Baatarismの溜息通信 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-08-15 季節の風物詩ネタw

宗教右派としての靖国神社

21:53 | 宗教右派としての靖国神社を含むブックマーク

前回のエントリーのコメント欄で、トリルさんからこのようなページを紹介していただきました。


今更ながら、靖国問題がそもそも巷間言われているような問題なのかどうかを再検証しました - http://www.jimbo.tv/


このページによると、戦後、GHQが政教分離原則に基づき、靖国神社に無宗教の公的追悼機関となるか一宗教法人となるかの選択を迫り、靖国神社は公共性のない一宗教法人となったが、その後も靖国がとても「民間の一宗教法人」とは呼べないような役割を演じているということです。ただし、靖国神社も戦略的にこのような行動を取ったわけでもなく、ただ生き残りのための行動しているうちにこうなってしまったようです。


この文章を読んで思ったのですが、靖国問題がここまで混迷している根本的な原因として、靖国神社が追悼機関としての公的な側面と、一宗教法人としての宗教的な側面を、なし崩し的に持ってしまっていることがあると思います。

靖国神社が宗教法人となったのはGHQに半ば強いられてのことだったのでしょうが、宗教法人として国家から独立したことによって、靖国神社は戦後の日本国家が放棄した皇国史観国家神道、大東亜戦争肯定論を受け継ぐことになりました。戦後60年が経つうちに、それらは言わば靖国神社の教義となったのだと思います。その教義では英霊は靖国神社の神であり、靖国神社の主張を信じる者は信者と言うことになります。宗教ですからその教義や儀式は理屈抜きに絶対です。また靖国神社から見れば、無宗教の公的追悼施設や分祀論は彼らの神を冒涜する異端や異教、非宗教法人化は宗教に対する迫害ということになります。僕は靖国神社の支持者と話していると非常にかたくなでイデオロギッシュな印象を受けることがあるのですが、宗教の信者だと考えるとそれも納得できます。

一方、靖国神社は公的な側面も持ちます。もちろん法的には靖国神社はただの一宗教法人ですが、ほとんどの日本人はそうはみなしません。靖国神社を支持する人は公的な側面を持つことを当然だと思うでしょう。また批判する人であっても公的な性格を無視できないから非難を続けるのであり、言わば逆説的に靖国神社の公的な側面を認めていると思います。さらに首相参拝を批判する韓国や中国ですら、首相参拝が公的な影響を持っていると考えているから批判するのでしょう。マスコミについても靖国に公的な性格があるから報道ネタにできるのでしょう。このエントリーを書いている私にしても同じ事です。こう考えると、靖国神社に公的な側面を与えているのは他ならぬ私たちです。だから靖国神社から公的な側面を奪うことはなかなかできないのだと思います。

前回取り上げた麻生私案は、このような靖国神社の公的な側面を認め、非宗教法人化、特殊法人化という形で制度を実態に合わせようとする試みだと思います。その意味でこの私案は靖国問題の本質を突いていると思います。しかし、同時に靖国神社には宗教としての側面もあります。宗教としての靖国神社は非宗教法人化を拒み、抵抗するでしょう。

靖国神社が求めているのは、公的な側面と宗教としての側面の両方を日本政府が認め、靖国神社が戦前のような地位に復帰することでしょう。しかしそれは憲法の政教分離原則に抵触しますし、憲法を改正しようにも今更国民の支持は得られないでしょう。

公的な側面を奪うことも、宗教としての側面を奪うことも、両方を認めることもできない、そのため靖国問題は果てしなく混迷するのだと思います。

じゃあどうすれば良いかというと、結局時間が解決するのを待つしかないように思います。あと50年も経てば戦争を直接体験した世代やその子の世代はほとんど亡くなり、あの戦争は完全な歴史となるでしょう。その頃には靖国神社に公的な側面を与える人も少なくなり、宗教団体としての側面が強くなるでしょう。過去の一時期に日本を支配した思想を奉じる、宗教右派としての靖国神社、それが靖国神社の落ち着くところなのではないかと思います。

sunafukin99sunafukin99 2006/08/17 07:01 今はまだ戦前生まれの世代が準現役で、私のようなその子世代が現役バリバリの状況では歴史とは言えないわけですけど。時間が解決するという観点は日本人の場合はある意味特に当てはまるようにも思えます。世界的にはむしろかなり大昔の歴史を引きずるケースが多いのではないでしょうか。

BaatarismBaatarism 2006/08/17 09:41 >sunafukin99さん
そうですね。過去にこだわらないというのは日本人の特徴なのかもしれません。
元々日本のナショナリズムは皇国史観から来てるのですが、あれは中華思想を天皇制に当てはめたものなので、中国大陸的な発想なんですよね。靖国神社のような自国中心的な過去の歴史にこだわる姿勢はそれを受け継いだものですから、やはり中華思想の系譜である中国や韓国のナショナリズムに近いのでしょう。だから靖国問題をめぐる対立は、中華思想の末裔同士の対立であると言えます。
日本本来の考え方は、それとは違い過去を水に流す考え方ですから、靖国神社の主張に違和感を持つ人の方が、本来の日本的な考え方を持っているように思います。

