2007-02-01
骨折を乗り越えて掴んだ勝利の王冠〜ビクトリアクラウン
名牝 | |
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ビクトリアクラウンが死んだそうだ。私もこの馬の現役時代は知らないけど、その現役時代を単にエリザベス女王杯の勝ち馬というレッテルだけで片付けられてしまうのが実に惜しい名牝なので、ちょっと紹介してみたくなった。というわけで、久々の牝馬話でもおっぱじめてみよう。彼女の産駒には、特別活躍したという馬はいなかったが、クラシックダンサーとヒトメボレは記憶に残っている。ヒトメボレは名前的にだけど。今になって成績を振り返ってみると、クラシックダンサーは、あの小林稔厩舎がワンツースリーを達成したダイヤモンドS(G3)で5着に入っていたんだな。などと、ちょっと感心したりもした。
ビクトリアクラウンの7代母にあたるのが、有名な小岩井の基礎牝馬ビューチフルドリーマー。曾祖母のオーマツカゼは、桜花賞の2着馬で、最優秀古馬牝馬のチェリオの母であり、その子孫からはタケホープやタケフブキなどが出ています。祖母のオーハヤブサがオークス馬で、このオーハヤブサが、1967年にセント・レジャー2着馬*ダイハード(父Never Say Die)との間に出産したのが、ビクトリアクラウンの母ワールドハヤブサであった。ワールドハヤブサは、現役時代にディセンバーS(当時は600万下の条件戦だったらしい)を優勝し、4歳牝馬特別で5着に入るなど、通算20戦4勝の成績をあげている。
繁殖入りしたワールドハヤブサは、1973年に初仔となるミスオーハヤブサ(牝、父*パーソロン)を出産。不出走のまま繁殖入りした彼女は、繁殖牝馬として、ニッポーテイオーとタレンティドガールの母となる名繁殖牝馬チヨダマサコを排出することとなる。他にも、*コクトジュリアンの祖母チヨダフジ(牝、父*パーソロン)、ナギサの祖母ワールドソロン(牝、父*パーソロン)なども出しているが、競走馬として唯一大成したのが、1979年に出産した*ファバージ産駒の牝馬だった。*ファバージは、名種牡馬*テスコボーイの父でもあるPrincely Giftの産駒。現役時は英2000ギニー2着程度の成績だったが、種牡馬としては凱旋門賞馬*ラインゴールドなどを輩出。1970年に日本に輸入され、皐月賞馬ハードバージなどを送り出した。
ビクトリアクラウンは産まれた時から評判の高い馬で、オーナーブリーダーである飯田正氏はこの馬に、長年温めてきた「ビクトリアクラウン」という名前を与えた。牝馬の名人としても知られた調教師の稲葉幸夫師も、この馬に心底惚れ込み、デビュー前から、同厩舎で1歳上のオークス馬テンモンよりも上と語っていたほどだった。調教でも牝馬とは思えない豪快な動きを見せるビクトリアクラウンの評判は瞬く間に広まり、デビュー前からクラシック候補として注目を集めることとなる。
2歳7月新潟の新馬戦は6着と惨敗して期待を裏切ったが、2戦目できっちり勝ち上がると、続く新潟3歳Sも快勝した。その後ソエが出て休養に入るが、3ヵ月半振りとなった3歳牝馬Sでも、ファイブソロン相手にアタマ差競り勝ち、3連勝で2歳戦を締め括り、最優秀2歳牝馬に選ばれている。年明け緒戦のクイーンCで、再びファイブソロンを撃破したビクトリアクラウンは、そこから桜花賞へ直行することが発表された。牝馬クラシックの絶対的な存在と思われていたビクトリアクラウンだったが、桜花賞の1週前追い切りで無念の骨折、春のクラシックを断念せざるを得なくなった。本命不在となった春のクラシックは、リーゼングロスとシャダイアイバーが二冠を分け合うこととなった。
