- 空林閑語 -

2014-06-03

[] 後藤松陰、地引き網を歌う

  觀打魚

 一舟沈網擁浦淑  一舟 網を沈めて浦溆*1を擁し
 百夫牽綱轉轆轤  百夫 綱を牽いて轆轤を転ず
 綱盡網出牽悆急  綱尽き網出でて 牽悆*2急に
 斜陽明射萬跳魚  斜陽明射す 万跳魚
 大鱗收来方潑剌  大鱗収まり来て まさに潑剌
 散鬻不論兩與銖  散鬻*3 論ぜず両と銖とを*4
 小鮮委沙棄如土  小鮮 砂に委ねて棄つること土の如く
 村童俯拾供晩厨  村童 俯き拾ひ 晩厨に供す
 一瓢有酒對此快  一瓢酒有り この快に対す
 饞涎豈唯逢麯車  饞涎*5 あにただ麯車に逢う*6のみならんや
 買取作羹斫霜膾  買ひ取って羹*7になし 霜膾*8に切る
 城市所賣天淵殊  城市売る所と天淵殊なり
 嗟吾為口暴天物  ああ吾 口のために天物を暴く
 恐有高人發軒渠  恐らくは 高人の軒渠*9を発する有らん
 漁人四散吾亦去  漁人四散し吾また去る
 海光山色晩糢糊  海光山色 晩れて模糊たり

 魚つながりで、頼山陽の一番弟子の後藤松陰がやはり漁を歌った詩。『攝西六家詩鈔』に収められた「松陰餘事」から。こちらは海辺の地引き網の光景だが、詩の構成は先生のものとよく似ている。漁の様子を描いてから、それを肴に一杯やって、そして「やっぱりとれたては違うな」という感想。山陽先生は「錦や木屋町のものは鮮度が悪くてとても食えん」といい、松陰は「町で売るのと天と地の違い」という。忠実な弟子だった松陰が山陽の鮎漁の詩を念頭に置いていなかったはずはない。

 ただ、この詩にも細やかな人柄だったらしい松陰の特色は現れていて、村の子供が晩食の足しにと打ち捨てられた小魚を拾う様が描かれている。そして「ああ吾 口のために天物を暴く」という山陽にはなかった反省。「暴く」というのはここでは損なうとか荒らすという意味か。天然の物を食い荒らして、立派な人に笑われるだろうという。しかし唐突な感想だなと思ったら、杜甫に「又觀打魚」という詩があって、その結句「天物を暴殄するは聖の哀れむ所なり」を踏まえたもののようだ。

 そして、よく見ればこの詩自体が、師山陽の鮎漁の詩と杜甫の詩の両方のチャンポンと言えなくもない。とれたての魚料理を喜ぶかと思えば、一転反省の句が来るちぐはぐさ加減はそこから来ている。いや、杜甫にも上の詩より前に詠まれた「觀打魚歌」という詩があり、そこでは漁の描写とともにとれたて礼賛をしっかりやっている。だから、山陽の詩も杜甫の詩を踏まえて読むべきものだったようだ。ああ、漢詩というものの底知れなさよ。

 とはいえ、江戸の詩人たちはただ中朝の詩人たちの後追いをやっているだけでなく、特に時代が下ると自分たちの生活や個性を表現しよう努め始める。そして、江戸の詩を読む楽しさもそこにある。松陰の場合も、天物云々の口ぶりはいかにも借り物くさいが、「松陰餘事」には山菜野草への好みを表明した詩、また肉食の僧を批判した詩があって、淡泊な食生活をモットーとした人とも見えるから、この句にも意外に真情が含まれていたのかもしれない。

*1:ホジョ。浦辺。

*2:悆は忘れる、喜ぶ、ゆるむだが、それではちょっと。愈(いよいよ)の誤植?

