ジャイルズ・アンダーウッド(バス)、スティーヴン・ジョーンズ(アルフ二胡〕)、スー・アディソン(サックバット)、マリー・ブルニジアン(ルネサンスハープ)〕、マイケル・ヌーン(指揮)

Maier:Atalanta Fugiens/Ensemble Plus Ultra、Noone(dir

Glossa Platinum/GCD P31407/日本語曲目表記オビ付き

近日発売予定

■ミヒャエル・マイヤー(1568−1622)は、プラハハプスブルク家神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の侍医を務め、薔薇十字団運動の熱心な提唱者として歴史にその名を残し、さらには錬金術師哲学者としても高名だったドイツの奇才。

■1617年に完成した「逃げゆくアタランタ」とは、50のフーガと50の象徴寓意画、詩句が収められた紋章学に関する謎多き書物のこと。

紋章を音楽的、視覚的に記述した「逃げゆくアタランタ」の"50のフーガ"は50曲の2声のカノンであり、その声部は錬金術における三大元素、水銀硫黄、塩を表すなど、ミステリアスなエピソード、雰囲気が漂う・・・。

ザ・シックスティーンソプラノグレースダヴィッドソンも参加する声楽と器楽による古楽演奏団体アンサンブル・プラス・ウルトラはまさにルネサンス音楽の申し子。

ゲレーロやモラレス、ビクトリアなどのスペインルネサンス、調和概論の著者ツァルリーノのモテット集で聴かせてくれた綿密な演奏は絶大な評価を受けている。

"オカルト好き"の神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の侍医に上り詰めた"オカルティスト"マイヤーの不思議な50のフーガ古楽系秘曲マニア必聴です!

※録音:2008年8月、セント・アンドリュース教会(グロスターシャー/イギリス

Amazonでの購入はこちら。2008年の録音ですからけっこう前から販売されていたようですが、現状Amazonでは予約も試聴もできないみたいです。

BGMのでどころはよく判りませんがYoutubeでも『逃げる〜』の曲は聴けます。

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iTunesはこちら→Maier: Atalanta Fugiens

リリースはなんと明日2011/5/3ですが、全曲30秒の試聴ができます。1曲1分半〜2分くらいとはいえ50の講話にひとつづつぜんぶですから、試聴だけでもけっこうなボリュームがあります。

いやあ、これは良いですよ。

これを流しながらぜひ、拙訳・逃げるアタランテを楽しんでみて下さい。

とてもバロックな気分が満喫できると思います。

2011-05-01

[]第4回 蒸留

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 物質を明らかにした後、哲学者の最初の趣意は水を与えるべきことであるが、これについては多くの名前で註記が繰り返されてきた。なかでも「鋭い酢」というのが頻繁に語られた名のひとつである。二つ目は「溶解せる水銀」であり、第三は「沼沢の水」である。「溶解せる水銀」のもつ働きは壊死解体であるが、これが金属を自然な壊死に解体して霊気の力を活発化させるのである。けれどもこれらに活力が与えられるには自然力を掻き立てる必要がある。とはいえ「溶解せる水銀」が乾燥してしまえば自然の激情は期待できず、むなしい結果のなかに解決を期待することはできない。

 それゆえ「溶解せる水銀」あるいはこの沼沢の水を得るためにとられた効果的な方策があった。これらとともに蒸留をすることは、すなわち容器中に於ける水分蒸気の上昇であり、そのなかには高貴と野卑という石のふたつの部位が存することになる。そこには蒸留によって希薄になりゆく上等の部位があり、これはとりわけ、ふたたび地が閉じ乾き、水が清く洗浄になり、風と火が色彩をもたらすときに再興する。

 アーノルドが述べるところでは豊かな水と風が不可欠であり、というのも染色素の夥多は風の多さによるのだが水は除去であり医薬の構成要素のすべてを清める動因だからである。頻繁な蒸留というものが重要なる元素の洗浄とされる所以である。

 ゆえにこそ、蒸留のもとに石が四つの元素に分割されることが不可欠である。まずは、つよさを変えずに熱するよう加減された仄かな火をもちいて水を得るがよい。さらに火が火を受け入れ混じるほどに徐々に勢いをつよめるべし。容器の底に燃え残ったものは乾いた地であり、そこには結晶化した石の塩基が隠れている。下方に残る赤みから、火の存することが判る。上等の循環があれば、容器中に物質のあることが判る。煙霧がたちこめつつあり、蒸留するにしたがって煙が雲のように昇るのが見える。

[]グスタフ・ルネ・ホッケ 迷宮としての世界

f:id:Astro-Ganga:20110501194947j:image:w360:rightもう去年末あたりのことになってしまいますが、グスタフ・ルネ・ホッケ『迷宮としての世界』が岩波文庫に入って再版されました。

90年代、陰りが見えていたとは言え、まだまだ出版界は元気で、華やかな書籍をたくさん出していました。売れるの売れないの色眼鏡をかけた今の尺度で思えば、無茶としか言いようのない本がちまたに溢れていて、そんな時代にユングだのバシュラールだのバルトルシャイティスに出逢っては白水社ヘルメス叢書なんかをむさぼり読んだりしていました。この頃に国書刊行会幻想文学全集だとか、思潮社平凡社、河出、青土社だとか工作舎だとか旧トレヴィルの美術書群なんかに出会わなければ、いまごろ錬金術文書の翻訳なんかしていないことでしょう。むろん、これらはもっと古い時代(70年代とか)に出版されたものの再版だったりもするのですが、良い本がしっかりと企画されて、高価ながらにふたたび綺麗な装丁をまとって世に流通していることが、まだ幸福だったわけです。