秋に復帰したビクトリアクラウンは、7ヶ月振りとなったクイーンSで骨折の影響を微塵も感じさせぬ走りで、ルナパークをアタマ差下し、続く牝馬東タイ杯でも、古馬牝馬の強豪スイートネイティブの2着と好走。こうして迎えたエリザベス女王杯は、春のクラシック馬2頭は出てこなかったが、前走古馬牡馬相手に京都大賞典を勝ってきたメジロカーラが1番人気。ビクトリアクラウンも差のない2番人気につけ、戦前はこの2頭の一騎討ちムードだった。しかし、レースは人気のメジロカーラが5着に沈むのを尻目に、ビクトリアクラウンが好位から鮮やかに抜け出すと、ミスラディカルに1馬身3/4差を付けて快勝、春の無念を晴らした。もし、春に無事だったら三冠も夢ではなかったのではないか?という声も上がるほどであった。
この後の有馬記念では、アンバーシャダイ、メジロティターン、モンテプリンスなど牡馬の一流どころが勢揃いする中、ビクトリアクラウンは唯一頭牝馬として挑戦し、十分に見せ場を作ってヒカリデュールから0.4秒差の5着と大健闘し、牡馬とも対等にやれることを証明した。古馬になってからの活躍も期待されたビクトリアクラウンだったが、中山牝馬S惨敗後に屈腱炎が判明。その年の暮れに復帰したものの、以後惨敗を繰り返していた彼女には、かつて幻の三冠牝馬と呼ばれた面影はすっかりなくなっていた。5歳1月のアメリカジョッキークラブカップで7着に敗れた彼女は、通算14戦6勝(152,988,600円)の成績で引退している。
生まれ故郷の千代田牧場で繁殖入りしたビクトリアクラウンだが、当時千代田牧場は、繁殖牝馬の海外留学を積極的に行っており、ビクトリアクラウンにも海外での種付け話が持ち上がっていた。しかし、フランスの2歳リーディングを獲得していた種牡馬*ターゴワイスの輸入が決まったため、海外に行かずに日本で*ターゴワイスと交配するとこととなった。1985年に生まれたその*ターゴワイス産駒の牝馬リーディグロウルは、通算32戦3勝の成績をあげて繁殖入りし、母の代わりに海外へと送られ、*オールドヴィクや*ウォーニングと交配されている。どっちも後に日本に輸入されちゃうのだが。続く1986年生まれのビューチフルロマン(牝、父*ノノアルコ)は、オープンの北陸Sを勝った他、根岸S(G3)で3着に入るなど活躍し、通算37戦6勝。ビクトリアクラウンの産駒の中で、最も活躍した馬となった。1987年生まれのクラシックダンサー(牝、父*ノーザンテースト)は、通算22戦5勝で、ダイヤモンドS(G3)5着の成績がある。1989年生まれのヒトメボレ(牝、父*モガミ)は、クイーンS(G3)5着など28戦3勝。
ここまでは期待したほどではないにせよ、それなりの産駒を排出してきていたビクトリアクラウンだったが、この後は、ビクトリートースト(牝1991、父ミスターシービー)が未勝利、ビクトリアヒロイン(牝1992、父*カコイーシーズ)が不出走、ビクトリアユニゾン(牝1993、父*ベリファ)が不出走、ミセスビクトリア(牝1995、父*トニービン)が未勝利、ピサノカプリ(牡1997、父*ブライアンズタイム)、スプレンダーガール(牝1998、父*アフリート)がそれぞれ2勝、コパノモリシオ(牡1999、父*エリシオ)が地方で1勝と、これといった活躍馬を出せずに、2000年に出産した不出走のコパノオマモリ(牝、父*エリシオ)が最後の産駒となった。
孫の代から、フローラS(G2)2着のブロンコーネ、曾孫の代から目黒記念(G2)3着のセイコーサンデーが出ているが、未だに子孫から重賞勝ち馬が出ていないというのはあまりにも淋しい。
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