(49/100) 『ガイアの時代』、J.ラヴロック、工作舎、一九八九

ガイアの時代―地球生命圏の進化

ガイアの時代―地球生命圏の進化



ガイア理論へのわたしのアンビバレントな態度は以前 このブログでも 書いた。

以下、訳者解説。

本書は「生きている地球の輪郭」を、主として大気圏科学の裏付けデータをもとに描き出した前著(『地球生命圏』)に続き、ガイア仮説によせられた主要な批判に応えつつ仮説から理論への肉付けを試みるとともに、惑星医学の基礎となる「地球生理学」を提唱している。

で、訳者の星川淳は同解説でラヴロック批判もしている。

ガイアは決して生理学的な存在としてのみとらえられるものではない。人間が血液循環や体温調節だけに明け暮れているのではなく、そうした基礎代謝レベルと相当程度独立して、心理的、精神的なはたらき、さらには霊的なはたらきをあらわすように、ガイアも惑星生理学的な基礎代謝のうえに、<地球の心>ともいうべき精神作用を発現させているにちがいない。そもそも、このレベルへの言及を科学者としてのラヴロックに求めるのは無理かもしれないが、地球生理学をいうならばその先に「地球心理学]が待ち受けているのは必至である。わたしたちの意識はもとより、地球上の生きとし生けるものの心を含んだ大きな心を、ガイアが持っていないという確証はないのだ。


訳者自身、瞑想や自然とふれあう生活によって研ぎ澄まされた感覚の中で、その<地球の心>を感受した経験からいうと、ガイアは核による大規模な破局や日ごとに拡大する自然破壊をはっきりと憂慮している。あらゆるいのちをつなぐどこか深いレベルで、全生命がわたしたち人類の蛮行に恐れおののいているのだ。もちろん、いまこの拙い直感を持って、「地球心理学]だと主張するつもりはさらにない。けれども、本当に惑星の医者たることを目指すなら、ガイアを生理学的存在としてのみ限定した枠から安易な診断を下すことは慎むべきだろう。人間を扱う医学でさえ身/心/環境相関のホリスティックな癒しを標榜する時代に、地球の医学が唯物論にとらわれていては元も子もない。前著での「核の冬」に関する楽観論といい、本書の原子力への肯定的アプローチといい、唯物論的ガイア説はたしかに産業界の我田引水に対して脆いと思う。すでに、その筋では地球環境問題への大衆的な関心をそっくり原発推進に結びつけようとする意図がありありと見えているのだから―。

この解説を読んで、わたしは未練なくガイア仮説から距離を取ることが出来るようになった。
明らかに、星川淳ガイア仮説イデオロギーとして利用している。
ラヴロック自身はあくまで科学として扱うようカバーする領域を狭めようとしてるのに、
星川は拡げようとしている。
日本では紹介者に恵まれなかったのかな。
こういう立場での紹介って、注目されたりブームの時はファンを見つけやすいと思うけど、
長期的な理解者・支持者を得るのは難しいと思う。