ヲチ用メモ(主にtoroneiさんへの返答用)

参考スレッド「▼:トロネイの風はどんなんだっけ本当に17スレ目」

2008-12-26

ひさしぶりの更新 ひさしぶりの更新を含むブックマーク

ずいぶん更新を怠っていたら、ヲチスレも17スレ目に入っていた。上の「参考スレッド」も反映して17スレ目にリンクした。

金払って風 俗って(^ω^;金払って風 俗って(^ω^; 2009/06/08 18:20
こないだ会社の先輩に連れられて初めて風 俗で抜いてもらったんだけど
やっぱ金払うのもったいねーわ・・そう思わね?
先輩風 俗いっぱい知っててチョー自慢気だったけどさぁ
これ知らねーなんてカワイソすぎ(^^; まぁあえて秘密にしたけどwww

http://shasei.oppao.net/SdWnOFA/

ふぇじょーーーあwwwwふぇじょーーーあwwww 2009/06/13 15:06
これヤった後でパチ屋に行ったら勝率上がりすぎwwwwww

http://shiofuki.navi-y.net/teFHHHK/

ただの軍資金稼ぎのつもりでヤってたんだけど、
パチも負けねーもんだから金が余りまくりっす・・(^^;
まー金は余っても困らないからまだ続けるけどねーヽ( ・∀・)ノ
とりあえずBMWでも買うわwwwwwww

しゅおおぁあああ!!!!!しゅおおぁあああ!!!!! 2009/06/20 13:41
あっもう!ちょ!!!凄い!!!凄いよ!!!!!
あぁぁテンション上がりすぎて何から言えばいいかわかんねwww
勃.起おさまんねーし今からもっかい行ってくるwwwwwww

http://ahan.yumenokuni.net/2mudZzO/

じゃぶぁー!!!!じゃぶぁー!!!! 2009/08/16 02:41
やっぱコスしてもらってハ メ るのが一番萌えに燃えるって!!!!!!
昨日はエ○ァの新キャラコスしてもらったもんねー(*´Д`)ハァハァ
興 奮しすぎて無意識に服着せたままパ ン ツ ビリビリに破いてバック突きしまくっちゃったwwww(テヘw)
既に次はハ○ヒで決定してるしwktkが止まらんねぇぇぇwwwwwwwwww

http://kachi.strowcrue.net/wuu6SUK/

2008-04-30

まただ まただを含むブックマーク

 ありがたいことだ、と喜んだのもつかの間、またブクマコメントを削除された。

 http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080427/Mのブクマにていただいた反応の片方は、

http://s04.megalodon.jp/2008-0428-2151-48/b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080427/M

http://s03.megalodon.jp/2008-0429-2203-54/b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080427/M

と変化し、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080427/Iのブクマにていただいたもう片方の反応も、

http://s03.megalodon.jp/2008-0429-0953-19/b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080427/I

http://s02.megalodon.jp/2008-0429-2207-42/b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080427/I

と変化した。一体何をやりたいんだろうか。

 「再批判されるような反応をした」という事実そのものを消したいのか。反応を消したところで、事実が消えるわけでもないのに。

 2ちゃんのウォチスレで知った情報によると、ブクマコメントが消えるのと前後して、mixiで私に対する非難を始めているとのこと。

 それが事実だとするのならば、私からの再批判を避けるためには、ある意味合理的な方法だろうとも思える。ただ同時に、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080417/Dで表明した

主張したい事があるのなら、反対される事をおそれて書かないという事だけはしない。

というご自身の主義と矛盾してないかという気もするが。まあ、私の美学的には、「コロコロと言うことが変わり、自家撞着を起こすのは非常にみっともない」というものがあるのだが、toroneiさんにはそのような美学はないのだろう。

2008-04-29

ありがたいことである ありがたいことであるを含むブックマーク

 またもブクマに反応をいただいた。

 「関わるつもりは一生ない」のではなかったのだろうか、などと野暮なことは言わず、せっかくの機会なのでありがたく応答させていただく。

発端

 今回の発端は、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080427/Iのエントリ。

 toroneiさんが、ぜんじろうさんの現場主義を賞賛し、

 自分がぜんじろうは偉いなあと思うのは、興味の幅が依然として広い事と、こうして現場取材していることなんですよね、現場に行って見てきたい感じたいという欲求が強い、これが世間の人が言うように、例えぜんじろうは元々才能の器が少なかったり、もうそれも枯れてしまったとしても、この部分だけで十分に評価されるべきだと思うんですよね、だっていまの芸人って、ここまで好奇心の幅が広くない人が多いし、絶対に芸人としてこの場にいたら得る物は大きいんですよね、だから見習って欲しいなと思うんですけどね、

とした文章に、私が、http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080427/Iにて

ぜんじろうさんの現場主義を「偉い」と思うなら、toroneiさんも見習ったらどうですか?安全圏から物を言うだとか、見てもいないのに物を言うだとかをやめて。

とコメントしたというもの。

 そうしたところ、toroneiさんより、

素朴な疑問なんですが、素人でアマチュアで本職があるブロガー風情に何を期待されているんですか? ぜんじろうさんというプロに対して、あなたがそれを僕と比較するのは失礼ですよ

と返答があった、という流れ。


最初に

 最初にちょっと指摘しておきたいのだが、私は「自分(=toroneiさん)は、『安全圏から物を言う』『見てもいないのに物を言う』などの行為はしていない。それなりにきちんとやっている」と反論が来るかと想定していた。しかしtoroneiさんは違っていた。自分が「安全圏から物を言っており、見てもいないのに物を言っている」ことは否定せず(=認めた上で)、「そうなっても仕方ないじゃん」(大意)と回答する。これはなかなかできることではないだろう。


素人でアマチュアで本職があるブロガー風情に何を期待されているんですか?

 さて、本題に入るが、まずは

素人でアマチュアで本職があるブロガー風情に何を期待されているんですか?

の部分について。

 最初に指摘しておくが、何も私は、toroneiさんに「ぜんじろうさんと同程度にやれ」などと言っていない。「そう読んだ」というのなら、毎度の如く想像力の働かせすぎである。私が言っているのは、「ぜんじろうさんを『偉い』と思うのなら、自分なりに見習ってやればいいのに」と言っているだけである。

 また、この文章は、toroneiさんが(これまでと同様に)非情に単純な世界観をお持ちであることが反映されているように思われる。toroneiさんの想定する世界は、「きちんとやらなければいけないプロ」と「別にきちんとやる必要はないアマチュア」とに、きれいに二分されるのだろう。で、toroneiさんは、しばしば何も調べずに(=論じるための準備ゼロの状態で)物を言うことがある。そうした、「ゼロ状態」をも「素人でアマチュアで本職があるブロガー風情」であることをもって正当化するおつもりらしいので(そうしないと、批判を回避できない)、toroneiさんがお持ちの「プロ/アマチュア」をめぐる世界観は、次のようなものになる。すなわち、「100やらないといけないプロ」と「0でもいいアマチュア」。そして、自分は後者に位置するのである、と。

 しかし、ちょっと考えれば

1.「プロ=100」と「アマチュア=0」の2種類しかいないわけではなく、レベルが多様な中間的存在が無数にいる。

2.ゆえに、論じる対象への関わり方も、「プロ的に関わる」「アマチュア的に関わる」の2種類しかないわけではなく、いろいろな関わり方がある。

3.またそもそも同様に、アマチュアであろうとも何だろうと、それなりの物の言い方・それなりの調べ方はある。

といったことは分かるだろう。

 つまり、「アマチュアだから」ということで、ゼロ状態を正当化することなどできない。アマチュアであっても、アマチュアなりの物の言い方や調べ方はある(後述)のである。

 したがって、まとめると次のようになる。

 「ぜんじろうさんなみにやればいいのに」などとは私は言っていない。「『偉い』と思うなら、せめてアマチュアなりの水準でやればいいのに」と言っているだけである。

toroneiさんのふるまいは仕方ないのか?