*3:大胆に売りさばくこと。

*4:銖両は少しの目方。少々の目方の違いは気にしない。

*5:サンゼン。いやしく湧いてくる唾。

*6:麯車は酒を載せた車。杜甫の「飲中八僊歌」の「道に麯車に逢へば口は涎を流す」を踏まえる。

*7:あつもの。温かい汁。

*8:膾はなます。刺身。霜膾は霜柱のように細く包丁を入れたもの。

*9:笑うこと。

やすやす 2014/06/04 07:05 「淡泊な食生活をモットーとした人」…私は師匠や岳父同様、自身は食生活を楽しんだエピキュリアンだったかと思ってました。だってすっぽんの卵や甲羅(金弾烏裙)を美味しいなんて言ってます(笑)。http://cogito.jp.net/kanshi/shouin/shouin.html
更新楽しみにお待ちしてをります。

BiokovoBiokovo 2014/06/04 09:06 まあ、食いしん坊でなければこんな詩を書かないか。山菜好きだって立派な食い道楽ですもんね。
やすさんの松陰コレクションにびっくり。この人の書軸はたくさん出てるんでしょうか。

やすやす 2014/06/04 12:44 オークションには状態まちまちのものが時折出品されてくるやうです。
みな破格で拾ったものですが贋物とも思はれず、今後も楽しい内容のものがあれば入札するかもしれません。
さきの鮎の詩で思ひ出しましたが、同じ集中の「烏鬼詩」も江戸時代の鵜飼を描いてゐて貴重ですね。
http://cogito.jp.net/kanshi/shouin/GotoShoinShisho.html

拙サイト移転したもののスタイルシートの扱ひがわからず、減量移行して頂いた古本先輩に頼りっぱなし。
メモ帳で覗いては直せさうなところからいじってみようと思ってゐますが、いま瞥ただけでも訂正したい訓読が目につき嫌になりました。
なにとぞ長い目でお見守りくださいませ。

BiokovoBiokovo 2014/06/04 14:33 おお、『春草詩鈔』を公開されていたんですね。
実は、そろそろ翠雨についてまとめてみたいと、その師匠筋からぼちぼち覗いているのですが、松陰のまとまった詩集が古本にもネットにも見つからず、『攝西六家』で我慢しようと思っていたところです。訓点がないのが私には辛いですが、全画像ダウンロードしてタブレットでちびちび齧らせてもらおうと思います。

スタイルシート、私もずっとtableレイアウト一点張りでしたので、epubをいじるようになって、ようやく触るようになりました。最近はネット上の指南も豊富ですので、慣れれば大丈夫かと。

2014-05-29

[]頼山陽、鮎漁を歌う

  瀧生、我が社を要して、嵐峽、香魚を捕らふ

 縄聯木片截溪灣  縄 木片を聯ねて渓湾をたち
 一舟牽之勢彎環  一舟これを牽いて勢ひ彎環*1
 舟行漸疾繩漸曲  舟行は漸く疾く 縄は漸く曲がり
 驅得萬鱗聚岸間  万鱗を駆り得て岸間に聚む
 衆漁擲網爭神速  衆漁*2 網を擲って神速を争ひ
 魚隊驚亂路迫蹙  魚隊驚き乱れるも路は迫蹙*3
 大者跋扈落漁手  大は跋扈*4して漁手に落ち
 小者遁逃出網目  小は遁逃して網目を出づ
 溪光涵鱗腮帶黃  渓光は鱗をひたして鰓は黄を帯び
 苔氣沁膓腹含香  苔気は腸に沁みて腹は香を含む
 噞喁上串泣玉液  噞喁*5 串に上して玉液を泣き
 聶切下醤嚼蘭肪  聶切*6 醤を下して蘭肪*7を嚼む
 錦街樵巷寧無此  錦街樵巷*8 なんぞ此れ無からん
 翠鱗總化輭塵紫  翠鱗は総て化す輭塵*9の紫
 遇君佳招割芳鮮  君が佳招に遇うて芳鮮を割き
 始知香魚香如是  始めて知る 香魚の香この如きを

 『山陽詩鈔』巻之六から。江戸随一の叙事詩の大家頼山陽は、こういう季節の風物を写した詩でも、他の詩人とは違う念入りな描写をやっていて楽しい。ただ、他の詩人よりも晦渋げな表現も多めで、辞書やあんちょこ、ネットが近くにないとお手上げということも少なくない。ちなみにこの詩にはあんちょこは発見できていないので、読み下しや語釈はかなり危なっかしい。

