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シン・ゲリヲニズム『 嬢 画 』の論  このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-05-29 ARTISAN 3

戦艦の論 THE SEVEN XIX「東北で、あっちの方だったから良かった。」











初めて読む人のための「戦艦の論 」(1)
シンクロニズム 戦艦の論」〜 過去の投稿を振り返って〜



連載が始まって、かれこれ五年が経過する。



ブログ(weblog) の本来の目的はイラストの掲載であったため、その絵画に添えるキャプションとして「戦艦の論」はスタートした。「戦艦」のワードを用いたのは、当時公開されていた映画のタイトルが、たまたま反映されたからであって、戦艦オタクのための戦艦論を書きたかったからではない。
 → http://d.hatena.ne.jp/BRIDGET/20160731/1469968481 (「アンドロメダ級 2番艦」)より



実際の内容は、以下の文章に爆縮されている。



「戦艦の論」とは、ウルトラセブンと、宇宙戦艦ヤマトと、機動戦士ガンダムと、新世紀エヴァンゲリオンを、フジヤマと、ハラキリと、ゲイシャと、フクシマに、相互連関させ、思いつき順に綴った戦いの研究であり、それ自体に最強の武装を施した論である
 → http://d.hatena.ne.jp/BRIDGET/20130630/1372600877 ( 「政策綱領 一」)より



ウルトラ〜、宇宙戦艦〜、機動戦士〜、新世紀〜。



先に続く言葉が、一つとして思い当たらない人には、理解するのに疲れる「戦艦の論」である。私人の素朴な感想を発展的に展開する「この論」では、具体的にはセブンヤマトガンダムエヴァを中心とした著作物類似点と相違点を探っている。ちなみにこの四作品の共通項は、(どのように→)多岐にわたる優れた才能が集まって、(どこで→)日本で生み出され、(どんな→)SFジャンルに属し、(だれに→)少年少女から青年が好み、(どのくらい→)テレビ放送時か映画化時に空前の大ブームを巻き起こし、(何をした→)大正生まれのおじいちゃんがその名を覚えるほど社会現象化したこと、そして、いずれも(何が→)「空飛ぶ戦艦 / ウルトラホーク1号、ヤマトホワイトベース、AAAヴンダー」が登場することだ。



ここで言う「戦 艦」とは、最も強大な攻撃力と最も強固な防御力と最も長大な機動力とを兼ね備えた、有人施設のことである。なお、外観については特に限定せず、水上艦艇のみを言い表す訳ではない。
 → http://d.hatena.ne.jp/BRIDGET/20121025/1351105973 (「0(LOVE)と幻想のシンクロニズム 3」)より



シンクロするエッセンスと、相反するおもしろさと、何度見直しても不可解な展開とに意味を与える名作へのアプローチテーマとして、フジヤマ、ハラキリ、ゲイシャフクシマ を絡めて論述している。フジヤマは戦闘組織の「基地所在」を、ハラキリは登場人物による「決死行動」を、ゲイシャは「萌えヒロイン」を、フクシマは「滅亡危機」への遭遇を、それぞれ表象している。研究題目をカテゴリー分類する時のキーワードとしても重宝するこれらは、オタク人気獲得のための「特撮・アニメ」四要件とみなすことができる。



英表記でも伝達可能な FUJIYAMA とか HARAKIRI は、近世から現代における、我が国を象徴する代表的文化である。「絶景富士山」、「武士といえば腹切」、「舞妓と芸者」、「みちのく東北福島原発」、老若男女・学歴有無に関わりなく誰でも連想できる観念で、日本人であれば説明できないことは恥ずかしいトラディショナルワードだ。これらを横糸とするならば、縦糸に相当するセブンヤマトガンダムエヴァは、たかだか半世紀の間に生成・消費された、一抹の娯楽作品キャラクターであるクールジャパン政府主導でもてはやされても、明確に認識している海外の知識人は一部にとどまる。



しかし、国内では当該キャラクターを主役として繰り返し再放送され、ファンの期待に応えて幾度もリブートされている。世代間に抜け漏れなく続くシリーズが、FUKUSHIMA とか GEISYA を織り交ぜながら21世紀以降に生まれた子や孫たちのマインドに及ぼす撹拌と、その結果、東西南北離島の隅々にまで至る国民思想への編みこみは、もはや誰の手にも止められない。世界中に伝播し継承され得る著作権の交換・継続価値もけっして低くはない。



 昔、空母機動部隊。今、空母打撃群



比喩で用いた「最強の武装」とは、ときどき使うアサルトレトリックである。既存の共有知識を中抜きして煙幕を張り、ターゲットに気付かれることなく忍び寄って逃げ道を塞ぎ、貫通弾の一撃により抵抗する間もなく屈服させる術である。この効果を見せつけることで、疚しさを秘めた髪型のおかしい太っちょで引きこもりの独裁的暴力者を牽制しつつ、自陣営の共謀に関してはスルーさせるのに役立っている。例えばこんな感じに表現する、、



以下(「政策綱領 三」)より
 → http://d.hatena.ne.jp/BRIDGET/20130713/1373709599


オフィスアカデミー西崎義展は、宇宙戦艦ヤマトの原案を修正し、テレビ総督府に放送継続を訴える。しかし、インテリジェンスに欠ける下参謀は、無礼にもこの企画書を握りつぶした。

「今さら何を言うか! こげなもの持って来よる暇に、視聴者の数字取ってまいれ!」


日本サンライズは恭順嘆願の使者として、おもちゃ屋と親しかった、創通エージェンシーテレビ総督府に放っていた。制作局長との談判を求めるが、取り次ぎにあたった営業部係長は意味が理解できず、集団で企画変更を加え、その後放送を打ち切りにした。

「この賊徒めが! 売れないロボットに金を使わせるとは、不届き千万!」


再録は以上



あのヤマトガンダムも、期待されてはいたが当初はヒットしなかった。これはオールドファン周知の有名な事実だ。むしろリリース時は数字的には惨敗扱いで冷遇されていた。従来のテレビ漫画とはまったく違う世界観だったから子供はついていけなかったし、子供番組を卒業した中・高生の大部分は存在に気づかなかった。その後の熱狂と讃美から遡って考えると甚だしい温度差がそこに存在する。視聴者がうかがうことのできない制作サイドでは、いったい、どのような悶着があったのだろう。



想像はけっして難しくない。どこの組織にもいる「権力を持った無能力者」の功罪が伺えるということだ。周りの有能者たちからすると若干迷惑な内外管理職との軋轢だ。そいつは、自分が間違っているとは寸分も疑わずに、いつでも偉そうにマウントを取ろうとする。言ってることはだいたい「木を見て森を見ない」ようなことだ。センスがないから微妙に異なる表現を区別できない。たまたま聞きかじった方法論がまぐれ当たりすると、馬鹿の一つ覚えで同じことしか主張しなくなる。質問をするときはイライラしているときだけで、わからないことは見ないふりをして押し通す。



ただし、暴力で抑圧された時代でも社会でもなくなっていたので、虐げられた側にも反撃の機会は与えられる。体制の要求を受け入れつつも、こっそりどこかでやりたい表現を通せばいいのだ。屈服し難い能力判定を受けた場合は、その凄まじいまでの怨念が創造の原動力になる。このエネルギーが映像キャラクターに憑依してプラスに転換されたとき、作り手さえ予想しないヒット現象に結びつく。このように、悔しさに鍛えられて放送クール後半に深みが増したという類例は、枚挙にいとまがない。一方で、権力を持った「一つ覚えの馬鹿」に潤沢な資金と勘違い褒め言葉を与えられたら、クリエイティブは磨こうにも磨きようがない。資本所有者からの侮りを跳ね返したヤマトガンダムが、シリーズを追うごとにつまらなくなったのはそのせいだ。



 受け身の武装



ネットの言説というものは、とかく言葉尻のみを捉え、いきなり後ろからズボンを下げられるようなことがある。そのような曲解対策として、ここでは本当に言いたいことは意図的にぼやかしたり、含みを多くしたりして防御壁を築いている。また、いくつかの章にまたがって文脈を形成しており、速読は不能で模範的日本語表現にもなっていない、したがって特定部分の著述のみ抜き取って晒しても、読解を諦めた人からは反感すら持ってもらえない。