雪斎雪斎 2006/08/20 16:20  日本は「将棋」の文化ですな。有用であれば、昔の「敵将」であっても、復活させて使う。だから、過去は問わない。
 今、安倍さんが「再チャレンジ」といっていますが、「再チャレンジ」それ自体も、日本の「伝統」でしょう。だから、過去は問わない。
 「嫁は処女でなければ嫌だ」という価値観も、日本にはありませんし…。だから、過去は問わない。
 これだけ、「現在の都合」が優先される国というのも珍しいかもしれない。済みません。ふざけてしまいました。

BaatarismBaatarism 2006/08/20 18:03 >雪斎さん
考えてみれば、靖国神社にA級戦犯を合祀した理由についても、二通りの考え方ができるんですよね。一つはもうこれ以上彼らの過去は問わずにおきましょうという考え方、もう一つは彼らの過去を肯定して崇める考え方です。合祀賛成派でも大多数は前者の考え方なのでしょうが、一部後者の考え方もいて、後者は前者の人の影に隠れながら世論を思うように動かしてるんじゃないかという気がするんですよね。

山田山田 2006/08/21 14:53 元々靖国は国家神道の総本山として存在していたわけですから、強引な論を張っても、やられた側は納得しないでしょうね。戦犯が合祀されるまでは靖国参拝を中国も静観していましたし、天皇も参拝していたのです(何とかメモ、なぜ今出てきたんでしょうね、それも日経から)。メモがなくとも合祀の後、天皇は靖国に一度も行っていないという事実を見ても、天皇のメッセージは十分見えていたはずです。これについては、マスコミは敢えて無視していたのでしょう。そして、戦犯は1955年、国会で全会一致で赦免となりました。日本は戦争に決着を付けていないと言われていますが、戦犯すべて赦免ということで、戦争の決着を付けたわけです。A級、重光葵は外務大臣並びに勲一等。A級、岸信介は総理大臣にと。日本としては戦犯はもうこの世には存在していないと言うことになりますから、論理の整合は取れているわけです。
また、今や中国圏は日本の貿易相手として最大となっていますから(かなりの貿易黒字、香港、台湾含む)、敢えて嫌がる事をすることは国益を考えても納得し辛い面があります(だから財界、御用新聞の日経からあのメモが出てきた)。
そして、極東アジアの混乱した状況を望むのは誰なんでしょうね。日本としても中国、韓国、北朝鮮を仮想敵国のようなマスコミの論調になってきたのは割と最近なんですがね、以前にも中国の潜水艦が領海侵犯した時(90年代の終わり)、はベタ記事だったのに。総理が靖国に行くと言うことは関連諸国および国内に対するメッセージな訳ですが、その真意が掴み切れていません。徴兵制を復活したいのだろうか?疑問です。

BaatarismBaatarism 2006/08/22 12:34 >山田さん
A級戦犯について国会決議を理由に赦免されたとするのは、僕が前のコメントで言った「もうこれ以上彼らの過去は問わずにおきましょうという考え方」なのでしょう。ただ、1978年に松平宮司が合祀を行った理由が本当にそれだけなのかと言うと、そうではなく、やはり東京裁判否定論、大東亜戦争肯定論が根底にあったのではないかと思います。昭和天皇はそういう風潮を嫌っていたのでしょうね。
富田メモについては裏に何らかの意図があったのではないかという説が出てますが、そのような意図を裏付けたり示唆したりする証拠や証言は見つかってませんから、僕は偶然この時期に発見されただけという可能性が大きいのではないかと思います。
極東アジアの混乱した状況ですが、北朝鮮を除けば誰も望んでいなかったのに、日中韓いずれも国内政治的な理由でナショナリズムを押さえようとしなかった結果、気がついたらこうなっていたということではないでしょうか?小泉首相の靖国参拝にしても、彼のこれまでの発言を聞いていると大東亜戦争肯定論者であるとは思えませんから、戦没者への思いが人一倍強いのと、中韓の批判のせいで却って譲歩できなくなったということではないかと思います。
中国や韓国おいても、ナショナリズムを下手に押さえると批判が政権に向かってしまう構造がありますから、あちらもなかなか譲歩できないのでしょう。