こういう時代でも多分、ホッケの『迷宮としての世界』は入手しづらかった本だったと思います。当時はまだネットで検索、みたいなことも出来ませんでしたから、古書屋の目録なんかで見かけると飛びついて買ったものでした。1974年の第八版ですが、再販はされなかったと思うんですよね、自分が気付かなかっただけかも知れません。ところがこの美術出版社の本がまたえらいひどいシロモノで、ところどころページがまっしろになって飛んでいるところがあったりするのです。長年気にしながら、やっと読むことができた本を手にしての、まっしろな見開きはかなり衝撃でした。しかも結構あるし…これで出版しちゃう70年代のダイナミズムみたいなものにヤラれました。さらに古書でしたから仕方ないのでしょうが、ずいぶん焼けて背表紙も剥がれており、かなりわるい状態の本でもありました。

すでにもっている本を新版でまた買うなんていうのはなんだか、とある商法に乗っておんなじCDを何枚も買う人々みたいですが、こういう本がそこらの書店でも平積みになっているのを見かけるとみょうに感慨深いものです。こうなると『文学におけるマニエリスム』も出るのかなっ!なんて考えたりします。しかし最近の出版物はあんまり部数をださないからいっとき市場を賑わしてすぐ消えてしまうんですよね、さすがに岩波だからといって油断は出来ません。ちくまなんかだともっとすぐ消えてしまうでしょう。

さて内容はろくなレヴューなんて出来そうもない迷宮ですが、基本的にはマニエリスム美術についての入門書です。しかしその特性からいって魔術や錬金術のアルスの感覚と切っても切り離せない世界ですから、その方面の専門書としてもひじょうに有益です。

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ホッケ『迷宮としての世界』上巻

 緒言

 1最初の衝撃

 2優美と秘密

 3蛇状曲線的(セルペンティナータ)―痙攣的

 4〈イデア〉と魔術的自然

 5綺想異風派(コンチェッティスモ)

 6没落のヴィジョン

 7美と恐怖

 8不安と好奇

 9天使城(カステル・サン・タンジェロ

 10時間の眼としての時計

 11人工の自然

 12奇妙な神話

 13迷宮としての世界

 14抽象的隠喩

 15キュービスムの先達と後裔

 16イメージ機械

 17古今の構成主義

 18円と楕円

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ホッケ『迷宮としての世界』下巻

 19ルドルフ二世時代のプラーハ

 20アルチンボルドアルチンボルド

 21擬人化された風景と二重の顔

 22夢の世界

 23装飾癖

 24狂気

 25汎性欲主義

 26倒錯と歪曲

 27一角獣、レダ、ナルシス

 28ヘルマフロディトゥス

 29マニエリスムと衒奇性(マニリールトハイト)

 30神の隠喩


翻訳は今は亡き種村季弘氏と、澁澤龍彦の最初のおくさん矢川澄子氏。現代岩波版には、今をときめく高山宏氏の解説がついているが、美術出版社版にある三島由紀夫(!)の推薦文が岩波版には無いのでご紹介。なんかこう、この時代のこの世界の人々の高いテンションが垣間見えます。

未聞の世界をひらく

 二〇世紀後半の美術は、いよいよ地獄の釜びらき、魔女の厨の大公開となるであらう。今までの貧血質の美術史はすべてご破算になるであらう。水爆とエロティシズムが人類の最も緊急の課題になり、あらゆる封印は解かれ、「赤き馬」「黒き馬」「青ざめたる馬」は躍り出るであらう。この時に当たってマニエリスムの再評価は、われわれがデカダンスの名で呼んできたものの怖るべき生命力を発見し、人類を震撼させるにいたるであらう。図版も目をたのしませ、訳文はきはめて的確、一読われわれは未聞の世界へ導き入れられる。

マニエリスムに関して以下もオススメ。

綺想主義研究―バロックのエンブレム類典

マニエリスム芸術論

魔術の帝国―ルドルフ二世とその世界

2011-04-26

[]第3回 術の根本たる化学物質としての土星

f:id:Astro-Ganga:20110501175604j:image:w360:left 土星は卓異の星であり、本質、位階品格に於いてあらゆる同朋を凌いでいる。彼は自然の長男、知る者わずかな金属種の根と位置づけられる。

 ゆえに『角笛の響き』にはこうある。染色の霊気は哲学者水銀であり、その赤や白は鉱洞や地の臓腑のなかで硫黄とたやすく結びつくものであるため、無造作に調合しても術師の正否は完全なる結合のときまで保留されてしまう。これは太陽についてのベリニュスの譬喩にあるとおり土星と呼ばれる精気であり、平易に言えば、あらゆる金属種の身体なかんずく金を、真に根源的な死滅崩壊によって染色分離させるものである。これについての彼の言説は『薔薇園』に明言されている通りである。「識れ。わが父である太陽は、あらゆる力を超越する力をわれにあたえ、栄誉の長衣でわれを飾った。そして世界のすべてがわたしを求め、われのあとに従う。わたしは、他を凌ぐ者。何者よりもたかく、わが前に平伏さぬもの無し。ただひとりを除いて、わたしを克服しうる従者はいない。その者には、わたしに抗うものが与えられておるがゆえ、その者はわたしを破壊する。だがわたしは根本から損なわれるわけではない、土星はわたしの身体を分解するのみであり、そしてわたしは母に救いを求め、散り散りにされた四肢を集めてもらうのだ。」

