2012年という年

今年は、様々な意味での変化の年といわれている。
政治的には、米国、中国、フランス、ロシア等の首脳の選挙が行われる。
日本でもおそらく、総選挙があっても驚かない状況である。


小生が専門としている環境政策、環境問題の分野ではどうであろうか。次の三つのことを年初のまとめとして記しておきたい。
先ず、地球温暖化問題への対応は、とても難しい年になると思われる。
経済的な不況色が強い現状では、環境問題への関心は、それほど高いとはいえない。
でも、実際には、待ったなし状態は変わりない。
日本は、京都議定書からの離脱を表明してはいるが、実際には、ほぼ現状の継続以上を求められるし、自主的に実施せざるを得ない。
であるとすれば、原子力発電所をどうするか。
これが今年の大きな課題として上げられる。
温暖化には、短期的には脱原発は、非常に厳しいものであるが、そうならざるをえない事実が徐々に判明して、政治決断と時が近づいていると考えられる。
問題は、そのあとである。それがいつになるのか。
脱原発への政治決断と温暖化対策の方向性を定める年になると思われる。


次は、化学物質管理政策に関してである。
国連では、2020年を国際的な政策的協調の年として位置づけて、欧米では準備が徐々に進みつつある。
日本でも、化審法の改正等が行われつつあるが、欧米とのコンバージョン問題が徐々に出てくるのがこの2012年といえる。
化学物質管理に関する欧米とのコンバージョン議論の開始の年となろう。


さらに、固形廃棄物政策では、大きな曲がり角を迎える年となろう。
今年から家電リサイクル法の見直しの議論が開始される。
その前哨戦として、小型家電のあり方が昨年来、レアメタルをキーワードにして進められている。
しかしながら、関係者間の合意形成は非常に厳しい状況で、紆余曲折を繰り返している。
その背景にあるのは、90年代に欧州で成立した拡大型生産者責任政策(EPR)の限界である。
90年代、公共部門(実質的には、自治体の廃棄物部門)の縮小を生産者の拡大で代替させるという政策であった。
しかし、この15年余り間の流通革命によって、生産者の市場における力が弱まり、その代わりに販売等大手の流通の力が強まった。
さらに、WEBの登場によって、消費者の影響力が販売事業者に間接的に力を与えているのが現状である。
弱まった生産者に代わって、どのような政策が可能なのか、その議論が始まろうとしている。
すなわち、Post-EPR政策である。

「屋根の共有による太陽光発電市民ファンド」という試み -その1-

現在、市民によるファンドへの拠出により、小規模太陽光発電を加速させようとする試みを思案中である。
すなわち、市民から民家の屋根を借りて、市民による資金で、市民によってエネルギーの自立への試みを行おうとするものである。
このファンドのキーワードは、古くて新しい言葉、「共有」である。
私有でもなく公有でもない、共有である。


日本の土地に対する所有の考え方は以下のような理解で良いかと思われる。
明治時代、日本の国土は、土地の私有制を認められるところとなる。
この時に、徴税との関係で、公有地と私有地に分割され私有地と徴税は組み合わせられた。
換言すれば、徴税できないところは公有地とされる。
現在でも、森林や河川敷や海岸線等で、公有地が多いのはその理由による。


公有地に関しては、国及び地方自治体による公共事業等により、インフラの整備が戦後昭和30年代以降加速化した。
そうした中で、私有地というものが様々なインフラ整備に対してのネックとして顕在化してきた。
たとえば、成田空港がそうである。
成田空港の整備に当たって、その整備用地の一部に私有地が存在しそれが開発の障害となり、現在に至っている。
成田空港闘争のことである。
このような例は枚挙のいとまがない。


原発の立地にしても、様々なインフラ整備に当たって、私有地の買い取りということが必要になる。
その時には、地権者や漁業権者が最大の障害となる。
ところが、ここでその私有地の買い取りが成功すると事業は即座に加速化される。原発にしてもそうである。
どんなに反対運動がかまびすしくても、土地が買収されてしまうと議論は徐々に終息の方向に向かう。
これは、日本固有の動き方である。
おそらく、欧米であれば、最後まで原子力発電所の安全性が議論されるであろう。
それが日本の場合には、私有が認められるがために私有が制限され、結果的に公有、公的利益が損なわれる。
不思議な構図である。


