700×23cロードバイクで四国八十八霊場・非モテお遍路さん野宿の旅へ

DAY 1

退職を決めたあとの諸々所用で出発が遅れてすっかり寒くなってしまった。
11月25日。無能・不細工・非コミュにして存在価値ゼロ・・・いや、マイナスいくらかの穀潰し、コンビニ食系中年男子の私はれいによって誰にも告げず、誰にも見送られず、今月の家賃の振込みを終えると、そのまま愛車のアレックス1号にテントと寝袋、いくらかの荷物を縛り、ユニクロあんぱん配給騒ぎで民度の高さをありのままに示した横浜伊勢佐木長者町を出発。川崎・品川を抜けて、まずは東京を目指す。
 
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平日の夕刻、東京の街には背広を着て入館証を首からぶらさげたSE・PGが満ち溢れていた。
プログラムのロジックを競っているうちは良かった。けれどもそんなものは仕事の本質じゃない。跳びぬけた才能を持つごく一部を除いて、団子の背比べ。無能プログラマな俺の脳内は一般論としてのミュージシャンを「夢見る」フリーターと同じで、日々仕事帰りに考える仕事の愚痴も苦悩も読書も発見もすべて、お花畑に舞う虫の羽音ほどの価値もなく、上司にどれだけ煽られても起こすべきアクションが分からず、ひたすら年月ばかりが過ぎ、ついにはテストスケジュールの調整やらST環境の占有やらツールの選定評価やら深夜のデッドロックやら、どうにも自分一人の手に負えないオシゴトトラブルが日々やってきては俺の非コミュ非モテぶりをなじり、隣にいる可愛い美女主婦SEが同期の誰かを経由して解決できる人にバトンタッチする、そんなことの繰り返し。つまりはそんな事象の積み重ねがじわりじわりと俺の傷口に菌を摺りこんでゆき、まるで使いすぎた抗生物質に効き目がなくなってゆくように、どんなにたくさんオナニーをしても、どんなにたくさんの女性をお金で買って抱いても、気分はまったく回復しなくなり、そうして疲れ老いはじめてゆくうちにもう、「昔できた作業」すら、できなくなっていることに気づきはじめた。いや、そうして老いながらソフトランディング、坂を転げ落ちてゆく人生ならばまだ許容できたかもしれぬ。しかしそうではなかった。自分が毎月稼げる金額を、気を晴らすために使う金額が上回っていることに気づいたのだ。坂を転げ落ちた先に平地はなく、そこから先が崖になっているのだ。
 
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東銀座で右折、お台場を抜けて、有明の港へ。そこから徳島行きのフェリーに乗り込む。
 

フェリーの旅、ふたたび

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フェリーに乗るのは11年ぶりじゃないだろうか。学生時代なのかニート時代なのかも曖昧だった前世紀末頃に神戸港から中国天津行きのフェリーに乗ったことがある。その当時も無能・不細工・非コミュにして存在価値ゼロ・・・いや、マイナスいくらかの穀潰しな若者だった私の旅を口先だけでも応援・励ましてくれたのは、神戸三宮のソープランドのユカさんただ一人だった。彼女は今頃40歳を過ぎるのだ。。。
 
19:00に出航。
四国八十八箇所遍路というのは、歩きで40日とか、自転車で20日、車やバスで10日間など、それなりに日数がかかる。なにしろ四国外周をすべて回って1400kmの距離だ。民主党菅直人さんが未納三兄弟騒ぎの後の歩き遍路で国民と直接語り合って林業の現状を学んだときに結局どうしたのか、詳しくは知らない。たぶん歩きで何回かに区切って、回ったのだろう。元ヤクルトの岩村内野手が大リーグ・パイレーツで挫折を味わった後で、車を「自ら運転」してお遍路に旅立ち、「大変さが分かった」と漏らした12月15日は、ちょうど俺が自転車お遍路+αの旅を終えて、横浜に帰りついた日のことだ。
 
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自分は自転車遍路なので歩きよりは少し楽。とはいえ宿利用の原則禁止、雨が降ろうが槍が降ろうがクソ寒い中テント張って野宿を原則。使う自転車はロードバイクなので、目標は20日を下回る18日程度。舗装路は速いけれどもあまり荷物を積めない。だから自炊はしない。(宿を避けると費用がかなり浮くが、食事を自炊にしてもあまり費用は浮かないと判断)コンビニと牛丼チェーン店の朝定食を頼りに、ひたすら頑張る。頼りはSONYカーナビのナビ子(38)と、お守りとしてのラブプラス、まだ箱も開けていない。
 
