Blue-Periodさんの日記 このページをアンテナに追加 Twitter

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2011-11-17 デジカメ買ったら○○組への上納金になってたでゴザル

[]戦場カメラマン at 産経写真部

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3月11日

射撃仲間の戦場カメラマン横田徹氏を誘い、西富士射撃場に射撃練習に出かける。

午後2時46分。標的が揺れているのに気づいた直後、激しい揺れが続き、射撃は中止。そのまま横田氏とともに東京に戻ろうと試みる。

午前0時を回ってもまだ八王子。結局11日中に東京にすら戻れず。

3月12日

午前2時、大渋滞の都内を抜け、帰宅。機材、原付バイク、燃料、食料、野営用具等、愛車に詰み込み、横田氏とともに東北に向け出発。夜通し横田氏と運転を交代しながら国道4号線北上

午後3時、福島市を前に渋滞のため、とうとう全く動けなくなる。目的地を南相馬に変更、西へ向かい、午後4時やっと被災地に入る。この日は二本松市まで戻り道中のドライブインを拝み倒し、一応屋根の下で寝られた。

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3月13日

南相馬市相馬市取材。

奇跡的に営業していた、南相馬ラブホテルに投宿。ラブホテルメシながら、食事の提供も受けられ、そこをベースとする。

3月14日

南相馬市相馬市名取市仙台市取材。

燃料不足深刻。南相馬では2時間待って給油できたのは5リッター。

とうとう携行缶の予備燃料まで消費し始める。午前11時1分、福島第一原発3号機が水素爆発を起こしたという情報伝わるも、気にせず。

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3月15日

早朝、ラブホ管理人の中年女性が客室に飛び込んできて「テレビを見て」と叫ぶ。事ここに至って、初めて深刻な事態を知る。車載GPS原発より23km地点に宿泊していたことを知る。

水素爆発の映像を車載テレビで見て、パニックに陥り、脱出を始める。

南相馬で唯一営業していたガソリンスタンドに駆け込むも、店員一同、すでに逃げた後。そのまま、二本松に向かうため県道62号の峠を目指すも逆に、原発に距離的に近づいてしまい20km地点でとうとうガス欠。

二度と戻って来れぬ覚悟で、できる限りの機材を抱え、車から原付バイクを降ろし横田氏と二人乗りで、土砂降りの雨の中、峠越えを図り、50km離れた二本松まで脱出。避難所で濡れたまま夜を明かす。

3月16日

郡山除染所でスクリーニングを受ける。水浴びして昨日着ていた衣服を捨てたワシは問題なかったが、横田氏の数値が跳ね上がった。それでも二人ともさして気にせず。

東京より備蓄燃料が到着、風向きを確認しながら、昨日愛車を乗り捨てた峠まで戻り回収した後、山間部を北上仙台に向かう、しかし、後に大量の放射性物質がこの山間部に15日に降ったことを知り、自己嫌悪

仙台宮城県警本部にて緊急車両指定を受ける。

 

 

 

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戦場カメラマン、不肖宮嶋茂樹先生の取材日記はこのあと、6月中旬に東京へ戻る日まで淡々と続くのだけれど、はてなブックマーク経由で知った不肖・宮嶋茂樹が語る「東日本大震災―災害現場の歩き方」 11月10日19時 当日受付可能 大手町Newsカレッジ - MSN産経フォトの記事を見て、11月10日、早速聴きにいってきた。主催というか、開催地が憧れの産経写真部(株)であることもあり、いちおう気合いのオリンパスPENを持参。

 

 

 

OLYMPUS PEN E-P1Panasonic LUMIX G 20mm/F1.7 ASPH.

OLYMPUS E-P1 + LUMIX G 20mm/F1.7 ASPH.

 

 

 

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ネットから申し込み、メールの指示に従い郵便振替して入場券をプリントアウト会社を抜け出して東京駅からほど近い産経写真部(株)・・・ではなくて、株式会社産業経済新聞社を訪問。サンケイプラザの中の新聞社の入り口がどこか分からず警備員さんの案内を受けつつ、そうすると同世代みたいなスーツの人などが同じ目的でここへ来ていたり。入場者用に開放された電子改札を抜けてエレベータに乗り、7Fへ進む。降りると、奥の会議室の入り口にはもう宮嶋センセイが立ち話をしている姿が見えた。おお、テレビで見たのと同じ人や・・・その廊下で先生が自宅から持参したというサイン入りの著作を並べて売っている。講義のあとで名前を入れてもらうことが可能です、という。自分世界革命ニュースには全くうといので、東北震災写真集を買った。息を飲むような手記とともに、EOSで撮られた写真の数々。