これを見直すのは、私有でもない、公有でもない、共有という中間概念を新たに日本の社会に根付かせること。
大それたことだが、それを意識して、屋根の貸借による共有の太陽光発電市民ファンドを考案した。


今後、何回かに分けて、その考え方を紹介しつつ整理してみたい。

中小企業の課題 その2 〜契約管理〜

先だって中小企業に共通する課題、特に環境産業の廃棄物処理業を例に事業継承の問題を紹介した。
今回は、中小企業が事業を実施していく上で必要不可欠な契約行為に関することを紹介したいと思う。


ある事例を紹介する。
A社は、10年前に大手のプラントメーカーT社からある施設を購入した。
この施設の国内実績は非常に乏しく、躊躇をしたがT社の強い勧めもあって導入に踏み切った。
しかしながら、実績の乏しさから様々な問題が生じ、そのたびに部品の交換やメンテナンス等を設備を停止して実施して対応した。
そのために、設備の操業利益率は85%くらいまで高まってしまっていた。
それでも、T社のメンテナンススタッフの献身的な努力によって、なんとか設備の継続的操業は保たれていた。
ところが、あるときこのスタッフの転籍というT社の方針によって、後任の担当者が配置された。
この担当者もそれなりに対応したけれども今までの経験的な実績を継承することはできず、また前任の献身的なまでの努力には達してはいなかった。
なんとかやりくりしていた設備が、このためにあっという間に操業率が低下して、赤字操業に陥ってしまった。
東日本大震災等の影響もないわけではないが、これではどうにもならないということで、プラントメーカーとA社との話し合いがもたれた。


A社からの相談によって立ち会うように要請を受けたので、T社との間のメンテナンス契約等の一式を初めて見せてもらった。
その契約を見たときに愕然となった。
その理由は次の三つ。
先ず、T社はいつでもメンテナンス契約を解除できるという条項が含まれていた。
通常はあり得ないことであるがそれが明記されている。
このような契約書は見たことがない。どのような経緯でそうなったのかは、A社に確認したが誰もわからない。
第二に、メンテナンス契約は年間契約で固定契約となっているが、その内訳は全て部品代となっている。
実際には、様々な形で人件費等が発生する場図であるが、これが全て部品という名目となっている。
そのために、部品の交換リスクはT社が負うにしても、どこまでのメンテナンスが必要となるかの判断はほとんどT社の独断となっている。
また、追加的な工事が必要な場合には全て別途となっている。
第三に、T社は、第三者へのメンテナンス契約の移譲ができるという条項が付記されている。
これも通常はあり得ないことである。


どう考えてもこのメンテナンス契約は不平等なものであり、あまり見たことのないレベルのものである。
少なくとも、A社側がこの内容を吟味して、T社との間で交渉を行ったようには見受けられない。
全ての中小企業がそうであるとは言い難いが、これに類する話は今までにも経験していないわけではない。
お互いが善意によって対応を行い、たまたまうまくいっている時には何の問題もない。
しかし、問題が一度発生した場合には、泥沼化ししかも感情的なしこりが残るものになってしまう可能性が高い。
そのために、事前に約束事を契約書にまとめておくのであるが、このような基本ができていないあるいは管理を怠ることが、中小企業の課題の一つとして指摘しておく必要があろう。


本来であれば、時間をかけて契約書を吟味する、あるいは専門家等にレビューをさせて、そのコメントを基にして見直す。
さらには、交渉そのものを専門家に委ねる。
やり方は様々であり、全てを社内で行う必要もない。
しかし、その労力をかけられない企業が少なからず存在する。

野田政権の原子力政策

新政権が誕生した。
菅政権から原子力政策がどう変わるのか、注目をして週末までの言動を整理してみた。


1/ 野田政権の主張は「脱原発」。
原子力政策としての発言は、明確な「脱原発」であった。
ストレステストを行った上で、既存の原発を段階的に稼働させ、耐用年数間の安定的運用を行う。
また、新炉の建設は実質的に不可能である。
ここまでは実は菅政権と全く変わってはいない。
但し、菅前首相は明確にここまでを述べているようで、述べていない。
その点野田総理の方が社会的に明確なスピーチであったという点だけの相違である。