 それでは、toroneiさんの振る舞いは、「アマチュア」であれば仕方がないのだろうか。

 決して「仕方がない」わけではないと思えるので、そう思える根拠を二例あげたい。

 まず、1つめ。「安全圏から物を言う」について。toroneiさんは、長野で行われた聖火リレーに対して、

とにかくこの五輪はは絶対に失敗させなくてはいけない、そしてその象徴として聖火リレー、開会式、閉会式だけでも、特に中国政府が政治利用してくる場所に関しては、とことん張り合わなくてはいけない。どうか長野で行動を起こそうと考えている皆さんには、なるべく犯罪者にならない方向で、しかし国際社会に強くアピールできるようなパフォーマンスを展開してもらいたい。

(略)

こんなバカな事を抜かしている奴ら(長野市職員ら:Body注)に、冷や汗を流させなくては日本人の沽券に関わるよ。なるべくみんな犯罪者にならない方法で、ドカンとやってほしいし、聖火ランナーに決まっている人たち、特に著名人には重大な決意を持って挑んでもらいたいです。

と(http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080409/CHINA)書いておられる。

 これにはブクマでも指摘しのだが、

なるべく犯罪者にならない方向で、しかし国際社会に強くアピールできるようなパフォーマンスを展開してもらいたい。

だの

なるべくみんな犯罪者にならない方法で、ドカンとやってほしいし、

だのと言うくらい思い入れが強いのならば、安全圏から人を煽るだけではなく自分も行動を起こせばいいではないか。

 今回の聖火リレーでアピールをした人たちの多くが、「素人でアマチュアで本職がある」人々だっただろう。toroneiさんができないわけではない。

 しかしtoroneiさんは、安全圏から口で「やれやれ」と言うだけで、自ら行動することはない。この一件だけならばまだしも、こうした例(自分は動かず人を煽る)が散見される。たとえば、私がtoroneiさんのことを知った、「ライブに行きもせず、人の感想に基づいて誤解をし、誤解に基づいてライブ関係者を散々非難する」(http://d.hatena.ne.jp/Body/20080415#p1http://d.hatena.ne.jp/toronei/20060228/J)などもまさにそう。過去、サッカーのことでは比較的行動しておられたらしいtoroneiさんに、一体どのような変化があったのか不思議である。


 続いて2つめ。「見てもいないのに物を言う」について。これも枚挙に暇がないが、最も典型的な例は、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20050410/Bであろうか。toroneiさんのことを知り、toroneiさんがどういう人なのか、ウォチスレの過去ログとtoroneiさんのブログを参照していたときに知ったものなのだが、以下のような出来事があった。

 toroneiさんは、『クイックジャパン』(確か59号)でお笑い特集がなされていることを知り、以下のように非難を浴びせた。

だいたいサブカル雑誌のお笑い特集なんて本気で読んでる人いるの? あんなんは藤本義一の漫才評論とかと同じというか、まだ藤本義一の方がマシと思うこと多数だと思うんですけどねえ。

あいつらはラーメンズとかバナナマンとか笑い飯とかを、分かったと勘違いしてエリート意識を自己満足させていれば良いんですよ、くだらない。安田大サーカスを真正面から取り上げてから言ってみろってんだ、矢野・兵藤の漫才がどんな形で完成しているか分析してみろちゅうねん

しかし、実際には、安田大サーカスはこの号で取り上げられていた。そのことがコメント欄で指摘をされ(現在はコメント欄が閉じられているが)、先日と同様に(http://d.hatena.ne.jp/Body/20080427#p1)変な方向への訂正文が入れられた、という顛末があった。

 これなどは、実際に『クイックジャパン』を読んでおけば避けられたミスであろう。批判対象を読まずに批判をするという、toroneiさんの悪癖が典型的に表れた例である。これは「素人でアマチュアで本職がある」人間には無理なことであろうか。言うまでもないが、そんなわけはない。『クイックジャパン』は大抵の本屋においてある。誰が・どう取り上げられているかを把握するなど、本を手に取れば誰にでもできることである。

 また、これもやはり、同様の例が多くある。マーティ・フリードマンに関する誤解(というよりもうほとんどデマ)(http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080422/AA)も同様である。さらには、ここのところ批判が多くなされている「調べずに物を言う」も同様だろう。少しくらいネットで検索でもしてみればいいのに、それもせずに(あるいはわざわざ間違ったソースに飛びついて)何かを論じるのは、toroneiさんの得意技である。が、これもアマチュアであろうとなんだろうと、クリアできるレベルの水準である。また、私がtoroneiさんのアフィに引っかかっているのもこれと関連していて、どうも実際に目にしていない(だから言及がない)のに、タイトルの関連性だけで掲示されているアフィがある(たとえば、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20070120/Eでは、森巣博と森達也の本を掲示しているが、これなどはtoroneiさんの思想とまったく相容れない本であるはずだ)。こうした点からも、同様の指摘が導かれる。


 以上より、私は、toroneiさんが「素人でアマチュアで本職がある」人ができる範囲のことすらしていないと判断したわけである。ぜんじろうさんの行動を賞賛しているにもかかわらず、である。したがって、「なら見習えば?」と指摘したのである。


まとめると

 つまり、上を簡単にまとめると次のようになる。

 「素人でアマチュアで本職があるブロガー」であろうとも、できる範囲のことはある。(こんなことを一々言わなければいけないのも大変なことであるが)私は、「プロと同程度にやればいいのに」と言っているわけではなく、「せめて少しでもやればいいのに」と言っているのである。世の中0か100かの2種類しかないわけではない。が、toroneiさんは、「プロ」を100に、自分を0に置き、「何で100しないといけない」と言っている。「せめて(現在0なレベルのこともあるから、各事象に対して)10くらいはできるでしょう。ぜんじろうさんを偉いと思うなら、それくらい見習えば?」というのが、私のブクマコメントの含意するところである。


ぜんじろうさんというプロに対して、あなたがそれを僕と比較するのは失礼ですよ

 以下は余談だが、

ぜんじろうさんというプロに対して、あなたがそれを僕と比較するのは失礼ですよ

ここもものすごい勘違いをしておられる。私はぜんじろうさんとtoroneiさんを比較などしていない。つまり、「ぜんじろうさんと比べてtoroneiさんは」などと言っていない。

 ぜんじろうさんのような「プロ」との比較などしなくても、「素人でアマチュアで本職があるブロガー」の中でも群を抜いて、toroneiさんの非現場主義・調べもせず物を言う主義(これをまとめて反知性主義と言ってもいいかもしれない)は突出しているから。

 これで、ぜんじろうさんを見て、「現場に行かなくても物は言えるのに」と言うのならば(その物言いのおかしさはおいておいて、態度として)一貫しているが、そうではなかった。toroneiさんが、ぜんじろうさんの現場主義を「偉い」とおっしゃっておられたので、「なら見習えば?」と指摘させていただいた。


最後に

 このエントリの最後に、toroneiさんの無責任さを指摘しておきたい。

 toroneiさんの、

素人でアマチュアで本職があるブロガー風情に何を期待されているんですか?

という文章からは、ご自身の言論への責任を回避しようという姿が見える。 

 つまり、「素人でアマチュアで本職があるブロガー風情」の言うことに何かを期待するのは変だ、という主張(で、その反語的表現として疑問文となっている)と読める。

 しかし、上にも書いてきたように、「素人でアマチュアで本職があるブロガー風情」であっても、動きうること・調べうる範囲のことはある。それを、さも「素人でアマチュアで本職があるブロガー風情」は何もできないかのようにして、自らの言論へ責任を取るまいという姿(あるいは自らの言論への批判をかわそうという姿)は、大変みっともない。

 toroneiさんは、ブログ上で、他者を批判・非難することが結構多い。他者に言及する以上(というよりも、論を外部に発信している以上)、言論には責任が発生してくるものなのだが。もう少しこの辺も(正当化とはまた別の方向で)考えてみられたほうがいいのではないだろうか。もちろん、プロの文筆家と同程度の責任とは言わないが、それなりの責任はある。上述したことと繰り返しになっているが、為念。

2008-04-28

反応をいただいたので 反応をいただいたのでを含むブックマーク

 またも反応をいただいた。

 しかしこの人の応える/応えないの基準が本当に分からない。

 

発端

 反応をいただく発端となったのは、私が、toroneiさんの(http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080427/M)というエントリにおける

そう移転反対の人たちは、いま問題になっている賃料とかについて、全く回答をしていないんですよね、相手の指摘している問題について、何も回答していない以上、この人たちの運動は反対側の意見の人たちには、何も届かないと思います。

僕としても、ワッハの資料館を安価で残す道が出来た方が良いと思うし、正直あの場所で維持するお金や、ワッハホールや小演芸場なんていう民間や市営の施設でも代替えが効く施設を維持するお金があるのなら、「大阪府立国際児童文学館」の維持の方にお金を回して欲しい。

という文章に対して、

相手の指摘している問題について、何も回答していない以上」って、ご自分のことですか

とブクマ(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080427/M)にて指摘をさせていただいたもの。

 それに対してtoroneiさんから、

 ↑言われている意味がよく分からないです、僕はあなた方に、なんの要求もお願いもしていませんが? 僕は貴方と関わるつもりは一生ありませんので、貴方の要求に応えないし、私も貴方に何の要求もしていません

とお返事をいただいた、というもの。


言われている意味が分からないとのことなので

 意味が分からないとのことなので、説明をさせていただく。

 toroneiさんは、私が引っかかった「相手の指摘している問題について、何も回答していない以上、この人たちの運動は反対側の意見の人たちには、何も届かないと思います」という問題について、