 トレヴィザンもまた同様のことを主張し、他ならぬ活ける水銀が他ならぬ「紅き従僕」の身体より抽出されうると述べる。これがベリニュスの呼んだところの造反する従者である。「従者」というのはすなわち自然のしもべであるからで、それは自然の鉱物中にあって金属種の生成に仕える。またそれは化学の術に於いて、聖なる石を生成することにも仕える。それは「紅」とされるが、調合の最終段階に紅い塵へと変わるからである。太陽にも造反するものとされるのは、それが根源から太陽を融解させ原初の物質へと還すためである。だが紛うことなかれ、わが子よ。これらの事物は、金属あるいは鉱物としての水銀に属する土星のこととして理解されるべきことではないのである。それらは我らの鉛、いわば眼に見えぬ可能態のなかに秘められている、金属を産する太陽や月にかかわるものである。あらゆる秘奥は鉛に存する、とピュタゴラスは述べた。

 最後に、一語を加えてこの輝かしい章を締め括ろう。わたしは、いとも正統なる哲学者らがこれを太陽という星、月という実体(太陽と水星)に位置付けたことを、ただただ一貫して断言することで表明するのみである。健康と富についての問題は同一ものであって、この論考でもこれら共々が扱われるが、学徒や悟達者が公然とこの場に現れても、我らはとりわけ医薬の問題を論ずるであろう、それが我々の関心の中核をなすからである。土星が隆盛をきわめ、他のあらゆる惑星がそれに追従し、一方で太陽と月がその足下におかれるのを見るならば、それは土星それ自体がふたつの染色素を内に秘めていることの徴である。これは、多くの者が求められながらも、真実に至ることのできた者は僅かである。ゆえに小さな太陽の星が月の中に、小さな月の星が太陽の中にあらわれるのは不可解なことではない。なんとなれば太陽と月はただひとつの同じ根から発しているからである。巧みなる造物主が短い時間に垣間見せるように、のちに赤くなる小さな白い雫が、ゆたかな染色素の徴となる。山麓にて樹木が繁茂すること、これがちょうど、土星が山岳地にのみ至ることの徴として相応しい。

車検なぞやっとりました

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6年走ってまだまだ元気。今月3度目の車検が通ったCB400SuperFour sp.2です。職場まで近いので走行は3万手前ていどなんですけどね。

車検が通ったとはいえ、スプロケだのチェーンだのはガタガタ、でこぼこのディスクから鳴きのパッドまでブレーキ周りもマダマダこれからお金がかかる予定です。シートも亀裂が入っちゃったのを強力ボンドで埋めたり。もっと酷くなったら張り替えなんかせにゃならんなあ。

それでも転んだり擦ったりはしていないので、洗いさえすれば外見はかなりきれいです。6年も乗っててはじめての洗車に磨き上げ、だいぶ手間をかけてやっときれいになってうれしいので初御目見へ。いやあ、これからはマメに掃除してやらんとな、と思いますよ、洗いながら緩んだボルトなんかも発見したし、こんなのはバイク乗り失格だなあ、と。

CB400=教習車、と知っているひとでなければ、なんだあのバイク?と思うかも知れない、こういうストリート風の、ネイキッドらしからぬカスタムが入った状態で売られていたのを、5万も走ったオンボロShadowと引き替えにしたものでした。

今やスカしてドラムバッグなんぞぶら下げていますが、そういう風情は、もともと前に乗っていたアメリカンに合わせるべく手持ちの装備品がことごとくヴィンテージくさいものになってしまっていたからで、f:id:Astro-Ganga:20110426042214j:image:rightほんとは単気筒に乗りたかったのに実用性・堅実性に押されて、さらには

――セル無しキックスタート? あんなもんは趣味のものだ!――

とさんざん友人にたしなめられたためにコレに乗っているなんて事情もありますから、思い返すにずいぶん妥協を重ねて乗っているバイクではあります。

それでもコレは毎日どんな気候だって働く、雪いがいは休ませて貰えない、実にエラいやつです。

2011-04-18

[]第2回 太初の混沌について

f:id:Astro-Ganga:20100728022455j:image:w360:left 混沌は、未だ創造されざるところより初めて創造されし、最初の始まりである。全能の神が初めて創造したこれは、神の創世の術以前のものであり、それはかたちもない無秩序であった。けれどもその本質は、もっとも正統な賢者らによって後に明らかにされた。それは母であり世界の始まりの因であり、フィロンによれば自然であり、そのふところには数えきれない形相が秘められており、万能の建築者であり、偉大な術師であり、それは奔出の刻を命じる。未消化の物質中に最初に霊気を宿しているからである。混沌、それはある者は世界霊魂と呼ばれるべきであると断言し、ある者は形態の形状、またある者は創造者にひとしき糧とも呼ぶ。霊気が含まれているという恩恵があるゆえ、そこには隅々までも、神の最大の自由意思によって、万物が支度され、俯瞰されている。水から水のなかで分離はおこり、それによって万物は分かたれた。留意せねばならぬことだが、混沌の分離というものは、破壊的分解ではなく単に文節化であり、おのおのの節は生命と霊気に満ち、序列に従って隆盛し、すこやかに繁殖する。

 それゆえ事物の驚くべきちからは、化学の術における自然にかなって統御されるならば、人類の子孫たちによってひきだすことが、真の変成をもたらすことが、可能である。真の哲学者が思索したのも、自然そのもの、自然の可能態に他ならなかった。自然の平明さや純真さはまさに、そこに生きるものにとって充分なものであって、自然の営みのほとんどは、それ自身の能力と端緒に応じたところから為され、わずかの術の補助を頼りにして、歴とした作用を示すのである。

 混沌は、カバラ導師にとってふたつの意味がある。いわば知解と可視であり、ひとつは神からの直接の命令をうけての現象であり、もうひとつは同様の命の執行から即座に変化することの宣言とそれを知らされることである。