不寛容で過干渉な揚げ足取りの勇ましくて軽はずみな挑発くらいは、独自の邀撃システムによって自動反撃する。反論されるようなことは、別なところで、無難な正論を明記しておく、その上で反対者を焚きつけて弁証法を展開すれば、タンニンな意見はむしろ直掩機の燃料として利用できる。仮説として、「ガンダム主人公の名前 “アムロ” は、鉄腕 “アトム” から来ている」と推論し公に披露したとする、やがて多発的にツッコミ長距離弾が打ち上がる。「記録にない」、あるいは「記録と違う」という指摘は正しい。ネット上で調べる限り “アムロ” の由来については、「零式艦上戦闘機」の開発コード説(『A6M』)が支持されているようだ。しかし、正解は一つとは限らない。公式記録の記載が誘導されている場合もあり、取り上げられた関係者の証言だけが的を射ているわけではない。



とある事象における世の中の関心の高さと、所説、諸説、俗説、屁理屈ツッコミ、またそれをめぐる懇談、議論、論争、痛論の多さはだいたい比例関係にある。ウルトラマンスター・ウォーズは、研究本や専門ブログなどで、その設定矛盾や撮影ミスが多数指摘されている。だからといって価値の低いコンテンツだと思う人はいない、本当にダメなものは誰からも茶々の入らない、記憶にとどまらない作品であるゴジラターミネーターも、何億人か何十億人かが鑑賞しており、さらにそのうちの何千万人かは二回以上見ている。シリーズを通して、配慮に欠ける言説や差別表現がないとは言えない、それに気付かれるリスクも少なくない。




また帰ってくる『ターミネーター2 3D』




 銃座



事柄と内実の関係性、表現と認識の相互作用は、個人の成長や社会(時代)の進化によって変化(止揚)する。腑に落としたネーミング理由や、理解していたつもりのエピソードの裏に、もっと深いテーマがあるかもしれない。思いつきとは言え、別の角度から眺めることによる発見は多い。フジヤマ、ハラキリ、ゲイシャフクシマ は一種の方便だが、俯瞰的、網羅的に捉える指針となる。ここでは「文化を大切に」、「人の命を粗末にしたらいけない」、「女性を売り物にするのは下品だ」、「被災者の気持ちを考えて」などという、いつでもどこかで誰かが訴えている解りきったことは言わない。それら正論の影で見落とされている視点にこそ照準を合わせている。



グローバルレベルで価値ある創作物の着想のきっかけには、いずれも理由やルーツがある。何もない真っ白なところから、ひとりの天才(または異常者であっても)によって過去に類例のない変異が生じることは稀だ。世紀の傑作と謳われる『2001年宇宙の旅』の、類人猿が突如人類に進化する斬新シークエンスは、漫画「鉄腕アトム」のある回(「一億年前の犯罪の巻」)にアイディアをいただいているし、その回とて三本足の円盤が登場するなど『宇宙戦争』を始原とする、種々の空想科学小説群に影響を受けている。また、スピルバーグ版『宇宙戦争 WAR OF THE WORLDS 』の中では、宇宙人(ロボ)が地面の中にずっと埋まっていたというくだりがあるが、それは「鉄腕アトム」(「一億年前の犯罪の巻」)に類似シーンを見つけることができる。




「一億年前の犯罪の巻」には「恐竜戦車」や「タイムメカブトン」の原型のようなロボが登場する



こういった文化的遺伝、相伝、ループの裏づけのために、連綿とその背景を遡りシンクロニズムを展開している。「未知の知的生命体が、天変地異を起こして人類を圧倒する」エピソードを最初に思いついたのは誰かと探りだしたら、最終的に行き着くところは、合理主義の餌食となった神話と宗教しかない。








初めて読む人のための「戦艦の論 」(2)
「花魁と白虎隊」 〜 著者来歴 〜



私はアニメ県埼玉在住で東京都心に通う会社員である。進学のために上京して、アパートの次に決めたのは東京駅の清掃バイトだった。天皇しか通れないと言われた地下のシャンデリア通路を、何日かゴミ箱を引きづり歩いていた。同僚の半分が中国人だったのは今と変わらない気もするが、ゴミの九割以上がタバコの吸殻だったのは隔世の感がある。時代は変わるものだ。大学ではバブル時代になお残存していた左翼サークルで、唯物論哲学を教えてもらったのは貴重な財産だ。そして昭和天皇の見舞い記帳をした際は先輩から白い目で見られた。



今は、飲食業界に勤めるが、かつては広告と映画の世界にいた。年齢は、放送開始より50周年を迎える「ウルトラセブン」と同じである中学生の2年生頃、ハリウッド映画の大ブーム期が来ていた。特に話題になったのが『E.T.』だ。反抗心が旺盛だったので、作品は何一つ見ていなかったくせに有名すぎるスピルバーグは嫌いだった。20年後、期せずして『E.T. 特別版』イベントを実質仕切ることになる。皇族のつてを通し、かの眞子内親王試写会に招くに至り、結果として他のスピルバーグ作品にも多く関わるようになった。ガンダムに夢中だった思春期食わず嫌いだったが、今ではもっとも尊敬する監督のうちの一人だ。



私の出身地新潟県燕市分水地区(旧地蔵堂)である。清貧の僧にして歌人で書家の「良寛」ゆかりの地であり、桜の季節の「おいらん道中」でも有名だ。現役の水上戦艦が役目を終えて、仮想現実の中に新たな舞台を見つけた「艦娘」のように、ひらかな表記される「おいらん」も元々の意味からだいぶ変わってきた。イメージの更新により、わが故郷にも県外客やインバウンドが増えている。ありがたいことではある、けれども、花街としても栄えていたこの地は、江戸吉原のような花魁のいた街ではない。米どころの信濃川水運で栄えた中程度の田舎町だ。ところで、実の祖母は戦前(太平洋)には亡くなっているが、街では著名な名妓にして「家付き娘」であった。それゆえ、料飲業界上げての「おいらんプロジェクト」立ち上げに参加していたと考えるのが普通だ。推定功労者「安達ハナ」である、「戦艦の論」くらいは明記しておきたい。

→ http://d.hatena.ne.jp/BRIDGET/20160508 (「アンドロメダ級 1番艦」)参照
「花」と「アンヌ」のシンクロは偶然とし、「テム・レイ博士」の由来は「手塚治虫」だったと紹介した。 



ハナの先祖は福島の武家で、実家は寺子屋から置屋に鞍替えし財をなしていたらしい。ただ、二度も大火に見舞われ、物的な記録は家紋しか残っていない。この地域は、幕末に会津の領地があり、戊辰戦争では前線基地が置かれ新政府側に付いた与板藩と対峙した(与板は直江兼続の居城としられ、最後の藩主は大老井伊直弼の四男である)。地蔵堂には戦後(戊辰)、会津藩の兵士が住みついて子供に学問を教えたという史実があり、会津藩に自分と同苗字(安達)の武家(白虎隊員にも)が存在するが縁は不明だ。ハナの妹(父の叔母)も芸者の道を歩み、白虎隊の町「会津東山」で人生を全うした。



改めて「芸者」とは何か。いわゆる外国人の知っているゲイシャは、着物を着た厚化粧の女であり、ゆったりとした動作で男に酒を進めるイメージであろう。おしとやかで従順な日本女性の象徴としての言葉である反面、何か怪しげなムードを持っているように見える。「遊女」と混同されることが多いが、定義は異なる。派手な装飾で、見た目から人気のある「花魁」も似たようなイメージを持たれてるが、こちらは高級娼婦のことである。歌って踊れる芸者あるいは舞子は、現代のスターアイドルや女優のようなもので、あからさまには性を売り物にしない。とはいえ、アーティストモデルショーガールコンパニオンセクシータレントホステスキャストとの境目はあってないようなもので、どこにポジショニングするか、それは時代が変わっても個別の事情によりけりだった。



