筋肉痛でお休みモード・多摩川サイクリングロード

※いくつか前のエントリから、クリックで別タブに写真拡大するようマクロを修正しました。
20090426t0120090426t02
基本的にKQ派ですが、利用頻度は京浜東北のが上かも。
東海道も嫌いではないですが。
 
20090426t04
自宅から第一京浜で川崎を通過。多摩川を渡り、サイクリングロードに入る。
 
20090426t06
基本的に土手の上なので景色は良いが、荒川と比べると断然道幅狭い。
風に煽られて逆風では進まないし横風でふらつくし追い風では30km/h越えるし、しんどい。。。
 
20090426t07
休日人大杉うぜー
 
20090426t08
とにかく今日は風が強くて。
 
20090426t09
東横線ですかね。
 
20090426t10
東急東横線多摩川駅を過ぎるとサイクリングロードは終わり? 車道を走行。
 
20090426t12
交通量が多いので、土手寄りの道を進んで気がつくと二子玉川に着。
 
20090426t11
ニコタマはちゃんと駐輪場があるようです。電車で帰ります。
 
20090426t13
ニコタマのホーム西寄りからは多摩川のビューが綺麗ですね。
 
20090426t15
リア充のみなさま
 
20090426t14
カッコいい大井町線の急行で自由が丘を経由して帰宅。

雨の休憩日を挟んでもまだ筋肉痛が残っていて、軽く流すつもりが、追い風に煽られてけっこうスピードを出してしまった。
本日の走行距離29.57km

祖母と二十世紀

傍観者の時代―わが20世紀の光と影 (1979年)

傍観者の時代―わが20世紀の光と影 (1979年)

いつものごとく、昔とは違って、つまり昔なら本に傍線を引くのだけど、今はmovatwitterに打ち込む、ということをしていたら電池が虫の息。途中で諦めた。
傍線の場合もそうだけど、あとで読み返してみると、なんでそんなところに傍線を引いたのだか分からない、ということが多い。そうでない場合もあるけれども、傍線部単体できちんとアフォリズムを形成しているケースはむしろ稀れ、敢えて読み返してみてもなんすかこれ、になることが多い。ちょうど好きな曲の歌詞だけを抜き出して文字にしてみても、曲を知らなければなにも伝わってこないケースがほとんどであるように。
そう思っていたのだけど、でも読書をした経過の実況そのものは、集めて並べると、それはそれでそれなり(http://d.hatena.ne.jp/Blue-Period/20090202/1233582797)と感じることもあり、だから傍線より優れているし、読書のたびに小さなPCの電源を入れるなんてことは考えられないから携帯が良い、ということで、電池管理はもう少しなんとかしないと。

  • 「私たちの誰もが、戦争が終わるなどとは夢窓だにしていなかった。事実、私と同じ年頃のどの子供も、「大人になったら」というのは「召集されて戦地に送られたら」ということだと心得ていた。約6時間 ago from movatwitter
  • 「祖母のこういった態度は、自分の住んでいるアパートのすぐ近くの街角に立っている夜の天使に対してさえも変わらなかった。誰もが見て見ぬふりをしている中で、祖母だけはいつも親しげに「今晩わ」を言い、「それにしても風が冷たいわね、リジーさん。スカーフをお持ち? しっかり被っていら ...約5時間 ago from movatwitter
  • っしゃる?」とか何とか声をかけるのが通例だった。約5時間 ago from movatwitter
  • 「それに第一、私は男じゃないのよ。約5時間 ago from movatwitter

あと、これ、

有吉弘行の「ブレイクするっていうのはバカに見つかること」は至言で、最近の流行の大体は、「ユーザーに発見させたようにみせること」で成り立つ。東方しかり、ひぐらししかり。自分らが見出した面白さといったような共有意識が一定量を満たすと跳ねる流れがある
http://twitter.com/igi/status/1612350581

へぇぇそういう読み方ですか・・・というか、東方とかひぐらしとか知らないけど、もう自分の読書が完全に追いかけ型になっている・・・つまり、書店をうろちょろとかはしなくなっている・・・そういうの、自分で見つけた感のないことの憂鬱感覚はある。『世界の終わり〜』は自分で見つけて読んだ。でも、それは日本一の流行作家の本だと知った、とか、分裂勘違い君劇場を自分で見つけて読んだ、でも、それははてなで話題の釣り師でもある(だけじゃないにせよ)ことを後で知った、とか、そういうの。

この本自体はハックルさんの記事で興味を持って、標題の章だけまず読んだ。
 
「それに第一、私は男じゃないのよ。」と祖母は言う。
 
娼婦をとりあげる男子作家は多いのだけど、またそんな作家や作品を愛する男子ブロガーも少なからずだと思うけど、そういう人たちより強いのは、
 
「それに第一、私は男じゃないのよ。」
 
バートンフィンクに出てくる、私設秘書を装いながら実は作家であったオードリー、とか。
あと、 とか。

祖母はつねづね、とりようによってはおかしな忠告を孫娘たちに与えていた。「お前たち、外出する時には必ずきれいな下着をつけていくんだよ。何が起こらないとも限らないからね」 孫娘の一人が面白半分、腹立ち半分で反駁した。「でも、おばあちゃん、わたしそんな類いの女じゃなくてよ」
「自分がどんな女か、その時になってみなけりゃ判りはしないよ」