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2006-03-18 麻生タン萌えw

麻生外相のWSJへの寄稿と中国の反応

15:33 | 麻生外相のWSJへの寄稿と中国の反応を含むブックマーク

2月にNew York Times紙の社説が麻生外相を批判したことに対抗して、麻生外相がWall Street Journal紙に論文を寄稿しました。和訳が在ニューヨーク総領事館のページにあります。


「日本は民主的中国を待つ(Japan Awaits a Democratic China)」(麻生太郎外務大臣投稿)


日々チナヲチ」さんによると、この麻生論文に対して中国は次のように反論しているようです。

 ◆質問「日本の麻生外相が先日『WSJ』に『日本は民主的中国を待つ』との署名論文を発表しました。中国がかつて大躍進や文化大革命といった誤った政策を実施し、現在に至るまで理想と現実のバランス点を見出せないでいる。中国は早晩民主国家になるだろう。中国は日本が過去に犯した過ちを教訓に国内の民族主義的空気を抑え、『帝国化』することを回避すべきだ。……としています。この点に関して中国側のコメントをお伺いしたい」

 ◆回答「中国の特色ある社会主義を建設するというのは中国人民が自ら選択したもので、中国の国情に符合している。中国の発展は中国人民に幸福をもたらすだけでなく、アジアと世界の平和、安定と発展に重要な貢献を果たすことになる。日本の外交当局の最高責任者が中国の政治制度についてとやかく言うのは、極めて不穏当なことだ。中国は国と国の関係は互いに尊重し平等に相対するべきで、一方が教師面をすることに反対している。皆さん周知の原因により、日本の過去における過ちが他国にとって参考になることはない」


ファンタジスタが新ネタ連発、そしていよいよ神光臨か? - 日々是チナヲチ。


恐らく中国は麻生論文の中でも、特に次の部分に強く反発したのでしょう。

非常に重要なことに、中国は日本が行った過去の失敗の経験から学ぶことができる。日本は、20世紀の間に極端なナショナリズムを2度経験した。一つの象徴的な出来事は、1964年の東京オリンピック開幕の直前に起こった。ある日本の十代の若者が、当時のライシャワー駐日大使を刺したのである。当時、日本人の感情は、米国のパワーと影響力を前にして高揚していた。北京の指導者たちは、このような日本の経験から教訓を学び、ナショナリズムの高まりをよりよく制御することができるだろう。*1


「かんべえの不規則発言」の1月4日の日記によると、麻生外相は日本の果たすべき役割を「実践的先駆者、Thought Leader」というコンセプトで語っており、上記の文章もその認識に沿ったものなのでしょう。


外務省: わたくしのアジア戦略 日本はアジアの実践的先駆者、Thought Leaderたるべし 外務大臣 麻生太郎


しかし、上記の中国の反応を見ると、中国はこのコンセプトには反発しているようです。「日本の過去における過ちが他国にとって参考になることはない」という言葉が、このコンセプトに対する強い嫌悪感を示しているように思います。

ポスト小泉内閣で麻生氏が首相か外相に就けば、この「実践的先駆者、Thought Leader」というコンセプトは次期政権の外交において重要な概念となるでしょう。しかし歴史的に自分がアジアのリーダーだと考えている中国としては、いかなる意味でも日本が「リーダー」の役割を果たすことは認められないのでしょう。そのためこの「実践的先駆者、Thought Leader」というコンセプトを巡って、日中間で論争が起こるように思います。そしてその論争の判定をするのは欧米、特にアメリカなのでしょう。今回、New York Times紙とWall Street Journal紙というアメリカを代表する新聞を舞台にして論争が行われたことは、その始まりなのではないかと思います。


ただ「日々チナヲチ」で最近の中国上層部の動きを見てると、1930年代の日本で政治が混乱して軍が影響力を強めたことに似たことが、現在の中国でも起こっているように思います。人民解放軍はナショナリズムの色彩が強く対外強硬論が強いですから、軍の影響力が増すことは中国の外交的孤立に繋がるでしょう。それを防ぐためにも、中国にはかつて同じような経験をした日本の1930年代の歴史に学ぶことができるはずだ思うのですが、先のコメントから考えると、中国はそのプライドが災いして日本の軍国主義の経験から学ぶことができないのでしょう。