1.焦点となっていることを、「何らかの(この件では施設移転反対の)要求」に限定している。

2.「相手」を、その「何らかの要求に反対する人間」という限定をかけている。

という前提に立っておられるのだろう。

 別にどのような前提に立とうがそれは自由だが、toroneiさんが施設移転反対派の人に対して、本文で書かれている批判(「相手が指摘していることに何も回答してなければ、説得力がない」(大意))は、上記1、2のような個別特殊事例に限定されることではなく、より一般的な話にも共通するものであると私は考えた。その上で、ブクマコメントを付けた。

 つまり、「要求した者が自分に向けられている批判を無視している」という事態に限定することなく、こうした自体をより抽象的に考えると、

4.ある論aを主張する論者Aがいる。

5.論aには瑕疵があると論者Bから批判bがなされている。

6.しかしAはbに応えようとしない。

という構造が取り出せる。そして、こうした構造は、この件以外の議論にも共通する話であろうということである。

 その共通性を念頭に置いた上で、私は、

7.toroneiさんは上記4〜6の論者Aに該当するような振る舞いをこれまでも何度も繰り返しており、

8.ゆえに、同様の行為をする「移転反対の人たち」に対して、「相手の指摘している問題について、何も回答していない」などと批判するのは「自分を棚上げ」にした振る舞いである

と指摘したわけである。 

 もっと簡単に言うならば、頭の上に蝿がブンブン飛ばしている人間が、頭の上に蚊をブンブン飛ばしている別の人間に、「うわ、蚊なんか飛ばしてやがる」と非難するようなものだ、となるだろうか。「あんたも似たようなものじゃん=人のことを言うなら、まず自分をどうにかしたら」という話にしかならないだろう。

 意味がご理解いただけたであろうか。「自分が何かを要求している人間なのか(移転反対派)」「自分が何かを論じているのか(toroneiさん)」かなどというのは、「蝿」か「蚊」かといった程度の違いしかなく、「何かを要求しておきながら/論じておきながら、自らの要求/論にされている批判を無視して主張だけする」という根本的な構造は全く一緒なのである。


僕はあなた方に、なんの要求もお願いもしていませんが?

 というわけで、この「僕はあなた方に、なんの要求もお願いもしていませんが?」という文章も、完全に齟齬をきたしている。


僕は貴方と関わるつもりは一生ありませんので、貴方の要求に応えないし、

 続いて、「僕は貴方と関わるつもりは一生ありませんので、貴方の要求に応えないし」という文章もなかなかいい。

 「僕は貴方と関わるつもりは一生ありません」と、「貴方=Body」にコミュニケートしようとする矛盾。「今既に関わってるじゃないですか」って指摘が来ることくらい想定しましょうよ。さらに言うと、「私の批判や指摘に応答をして、私から再批判され、逃げる」という過去は(現在もそうだが)どうなったのか(拙ブログ参照)。toroneiさんの「一生」から、私が批判してきた過去、あるいは私の批判から逃げた過去はなかったことにされたのだろうか。この「一生」という単語には「今後の人生」という含意があるだとか、あるいは「自分の一生はまだ始まっていない」といった個性的な思想をお持ちだということならば、まだ理解できるが。ともあれ、言葉はきちんと使われた方がいいのではないだろうか。このような矛盾に満ちた記述を平気でやれるのは興味深い。

 これは若干冗談交じりだが、以下からはちょっと真面目に指摘していく。

 まず、関わるつもりがあろうとなかろうと、ブログのような不特定多数の目に留まる場で何かを論じる以上、toroneiさんの想定しないところから批判や議論が生起することは絶対にあるわけである。したがって、「関わるつもり」の有無が、批判(後述するように「要求」はやってないので知らないが)を抹消することの理由として成立するわけはない。

 さらに、「貴方の要求に応えないし」などとおっしゃって、私がブクマで「要求」をしているように勝手に話を進めているが、それは違う。私がこのブクマで提示しているのは「要求」ではなく、toroneiさんの論にある矛盾等への「指摘」と「批判」である。また、何も発端となったこのブクマに限らず、その他のブクマや拙ブログにおいても、toroneiさんに「主張や決定を変えろ」といった「要求」をしてきたつもりはない。

 もっとも、一度だけ、私がtoroneiさんに「〜してください」と「要求」したことがある。しかしそれは、toroneiさんが私を不当に謗ったため、「それはやめてほしい」としたものである(http://d.hatena.ne.jp/Body/20080414#p1)。つまり、そもそもtoroneiさんが私に対して行った誹謗が発端となって、私の「要求」は提示されているわけである。

 最後に、toroneiさんがやっているのは、「要求(などしていないので、議論や批判と読み変えるが:Body注)に応えない」などという行為ではなく、自分への懐疑的な議論や批判をなかったことにする=抹消するという、言論封殺に近い行為ではないか。このような行為が、「関わるつもり」の有無で正当化されるわけもないのは、言うまでもないだろう。批判に応えず逃げるくらいならともかく、批判的トラバをはじき、そうでありながら別の場でちょこちょこと*1自己正当化を図り議論の相手を非難するようなやり方を取っておきながら、こういうことを言うのは不誠実もいいところである。

 したがって、

僕は貴方と関わるつもりは一生ありませんので、貴方の要求に応えないし

などというのは、過去から現在に至るやり取りを無視した、非常に自分勝手な逃げと自己正当化だと指摘しておきたい。


最後に

 どうでもいいが、

僕はあなた方に、なんの要求もお願いもしていませんが? (略)私も貴方に何の要求もしていません。

などと、同じことを何度も繰り返すくらいの文字数的・時間的な余裕があるのなら、もう少し建設的なことを書かれたらどうか(これは提案)。

 また、もう1つ。「あなた方」って、私は1人ですよ?誰と会話をしているのですか(卓越した「想像力」で、私の背後に誰かを見られても困ります)。

*1:2ちゃんのウォチスレ経由で知ったが、Twitterなどで。

2008-04-27

何か妙なことを書いておられる 何か妙なことを書いておられるを含むブックマーク

toroneiさんの訂正文

 2ちゃんのtoroneiさんウォチスレで、本村さんのエントリ(http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080422/F)に何か追記がなされているとの指摘がされる。

 そこで見てみたところ、以下のように訂正が入っていた。

誤解を恐れずに言えば田舎の高卒(一部のソースだけで書いていましたが、大卒ですね失礼、というか当日に訂正コメント書いたはずなのに投稿きちんとしていなかったようでスミマセンその日に直したというか、訂正文入れたつもりだったのに不思議、でもまあ色々と釣れたと思うべきなのかな、釣りたくもないんだけど)の一介のサラリーマンが、

強調部分が追記された部分。強調は私が行った。

 とことん逃げようとする人だと感じさせられた。

 

訂正文も変である。

 しかし、この訂正文も変であろう。

 まず、多くの人が反応したのは、訂正が出されたこの部分だけではないだろう。反応(それも批判的な)が出ていたのは、この間違い部分に代表される、

1.きちんと調べていないこと*1

2.にもかかわらず何かを語ろうとする無責任さ

3.事件や他人にかこつけて自己主張をするひどさ

だったのではないだろうか。

 また、「釣れたと思うべきなのか」と感じるのは勝手だが、それをわざわざ訂正文に入れる了見にもあきれる。toroneiさんは、「想像力」の重要性を説いていたのではなかったか。人が殺された重大な事件に関して何かを論じようとし、誤認の訂正ついでに「釣れた」などと表現することが、当事者にどのような思いを抱かせるか。(当事者の意思を、勝手かつ過剰に忖度して行為を制限するべきではないと個人的には思うが)toroneiさん的な「想像力」が欠けているのであろう私ですら、気持ちが悪くなる。何が「想像力」だ。

 最後にもう1つ。多くの反応が出た中で、しかも一度は「一存では紹介できない」などとわけの分からない逃げを打っておきながら、なぜこの一部分だけ反応し訂正しようとするのか。(toroneiさんが最近乱用する言葉を流用させてもらうなら)toroneiさんの記事に対してなされていた批判の「本質」はそこではないだろう。

 「自分が何を言われているのか理解して」というのは、もしかしたらtoroneiさんには過大な要求なのかもしれない。しかし、せめて「自分が何を書いているのか(自分の文章が結果として何を言っているのか)」くらいは理解してほしいものである。

*1:しかし、一部のソースだけで何か書くって、「メディアリテ“ア”ラシー」的にはどうなのか。

2008-04-24

光市の事件について 光市の事件についてを含むブックマーク

 toroneiさんの書かれた、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080422/Fにブクマを付けてコメントしたところ、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080423/Oという新しい日記で

前回の件へのブクマのネガティヴ反応については、色々と面白い意見を貰ったけど、さすがにそれを自分の一存では紹介できないので、その人たちがブログエントリーなどにしてくれるの待ちます(笑)。

と書かれたため、ここを使って、再度指摘をしていこうかと思う。もしかしたら、私の意見は「面白い意見」の中に含まれないのかもしれないが、「面白い意見」の内実が示されていないため、私のものも含まれている可能性が排除できず、「そうおっしゃるなら」と思ってここを使う次第である。