腹切、切腹、割腹、詰め腹、自決。武士の思想の体現とも言える言葉であるアメージングな日本のかつての制度であり、芸者とともに異文化理解の中心に位置付けられる特異的な概念と言えるだろう。「福島」は、地域を表す言葉であると同時に、原発事故後の諸問題を包括している。偶然だが震災の一週間前に私は福島城跡(現県庁)を観光していた、県庁職員がなんとものんびりしていたのが印象的だった。「富士山」は、地形的な名所であるだけでなく、信仰を集め国民精神のシンボルともなっている。それぞれ有名ではあるが、または有名すぎるがゆえに、見る角度によって、人によって、まったく異なる印象を与えるという点で、それぞれ特別な観念に位置している。






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2017-03-12 ARTISAN 2

戦艦の論 THE SEVEN XVIII「エンジン切り離せ、全員に告げろ、白兵戦の用意をさせろ」











 ひさかたのひかるそらの春の日に しづ心なく江戸のがんだむ










【再録】シンクロニズム 戦艦の論 3-7 「レインボーブリッジ封鎖できませんっ!」より抜粋
http://d.hatena.ne.jp/BRIDGET/20130709/1373369271



ガンダムバンダイ山麓に立つ! 1 〜品海砲台〜


日本と、世界と、地球を守る、セブンヤマトエヴァ防衛基地富士山麓周辺にあり、戦闘機宇宙戦艦、決戦兵器の発進シークエンスの背景には、富士が遠く聳えている、しかし、ガンダムにその固定パターンはない。日本舞台に設定しなかったからだ。



ガンダムは、『地球防衛軍』や『マジンガーZ』が常習して来た、この日本びいきのフジヤマ文化遺産を覆し、宇宙時代にあった、よりグローバルな設定作りを旨とした。だが、意図するしないに関わらず、結局トクガワに引き寄せられる。「REAL GRADE 1/1 RX-78-2 」、等身大抜刀ガンダムは、2010年7月、世界裾野を広げる巨大カンパニー、「バンダイ」お膝元の駿府静岡に立つことになった。



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(今回追加画像/ガンダム立像最後の展示より)

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ちなみにそれは現在ダイバーシティー配置転換させられているが、そもそも台場から富士の麓に持っていかれた経緯がある。いや、そんな瑣末なことより重大にして、日本人に忘れられている事実は、江戸湾を埋め立て、台場(砲台)を建設したのが、国体を「黒船から守ろうとした、会津藩であるということだ。









ガンダムバンダイ山麓に立つ! 2 〜奥州富嶽


鶴ヶ城を見下ろす磐梯山は、その美しさから会津富士と呼ばれている。この麓に、急峻な崖を逆落としで流れ込んで来たのは、溶岩流ではなく、トクガワに反旗を翻した、西国サムライたちであった。



ところで、宇宙戦艦ヤマト登場人物のほとんどは、日本史に名を刻んだ有名人苗字から採用している。一方、ガンダムにそのような継承はないようだ。しかし、わずかにしか存在しない和風名に、フクシマ地名を見いだすことができる。ホワイトベース士官室に潜り込んで、行き先が、宇宙基地ジャブローであることをリークしたのは「ミハル」だ。奥羽越列藩同盟で、最初官軍に寝返った三春藩と同じである



ここからもたらされた有力情報によって、精鋭会津防衛ラインは裏をかかれ、手薄な峠を一気に抜かれてしまった。さて、現在福島県中通りに位置する三春町の隣は、田村市で、この地の由来は有名な坂上田村麻呂にある。田村麻呂は征夷大将軍という官職についていた。これが、鎌倉開府を経て後世の徳川将軍職に繋がる。ガンオタ少年は、多様な人種が集まっているホワイトベース乗員に、数少ない日系人が含まれていることに親近感を覚える。君は、その飯盛担当が「タムラ」というのを覚えているか













【再録】シンクロニズム 戦艦の論 3-3 「矢作ちゃんさぁ、ガンダムに例えれば皆に通じるっていうの、思い上がりよ」より抜粋
http://d.hatena.ne.jp/BRIDGET/20130603/1370200047









ザクとは違うのだよその一 〜モンゴル源平合戦



少年兵構成されるホワイトベースが「白虎隊」っぽく、その上の年代組織される精鋭「朱雀隊」が、シャアの「赤ザク」に似ていることは既に述べた。では、会津軍でさらに上に組織された「青龍隊」にあてはまるキャラはいないのか。



偶然か否か、年代の一致する「ランバ・ラル」の搭乗機「MS-07Bグフ」は、青く塗られており「青い巨星」と呼ばれ恐れられた。手には「青龍刀」を持っている。ランバ・ラルの軍装は、緑系統が多いジオン軍では珍しく青い。「グフ」とは変な名前だが、モンゴル語では青を意味するらしい。ついでに、「シャア」をモンゴル語で調べたら百式色だった、、



ドズル旗下の青龍隊は、バトルシップザンジバル」で地球に降下するが、借り物だったのでそっちは青くない。かつて蒼き狼支配したモンゴル砂漠で、ガンダムを苦しめたのは青い龍であった。



時代が変わった様だな、坊やみたいなのがパイロットとはな」
_青龍隊幹部








ザクとは違うのだよその二 〜デニムジーンズスレンダー





ここで、登場人物の由来をもう一度復習してみる。アムロ・レイ「零式」、ハヤト「隼」、カイ・シデン紫電改」、リュウ・ホセイ流星」、セイラ晴嵐」、カツ「特四式内火艇 カツ」、レツ「烈風」、キッカ「橘花」。白虎隊第二次世界大戦時の日本軍の搭乗兵器であった。では、シャア少佐率いる朱雀隊はどうか。



中立コロニー「サイド7」偵察チームのジーン、デニム曹長スレンダー軍曹。なんだかジーンズ素材か種類を差しているようだ。デニムインディゴ染めの生地、ジーンも同様で、ジーンズはそれを使用した製品のこと。変と言えば変だが、70年代国民刑事ドラマにも「ジーパン」という若いのがいる。ボス命令違反ばかりしている跳ねっ返り新人デカは、最期殉職するというのがパターンだ。「へっ、怯えていやがるぜ、このモビルスーツ」と強がってみせた新兵「ジーン」も、シャア命令に逆らって殉職した。ガンダム最初犠牲者だ。




「認めたくないものだな、自分自身若さ故の過ちというものを」
_朱雀隊幹部







ザクとは違うのだよその三 〜太刀の刃文は乱刃 〜




じゃあ、ランバ・ラル大尉青龍隊はどうであろうか。


タチ中尉 
 ランバ・ラル自決後、ハモンにMSを届け自らもザクで戦う
 (THE ORIGIN版ではハモンに片思い)

クラウレ・ハモン 
 軍属ではないが、ジオンと裏のつながりを持つ美魔女
 ランバ・ラルの敵討ちをくわだてる
 (シャアを産むことになる歌姫とは親友であった)

ランバ・ラル 
 新興ザビ家と対立する名門ラル家の世継ぎ
 クーデターで失脚させられたが、利用価値があると見なされ生き延びた
 (若き日のタチ、ハモンと共にキャスバルアルテイシア兄妹を脱出させるために尽力する)
 

タチ → 太刀 主に戦国時代以前に使われた日本刀
        近世武士が用いた刀(打刀)と、形状・用法が異なる

ハモン → 刃文 日本刀の美しさ、妖しさを表す磨き鋼の波模様

ランバ → 乱刃 刃文がストレートではなく、サメの歯みたいなギザギザ
         突きつけられた時の心理的威圧効果は絶大
(読みはランバではなくミダレバ)



白兵戦が得意な青龍隊に相応しいシンクロだ。ちなみにガンダムの影響で、「白兵」戦を、搭乗兵器に頼らないゲリラ戦ととらえがちだが、本来の白兵とは、「白刃」を持った兵士のことであり、アサルトライフルなどを使う打撃戦区別して用いていた。しかし、モビルスーツ刀剣を用いて、接近戦を行えば、これまた白兵戦と言うべきか。いずれにせよ、保身よりも義に殉じて散った白虎の先達は、味方の連邦軍よりも兵士として見本になった。