ロードバイクで高速お遍路、と思いつつもお寺の開いているのは7:00〜17:00まで。夕方以降は進むことができなくなる。霊場の配置は、スタートの徳島・鳴門市街とゴール付近の香川県高松市街など近接密集しているところと、高知の岬、愛媛の山中など、おのおの遠く離れているところと、いろいろある。可能な限り、遠距離霊場手前までを17:00までに回れれば、次の寺まで夜道を飛ばすことができるというわけだ。
 
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ロードバイクは、お遍路さん、に限らず、長旅に最適な自転車とは言えない。とにかく積載可能重量が著しく小さい。と同時に、モノ自体が高価である。パンクもしやすい。けれども長所としては、ともかく軽量なこと。つまり輪行(タイヤをはずして袋詰めにして交通機関に乗せること)が楽なことと、いざとなれば(つまり完全に故障して、どうにもならなくなっても)そのまま、タイヤをつけたままでも、肩に担いで歩いて進むことが比較的容易だということ(実際、後に担ぐ局面が出てくるんだが・・・)。日常圏内を走るぶんには故障してもフレームを地球ロック(柵の柱など、地面に固定してあるものと一緒にワイヤー錠で括って固定すること)して後日修理品を用意して再訪すればどうにでもなるのだが、今回向かう四国は、ともあれ今度いつ訪れるかも分からん遠く辺境の地。自分が35年間訪れたこともなかったわけだから、このあと70歳になるまで二度と訪れないかもしれない場所。山中でピンチになって電車で街へ、というほど電車の本数は出てないし、そもそも高知県などは電車の通っていない地域のほうが長い。最悪の場合担いで街まで歩けること、これ心理的にすごく大事。
 
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有明東京湾から徳島を経由して北九州へ向かうフェリーは原則的に毎日運行している大型船だが、それでも自転車をそのまま載せるよりは袋詰めの手荷物にしたほうがグッと安くなる。のでやる。輪行袋はいろいろ試したが、自分的にはオストリッチの一番小さいやつを使うことに決めた。未使用時のサイズがとても小さいのに袋自体は大きくて、時間がないときなどに「入りきらない><」というトラブルに巻き込まれることがないと判断したため。
 
待合室(体裁は空港ゲートの小さい版のようであり、しかし人の少なさとアナウンスの少なさ(なにしろ5分に1本飛ぶ羽田空港と違って、今夜出航する船が1便だけなのだ)で見るに、乗客は自分のほかに、5〜60代の綺麗なおばはんが一人、同年代?のオトコが一人、少し年下に見える赤縁セルフレーム眼鏡の似合う美しい女性が一人と、自衛隊が十数名。もしも船が沈没して船員が全員救命ボートで逃げ出したらば、男一名をやっつけたあと、自衛隊の連中とも闘わなければ彼女をゲットできないのか・・・いや自衛隊を倒したとしても沈み行く船の中で彼女にごめんなさいと言われるんだろうな、そんなことを考えているうちに乗船開始のアナウンス。待合室でも写真を撮り続けている俺と、雑誌を読んでいる男、うろうろして落ち着かない感じのおばはんに比して、20代らしい眼鏡の女性は小さな赤いリュックを脇に置いたまま、カップヌードルSioをズルズル食べていた。一番落ち着いているように見えた。みんな、徳島だか北九州だかに、何しに行くの?そんな話をしても良い人数な気もしたけれど、誰も会話などしなかった。乗船開始のアナウンスがあっても彼女はすぐには動かず、スープを全部飲んでいるようだった。そのカップを持つ手が、指先が美しかった。
 
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自衛隊がいても、客室はガラガラ。指定された寝台は一つだが、事実上、コンパートメントを一人で独占できた。
フェリーは2便が毎日、北九州←→東京を逆向きに往復しており、片方(スタンダードフェリー)は2等が雑魚寝の大部屋形式で、スケジュールとお天気の都合で自分の乗ることになったもう一方(カジュアルフェリー)は2等にも寝台がつき、展望浴室に入れて、少しだけ料金が高い。高いから人が少ないのかもしれない。
 