2/ 浜岡原発について。
ひとつこれからの課題とすれば、浜岡原発をどうするか。
菅前政権でもストレステストの後の再稼働を否定していなかったので、おそらくこれも同様であろうと思われる。


3/ 再生可能エネルギーをどう扱っていくのか。
浜岡原発を含む原子力発電所の再稼働が進まないとすると、脱原発を前提とした上では、再生可能エネルギーあるいは過渡的なLNGガス発電等をどう推進するかに焦点は移る。
一部に、「減原発」というような意味不明の発言があったが、これはともかく村上春樹氏や社民党の主張する「反原発」は論議されることなく、脱原発の方向へ進みそうである。


4/ 被曝地である福島に対する今後の対応。
原発ではなく脱原発でというならば、その議論を社会的にしっかりやった上での判断として欲しいということであろうか。
というのも、被曝地である福島の状況が思いのほか芳しくないため、きわめて慎重さが必要となっている状況であるからだ。
最近文部省等から報道されている放射線量の蓄積が思いのほか高く、青少年の被ばくが心配なこと、また放射能を帯びた廃棄物の中間処理施設を福島県内に設置せざるを得ないこと(実質、最終処分に近い中間処理であることは明らか)等悩ましい問題が今後年末までに露呈するであろう。

中小企業の課題 その1 ~事業継承~

弊社がお付き合いしている業種のひとつに、廃棄物処理業がある。
法律で業としての位置づけが明確になったのは、1970年。
よって、日本におけるビジネスとしての歴史は、40年と考えて差し支えない。
その前から事業をしていた方々がいないわけではないが、そのほとんどは、生業的なものであったわけであるから、やはり40年と考えるべきであろう。


そして、その初期の段階は、社会的な偏見がある中でのビジネスであり、現在では考えられないような様々な困難があったのだろう。
そのような時代を経て、社会的にも認知され、また、企業としての体をなすようになったのは、1985年以降と思われる。
それからでも歴史は25年。


その創業世代が、ほぼ60代を迎えている。
裸一貫のたたき上げ、トラック一台からの成長を自分の子供の成長の様にしてきた世代の退場である。
この事業継承は難しい。


先日も、長年お付き合いしていた中小企業のひとつをお尋ねした。
社長とその奥さまである専務は、共に今年70歳を迎える。
御子息が専務をしているが40歳を超えている。
10年前から、事業継承の問題提起はしているものの、このような家族的な企業の場合には、第三者であるコンサルタントは、立ち入れる領域をどう設定するかが通常の企業よりもはるかに難しい。
この企業はその典型のような例である。


一般論的に話せば、次のような問題が存在する。
1/ 経営家族による負債の保証や担保物件の提供が存在していて、経営者の退場はこの問題を露呈する。
2/ 経営層に、家族以外が存在していない可能性がかなりある。
こうした場合の家族間での継承では、継承前後の意思決定に関わる役割の在り方が組織的・社会的に論じられる部分を超えて、感情的とりわけ父子間での感情的な問題を提起する事もある。
3/ 創業以来の取引に関わる様々な関係が多方面に存在している場合も問題である。
かつてのような反社会的なものは薄れつつあるが、銀行との関係・業界との関係ともに、至って俗人的であり、それを実質的には引き継げないことによる問題が存在する。
特に3番は今までの創業者の実績に基づいているため、きわめて頭の痛い問題である。


一般の企業では考えにくい話であるが、創業以来の家族経営をしていて、気が付いたら年間売上で100億近くまで到達している企業というのは、実はかなりの数存在している。
これらの事業継承に関する問題は山積している。

菅首相の退陣と脱原発

菅首相が退陣を月末にするという報道が流れている。
菅首相が最後に主張していた「脱原発」というものをもう少し考えてみたい。


菅首相の主張する脱原発で少しわかりにくいことがある。
それは、浜岡を巡る対応に全てが表現されている。
浜岡原発を将来のリスクを理由にして休止することを要請したが、他の原発にはしないと明言した。
この段階でのスタンスは、反原発でも、もちろん脱原発でもない。


原発は、直ちに原発を停止して、原子力発電と決別した社会構造を求めるもの。
脱原発は、既存の原発を活用しつつ、徐々に第三の道を模索するもの。
この違いさえ、マスメディアでは混同している。


