『ポップ×フェミ』第1回 : ピンク「Stupid Girls」の功罪

 こんにちは、当ブログ運営者の一人 macska です。普段は macska dot org という「もっとひねりなさい」と言いたくなるような名前のブログでフェミニズム・障害理論・政治といったトピックで敵を作りまくっていますが、ここでは『ポップ×フェミ』というテーマでちょっと緩めの話題を提供していこうかと思います。
 さて、今年フェミ業界に最も衝撃を与えたポップソングと言えば、最近来日公演も果たしたピンクの「Stupid Girls」(アルバム『I'm Not Dead』より)。日本語にすれば「バカ女」だから、「まれに見るバカ女」とか「男女平等バカ」みたいなバカバカ本(chiki さんによれば、「バカな意見をバカが書いてバカが読む本」)に対抗するのにピッタリ。
 直接的には、表題の「バカ女」が指すのはブリトニー・スピアーズオルセン姉妹ジェシカ・シンプソンリンジー・ローハンパリス・ヒルトンといった、メディアで活躍する女性セレブたち。彼女たちの奇妙な生態をピンク自身が物真似して徹底的にパロディしたミュージックビデオは日本でも話題になった(ここから観ることができます)。でもこの曲は単にセレブの奇行を笑い飛ばすだけのものじゃない。
 ミュージックビデオは幼い女の子がテレビを観ているシーンから始まる。テレビの画面に映っているのは、頭脳ではなくセクシーな体で成功した女ばかり。ピンクによるセレブのパロディ映像に混じって映るのは、胸の大きさや体の細さに強迫的に気を使っている女性。裸で手術台の上に横たわった女性の体には、あちこち切ったり膨らませたりするための線が書かれている。中間部ではナイトクラブの女子トイレで、棒のようなものを喉に突っ込んで食べた物を吐き出す女性たち。ピンクは身体的なセクシーさ(と、頭の軽さ)だけを売りにする「バカ女」セレブたちが、女の子たちに一面的で非現実的な「あるべき姿」を伝えることで、彼女たちを摂食障害や形成手術に追いやっていることを告発しているのだ。
 ミュージックビデオの最後では、女の子がテレビを切ると、一方にピンク色のひらひらしたお人形セット(これも現実にはあり得ないような体型をしている)、もう一方に楽器とフットボールのボールが映し出される。しばらく考えたのち女の子がフットボールを手に取って家の外に走り出したところで映像は終わる。
 八木秀次や西尾幹司のような人物がこれを見たら、さぞ「女の子が人形と遊ぶことを許さない、男の子と同じようにフットボールで遊ばなければいけないという性差否定の陰謀だ」みたいに噴き出すだろうなぁと思ったのだけれど、もちろんそんな事のためにこのシーンはあるのではない。テレビに映し出される画一的な「バカ女」たちに憧れるのではなく、自分らしく生きようとピンクは呼びかけている。
 こうしたメッセージは多くのフェミニストから支持されたものの、一部にはピンクが選んだ言葉や手段への批判もみられた。批判その1、ブロンドの髪を持つセレブたちを「バカ女」とこき下ろすことは、「ブロンド女性は頭が悪い」というステレオタイプを再生産するだけではないかとするもの。ピンクはもちろん、彼女たちがブロンドだから「バカ女」と呼んでいるわけではない。けれども、そうしたステレオタイプがある以上、それを連想させるような発言(歌詞だけど)はさらに女性を分断するだけではないかという批判がある。
 第二に、本来ピンクが批判すべきは「バカ女」を演じるセレブたちではなく、彼女たちにそう演じさせている男性中心社会ではないかという批判。しかしそうなら、「バカ女」を叩いているピンクではなく彼女がそうせざるをえないような男性中心社会を批判すべきだということも言えてしまうような気がする。ピンク自身を含め、エンターテインメント業界で成功するにはさまざまな妥協をしなければいけなかったけれど、成功を手にした彼女はそこに安住することはなく、今度はその成功を利用してこうしたリスキーな音楽を作っている。
 それよりもっと重要な批判は、このミュージックビデオは奇行を繰り返すセレブたちだけでなく、体重をひどく気にしていたり摂食障害になったことがある、たくさんの「普通の女性たち」を「バカ女」と呼んで貶める事にはならないかというものだ。アメリカに住んでいて、「美しさの神話」を全く気にしていない女性なんているわけがない。フェミニストたちですら体型や美醜による差別を批判しながらもその拘束から完全には自由ではないのに、10代の若い女の子たちがそれらにひどく悩んでいたとしても誰がそれを「バカ」と呼べるだろうか。
 昨日別のところに掲載されたばかりの座談会でも言ったことだけれど、わたしは摂食障害をただ単に「美しさの神話」に囚われた状態だとは思っていない。もちろん摂食障害にもいろいろなパターンがあるはずだけれど、最も大きな要因は拒食したり食べた物を吐き出したりして得られる「自己コントロール感」だと思う。世の中に自分の思い通りにコントロールできるものを多く持たない若い女性のあいだで摂食障害が多いのは当然だと思う。
 だとするなら、メディアに映る「バカ女」に憧れるのはやめて自分らしく生きなさい、というのではやはり不十分だろう。ピンクは「大統領になるという夢はどうしたの?」と歌っているけれど、問題は女の子が大統領になる夢を持たないことではなく、多くの女の子や若い女性にとってそのような夢を持ちようがない社会にわたしたちが生きていることだ。変わらなければいけないのは女の子たちの頭の中ではなく、社会の方であるはず。
 とはいえ、こうしたフェミニスト的なメッセージを堂々と盛り込んでポップスとしてヒットさせたピンクはお手柄だと思う。今後もポップカルチャーの内側からその境界を乗り越えるかのようなポップでフェミな活躍を期待したい。


 さて、明日土曜日は大物登場です。日本における「ジェンダーフリー」という言葉の起源として誤解を受けながらも参照されてきたニューハンプシャー大学の教育学者バーバラ・ヒューストンさんが、本書『バックラッシュ!』のために米国の教育学界における「ジェンダー・フリー」及び「ジェンダー・センシティブ」といった概念を分かりやすく解説するコメントを寄せてくださいました。明日はそのコメントを全文公開するので、お見逃しなく! 日本中の注目を集めて、オーストラリア戦よりも稼ぐぞ視聴率!(ウソ)