 嵐山あたりの保津川の鮎といえば、今は愛好者による友釣りが専らだろうが、昔はこういう漁にたずさわる漁師もいたようだ。山陽のレポートはかなり具体的で、板切れをたくさん付けた縄を川に渡し、それを舟で円く引いて、岸に鮎を寄せ、そこに投網を打って捕らえたという。上流の亀岡あたりの伝統漁法と称するものは、川に張った網に人が水音をたてて鮎を追い込むというスタイルのようだが、それとはまた違うおおらかな漁法は魚影の濃かった時代ならではのものだろう。あるいは見栄えのするこの漁、とれたての鮎料理とセットで、すでに観光イベント化されていたのかもしれない。

 詩の後半はとれたてぴちぴちの鮎の姿と香り、そして料理の様子。串焼きと刺し身。串焼きの「泣玉液」が疑問。「玉液」とは茶や酒のことのようだが、「泣く」とはなんだ? 焼き鮎に酒が旨くてたまらん、てなこと? 刺し身(聶切)の方の「蘭肪」の蘭も「玉液」の玉と同じく美称で、肪はあぶら。ここはきれいな鮎の薄造りの様か。それにしても、山陽先生の形容は一々時代がかった大層なもので、もう少し素直に鮎の姿と味の美を表現できないものかと思ってしまうのは、漢文的教養から決定的に隔たり、その束縛からも自由になった現代人のないものねだりかもしれない。

 とはいえ、山陽の自在な詩才は、単に凝った形容を駆使するだけでなく、リアルな感想をも入れ込んで詩をいきいきしたものにする。錦の市場や木屋町の料理屋では知り得ない香魚のほんとうの美味に、山陽先生は初めて気づいたようだ。この詩が書かれたのは、先生が京都に鞍替えしてから11年も経た文政5年ということを考えれば、京都の食生活というのはこういう「芳鮮」に関しては恵まれていないものだったのかもしれない。「詩鈔」巻之五には松茸と筍を讃える「烹蕈」という詩があって、土ものについては十分楽しんでいたようだが。

*1:円を描くこと。

*2:漁師たち。

*3:押し詰められている様。逼迫。

*4:魚がかごを越えて跳ねること。

*5:魚が水面に口を出して呼吸すること。ここは鮎の串焼きのあの姿を言ってるんでしょうか。

*6:薄切り。

*7:かぐわしい脂。

*8:錦町と木屋町。

*9:輭紅塵中はにぎやかな都会の様。

やすやす 2014/06/02 16:41 「泣玉液」は串刺しの鮎の焼かれる態を描写したものでせうか。
ブログ更新お慶び申し上げます。

BiokovoBiokovo 2014/06/02 17:57 お恥ずかしい限りです。ここまで更新が間遠だと、もはや生存証明みたいなものかと。

「泣玉液」、そうですね、ここは素直に脂のしたたってる様子でいいのでしょうね。

2013-11-27

[] ある知人へのメール

電話をいただいていたようで、済みません。
忘年会のメールはちゃんと届いております。
例によって大阪までいくのが億劫なのでスルーしておりました。
悪しからずお察しください(汗)。

ところでついに、
秘密法案が衆院を通過、とか。
みんなこぞって反対しているなか、
安倍は国民をなめきっているとしか思えませんね、
経済回復という幻想を与えておけば、少々の窮屈さも我慢するだろうと。
要するに守銭奴に日本人が成り下がってしまったという、
ある意味それは正しい認識かもしれません。

若者が政治に喧々諤々で、
こんな下心見え見えの汚らしい法案なんか
提出する余地が皆無だった時代がなつかしいです。
海外ではまだそんな姿勢が健在のようで、
マット・デイモンが尖った朗読をやっているのをYouTubeで見ながら、
小田実が生きていれば何を言っただろうと想像したりしております。
http://www.youtube.com/watch?v=HUDpnZ8SNfw&sns=em
(右下に字幕ボタン)