最初に断り書き

 最初に以下のことを断っておく。

1.事件に対する判断そのもの(判決は正しかったのか、そうでなかったのか)を争う気はない。

2.私個人としては、今回出された判決は理解できる(と言うよりも、「そうだろう」という感想を持った)。

3.弁護団の弁護には、信じがたい部分はある(ただし、だからと言ってしてはいけない弁護とはならないと考えるし、被告が望んでいるのならば、ああした弁護を取ることもありうるだろうと思う)。

4.問題としたいのは、裁判や判決に対するtoroneiさんの理解のしかたであったり、裁判や判決の背後にある世界へのtoroneiさんの解釈の部分である。

 以下からは、ブクマコメントで分けた項目それぞれについて補足を行う。


1.本村さんは「田舎の高卒」ではなかったはず

 toroneiさんは、本村さんを以下のような人間と見なしている。

 おそらく国立大とか出てる可能性が高い、アサヒの女がこの程度の見識で、田舎の一青年がここまで渡り合える、というか完全に勝っているんだから、立派と言うしかないです。

 本村さんは、本当によく頑張ったと思います、誤解を恐れずに言えば田舎の高卒の一介のサラリーマンが、日本のトップクラスの法曹界の人間はもちろん、マスコミ人、知識人などとこの九年間渡り合ってきたのは、どれだけ大変な事であり、それらの壁を突破するというのが、どれだけ困難な事であり、決して「愚鈍な大衆を上手く煽って、感情的に流れるようにし向けた」なんて単純な事ではない。

 まとめると、

1.本村さんは、「田舎の一青年」「田舎の高卒の一介のサラリーマン」である。

2.「法曹界の人間」「マスコミ人」「知識人」と渡り合うことは「大変」「壁を突破する」のが「困難」とされていることから、本村さんはこれらの人々に知識の面で引けをとっても仕方がない。

3.しかし、そうした部分を突破して努力した人。

とtoroneiさんは解釈していると理解できる。

 しかしこれは、1については単純に誤っている。http://www.shinchosha.co.jp/writer/3016/に明らかなように、本村さんは広島大学(国立です)出身。高学歴の部類に入るだろう。

 したがって、前提となる1が誤っているため、2や3も成立が難しくなる。「知識の面で引けをとっても仕方がない人」と位置づけられていた本村さんが、(むしろ本村さんと対比されていた)「国立大とか出てる」側に位置を移してしまうためである。

 なお、toroneiさんは、こうした論法を見て、「学歴で知識・知性を判断するなんて差別的だ」と言うかもしれない。誤解してほしくないが、学歴(あるいは出身地・職業)で「知」の量を測っているのは、toroneiさんである。それは、「『田舎の高卒の一介のサラリーマン』であるにもかかわらず『国立大とか出てる可能性が高い』相手と渡り合えることは立派である」と論じていることからうかがえる。この論の背景には、「本来なら負けても仕方がない」という前提があることが明らかであろう。私は、toroneiさんのこうした論法に乗っかっているにすぎない(この論法自体のおかしさは後に述べる)。以前、似たようなことで、こちらに「差別者」のレッテル貼りをされたことがあるので(http://d.hatena.ne.jp/Body/20080414#p1)、注記しておく。


知識をひけらかす以前に、調べもせず適当に語ることの方が問題。

 2点目に移る。

 toroneiさんは、

想像力の欠如を持って知をひけらかして被害者家族を苦しめている姿は、許せないという感情がありました。

と語り、(具体像が誰なのか不明だが)「想像力を持たずに『知をひけらかして被害者家族を苦しめている』」相手を非難している。

ということは、「toroneiさん自身はこうした人間に該当しない立場である(だから非難することができる)」と考えられる。これについては、後で触れる。

さて、話を戻して、上で引用したtoroneiさんの文章を見ると、「想像力の有無」と「知の有無」という別個の要素が組み合わせられ、「許せない」相手が提示されていることが分かる。ここで試しに、「想像力の有無」「知の有無」を用いて、4つの類型を作ってみる。すると以下のようになる。

第1類型:想像力あり―知識あり

第2類型:想像力あり―知識なし

第3類型:想像力なし―知識あり

第4類型:想像力なし―知識なし

 つまり、toroneiさんが非難しているのは、第3の類型に該当するような人間であることが分かる。

 ここで気になるのが、「それでは、toroneiさんは、第3類型に位置する人を非難することができるのか?」ということであろう。

 結論から言えば、私は、toroneiさんの依拠する立場の方がより問題のあるものであると考える。

 上の4つの類型を、許容できる順に並べると、最も求められるべき立場は第1類型、次に(ここは順序が人によって変わるかもしれないが)第2類型と第3類型が来て、最も許容できないものとして第4類型が来る、というものになる。

 自分自身ができていないくせに他人を非難すると、「お前が言うな」となるので、第3類型を非難できるtoroneiさんは、第1もしくは第2類型に位置しているということなのだろう。

 しかし、toroneiさんが第1類型に位置しないということは、きちんと調べもせずに本村さんを「田舎の高卒の一介のサラリーマン」などと誤認している点から判断できる。この方に知識はない。

 また、第2類型に位置するかどうかというのも――「知識」とは違って「想像力」は判断が難しいが――個人的には難しいと思われる。なぜならば、自分がきちんと知りもしない・調べてもいない・指摘されても直しもしない(3つ目は問題の時制がずれるが)ような人(=toroneiさん)に、本村さんに対する(あるいは事件に対する)「想像力」があると言えるだろうか。「きちんと調べた上で語るのでなければ、かえって対象を傷つけるかもしれない」というのが、私が持つ想像力である。こうした点から、toroneiさんが第2類型に位置するとは――真っ当な「想像力」をお持ちだとは――、個人的には思えない。

 第3類型に属しているわけがないことは、言うまでもない。今回非難対象とされているのがこの第3類型であるがため、toroneiさんがこの類型に属していたら、「自分で自分を非難する」というわけの分からないことになる。そんなことは、論理的にありえない。また、toroneiさんに知識がないことは既に述べたため、ここに位置するわけはない。

 そこで残ったものが第4類型である。先に、toroneiさんには知識がないこと、また個人的には真っ当な想像力もないと考えられることを述べているので、この類型に位置することは既に明らかとなっているのだが、消去法を用いても、「toroneiさんは第4類型に位置する」と言える。

 となれば、toroneiさんは、より問題のある立場から、「自分よりはまだまし」な人間に対して非難を行っていたということが言える。きちんと調べもせず、事件の被害者家族についてどうこう述べ、後述するように自論の補強として用いるなど、真っ当な「想像力」を持っている人間にできるわけもない。つまり、toroneiさんは、真っ当な「想像力」も知識も欠如した自分を棚にあげ、「知識はあるが想像力が欠如している人間」を非難しているのである。それは、たとえると、強盗犯が、万引きした人間を非難するようなものである。「あんたの方が、もっとひどいじゃないか」と言われるのは当然であろう。

 これが、ブクマコメントの含意するところである。


自分語りが紛れ込んでいるが、牽強付会では。

 これについては、以下の流れを引用すれば分かりやすいのではないかと思う。

 でもこの人はおそらく人一人を自分が死刑に追い込んだ事を一生背負っていく、でもそういう人だから世間は彼を後押ししたし、感情だけではない部分で、司法や世間を動かすことが出来るだけの、冷静な合理性もそこにはあった。だから裁判を「世間の感情が裁判の結果を左右する」なんて、したり顔で批判している奴は物事の本質を全然見れていない。

 僕はこのブログを始めてから、一つだけ仮想敵にしている集団がいて、それは「知識だけを武器に攻撃してくる想像力に欠けた連中」であり、言葉を変えると「大衆を馬鹿にしているインテリ」ということになるんでしょうか? 僕はそういう連中が感情とかまた違う、想像力の欠如を持って知をひけらかして被害者家族を苦しめている姿は、許せないという感情がありました。

 そんな中で本村さんは、本当によく頑張ったと思います、誤解を恐れずに言えば田舎の高卒の一介のサラリーマンが、日本のトップクラスの法曹界の人間はもちろん、マスコミ人、知識人などとこの九年間渡り合ってきたのは、どれだけ大変な事であり、それらの壁を突破するというのが、どれだけ困難な事であり、決して「愚鈍な大衆を上手く煽って、感情的に流れるようにし向けた」なんて単純な事ではない。それは全く物事の本質を見つける事も、想像力も働かす事も出来ていない。

このように、引用文は3つの段落から構成されている。

 第1段落は、本村さんが冷静であり死刑判決を受け止めるであろうこと、(誰だか分からないが)「『世間の感情が裁判の結果を左右する』と批判する奴」への批判、そうした人間は(何だか分からないが)「物事の本質」が分かっていない(逆に言うと自分はわかっている)、という3パート。

