Blue-Periodさんの日記 このページをアンテナに追加 Twitter

2012-11-14 成功で得られるものの方が、失敗で得られるものよりは多いよね

ブチ×2

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Aの飲み会をBの先約があると言って断りBの飲み会を無断欠勤しAの代替日程問い合わせに返事をせずBからの今どこ連絡に応える気力もなくケイタイの電源を切り社会人というか人間失格だ生きる資格がないとぶつぶつリアルツイートしながら俺はそそくさとCと別れそのまま家路についてコンビニで山ほどお菓子を買い込んで顔面と手をヒクヒク震わせながらオマーン戦を見始めた。さいわいオマーン戦に日本(to which I belong to)は劇的な勝利を収めその後野田総理のよどみなき答弁を見て録画のロンハーで有吉先生(「どうみてもその格好はワンボックスカーから出てきてそのままホテルに入っていく人だろ」みたいなグラドルへの適切なツッコミ)を見て風呂に入り、タバコをブカブカ吹かし、ようやく落ち着いてきたところ、もうこんな時間だから続けて怒り新党を見ることは明日のためにできないしブログを書き始める。書いても仕方のないことはテレビを見ることと等価・・・いやむしろブログ書きは有料か。そしてふと、自分を憎んで人を憎まず、などと書いたが、それはそういう心がけではなく性向でもなく、そうなるべき客観的事実が問題。

尼崎の件が頭から離れず、ようは刑務所に行くのか橋の下(とか地下道)に行くのか綺麗に首が吊れるのか先のことは分からないが、そういう三択の未来を想像している自分は甘く、むしろ自分の生きていることが自分以外の得になることはなく自分の生きていることが自分以外に与える迷惑の大きさを再認識(しょっちゅうではあるが)するサイクルのことを人生であるとすると、そしてそれを気に病むふうであることから、いわゆる「ブラック企業」に対して「ブラック人間」の立場(「DQN」というのではない)から言うと、そのように自分の生きていることが自分以外の得になることはないと思っていたのに「ブラック企業」というのは俺を利用してわずかでも金を稼いでいただくことができる、俺の生きていることが俺以外の得になっている、という「ありがたい」存在であるから依存する、みたいな構図は俺には起こりやすいよなそりゃ、と思い、その構造がDVとか、尼崎的なものにつながり(安直な考え・・というかたぶん間違っているが)、俺の人としての役に立たなさとは別に、俺の単純活動を換金できるブラック企業様であるとか、俺の人権や保険金を換金できるミヨコ様であるとか、そういうものに依存する未来、と、暴力の怖さが、肉体的恐怖とつながって顔面の皮膚や手先を震わせるのだろうかな、と思いながらキッチンで正に今震えているタバコを挟んだ自分の二本の指を見るのだった。

 

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今、このまま寝るわけにはいかない精神的苦しみを結局のところ時間の経過、なるべく精神的ダメージを食らうことなく時間を経過させる方策はなにかとか、時間の経過をお金でブーストするためになにやらいろいろポチったり・・・レンズは高く、物質として同じように愛着が持てて比較的に安い自転車のカギ、に切り替えたのだが、それを10個も20個も買おうとしている俺は客観的に見てプリントアウトであることは分かるのだが、しかし自転車のカギをポチることで時間をブースト経過させて、次の、自分の生きていることが自分以外に与える迷惑の大きさを再認識するときに備える、そのときに壊れて家のカギとケイタイの電源を半永久に切って寝込むハメにならないように備える、という方策について考えている。

共依存、ということばはそれほどしっくりこない。

共依存者とは、自己自身に対する過小評価のために、他者に認められることによってしか満足を得られず、そのために他者の好意を得ようとして自己犠牲的な献身を強迫的に行なう傾向のある人のことであり、またその献身は結局のところ、他者の好意を(ひいては他者自身を)コントロールしようという動機に結び付いているために、結果としてその行動が自己中心的、策略的なものになり、しだいにその他者との関係性から離脱できなくなるのである。