今年は冬の訪れが早そうです。
ご自愛のうえ、いっそうのご活躍をお祈り申しあげます。

2013-08-14

[] 白山

 半年ぶりに山に登った。その山が真夏の白山日帰りというのは、今の自分には少々無謀だったようで、登りは山頂を前に足が攣りまくり、下りは熱中症の一症状なのか何なのか、途中から眼鏡越しの視野がぼやけるという変な状態に陥って、ただでさえ急な観光新道の稜線からの下降に難儀するということになった。要するに、日頃からコンスタントにお山参りを続けることが、山のご褒美を受け取る唯一の方法であり、その逆の横着な登山はお灸を据えられるだけだということを、改めて思い知ったわけだが、それでも三日たって思い返す白山がもっぱら美しいイメージに彩られているのだから、これはもう懲りない輩という他ない。

 もちろん山頂の火口湖群の紺碧の水面といまだに残る雪の白とのコントラストもよかったが、何よりもきれいだったのは路傍の花々。今年の白山は聞いたところでは花の当たり年のようで、特に砂防新道の黒ボコ岩手前辺りと観光新道の稜線コースでは、どちらも故障が発生する前だったこともあり、夢の如き光景に浸ることができた。それに弥陀ヶ原では、タイミングがよかったのだろう、これまでに見たことがないほど木道の両側にハクサンフウロが咲き乱れていたし、原を占領するコバイケイソウの白い花の群れもみごとだった。また近いうちに、今度は頂上は考えずに花を中心にしたルート取りで白山から別山へ回ってみたい、などというプランが頭のなかにうごめき始めているのだから、人間の苦難と愉楽の記憶の残存作用の非対称なこと、まさに知るべしだろう。
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▲砂防新道
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▲観光新道
 ところで今回観光新道で一番めだっていた花がこれ。青いベル型の花を連ねた花穂を何本も立てた立派な株がよく目を引いた。道行くおばさんに名前を聞かれたのだが、答えられなかったので帰って調べてみると、ツリガネニンジンの高山種のハクサンシャジンのよう。この種類、たいへん変異が大きいらしく、ここに写っている二株も、葉の様子がまるで別種のように違っているのが面白い。
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やすやす 2013/08/18 01:33 残暑お見舞申し上げます。私も家族の面倒を抛擲してこんな涼しさうなところへ飛んでゆきたいです(笑)。『茅野蕭々詩集』ありがたうございました。拙い紹介文を草させていただきました。

BiokovoBiokovo 2013/08/18 10:52 お暑うございます。愛犬の介護もたいへんそうですね。でも、ごん太君の安心しきった表情が印象的です。

電子本の丁寧なご紹介を賜りましてありがとうございました。おかげさまで、万一茅野蕭々の詩に興味を持つような人がいれば、この本へのネット導線は確かなものになったのではないでしょうか。後は、そっとそのまま置いておいて、電子書籍とEPUBの普及を待つことにします。

ところでTPPの秘密交渉とやらで著作権保護期間が50年から70年に延長されてしまうと、この本もしばらくお蔵入りということになりそうです。とんでもない時代になったものです。

2013-01-26

[] 庭のシモバシラの霜柱

 かなり以前にどこかのサービスエリアにあったのを買って帰って、ずっと庭の椿の下に植えっぱなしのシモバシラ。清楚な花穂から純白の小花がこぼれる、秋が楽しみな野草の一つだが、名前の由来になった枯れ茎に生じるという真冬の霜柱には、これまで一度もお目にかかったことがなかった。
 植えて一冬目、二冬目は期待して株元をのぞいた記憶はあるものの、毎度空振りに終わると、そんな現象は冷え込みの厳しい山中の自生株では見られても、こんな庭ではどだい無理なのだろうと、その後はそんなこともすっかり忘れていた次第だ。
 だから、年末に純白のレースのような氷を何重にもまとっているのをたまたま見つけた時は、ちょっと昂奮するとともに、その見事な出現の具合に、あるいは毎年それなりに出来ていたのを思い込みで見逃していただけのことではないかという疑いも浮かんだのだが、果たしてどうだろう。いや、やはり晩秋からほとんど緩みなく続いたこの冬の特別な寒さがもたらした、暖地の庭では稀な現象に、今年はうれしくも遭遇できたのではなかろうか。そう考えたい気持ちが強いのだ。
 厳冬の朝の清さよシモバシラ

