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2008-12-22

ジャパンカップの歴史 - 1990年代 JCの黄金時代

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では1990年代いってみましょう。

第10回のジャパンカップでは、キングジョージの勝ち馬ベルメッツ、コックスプレートの勝ち馬ベタールースンアップ、ターフクラシックの勝ち馬カコイーシーズなど、外国馬が人気上位。日本勢では天皇賞で凡走したオグリキャップ、3歳馬ホワイトストーンらが迎え撃った。レースはオサイチジョージがハナを切る中、オグリキャップは最後方という位置取り。直線でカコイーシーズが抜け出したところに、ベタールースンアップとオードが襲い掛かり外国馬3頭の叩き合いとなる中、最後はベタールースンアップが頭抜け出して優勝。日本馬ではホワイトストーンの4着が最高。オグリキャップは11着と大敗し、オグリ限界説が流れることとなったが・・・。オセアニア勢の2連覇となったわけだが、当時のジャパンカップではオセアニア勢の好走が目立っており、欧米と比べて時差がない、そもそも本気度が違う、といった理由で「JCはオセアニアの馬から買え」というのが格言化されていたほどであった。

第11回のジャパンカップは、外国勢では凱旋門賞2着の3歳牝馬マジックナイトが目玉で、近年の中ではレベルも低いと思われており、秋の天皇賞降着処分となったとはいえ、圧倒的な強さを見せていたメジロマックイーンが大本命視されていた。レースは地方馬ジョージモナークが果敢にハナを切る中、マックイーンはいつものように好位を追走。しかし直線伸びがなく、代わってアメリカの芦毛ゴールデンフェザントが豪快に抜け出して、マジックナイトに1馬身半差を付けて快勝した。オーストラリアのシャフツベリーアヴェニューが3着。メジロマックイーンは4着に終わった。

第12回のジャパンカップ。この年からこのレースは国際G1に認定され、国際G1になって国際的な注目度も上がるということで、見た目の悪さもあってこの年から東京競馬場は洋芝が導入されている。季節感のある枯れ芝での競走を惜しむ声も多かった。それに伴って招待馬のレベルは一気に上がった。特に目玉だったのが、この年のエプソムオークス、アイリッシュオークスヨークシャーオークスなどを無敗で制し、凱旋門賞でも2着だったユーザーフレンドリー。今年のザルカヴァ級の凄い牝馬でした。他にも、牝馬ながらAJCダービーを制したオセアニア最強牝馬ナチュラリズム、ドクターデヴィアス、クエストフォーフェイムの2頭のエプソムダービー馬、アーリントンミリオンの勝ち馬ディアドクターといった豪華な面々。しかし、当初これらの豪華な外国勢を抑えて本命視されていたのは日本の誇る二冠馬ミホノブルボンであった。その週に発売されていた週刊競馬ブックの馬柱でもミホノブルボンに◎がズラっと並んでいました。しかし、脚部不安のため無念の出走回避となる。前年の二冠馬トウカイテイオーがいたとはいえ、骨折明けの天皇賞で凡走しており、人気はユーザーフレンドリーを筆頭に外国馬が上位を独占した。レースはブルボンの分もと同厩のレガシーワールドが逃げる展開。直線内から先に抜け出したナチュラリズムを外からトウカイテイオーが強襲し、最後はクビ差交わしてゴールした。シンボリルドルフ以来となる日本馬の勝利を、その息子トウカイテイオーが、同じ岡部騎手を鞍上に制するという劇的な幕切れとなった。

第13回のジャパンカップはBCターフの勝ち馬コタシャーン、凱旋門賞2着のホワイトマズル、アーリントンミリオンの勝ち馬スターオブコジーン、前年の2着馬ナチュラリズム、凱旋門賞馬アーバンシーらが参戦し前年に続いての豪華メンバー。対する日本勢は、前年の勝ち馬トウカイテイオーは三度の骨折のため休養中で、メジロマックイーンも京都大賞典を圧勝しながら怪我で引退と、古馬の二強は不在ながら、この年のダービー馬ウイニングチケットに期待がかけられた。シンボリルドルフが3歳の時に負けたトラウマもあり、以来トップクラスの日本の3歳馬がJCに出てくることはなく、その年のダービー馬が出てきたのもルドルフ以来のことである。レースは2番手追走から抜け出した日本馬レガシーワールドが、コタシャーン、ウイニングチケットらの追撃を振り切って優勝した。大外から追い込んできたコタシャーンは、デザーモ騎手がゴール板を誤認する痛恨のミスで追うのを止めてしまい、ウイニングチケットを退けて2着に入るのが精一杯であった。この年の5月に亡くなった育ての親戸山調教師へ向けてのレガシーワールドの最高の恩返しでした。