高坂高坂 2006/09/02 20:37 Baatarism樣、初めまして。
「そうか、靖國神社って宗教だったんだ」と發見され、靖國神社を「宗教右派」として捉へる切り口、興味深く拜讀しました。
宗教としての性格と公的な性格の兩面を持つてゐるところに靖國問題の混迷があるといふご意見ですが、たしかにそこが問題になつてくるでせうね。これについては、嚴格政教分離ではなく、常識的な國家と宗教の關係として位置づければ解決する問題であると思ひます。
「結局時間が解決する」といふことですが、たしかに現在のやうな騷がしさは落ち着いていくと思ひますが、日本の國としての連續性がある限り、靖國神社から公的性格が消えることはないと思ひます。
また、「過去の一時期に日本を支配した思想」「皇国史観や国家神道、大東亜戦争肯定論」は、戰前そのままではありませんが、靖國神社だけではなく、神社神道が持つてゐるものです。神道には民族の神話・習俗といふ面、公的な性格、宗教的な性格といふ三つの顏があります。村の祭、地方の祭から、公的な性格を持つ習俗的行事、天皇の祭まで、神道は局面によつて三つの顏を現します。戰前はそこに國家神道もありました。一部の左翼のやうに、今の神社神道イコール宗教右派と見做す人々もゐます。
靖國神社について小論を書いてゐます。ご高覽頂ければ幸ひです。Baatarism樣からは、私は靖國神社の信者といふことになるかもしれません。
「政治の國の宗教論議〜靖國の論點」
http://www8.plala.or.jp/Kusimitama/ronsen/citizen/manners1.html#03

BaatarismBaatarism 2006/09/02 23:06 >高坂さん
コメントありがとうございます。そちらのご意見も興味深く拝見しました。
「靖国神社って宗教だったんだなあ」というのは僕にとっては言わばコロンブスの卵的な認識だったのですが、そう考えると靖国神社の態度は良く理解できるんですよね。
ただ、今の政府・自民党においては、例えば石破茂氏のような保守派・タカ派の方であっても靖国神社とは意見を異にしていると思われるため、国との関係が靖国神社の希望するとおりに落ち着くとも思えないです。靖国問題がこれだけ騒がしいのも、中韓や左派の批判だけでなく、国との関係に関する認識が靖国神社と政府・自民党で異なってるからでもあるのでしょうね。

高坂高坂 2006/09/03 14:06 神道は日本の習俗ですから、日本人にとつてキリスト教やイスラム教のやうな宗教と捉へることは難しいと思ひます。日本佛教も神道化したものですから、日本人はわざわざ宗教とは思つてゐないでせう。それでも、神道に宗教性がないかと言へばさうは言へないわけで、その中でも靖國神社が宗教的性格が強くなつてゐるのはたしかだと思ひます。これについては靖國を否定する存在が宗教化を促進してゐる側面は否定できないでせう。たとへば日本人は習俗として先祖を祀りますが、それを否定されたとすれば先祖祀りは宗教化してしまふでせう。靖國問題もそれに近いところがあるのではないでせうか。
國との關係に關する認識といふ點では、元々は靖國はいはゆる國家神道の施設ですし、國に殉じた英靈を祀る神社なのですから、靖國側から國との關係は切ることはできないでせう。國側は、時の政府が靖國を切るといふことはあるかもしれません。その時は形式的・表面的には國と靖國の公的な關係はなくなりますが、靖國側の存在理由は變りやうがありませんし、國民の意識も(國民全體ではないにしても)變らないでせう。實質的な公的性格は殘るといふことです。
Baatarismさんが「靖国神社は自衛隊員を祀らないのか?」で指摘されてゐたやうに、今後の靖國の課題としては、自衞隊員、あるいは憲法が改正されて國軍になれば日本軍人の戰死者を新たに祀つていくことにするのかどうかといふ點も重要ですね。

BaatarismBaatarism 2006/09/03 18:01 >高坂さん
>これについては靖國を否定する存在が宗教化を促進してゐる側面は否定できないでせう。

なるほど、確かにGHQの政策で靖国神社が宗教法人となった結果、靖国神社の宗教組織化が進んだと僕は考えてるのですが、このような話はより一般化して考えられるのかもしれませんね。

>靖國側から國との關係は切ることはできないでせう。國側は、時の政府が靖國を切るといふことはあるかもしれません。

靖国側から見るとここが悩ましいところなんでしょうね。自衛隊員の問題も結局ここにかかってくるでしょうから。
靖国の実質的な公的性格が全くなくなることはないでしょうが、それがどの程度の強さで残るかは、未来の国民がどの程度靖国神社を重要と考えるかによるのでしょうね。

高坂高坂 2006/09/04 16:35 宗教は彈壓によつて鍛へられるといふところがありますからね。傳統的な習俗であり、國家神道の時代には國民道徳でもあつた神道ですが、敗戰後、宗教化を摸索してゐるところも見受けられます。幕末維新期にも神道の宗教化運動があり、廢佛毀釋のやうな原理主義的な動きもありましたが、現代の神道はそこまで原理主義化することはないでせう。

>靖国の実質的な公的性格が全くなくなることはないでしょうが、それがどの程度の強さで残るかは、未来の国民がどの程度靖国神社を重要と考えるかによるのでしょうね。

仰る通りだと思ひます。これまでの歴史ではそれなりに意味のある神社は千年以上殘つてゐますから、靖國も、人爲的に破壞しない限り、今よりも規模は小さくなるかもしれませんが、消滅することはないと思ひます。靖國がどうなつていくかは、未來の國民が決めることですね(勿論、今の國民が決めて惡いことはありません。私個人は存續派です)。

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