 

 

 

3月17日

松島基地女川町取材。

女川町取材中、地割れにはまり立ち往生していた地元の車を救出。満潮が迫り、急を要したが、何とか救い出す。その際ガレキに挟まれ、右手を負傷。

激痛に襲われ、医師を探し回るも、女川町では見つからず、石巻市日赤病院に飛び込み、結局右手中指が骨折、痛み止めを3日分タダでいただく。

3月20日

陸上自衛隊UH-1で網地島へ。はじめて離島を取材する。

骨折した右手が取材活動、生活ともに不便さを増やす。

仙台市内、繁華街国分町の湯の出ないラブホテル投宿、水と電気不足の生活が続く。

3月23日

陸上自衛隊施設部隊が、東松島宮古島の間に橋を架ける。取材中、はしけで東松島に戻る途中、右手骨折のため握力が低下、ロープを握れず海中に落下。

メインの愛機2機とレンズ2本ともども再起不能に。

それでも予備機で取材を続ける。骨を何本折ろうが、カメラが失くなろうが、この未曾有の震災を記録してやる決意を固める。再開した仙台ヨドバシカメラで機材補充。

以上は抜粋だが、以降も記録は続く。

 

 

 

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で、定刻より5分遅れて講義スタート。

はじめに、自分中国人北朝鮮人が大嫌いだし差別的な発言をするが、これは自分が実際にそこへ行って見たこと経験したことに基づくものであって理由のないものではないこと、この講義において皆さんが録音するのも写真撮るのも動画撮るのもそれをどこかに投稿するのもすべて全く自由であり、ぜんぜん構わないこと、あんまりまわりの迷惑にならない範囲で堂々と撮ってくださって構わないこと、自分はこれまでサラリーマンを1秒たりとも経験したことがなく、年金なんか全然払っていないが税金はちゃんと納めていること、などの説明からはじまる。。。センセイらしいというか。。。それから幼馴染の友人である産経新聞の人から、宮嶋先生の著作とか文章をお読みになると、こいつはどんなヤツなんだと思われる方もおられるかもしれませんがこの通り、きわめて常識的な方であって、最近はテレビ出演も多いのでご存知だとは思いますが・・・とフォローが入る。。「私も社会人ですから」と先生が応える。※俺自身は先生雑誌記事などはほとんど読んだことがなく、著作も政治的な内容を含むものはあまり読んでいないのだが、まぁ。それで、わたしは顔も見せずにネットから批判してくる人間を相手にはしないが、こうして顔を見せて足を運んでくださる皆さんの中に反対意見なり、もう到底辛抱たまらん、一言言わせろ、という方がいらしたら、言ってくださって構いません。私も真摯に対応いたします云々。。。まぁ、いろいろの経験に学んだ前置き事項なんだろう。べつにその後さほど政治的なお話にはならなかったのだけども。

それから最近の仕事としては、エジプトチュニジアは撮って来たが、リビアには行けなかったこと。今年は震災があり、ずっと日本国内で仕事をしていることの話などがあり、その後は前方の大型モニターにウィンドウズのフォルダが7つばかり、EOSで撮られたデジタル写真が並んでおり、センセイが適当にクリックして写真を紹介しながら話をしていくというもの・・・写真のビューワーはあまりイケていないものを使っているように見えた。ピカーサ使えばいいのに。。。とか思いつつ。。。ちなみに宮嶋先生CANONデジタル一眼レフを中心に使うこと、ストラップクソ素晴らしいRストラップを使うこと、などはすでに俺は知っているので改めて何度も書かない。

 

 

 

導入は直近の鉄道写真から。

お知らせ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

というわけでもともと写真ルーツ鉄道写真にある宮嶋先生が今でも一番本気になるネタ、ということで、自衛隊戦車北海道から大分までJR貨物で運ぶという情報を事前にキャッチ。ここで問題があり、フェリー輸送の場合は事前に輸送日時の問合せを受けてくれるのだが、鉄道輸送の場合JRは絶対に教えてくれないのだという。なので、プロ写真家としての人脈をフルに使ってどうにかこうにか、いつ輸送開始して、何日の何時に大宮駅の何番線に入ってきて何分停車する、というところまで調べ、1時間半前に現地に到着。そのときの写真がこちらです」と宮嶋先生クリック