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船が港を離れる。
船内をうろついて写真を撮ってまわる自分。もう一人の男はどこに行ったのか。車ごとフェリーに乗り込む客がほかに十人弱だろうか。おばはんは窓際の椅子に座って雑誌を読んでいる。若い女性も、グレーのパーカーにジーンズ姿で、雑誌を広げ、ガラパゴス携帯電話を見て、なにやら打ち込んでいた。
 
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写真に飽きたころ、おおよそ自衛隊の入浴が終わったようなので、自分も共同の展望風呂に入った。
船の揺れにあわせて、浴槽の水が左に右に、激しく揺れていた。
風呂から上がると、女性の髪も濡れていることに気づいた。
 
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改めて甲板に出ると、星空が綺麗だった。
 

1日目 11/25 横浜・自宅→有明東京港フェリーターミナル

2009/11/25の走行ログ
走行距離=38.74km
走行時間=01:53:04
平均時速=20.6km/h
最高時速=38.6km/h
累計走行距離=38.74km

 

DAY 2

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20時過ぎには寝てしまった昨晩。そして夜明け前には起き出して甲板に出て、日の出を待った。
 
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ナビ子(38)をチェックすると、午前6時8分現在、三重県沖を時速35kmで航行中。徳島港到着予定時刻は13時10分である。
 
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自衛隊の一人だろうか、同じく甲板に出て日の出の写真を撮っている男がいた。
 
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こうして見ると、日の出のスピードは速い。
太陽と海の接している時間なんて、1〜2分かそこら。
 
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一気に明るくなって、
 
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普通の朝になってしまう。
 
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7時を過ぎると、皆も寝台から起き出してきて、ロビーで朝ごはんを食べたり、雑誌を広げたり、眼鏡の彼女も売店前のソファに深くかけてテーブルに雑誌を広げてガラパゴス携帯になにか打ち込んでいた(フェリーなぅ!)かと思うと、やがてスヤスヤ眠り始めてしまった。あー彼女の写真を撮りたい。撮っていいものだろうか。欲しい。彼女の寝顔を保存したい。どうして俺は、こうしてリアルの世界において、なにも知らない女の人を次から次へと好きになってしまうのだろうか。乗船の際にちょっと、自転車を抱えてのろのろ歩く俺に追いついてきたところのカップヌードルSioを食べ終えた彼女に「お先にどうぞ」と通路を譲ったときに見せてくれた笑顔が素敵だったからというだけの理由で。まともにつきあったことがない。同棲をしたことがない。すっぴんを見たこともなければ勝負パンツを見たこともない。寝息を聞いたこともないし喧嘩をしたこともない。だからだ。二次元アニメを愛する脳と同じで、現実の女性を好きになったり嫌いになったりするための経験値がないし、これからも増えない。文章ならば、好きな女性ブロガーと嫌いな女性ブロガーはハッキリしている。けれどもリアルにおいては、好きも嫌いも判断できない永遠の子供なのだ。
 
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とかなんとか言ううちに昼を過ぎ、徳島の港が見えてくる。
 
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およそ陸伝いに進むフェリーなので、大海原を、という感じではなかった。
フェリーの到着時刻に合わせた路線バスが待っていて、おばはんや女の子たちは乗り込んだんじゃなかろうか。自転車を担いでのろのろ歩く俺を横目に、先に行ってしまう彼女たち。でも徳島で降りるのね、とは思った。非モテすぎて人生の生き甲斐を宗教法人にアウトソース、負け犬神頼み旅行を企図する俺なんかと違って、きっと遠距離恋愛の彼氏と久しぶりに会うのだろう。
 

お遍路ロードバイクの組み立て

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客待ちのタクシーの脇を抜けて、ほいじゃ自転車組み立てるか。。。
 
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後輪の前に転がっている小さな袋が、たたみ終えたオストリッチの輪行袋。たぶん世界最軽量。シートポストにはトピーク製のリアキャリアを接続。
 
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リアキャリアの側面に、寝袋、輪行袋とテントをホームセンターで買ったゴム紐で留め、上にブルーシートをかぶせてからオートバイク用のゴム網で覆っている。ゴム網の上に寝袋カバーと銀マット、銀マットの中にはテント用のアルミポールが入っている。旅自転車としてはありえないほどの軽量装備だが、こうなるともちろんリュックを背負って走る。完全防水デイパックの総重量は6.5kg。前傾姿勢で走るロードバイクなので重さが腰に来る。これが不安ではある。
 