「見ておくがいい、戦いに敗れるとは、こういうことだー!」
_青龍隊幹部



























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2016-11-03 ARTISAN 1

戦艦の論 THE SEVEN XVII「エヴァをやって評価され過ぎた。次に、彼らしいものを、実写で」


















__ 文化の日、ゴジラの日、まんがの日 記念 __
11/3は初代ゴジラ封切日にして手塚治虫の誕生日(その2)





『シン・ゴジラ』が生まれる15年前の予言 





【反復確認】 浜野助教授(1951 - 2014) インタビュー 抄
http://d.hatena.ne.jp/BRIDGET/20151103/1446561471 



『ゴジラ』というのは冷戦をアイコンにして人間を襲うという傑作なんです。アメリカはそういう意味で、SFものでは1つも傑作を生めなかった。多分、『2001年宇宙の旅』のキューブリックはリアリティをもって未来を描くというところで日本の映画に惹かれたんだと思うんだね。「手塚治虫」さんに声をかけたというのも、手塚さんは絵が丸っこいから明るそうに見えるけど、ものすごくペシミストだよね。



モノリスは未来の神であって、手とかをなくして、異空間を移動して、ちょっとした冗談で猿に知恵をつけちゃうっていう。脚本では非常に合理的に描かれていたものを、映画でひどく神秘的に描いた。最初は「宇宙には人間以外の存在がいる」とかいうナレーションが入っていたんだけど、それだと非常に陳腐化しちゃうわけね。非常に神秘主義的なのに、科学的な学者が出てきてね、宇宙に違う存在がいてもおかしくないとか、学術的に確率を求める、なんて言っちゃうと、彼の思っている神秘主義とは乖離しちゃうから。未完結風の映画自体も、そういったところを残そうとした彼のしたたかな戦略じゃないかな。



普通の映画と言うのは、「黒澤明」さんもおっしゃってるんだけど、“心情を仮託できる人がいて、その人に感情を移入できる”というのがある。ところがこちらでは出てくる人物全員に感情移入できない。突き放されたまま話が延々続いて、突然後半には訳のわからない事になっちゃって、それですごく不思議な体験をするから真剣に考えちゃうわけね。初めてあんな映像体験をしたと思う。



アメリカが典型的にやってるのは、特にSF映画作家は日本の『ゴジラ』とかのファンでたくさん見ているじゃないですか。あれを完璧な絵にするとどうなるかってやってるんですよね。だから世界中で受け入れられたストーリーラインを探したときに、まずは日本に手を出した。すごく残念といえば残念ですよね、それを日本はきちっと実写映画化できないですから。要するに今の日本の映画界は30年経ったって言ってもこれをリメイクする力はないんです。もちろんこうしたテイストは出ないだろうけど、パクリでもいいからやってみようとしてもできないわけです、技術的な面で。



もう日本映画って、社会を切り裂くような鋭利なテーマってやらないじゃん。



でもやっぱり宮崎さんはすごいですよね。「ルーカス」だって「スピルバーグ」だって、彼ら映画人には環境主義者が多いんですが、どう環境問題を描いていいか分からない。だって環境問題は突き詰めていけば人間が悪なんだから。「スピルバーグ、おまえが悪者じゃん」ってことになるんだよね。生きてることが悪いってことになってしまうわけでしょ? それを宮崎さんは懲りずにやったんだよね。それを繰り返してやった。僕は『風の谷のナウシカ』ですごいと思ったけど、『もののけ姫』というあんなに“破綻のある映画”を平気で作った。それはなぜかというと量的拡大があるから、ああいう破綻のある映画も人々に受け入れられている。



押井さんはやたら『ブレードランナー』のことを言うよね、彼は映像がスタイリッシュですからね。僕は何をやっても支援したいと思っているのは「押井守」、「大友克洋」、「樋口真嗣」ですね。でも押井さんと大友さんはそこそこ支えられていますからね。僕はあいつ(樋口氏)を監督にしたいんだよ、『ガメラ』にしても「金子修介」監督のシーンになるとカクンと落ちるでしょ? あの特撮のところのテンションが維持されていたら『ガメラ3』もすごかったんじゃないかと思うんだよね。どうして映像で説明するの、っていうことですよね、どうせやっても分からないんだから。



「富野由悠季」さんは、『スター・ウォーズ』をかなり意識して破綻のないストーリーに移行させて、正義も悪もなくして、昔話の形を持ってきて…、そういうものを作りたかったんだって。非常に日本的だよね、どっちも悪くないのに戦わなくちゃいけない。そういう混沌としたアメリカ的でない状況を描こうとした。富野さんは理論的に語れない人だから混乱しちゃうんだけど、よくあれだけ撮れると思いますよね。富野さんの世界というのは奥が深いですよね。アメリカでは『ガンダム』が第二の『ポケモン』って言われるくらいヒットしているんですけど、すごい“資産”ですよね、日本のアニメは。いい人がすごくいますよね。



やっぱりすごい演出ですよね、メリハリが効いていて、量が多いから、危険なことにもチャレンジできるじゃない。量が少ないと怖くて、当たらないと次ができないから冒険できないじゃないですか。アニメーションは冒険だらけですよね。『鉄腕アトム』なんてだらだら続いていたけど、富野さんは『アトム』のころからの人だから、あらゆることをやったって言ってますよね。そこで鍛えられているから、あの手この手の“引出し”がすごくあるんですよね。だって押井さんの『うる星やつら』なんて実験アニメじゃないですか。アニメーションだからって許されるのであって、あれが実写だったら怒られるよね。



「庵野秀明」さんは次じゃないかな。



軸がぶれているから。自分を抑えてあそこまできっちりできるなんて。ある種の時代の風を受けて『エヴァ』をやって評価され過ぎたと思う。次に彼らしいものを、実写でここのところやっているけど、まだどうなるか見えない。ものすごい樋口と仲いいでしょ? 


(2000年末取材 協力/早川書房 東京大学新聞)















〜 艦隊コレクション 2 〜 
集団的ディフェンス (更新)




超弩級
『ゴジラ』、『鉄腕アトム』


弩級
『七人の侍』、『2001年宇宙の旅』


戦艦級
『ウルトラセブン』、『宇宙戦艦ヤマト』、『機動戦士ガンダム』、『新世紀エヴァンゲリオン』





航空戦艦
『ターミネーター2』、『地獄の黙示録』


巡洋戦艦
『タクシードライバー』、『太陽を盗んだ男』


重巡洋艦
『隠し砦の三悪人』、『未来少年コナン』、『AKIRA』


巡洋艦
『ブレードランナー』、『エイリアン』、『エイリアン2』、『風の谷のナウシカ』





突撃駆逐艦
『レオン』、『切腹』、『プライベート・ライアン』


ミサイル駆逐艦
『地球防衛軍』、『宇宙戦争 War of the Worlds』、『ターミネーター』、『ブラック・レイン』


特別駆逐艦
『おおかみこどもの雨と雪』、『野獣死すべし』


水雷艇
『カプリコン・1』、『戦国自衛隊』、『ファイナル・カウントダウン』、『GALACTICA/ギャラクティカ』、『沈黙の艦隊』


快速艇
『シン・ゴジラ』、『バトルシップ』





その他の艦艇
『ウルトラマン』、『ヒドゥン』、『アバター』、『サンダーバード』、『宇宙大戦争』、『アルマゲドン』、『ディープインパクト』、『インデペンデンス・デイ』、『若き勇者たち』、『勇者ライディーン』、『伝説巨神イデオン』、『超時空要塞マクロス』、『フランダースの犬』、『タイタニック』、『フィフス・エレメント』、『マトリックス』、『攻殻機動隊』、『機動警察パトレイバー』、『宣戦布告』、新『ガメラ』、『人狼 JIN-ROH』、『ランボー 怒りの脱出』、『ライトスタッフ』、『フィラデルフィア・エクスペリメント』、『ダリル』、『ウォー・ゲーム』、『サマーウォーズ』、『戦火の勇気』、『ラストサムライ』、『獅子の時代』、『八重の桜』、『坂の上の雲』、『シン・レッド・ライン』、『戦場のメリー・クリスマス』、『日本のいちばん長い日』、『ジャッカルの日』、『合衆国最後の日』、『24 -TWENTY FOUR-』、『スピード』、『新幹線大爆破』、『動脈列島』、『皇帝のいない八月』、『ボーン・アイデンティティー』、『プリズン・ブレイク』、『悪魔のようなあいつ』、『太陽にほえろ!』、『アルプスの少女ハイジ』、『ミュンヘン』、『クローバーフィールド/HAKAISHA』、『みゆき』














