アレクサンドル・ソクーロフ『太陽』ロシア・スイス・伊・仏(115分)

埼玉県川口市SKIPシティというところはモノスゴイ映像施設で、NHKアーカイブス用のビルとか早稲田大学の分校が入っていたりする。ここでは毎週末にウィークエンド・シアターと銘打って旧作・話題作の上映をやっているが、ここが持っている上映室もかなりのもの。たしか400人くらい入れるシアターがあって、スクリーンもシートもかなり上質。過去にも2度ほど行ったことがあって、初めてここで観たのが『かもめ食堂』(気に入ってこのすぐ後にDVDも買ってしまった)次が『花よりもなほ』だった。他にもいろいろ気になる上映をしていたが、1回につき1回しか上映しないんでちょっとツライ。でも旧作とはいえ500円くらいで、しかもあれだけの施設で、そのうえいつ行ってもがら空きで観られてしまうのは随分オトクだ。次回(8/26)は『がばいばあちゃん』だそうだが・・・これはパスかな(苦笑
で、今回の上映も1年前みはぐったソクーロフの『太陽』だったんで、炎天下の昼下がりにでれでれと出掛けてみた。この映画、ちょっと検索でもかけてみりゃ幾らでも情報がでるし、まあそういう日本人が黙っちゃおれないテーマだからなんだろうけども、1年前に観たってひとに「どう?」って聞いても、まあ、いまWebで出てくるようなことと同じようなことを仰っていた。
んん。たしかにこういうのを「上映に踏み切った配給やら映画館、昭和天皇をひきうけたイッセー尾形もすごい」よ、はいはい。んで「見てたひとに年配の方が多かった」つーのもわかるよ、んで、「ある種のひとには見るに堪えない」シーンなのもわかるよ、はい。んで、『男たちのヤ○ト』とか『硫○島』とかも欠かさず観るんだもんなあ・・・こういうひとと映画の話をしても、面白いためしがない。
しかしなあ、まあ、つい最近ロシア・アニメ観てにやにやしてたからかもしれないけども、タルコフスキーの映像なんかも大好きなあたしは、あちこちのWebに転がってるこういう批評が、あんまり日本人的すぎると思う。なんか、感性が遅れているような気がするんだ。
『太陽』って、あの映画は、色も、カメラワークも、映像そのものがみんな完璧にロシア映画の風情で、つまりレニングラード・フィルムがどういう視点で天皇を主題にして映画をつくろうとしたか、を思うと、これはかなりファンタジックな、おとぎばなしみたいな作品を意図してるんじゃないか。「ああそう」なんて口癖がそっくり、とか評されているけれども、ロシアや、あるいは、いろんな国で上映されて、みんながどういう風に「日本人」を観るのだろう、と思いながら観てると、日本語の中身やら意味なんかどうでもいい、とにかく聞こえてくる日本語に異国趣味をビシバシ刺激されてるだろうなと感じるわけだ。だって、最後に出て来た桃井かおりの皇后とイッセー尾形のかけあいなんて、ほとんどセリフ的には意味がないもの、純粋に芝居から感じられることだけしかない。それなのに、映像とかロシア映画の色彩とか、イッセー尾形のひとりしばいとかについて言及しているひとが、ほとんどいない。
映画の中の「まるで子供のような」天皇が、いまいう平和の象徴たるべきゆえんで、その類い希な《王様》の概念をファンタジックに描くには、ロシア映像の色彩はものすごく美しかったし、こどものころからコレマタ大好きなイッセー尾形も、昭和天皇にそっくりで、開始10分でもう、必死にイッセー尾形であることを脳内から排除しようと努めた。いや、これは歴代のひとりしばいを見るような目でドップリみたほうが、芝居を楽しめるかもしれない。
やたらと日本人の、太平洋戦争の傷跡をえぐる「売り文句」の手垢がついてしまった映画だけど、いつまでもそういう視点にすがってものを観るのも、やっぱりどうかとおもう。むかーしから続いてきた《王様支配》的な政治は、フセインもいなくなって、もはや地球上では金正日北朝鮮しかなくなったわけだが、個人的にはアノ国がどういう終焉を迎えるのか非常にきになるし、ずっとあとになって、金正日についてコノ『太陽』みたいな映画をつくるひとも出てくるかもしれない。どうも明らかに犯罪クサイことをやっている国家だから、一方的に北朝鮮=悪という風潮があるだろうけど、かつての日本だって、じゃあ世界からどう見られてたんだろうかと。
最近の日本人の右傾化がどうのこうの、とかいわれてるみたいだけど、いまの日本は「まだ」わたしなんかがこういうことをこういうところに書くと、ヤバイ国なんだろうか? 外国で強権あるひとと天皇を比較すると、マズイんだろうか? 王様、なんて言い方するのはいけないんだろうか? そうか、だから日本は北朝鮮やら、韓国やら、中国とうまく行かないんだな。でも、どの国のひとにだって家族はいるし、『太陽』の昭和天皇のように、何より前に、国家に踊らされる「ひとりの人間」なんだぜ?
こうなると、配給だの映画館だのが「公開に踏み切った」なんて言われると、日本人が日本人をすっごくばかにしてる気がしてくる。まあ、映画館に火をつけられたり、上映中に暴れる奴がいたり、そういう過激なニュースもなかったんだから、みんな極めて芸術的に、この映画を観たんだろうと思っていいのかも知れない。でも、その割には、そのような評価があまりに少ない。というか、その類の事件の少なさから「たいしたことない映画」なんて思ってるやつもいるくらいなのが、じつに気にくわない。こういうの、すごくイヤだ。
まあ、こりゃ映画の話だしね。そして、ロシア芸術の精華であることも忘れちゃいけない作品についての、話なのだ。