2012-01-22
歌うリヒエ。
その村はリヒエ=ク=クトが歌っている間にしか現れない、音素の集合の幻のような村で、当然村人や家々や竈の火に至るまでリヒエの歌袋で醸された音素で成り立っている。
少し、リヒエについて話したい。
リヒエは一つの頭に七つの四肢を持つ巨大鱚に仕える本職人で、巨大鱚が起きている間は歌うことを禁じられていた。理由? 忘れてしまったよ。ただひとつ言えるのは、鱚は本職人のやることは何にしろ気に入らないということだけだ。鱚は他の魚達の例に漏れず、不眠症だったから、そのせいで歌に限らず音という音を憎んでいたのかもしれない。そうでなかったのかもしれない。わたしは鱚でないから、魚でなかったかもしれないから、わからない。
リヒエは魚であったかどうか。その形態については諸説あり、そのすべてがわたしのついた嘘だと言われている。しかし、そもそもリヒエの逸話はわたしが首唱したのであって、仮にわたしがリヒエについての語りで嘘を交えたとするならば、リヒエなど実在などしなかったことになるのではないか。バルーケ時代の単語学者によれば、嘘とは事実と事象と歌と歯ブラシの重ね合わせの領域に生まれる地点ઔを挿す。現実とは嘘と歯ブラシの折衝点であり、その値が示すのは常に虚数だ。虚数とは何か。自分自身だ。ところでリヒエは魚であったのかどうか。
歌を歌う魚は存在しないと信じられている。しかし、その信仰は何も意味しない。リヒエはモテルコ初の歌う魚なのかもしれない。あるいは単に魚でないだけなのかもしれない。SASHIMIにおろせば判定はつきそうなものだが、リヒエがまな板の上にのせられたという記録も記憶も残っておらず、わたしは、そしてあなたはリヒエがかつて歌っていたことしか知らない。それが、重要なんだ。残るものはなんだって。
リヒエ=ク=クトは歌うためには主である巨大鱚を殺さなければいけなかった。祝うべきだと思う。リヒエが巨大鱚をSASHIMIにしたおかげで、彼女は歌を手に入れたのであり、いまのわたしたちが在るわけだから。しかし、在り続けるわけではない。歌の持続力は生物的に規定されている。限界という形で。つまり、無限ではない。
喉が枯れる、という慣用句がある。まるで喉が源泉であるかのような言い草だが、わたしたちに関しては実にぴったりな表現だ。彼女の喉は音素を練り、音子を震わせ、刹那ごとに幻影と現象を明滅させてくれる。一日の半分は実在し、一日の半分は不在であるわたしたちを見て、フ・ルーイイイはこう言ったっけ。
「俺は一日の半分を寝て、半分を起きて過ごしている」
ではわたしたちはお前の夢なのかもしれない。
「いや、俺とお前の夢が、俺とお前なんだ。もうひとつ。本質的に夢はモテルコに干渉しない」
おそらくルーイイイは発音を間違えてしまって、「干渉」と「感傷」を取り違えてしまったのだろう。でないと、筋が通らない。
ほら、まだリヒエが歌っているよ。
自分の目の前に広がる村の風景を保とうと、音素を搾り出しているよ。
でも、そろそろ、歌袋も枯れかけてきたようだ。
歌が尽き、音が止み、空気は振動をやめ、音子は安定した分子に置き換わる。その時、あなたはスプーン、わたしは水に戻ってしまう。言葉を失ってしまう。でもね、水へ戻ることに不安はないんだ。
わたしはもう知っているから。
わたしがもう知っているということを。
ありがとう、リヒエ。
そして万雷の拍手を。
2012-01-17
呪いについて
その呪いは街の人間の寿命を會鵬色の月が出るまでと定めた。
正確な呪いの秘術は誰も手の内にもない。それこそが呪いの本質であり、おかげでファラウも食べていけるのだった。
イイイの街では呪いにかからないと子を孕むことはできない。それこそが懐妊の本質であり、おかげでファラウも食べていけるのだった。
イイイの子供たちは生まれついての呪われしものたちであり、だから大人として認められるには苛酷な解呪の冒険にでないといけない。それこそが成人の本質であり、おかげでファラウも食べていけるのだった。
街の誰しもが呪いにかけられている。ファラウの呪いは誕生を司り、死を定義し、散漫な生に秩序を与えた。それがファラウと呪い両方の本質であり、おかげでファラウも食べていけるのだった。
ファラウは他人に呪いにかけられていないものをすべて呪ったが、自分を呪うことだけはしないと心に決めていた。
すると誰がファラウを呪ってくれるのだろう?
答えが出るまでの間、ファラウは死なき身となり、塑性の恥を知らず、死の名誉を賜れず、ただ月食のカレンダーを神経質に指でなぞりながら人々にふさわしい呪いを唱えつづける。
シルスピネルーヤのお茶会
「シルスピネルーヤのお茶会」から招待され、メ=ド=ククトは街の半分を抱いて眠るクラームム音楽堂へ入る。地下牢から招待客が出るのは実に///周期ぶりの快挙で、メドは自分の律在の定位に不安をおぼえる。
ステージの中央には後期ハルルルハ二十日鼠様式の機能美に溢れたハブラシ材テーブルが置かれていて、そこを原点として扇状に質量を持たない観客たちが期待に輝くまなざしでメドとシルスピを注視している。お茶にはもちろん生きたネズミの頭が突っ込まれていて、相応の腐臭をはなっている。シルスピはお茶にも菓子にも手を付けず、双子星の双摩擦函数を操作する術木のドミノをおもしろくもなさそうにいじくっていた。
「昔の君のことを思い出していた」
「会うのは初めてですが」
「じゃあ、たぶん、いつか会っていたかもしれない君を思い出していたんだな」
もしかしたら、騙されているのかもしれない。メドはもうお茶を飲めない。あいかわらず、観客たちはステージ上のある一点を見守り続けている。
2011-12-09
ゾウとかつて呼ばれていた。
やはり中途半端に召喚されたその概念は、宙にぶらさがる巨大なヒルだった。身をうねらせてのた打ち回るさまは哀れみを誘ったが、ケノケーケーは涙する誘惑に乗らない。涙腺を持つ唯一の召喚師であるのに、その機能を使ったことは一度もなかった。
「鳴き声がきこえる」
遠く……どこかから乾燥した大地の空気が召喚室に吹きこむ。二つの穴を歪ませて、息だけで鳴く灰色のヒル。