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2016-10-28 Resurgence 3

戦艦の論 THE SEVEN XVI「こうして飛雄少年は生まれかわった。その名を、鉄腕アトム!」










 トビオ=アトム神話
 〜 A Cruel Angel's Thesis 〜



アニメの祖である『鉄腕アトム』は、子供向けの設定でありながら、最初と最後に主人公が死ぬという、極めて衝撃的で珍しい展開を見せる。第一話でハヤタ隊員が死ぬウルトラマンは少し似ているが、最終話で命を授かるので大きく異なる。


アトムは一般に、誰からも愛される無敵のヒーロー像を持たれている。だが陰には、頼るべき父親に追い出される、実に悲しいストーリーを秘めていた。




 永遠にアトム



その、星になった少年にあやかったと考えると、
非常に辻褄が合う世紀のヒーローたち



1.「星 飛雄馬」(「巨人の星」)

 飛雄馬は天馬飛雄、または飛雄少年天馬博士の合成より
 大リーグ養成ギブスは機械化への試練



2.「星野鉄郎」(「銀河鉄道999」)

 機械の体と永遠の命を手に入れるため旅立つ
 トビオ(人間) → アトム(機械)



3.「アムロ・レイ」(「機動戦士ガンダム」)

 アムロアトムより
 ティムレイ手塚治虫より
 ペガサス級戦艦(ホワイトベース)は天馬博士より
 ガンダムダムダム(首を失っても戦う最強ロボ)より
 


  永遠にアムロ
 

何で永遠なのか、まったく分からない意味不明な歌詞である
しかし、アムロを、太陽に特攻するアトムに置き換えるとめちゃくちゃはまる



  アトム ふりむかないで


  宇宙のかなたに 輝く星は

  アトム お前の生まれた 故郷だ


  おぼえているかい 少年の日のことを

  あたたかい ぬくもりの中で めざめた朝を

  アトム ふりむくな アトム







4.「碇 シンジ」(「新世紀エヴァンゲリオン」)

 時代設定がアトムと同じ2015年
 人造人間とのシンクロは機械を超えた命の復元


 
  この宇宙を抱いて輝く、少年よ神話になれ 



 少年を、シンジに当てはめてみるも、
 初放映から21年経った現在でもしっくりこない

 ところが、残酷な事故で世を去った飛雄少年が、
 宇宙に旅立って神話化した、その後、地上で蘇った
 と考えると、完璧に筋が通る



  運命さえまだ知らない いたいけな瞳

  悲しみがそしてはじまる

  抱きしめた命のかたち

  その夢に目覚めたとき 誰よりも光を放つ





 死んでいないはずのガンダム
 「よみがえる」なぞも、これで解ける

  燃え上がれ(跳べ!)ガンダムの歌詞は、
 トビオ少年復活の呪文だったのだ

 


  まだ 絶望に沈む 悲しみあるなら

  恐怖をはらって 行けよ 行けよ 行けよ

  よみがえる よみがえる よみがえる アトム


  まだ 心があるなら

  銀河に向って トビオ アトム







一徹、黒騎士ファウスト、ティムレイ碇ゲンドウの、
息子に対するやや異常な仕打ちは、いずれも天馬博士に同じ

これを乗り越え、肉体と精神を限界まで追い詰めて闘うことができたのは、
再生のための神話であったから



 トビオ → 死・転生 →  アトム → 死・転生

  → 飛雄馬、鉄郎、アムロシンジ












鉄腕アトム 最終回

ゴジラ』、『さらば宇宙戦艦ヤマト』、『ターミネーター2』、『ディープ・インパクト』と、そっくりなラストシーンが見れるよ。

















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鉄腕アトム Complete BOX 1 [DVD]

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2016-10-01 Resurgence 2

戦艦の論 THE SEVEN XV「お前を捕らえるつもりはない、子供がひもじかろうと思うてな。」














【考察】『シン・ゴジラ』への影響作品 9





真・ゴジラ 
〜 ガメラ、AKIRA、ターミネータータイタニックジョーズ宇宙戦争



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構図の同調で分かる。
タイタニック』は、紛れもない怪獣映画








【新】「君の見たい(ゴジラ)が見れるよ」0




太陽を盗んだ男エヴァンゲリオン 』 



権利関係」という最もタンニンシステム支配下に関わらず、ゴジラの出てこない(ゴジラ)のような作品を果敢に製作してきた先達が、広島と山口にいた。



一作目ゴジラに続く、歴代シリーズタンニンしていた熱心な初ゴジ信望者は、そんなクリエーターを多いに支持した。そして、そぞろ神が乗り移ったように、「ディレカン」や「Daicon」達が目覚めると、古代の怪獣を一時忘れ、これに心狂わせた。神まねきにあった彼らが尊崇したのは、東京で原爆を炸裂させた『太陽を盗んだ男』と、東京を海中に沈めた『エヴァンゲリオン』である。



さる関係者には誠に遺憾ながら、両者こそ豊葦原千五百秋瑞穂国の頂点に君臨する、真の呉爾羅であった。結果的に、ファン希求のゴジラ待望熱は、それら「ゴジラの出てこない(ゴジラ)」によっても解消された。



かつて、70年代末に製作された『 菅原ヴンダージュリー 』は、見てくれこそメインキャラクターが、広島任侠界と東京歌謡界の人気を正式契約に基づいて宣伝しているが、その実態はあろうことか「人間ドラマ」ではなく、『ゴ ジ ラ』がまさにそうであったように、たったひとつの生命が巻き起こしたディザスター、突如日本の行政機構が陥るクライシス、そして首都東京がパニックに襲われる「怪獣映画」であった。



ゆえに、宣伝の対象と好むであろうファンが一致しないだけでなく、地方興行主の理解を超えていたため、古い観念の論者が評価に戸惑ったため、支持者が声援を送るというインフラが整っていなかったため、ロードショーが早晩リジェクトされる現象が起こってしまった。そうした意味で、改めて権利元からではなく、残念な成績を見た上でタイトルを付けるならば、この作品名は『大金を盗まれた男』がふさわしい。



 カタストロフの効用



公開当時、動員的には評価されなかったモンスターアイドル映画の重要な弱点は、皇居で敢行された「ゲリラロケ」に完全凝縮されている。出世作『青春の殺人者』では、芸術性についての主張が伝わり過ぎたためか、監督長谷川は次に製作する作品で、思い切り分かりやすく舵を切り直した。その結果、一部から日本のスピルバーグとも評されたが、全役人の敵となるつもりの破壊的ディレクターが、国家に叩きつけた挑戦状をして、「左折禁止違反」程度に扱われた「人質バスの突入シーン」は、期待した意味での理解に届かなかった。



アイロニカルなメッセージとして、十分痛烈だったにも関わらず、ラストにいたるまでがあまりに面白く、その過剰な興奮のせいで、ほとんどの観客は導入部の政治主張を忘れていた。命を投げ捨てることで、出兵子息への愛を成就させたバスジャック犯とて同じことだ、なんともったいないメッセージであることか。



初代ゴジラ国会議事堂までは壊したが、皇居には一歩も立ち入っていない。ゴジラ第四形態は、皇居の玄関口東京駅まではたどり着いたが、そこで身動きできなくなっている。一方、太陽を盗んだジュリーは、国会議事堂も皇居も攻め込んだ上で、丸ごと消滅させている。こんな不敬な作品は後の世にしか作られていない、クールカルチャーと呼ばれたAKIRAとevangelionだ。今から思えば、ヒロイン「ゼロ」をオリンピック建設予定地(台場/爆心)に誘い出したり、14歳の教え子たちを箱根(第3新東京市)に連れてったりしてるのは、恐ろしいほどに予言的だった。