 第2段落は、唐突にtoroneiさん自身のブログにおける「仮想敵」が述べられ、それは先の類型で言うと第3類型に当てはまる人間であり、言い換えると(想像力なし―知識ありだったものが)「大衆を馬鹿にしているインテリ」であることが述べられる。(そこから話が変わり、仮想敵の話だったのに)こうした「仮想敵」に該当するような人(誰だか分からないが)が被害者家族を苦しめている姿は許せないと思っていたと述べられている。

 第3段落は、第2段落を受けて(「そんな中」)、toroneiさんが「仮想敵」とした相手と同様の相手に本村さんが頑張って渡り合ってきたこと、それが「田舎の高卒の一介のサラリーマン」である本村さんにとって、とても困難なことであることが指摘される。その上でどう関係するのか分からないが)この話は、「愚鈍な大衆を上手く煽って(略)」といった話ではなく、それはやはり(何だか分からないが)本質の把握にも、想像力を働かすこともできていないと結論付ける。

 要するに、

この判決は感情で決定されたものではない。そんなこと言う奴は本質がわかっていない(自分はわかっている)

自分は想像力に欠けたインテリを仮想敵としてこのブログで戦ってきた

本村さんも同じ敵と戦ったんだよね(想像力作動)

高卒である本村さんには大変だったろう(想像力作動)

だから、「煽られてる」なんて論は本質的に間違ってる。

という流れである。

 「toroneiさんと本村さんの『敵』は同じである」、「本村さんは非情に冷静に合理的に頑張って戦ってきていてそれが成功した」、「これを認められない奴は本質が分かっていない」という3つのことが述べられているとまとめられる。toroneiさんと本村さんの「敵」が同じであるかどうかなど、根拠も何もないのだが、そこは「想像力」によって補っているのだろう*1

 しかし、こうした論法が、どういった機能を帯びるか、toroneiさんは自覚しておられるのだろうか(自覚しててやっているのならなお悪いが)。本村さんの戦いが実を結んだことで本村さんの戦いの正当性が成立した(と思われている)今、toroneiさんと本村さんの「敵」が同じであると述べること(簡単に言うなら「僕もあなたと同じ奴と戦っているんですよ」とすること)は、自分の位置や言論を無根拠に「正しいこと」としてしまうことになる。

 ,strong>要するに、自覚があろうとなかろうと(自覚しててやっているのならなお悪いが)、本村さんの戦いを引きながら、自分の「仮想敵」との戦いを正当化しようという構図になっている。これを指して「牽強付会」としたのである。

 なお、個人的には、長い戦いを経てようやくひと段落した人(しかも、ひと段落しても、救済されるわけでもない)に寄っていって、「僕も同じ敵を『仮想敵』にしています」とする文章を書く人間に真っ当な「想像力」があるとは、やはり思えない。


論の図式が単純すぎ。

 最後である。

 ここまで、toroneiさんが、「本村さん=知識人ではない人」と位置づけ、本村さんのやり方や判決を批判する人々を「想像力を欠いた知識人」と位置づけてきたことを見た。

 しかしことはそう単純ではない。ここまでは、この構図に乗っかって私も批判してきたが、この構図そのものがおかしい。

 まず、「本村さんが知識人ではない」という論が、おかしい。学歴(それも誤認した)によって本村さんを「知識人ではない人」と位置づけておられるようだが、学歴で知識や知性は図れない。理想論ではなく、中卒だろうが高卒だろうが、学校とは別の場で身につけられる知識や知性もあり、そのことによって「知識人」となる人も存在する。本村さんは、裁判や弁護に関する知識をそもそも持たない人であったろうが、経験を通して知識を身につけていったと捉えるべきであろう。同様に、「田舎」出身であろうと、「サラリーマン」であろうと、自らが暮らしてきた経験の内から「知」を形成することは可能だし、そうした「知」をもって「知識人」(とtoroneiさんが位置づける人々)と議論することは可能である。

 また、(実体が不明なので困るのだが)本村さんのやり方や判決を批判する人々(あるいは、弁護活動を擁護する人)を「想像力を欠いた知識人」と位置づけるのはおかしい。toroneiさんは、ご自身が持っていると思い込まれている「想像(妄想)力」のみが、「想像力」だと思われているのかもしれないが、世の中には想像力は(それこそ妄想や空想のレベルまで)無数にある。どういった方向に、どう想像を向けるかという意味において「無数」と述べていると理解してほしい。つまり、世の中に「想像力」を持たない人はいない。

 こう考えると、なぜtoroneiさんは、特定の人々を「想像力を欠いた」と位置づけられるのだろうか。このようなことを述べるからには、「この点で、誰に対する、どのような想像力を欠いている」と指摘しなければいけないはずなのだが、それをしない。要するにtoroneiさんは、自分の意に沿わない「想像力」の持ち主を、「想像力を欠いている」と非難しているだけなのである。きちんと書くならば「自分と同じ想像力を欠いている」ということになろう。しかしそれならば、「そりゃそうだろう」「何であなたと同じ想像力を持つ必要があるのか」という反論が返ってくる。したがって、本来ならば「なぜ自分の(良いと思う)『想像力』が良いのか」「対する相手の『想像力』がダメなのか」を論じなければならないが、それはされていない。

 以上のように、toroneiさんの論法においては、人々の位置づけや対比が単純すぎるし、人々の論を批判する時の論理性や根拠が全くないのである。


書けなかったこと

 最後に、字数の関係でブクマにはかけなかったことを箇条書きで。

  • (既にブクマで指摘されているが)「卑劣なやり方」の弁護とは一体何か。何をもって判断したのか。
  • 弁護を受ける権利を認めておきながら、特定の形の弁護を「正しくなかった」「卑劣」と排除する根拠は何か。今回の弁護も、荒唐無稽であったにせよ、それが取りうる方法として限られたものの一つ(あるいは弁護団の良心の表れ)であったことは、多く指摘されているし、今枝弁護士らも認めるところである。その「戦術」や「良心」が自分に合うかどうかという論点はあるにせよ、特定の形の弁護を「正しくなかった」と否定することはできないだろう。この点についても、知らないことを知っているかのように語る姿勢が現れている。

おわりに

 以上である。ご要望に応えて、エントリーで指摘をさせていただいたので、応答をお待ちしたい。

*1:余談だが、根拠のなく人と自分の立場を同一視するような「想像」は、「想像」ではなく、通常は「妄想」と呼ぶ。

2008-04-19

今回もやられた 今回もやられたを含むブックマーク

 toroneiさんが、またもブクマコメントを削除された。http://d.hatena.ne.jp/Body/20080414#p2にて触れた

感情だけで物を言ってはいけないの? あと自分の感情=庶民感情、何が間違い? 「庶民を代表して」と言っているのならともかく(笑) 多くの反応はその通り、でもあえて言わなきゃと思った、こういう声はあるとね。

というものだが。

 ご自分の反論自体をなかったことにしようという意図が、よく分からない。ご自分で「この反論は、ずれている」と気付かれたのだろうか。しかしそうであるならば、また違った反応をする方が(たとえば拙ブログにてコメントをする等)まだ理解できるのだが。

2008-04-15 別件ではあるが

動機の説明 動機の説明を含むブックマーク

 何となく自分のブクマを見ていたら、私のブクマを取り上げて、こんなこと(http://d.hatena.ne.jp/mo_hate/20080413)を書いておられる方がいた。

 以下引用したい。

内容を見ると、昨日の風はどんなのだっけ?さんのアンチの様子。

しかしその徹底ぶりが半端ありません。

Bodyさんはダイアリをやっていないようですが、このブックマークは2年前からやっているようです。

一年以上前に増田で既に言及されていますが、このブックマークはまだ続いています。

(略)

何が彼をそこまでさせるのでしょうか?

 確かに、動機を不思議がられてもおかしくはないだろう。

 なので、動機を説明しておきたい。

きっかけ

 toroneiさんのことを知るきっかけは、toroneiさんのhttp://d.hatena.ne.jp/toronei/20060228/Jというエントリがきっかけ。

 このエントリは、自分が参加していないお笑いのイベントに対して、他人の感想ブログを誤解して、誤解に誤解を重ねた憶測でイベント主催者を罵倒するというもの。その上、誤解が指摘されたら逃げを打つというtoroneiさんの態度(http://three-out-change.air-nifty.com/trash/2006/03/31_7195.htmlなど)に、正直に言って憤りを覚えたのが発端であったように記憶している。

「toroneiさん」って?