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やすやす 2013/01/28 09:48 ふとみればたつやブログに霜柱。お帰りなさいませ。

BiokovoBiokovo 2013/01/28 22:03 半年ぶりのブログにコメント頂けるとは、なんたる幸せ。
でも、後がつづかない‥‥

2012-08-27

[] 山田翠雨墓

 ちょうど五条坂陶器市の最終日だったから2週間以上前になるが、ようやく地元の漢詩人、山田翠雨翁の墓へ参ることができた。墓所の長楽寺は京都円山公園の南側に沿う道のどん詰まり。日が傾いてなお熱気が淀む京都の街を、拝観時間を気にしながら東山に向かって急いでいると、一気に汗が吹き出してくる。塋域へは本堂への階段を上りきって、さらに小暗い山道を少したどる。受け付けのお坊さんがわざわざ市街一望の絶景地だと言ったのもうなづける、東山の山腹に危うく張りついたような墓地だった。

 入り口で水を汲んで墓石の間を進むと、探すまでもなく立派な山陽先生の墓の前に出、そのすぐ奥に翠雨翁の墓石が見つかった。以前、岐阜の詩人中嶋さんからお教え頂いた通り、周囲の雑木に隠れて少々荒れた雰囲気。この様子では長らく縁者が参ることもなかったのだろう。薄い地縁ながらと、少し掃除をさせて頂く。枯れ木や朽葉の始末は何とかなるが、墓石を囲んだ石の柵が傾き乱れているのはどうにもならない。藪蚊にせっつかれて結局さほどのこともできなかった。

 昔の墓はそういうものだったのか、持参した一束のしきみを立てる場所が見つからないので、水鉢に水を張って根を石で抑えてどうにか生ける。線香が立つような深い穴もないので、墓石の台に置く。これは山陽先生と竹外酔士の洒脱な墓へも。その山陽墓のすぐ横にきれいに並んで翠雨墓はあり、墓石の姿もよく似ているので、まるで師を慕って周囲に眠る文人たちの一員のようだが、よく見ると間には仕切りの石があり、墓域ははっきり分かれている。一つの土地に睦まじげに寄り添う山陽ファミリーからは外様といった格好だ。それでもこうした奥津城を望んだ老詩人には、「頼山陽の時代」に遅れてしまった青年の憧れが生き続けていたのかもしれない、などとぼんやり考える。

 最後に、展墓の一番の目的だった背面と右側面に彫られた墓誌銘の写真を撮って墓前を離れた。その時再確認した詩人の命日、明治乙亥八月五日は明治改暦後の日付だろうから、奇しくも百三十七回忌に五日遅れの墓参。墓誌銘を読み下したものを今度いつ行くかわからない墓参の記念に置いておこう。撰者の宮原龍、号節庵は、藤井竹外などと同世代の頼山陽門の人。山陽没後、昌平黌に学んだ後、京都に戻って私塾を開いていた。翠雨とは九つ違いだが、都に門戸を張る先輩として親しんだのではなかろうか。著書に『節庵遺稿』があり、近代デジタルライブラリーで公開されている。この墓誌銘も巻二に含まれているが、異なる部分がかなりあり、下書き原稿と思われる。

