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2016-06-25

Boaz2016-06-25

昨日、たまたまテレビで100メートル走の中継を見ていた。

スタートが揃わないので、何度もやり直していた。

フライングと判定されると、一発で失格になるという。


短距離走を何人かで競う場合、ゴールラインを誰が通過したかで勝敗が

決まる。タイムもその時点で計測される。

なので、スタートを厳密に同期させなければならない、という理屈だろう。


しかし、これだけ計測機器が発達しているのだから、スタート時点を

正確に感知して、ゴールまでのタイムを計れるシステムはわりと簡単に

作れるのではなかろうか。


そうすると、ゴールラインの勝負ではなく、純粋にタイムの勝負になる。

短距離走で見たいのは、誰が一着かということより、最も速いタイムを

誰が出すか、ということではないだろうか。


いつまでも音を聴いてスタートするやり方だと、選手の集中力が持たない

と思う。

なんだったら別に競争せずに、ひとりひとり走って計測してもいいのでは

ないか。見ている人はつまらないかもしれないが。


これは短距離走だけでなく、走り幅跳びなどの踏切板をきちんと踏むか

どうかの競技でも同じで、計測機器の性能が向上していれば、踏み切った

場所から着地した場所までの記録をとれば良い。


そうすれば、もっと記録は伸びるのではないかと思うが、実は制限がある

方がいいのかもしれない。

陸上選手はどう思っているのだろうか。

2016-06-24

英国が国民投票でEU離脱を決めた。

わけが分からないのだが、どうやら離脱派は地方にいる低学歴の人が多いらしい。


欧州でも、反EUを支持する政党が力をつけているらしく、かつては泡沫候補

だったのが議席を獲得するまでになっているとのことだ。

とはいえ、まだ政権をとるまでには至っていないらしい。


米国もトランプ現象が起こっているように、先進国では、エリートが困ることなら

何でもしてやろう、という気分が膨れ上がっているようだ。

それがたとえ自分の首を絞めることになったとしても。


日本では、そういう怒りがリベラルや公務員に向けられているように思う。

私はそれを煽る人間を警戒する。



理想より現実を見ろ、という主張をする人々は、生活に余裕がないから考え方にも

余裕がないのではないか。

貧すれば鈍するというやつだ。


なぜエリートやリベラルがここまで憎まれるようになったのか、指導者層は再考

するべきなのかもしれない。


私は所得の再分配をもっと進めるべきだと思うのだが、欧州ではそういうことを

言う政治家に人気はなさそうだ。

米国はサンダース候補がいたけれど、大統領レースで力尽きた。


グローバル企業は、あまり欲張ると、ものを買う人や場所がなくなってしまうことに

気が付かねばならない。



いずれにせよ、欧州の混乱はロシアと中国の望むところなので、世界は再び領土を

争う帝国主義時代に逆戻りするのではないか、という暗い予感がする。

2016-06-22

Boaz2016-06-22

[]“くたばれ”坊っちゃん

NHKBSプレミアムで放送されたドラマ「“くたばれ”坊っちゃん」を見た。

山崎努の存在感がずば抜けてすごかった。



それにしても、松山はいつまで坊っちゃんに依存しているのか。


坊っちゃんを超えるコンテンツがいまだに生まれていないからだが、

誰かが作ってくれるのを漫然と待つだけでは、あと100年経っても

どうにもならないだろう。


かといって、自治体がそういう作品を作るのは、武士の商法で難しい。

やはり偶然だれかが松山を舞台にした名作を作るのを待つしかない

ということか。



しかし、明治時代文学作品は特別なのだろうか。

たとえば、アニメやテレビドラマが大ヒットしたとしても、ここまで

寿命が長くなることはあるまい。


教科書に作品が取り上げられて、繰り返し新しい読者を作っているから

かもしれないし、教養の一部になっているからかもしれない。


とはいえ、近代文学の有り難みも、そろそろ賞味期限が来ているのでは

なかろうか。


というか、息の長いコンテンツというものを作って維持できるだけの

文化的な体力というものがなくなっていっているのかもしれない。


松山が坊っちゃんと離れるのは、自治体そのものが消えていくとき

なのかも。

2016-06-08

Boaz2016-06-08

[]日本会議の研究

日本会議の研究 (扶桑社新書)

日本会議の研究 (扶桑社新書)

ようやく読むことができた。

私は日本会議を、首相を操る悪の秘密結社みたいなイメージでとらえていたが、

本書を読むと、地道に地方から攻めていったカルト集団だったのか、という

印象である。


映画「オズの魔法使」で、魔法使いの正体がバレたときのような読後感と

言ったらいいだろうか。

最終的に安東巌という人物を炙りだすまでの筆致はスリリングだった。


だが、国政がそういう胡乱な人々によって動かされているという事実に

ゾッとする。


日本会議は、昭和16年から19年ごろの日本は素晴らしいのでその頃に戻そう、

と言っているインチキ集団である。


戦時中の日本を美化している点で、江戸しぐさと同じだろう。

江戸時代は素晴らしかったという言説を批判するなら、日本会議も同様に

批判すべきだと思う。



ところで、日本会議は経済に関することは何も言っていない。

すると、安倍政権で経済関係を仕切っているのは誰か、という話になる。


ここにも日本会議と同様の、経済分野のカルト集団が存在しているのでは

ないか? 

サミットから消費税10%導入延期にかけてのドタバタは、彼らの馬脚を

現していたのではなかったのか、という気がする。


彼らは米国で流行遅れになった手法を日本に持ってきて、うまい汁を

吸ったら別の国に出ていこうとしている。

まるで「うしおととら」の白面の者のようだ。


我々は選挙のときだけ獣の槍を持つことができる。

経済の失政の責任は誰が負うべきなのか、きちんと見極めてから、憎い

白面の者を討つべきだろう。

2016-05-28

Boaz2016-05-28

昨日、愛媛県美術館で「ジブリ レイアウト展」を見てきた。

レイアウトというのは、アニメの画面設計のことで、詳しくは

http://www.ntv.co.jp/layout/about/03.html

こちらで解説されている。


鉛筆でラフに描き殴ったものを、よくこんなふうに興行して展示できるな、

と思ったが、実際に見てみると圧倒される。


特に宮崎駿が描いたレイアウトの線は、一発で決まっていて、みんな動き

出しそうである。これから動かすための絵なのだから当たり前だが、線に

迷いがないのだ。


晩年のものもいいが、初期の「アルプスの少女ハイジ」とか「母をたずねて

三千里」で残された貴重なレイアウトの線は、躍動していて若い。


一方、高畑勲監督は絵が描けない人なので、レイアウトはアニメーター

描いていると思われる。

なんともキチッとした線で、そのまま原画になりそうである。


おそらく制作スタジオや監督によって、絵コンテやレイアウトの方法は

様々なのだろう。

ジブリの方式を他の人がやっているのかどうかは知らないのだが、展示で

上映していた宮崎監督のインタビューによると、レイアウトはそもそも

スタッフがとりかかる時間を短縮したいためにできたものだそうだ。


大勢の人の意志を統一するための方法は、アニメだけでなく、他の分野

でも応用できそうな気がする。