第14回のジャパンカップは、レース前から興ざめな雰囲気で行われた。この年はナリタブライアンが圧倒的な強さで三冠を制しており、兄のビワハヤヒデ春の天皇賞宝塚記念で圧勝していた。1年違いでこれほど強い兄弟が出てくることなど稀で、ファンは秋のこの兄弟の対決に期待していた。しかし、ナリタブライアン陣営は早々にジャパンカップと有馬記念を回避して休養させることを宣言し、ファンを大いに落胆させていた。結局ビワハヤヒデは秋の天皇賞で故障したため、いずれにせよ実現することはなかったのだが。日本勢はG1馬不在で外国馬を迎え撃たなければならなく、鼻血ブーで出走を取り消したがマチカネタンホイザ、ロイスアンドロイス、ナイスネイチャというジリ脚御三家が顔を揃える厳しい布陣。一方この年の外国馬もブラジル生まれの米G1馬サンドピットが1番人気という、ここ2年と比べてあまりパッとしないメンバー。盛り上がる要素がほとんどなかった。ジリ脚御三家ではなく三世代ダービー馬が顔を揃えた今年のジャパンカップの方がどれだけマシなことだったか。レースは直線ロイスアンドロイスが一旦抜け出し愕然とするが、最後は内のマーベラスクラウンとアーリントンミリオンの勝ち馬パラダイスクリークにきっちり交わされいつもの指定席へ。マーベラスクラウンが最後はハナ差で勝利した。マーベラスクラウンとアメリカから参戦し8着に終わったグランドフロティラは兄弟である。ファンがあれほど熱望した兄弟対決は実はひっそりと実現していて、その1頭がレースを勝ったということは皮肉的な結果であった。こうして国際G1となってから日本馬が3連勝となったわけです。尚、この年から香港で国際競走がスタートします。

第15回のジャパンカップは、外国からはサンドピット、エルナンドなど前年の4着、5着馬が有力視されていてあまり変わり映えのない面子。他にはドイツからG1・6勝の実績馬ランドもやって来たが、BCターフ大敗後で前評判はそれほど高くなく、人気はナリタブライアン、ヒシアマゾンに、大物と評判の外国産の3歳馬タイキブリザードが上位人気を占めた。ジリ脚御三家は今年も揃って参戦です。レースは逃げ粘るタイキブリザードをランドが交わして抜け出し、最後方から大外を追い込んできたヒシアマゾンを楽に抑えて快勝。ドイツ馬に初のJCタイトルをもたらした。ナリタブライアンは復帰戦の天皇賞よりは動けたが、明らかに本調子ではなかった。大久保正陽調教師は、1年前にも全く走れないナリタタイシン菊花賞に出走させた前歴もあって、かなり批判を受けることになります。個人的には高松宮記念の件はGJなんだけどね。

第16回のジャパンカップの外国馬は再び彩を取り戻す。凱旋門賞馬エリシオ、キングジョージの勝ち馬ペンタイア、コックスプレートとメルボルンカップを連勝してきたセイントリー、BCターフ2着のシングスピールといったところ。対する日本勢は、天皇賞上位のサクラローレルマヤノトップガンマーベラスサンデーの古馬勢が揃って回避する有様で、3歳ながら天皇賞を制したバブルガムフェローNHKマイルカップの勝ち馬タイキフォーチュンという3歳馬に期待がかけられた。この頃は、天皇賞や菊花賞からJCをスキップして有馬記念に直行という馬も多く、海外から強豪を集めるよりむしろ、国内の強豪を集めることに苦労していた時期でもありました。この年のジャパンカップはある意味大きな転換点となった。この年からオーストラリアとの直行便が廃止されことで長旅を強いられたセイントリーが、体調を崩して出走取り消しとなったのである。これをきっかけにオセアニアからの参戦はほぼ無くなることとなる。これは北米、欧州、豪州、アジアの強豪が一同に会す唯一の場として保っていたJCの価値を大きく損ねることになり、そのステータスは後発の香港やドバイに奪われることになったのである。レースは日本の3歳牝馬ファビラスラフィンとアイルランドのシングスピールの叩き合いとなったが、ハナ差でシングスピールが優勝した。シングスピールはこの時点ではまだそれほど知られた存在ではなかったが、この後ドバイワールドカップなどを制して大ブレイクすることとなる。尚、この年からドバイワールドカップが開催され、世界最高の賞金額というJCのもう1つの大きなアドバンテージも失われた。DWCは初年度からアメリカの最強馬シガーを招いて大成功を収めている。

