2011-05-04
BTAKの執筆本が発売されました!!
他の方々との「共著」という形式をとっていますが、、、
ついにBTAKの執筆本が住宅新報社から発売されました。
いつもの「本紹介」のように、リンク先も示した上でご紹介したいのですが、、恐れ多いので遠慮しておきます。
(BTAKのことをご存知の方々、アマゾンなどで実名を入れて検索してみてくださいね。)
当初この話を執筆者の一人から持ちかけられた時はそれほど乗り気ではなかったんですが、、、、やはり実際に完成品を見るとやってよかったと本当に思います。(M先生有難うございました。)
その理由は
この先自分が死んだ後も、この作品は永久に残る。
のではないかなあと感じているからです。世のベストセラー作品とは異なりBTAKごときが書いた本ですけど、それはそれで自身には大きな意味があると今回改めて学ぶことができました。
今回の本はどちらかといえばいわゆる「専門書」的な色彩が強く、その意味で販売対象者はBTAKの同業者の方や不動産関連の方など「限定された」セグメントとなっております。
やはりこういった書物の目的はより多くの人の目に触れることで、フィードバック多く受けてをさらにいいものを作り上げていく(それはもちろんBTAKじゃなくてもいいと思うのですが・・・)といういわゆる
集団知を高めていく。
ことじゃないかと思うんですね。
そういった意味で、次にこういったチャンスがあるならば、より広いセグメントを対象としたものを書きたいと、ひそかな野望を持っている今日この頃です。
2011-05-01
知人の新たなる挑戦
先日の地方統一選挙。
震災の対応に対する政権与党への評価ということで注目された選挙でしたが、BTAKにとっては近年の中で一番注目した選挙でした。
それは
小・中・高校で同級生だった親友(H)が、なんと地元市議会議員に立候補したからです。
結果は、、、
見事当選!!
正直、議員っていう職業は「先生」といわれるだけに、小さい頃は人生のベテランがやる仕事だという印象がありましたが、、自分の親友がその世界に入るとは・・・・・なんか凄いことです。
今回の彼の行動を見て感じたことは
「一度挫折を経験した人間は本当に強い。」
ちゅうことです。
H(実名を出してもいいのですが、一応このブログが特定の政治家を応援することは目的としていないので、匿名にて記載します。)は大学卒業後東京にて働いていましたが、独立開業を志し退職後実家の岐阜にて働いていました。
彼と色々と話をしているとやはり今の状況は当初の彼の想定したシナリオではないと思われ、そういう意味で彼は「挫折」を経験していると思います。
挫折をすると人間は大きく成長すると言います。それは失敗による痛みを知って人に優しくなれるということや、失敗から次の人生の戦略を学べるという「失敗」自体にフォーカス当てているためだと思います。
でも、個人的に感じているのは、その逆で「成功」にフォーカスを当てるべきと思います。
つまり、人間は中途半端に「成功」しているとその地位や現在の状況を守ろうとする力が作用し、それが弊害となり大きな挑戦ができず、結果として成長の機会を奪われているためだと思うからです。
程度の差こそあれ、大きな失敗をしていない状態、すなわち「小さな成功」を継続している状態では、失うものの「機会損失」を明らかに過大評価しているため「現状」というオプションを選択し続けてしまうのではと思います。
冷静に考えてみると、一部の例外(いわゆる物凄い成功者)を除くと、われわれが有している現在の地位は本当に守るべき(固執する)価値があるものなんでしょうか?
特にBTAKのようないわゆる「免許」で飯を食っている人間は、その免許によって恩恵を受けているのは確かですが、逆にその免許があるからこそ、色々な面で視野が狭くなっている(その免許を通じてしか物事を考えることができない。)と思います。
いわゆる「トンカチ」を持つとすべて「くぎ」に見えるっていうやつですかね。。
もちろん家族を養うなどの事由がそれぞれあるでしょうから、今の地位や資格などは守るべきものには違いなでしょうけど、別の道に挑戦することが否定されるほど守る価値があるものなのか? 自分が死ぬ間際に「本当にやりたいことをやったな。」と自信を持って言えるのか?自身に問い正すとBTAKには全く自信がないですね。
今回のHの行動には、挑戦心を失いかけていたBTAKに改めていい刺激を与えてくれたと思います。
いつものように話が飛躍してしまいましたが、、、
最後に、彼は当選することで「私人」から「公人」になったわけですから、是非持ち前の責任感の強さを存分に発揮して論理的・戦略的な政策の提案を継続してほしいと思います。
2011-04-11
温泉にて
4月より部署が変わったことと
3月末は色々なことがあって(当然震災の影響もありますが。。。)相当バタバタしていたため、お疲れ様会&リフレッシュを兼ねて週末に温泉に行ってきました。
※世間は全て「自粛ムード」ですが、あらゆるものを全て自粛してしまうと、それこそ経済自体が停滞してしまう「悪循環」に陥ってしまうと感じております。
「計画停電」についても、問題は「ピーク時の電力の抑制」(すなわち供給量を超過してしまう時間帯。季節)であって、ピーク時以外の時間帯にあらゆるシーンにて節電を行う必要性があるのか?と少々疑問に感じております。(エコという問題ではなく、単に自粛ムードに流されて本質を無視した節電がなされている気がします。)
話が少しそれてしまいましたが、上記の通り、4月よりBTAK自身に部署の異動辞令がありました。とりあえず兼務という形で従前の仕事には関わることができそうですが、約5年間も在籍した会社であり、なかなか整理がつかないというのが現状です。。。
以下あくまでも「想像のなかでの話」という前提でお読みください。(いろいろ問題がありますので・・・)
温泉に入りながら、将来の選択肢について色々と考え、以下のフレームワークにて整理してみました。
1.現状オプション:発令通り頑張る。
2.対極オプション:逆の選択を行い勝負する。
3.中間オプション:両方のいいとこ取りを継続し要領良く進む。
このうちのどれを選ぶか・・・・
考えの軸の一つがいわゆる「I型」「T型」「π型」でなないかと考えています。
自身がプロだと思っていても「I型」ではやはり今後はネットに置き換えらてしまうリスクが高いため、少なくとも「T型」、あわよくば「π型」を目指さないといけないと感じています。
http://d.hatena.ne.jp/zentaku/20090409/1239245784
・・・ま、あくまでも想像ですが。
今回は(も?)分かりづらい文面で失礼しました。
2011-03-20
「自分にできること」とは?