話を菅首相に戻すと、福島を停めた段階では、どちらのスタンスでもなく、浜岡固有の地理的条件(大地震の発生確率が高い地域にあり、発電所付近に断層があること)にしての停止であった。
そして、その後太陽発電等の再生可能エネルギー推進を打ち出したようで、明確には打ち出さないで今日に至っている。


この間の成果は、
1. 既存原子力発電所に対するストレステストの実施(これは必要不可欠のはずだったのに、政府は実施しようとしなかった)
2. 既存原子力発電所の再稼働への社会的な制約づくり(実施しようとする勢力に対してストレステストの必要性を打ち出すことによって、結果的に実現してしまった)
これだけである。
再生可能エネルギーに関しては不十分。脱原発に関しても、不十分。


今後必要なのは、本当に原子力発電所を継続的に利用できるかどうかに関する判断を社会的に行うことであろう。
選択肢は三つ。
A. 新規はともかく既存の原子力発電所を継続的に休止時期を決めないで利用し続けること
B. 既存の原子力発電所を段階的に廃止を計画した上で、それへの対応(当然再生可能エネルギー及びLNGガス等)を明確にすること=脱原発
C. 既存の原子力発電所を期限を限定して廃止することを明示し、それへの対応を直ちに実施すること=反原発


これらの選択に当たって必要なことは、
α 電力需要に見合う供給を前提とした電力計画を立案するのか
β 電力供給を現実的に想定して、それに対する需要計画を立案するか
これだけである。
これを論じる必要があるだけなのだ。

原子力発電を巡る経団連米倉会長と菅首相

原子力発電を巡る動きが、場外乱闘のようになりだしている。発端は、当然菅首相
彼の個人的意見としての脱原発発言、さらに、メガソーラー構想、既存原子力発電所に対するストレステストの実施等である。
一方、経団連の米倉会長は、今までの既存の経団連の会長とは、かなり異なるスタンスで発言されているようである。
経団連は表立っての政治的発言は、場所をわきまえ慎重にしていたという印象が自民党時代には強い。
おそらく、それは、見えないところでの調整ができていたということの裏返しかもしれない。
それが、民主党、特に菅政権になって、パイプを完全に失ってしまった。
米倉会長の余りに感情的な原発推進発言として表面化していると考えるのが、妥当であろう。


では、現時点でどちらが妥当なのであろうか。
米倉会長は現実的な発言をしていて、菅首相が感情的で、支離滅裂というメディアを通じた印象が強い。


しかし、良く考えてみると、菅首相の発言は、一つ一つは間違っていない。
問題は、そこに脈略がないこと、説明性がないことである。
もちろん、これは大問題。政治家として大変問題ではある。
脱原発」は、当然、論じるべき課題であることは間違いない。
但し、彼の発言を良く聞いていると、脱原発なのか、反原発なのかよくわからない。
脱原発は、既存の原発を稼働させながら、徐々にフェードアウトしていくこと。
原発は、原発と縁切りして、新たな方向性を直ちに打ち出すこと。
それ以外には、原発を継続利用する、拡大させないまでも今の発電規模をほぼ維持すること(米倉会長でもそこまでしか考えていないはず)ことしかあり得ない。
この辺りは、具体的な発電量とスケジュール感を持った現実的な論議が必要で、感情的かつ唐突に論じられるような話では全くない。
国のあり方そのものが変わる話である。


さらに菅首相が言及しているストレステストも、ある意味では当たり前のことであり、問題は唐突に出てきたこととストレステスト後のシナリオを考えていないことである。
ストレステストで本当に考えなければいけないことは、福島原発事故の原因が何か。
それに対してどう対策を講じるか。
この点だけで十分である。
すなわち、津波によるブラックアウトを防ぐような対策だけでいいのか、地震による配管破断はなかったのか。
もしあったならば、耐震基準の見直し、さらには、既存施設の応急的な対策が必須の課題となる。
これを明確にしていない。
菅首相は、本来、この点を関係者に明確にするように指示して、国民に対して、その経緯と結果を説明するべきである。
しかし、現実はそうなってはいない。


どう原発と向き合うか、決着をつけるか。まさに、この国のこれからの形を決める時が迫っているように思われる。