 そこで、「こんなとんでもないことを言う人がいるんだ」と驚いたものの、ほぼ同時に、2ちゃんのネットウォッチ板に専用スレッドがあることを知る(現行スレッドは、当ブログのヘッダー部分からリンクしている)。

 過去ログ等を見るにつけ、toroneiさんのとんでもなさをさらに知る。

そこでブクマを

 そこで、私自身もヲチャーとなり、ヲチのためにブクマを付け始めたというのが流れである。toroneiさんをヲチするため専用のアカウントなので、toroneiさんだけを追っている形になったわけであった。また、さかのぼってブクマしたものもあるので、toroneiさんのことを知ったきっかけのエントリよりも、前のものに付けたブクマもある。

 なお、タグに引っかかる人もいるだろうが、タグは完全に分類用である(タグの意図についても、いずれ説明する機会を設けたいと思う)。

まとめ

 したがって、「関わり合いにならないほうがよさそう」という増田の記事は、妥当だと思う。toroneiさんをヲチするためだけのもので、原則としてtoroneiさん以外の人とやりとりする意図はないものなので。

 また、「Bodyさんはダイアリをやっていないようですが」というのも、ダイアリーを利用し始めたのが最近のことなので、仕方ないことだとも思う。なお、ダイアリーを利用し始めたのは、toroneiさんからのリアクションがいただけるようになったから。応答への応答を行うためにはダイアリーを用いる必要があったためである。

2008-04-14 反応をいただいたので

 久しぶりに、toroneiさんご自身からブクマへの反応をいただいた。

 一方で、以前出した疑問にはお答えいただいていない。toroneiさんが「反応しよう」「回答しよう」と思う基準は一体何なのだろうか。

1点目 1点目を含むブックマーク

 とにかく、1点目について。

問題のエントリを引用

 まず、焦点となったエントリを引用する。以下の文章は、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080411/Xより。

 これを読んで僕はどうしてダウンタウンよりトミーズが好きだった時代が一時期あったか、ナイナイに対する評価が大阪で低かった頃に、ナイナイが好きだったのか分かった気がしました。にづかさんが20歳ぐらいまでは好きだったという、「学校ぽい雰囲気」というのが、僕は自分がお笑いファンになった小学校高学年の頃から苦手だったんですよ、少なくとも「お笑い芸人」にそれは求めていなかった。

 もちろん「学校ぽい雰囲気」なんて空気は、当時リアルに学校に行っていた僕には分からなかったけど、でもダウンタウンは漫才中心だった頃は大好きでよく見ていたけど、「4時ですよ〜だ」で集団コントや若手に罰ゲームをさせるゲームコーナーノリが中心になってきて、少し冷めてしまって「ざまカン」とか見るようになって、「夢で逢えたら」を見るようになって、またダウンタウンを好きで見るようになりました。

大阪時代にダウンタウンの作っていたファミリーは、今ちゃんにしても、東野リーにしても、130Rにしても、それぞれラジオや新喜劇で僕は大好きだったのに、そういう僕が大好きな人たちばかりでやっているはずの、ダウンタウンの番組でコントやゲームが、どうも楽しめなかったんですよね、それは当時は何故か分からなかったけど、そういうノリが10代の頃から自分は好きじゃなかった。という事がいまにして思うと分かる。

だから大阪で凄い孤高みたいな存在になっていた、トミーズとか、ちゃらんぽらんとか、シンプレとか、今にして思えば本当に一匹狼な雰囲気を出していた人たちばかり、好きだったのがよく分かります(笑)。

「夢で逢えたら」が良かったのは、ダウンタウンとウンナンというのが、凄いお互いがお互いを尊敬していて、仲良しなのにも関わらず、どこかクールで距離を置いている、でもお互いに大好きというのが伝わってきて、もちろん当時はそんな事を言語化しては気付いていないけど、でもそういう大人の友達付き合いみたいな、そういうクールな関係が僕の憧れやすい関係性であり、そういう関係だからこそ出来ていたのが、あの番組の笑いや空気だったと思う。

だからトミーズ、ちゃらんぽらん、シンプレから、すぐにナイナイとよゐこになって、「WACHACHAブーム」の頃にはブームのチョイ前ぐらいから、丁度「笑いの剣」がネタ番組じゃなくなったあたりで、吉本の若手芸人だけの番組を積極的に見なくなっていて、ぜんじろう、ナイナイ、よゐこ、藤井隆に意識が移っていたし、「ボキャブラ」の影響で「東京のお笑いは大阪人には笑えない」なんて偏見もなくなっていった。だから「めちゃモテ」のナイナイとよゐこが見ていて悲しかったの、いまだに「めちゃイケ」に対して憎しみがある理由というのが、いまようやく分かったよ(笑)。

(略)

うめだ花月の芸人が用事もないのにbaseよしもとの楽屋に顔を出す、baseよしもとの芸人がワッハでインディーズライブやっている楽屋に顔を出す所なんか、まさに卒業生のOB部活訪問ですね(笑)。

(略)

にづかさんがこういう事を言うと、「自分たちが劇場に積極的に見に行って、大人の男が見れるライブを育てればいいじゃないか」と言う声が出てくるんですが、でもそれは種や芽があれば出来る事で、何にもないところや違う花が咲いているところに水を撒いても、それは育てる事は不可能ですよね、しかもいま「男受け」と言われているライブや芸人だって、あくまでも「大阪のお笑いライブの中では比較的そう」というだけで、本当にそっちなのか? と言われると違う気がするんですよね、なんか「女子中高生が思う、男の子が好きそうなもの」というのを具象化しているだけの気がして仕方ないです。悪いけどいまの大阪の若手の笑いを楽しめる人は、実年齢が20代や30代で、性別が男性でも、精神的に少女性が強くある人のように思えてならない。それぐらい完全に女子中高生向けに強力にシフトしている文化を楽しめる感性というのは、ある一面では含むところ無く凄いなとは思いますけどね、夢枕漠や高橋源一郎が少女漫画を語るように、そういうお笑い文化の肯定については、大人の男性に語って貰いたい。

本題のR藤本がフットサルさせられる件についても、簡単にコメントしておきます。

(略)

この時期にR藤本にベジータ以外で露出させるなんて、せっかくのキャラを潰すようなもんですよねえ……、そういう事をどうしてもやりたいのなら、もっと売れてからにしたらいいのに……、いやきっとサイヤ人仕様の特注ユニフォームが、藤本さんには用意されているんですよ、きっとそうに違いありません(笑)。ちなみにベジータの堀川りょうは、OVAの「新・キャプテン」で巨漢DFの次藤洋役で出演しています、というのをご参考までに書いておきます(笑)。

しかし「ヨシモト∞」でジャルジャルに酷い弄られ方していたのを、彷彿とさせるようなイベントに、R藤本にとってはなりそうですねえ……。

焦点となっている部分

 前半はtoroneiさんの遍歴が書かれているだけなので、そこについては触れない。

 焦点となるのは、

うめだ花月の芸人が用事もないのにbaseよしもとの楽屋に顔を出す、baseよしもとの芸人がワッハでインディーズライブやっている楽屋に顔を出す所なんか、まさに卒業生のOB部活訪問ですね(笑)。

(略)

にづかさんがこういう事を言うと、「自分たちが劇場に積極的に見に行って、大人の男が見れるライブを育てればいいじゃないか」と言う声が出てくるんですが、でもそれは種や芽があれば出来る事で、何にもないところや違う花が咲いているところに水を撒いても、それは育てる事は不可能ですよね、しかもいま「男受け」と言われているライブや芸人だって、あくまでも「大阪のお笑いライブの中では比較的そう」というだけで、本当にそっちなのか? と言われると違う気がするんですよね、なんか「女子中高生が思う、男の子が好きそうなもの」というのを具象化しているだけの気がして仕方ないです。悪いけどいまの大阪の若手の笑いを楽しめる人は、実年齢が20代や30代で、性別が男性でも、精神的に少女性が強くある人のように思えてならない。それぐらい完全に女子中高生向けに強力にシフトしている文化を楽しめる感性というのは、ある一面では含むところ無く凄いなとは思いますけどね、夢枕漠や高橋源一郎が少女漫画を語るように、そういうお笑い文化の肯定については、大人の男性に語って貰いたい。

の部分だろう。

このエントリ(におけるtoroneiさんの主張部分)の概要

 まずtoroneiさんは、「baseよしもとの空気が学校っぽい」と主張する。その上で、そうした現状を「「女子高生とお年寄りしか行ける劇場がない」という現状」と位置づけ、

なんか「女子中高生が思う、男の子が好きそうなもの」というのを具象化しているだけの気がして仕方ないです。悪いけどいまの大阪の若手の笑いを楽しめる人は、実年齢が20代や30代で、性別が男性でも、精神的に少女性が強くある人のように思えてならない。それぐらい完全に女子中高生向けに強力にシフトしている文化を楽しめる感性というのは、ある一面では含むところ無く凄いなとは思いますけどね、夢枕漠や高橋源一郎が少女漫画を語るように、そういうお笑い文化の肯定については、大人の男性に語って貰いたい。