11日に発生した東日本大震災。
BTAKは東京の日比谷公園付近に立地する会社にいましたが、正直「小学校か中学校の避難訓練以来では?」というくらい初めて机の下に隠れました。
恐怖と焦りでその時のことはよく覚えていませんが、本当に長く揺れていた気がします。
その後、保育園にいる娘を徒歩で迎えに行きました。無事な姿を確認した時の喜び・安堵感はおそらく一生忘れることはないと思います。
しかしながら、既にお亡くなりになられた方や行方不明の方が本日現在合計で2万人を超えております。
改めてご冥福をお祈りすると共に、1日も早い発見・救助を願うばかりです。また被災された方には心よりお見舞い申し上げます。
14日(月)から出張で神戸に行ってきました。
この大震災直後に、同じく震災を経験した神戸に出張になるとは、何か不思議なものを感じながらの仕事でした。
阪神淡路大震災は今から約16年前の1995年、その時は岐阜の実家にて寝ていた時間帯であったことや、震度はおそらく3〜4だった気がするので、それほど恐怖は感じなかったですが、その後夕方高校から帰宅した際に、テレビで流れる変わり果てた神戸の街並みに唖然としたことをいまでも覚えています。
あれから、16年。新神戸駅周辺、三宮、旧居留地、元町中華街・・・・どこを歩いても「ここで本当に震災があったのか」という位の復興ぶりです。
ここまで来るには被災された方々の並々ならぬ努力と苦労があったんだろうなと容易に想像ができます。
(写真:メリケンパーク内の神戸港震災メモリアルパーク)
今回の東日本大震災では、更なる被害の拡大が見込まれているため、復興に至るまでには一体何年かかるのだろうと、考えるだけで気が遠くなってしまいます。(既に多くの方が亡くなられているため完全な意味での復興は当然ないですが。。。)
そうすると、やはり今は
自分ができることをやり続ける。
しかないと思います。
勝間和代さんもブログ(3/18)の中で「できる人が、できることを、できる限り」やろうといことを「3D運動」と称しています。
http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/
それが募金でったり、節電であったり、あるいは日本の経済を停滞させないための既存の仕事だったり、、、なんでもいいのではないかと思います。
よく芸能人やスポーツ選手が「僕ができることは、歌うことやプレーすること だけですから」というコメントを聞くたびに個人的には否定的な見解を持っていました。
でも、やはり彼らには彼らにしかできない「能力」があるのであって、それがボランティアなどの「直接的」に役に立つことでなくとも、「間接的」に役立つなら彼らはそれを精一杯続けるべきと思います。
BTAKも日常の仕事・生活をもう一度見直してやれることをやっていきたいと思います。
2011-03-10
カンニング問題に対する一考察
最近大学入試での携帯を使用したカンニングが話題になっていますね。
この社会問題にまで発展した出来事について、BTAKなりの考えを纏めてみたいと思います。
但し、前提としては
もちろんカンニングという行為は許されるものではない。
ということは、記載しておきたいと思います。
この問題を根本からなくすために考えられる打ち手としては
1:徹底的な性悪説を貫き、受験生の持ち物を詳細にチェックする。
2:試験自体をカンニングOKにしてしまう。
まず、1についてですが、これは所詮は「対症療法」にしか過ぎないと思います。おそらく今回の出来事も大学側や試験監督にとっては「想定外」の出来事で合った訳で今後も技術革新などにより、別の手口が横行する可能性は十分に考えられます。
そうするとやはり2が有効ではないかと思います。
「カンニングOK」というのは、つまり
「ネットでも何でも調べてOKです。でも調べただけでは回答は出ませんよ」的な問題にしてしまう。
ということです。
過去も現在も大学入試の試験形態は情報が「限られている 」(自分の頭の知識のみ)ことを前提に、いかに回答を出すか。
という力が重視されいてる気がします。でも実際の世の中は
情報が洪水のように氾濫している中で、いかに正しい情報を選択し、それを纏めて自分なりの考えを出すか?
という力の方がはるかに大事ではないかと思うんです。
例えば、何かレポートを書く際に、情報ソースは、インターネット、業界紙、書籍やインタビュー&アンケート及び調査会社データ等々多岐に渡ります。
またGoogleで何か検索をした場合、ヒット数も大抵何万件と出ますよね。
これら膨大な情報の中で必要かつ的確な情報をピックアップし、それを整理・統合して、かつ自分の意見を加えて纏め上げるという力のほうが現実社会では最も必要とされている気がします。
またやたら知識ばかり見に付けようととして、「勉学」という名の「暗記」に励んだところで、知識量は絶対にGoogleやYahooには勝てないことは明確ですよね。
ただ、これが、大学入試科目の全教科に共通するのか?というのは要検討ですし、採点する大学側の効率性というのが無視されている点は否めないですけど。
いずれにせよ、インターネットが普及する前後の大学入試形態がほとんど変わっていない、という現実が少し問題ではと感じたため、今回はこのお題について書いてみました。