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さてさてスタート。港から徳島駅へと向かう。駅までがほどほどに遠く、そこから1番の霊山寺までがまたちと遠い。
 
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四国八十八霊場の配置はこんな感じで、1番から11番までは平地にズラりと連続して並んでいる感じ。
倉科カナでおなじみNHK連続テレビ小説「ウェルかめ」の舞台、23番薬王寺徳島県のとりあえずの最終で、そこから室戸岬の先端にある24番最御崎寺までは77kmも離れている。
 
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初日は船の着く午後スタートとなるので5番までが目標、翌日徳島駅周辺の17番ゲットまでを目指し、3日めの夕刻までに23番薬王寺をやっつけて夜の道を室戸岬へ、そんなおぼろげな計画を立てていた。
 
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しかしながら、お寺はすべて平地にあるわけではない。あとで痛感することになるが、むしろ山道の険しい坂の上にあるのが普通。徳島市街が例外的。赤囲みをしたお寺がとくに険しい中ボス〜ラスボスクラス。序盤の12番焼山寺、20番鶴林寺、21番太龍寺がかなり強敵。高知県内は寺までの距離が長い。愛媛に入って中盤の44、45あたりは寺単体というより、標高の高い高原地帯にあり、寺を降りても高地だから冬テントを張るのが怖い。60番台にも標高のかなり高い寺が続き、最後の80番台は標高はともかく、坂の傾斜がものすごかったり。そんなことを知ったのは現地を見てからなので、旅のスタート時点ではよく分かってない。12、20あたりがキツい、という程度の知識。徳島より後ろのことはあまり調べていなかった。
 
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からしばらく走って徳島駅へ。
街の存在はありがたいのだけどスタート直後では用事もない。17番まで回ったらもう一度戻ってくる場所なので、まずは素通り。
 
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吉野川を渡り、
 
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チャリンコ通学の児童をかわして1番霊山寺を目指す。
 
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徳島駅西部に広がるのどかな平野地帯をぶらぶら進む。
 
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時刻は午後3時が近い。フェリーで入ると、初日の巡礼時間は2時間ほどしかないのだ。
 
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1番霊山寺最寄のローソンで、今晩の食料をあらかじめ調達しておく。
 
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さて。巡礼の作法が分からないし、いろいろ道具も揃えたいので、総合案内所へ。ここで、以下を購入した。

  • 納め札・・・・・日付と住所・名前をお札に書いて、各寺の納札入に納める。納札入は各寺の本堂と、弘法大師様を祭った大師堂にあるので、計88×2枚が必要。ほかに旅の途中で親切にされたときやご接待を受けたときにも渡すらしい。200枚綴りで100円だったか。
  • 納経帳・・・・・各寺には納経所があって、袈裟や掛け軸、納経帳に納経してもらうことができる。納経帳は1500円ぐらいからか。各寺で納経してもらうのに300円かかる。つまり300×88円だからかなり高い。けれども88箇所全てを集めた納経帳はガラクタ市などでかなりの値がつくと聞いた。売る気はないけど。
  • 白い袈裟(袖なし)・・これはお遍路さんのユニフォーム。菅笠や杖も持つべきなのだが、自転車なので、まぁ、袈裟だけ。これを着てると、遍路ルート内での野宿は大目に見てもらえるとか、自動車もちゃんとよけてくれるとか、あちこちで親切にしてもらえるとか、そういう噂。

 
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道具を揃え、作法をそれなりに教わったら自転車をあらためて地球ロックして、白い袈裟を着、レーパンのチンポジを直したあと、隣にある1番霊山寺へ向かう。
 
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ここが入り口の門で、合掌・一礼。
 
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オナモードは発動しているが、それでも汚れた手はお清めする。
 
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はじめに鐘を1回撞く。うるさいので撞かせてくれないお寺もある。
 
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本堂にローソクやお線香をあげて、賽銭を入れ、お祈りし、お経を読み、納め札を入れる。
 
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納め札の裏には願い事を書いたり。
 
同じことを大師堂でも・・・と・・・手順通り・・・写真も撮ったりしつつ・・・進めていたら・・・ん?・・・あれは・・・
グレーのパーカーにブルージーンズ・・・赤いリュック・・・
 