第17回のジャパンカップでは、BCターフなどG1・5勝のピルサドスキーが来日。パドックでビンビンになってファンの度肝を抜くが、他はオスカーシンドラーカイタノなどパッとしないメンバー。対する日本勢は天皇賞で激闘を演じたエアグルーヴとバブルガムフェローが揃って参戦してきた。レースは実績馬ピルサドスキーがエアグルーヴを差し切って優勝。マイケル・スタウト厩舎の2連覇となった。バブルガムフェローは3着。

第18回のジャパンカップはその後のジャパンカップを暗示するかのようなものとなった。来日した外国馬は前年のBCターフを勝っているチーフベアハートがいたものの全体的に小粒で、チーフベアハートにしても近走は精彩を欠いていた。対する日本勢は最強牝馬エアグルーヴに、ダービー馬スペシャルウィークと外国産の大物エルコンドルパサーが顔を揃え、上位人気を独占していた。そしてレースもこの3頭の争いとなり、エルコンドルパサーが圧勝、2着にエアグルーヴ、3着にスペシャルウィークと、史上初めて日本馬が上位3着までを独占したのである。この年を契機に、ジャパンカップは日本の圧倒的優位で推移していくことになるのである。そしてこの年は、シーキングザパールタイキシャトルが日本調教馬として史上初の海外G1制覇を達成した記念すべき年でもあった。設立時の理念でもあったジャパンカップの意義はすでに失われつつあったが、新しい方向性も見出せずにいました。

1990年代最後となった第19回のジャパンカップには、超大物モンジューが来日。凱旋門賞でエルコンドルパサーを破っていたので、日本人の知名度も抜群だった。他では前年のエプソムダービー馬ハイライズや、ドイツの名牝ボルジアなどが注目どころ。日本勢はグラスワンダーが脚部不安で回避し、テイエムオペラオーナリタトップロードアドマイヤベガの3歳新三強も出てこず、天皇賞春秋連覇のスペシャルウィークが重責を一手に担う格好となった。レースは後方から追い込んだスペシャルウィークが、人気薄インディジェナスに1馬身半差を付けて快勝。モンジューは追い込み届かず4着に終わった。香港から初参戦のインディジェナスには驚かされたが、この年から香港カップが国際G1に認定され、徐々にジャパンカップにとって驚異的な存在になりつつあった。インディネナスの快走はそれを暗示するものであったともいえる。

1990年代は日本馬の5勝5敗。まさに拮抗していた。日本馬VS外国馬という構図で見ても、来日していた外国馬の華やかさからしても、1990年代がジャパンカップの最も輝いていた時代だったと言える。ただ、外国馬が本当に豪華だったと言えるのは、国際G1になって最初の2年と、1996年の3年くらいのもので、後は大物がポツポツ来てただけという感じ。最初の2年は最近よく聞く御祝儀相場みたいなものではないでしょうかね。欧米よりもガチだったオセアニアから馬が来なくなったのも大打撃でした。おまけにアメリカ馬がドバイ志向になっていき、90年代後半からはバラエティーさが消えて、日本馬VS欧州馬という図式が定着化していきます。そして、この時期ジャパンカップが抱えていたもう1つの大きなの難題が、出走してくる日本馬の質の悪さでした。まともに有力馬が出揃ったといえるのは、エルコンドルパサーが勝った年くらいのものでしょうか。ある意味近年のジャパンカップで日本馬が上位を独占するようになったのは、出走してくる日本馬の質が上がったことも、1つの要因だと思われます。