 さらに識れ。汝が白のなかにみるであろう点は地の中心に据えられ、白さは地それ自身の兆候であり、曲がった線は水の奔流の兆候である。それは自身の場所に在って地を覆い、いとも慈悲深き造物主の命をうけて、いくつかの部位だけを包んでいる。黒点に囲まれた白い円は風の兆候であり、同様に、黄金色の七つの小さな点は火を意味する。

 これらのことはこのように明かされ尽くし、次なるは七惑星が規則正しく混沌を巡ることについての思索である。これらの最初は土星であって、それゆえ土星は優勢をきわめ、しかもそれは他のあらゆる惑星を内包し、他のものたちは異なる命に従って休息している。こうしたことから、よく知られているのは、真の哲学者の意趣にしたがって、万物は万物の内に在るということである。土星それ自身は女性的で憂鬱質であり、木星は女性的であり粘液質かつ多血質であり、水星は女性的で粘液質であり、最後に月は女性的で憂鬱質である。

2011-04-16 自然の王冠 序文

[]第1回 序文

1年半くらいブログを放置してしまいましたが、最近進めている作者不詳の錬金術文書『自然の王冠』をupします。『薔薇園』も頓挫しているのでどこまで続くか分かりませんが…。

『自然の王冠』は、バルヒューゼン Barchusen の編んだ論集『化学元素 Elementa chemicae』に収められた有名な連作図版を含む文書です。

ファブリキウス『錬金術の世界』の巻末の紹介では

「バルヒューゼンはユトレヒト大学の巧妙な科学者で、数多くの著作はこの人物が薬剤師から新しい化学の分野、化学の教授へと成長したことを明らかにしている。バルヒューゼンが著作の序文で告げるところによれば、連作図版はシュワーベンのベネディクト修道院にあった手書きの文書から写し取ったもので、これらの絵は一目見て哲学者の石の製法をあらわしたもののように思えた、という。本書の著者は10年にわたって調査を続け、1968年ニューヨークのシドニイ・M・エデルシュタイン協会の図書館で、この「手書きの文書」を見つけ出した。67点の水彩画から構成されており、書名は『自然の王冠、あるいは無名の作者によって67点の神秘的な図により明らかにされた至高の医療の教え』となっていた。……17世紀初頭のものだと考えられる」

化学元素』所収『自然の王冠Crowning of Nature』本文の英文テクストはこちらにあります。

 →http://www.levity.com/alchemy/crowning.html

尚、上のリンク先のテクストにつけられた図版はオリジナルのものからMcLean師が選定、着色したものですから、『化学元素』に収められたものとは異なっています(テーマは同じです)。錬金術文書の図版は、色彩に重要な意義があるので、理解の点では極めて参考になるのですが、原色ばかり使われますから印象としてすこぶる明る気で可愛らし気のものになっています。

自然の王冠、Crowning of Nature についての書籍といえばまず Magnum Opus Hermetic Sourceworksのものしか流通していない様子ですが、これはMcLean師のサイトの内容と同じと予想されます。

 神の意志と勅命によって下される天界の作用は、上から降りて星々の性質と要素へと混入する。我らの種子の造出のはじめもまた、このような仕儀のもとにはじまる。汝はこれを、如何なる可燃性のものからも得ることはできないが、それがそれと偏見もなしに争うからである。だがこれは、造物主が金属種の生成のためだけに命を下した金属の根より発するものとして知られている。汝はこれを、その性質がそれを造出するところの、しかるべき性質の種子のなかにこそ探さねばならない。ベルナルド・トレヴィザンの書物は、魂の興る次第について記された、真実ただしく唯一のものである。地、水、風、火の四元素は、魂をうみだすその刻を迎えるまで、充分に制され調えられねばならない。われわれは四大元素を七惑星の一致によって集める。われらの術は物質を凝固させ溶解させ、霊気を定着させることに尽きる。万物に先行する神は、ただひとり原初の物質として唯一の実体を創造した。四元素はそこから造出され、神はこれより万物を創造した。われらの石もまた四大元素の精髄であって、諸元素から分離され、第五精髄へと還元されねばならぬ、原初の物質の実体から抽出されるべきものなのである。

 神に造られた自然は人為の技術とともにはたらき、そのようにして上述の諸元素は完全に改変され、しかるのちに結合術が施される。それらは第五としての、輝ける第五精髄、あるいは第五元素とよばれる霊気へと還元されて、神に創造された唯一のもののなかにみいだされる、輝かしき復活体に顕現する。金属種の霊、魂、肉の三位が存するところには、かならず水銀硫黄塩基があり、ここにこそ完全なる金属の身体が形成される。われわれはこのようなものを、太陽がとこしえにその眼を据えるいとも完全なる被造物から採取する。聖ダンスタンの著作『隠秘哲学』などには、天使の食餌、天来の聖体拝領、命の糧、疑いなく神の元に次ぐもの、真のアルコーダンあるいは延命剤、などと記されており、こうしたものを用いて死ぬ者があろうかという疑問や、それをもつ者がなぜ生きることを望むのかについての考えにさしたる注意も向けない者は、これら輝ける永遠性の顕現におのれの通俗的な眼を暴かれるのである。我らの石は二、三、四そして五より成る。五、それは第五元素であり、四は四大元素である。また三は遍く自然物の三原理、二は二重の水銀を象徴し、一は万物の根本原理である。それは世の創造のときより、清らかに清浄につくられ、神の勅命がそれを在らしめたところのものである。金よりもさらに高貴に創造されたものが存在し、真実がそれを見出すところに我らはそれを探し求めねばならない。それはあまりにも自然(性質)のなかに秘められたものであるので、作業のすべてを見るよりほかに、ひとはそれを目の当たりにすることはかなわない。われらの原初の父アダムは内奥深くその精神において、天使をかたちづくる物質因で神の似姿に造られた。なるほど偉大な名知識をも擁する人間界では、神が地の泥や粘土や塵から人間を造ったとまことしやかに語り継いではきたがこれは誤りである。人間が創造されたのは精髄の物質からであり、地と呼ばれこそすれ卑俗の土のことではない。