中国がこの先、かつて日本が経験したような破滅に陥らないことを祈るばかりです。

*1:話は外れますが、麻生外相が1960年代の左派的な運動をナショナリズムの高まりと認識していることは興味深いですね。

銅鑼衣紋銅鑼衣紋 2006/03/18 17:07 戦後の左翼運動は、基本的にナショナリズムの変形ですよ。敵は資本
家というより、日米安保に代表されるように、常にアメリカだったの
だから。

BaatarismBaatarism 2006/03/18 17:48 >銅鑼衣紋さん
ただ、1980年代以降の左翼運動は反日色を強めていったように思うのですが、何故ナショナリズムからアンチナショナリズムに変化してしまったんでしょうね?

銅鑼衣紋銅鑼衣紋 2006/03/18 20:31 構造は複雑だろうね。戦後左翼運動ってのは、明治の自由民権運動が(没落)士族の反明治政府運動だったのと似ていて、本質と現象が著しく乖離しているんじゃないのかね?でも、高度成長の結果としてイデオロギーとしての左翼運動が魅力を失うと、黙示的なナショナリズム感情の統合装置としての機能も失われてしまったのではないか?左翼に残ったのは、共産党みたいに一応首尾一貫してる連中と、社会党みたいに完全に形骸化した連中。で、君の言う「反日左翼」ってのは、後者のことでしょう?でも、ナショナリズム感情の方も、イデオロギー的な統合装置は欠けてるから、個別テーマごとの散発的なものにとどまってるよね。

BaatarismBaatarism 2006/03/18 22:59 >銅鑼衣紋さん
1960年代まではまだ左翼が政権を取れる可能性があったから、あくまでも反政府運動であって、反日運動とはならなかったのでしょう。その頃は自民党がやるよりも良い日本を作ろうという運動でしたから、反日にはならなかったでしょう。
ただし1970年代に入り、自民党による親米路線の成功が誰の目にも明らかになると、社会党や朝日などのイデオロギーは力を失い、形骸化した反政府運動となったのでしょうね。ただ、そこから反日運動に転化するにはもう一つ要因が必要だと思うのですが、それは何なんでしょうね?

すなふきんすなふきん 2006/03/19 10:06 最近のいわゆる「改革派」とされる右派ですが、彼らは保守というよりむしろ戦後左翼運動のエピゴーネンじゃないかとさえ思えるんですが。大衆ポピュリズムへの働きかけといい、左翼の方法を換骨奪胎したような。ある意味アメリカのネオコンとの類似性を感じたりもするのですがどうでしょうか?あと、ネットウヨなんかについて言うと、かつての反米が反中に転化しただけという捉え方もできそうですが。

吉田茂吉田茂 2006/03/19 11:12 孫は典型的な外交オンチなので、外相という席にいるのは、日本の国益にならぬ、と胸を痛めている。ライシャワー問題を持ち出すこと自体が1960年へのオマージュ(古きよき胎動期への日本回帰)であって、現在の中国があの時代の日本に酷似していると考えることは、意味をなさない。
でも、今の民主党って、アメリカのネオコンにすごく近い、と思うのは、私だけでしょうか。

BaatarismBaatarism 2006/03/19 12:58 >すなふきんさん
それは野口旭さんが言うところの「根本主義」というものでしょう。この概念を使えば、戦前の民政党から国家統制、戦後の左翼運動、今の「改革派」まで、「根本主義」という一本の線で繋がりそうです。大衆運動を好むのも「根本主義」の伝統なのでしょう。
あと、今の民主党も「根本主義」という一点で繋がっていると考えられるのではないでしょうか?そう考えれば、あの政党が一貫してリフレ政策に冷淡なことも理解できます。むしろ自民党の方が根本主義と漸進主義のモザイクであるとも考えられますね。
ネットウヨについては、反中では一致していても、その中には親米と反米が入り交じっているように思います。反米反中派については、かつての左翼運動の転化と考えても良いかもしれません。

