『少女礼賛』に触れて、僕に生じた反応 ショートバージョン

第一印象は「あれ?なぜこのひとを」

web公開写真を数枚みるうち「いや、すっごく素敵」

数日後「ちょっとあざといのかな」

写真展で膨大な写真群の全貌に駆け足で触れて。

なにかに強いインパクトを受け、半日、ぼーっとしました。

買ってきた写真集を眺め、あとがきを読んで。
表現者としての彼女に
そして青山さんとの、幸せな循環に触れた気がして。
すーっとおちつきはじめました。

『少女』さんへのメッセージ・・・作品群『少女礼賛』との一週間の旅

写真家 青山裕企さんhttps://twitter.com/yukiaoの『少女礼賛』という膨大な作品群を一週間前に知り、大きなインパクトを受けています。

ひとりの女性(以下『少女』)を2年弱にわたり、ほぼ毎週撮影し、様々な形態で、それぞれ内容を適切に調整して、数千枚の写真を提示しておられます。

https://www.instagram.com/shoujo_raisan/

https://note.com/yukiao/m/m372cc44d2aae/hashtag/485447

https://www.youtube.com/playlist?list=PLb9GZULvssBq3IfcbcQRHcRcrEtZnRsMw

https://note.com/yukiao/m/m7065307a8c43

少女礼讃 | 青山 裕企 |本 | 通販 | Amazon

https://www.yukaihands-publishing.net/product-page/YHP-022B

など

 

青山さんが、『少女』へのメッセージをマシュマロで募集しておられました。

書いてみたら1500字を超えてしまい!2/3に刈り込んで投稿したのですが、削るべきではないところを削ってしまったようにも感じ。こちらにフルバージョンを掲載することにしました。

『少女』を聴き手として思い浮かべることで言葉になった、この一週間の心の変遷の記録です。

『少女』さんへ

『少女礼賛』を知ったのは、1週間ほど前。
第一印象は「あれ?なぜこの人を」だったのですが
数枚みるうち「素敵なひとだなぁ」
たちまち引きこまれました。

ある友人と相通じる魅力を、まずはあなたに感じました。
うまく言語化できないのですが
世界との距離感や、向き合いかたみたいなものが、似てる。
彼女と接していると、ぼんやりしたものがくっきりと像を結びます。
彼女に読んでもらうつもりで文章を書くと、思いもよらなかった的確な表現が、降りてくる。

実は『少女礼賛』の感想も、僕に生じた反応を、その友人になんとか文章で届けようとするうちに、ことばになってきました。


数日、webで無料公開されてる作品群を眺めるうちに
あざとさのようなものを感じはじめました。
青山さんが期待してる『少女』像を、あなたが汲み取り演じてるに過ぎないのか?そして反復増幅が生じてるのか?
僕がこの作品群に『期待』してるものが、ある。それは、なんなんだろう。


写真展に出かけ、膨大な作品群の全貌に駆け足で触れました。
『生き物としてのご自身』への素直さ、屈託のなさを強く感じ、うわぁ、素敵だなぁ!と。
過剰に掻き立てられたのでもない、対峙して装ってるのでもない、素直な気持ち良さが、写真に写ってる。

なぜか半日以上、ぼーっとしてしまいました。
お釣りが、あってるのか違ってるのか、さっぱりわからないほどに。

はじめに言葉になった想いは
「たとえ機会に恵まれても、僕はこの素敵なひとの、こういう表情を引き出せないだろうな」でした。
いじめてしまったり、支配しようとしてしまったり、してしまうんじゃないか、と。

僕の妻は、生き物を育てるのがうまい、素直でまっすぐなひとです。
けれど彼女に僕は、こんな素直な気持ち良さを感じ、まっすぐにあらわしてもらえる場をつくれているだろうか。

『少女』的なひとや要素に、僕は強く惹かれます。
瑞々しさ、屈託のなさ、愛らしさ、邪気のなさ、非攻撃性、、、
そして、
その惹かれる気持ちが、僕の欲望が、
『少女』をつぶしてしまうのでは、という強い怖れを抱いています。


僕が思春期を迎える頃から20代まで、
たくさんの少女ヌード写真集が、
ごく普通に書店に並んでいました。
僕より、ちょっとお姉さんだったり、若かったりする
素敵な少女たち。
幸福な経験として、歩んでおられるひともいる一方で、
つらい刻印になってるひとも、いるようで。
その真偽はわからないけれど、実際にお会いしたわけでもないけれど、
素晴らしい作品を残してくれた少女が、
そのせいで苦しんでいるのは、つらい。


かつてディズニーシーで
ブラヴィッシーモ!』という壮大なショーを公演していました。
鉄骨でかたちづくられた『火の精』と
噴水でかたちづくられた『水の精』が
出逢い、惹かれ、近づき、ひとつになろうとして
、、、水の精が消失してしまう。

火の精は、水色に輝きながら、夜のハーバーに1人佇み、
やがて、海の底へと沈んでいきます。

何百回観たのだろう。日々違う風と光の中で、繰り返されるショー。
火の精を、文明や、男性性や、エンジニアである自分に
水の精を、自然や、生命や、少女に重ねながら。


ぼーっとして、けれど寝付けないまま深夜、
写真展で買ってきた写真集を開きました。

あとがきを読んだ時、すーっと落ち着きはじめました。

なぜなのか、はっきりとはわかりません。
たぶん、
あなたもまた表現者であると知ったから。
あなたと青山さん、あなたと外界と写真とのキャッチボールがみえたから。
僕も案外、パートナーの素敵な表情を引き出してる瞬間があるのかもしれないな、気づいていないだけで。と思えたから。

『水の精』の側から、物事がみえた、ということなのかも。

僕の中にも、『少女』の中にもある
『火』と『水』の両要素。

掻き立てるのでもなく、蓋をするのでもなく、
対峙するのでもなく、取り込んでしまうのでもなく、
崇拝するのでもなく、賛美するのでもなく、
ありのままに、迎える。讃える。敬う。

そうしたら
火の精と水の精が、いつまでも仲良く共に居ることが
出来るのかもしれない。
僕は、そんな世界を期待し、望んでいるみたいです。


僕の、たぶん人生全般に及んでいる
根深い怖れと
その怖れを生み出している愛と願いに
そして願いをかなえる道に
気づかせてくれて、ありがとう。

あなたの描いた絵も、ぜひみせていただきたいなと願っています。
これからも、生命の神秘を、世界の瑞々しさを、あなたのおもむくままに生き、描いていただけると、嬉しいです。
素敵な人生を!

いやぁ、恋してしまいました。

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