ご挨拶 〜この日まではすこやかに生きていたい〜

*1

宮嶋陽人と申します。*2

私がブログを書くことは、たぶんないだろうとこれまでは思っていました。
しかし、自分の思考をまとめ、それを世に問うということの訓練が必要と感じたために、何かを書きつづけてみようと決意しました。書くことををやめないための工夫として、なぜ私がブログを書く必要がないとこれまで考えてきたかということを軸にすれば、ひとつのテーマに沿って文章を書き続けることができるだろうと考え、実験をしているブログです。

タイトル中の「100」は「百貨店」の百と同じで、実際に100あることを示すものではありません。これだけブログが一般的なツールとなった時代に、それを始めるに逡巡した理由は複数あって、それは各エントリの中に含まれることになるだろうと思っています。

2008年4月24日 雨の日に

*1:「すこやかに」という言葉を使うこと自体が、マイノリティに対する差別として政治的に正しくないということは自覚しています。
けれど、それは私の偽らざる願望でもありますし、取り繕っても私が野蛮人であることは隠せないでしょうから、そのことの証明としてここに書いておきます。

*2:けったいなはてなIDの由来についてはプロフィールページに記載。

札幌市営地下鉄6000系廃止

北海道新聞8月31日朝刊 地下鉄6000形 ラストランに500人 札幌(web魚拓)
セレモニーには、写真を撮る鉄道ファンや親子連れらが詰めかけた。乗務員に花束が贈られた後、車両が最後の乗客を乗せて出発するとホームは拍手に包まれた。

昨日の午後、それと知らずに6000形車両に乗ったら、車掌が次駅のアナウンスに続いて
「長年ご愛用いただいたこの車両は今日が最後の運用となります」
という内容のアナウンスをして、そういえば今日だったと思い出した。

この車掌のアナウンス自体が、新型車両ではプリリコーデッドアナウンスになってしまって聞けない。
今の新型車両が廃車になるときには、このような車掌による紹介もなしに去っていくことになるんだろうか。

そんなことを考えていると、アナウンスが終わったときに同じ車両の一角から突如拍手が起こった。
それは最終運行日を一日中ともに過ごそうと思った鉄道ファンなのかもしれなかった。
地下鉄では滅多に聞けない車掌の粋なアナウンスと、それに呼応した拍手。

それは鉄道ファンの痛さなのかもしれないけれど、今回はそれを暖かく受け止めることができた。

isummit08 アイコモンズサミット08年札幌 1日目

3ヶ月も放置した理由は別にないのだけれど、札幌にレッシグ以下そうそうたるクリエイティブコモンズのお歴々が来るとならば、行かないわけにはいかないでしょうと言うことで、行ってきましたisummit08。
そのレポートをくどく、くどーく報告する予定です。

詳細は後ほど少しずつ行きますが。

しかし。

ゆかたんに会えなかったぞ。
ゆかたんはいないのかゆかたんは。

100の理由その1:馬鹿である

自分で自分のことを馬鹿扱いするということの嫌味臭さというのは相当なものだと自覚してはいるが、実際に馬鹿だと確信しているから仕方がない。もしかすると馬鹿ではないのかもしれないが、実生活においては面と向かってわたしに馬鹿と言ってくれる親しい友人がいない*1ので確認しようがない。となれば、帰ってくる答は「馬鹿ではない」というものになるが、それが真実なのか社交辞令なのかを判別することもまたできない。従って自分が馬鹿であるという確信はゆらがない。

この点インターネットが気楽なのは、馬鹿に対しては誰はばかることなく馬鹿という指摘が飛んでくることであって、まして「モヒカンの楽園」たるはてなであればその点に関してはまったく安心できるということが、ここにブログを開設しようと決めた大きな理由である。

わたしのどこが馬鹿であるかというと、脳内が最適化されていないということにつきる。平均的な日本人に比べて多少は知識を持っている、ということについてはある程度信じているが、知識の断片だけが無駄に脳内に詰め込まれており、それらを結合する理論がない。したがって、まともな文章が書けない。1000字に満たない長さの文章であっても、筋道が通らない。それで、ブログというかたちのもとに、自分の文章をひとつの体系としてまとめようとする気が起こらなかった。

