ALWAYSー3丁目の夕日

たいして興味もなかったが、なんだか話の展開上で持たされちゃったDVD『ALWAYSー3丁目の夕日』を見ることにする。戦後昭和のなつかし風景の押し売りは結構辟易するものがあるが、俳優の存在感がなかなかなのでまあまあ楽しめた。薬師丸ひろ子のお母さんがイイのと、アコギに子役がかわいい、吉岡秀隆が売れない作家で茶川って名前なのはイヤだが、子供の名前がじつは「古行淳之介」ってのはちょっと笑えた。しかし無理矢理作ったようなセットの昭和&懐古趣味はどうでもよかったし、じつはコレ映画的にはそんなもんウリにする必要はぜんぜんなかったんじゃないのか? 東京ってところには、裏通りの界隈にまだまだ、土地に根付いた生活をしている部分がまだまだあるし、なにもそういうものを「ふるきよき」みたいに扱うことはねえだろう、と思ってしまう。

戦後まもない雰囲気を再現した労は認めるべきかもしれないが、みょうな懐古趣味は、年齢を限定した一定の感情を催すべく企てられた装置にすぎないだろう。もっといえば、こんなものを観てよろこんでいる人々が、いったいこれからの世の中をつくりかえる意気をもつものだろうか、という不安に駆られてしまう。氷屋がなつかしきゃあデカイ氷を買えばいいし、プロベラ飛行機つくればいいし、ビー玉の入ったラムネなんかそこらで飲めばいいし、金魚はタライに放てばいいじゃねえか、親のない子がいれば可愛がればいいだろうに。売れないと判ってても小説書きたきゃ書けばいい、うら寂しい飲み屋にでも行けばいい、そんな現実、そこらに幾らでもころがってらぁ! なんでそれを、スクリーンで観る必要があるんじゃ。

結局はラストで金や物の資本主義に突っ走ってゆくその後の社会を批判するような陳腐なテーマでまとめてしまうし、そういう妥協がなんだかいやな感じ。どうやら、自分が見るべき映画じゃなかったようだ。

イジワルなあたしは、こういうのが好きだとかいうひとには、山野一『四丁目の夕日』を是非にお勧めすることにするぞ、と決意を新たにしたのであった。個人の想像なんか容易に超えちまう不幸、ぜったいに再現不可能な、浸ることも許されない貧乏がここにあるぞと、思いを新たにするのであった。いや、決して好きな作品じゃないけどね、これだけイヤなものも、なかなかない。

プラス、マイナスの領域は問わず、絶対値の領域や幅だけでいえば、3丁目より4丁目の勝利なのだ。いやあAlwaysじゃ困るよ実際。