奴隷と呼ばないで!便利さの背後に潜むブラックさ―出前サービス

この3年、飲食デリバリーサービスが急成長している。北京では美団と餓了ムが2大企業で、自転車に乗っていてもこの制服を着たおじさん・お兄さんがたくさんバイク便を飛ばしている。スタバなどのコーヒー屋でもミルクティー屋の一点々でも彼らがデリバリーするドリンクを買いに来ている。

私は基本的に家なら自分で作るし、外ならレストランでちゃんと食べるのが好きだし、必要を感じていないから使っていないが、好奇心旺盛な娘と面倒くさいこと大嫌いで娘に甘いパパが私が外出の時はせっせと外食デリバリーを取っている。

激辛四川料理やら、ザリガニやら、鍋?料理やら、シンガポール料理やらいろいろ。

私も取材を兼ねて餓了ムを取ってみた。初回はめちゃくちゃ安い。約半額。34分後にお届けとかあり、実際その時間ぴったりに届いた。

家で老舗(眉州東ポ)の山椒の利いたマーボー豆腐を口にした時は、全く新しい人生のシーンが開けたようで、本当に感動した。これも、アリか!という感じ。魔法みたいに、かつてはあり得なかったことだ。

前置きが長くなったが、しかし、これがなぜこんなに安いのか。
それは、配達員のコストが究極まで抑えられているからだ。
何と、彼らのバイクまで持ち出しらしい。携帯電話はもちろん、バイクの充電も、昼ごはんも全て自分持ちだ、と今日来たお兄さんは吐き捨てていた。

保険とかいう以前の問題だ。商売道具も全て労働者が揃えて負担するのだから、企業はお金がかからない。

日本でなぜこれができないかといえば、労働力が高いからだろう。
そうだよなあ。バイクも、電気代も、携帯も、全て出せ、12時間働け、といったら人は集まらない。

都市部ではビルの1階に足を運ぶのも嫌がる怠け者でお金を持った消費者が居る一方、食べ物の好奇心を満たすために3キロ先のレストランから1分、2分を競って運んでくれる配達員がいる。これは格差以外の何物でもないだろう。

美味しいマーボー豆腐のある家ランチにほのぼのとしつつ、そそくさと廊下に消えていった青い制服のお兄さんを思うと胸が痛い。

これ、本日の北京なり。