多機能の限界と、機能の役割分担と

ケータイを持つようになって腕時計をする人が減った、とよく言われる。実際にそれを裏付けるデータを見たことはないけれど、確かに自分も、ケータイやiPhoneで時刻を確認することが多くなった。これは、携帯電話に時計の機能が備わって、単機能の腕時計が使われなくなってきた、とも言い換えられる。

今の携帯電話は、スマートフォンにせよ普通の携帯電話にせよ、とにかく多機能だ。しかし、例に挙げた時計機能のように、単機能の他の機器よりも使われるようになっている機能は、どれほどあるだろうか。また、今後どのような機能が、携帯電話という一つの機器の中にちゃんと活用される形で組み込めるのだろうか。

過去の例で思いつくのが、ラジカセの成功とラテカセの失敗だ。ラジオとカセットテープレコーダーの組み合わせは見事に成功し、携帯用のものは別にして、部屋に置いておくタイプの大きなラジオとかカセットテープレコーダーはラジカセに取って代わられ、ほとんど見かけなくなってしまった。一方で、単機能のラジオは名刺入れくらいの大きさにまで小さくなり、単機能のカセットテープレコーダーは、ウォークマンタイプのものに集約されて、これはこれで1ジャンルを築いた、と言ってよいだろう。

しかし、ラジカセにテレビをつけた”ラテカセ”は、ラジカセに比べて遥かに普及しなかったと思う。テレビ機能は、活用できる形ではラジカセには組み込めなかった、ということなのだ。私が中学生くらいの頃、親の実家にたまたま”ラテカセ”があったので帰省した時に使ったけれど、テレビ機能は画面が小さく*1映りが悪く、その上(そのラテカセのテレビは)モノクロだったので、結局使わなくなったことを記憶している。

このラテカセの例のように、どんな機能が活用されるか、活用されないのかを、これからの携帯電話を作るときには意識的に取捨選択していかなければならなくなるのではないか。プレゼンツールとしてのiPhoneのエントリにも書いたが、機能の中途半端さはどこまで許容され、どこから許容されなくなるのか。これは、やはり別なエントリに書いた電子ブックリーダーとしてのiPhoneについても同じことが言える。

ラジカセとラテカセの例でいうと、上記の通り単体の携帯ラジオやウォークマンはメジャーな商品ジャンルを形成できたけれど、単体の携帯テレビは、マイナーな商品のままだった。

ところが、今の日本の携帯電話には”ワンセグ機能”という携帯テレビ機能が必須といってもよいくらいの機能になっていて、端末購入の選択ポイントにも挙げられるようになっている。

その理由として考えられるのは、デジタル放送になり、またディスプレイとしての液晶技術の向上で、画像の”映り”が(ラテカセ時代のテレビと比較して)飛躍的に向上したことがあげられる。また、ライフスタイルとして、ひとつのテレビを家族で見るという世帯視聴から、各自がそれぞれのテレビを見る個人視聴にシフトしたということも影響していると考えられるので、単にハードウェアや技術的な要因だけでは、組み込む機能の適否を測れない。

そのため、何を機能として組み込み、何を組み込まないか、という判断は非常に難しいと思うが、今の日本メーカー各社のメイン機種のような”何でも全部入り”の端末では、必然的にコストも高くなるし重量体積も増えることになる。開発期間だって長くなる要因になるだろう。しかし、端末の売れ行きが伸び悩んでいることも考え合わせれば、端末販売価格を押さえるために、ユーザーのライフスタイルや技術的な要因も加味しながら不要な機能を絞り込んでいくことが必要になっていくと予測される。

この時、ラジカセやラテカセの時代と違うのは、携帯電話はスタンドアローンな機器ではない、ということ。

今後、テレビがIP化していくと、先に書いたように、テレビ・PC・ケータイは画面サイズが違うだけのビューワーとして同列に捉えることができるようになる。つまり、そこで見るコンテンツは、技術的には機器を問わない共通のものになる。そうなら、ケータイよりもほかの機器が備える方がふさわしい機能はそちらに譲って、そのかわり相互の連携をスムーズにシームレスにするという、機能の役割分担をしていくことが、ユーザーにとっての利便性を高めていくことにつながるのではないだろうか。

ここを突き詰めていけるなら、テレビ・PC・ケータイを同じ会社が作っていることのユーザーベネフィットが、目に見える形になってくるのではないかと思う。日本メーカーの勝機は、ここにひとつの可能性があるのではないだろうか。

前回のエントリを書いた後で、別な方向から考えていたら少し考えが前に進んで、日本メーカーの勝負どころが、もう少しはっきりイメージできるようになった気がする。

*1:とはいえ、今の標準的な携帯電話の液晶画面よりは大きかったはずなのだが。