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・・・の上に白い袈裟をまとってローソクに火を灯しているのは・・・東京から船で一緒だった彼女じゃないか!
彼女もお遍路かよ。。。どんだけ麗しいんだよ。。。
でも、どうやって??
しばらく所作をうっとりと眺めていたが、一人で来ているのは間違いない。
 
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バス利用? ツアーなの? 歩きじゃまだここにはたどり着けないはずだし。こんにちは、またお会いしましたね、と話しかけたらセクハラで逮捕されるの?
実はお遍路さんは自家用車利用と観光バス利用者が圧倒的に多く、次いで歩き遍路の人がいて、荷物満載の自転車遍路がごくごく少数。700×23cロードバイクはたぶん俺一人。だが、それぞれ順番にお寺を回るので、前のお寺で会った人と別のお寺でまた会うことは珍しくない。そうか、そうだ、まだ1番霊山寺。彼女とは、また後で会えるかもしれない。そうしたら、そのときに話しかけてみよう。どうせ俺は自転車ヘルメットに自転車アイウェアで超目立つんだし。。。そうしよう。。。
そんなこんなで俺は大師堂で、彼女が30代の男性には夜景がきれいな穴場バーか話題のレストランに連れてって欲しいなとか言い出しそうなスイ−ツ(笑)の6億倍幸せになることを心から祈って1番霊山寺を後にした。
 
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1番から数分のところ、2番、極楽寺をゲット
賑わっていた1番と違って、人が少ないなと思った。ツアーやお遍路のやり方の中には、すべてのお寺を回らずに主だったところだけ行く、というのもあるらしい。
 
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3番、金泉寺を(σ・∀・)σ<ゲッツ!
これも近い。が、カゴなし自転車なのでお札や納経帳をカバンから出したり入れたりするのが大変だ。
 
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4番大日寺へ向かう。
時刻はもうすぐ17時になろうとしていた。緩い上り坂が続き、間に合うかどうか不安になる。
 
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16時55分、大日寺を(σ・∀・)σ<ゲッツ!
もうお寺を閉める準備をしているところだった。
納経場の住職さんにテント自転車で回っていることを話すと、寝るなら、少し先の東屋を使うといいよ、と教わる。今日はまだ誰も使ってなかったと思うから。
 
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というわけで、初日のビバーク場所へ。
 
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後に知ることになるのだが、ここの休憩所は水道もトイレもないのだが、しかし今回のお遍路旅の中で最良のビバーク場所のひとつであった。
道路が近いが、この道は大日寺へ向かうお遍路さんと近隣住民以外はほとんど通らない。とても静かで落ち着くのだ。
 
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11月も残り5日で日没も早い。明るいうちにテントの準備をしておいて、
※タバコの吸殻がたくさん落ちていますが私ではありませんよ。携帯灰皿持ってるし。
 
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暗くなったら、サクッと、
 
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テントを張る。
 
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見ての通り、自分が持参したのはテントといっても本格的なものではなく(本体とフライシートが分かれていて、きちんと張り綱をペグでとめて結露を防ぐような、そういうものではなく)ただの防水加工した生地1枚のシェルターというところ。本格テントとなると、かなり軽量の1人用テントでも2kg近くにはなってしまうし、ペグを打つためのハンマーも必要となる。このシェルターの場合はアルミポール含めて重量は780g。中にデイパックを入れたり自分が入れば、それが飛ばされるような強風は吹くまい、というもくろみ。とにかく荷物を軽くしたかった。
 
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暗くなってからは自転車用LEDライトが頼り。
 
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手のひらと足の裏だけアトピーの完治していない自分なので、薬が欠かせない。旅先で手の皮膚が荒れるとハンドルを握れなくなる。
 
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風もなく、暖かい夜だと思った。しかし、それは自転車を漕いできた身体の感想。しばらくじっとしていると肌寒くなり、テントの中でも肌着では身震いするようになったので、氷点下6度まで対応の寝袋にゴアテックス生地の寝袋カバーをかぶせて中に入った。そしてテントの通風孔から月を見て、眠りについた。たぶん20時より前だったと思う。
 

2日目 11/26 徳島港→4番・大日寺

2009/11/26の走行ログ
走行距離=30.99km
走行時間=01:39:31
平均時速=18.7km/h
最高時速=40.9km/h
累計走行距離=69.73km

 
Part2へつづく...