2008-05-21
■《クオリア》にかんする覚え書き
一般的な情報と問題点あるいは「現象的意識」(Wikipedia)
哲学的な思考実験の材料としても面白いとは思うけど、ある種の疑似科学につながる傾向があるのも何となく解る気もする。純粋に科学できるかどうかについて、まだまだ問題があるようですね。個人的には、こういうのは、認識論的な哲学の役割というより、脳科学のお仕事じゃないかと思うんだけれどもドウなんだろうな。それから、なんというか、体全体の細胞が中枢と関係するプロセスとか、そういう身体感覚も考察の対象にすべきだし、経験とか思い出とかの情緒的側面は、どのように解明されるんだろう、と。
クオリア・マニフェスト[全文][要約](茂木健一郎氏のクオリア日記)
「旨いもんは、旨い、でいいじゃんか!」とか言ってたら議論にならんのでしょうなあ。しかし、これを考える人どうしでないとクオリア的孤独は永遠に払拭できないような気がしてくる。ん〜、世界は変わるんかな、個人の認識を超えた、脳のネットワーク世界……攻殻の電脳化みたいになる?
「精神科医斎藤環とのウェブサイト上での公開往復書簡:脳は心を記述できるのか?」(双風舎)
ある概念について、それを思考することの可否すらわからない段で、その技術的側面を危ぶむ、なんてことが可能なんだろうか。いや、少なくとも考える、ことは出来るってわけか。2007年12月の第1信から進んでないみたいだけど、こういうのドンドンやって欲しいなあ。今後にも期待。
わかりやすい。他にも興味深い記事多数ぅ
科学なニュースとニュースの科学【第14回】質感ってなんだろう?〜クオリアの謎(ItmediaAnchordesk)
人工知能の研究は「ちまちま」しているのか。あたしにゃあ、哲学者の主張するクオリアよりも、人工知能学者や物理学者、SF作家の語る認知神経科学(的なこと)のほうが「科学的思考」としてはしっくりくるんだけどもなあ、それはちょっと話がずれてるのかな? まあ、人間の、個人の、或る神秘的な部分(それがあるとして)の最後の砦を、どう考えるか、とらえるか、だと思うんだが……どうだろ。