「翠雨翁、姓は山田、諱は信、字は義卿、一に鷯巣と號す。攝州八部郡中邨の人。其の先、橘氏と為す。家世、農を為す。祖仲三郎、諱は某、二子有り。伯、市兵衛と為す。家を嗣ぐ。季、慶純と為す。醫を業とす。箱木氏に配す。一男を生む。即ち翁と為す。幼きより学に志し、大阪に遊ぶ。師、松陰後藤氏。又京師に遊ぶ。摩嶋松南に贅を執る。後に常に京阪の間を往来す。黽勉、経史に力を用いる。父の疾を聞く。星馳、帰郷す。病、已に大いに漸む。終に起たず。翁、嗣と為る。家に在っていよいよ勤め、學を怠らず。遂に居を移して、京師に帷を垂る。四方、笈を負うて来たり従う者多し。しばしばシン紳の辟に値うも、皆就かず。明治中、美濃郡上、青山君、其の賢を聞き、之に師事せんと欲す。厚禮、之を聘す。翁、其の殊遇に感じて、決起して召に應ず。之に居ること三年。老いを扶けて帰京す。疾に罹りひとたび帰郷す。而して未だ期年ならずして又入京す。疾いよいよ篤し。終に起たず。明治乙亥八月五日没す。享年六十一。東山長楽寺に葬る。翁、人と為り、重厚寡欲。人、其の善詩有るを最も稱す。著す所、翠雨稿。先に近藤氏に配して一女を生む。後に故有って之を出す。而して女、某氏に適く。継室、中西氏、子無し。門人等と相謀りて碑銘を余に索む。蓋し其の遺嘱と云う。余、舊識の誼有りて辞さず。其の概畧を叙して銘を以て係ぐ。銘して曰く。『寡言力行、敬以て内を直す。講學論徳、義以て外を方にす。衆、詞翰と稱するも、君子の餘事。』明治乙亥十二月友人宮原龍撰并びに書。」

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やすやす 2012/09/10 22:50 新潟のビジネスホテルからコメントです。本日は鉄斎研究家の野中吟雪先生のお宅で小一時間、すばらしいコレクションの極々一部を拝見させて頂いてきました。西岡さんの事が真先に思ひ浮かび、何か更新されてゐないか久しぶりにブログをお伺ひしたところ、念願の掃苔記をみつけて喜んでをります。

BiokovoBiokovo 2012/09/11 00:38 お久しぶりです。ようやくお参りをしてきました。掃除もちょっとだけ。それにしても当時の大詩人のすぐ隣に肩を並べて、というのは、何というか思い切った墓所であったはずで、色々と経緯を想像してしまいました。
野中先生の鐵齋旧蔵本の表紙絵、面白いですね。色んなものにじゃんじゃん絵を書いてしまう人だったみたいですが、本にまでとは…。何か書いてありますね。此冊今にか○也??

やすやす 2012/09/11 03:58 「此冊今得る可らざる也」とあります。中の落書きには「著者は書を読むも博からず」なんて(笑)。出張の折にはまたお伺ひできたら嬉しいです。招じ入れられるとは思ってみなかったので今度はきちんと御土産持って参ります(汗)。

BiokovoBiokovo 2012/09/11 10:09 ああそうか、全部漢字か(汗)。野中先生の鐵齋コレクション、リストを見るだけでも面白そうですね。

2012-04-19

[] 氷ノ山

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 すでに一週間前のことになりますが、今年2度目の横行渓谷からの氷ノ山へ。たぶん今年初めての快晴の空の下、前回と同じ大屋川源流コースで山頂をめざしました。ところが山頂に着く頃には北から暗雲が押し寄せ、一気に陰鬱な空模様に変わってしまいました。せっかく雪に恵まれた今シーズンなのに、春山らしい和やかな日和にはなかなか出会えません。

 けれど、ブナに覆われた大屋川源流の素晴らしさはどうでしょう。登るにつれて三ノ丸東尾根にかけての原生林の眺めが広がり、振り返ってカメラを構える時間が多くなります。稜線からの小尾根が連なる源流部がすべてブナの楽園です。こんな所にテントを張って、あちこち滑ったり転んだりして遊び歩いたらさぞ楽しいことでしょう。

 気温が上がって雪が腐り、下りはブルドーザーのように雪を掻き分けながらの滑りになりました。林道の雪も前回にくらべて下部では汚れ、途切れがちになり、前回よりずっとくたびれて車に戻りました。早く除雪が入って、長い林道をパスできればいいのですが、今年の雪の量ではそれも望み薄かもしれません。