と結論付ける。そういう流れだと理解した。


ブクマで私が指摘したことと、その根拠は何か――「悪いけど」ってことは、肯定的評価じゃないわけですよね。

 さて、問題は、

悪いけどいまの大阪の若手の笑いを楽しめる人は、実年齢が20代や30代で、性別が男性でも、精神的に少女性が強くある人のように思えてならない。

の部分である。「悪いけど」と言っているということは、toroneiさん自身は「少女性が強くある」ということを肯定的には見ていない。肯定的な評価を他者に付与するときに「悪いけど」という前ふりが必要になるはずはないだろう。したがって、この部分が含むところを補足しながら書き直すと、「(toroneiさん自身は決していいこととは思っていないので、こういう評価を下すのは)悪いけど〜」という文章となるのではないか。そう読んだため、私は、

「悪いけどいまの大阪の若手の笑いを楽しめる人は、(略)少女性が強くある」って、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20060217/Gなど、「エリート意識」から他者を見下すことを嫌ってませんでしたか?自分がやるのはOKなんですね。

とブクマコメントを書いたわけである。

 自分を枠の外に置き、自分とは異なる嗜好を持つ他者に対して、決して肯定的とは言えない(と自分で考えている)評価を付与することが、「『エリート意識』から他者を見下すこと」ではなくて何だろうか。

toroneiさんの返答

 これに対してtoroneiさんは、次のように返答された。

文面よく見ていますか? 「少女性があること」は凄い事とも書いています、それは貴方が大人の男が「少女性を練っている事」に偏見があるからで、貴方の方が差別しているんです。

どうも、ご自身が書いたことや、ご自身が文章を書いた時の感情をお忘れになっているらしい。「悪いけど」とご自身が書いているではないか。

続けて――「ある一面」って限定をかける意味をご理解してますか?

 また、「『少女性があること』は凄い事とも書いています」というのは、元々の文章と照合させると、微妙にニュアンスが違う。元の文章はこうである。

それぐらい完全に女子中高生向けに強力にシフトしている文化を楽しめる感性というのは、ある一面では含むところ無く凄いなとは思いますけどね、夢枕漠や高橋源一郎が少女漫画を語るように、そういうお笑い文化の肯定については、大人の男性に語って貰いたい。

該当するのは、「ある一面では含むところ無く凄いなとは思います」の部分であろう。

 ブクマコメントだと、無条件に「凄い」と評価しているように書いておられるが、実際は「ある一面では」と限定されている。toroneiさんは、「ある一面では」といった限定をかける意味が分かっておられるのだろうか。これは、「全面的に評価(ここでは「凄い」というもの)が該当するわけないが、ある部分では該当する」ということである。つまり、いずれにせよtoroneiさんは、「全面的に凄いと思っているわけではないが、ある部分では凄いと見ている」=「肯定評価と否定評価が混在している」と主張しておられるわけである。

結論

 このように、2点(「悪いけど」と「ある一面」)から、「toroneiさんは「少女性」を肯定的な意味で使っておられない」と判断したわけである。その上で、「自分が否定的だと考えている評価を他人に付与するのは(toroneiさんの基準からしても)問題なのではなかったか」としたまでにすぎない。つまりは、このブクマコメントは、toroneiさんの文章中/文章間に生じている矛盾を指摘したわけであり、私自身の価値判断を(「矛盾をきたすのはみっともない」というもの以外)含めたものではない。

 したがって、「貴方の方が差別しているんです」という指摘は、私に対する中傷でしかない。自分を棚に挙げた上に、こちらを不当に謗るのはやめていただきたい。

余談

 以下は余談だが、気になるので指摘しておく。

1.「少女性を練っている」とは一体何のことか。

2.http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080408/Bなどで、文章を書く時の基準を「自分が読み書きしていて一番気持ちいいのは、この書き方であり一番自分の喋り言葉に近いリズムが出ている」から、たとえ周囲から指摘されても修正する気はないといったことを書かれておられる。それはそれで別に構わないが、そのような書き方(他人よりも自分を優先した書き方)をした場合、「誤読」が容易に発生することになぜ気づかないのだろうか。また、そんな書き方をしておきながら、今回のブクマ等で「文面よく見ていますか」など、読み手に責任を被せるようなことを言うのはどういった了見か*1。意図をきちんと把握してほしいのならばきちんと書くべきだし、きちんと書きたくないのなら誤解されることを許容すべきであろう。

2点目 2点目を含むブックマーク

 続けて、今回返答いただいた2つ目のブクマについてである。

問題のエントリを引用

 ここでも、まず焦点となっているエントリを引用する。引用はhttp://d.hatena.ne.jp/toronei/20080413/Bより。

 いやあマジで怖いよ、そういうビラ配る人が団地やマンションに入ってくるって、右翼の街宣車と同じぐらい、宗教と左翼のビラ配りの人たちが、マンションや団地の共有スペースに入ってくるのは、市民社会にとって驚異であるということを、浮き世に着地していない人たちには分からないようです。まして庶民感情として、ピザ屋と政治・宗教・思想団体のチラシを捲きに来る人の違いは歴然とある事は、市井の人たちの素直な気持ちですよ、思想の内容は関係ない。左だろうが右だろうが、そういう人が入ってくるのは、良い悪いではなく単純に怖いという気持ちはある。

(略)

一般の人の常識が通用する相手なんだから、商業人の方が来ても怖くないよね、思想屋は時として一般の人の常識が通用しないんだから、居住スペースに入ってきてほしくない連中と思われるのは仕方ないでしょう。右翼の街宣車と同じぐらい、思想団体や宗教のチラシ配りの人が入ってくるのは怖いし迷惑です。

ご自身の体験(http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080411/U)をふまえて、ビラ配りが住居にビラを配ることを規制するのは、当然であるとみなす。そうした判断は、「庶民感情」「市井の人たちの素直な気持ち」において妥当であるとするもの。

ブクマで私が指摘したこと――toroneiさんの感情が、なぜ「庶民感情」「市井の人たちの素直な気持ち」と同一化されるのですか

 こうしたエントリに私が付けたブクマコメントは以下の通りである。

判決の妥当性についてはおいておくとしても、このエントリは、何の根拠もなく、「自分の主張=庶民感情」としているだけ。「庶民感情」って一体何ですか。しかし、「感情」で司法判断を論じるのも、すごい態度だ。

 「判決がいいか悪いか」という判断そのものについては議論する気はない。いろいろな観点や根拠によって、論じられるだろうし、それぞれに正当性がありうるから。

 私が、toroneiさんの文章に違和感を持ったのは、「toroneiさん」という特定の個人の感情が、いつの間にか「庶民感情」と言い換えられ、さらにそれが「市井の人たちの素直な気持ち」とすり替わっているからである。

 toroneiさんが、ご自身の体験に基づいて、「私はこういう体験をしたので、この判決は理解できる」とするに留めるのならば異論はない。しかしtoroneiさんのこのエントリは、それ以上のことを言っている。toroneiさんのこのエントリでは、あくまでもご自身の感情に基づいただけのものである「判決は理解できる」という判断が、「市井の人たちの素直な気持ち」と類似するものと位置づけられ、それによってこうした判決を妥当視する人が一般に多いかのように論じられているわけである。

 しかも、それだけではなく、判決に異論を唱える人に対し「浮き世に着地していない人たちには分からないようです」と批判しておられる。ここでも、「『浮き世』=世の中で一般的になっている(あるいはそうなるべきである)のはtoroneiさんの判断である」という論が(元々はご自身の体験談でしかなかったのに)すり替わっているのである。

誤解しないでいただきたいのだが――自分の意見を一般化させる方法はあるし、きちんとすれば問題はない

 「浮き世」で一般的な意見が何なのか、「庶民感情」や「市井の人たちの素直な気持ち」が何なのか、根拠を(たとえば意識調査などがあるのなら)示した上で、論ずるのなら、別に問題はなかろう。ただ、toroneiさんの場合は、そうした手続きを何も踏んでいないわけである。

toroneiさんの反応は

こうした思いを背景に持ち、上述したようなブクマコメントをつけたわけである。そうしたところ、toroneiさんからブクマで反応があった。以下に引用する。

感情だけで物を言ってはいけないの? あと自分の感情=庶民感情、何が間違い? 「庶民を代表して」と言っているのならともかく(笑) 多くの反応はその通り、でもあえて言わなきゃと思った、こういう声はあるとね。

これは、私に向けられているであろう部分とそうでない部分とがあるが、私のブクマコメントに該当するもの(ゆえに私にも向けられていると思われるもの)については項目に分けて反論を行う。

間違いも何も、根拠が全くないじゃないですか

まず、

>自分の感情=庶民感情、何が間違い?

について。

 この反応には、2つの点でおかしさがある。

 1点目は、「『庶民』とは何か」ということである。toroneiさんは一体何をもって「庶民」と位置づけているのか。それがあいまいであれば、「『(実体の不明な)庶民』の感情」を云々したところで、何の意味もなさない。

 次は、「本当にtoroneiさんの意見が『庶民感情』なのか」ということである。toroneiさんが何を「庶民」としているのか分からないが、なぜ自分の感情を「庶民感情」と同一視できるのだろうか。この点が全く分からない。こうした2点が明らかでないため、

>自分の感情=庶民感情、何が間違い?