 原初のアダムは後のそれと比して懸け離れた肉体をもっていたのであり、純潔のもとにあったことを熟考すれば違いはかなりのものである。われわれは彼にすべからく賛嘆し、これを目の当たりにして戦かぬわけにはいかない。それは天使を目の当たりにするに等しく、かような肉体をこそ、神聖なる救い主が天より彼にもたらしたのである。そうした肉体とともに我々は再生し、かような肉体にこそ、肉と血とともに、我々の魂が授けられるのである。そうでなければ、人間は天使と違うことが無かったであろう。というのも、かような肉や血は聖霊によって我らに与えられるのであり、それが再生である。知るもの僅かなこの神秘についてはまだ語るべきことがあるが、斯術とともに恵まれて生きる者はその造物主を賛美することになろう。

 ミクロコスム、あるいは小宇宙としての人間、霊気を受けた星辰より来たり、その偉大な世界としての肉体より来たり、その魂はすなわち神につながり、ゆえにここには神聖なる三位一体の知覚が在る。さて、無から如何にして偉大なる世界が造出されたかについて語ろう。そのときそこには時間も空間も存せず、神は賢者らが質料、いとも遠きものと呼ぶところの、見えざる混沌を創造した。ここから彼はある抽出物を、あるいは混沌の第二因を造った。それは眼に見え触れ得るものであり、かつそのようなものであったため、賢者らが思弁によらずとも識るところである。そのなかに、あらゆる種子そして、それまでに造られた上より下に至るすべての被造物の形相が秘められており秘められてあった。このようなものから神は世に四大元素をわけ、天のものから地のものまで、天使、太陽、月、そして星辰にいたる万物を創造した。この混沌へと向けられた賢者の智と術は、かれらにあらゆる叡智をもたらし、かくて神に並んだ。汝これを探し、万智を見出すべし、まさに天使的叡智がこれによって達成さる。猜疑心は罰として世に与えられたものである。己じしんの探すところを知らぬ者は、見出すべきところをも失うであろう。

錬金術文書では見慣れない、聖ダンスタンという名前が出てきますが、ちょっと調べるとなかなか面白い人のようです。蹄鉄などをしていた経験科学者のような側面があるようです。

中盤〜後半の、アダムについての熱っぽい語りはナルホド頷かされるものがあります。とうとつですが『風の谷のナウシカ』の最終巻あたりに、汚染されきった世界に適応してしまった人類がもはや清浄な世界では生きられない…といった衝撃的な展開がありましたが、そういうのを思い出しました。

第5元素としての清浄無垢をめざすこと、あるいはその目標を据えること、これは確かに錬金術の根本ですね。

2009-09-05

[]宮崎駿の兵器群像

f:id:Astro-Ganga:20090905184643j:image:rightこの夏またチマチマと『風の谷のナウシカ』を読み通していて新たに面白いなあと再発見したのが、巻頭にあるカラーイラスト裏の解説地図とか設定メモ風のノートでした。…なんとなく各巻に色々とあるような印象でしたが、確認したら実は、5・6巻の「ムシゴヤシの成長」と「大海嘯」3・4巻の「トルメキア戦線図」くらいのものでした。とはいえ、宮崎駿の妙にホカホカと暖かみのある画風に特徴ある小さな文字でぎっしり説明が書き加えられている、いろんなところで見かけた気がする「メモ」あるいは「ノート」の風情は、アニメージュ文庫『風の谷のナウシカ 絵コンテ集』の雰囲気でも盛りだくさんなのですが、こういうものを眺めつつ妄想するのは楽しかろうなあ(劇場アニメ風に想像するのは容易いので)ということで、長年気になっていた『雑想ノート』『泥まみれの虎 妄想ノート』を買ってみました。かなり読者を選ぶ本?だと思いますが、Makとか(トホホSFメカの)模型も弄る私にはすこぶる面白いです。もともと模型雑誌の連載だったようですが、模型に興味がないひとでも、戦争の是非とかはともかく、宮崎アニメに出てくるおかしな兵器のたぐいとか、その周辺でおこる人間たちのドタバタが楽しめる人にはたまらないものがあるのではないかと思います。第1章はまさに上記の設定ノートの数々、イラストを見てにやにやしながらメモを読む、そして物語はまさに妄想、全8話。第2章からはコマ割されて漫画っぽくなりページ数も増えています、全5話。これの第12話「飛行艇時代」が映画『紅の豚』の原案のようです。こうした兵器たちの魅力が語られている序文がまた秀逸なので紹介しておきます。(モデルカステンのサイトhttp://store.modelkasten.com/shopdetail/013001000001/order/より引用)