「アキラ」も「エヴァンゲリオン」も、なぜ東京が消滅したのか多くは語らない。だが、世界的にも稀な、バブルに熱狂した異常な精神状態のスーパーシティーは、一度ご破算にすべき空気に支配された。そして土地神話と共に都市経済は崩壊し、名も知れぬ多くの当事者とその家族を苦しめた。このような背景の中で、アキラとエヴァは、漫画とアニメに舞台を変えて、叶わなかった『太陽』の続編作りを、もうひとつのニッポンの姿として見せてくれた。不完全燃焼した太陽の廃棄物を再処理し、発散すべき負のエネルギーを、ゴジラの熱線のように大放出してくれたのだった。



太陽にほえろ! 対 タクシードライバー



ところで、『太陽を盗んだ男』の中核をなしている、プルトニウムを盗んで政府を恐喝するというプロットは、先に東宝テレビ部製作の「太陽にほえろ!」で使用済みである(第77話「五十億円のゲーム」)。屋上から身代金をバラ撒かせるというアイディアも既出(第197話)で、ジュリーがこの刑事ドラマにゲスト出演した回(第20話)は、逃亡に協力する女性が現れるという点で『女心を盗んだ男』と一致する。太陽とともにタイトルバックが登場するオープニング、新宿の高層ビルを背景にポーズを決めるシーン、あの、誰もが知っているトランペットテーマを演奏する井上堯之バンドの起用、最初(第1話)の事件の当事者が水谷豊、おまけには「危険を盗んだ女」(第51話)という、どこにつっこめばいいのかという姉妹回すらある。



では、首都が攻撃目標とされた際の政府対応を、『シン・ゴジラ』より37年早く浮き彫りにしたゴジ監督の「怪獣映画」は、「太陽にほえろ!」のスピンオフムービーだったかと言えばそうではない。



それっぽいところもあるが、脚本を書いたのは東宝テレビ部ではない。『太陽を盗んだ男』のシナリオ作家は、ロバート・デ・ニーロを一躍有名にした『タクシードライバー』の血筋だ(レナードシュレーダー。ポール・シュレーダーは実弟)。お茶の間か駅前のラーメン屋か銭湯のテレビ受像機に馴染みやすい「太陽にほえろ!」と違って、どこか日本離れしたスタイリッシュなムードを漂わせているのはそのためだ。



 「どこにいても、淋しさがつきまとう」

 「バーや車、歩道やストアやどこでもだ」

 「逃げ道はない、たったひとりだ」



 「6月8日、俺の人生にふたたび転機が現れた」

 「長い鎖のように続く漠然とした日々」

 「それが突然変わった」



 「俺は太陽さ」

 「名前はヘンリー・クリンクル」

 「ホッパー通り 154番」



要人暗殺を目論む、謎めいた一人の『タクシードライバー』と、何が目的かはっきりしないが、とんでもないことをしでかす『太陽を盗んだ男』はよく似ている。都会のありふれた職につき、友達とわいわい騒ぐこともなく、孤独な妄想をめぐらす青年の前に、ある日突然、抜き差しならない暴力が立ちはだかる。



その日を境に、ストイックに体を鍛え、自室にこもって武器を製造する。ぶつぶつ独り言を言っているかと思うと、シークレットサービス(官憲)をおちょくり偽名を名乗る。繁華街のウィンドウ越しに笑顔を振りまくマドンナに、だいたんアプローチカフェに誘い出す。街の夜闇、フロントガラスに映ったネオンが交錯し走り去る中、ひとり静かに獲物を求める。頭を狙ってエア自殺する。二丁拳銃で弾がなくなるまで撃ちまくる。




 「3年3組担任、城戸誠」

 「なになに、若葉町1の3の27、サトウシゲオさんね」

 「キド、いやキドコロマサオ、よろしく」



 「お礼に俺の名前を教えてあげるよ、俺は9番」

 「現在、核爆弾保有国は八つある、おれはその9番目だよ」



 「いいよ、教えてあげるよ」

 「俺は9番、9の次はゼロなんだ」




地球上のどこかの住所と、本名と肩書きに縛られていれば安心できる我々と、少し異なるアナーキーな生き方を選択した『タクシードライバー』。似ている邦画は『盗んだ男』だけではない。名誉除隊の退役軍人、帰還後の逸脱行動を綴ったこの映画には、『七人の侍』のエッセンスが含まれている。かの主人公たちも主君を失い傷を負い、無秩序な時代をさまよう退役サムライだった。唐突に頭にソリを入れて、か弱い少女を、売春宿のチンピラどもから助け出したデ・ニーロは、たくましい百姓と、勇気ある浪人の両方の血を受け継いでいた。モヒカンにしたのは、過去の自分との断絶を意味していたに違いない。



そもそも、有名な「なんじゃこりゃー」(第111話)を生んだ「七曲署」のメンバー設定からして、『七人の侍』のキャラクターモチーフにしている(1ボス、2山さん、3ゴリ、4殿下、5長さん、6シンコ、7ジーパン)。赤子を人質にとった凶悪犯が立てこもる小屋の前、大勢が見守る中、武士の尊厳を意味する髷を剃って刀を外し、ひとり前に進み出る志村喬の名シーンは、「太陽にほえろ!」では長さん主役回(第81話)で再現している。刑事が拳銃を手放すことは、命を相手に委ねるに等しい。ジュリーが衝撃を受けた、立てこもり犯とヴンダーの素手での交渉シーンも、「太陽にほえろ!」ではなくレジェンド七人の侍』をルーツにしているのかもしれない。














【再掲載】「君の見たい(ゴジラ)が見れるよ」1
http://d.hatena.ne.jp/BRIDGET/20141001



『 ゴ ジ ラ 対 ガ メ ラ 』



権利関係」という最もタンニンシステム支配下に関わらず、ゴジラの出てこない(ゴジラ)のような作品を果敢に製作してきた先達がいた。


一作目ゴジラに続く、歴代続編シリーズタンニンしていた熱心な初ゴジ信望者は、そんなクリエーター達を多いに支持した。そして、そぞろ神が乗り移ったように、大覚様が目覚めると、古代の怪獣を一時忘れ、これに心狂わせた。神まねきにあった彼らが尊崇したのは、セントラルドグマより発現した大権現『 ア キ ラ 』と、十字架をタイトルロゴで現出した『 平成 ガ メ ラ 』である。さる関係者には誠に遺憾ながら、両者こそジャパニーズ・バラエティ生態系の頂点に君臨する、真の呉爾羅であった。結果的に、ファン希求のゴジラ待望熱は、それら「ゴジラの出てこない(ゴジラ)」によって解消された。







(おもしろかった頃のフジテレビは『ブジラ』を、auは『デジラ』を、ファイヤーフォックスは『モジラ』、パラマウントは『クローバーフィールド』、サンライズは『耐熱フィールド』、ガイナックスは『ATフィールド』、ガミラスは『ゲシュタムフィールド』、その他 ニャジラ、雀路羅、ゴモラ、ゴドラ、ゴラス、ジラース、ドジラ、松井、グズラ、ガジラ、バジラ、長谷川和彦)




この度、ハリウッドで製作された『 ゴジラ 対 無 糖 』(ワーナー映画)は、見てくれこそメインキャラクターが、怪獣王の形態と咆哮と著作権とを、正式契約に基づいて継承しているが、その実態はあろうことか、人気ファッションブランドの「東宝ゴジラ」ではなく、世間的には下等なレッテルを貼られた「大映ガメラ」であった。ゆえに、名称と中身が一致しないだけでなく、影響が上位に逆流(Strikes Back)し、シンクロがループする現象が起こってしまった。そうした意味で、改めて権利元からではなく、モンスターペアレント風に、大上段からキラキラネームを付けるならば、このタイトルには『牙米裸の逆襲』がふさわしい。