そこには超大量の鉄ヲタ中学生の群れ・・・なんなんだこれは・・・と唖然とする(笑)しかもこの中学生たち、ああそっちのホーム行っちゃうといい絵が撮れませんよ、とアドバイスまでしてくるというのだ。さらには、事前に何時頃に大宮駅に着くことをプロカメラマンの人脈を駆使してゲットした自分とは違って、彼らはケータイから今どこ駅にいて、あと何分でホームに入ってくるという情報までリアルタイムで得ており、それを教えてくれる・・・俺もうプロカメラマンやめなきゃな、と思ったという。(笑)

ともあれ宮嶋先生ケータイやらなんちゃらツイッターやらが大嫌いであり、そんなものが流行っているせいでカイロ革命の群集の写真も彼らが見ているスマホの画面の灯り・・・光源のせいで非常に美しくないものになった。もはやどこでなにを撮っても、それをケータイで撮ってる別の人がフレームインしてしまうというわけで、もしも俺が法律を決めていい立場ならケータイに500%の税金をかけるべき、とかなんとか。

 

 

 

それから今回のテーマである東北震災写真に移り、前半は説明。後半は質疑応答とリクエスト受付となるのだけど。メモ的に。

・この写真集印税の半分は義援金として寄付した。全額と言いたいところだが、この過程でEOSを2機(1D4だろうか)オシャカにしている。。。

・ジジババとガキを撮る奴はヘタクソ。プロカメラマン常識。とくに子供を利用してひとの心を動かそうとする奴が嫌い。

猛暑の時期、放射能云々以前に粉塵とかハエとかが異常発生していてつらかった。駆除部隊もたくさんいた。ハエの異常発生を表現する写真は難しかった。寄ればキモい写真になるだけだし。(※俺はここで心の中で拍手をした。虫写真のキモさは異常)

戦争てのは天災よりマシ。怒りのぶつけどころがなく、つらそう。戦争現場では誰かへの恨みの言葉を聞くことになる。天災では無言である。

被災者で、ワガママ杉だろ、て人はいましたか? → そりゃ、います。ただ、神戸のときと比べると。。。県民性からか、あのときほどではなかった。

・たいしたことない現場悲惨現場であるかのように写し撮ることはプロならだいたいできます。しかし本当に悲惨現場を、ありのままに写すことは難しい。撮った写真を見て、こんな程度ではないのに、と感じた。

・最近撮ったウルトラCは、輸送機を操縦する女性飛行士を隣から撮るのではつまらないから、向いの飛行機からストロボスレーブシンクロで撮ったのが面白かったが、クッキリ写りすぎて合成写真みたいになった。合成写真だろ、と批判されることを期待したが、誰にもなんにも言われなくて淋しかった。

 

 

 

そのあとは、震災ではなく、エジプトチュニジア写真だったか、他のものだったか。これは雑誌掲載された、これはダメだった、これもダメだった、という流れで。主に広角レンズを使った死体写真なども多く紹介された。なぜこのように首だけ落ちているのか。なぜこのようにねじられているのか。こういう写真マスメディアには載りませんが、こういう場とか、写真展、写真集でしか見られないものです。いろいろ考えさせられるところがあると思いますので。と。あとはエジプトカメラ一式すべて没収され、そうなると他人のカメラを盗み返してでも撮れ、という気概でないとこの商売はやってられないわけですが、どうにかカイロ支局の知り合いにEOS KISS(笑)を借りまして、こんな写真も撮りました。KISS(笑)ではかなりハンディキャップを負いますが、まぁいい絵が撮れることもあります、と。

東北で遺体写真死体写真を避けたわけではないんです、と先生は言う。そうではなく、戦争とは異なり、東北はとにかく泥・粉塵・瓦礫の山で、死体もすべてそこいらに「転がっている」のではなくて「埋まっている」状態でした。だから写っていても分からないのです、と。

 

 

 

 

 

▼手記を引用した写真集(サイン入り)は日の丸表紙・・・初版誤植がひどいらしく、2刷目。

再起

再起

 

 

▼僕は喋りのプロではありませんので、と冒頭言われたのだが、やはり↓こうしたプロ司会のいる放送と比べると盛り上がりはほどほどの講義ではあったかも。

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講義のあと、先生は部屋に残って、サインをもらうなり、写真を撮るなり、どうぞ、というのだが、俺は日々刻々と布面積の少なくなりつつあるフレッシュ撮影会!の水着モデルさんにサインをもらうのさえ恥ずかしくてダメなほうなので(しかし懲りずに毎日撮ってるのだが)、講義終了とともにそそくさと帰路についた。

東京から湘南ライナーというのに生まれて初めて乗ったのだが、横浜駅に停車しないことを知らず、大船まで行ってしまった。

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