この本に、資料的価値はいっさいありません。 あんまり人に自慢できる趣味じゃないんですが、ようするに軍事関係のことが好きなんですね。 くだらないなアと思いながらも、軍事関係のことが好きなんです。なんと愚かなことをするんだろう・・・と思いながら、なんてバカなんだろうと思いながら戦記などを読んでいるんです。でも、愚かだとわかりつつも、狂気の情熱みたいなものが、どこかで好きなんですね。 しかし、肯定しているかというと、そうではなく否定しているんですが、そういう矛盾が整理されないまま、ずーっとこの趣味を、もうかれこれ40年近くやっていると、色々たまってくるんですよね。で、それを出したくなるんです。ただ、自分はこういうことを知ってるよ!っていうのを出すんじゃなくてね。 実は、こういう趣味をやって行くっていうのは、人にはとても言えないことですけれども・‥頭の中で無数の空中戦をやり、無数の海戦をやっているんです。だから僕はシミュレーションゲームをやる気が全然起こらないんですね。ゲームなら、もう頭の中で死ぬほどいっぱいやっているから・・・死ぬほどっていうのはオーバーで、全然死なないけど(笑)。 だから、いったいどれほどの数の航空母艦や、どれほどの航空戦隊や、どれほどの数の飛行機や、どれほどの数のその飛行機のための工場なんかを、色々と頭の中で練り上げたかわからないんです。そういうことを、ああだこうだとやっているうちに・・・なにもそれは第2次大戦の飛行機とか、戦車に限らず・・・いろんなことをやっているうちに、何と変な物があるんだろう!とか、何と不思議なんだろう!っていうような妄想のカタマリを、まァ妄想ノー卜っていうん じゃつまらないから、色々な雑学の集まりとして描きたくなって描いたのが、雑想ノートという わけなんです。ホントは、いつもこれだけをやっていられると楽 しいんですけれど、これはまったくの趣味ですからね(笑)。ようするに、自然保護の問題をどうのこうのとか、少女の自立がとうのこうのとかね、そういうのは一切ヌキ!もう、とにかく!!

80年代漫画のあとがきの雰囲気が満載ですが、こういう、正統なオタク趣味そのものになら「資料的価値」があるんじゃないでしょうか。

f:id:Astro-Ganga:20090905184644j:image:leftそれから『泥まみれの虎』のほうは完全にティーガー重戦車への偏愛で、現地調査にまで行って集めてきた資料も沢山載っており、コマ割されて漫画の雰囲気はありますが、ほとんど戦況や戦車戦についての解説。『雑想』よりも数倍確実に読むひとを選ぶシロモノでしょう、もはやティーガー重戦車が好きなひとにしか勧められません。

私自身、あんまり戦車の模型とかは作らないのですが、あの鉄の棺桶には妙な魅力があって、何年かおきに作りたくなる。

で、変なカタチの戦車とか大好物なのですが、いっぱい作ってもいられないので1台つくって満足したいとなると、これは代表的にティーガー戦車をということになる。んで、確かに作ったはずなのに手元には不思議と1台も無い…いつも作っているから塗装失敗で捨てる、誰かにあげちゃう、勝手に持っていくヤツがいる…このままだと一生タイガー戦車を作るハメになるわけですな、とかいう話を数年前にしていたら、良くできたラジコンを頂いてしまいました。(←これはじつにスゴいやつです。キャタピラは脱着可、上下左右に動く砲塔にエアガン式の砲を備えていて、空缶をヘコます威力なのです)

これは実に名案でして、これ以来もう作らずに済んでいるという大感謝なのです。

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久しぶりに下ろして写真を撮ってみますと、我が家のトラは泥まみれでなく埃まみれでございました。へんな味わいが出てしまっています。

1/24らしいのでこうしてみるとけっこうマシーネンサイズですね。

最近人気の(胸元はともかく)整備士再登場です。

2009-08-30

[]アルミ筐体は電気雪豹の夢を見るか?

フィリップ・K・ディックのやつは黒地に黄のなんだかかっこいい新装版がでましたね。私は『高い城の男』のほうを買いました、こっちも黒地に赤の新装板が出ています。

f:id:Astro-Ganga:20090830103521j:image:leftそれはともかく、SnowLeopard発売になりました。本格的64bitOSということで処理速度UPが喧伝されていて、んでまず何がスゴいのかって話になるとまず、16エグザバイトのメモリが認識できるとかそういう話になっている。なんですかそのエグザっつう単位はと思うより前に、もはや4Gのメモリを乗せていて飽和である自分のMacBookには不要な話なのかね、と思えば、そもそもこのMacが64bit動作させられるものなのか……という肝心な点に思い至るわけです。

面倒なことに、アルミMacになってすぐの第1代 13インチは最近Proのカテゴリに入ったので、方々で「MacBookでは64bit動作させられない」と言われるとき境界線の真上になってしまうわけです。まあ、ノートPCなんて拡張性のないものは1世代で滅ぶ生物くらいに思っておくべきなのでしょうが、かつてiBookで「LeopardからはPPCダメよ」と切り捨てられたばかりなので、またもう切り捨てなのかな、とか思ってしまうわけです。

それでいろいろ調べてみるとなんだかまたいかにもAppleらしい情報があるんだなあと。まず基本的にサーバー用のSnowLeopard以外は32bitで動作するということで64bitで使うには「6」と「4」キーを押しながら起動とか面倒な仕様になっているようだ。で、64bit動作するのは、まずCore2Duoプロセッサ(初期のIntelはダメということだ)それからMacファームウェアが対応していることが条件らしい。ファームウェアの問題だけならアップデート出せば済む話だと思いますが…どうやらこのへんにAppleの、製品差別化のオモワクがあるようです。

64bit完全対応のSnow Leopard、実はデフォルト起動は32bitカーネル!?

64ビット完全対応のSnow Leopardは普通のMacでは32ビットで起動する

上に紹介したサイトでも書かれていますが、自分のMacが64bit対応かどうか調べるには早い話、ユーティリティの「ターミナル」を起動して

ioreg -l -p IODeviceTree | grep firmware-abi

と入力、(上のはコピペターミナルへもっていけます)

"firmware-abi" = <"EFI64">

と出れば64bit対応だそうです。(EFI64と出ても64bit起動できない2008年後期MacBookという報告

私のような生半可なユーザーには実にありがたい情報です。

しかし……こういうのはこんなふうに裏技めいた確認をさせるんでなくAppleがちゃんと言うべきことなんじゃないのですかねえ? 知らないアタシが悪い、わかるひとがネットで公開してくれるだろうから放っておいていいということでしょうかね、なんかいやだなあこういうの、Geniusバーの怒れる人々を思い出します。

Apple本家には以下の注意書きがあるだけでした。

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やっぱりこういう事態になってるじゃないですか…。

[]1/35Kusterもうちょいーまだまだ

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A:なんで動かないんスかねえ。

B:小石でも噛んでるンじゃねえか?