世界最高峰のモンスタームービー、『 ゴ ジ ラ 』(東宝映画)の重要なエッセンスは、一作目に完全凝縮されている。二作目以降、それが薄まることはあっても、別の視点で加味濃縮されて現れることは遂になかった。しかし、 “ファーストゴジラ・インパクト” の思想と科学と期待は、時と場所と表現分野を転移して還元する。ゴジラ宗家が庇護された環境の中で、リテラシーの低い客層をターゲットに、だらだらと加糖加水シリーズを産み落としている傍流で、世界も注目する大傑作『合帰邏の胎動』が始まる、 “セカンドアキラ・インパクト” だ。



ア・キ・ラ。アギラ、アンギラス、デスギドラ、メカゴジラ、モゲラ、モスラ、デスラー、マグラー、ベムラー、ゲスラ、ガミラス、ガメラ、ガボラ、ガンドロワ、ガルマ、ガル、ゲール、キールキーラセイラ、ゼーレ、ゼットン、財前、ジオン、次元、ジグラ、グドン、ゲンドウ、ドレン、ドズル、ドメル、ドラコ、リトラ、トドラ、ドドンゴ、ドゴラ、ゴドラ、ラゴン、バラゴン、バルゴン、バラン、デギン、ギロン、ギレン、レギオン、ギララ、ギガラ、ぺギラ、ギドラ、城戸、吉良、キラ、不動明。



伝承神話『呉爾羅』に、「尾ひれ」や「牙」や「角」や「翼」を付けることで、無限増殖した日本の「怪物の名前は、紛らわしく似ていてどれも同じだ」と思っている外国人が、「これこそ尾ひれを取ったゴジラの本意だ」と思って、感動と衝動と萌記憶に残るアンチヒーローの設定を、すべてぶち込んで脚本の中で爆縮してみたら、内容的には契約外作品の「尾ひればかりだった」というのが、この世界配給安定ヒット最新作品の、究極のツッコミどころだ。


されど、「無糖」と「ギャオス」に代表される、巷間をにぎわせている類似性に関する指摘が、全くの偶然とは思えない。ビジネス無知を装って権利侵害検証を怠り、怪獣無知なリスク管理担当者や経営トップを欺いていたとしたら、一周回ってこれは快挙である。経済大発展を遂げた資本主義体制に対し、これほど、緻密に計算された怪獣総進撃はない。国際連合安全保障理事会常任理事国より下等な日本は、大変よ戦争で、習合自由な合習国に二度も敗北を経験させられたことになる。、、いや、勝ったのはあの先達だ、米国ではない。



Q

初号機の覚醒とともに、要塞化した山間の都市が、強烈な光に飲み込まれ、NERVの陣形は跡形もなく崩壊し、 “エヴァを中心にサードインパクト” がはじまった。、、世界嵐がおさまり、突き抜ける陽光のもと、楽しそうにピアノを奏でて友情を確認し合う、シンジと言う名のトリガーと、「罪と希望」を預言する、十字架を背負ったゼーレの少年「渚カヲル」であった。



 「もうすぐ雲がきれる」


 「君の知りたい真実が見れるよ」






七人の侍 終局

野武士最後の襲撃とともに、要塞化した山間の村が、騎馬に踏み荒らされ、百姓の陣形は跡形もなく崩壊し、藁葺きの家には種子島を持った、敵の頭領が押し入った。、、嵐がおさまり、突き抜ける陽光のもと、嬉しそうに囃子を奏でて田植えに乗り出す、百姓衆と言う名の自治組織に対し、「侍」の敗北を宣言する、天才軍師「勘兵衛」(志村喬/シムラ タカシ)であった。



 「今度もまた、負け戦だったな」



  「、、?」



 「いや、勝ったのはあの百姓たちだ、」


 「ワシたちではない。」





AKIRA 終局

アキラの覚醒とともに、東京湾全域を埋め立てて建設したネオ東京が、強烈な光に飲み込まれ、高層ビル群は跡形もなく崩壊し、爆心のクレーターにはおびただしい海水が流れ込んだ。、、巨大嵐がおさまり、突き抜ける陽光のもと、難民を威圧するように、戦闘車両を連ねて人道支援に乗り出す、国連監視団と言う名の武装組織に対し、「大東京帝国AKIRA」の旗揚げを宣言する、健康優良不良少年「金田」であった。



 「責任者、出て来ーい!」


 「救援物資は有難く貰っておくぜ、だがそれ以上の行為は、」


 「我国に対する、内政干渉とみなす、いいな!」














【再掲載】「君の見たい(ゴジラ)が見れるよ」2
http://d.hatena.ne.jp/BRIDGET/20141110



『 ゴ ジ ラ 対 タイタニック
 


権利関係」という最もタンニンシステム支配下に関わらず、ゴジラの出てこない(ゴジラ)のような作品を果敢に製作してきた先達が、海外にもいた。


一作目ゴジラに続く、歴代シリーズタンニンしていた熱心な初ゴジ信望者は、そんなクリエーターを多いに支持した。そして、そぞろ神が乗り移ったように、「時をかける兵士」達が目覚めると、古代の怪獣を一時忘れ、これに心狂わせた。神まねきにあった彼らが尊崇したのは、来世よりロサンゼルスに現出した、三宝荒神ターミネーター』と、賛美歌を奏でながら十字架と共に沈んだ『 タイタニック 』である。



さる関係者には誠に遺憾ながら、両者こそユニバーサルバラエティ生態系の頂点に君臨する、真の呉爾羅であった。結果的に、ファン希求のゴジラ待望熱は、それら「ゴジラの出てこない、国外の(ゴジラ)」によっても解消された。



かつてハリウッドで製作された『 ターミネーター 対 サラ・コナー 』は、見てくれこそメインキャラクターが、機械人間の暴力と無慈悲と執念とを、正式契約に基づいて宣伝しているが、その実態はあろうことか「アクションホラー」ではなく、『ゴ ジ ラ』がまさにそうであったように、人類究極の選択に揺れ動く、若い男女の一途過ぎる「ラブ・ストーリー」であった。



また、一度は敵として倒したはずの大凶荒神が、忘れた頃に続編の中で甦ると、今度は心強い守護神になっているという、逆転設定まで同じだった。ゆえに、敵と味方が一致しないだけでなく、影響が子供(ジョン・コナー)に及び、シンクロが裏返しに双ループする現象が起こってしまった。



 悲劇の効用



公開当時、世界最高興行収入を上げた、モンスター級豪華客船の重要なエッセンスは、投げ捨てられる「碧洋のハート」に完全凝縮されている。出世作『ターミネーター』では、愛についての主張が伝わらなかったためか、監督キャメロンは次に製作する作品から、思い切り分かりやすく舵を切り直した。そのため、これでもかというほど「愛」に比重を傾けられた『タイタニック』の、「巨大ダイヤ、ポイッとなシーン」は、期待した意味での理解に届かなかった。



アイロニカルなメッセージとして、十分痛烈だったにも関わらず、ラストにいたるまでがあまりに面白く、その過剰な感動のせいで、ほとんどの観客は、感極まり涙に咽び、論理的思考を止めていた。命を投げ捨てることで、至高の愛を成就させた『ゴ ジ ラ』の、芹沢博士とて同じことだ、なんともったいないメッセージであることか。



誰もが知っている「SOS」を、海難救助を求める信号として、歴史的初期段階に使ったのは現実世界のタイタニック号であった。しかし、沈没する貨物船に発信させ、世間に定着させたのは、実際のところ架空世界のゴジラである。後者には、戦後の復興途上にあった時代の、忘れるべからざる「戦災」や「大災害」や「政策ミス」に対する、「警鐘」や「教訓」や「戒め」が込められている。



今からちょうど60年前の、霜月11月。ゴジラは、「戦意発揚映画」でも「教育用ドキュメンタリー」でも「行政指導要綱」でもない、モノクロの「大衆娯楽作品」として公開された。それは庶民の目線で、奥(末端の意)の日本人に贈る、極めてわかりやすい「慢心」回避のための思想書でもあった。



敗戦からまだ10年経っておらず、水爆実験により日本の漁船多数が再び米軍の犠牲となったばかりで、660万人いた出兵兵士の「復員事業」は、この年まで続いていた。科学信仰が、疑いを持たれなかった1954年。過去の惨禍を忘れるように発展する「政治経済体制」に対し、置いてけぼりを食っている、貧しい労働者階級が、映画製作者の中にいたことも事実だ。



