青梅と青海とカップルの情景

「水曜の7時に青梅の改札で」

 


「青海ね。わかった」

 


「青梅だよ」

 


「青梅でしょ?わかってるわよ」

 


「間違えないでね。青梅線の青梅」

 


「やだなあ。私が何年東京に住んでると思ってるのよ。青梅線の青海で7時ね」

 


「。。。。お前。。俺に会う気ないだろ。」

 


#青梅問題を巧みに利用して別れようとする女子を想像するという意味のない時間つぶし

はてなブログに引っ越しました。

こちらでは大変にご無沙汰です。

Forwardされるようになってるので、特に読者諸氏には関係ないかなと思うのですが、ご存知のように「はてなダイアリー」が終了してしまうということで、長く放置していたここを、「はてなブログ」に引っ越しました。一応お知らせまでに。

 
このサイト、AnotherBは大変に自分が苦しい状況だった時に始めたもので、そのころ生々しく殺伐としていた本家ブログで扱いにくいテーマや表現についての逃げ場的につくったものでありまして、はてなに格別の思いもないので、やめちゃうならやめちゃうでもいいかなとも思ったんですが、覗いてみたら、ここにも500本くらい記事があるので(苦笑)、まあ引っ越しておくことにしました。
 
かなり頭がおかしいときに書いたものがずいぶんあって、ラリッてんのかよとか、読み返してみると自分で背中が寒くなるような「これ、俺かよ!?」なんてのもけっこうあるんですけど、思い切り悪く残しておきます。
 
まあ時間があって気が向いたら、たまにはご笑覧ください。たまには更新します。苦笑

 

 

戻れない

311と東京オリンピックは今までになかった感情を自分に与えた。
東京は腐っても生まれ育った土地である。2011年のあの日まで今まで一度もその土地への愛着を失ったことはない。

原発事故で愕然とした。

そして。

東京オリンピックでとどめを刺された。

自分はもう前の場所には戻れない。戻らない。

良かった。

滝本太郎弁護士にお願いして、以下の「脱会確認通知書」を送っていただきました。差出人(「当職」)は滝本弁護士です。時期が遅くなっているだけで、実質的に公開の脱会届となります。
住所・氏名の一部を伏せた上で全文を掲載します。(備忘録ことのはインフォーマル


これが出されるまでに、ずいぶん長い時間がかかったなあ、もう少し早くなされていればとも思いますが、きっと松永さんにとっては、これだけの時間が必要だったということなのでしょう。
私には今さら、何も言うべき言葉はありません。いつか手記が完成したら読ませていただきます。

2008年パンダ宣言


我々パンダは幾千年もの間、政治には介入しないことを信条として、四川の自然の中で命を永らえてきた。人間社会への不干渉を徹底的に貫くことは、我ら生存の必須条件であると信じて疑わなかったからであるし、我々のキャラクターが、政治的でなかったこともその因の一つである。もとより我等は、我らのためにパンダなのであり、我らのために白黒なのであり、熊猫なのである。繰り返すが政治への不干渉は我らパンダ族、民族としての、否種族としての必須の条件である。

然るに今回、中国民族の筆頭である長が、日本国に赴くにあたり、こともあろうに我らパンダ族の意思を無視し、信条を無視し、チベット問題における中国の暴虐に対する、日本国内の反対感情を抑えるために、こともあろうに我らを日本にレンタルすることをもって、その政治的利用を図るにおいては、言語同断である。実にパンダの歴史上許すことのできない所業であり、全パンダ族に対する看過できない侮辱である。

我らパンダ族は、ここに全種族一致をもって、中国政府と日本政府、さらに日中人間族全員に対して強い抗議を申し入れるものである。


1.パンダを政治的に利用するな
2.パンダを甘く見るな
3.政治的施策としてのパンダ貸与を一切行なうな。
4.日本国人間族にあたっては、努々我らパンダの愛らしすぎる体型に惑わされるな。
5.パンダは人間の道具ではない。

繰り返す。

パンダ族は日中両国人間族による、パンダの政治利用に対して厳重抗議を申し入れる。この抗議は、たとえ1億トンもの笹の葉を差し出されても揺らぎない、不倒の決意であることを、こここに声高に宣言するものである。

謝罪ということ


ここ数日起きたことで、ふっと急に気になって、あのとき松永さんと話したときの記録を久しぶりに読み返してみた。

FLASH報道から1年・松永英明さんとの対話(1)

というのは、皆様ご存知の通り、あのとき我々は相当混乱した込み入った状況の中で、誤解を深めているときに会った。松永さんも精神的に限界のところまでいっていたと思う。ところが、考えてみれば、我々はどちらも謝罪の言葉を相手に対して一言も述べていない。松永さんも僕に謝らなかった。僕も松永さんに謝らなかった。本当にそうだったかなと、記録を読み返してみたけれど、やはり最後までどちらも相手に対して謝罪をしていない。のみならず、そんなことは会話の最中に一度も思いつかなかったし、その後もそれについて考えてみたこともなかった。考えようによっては、実際はともかく、まず色々相手に「迷惑」をかけたことを、形式的にでもいいから、「いろいろすみませんでした」と頭を下げる場面があっても、それほど不思議ではない。

しかし、我々はそれをしなかった。なぜなんだろうとぼっと考えた。

彼とは幾度となく、メールのやりとりもしたけれど、そしてそのあたりになると少し記憶が定かではないけれど、たぶん明確にお詫びをしたことはない。お詫びをされたこともない。

ただ、互いの考えていることを、相手に伝えようと、現在の状況を説明しようと必死に喋っていた。あのとき松永さんが僕に対して手を抜いていたとも思わないし、また僕も同じである。彼も過去のいきさつも含めて、彼なりの信念をもってやってきたのだろうし、期せずして「追い詰める側」になってしまったかもしれない僕の側も同じだった。どちらも相手に対して謝罪はしていないが、侘びの言葉を言わないことで、信頼関係を形成するのに障害になったと思ったことは一度も無い。



同じことに直面しても、人はそれぞれその「出来事」に対して自分を投影して自分勝手な物語を紡ぐ。それは僕もそうだし、他の人もそうだろう。それぞれの勝手な物語の真剣なぶつけ合いでしか、出来事は確認できない。それによってしか、コミュニケーションはできない。

僕は彼に謝ってもらいたいと思ったことはないし、おそらく彼もそうだと思う。しかし、それは決してどちらも間違っていないという意味ではない。とりあえず同時に謝罪してしまえば、それでいいじゃないかという考え方もあろうが、期せずして我々は双方ともそういうタイプの人間ではなかった。もちろんそのことへの評価は自由であると思う。


少なくとも僕は、今この問題に関して誰からも謝罪の連呼を受ける謂われはないし、それを必要ともしていない。