まさかDVDが出てたとは。
地球の6000倍もの重力を持つ妖星ゴラスが地球に接近。このままではあと2年で地球は崩壊してしまう。そこで人類が取った最終手段とは、南極に巨大なジェット噴射口を作り、地球をロケットにしてゴラスの進路から逃れることであった……。
このストーリーだけで、なんと言うかもう凄いということが解ると思うのだけれども、今「買うた止めた買うた止めた」と踊っているところです。怪獣なんかは要りませんが、「俺ら宇宙のパイロット」が大好きで強く心を揺さぶられます。
蘇我馬子が女帝・推古天皇を立てたのと同様に、女帝・皇極天皇を立て己の思いを余すところ無く実現した蘇我蝦夷が、自己を振り返って、そして馬子の言ったことを思い返すことで前半は進められるのだけれども、その馬子の言う内容というのが稲目のことであるために、蘇我氏の成り立ちというものから語られることになる。そしてこの巻の後半では今までの蘇我氏の視点から、中臣鎌子の視点に切り替えて、大化の改新を経て天智天皇即位までを書き出しており、すなわちはこの巻において蘇我氏の盛衰が、その成り立ちから滅亡までが書かれている。
しかしこの巻にて驚いたのは、いや恐らくは作者の書きようであるために、これからの巻でも同様に驚かされるのだろうけども、途中、結構な割合で話がフラフラと落ち着かず飛んだりするのですが、それらのすべてが無駄なく後において意味をなして、きちんともらし無く収束する様は凄かった。
そんな文章の中で人物たちもしっかりと生きていて、1巻では蘇我蝦夷と厩戸皇子との関係が色っぽかったのだが、今度はそれ以上に中大兄皇子と中臣鎌子の関係が艶かしくって綺麗であった。そうした拠るべき相手の居る過去の蝦夷、中大兄皇子、中臣鎌子の強さに対比して、孤独な入鹿の儚さと現在の蝦夷の弱さとが置かれるために、中大兄皇子と中臣鎌子がより一層に輝いて見えるのが嬉しかった。
気になった点としては、蘇我氏打倒によって位に着いた孝徳天皇が大化の改新として、中国の律令制度を真似て初めて国づくりを行うものの、その上辺の清廉さを追い求める姿を新の王莽になぞらえているのだけれども、この王莽というのは祇園精舎の巻にて中国の叛臣として最初に上げられた名前であり、もしかしたらこのあと栄花の巻は2冊続くのだけれども、その2冊において書かれると思われる藤原氏の盛衰を通じて、他の叛臣らも比定していくのだろうか。それは楽しみである。
何度目かの再読。富士見書房の奴も持っているはずなのだけれども、ホビー・データ的に購入、とは、言えないか。ホビー・データ的に購入と言うなら、川嶋一洋や新井輝、森野一角、築地俊彦*1に水城正太郎*2などなども買っていなければならないはずだけど買っておらず、でも野尻抱介だけは購入しつづけているというからには、野尻抱介の本が好きなのだろうな。
彼の文章と言うのは「これもうPBMのリアクション」と言う感じで、そこがとても気に入っている。余計な形容をバッタバッタと切り捨てて、接続詞にて文章と文章を無理からに繋げたりせず、一文は単文だけとする、そこが大好きだ*3。
無論、そこが嫌いだと言う人もあると思うし、キャラクターをあまり、というかほとんど全然書き込まないので勿体無いという意見も聞いたことがある。その辺は個人の趣味なのだろうなぁと思ったところ、私は『神の処方箋』で書いた感想と正反対のことを言っているのに気が付いた。どちらもキャラが足りないと思うのだけれど、野尻抱介のは許せて機本伸司のは許せないのは何故だろう。機本伸司の場合はキャラを書こうという気が見えて、それでいて足りないと感じるから許せないのだろうかな? その辺りは自己矛盾しているなぁ。
って、野尻抱介のことばかりで、この本の感想ではないですな。