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2012-03-25

[] 氷ノ山

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 2005年に匹敵する豪雪の年になるのではないかと思われた1・2月の寒さと降雪の後、3月は一転して温かく雨勝ちな気候となってしまいました。ぐずついた週末が多く、雑事も加わって、どんどん融けていくだろう雪を心配しながら、指をくわえて山を思う日々が続きました。

 この週末も北は荒れ模様。3月も終盤だというのに、氷ノ山へは途中敗退の戸倉コース一度のみ。かくてはならじと、晴れマークのついた木曜に、シーズン後半定番の横行コースへ出かけました。

 横行林道の除雪は例年通り山小屋のある橋の手前まで。その先は去年をはるかに凌ぐ深い雪におおわれていました。1時間ほど行ったところで、朝早く出たらしい山スキーヤーが気持ちよさそうに林道を飛ばしてきました。そのトレースを追って分岐からは三ツ滝方向へ。

 去年初めて歩いた三ツ滝からの源流ルートですが、滝を右岸から恐々トラバースして越すと、広々した谷が広がり、手つかずのブナの原生林のなかを気持ちのいい登りが続きます。このルートを知ってしまうと、わざわざ大段ヶ平まで遠回りして登る理由はなくなってしまいますが、流れが現われ始めるまでの期間限定ルートでしょう。

 去年は先行のトレースを追って、最後の二股から右股の左岸尾根を登って山頂に続く大雪原に出ましたが、今回はさきほどのスキーヤーが左股の谷をあくまで詰めているのに従って、この谷が発する氷ノ山と二ノ丸の鞍部をめざします。稜線が近づくと、いつの間にか雲に閉ざされた空から冷たい風が吹き下ろし、雪面が固くなってきました。

 もう十分に空腹で、山頂を後回しに、稜線の下で風を避けつつ、急いで昼食とします。気温も下がっているようで指が凍えます。食後は山頂へ一登りのつもりでしたが、もうそんな気もなくなり、そそくさとシールを剥がして退散。といっても、ガリガリになった雪面はへっぴり腰スキーでは手に負えず、先行者のシャープなシュプールを横目に、急な斜面は横滑りでそろそろと源流へ下ります。

 しばらく下って雪が柔らかくなると、スキーを回すのが楽しくなります。滝が近づくと右岸斜面に移り、急斜面を雪を切ってトラバースしていきます。スノーシューでは足を置くのも大変な斜度でも、スキーの金属エッジならしっかり食い込んで安心して進めます。

 林道に出ると、後は傾斜にまかせてのんびり滑って駐車地へ。時期的に最初で最後かと思って入った横行コースですが、この雪の量なら4月半ばまで楽しめそう。もう二、三度は遊ばせてもらたいものだと、気分よく横行渓谷を後にしました。
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2012-02-14

[] 戸倉峠から三ノ丸、途中まで

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 日曜は今季初めて山スキーを履いて、この時期定番の県境尾根ルートへ。入山口の戸倉トンネル東口には背丈をはるかに越す雪の壁ができています。林道も目覚ましい積雪深で、旧隧道から古い峠道に入る所では、トンネルの間際まで進んで少しだけ登って峠道に入るという、これまで見たことのないルート取りでラッセル跡が続いていて驚きました。トンネル道が数メートル嵩上げされてしまった感じです。

 峠の先までは先行者二人のスノーシューラッセルに助けられましたが、それを外れると一気にペースダウン。ぽくぽく林道を辿り、十分過ぎる雪に埋まったいつもの谷を登って、県境尾根に乗った時には既に正午を過ぎ、時間切れ敗退確実になっていました。

 驚いたことに県境尾根にはスノーシュー二人組のラッセルがまだ続いています。そのパワーに引っ張られるように1時間ほど旧三ノ丸あたりまで進んでみましたが、シャリばてダウン。空からか枝からか細かい雪が降りしきる下に座り込んでお粥を煮ながら、この冬の厳しさを噛みしめました。上部の雄偉なブナ林との再会はまた今度。今回は雪をたっぷりまとった植林杉がいい表情を見せていました。
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朧月夜の槿朧月夜の槿 2012/02/16 22:18 お邪魔致します。