まだまだアレですが、キュスターの塗装進行中です。小さいとちょこちょこ塗れるし調色しても足りなくなることとかないからたのしいですね。ファルケくらいのでかぶつだと色の統一が大変。(例のハセガワモデルの色味は微妙…写真の具合でもいろいろ変わるんじゃないでしょうか)

下の台は古いMOディスクかなんかのケースでパカッと開きますからデカール入れにでも使おうかと。

ちり紙を接着剤でとめてラッカーパテでかためて、ちょっと泥土のディオラマっぽくしてみました。

足裏はがっちりくっついてます。

うーん、こうなると本体色はミドリ系の迷彩にしたくなるなあ。

2009-08-26

[]SnowLeopard明後日8/28発売(駄文注意)

f:id:Astro-Ganga:20090826210323j:image:left最近、仕事用にVMwareFusionを入れ、よせばいいのにVISTAを導入したので、アップデータでなしにOSが、シングルでも3300円で導入できるというのは驚きです。もはや何か不具合があれば頻繁にアップデートされる昨今、安定性とか互換性とかはとくに気にしなくて良いのでしょう。しかし微妙な操作性ひとつとっても一瞬のことで苛つかされるのはゴメンなので、しばらく静観していようとはおもいます。

SnowLeopardの内実については、発売とかずっと先だろうしまだ後で勉強すればいいか〜くらいに思っていたので、突然発売になった感じで、なんにも内実は知らず、従来の操作が数%パフォーマンスアップするくらいの認識しかない状態です。漢字Talk時代から使ってきて、マルチタッチの恩恵にほくほくしていたこの1年ですから、現状とくに不満は無いのですが、廉価でもろもろがもっときびきびする、それでいて3rdパーティにも悪影響なし、ならばすぐにでも導入したいです。

そういえば4月に、「テキストエディタLightWayText がおかしい」という記事を書いた後6月、新版が発表されまして、OSXにネイティブ対応した版が発表されています。数年アップデートされなかった LightWay でしたが、これでじつに快適に操作出来るようになりました。これは事件です。

iTextPro'09と併せて、これは、MacOS上で「縦書」ができるエディタワープロとして、ほんとうに貴重な存在なのです。

OS SnowLeopard、結構です。たしかにiWorkなどは優れたオフィス統合ではありますが、そんなことよりもこういう、長年ニーズに応えてきたものがちゃんと動作するかどうか、それが大事なのです。(というか、Pagesとかもいい加減に縦書できるようにしろよ、と。その点クラリスとかAppleWorksのほうがずっとマシだったっつうの…)

[]旧ボムフォル&チオネル製 Kuster(寺男)

ブログの隠れカテゴリ模型s、最近またちょくちょくMa.k絡みを弄っています。ちなみにMacとは何の関係もないです。

WaveGansが発売されて3QレーベルでのKrote再販が期待できるからかどうか、急落した古いガレキのKusterを思い切って購入してみました。パーツなのかゴミなのか破片なのかわかんないレジンのかたまりがボロボロいっぱい出てきました。

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日東1/20Kroteは数回の経験ありですが、このレジンの切れっ端から1/35を作るとなるとかなり厳しい…。ガレキの経験も少ないので、プラキットのようにいくかどうか…。

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とりあえずパーツチェックをしてくれている女性整備士B。ブリックワークス製のスゴいやつです。高価ですが塗り甲斐があります、胸云々はともかく。

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プラキットに慣れたヘタレ者にとっては正直辛かったっす、楽しかったけど。ガレージキットの世界では普通のことなんでしょうが、大きなバリの中からパーツを削り出すのは発掘作業みたいなもので。…あとはゆっくり塗装。1/20のデカブツよりも気軽にちょこちょこ塗れるかも。小さいキュスター、いいなあ。

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オマケ。こちらはハセガワ製ファルケ、これも数ヶ月かけてちょいちょいやっております。こんなにデカイ模型を塗ったことがないので、右往左往しながらアイデアもなくひたすら「ハセガワモデル」を目指しています。このキット、モールドが弱くて塗料ですぐ埋まってしまい(いや、エナメルを使う自分の所為でもあろうが)初めてケガキ針というかリベット打ち道具を買ってきて塗料を掘り出し、装甲1枚ずつに墨入れっぽいことをしたら、どうもこれがヤリ過ぎになりました。なんかMa.kっぽくない、どうも「宮崎駿テイスト」なファルケです。とりあえずデカールを張って様子見してますが、まだまだ塗装の余地ありです。「広い面へのコクのある塗装」は難しいなあ…。

2009-08-25

[]本家サイト更新

f:id:Astro-Ganga:20090825031536j:image:leftはたまた久しぶりの記事ですが本家サイトのほうに、今年はじめ頃に訳しました錬金術詩『闇よりおのずからほとばしる光』ページを作りました(レイアウト変ですね……今度また直しますです)

