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05/10/02(日) 悪役捜しは趣味じゃないが

財務省日銀の"囚人のジレンマゲーム"において、汚れ役を

経済財政諮問会議が担うというのが橋本行革の前提なのでしょうけれど、それがあの体たらくではねぇ・・・。

bewaad氏。(2005-10-02■ [economy][politics][government]バブル崩壊の知られざる後遺症)


また、

例えば障害者自立支援法に反対する人でも、いまだに財政事情を問題にするなら無駄公共事業をやめろという人がいるわけですが、そのような反論をしている以上は前提を受け入れてしまっているわけで、かかる分断統治・魔女狩りにこそ批判の目を向けるべきだと思うのです。

とも。(2005-10-02 11:58のコメント)

私の記憶にある限りでは、各種の新施策を要求する人々が財政を問題にすることはかってはなかったし、財源うんぬんは前提とすべきではないという批判も行なわれていました。


しかし土光臨調前後からそういう態度を取る人(や組織)に対して、無責任だという非難が継続的に浴びせられ、財源に触れずに要求する人々は(少なくとも)マスコミから(は)門前払いされるという状況が長く続きました。


二番目に引用してある批判はもっともなのですが、たとえば今、人権を保障するための財源を手当てするのは国の責任であって障害者責任ではない(から論じない)、とか正論を吐けば、まず間違いなく(番組司会者らから)無責任だと言われて議論の場から(事実上)閉め出されるでしょう。


その意味では、(マスコミに乗るような場で)自分たちの要求する施策の財源について語るのは、議論から閉め出されないための言い訳のようなものだと考えるべきだろうと思います。そのことは、財源について突っ込まれると多くの人々が土木建設公共事業条件反射的に持ち出すことから明らかです。


マスコミの統制下にない場においては権利権利とだけ言うことについて遠慮はいらないはずですが、残念ながらネット界隈でも"権利だけ要求するのは無責任"あるいは"わがままである"という非難が飛んでくるのが普通になってしまったので、ネット上でも財源をどうすべきかという"おまじない"を唱えてから施策を語る人が多くいるように思います。

このへんの対応は財界の一部を震源地にしてかなり体系的に追求されてきたような印象がありますので、bewaadさんほどの好意的な見方は私にはできません。陰謀論っぽくなってしまいますけれども、汚れ役にするつもりで経済財政諮問会議を設けたというよりはむしろ、政治"献金"もしないくせに色々な要求を出す人々を財源論をもって黙らせるために設置されたと考える方が私的にはしっくり来るのですが…。orz

再録

BUNTENのヘタレ日記(はてな版)05/06/16(木) 光とともに… 8巻末尾

朝日訴訟などに見られるように、憲法25条の規定にかかわらず"お国貧乏だから"ということで長らく低福祉が容認されてきたわけだが、経済大国になったらなったでデフレを起こしてビンボに逆噴射し、低福祉のままにしておくことが果たして許されるものであろうか。

もちろんこれは反語で、許されるわっきゃない、と思うわけですが、では財政的条件という出発点が後退してしまった(バブル期比)現状をふまえたうえでどうすべきだと私は考えているか。

労働、社会問題」の

「財政再建・最後の試算」の修正 前編

「財政再建・最後の試算」の修正 後編

とかを見るにつけ、やはり低インフレ下での安定成長で国全体の"パイ"を大きくすることを通じて個々の国民の取り分を増やすことで貧乏人の嫉妬満載状態である現在国民世論を"金持ち喧嘩せず"状態に持っていき、人権保障の充実を図るのが、政治的な抵抗が最も少なくて済むだろう(といっても、大金持ちの今の動き見てると若干の疑問もわくがorz)という意味で正解のような気がするわけです。m(_@_)m

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