共依存

第一に俺は俺を「過小」評価はしていないと思われるし、第二に俺は「他者に認められることによってしか満足を得られ」ないのではなく、他者に自分の無能さ無力さ本当のありようを正しく認められ伝えられ認識させられ直視させられることによって滅入るのでその機会を全力で避けたい、ということと、食うためには働かねばならぬ、ということの両立に苦しんでいるだけだ。一方で、ブラック企業は極小ではあれ俺を稼ぎの種として認めてくれるということがうれしいのではなく、自分の無能さ無力さ本当のありようを正しく認められ伝えられ認識させられ直視させられる暇もなく働かせてくれる構図、みたいなものがあるのではないかと思ったり。尼崎も。そのヒントとしてセレスタミン投与をはじめてから俺は包帯をぐるぐるにしなければ外に出られないほどの皮膚悪化にはならなくなっているのだが、そうして外部憂鬱条件が除外されてはじめて鬱系の上記が出てくるように感じるからだ。なにが地獄から(俺の精神を)遠ざけることができるか、難しくて分からん。

この国にアルコールがなければ、この国に飲み会がなければ・・・そうそう、俺はワタミの経営者よりもはるかに深く、飲み会という様式、あのうるさくて気が狂いそうな狭いところに集まってゴミみたいなものを望まない量飲ませあったりせねばならぬあの習慣を深く深く憎んでおり、それは深層心理で憎んでおり、それでそれを憎むのは世間でなく俺なのだからカフカ的帰結で間違っているのは俺であり、つまりはアルコールを憎んではいけなくて、それは俺の責任、自己責任であり、自分を憎んでアルコールを憎まず、にしなければいけないのでそう心がけようとつぶやくのだが、それでもなお、あんなものがなければ俺はもう少しきちんと生きられた気がする、という事実(と俺が今考えるもの)の前にそれ以上どう考えていいのか分からない。Aが俺を飲み会に誘わなければ良かったのだし、Bが俺を飲み会に誘わなければ、今頃俺はとっくに安眠していただろう。こんなに悩む必要はなかった。しかし俺は誘われたし、俺が嫌いなのは飲み会であり誘われることではなく、つまり誘われるとうれしすぎて顔がほころびすぐに行くと返答し、いざその集合時間が近づくにつれて頭・おなか・手・足・あちこちがヒクヒク震えだし、やはり行かない、というのを気持ちよく納得していただくに足る説明しやすい言い訳をすれば俺は嘘つきになるし、嘘ぐらいつけばいいのだが毎度毎度すぎてそもそも嘘をつくのは気持ちよくないし、そうなるとよりいっそう迷惑をかけることが分かっていつつ無言で「行かない」もしくは、やむなく行くハメになっても途中で「黙って勝手に帰る」ことになる。

とはいえ昨日のことは昨日のこと。人間失格を続けつつ、なお無能で迷惑をかけるだけであるとはいえ、三つの選択肢プラス共依存の地獄の未来を少しでも先延ばしにするために当座の仕事を欲しいと思う。だから会社に行くだろう。一人、また一人、と、話をすることができる人が減っていく。話しかけてはいけない人のつながりが増えていく。負の人脈に囲まれて身動きの取れなくなるまでの3年とか、そういうものをせめて3年2ヶ月とか、先延ばしたいとあがくことしかできないだろう。あるいは今よりさらにいっそう負の人脈が影響しない、自己完結に近いような、単純化された作業に報酬が出る天国を夢見て放浪するかもしれない。逆にそのほうが負の人脈の拘束は厳しいかもしれない。

そんなもやもやよりも優先できる娯楽、オマーン戦とか、ロンハーとか、そういうものが毎日やっていればいいのにと思う。誰かが本当のメンヘルにはアイドルのおっかけなんかできないことくらい現場行けば分かるだろ、と書いていたが、そうだなぁと思う。