>吉田茂さん
アメリカのネオコンも「根本主義」の臭いがするので、その意味では近いのかもしれません。

distdist 2006/03/19 17:05 アンチナショナリストに反日というくくりを適用するのが、それ自体かなり右よりの見解だという気がするので、左翼的な立場からすると、ナショナリストはネーションを構成しているピープルの利害に反している、ネイションを構成するピープルをネイションとしてしか捉えないことは抑圧的だ、というのが、基本的な左翼的立場でしょう。人民としてのネーションの利害と国家と、国家と自己同一化するタイプのナショナリズムの利害が対立するなら人民の側に立つという。明治以降、日本ではネーションが、国家と人民とに分裂していて、その統合体としてのネーション意識が成立しているとはいえない。だから、ナショナリズムも、愛国主義的反体制運動が、一般化することはなく、国家主義のくびきの下にあった。排外主義はむしろナショナリズムの挫折の表れだ、ということでしょう。「反日」とされる言説が、人民としての日本のネーションを否定したことはないはずですし、むしろ、日本以外との連帯の可能性をいまやまったく見失っているといっていい。

BaatarismBaatarism 2006/03/19 19:06 >distさん
僕はアンチナショナリスト=反日とは考えてません。反日はアンチナショナリズムの部分集合であるという考え方です。だから反日でないアンチナショナリズムもあるでしょう。
例えば、全ての国のナショナリズムを批判する立場の人は、アンチナショナリズムではあるけど反日ではないと思います。全ての国に対して、「ネイションを構成するピープルをネイションとしてしか捉えないことは抑圧的だ」という主張をするのであれば、その人は一貫したアンチナショナリストであり、真正の左翼でしょうね。
ただし日本に対してだけ「ネイションを構成するピープルをネイションとしてしか捉えないことは抑圧的だ」という主張をするのであれば、その人は反日、すなわち日本のナショナリティに対してだけ批判的な人だと考えます。

distdist 2006/03/19 21:07 そこで少なくとも左翼の自意識と右よりの立場からの評価の違いがある、と考えます。自分は日本人であるから日本のナショナリティの行き過ぎを批判する。アメリカのナショナリティの行き過ぎはアメリカ人が心配すべきだし、他国のナショナリズムの批判は偏見や利害が入るから、なるべく避けたほうがいい。という理屈がある。或る意味で、日本の左翼が安心して日本のナショナリズムを批判するのは、日本人だという意識が強固にあるからです。身内だから悪口が言える。そこにはだから、裏がえしのナショナリズムがあるわけです。逆に言えば、日本のナショナリティにだけ批判的だというのが、自分が日本人であることと無関係に、日本人的なものが嫌いだからならば、もっと違う形態をとると思います。基本的に反体制や批判は、自国に向けられるものでしょう。理性的であることは自制的であることです。「もちろん」、左翼には民族主義について、非抑圧民族の民族主義は肯定するという矛盾があるので、話は簡単ではありませんが、日本のナショナリズムを日本の左翼が批判するからといって反日と呼ぶと、「相手が日本だから」批判しているように聞こえる。これは違うと思います。それが批判されるべき態度であるとしても、基本的には「日本だから」ではなく「自国だから」批判しているのでしょう。

BaatarismBaatarism 2006/03/19 21:31 >distさん
>基本的には「日本だから」ではなく「自国だから」批判しているのでしょう。
なるほど、その理屈は納得できます。
では本人は「自国だから」批判しているつもりなのに、何故他人からは「日本だから」批判していると受け取られるのか(本人から見れば誤解されるのか)ということですね。

それを解く鍵はたぶんこの文章でしょうね。
>「もちろん」、左翼には民族主義について、非抑圧民族の民族主義は肯定するという矛盾があるので、話は簡単ではありませんが、

日本において「非抑圧民族」というと、歴史的経緯から言ってまず中朝韓となるわけですが、日本のナショナリズムを「自国だから」批判している人が同時に中朝韓の民族主義を肯定すると、「何故日本だけ否定するのか」ということになるので、「反日」と受け取られるのでしょう。
考えてみれば「反日」批判が高まった1980年代以降は、同時に朝日や社会党などの左派勢力が、歴史問題で中朝韓に対して強い支持を打ち出した時期であり、それはすなわちこれらの国の民族主義的歴史観を肯定することでした。
だから「形骸化した自国批判」+「中朝韓の民族主義肯定」=「右翼、保守派から見た反日」ということになりますね。

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