彼ら敗戦国の下層文民にとって、どんな文明利器も歯が立たない “怪 獣” は、単なる恐怖の的ではなかった。文壇の受けは良くなかったが、資本権力が横暴を働かせる中で、かのヒーローは、唯一奴らを懲らしめることができた。ターミネーターが、融通の利かない行政職員を薙ぎ払ってくれたように、ゴジラもまた、国会や警視庁や大新聞社を踏みつぶし、群がるうるさいレポーターを叩き落とし、うっぷんを溜め込んだ被抑圧者のカタルシスを、盛大に喚起してくれたのだった。



 アンダー・ザ・プレッシャー



上からの圧力にどこまで耐えられるかという、深海探索を生業とする、タイタニックゴジラ両作品の主人公達の視点は、映画の世界観に入り込んだ、平均的な観客(現代人)の立ち位置であった。『タイタニック』であれば最初に登場する、宝探しの「ビル・パクストン」であるし、『ゴジラ』であれば南海サルベージ社潜水員の「宝田 明」であろう。トレジャーハンターの妄執が過去に逆流し、隔てられた海の向こうで至宝の共振を生んだ。



さて、ゴジラと同じく「東宝」撮影所で撮影され、同じ1954年に公開された「国宝」級作品がある、、。その監督は、東京国際映画祭ポスターに起用されたことで、各方面で話題になっており、名前くらい知らないと、相当に恥ずかしいというレベルの、そういう大御所である。彼が、漫画「A K I R A」の由来ともなっていることは、「戦艦の論」的にも重要だ。直接この映画に関わっていないが、すでに作品評価の安定していた “黒 澤” 組は、隣のスタジオで制作する「G作品」チームを大いに刺激した。



一方、ならず者が集められた “本 多” 組には、「G作品」で主人公を演じた新人「宝田 明」の他に、かの有名な旋律を編み出した音楽の「伊福部 昭」、ゴジラのデザインをした美術の「渡辺 明」、宣伝を担当した「工藤 明」がいる。アキラで奇跡のフォーカードをツモったのは豪勢だが、「七人のアキラ」には三人も足りない。



やがて、ゴジラシリーズを重ねるごとにマンネリ化していく。しかし、宇宙怪獣と戦わせるなど、荒唐無稽ながらも大胆なアイディアで、映画と娯楽の新境地を開拓していった。『 七 人 の 侍 』撮影中、ゴジラの撮影所へ遊びに行っていたらしい土屋 嘉男(好戦的な百姓役)は、後に「X星人」統制官役で、碇ゲンドウがつけていた不気味なゴーグルを着用し、宇宙なまりの日本語をしゃべって、純真な子供たちをビビらせた。
















 【再掲載】「君の見たい(ゴジラ)が見れるよ」3
http://d.hatena.ne.jp/BRIDGET/20150529



『 ゴ ジ ラ 対 宇宙戦争 』 



権利関係」という最もタンニンシステム支配下に関わらず、ゴジラの出てこない(ゴジラ)のような作品を果敢に製作してきた先達が、キャメロンのほかにもいた。


一作目ゴジラに続く、歴代シリーズタンニンしていた熱心な初ゴジ信望者は、そんなクリエーターを多いに支持した。そして、そぞろ神が乗り移ったように、「突激トレーラー」達が目覚めると、古代の怪獣を一時忘れ、これに心狂わせた。神まねきにあった彼らが尊崇したのは、東海岸ビーチをパニックに陥れた、三報海神『 ジョーズ 』と、教会の十字架を土中に沈めた『三本足戦艦』である。



さる関係者には誠に遺憾ながら、両者こそユニバーサルバラエティ生態系の頂点に君臨する、真の呉爾羅であった。結果的に、ファン希求のゴジラ待望熱は、それら「ゴジラの出てこない、国外の(ゴジラ)」によっても解消された。



かつてハリウッドで製作された『 三本足戦艦 対 トム・クルーズ 』は、見てくれこそメインキャラクターが、機械兵器の暴力と無慈悲と不気味さとを、正式契約に基づいて宣伝しているが、その実態はあろうことか「SF・戦争アクション」ではなく、『ゴ ジ ラ』がまさにそうであったように、命を賭して愛情表現する、不器用な男の一途過ぎる「ヒューマンドラマ」であった。



ゆえに、名称と中身が一致しないだけでなく、連想がスター・ウォーズに逆流(Strikes Back)し、シンクロリジェクトされる現象が起こってしまった。そうした意味で、改めて権利元からではなく、ガテン風に、最下段から職種分類ネームを付けるならば、このタイトルには『クレーンオペレーターの逆襲』がふさわしい。




 バクテリアの効用



公開当時、世界最高興行収入を上げた、モンスター級侵略兵器の重要な弱点は、指に刺さった「トゲ」に完全凝縮されている。出世作『E.T.』では、宇宙人愛についての主張が伝わり過ぎたためか、監督スピルバーグは次に製作する宇宙作品から、思い切り分かりやすく舵を切り直した。そのため、全生類の敵となった先進宇宙人とのワールドワイドな防衛戦を、「混入」程度に比重軽減された『宇宙戦争』の、「巨大メカ、ボテッとなシーン」は、期待した意味での理解に届かなかった。



アイロニカルな表現として、十分痛烈だったにも関わらず、ラストにいたるまでがあまりに残酷で、その過剰な描写のせいで、ほとんどの観客の期待は冷め、良心的思考を止めていた。異物を排除することで、グローバル生態系の調和をはかった『 地 球 』の真正細菌とて同じことだ、なんともったいないメッセージであることか。映画中盤、トム・クルーズの隠れ家へ遊びに行っていたらしい、純真な子供宇宙人たち(チブル星人 X グモンガ)は、母船の雄叫びにビビって退散した。その時、生水を飲んでいたため、食あたりをして後に全滅する。ゴジラの猛々しい咆哮に、その音階が似ている特殊効果音は、『未知との遭遇 』母船の警笛音をベースに奏でられていた。



上からの圧力よりも港湾労働組合を優先とする、トム・クルーズ演じる主人公の視点は、映画の世界観に入り込んだ、恒常的な観客(カメラ)の立ち位置であった。ほとんどの場合、地上からの目線で、巨大な三本足怪獣を見上げていたが、主人公に合わせて二度だけ空に浮いた。イントロダクションであれば最初に登場する、船舶積荷のクレーン『操縦席』の高さであるし、クライマックスであれば「たこメカ」の積荷として、釣り上げられ、押し込められた『獲物籠』の高さである。そして、人喰いハンターの触手がトムに巻きつき、あわや一巻の終わりと思われたその時、油断していた向こうの胃袋で、手榴弾からの内部誘爆を生んだ。



 Mars, the Bringer of War



さて、誰もが知っている「ジョーズテーマ」(作曲 ジョン・ウィリアムズ)を、歴史的初期段階に使ったのはクラシック界のドヴォルザークであった(「新世界」第4楽章の出だし)。しかし、低音で始まるメロディーを繰り返し演奏することで、世間に恐怖を定着させたのは、実際のところゴジラ(作曲 伊福部昭)である。「ゴジラ」のテーマは、ホルストの「火星」がその代表であるように、戦争をイメージさせる曲として、宇宙戦争のみならず、セブン(「侵略者の魔手」)やジオン(「窮地に立つガンダム」)やエヴァ(「ANGEL ATTACK/The Beast」)にも応用されている。







ゴジラかゴモラかガラモンを撮りたかったスピルバーグの「宇宙戦争」は、「火星人襲撃ラジオ番組」でも「アメリカン・ヒーローコミック」でも「星間戦争映画」でもない、「地上のみを舞台とした、家族密着ドキュメンタリードラマ」として製作された。そのため、カメラは一時もトム・クルーズから離れない。まれに超人的な活躍をするものの、その内半分くらいは普通で、一割くらいは子供に呆れられている。それは、だらしない父親の目線で、カッコイイつもりの父親に贈る、極めてわかりやすい「虚栄」回避のための指南書でもあった。























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