冬山の厳しさは、きっと想像を超えるものなのでしょうね。
それでも惹かれてしまうのですが。

有難うございました。

BiokovoBiokovo 2012/02/17 11:10 歩き慣れたコースでも、新雪の深い時は倍以上時間がかかったりします。今年はどの山も大変そうですが、たくさん積もった雪は長い春山の楽しみを保証してくれもします。

2012-02-01

[]明神平

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 28日は1年ぶりに明神平へ。今年の登山道の雪は深く、途中から早々とスノーシューをつけてガスと寒風の平に登り上げました。そのまま前山の大斜面をめざすと、霧氷を全身にまとったブナが次々にガスの中から立ち現われて、夢幻の世界をさまよっているような感覚にとらわれます。快晴の日の明神平は、青空に純白の霧氷が輝き、登山者に至福の時間を与えてくれますが、こんな天候の日の明神平にも得難い喜びがあります。自分の存在が風景に溶け込んでしまうような、大袈裟にいえば究極の「心物一如」の感覚と言えばいいでしょうか。

 もっとも、心は風景に溶け込んでいても、身体はそこにあって凍え切っていますから、さすがに今日の昼食は、ツェルトを張ってその中にもぐり込んで摂ることに。風の音を聞きながら湯を沸かしていると、ようやく指先に感覚が戻ってきました。食後は気合を入れ直して寒風の稜線に上り、三塚分岐から右に振りつつブナの尾根をゆっくり下っていきます。右手には奥山谷源頭の谷をはさんで、ガスの中にブナの古木林がまるで太古の風景さながらに見え隠れしていますが、今日はさすがにそこまで足を伸ばす気になれません。こちらの尾根にもブナ・ミズナラの古木が多く、霧氷の衣で一層迫力を増した幹々の間、繊細な純白の天蓋を広げる枝々の下を、スノーシューに乗って夢見るように下って行きます。こんな時間があるから、厳冬の明神平には毎年一度は訪れずにいられません。

 心当てに下り着いた明神平の水場の谷は、あれ、少し印象が変わっています。よく見ると、雪の下にはかなりの数の倒木が横たわっている様子。昨秋の台風の爪痕でしょうか、古木が倒されて空が大きく開けている場所があります。この後、この気持ちのいい谷がどう変わっていくのか、少し心配しつつ明神平に登り返し、帰路につきました。
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やすやす 2012/02/01 20:19 ブルブルッ。単独行でせうか。詩人でもないと、こんな日の山行の「良さ」なんてなかなか書けるもんではありません、よね。

BiokovoBiokovo 2012/02/01 22:26 寒い時に寒い寒い写真をご迷惑でした。これじゃ詩人というよりも、山に痴れた痴人ですね。
山は美しいのですが、いま北の山村は大変そうですね。2006年以来の豪雪になるのでしょうか。

朧月夜の槿朧月夜の槿 2012/02/13 11:40 こんにちは。
3枚目の写真は、桃源郷です。
「山の印象」度々訪問させて頂いております。山と空の写真は、思いきり堕とされますが癒されます。
いつも酸欠状態になると、駆け込ませて頂いております。
有難うございますm(__)m

朧月夜の槿朧月夜の槿 2012/02/13 14:35 ああ、4枚目でした。
素敵だなぁと思いながらいたのですが、もう一度見たくてお邪魔しましたら。

それしても、冬の山の厳しさとそこに在る樹と、… 
恥ずかしくなります。

BiokovoBiokovo 2012/02/13 23:59 ありがとうございます。
霧氷の最盛期の明神平は、ほんとに夢の如き世界でありますね。
ただ、夢でない証拠にしばらくじっとしているとたちまち手足が凍えてくるので、大急ぎで写真でその片鱗をかすめとって帰って、こうしてささやかに再体験するというのがこの季節の楽しみになっている次第です。

「山の印象」、放り出してもう随分になりますが、まだ訪れていただくことがあるとは嬉しい限りです。
電子書籍の自主出版の可能性がもっと広がったら、ああいう写文集のようなものを編んでみるのも面白いかもと考えています。

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