しかし、ともあれこうして賽は投げた。どれだけの人に馬鹿と言われるかを楽しみにしている。

*1:そうした友人を作れるなら、わたしの現在の停滞もちがったものになっていたかもしれない。これはわからない。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』DVD発売前夜祭その2 『序』をどう見たか

コンビニでの店頭受け取りではなくamazonでの注文を選択した時点で、札幌在住のわたしのもとへDVDが届くのは26日になると覚悟していたのだが、意外にも23日に発送の連絡が来たので、25日の午前中には到着するだろう。劇場で合計6回『序』を見たけれど、それでも最後に見たのがちょうど半年前だから既に相応の時間が経過しており*1、また新鮮な気持ちがある。
改めて『序』を視聴するにあたって、これまでネット上でどのようにわたしがこの作品を語ってきたかをまとめてみる。

総集編?なわけないでしょ-Yahoo!映画作品ユーザーレビュー

http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id327253/rid65/p0/s0/c0/

あちこちで全く違うIDを使うことの弊害を、自らブログを書くことで確認することになろうとは思ってもみなかったけれど、ともあれこれは私が封切り日に書いたレビューである*2。興奮のままに書きつづって送信したから文章としては破綻をきたしているけれど、主張としては既にこの段階でほぼ固まりきっている。

ただ、今見直してみると、「テレビ版19話から26話までの要素」と書いたのは適切ではなかったように思う。その面がないわけではないが、むしろ「テレビ版19話まで」とするべきであった。以後、この主張を様々な場所で開陳することになるが、その時点において既に自分のブログで述べるべきであったのは、現在における反省点である。

(この項目続く)

*1:この点、最近の映画にしては劇場公開から間が開いた発売日の設定はある意味で巧みであったと思う。公式ブログを読む限り作業上やむを得ない設定だったとも思えるが。

*2:IDがti"l"pizなのは、正しいスペルが既に取得されていたから。であれば他のIDを申請すればいいものを、そこから逃れられない執着が欠点なのである。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』DVD発売前夜祭その1 『アメトーク』エヴァンゲリオントーク

「前夜祭」と題したところで、もう24日から早売りが始まっているのだけれど、25日の発売日に合わせていくつか書いてみたい。「日本で123,456番目のエヴァヲタ」*1を常々自称している身としても、このタイミングでなにも書かないわけにはいかないだろうという思いもある。まずはこのタイミングに合わせたのであろう、テレビ朝日『アメトーク』のエヴァンゲリオン特集回から。

芸人がアニメを語るということについては、既に各所でいろいろと語られているが、ここではそのこと自体については述べない。ただ、『ガンダム』に比べれば『エヴァ』はまだ知名度のわりにテレビ的に手垢がついていないぶん、地上波の番組で扱うには適した素材だなというのが見終わっての第一印象である。つまり、ファン内では一般的に知られているレベルのことを力を入れてしゃべったとしてもそれほど空回り感がなくて芸人にとっては扱いやすく、かつ視聴者にとってもネタとして消化できる範囲内にある。その点に関しては今のところ実にバランスの取れた位置にあって、キャストとスタッフの力量次第ではあるけれど、自分が思っている以上に地上波向きであるのかと思った。

出演者たちが本当はどこまで興味があるかはともかくとして、ネタとしての咀嚼の度合は十分に及第点だったろうし、それぞれが破綻無く自らの役割をこなしたと思う。ただ、加藤夏希はこのメンツの中に入ると弱いのは仕方なくて、彼女はどちらかといえば「林原党」だから、ピンでならともかくグループでエヴァを語る場では存在価値がない。可能であれば栗山千明を呼んで、芸人の中で一人だけの「ガチ芸」をさせられれば番組としてはより成功だったかもしれない。

今回一番賞賛したいのは、構成作家をはじめとするスタッフ。番組内で取り上げた映像の選択は実に見事で、「見せてもよい場面」と「視聴者が後に自分で見るべき場面」の選択、前者において「最も見せるべきシーン」の選択がそれぞれ完璧で、それらの場面を調理する芸人の選択にも間違いがなかった。加えて、「設定通り」のカチューシャ型のインターフェイスヘッドセットを用意した辺りの配慮もファンとして嬉しい。地上波番組におけるプロフェッショナルの仕事として手放しで賞賛していいだろう。

*1:日本の人口の上位0.1%程度には入っている自信がある。そんなもの(内容ではなく)比率として胸張れるかという点はおく。