ブログも4ヶ月ちかく放置になっちまいまして、進行中の『薔薇園』のほうは着々とではないにしても少しずつ進行していますので、また近いうちにUPいたします。

錬金術文書を翻訳すること自体は、気になっているテクストにじかに触れる経験なんで楽しいことこの上ないのですが、その意義というか、現代的な思想領域との関連?に想うところが多くて翻訳より再読の読書時間が増えているのが翻訳作業、遅滞の原因です。またその内「きまぐれ覗書」カテゴリにでも書きますが、最近はコリン・ウィルソンの傑作SF『賢者の石』(これ、タイトルから錬金術の話をもとめてもダメですよ、ラヴクラフト的な傑作ホラーSF、というか実存主義的な思想書です!)なんか再読しましてから、さらにバーナード・ショー『メトセラに帰れ』(ずいぶん稀覯本になっちゃいましたね、こんなに面白い古典SF戯曲なんてなかなか無いのに!)などを読み返しています。「怒れる若者たち」の新実存主義大脳生理学〜という「認識」の問題は、いわばまっとうに歴史学科学史としての錬金術研究からは疎まれることなのですが、文書によくでてくる物質認識「卑俗の〜でなく、哲学の〜」ということを掴むには、ある種の科学的な「詩想」は不可欠のような気がしています。

翻訳もしたい、読書もしたい、あ〜「ニューマン合金」を仕込みたいっ。

2009-04-30

[]辞書ブラウザ

f:id:Astro-Ganga:20090430035801j:image:left下記のエディタと時期を同じくして導入し、これまた長い付き合いだった「Jamming」。名にし負う電子辞書ブラウザである。これがまた最近、後継の「Logophile」が発表され、役目を終えつつあるのだ。

TOLLE ET LEGE 屋根裏の備忘録 Logophileを使う

虹色の林檎はどんな味? 電子辞書ブラウザ「Jamming」の後継アプリ「Logophile」がリリース

伊奈の里から 突然の新リリース!

MacWiki 辞書ツール

f:id:Astro-Ganga:20090430044337j:image:left辞書の閲覧もやはりCocoaアプリの方がスムーズ。しかしこうなんでもかんでも要Cocoaなので買い直し、というのもアレなのでちょっと身の回りをみつめなおしてみると…

じつはEP-WING形式の辞書はけっきょく「リーダーズ プラスV2」が基本で他はほとんど使っていないのだった。とはいえ、いままで全然シカトしていたがLeopard標準の「辞書」アプリケーションにはなんと『大辞泉』『プログレッシブ』『類語例解(小学館)』その他もろもろが揃っていて愕くほど充実。それから日本語環境もATOK2006とこれまた古いが、アクティブであれば『明鏡国語辞典』『ジーニアス』『類語辞典(角川)』が使えるので、こういうのを忘れていては勿体ないなと思う。

f:id:Astro-Ganga:20090430044745j:image:right調べてみるとLeopard「辞書」でEP-WING辞書を使う方法がある。これはかなり魅力的だが、けっこう大変そうなうえにどうも完全ではない様子で、さらに言えば、JammingやLogophileの機能、とりわけ「成句を調べる」とか「語尾修正」とかも同じように実現できるかどうかまでは判らない。うーん、電子化された辞書を好みの環境で使おうとすると、とたんにこういう大変な話になってくるものだ。今や辞書というものは、なにかの機能の付属として、何かしらどこかに「バンドル」されるというカタチが基本になりつつあるのかもしれない。

そういえば、いわゆるポータブルの「電子辞書」にはいらぬ辞書(や辞書的な書籍とか)が多すぎるし、ああいうチャチな液晶も操作性も、どうせ「たまにしらべる」くらいの動作しか想定していない機械だろう。だいたい、これだけフラッシュメモリ媒体の発達した世にあって、記憶させる辞書や表示の形式を選択できない構成のガジェットなぞは、それが1万円でも高すぎると思う。こういうところはおそらく、辞書をこれからどうやって売ってゆくかという出版社の、電子化をめぐる過渡期の現れであろうが、いかんせん過渡期が長い。なんだかそういう画策めいたものがいちばん濃厚なのが電子辞書の領域、っぽく感じる。昨今じゃあ携帯電話のメモリですら、数種のEP-WING辞書を格納することは出来る。

最近は、webのあちこちにあるあらゆる「辞書」や「検索」を串刺しにできる「DictJuggler」というのも試してみている。表示中の書類を読みながら1クリック動作でweb上の複数辞書リソースから(というか、もはやweb全体をひとつの巨大な辞書として想定し)ドバドバと調べてくれるというもので、ならば手元の辞書データもまたここで統合できるのではないか、と思って使ってみた。ところが昨今のタブブラウジングに慣れた目では、閲覧辞書ごとに開くウィンドウはちょっと耐え難いスペースの無駄。そのうえwebブラウザと同様の表示なので、サイトの広告など不要な情報までドバドバ表示してしまうハメになる。これではちょっと、一般的なwebブラウザとの違いがわからないことになる。手持ちの電子辞書にも配慮されていて、jamming、LogoVista系、英辞郎を援用できるが、あくまでもそのアプリを開くのみで、リソースとなる辞書データを直接扱えるわけではない。まあ、一般的な辞書の枠に囚われずwebを使ったひろい言葉の検索をする、という視点をあたえるものとしては重宝するソフトかもしれないが、いまのところまだちょっと、辞書サイトを普通にブックマークしておく以上のメリットは感じない。

Web辞書を使いやすくするDictJuggler

モノマニア DictJuggler(ディクトジャグラー)ー串刺し検索

FireFoxアドオン mid 0.9.6.3 : オンラインの辞書サービスを利用したタブ型の辞書ブラウザ。調べたい単語を入力した後様々なサービスの検索結果をタブで切り替えて見ることができる。


うーん、やはりjammingを終えて、Logophileを買い直すべきだろうか…。(2008年1月1日以降にJamming for Macintoshを購入した場合は無料、それ以前に Jamming for Macintosh ver3.0 以降を購入している場合は1980円だそうです。)