という反応には「間違いも何も、自分の主張と『庶民感情』が一致することに関して何の根拠も示してないじゃないですか(間違いかどうかを判定する以前の問題です)」とお返事しておきたい。

要するに、ブクマコメントで私が既に指摘していることなのだが、どうもtoroneiさんの目には入ってなかったようである。

「庶民」って言葉は、背後に集団が存在することを前提としている言葉ですよ

続いて、

>「庶民を代表して」と言っているのならともかく(笑)

について。

 この反応からは、toroneiさんが、そもそも「庶民」という言葉をきちんと理解していないことがうかがえる。

「庶民」などの言葉は(たとえば「国民」や「市民」などもそうだが)、たとえ単一の人間を示す意味で使っていたとしても、その背後に何らかの集団が存在することを前提とする言葉である。つまり、「大阪在住のtoroneiさんという一個人」の意見であっても、それが「庶民感情」と言い換えられることによって意味合いは変わってくる。どう変わるかというと、「大阪在住のtoroneiさんという一個人の意見だが、それは『庶民』という集団の感情と同一である」という含意が発生するわけである。

 また、こうした、「含意の発生」を裏付けるかのように、元々のエントリにおいても、toroneiさんという一個人の主張に過ぎなかった文章が、「市井の人たちの素直な気持ちですよ」となっているではないか。「市井」「人たち」という言葉から、toroneiさんは「自分の主張が一般的広がりを持つ」と認識していることが分かる。

 したがって、「庶民を代表して」と明言していなくても、実質的に同じことを述べているわけである。

 もしtoroneiさんが、こうした意識を持つことなく元のエントリを書いておられるのならば、「言葉の使い方があまりにも雑である」と指摘しておく。

「感情だけで物を言ってはいけない」のか――何を言うのかによる

 順序が逆になったが、続いては

>感情だけで物を言ってはいけないの?

について。

 結論を先に言うならば、「何を(どの程度まで)言うかによるでしょう」ということになる。

 第1に、toroneiさんは、上にも書いたとおり、ご自身と異なる意見の持ち主を、感情に基づいて「浮き世に着地していない人たちには分からないようです」と批判しておられる。他人を批判することは自由であるが、単なる感情に基づいた批判は中傷とほとんど違いがない。他人を批判するのならば、「私がそう思うからお前らは変だ」という論法ではなく、きちんとした論理と根拠に基づいて批判を行うべきであろう。この点で、「そういうことまで言いたいのならば、感情だけで物を言ってはいけない」と指摘しておきたい。

 第2に、これは司法に関する問題である。もちろん、司法に関することであっても、自分一人の感情だけに基づいた意見を提示することは、構わない。しかしその際には、自分の意見が、あくまでも「自分一人の」「感情だけ」に基づいているという限界を認識しておかねばならない。しかしtoroneiさんは、ご自身の論の限界を認識できていないようである。司法は、周囲で見ている人間の感情を反映して是非を判断するものではない。そうしたものとは独立に、さまざまな観点から事象を判断するのが司法である。したがって、「感情を反映しているからこの判決は理解できる」という意見が、司法に対する評価として成立していないことを認識するべきだろう。にもかかわらず、toroneiさんは、自分の感情的評価を「一般的に広がりを持つもの」と位置づけ(上述)、そうでない論を「浮き世に着地していない」と批判する(やはり上述)。こうした態度から、toroneiさんはどこかで、「自分の論は単なる感情論だ」ということをお忘れになったのではないかと判断したわけである。

 第3に、これは、他者の行動を規制することにかかわる問題である。他者の行動(それもある程度は憲法で保障された)を、個人的感情で規制することが正当化できるわけがない。その点で、感情だけで物を言うのは問題がある。

結論

 長くなったが、簡単にまとめると、以下のようになる。

1.「庶民」だの「市井」だの「市民社会」だのと、集団的な意識と自分の主張が合致するかのような論法を使っているが、その根拠はどこにあるのか。

2.「代表してない」というが、「庶民」等の用語を持ち出して持論の補強を行っている点で、実質的に「代表」として主張を行っているじゃないか。

3.他者を批判するのなら、感情ではなくきちんとした論理と根拠を示さないと、それは単なる罵倒だろう。

余談

 以下は余談だが、toroneiさんのこのエントリは、

1.「怖い」という理由がビラ配布を制限する根拠となるのか。

2.ビラ配布と街宣を同一視することは妥当か。

3.商業活動と思想の表明を同列に並べて論じられない理由について、きちんと理解できていないのではないか。

4.商業人を「常識が通用する相手」とし、「思想屋」を「時として一般の人の常識が通用しない」としているが、「時として」なんてことを言い出したら、それは「商業人」も同じではないか。例外的な事態は何にでもある。

5.ブクマで「こういう声はある」と述べておられるが、自分の意見を「わざわざ示さなければいけないような希少な『声』(=意見)」であるとするのは、「市井の人たちの素直な気持ち」というのと矛盾している。市井の人たちの意見と同一のものだとするのであれば、わざわざ述べる必要はない。

6.押し売りや宗教の勧誘(ドアを開けて対応しなければいけない)と、街宣(声がいやでも聞こえる)と、ビラ配り(ポストへの投函)とが、toroneiさんにとっては同程度の怖さを喚起することなのか。同程度じゃないのならば、規制の程度や規制される可能性が、それぞれで変わってくる。

など、引っかかる点が他にもあるのだが、元のブクマコメントに私が書いたことではないので、指摘するに留める。 

以上 以上を含むブックマーク

 今のところ、今回は以上である。

 私はコメント欄も開放しているし、トラバが来ても削除したりしないので、toroneiさんからのご返答をお待ちしたい。

 また、以前問うたことへのご返答もまだいただけていない状況なので(ブクマで反応するのならば、こっちを先にやってほしいという思いがあるが)、そちらもお待ちしている。

*1:もっとも、今回のブクマでの指摘は、上で述べたように的外れであったのだが。

2008-03-15

結果として 結果としてを含むブックマーク

 昨日、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080313/U等の記事にトラバを送ってtoroneiさんに疑問を提示した。

 結果、トラバは(昨日のものだけではなく、しばらく削除されずに残っていた9日のものまで)削除され、3月9日の拙文に付けていただいていた

2008年03月09日 toronei blog, はてな 批判でも中傷まがいになっているトラバは読みたくないし、読ませたくない。貴兄はこういう風に論を組み立てて丁寧に批判できている、ブクマで煽るような口調でするような事からしない方が良かったのでは?

というブクマコメントも削除された。

どうも「なかったこと」にしたいらしい。


 toroneiさんは、少なくとも私が拙ダイアリーで書いている文章については、「こういう風に論を組み立てて丁寧に批判できている」と「丁寧」であること=「中傷」ではないことを示して下さっていた。

 にもかかわらず、批判が続けられると、トラバを削除する。私自身の文体が持つ「丁寧」さは何も変わっていないはずなのだが。このことから考えると、「丁寧」「中傷」であるかどうかということは、トラバを削除するか否かという基準とは無関係なのだろう。「丁寧」さは変わらない私のトラバが、一度は受け入れられ、その後削除されたのだから。

 以上のことを総合すると、

  1. toroneiさんは、「中傷まがいになっているトラバ」だから「読みたくないし、読ませたくない」のではなく、(何らかの理由で)自分が応答できない批判を「なかったこと」にしたいのではないか。
  2. すなわち、(何らかの理由で)応答できないことを、(誰にかは知らないが)「読ませたくない」がため、削除しているのではないか。
  3. 「中傷」とは何かといったことは、toroneiさん自身にとってさほどの問題ではない。「中傷」というのは、単にトラバ削除を正当化する方便なのではないか。

ということが考えられる。

 「中傷だから消すんだ」などと、他人に責任を負わせるようなみっともないことをしないで、「自分は応答できないから消すんだ」「批判が残っているとみっともないから消すんだ」と正直に言った方が、まだいいのではないかと個人的には思う。少なくとも、言動が矛盾を起こすことはないし、一貫しているわけだから。批判から(それが「丁寧」であろうと何だろうと)遁走する姿を見て、率直に言って、あきれた。。私に対して「度胸」をどうこうと言っておられたが(http://b.hatena.ne.jp/toronei/20080224#bookmark-1710375*1、toroneiさんの「度胸」とは一体何なのだろうか。


 ともあれ、toroneiさんが私による批判を「なかったこと」とし、toroneiさんからの反応がない限り、拙ブログを使用し続ける意味はあまりない。したがって、拙文に対するtoroneiさんからの応答がない限り、本日のこの文章をもってダイアリーの使用を停止し、またブクマの使用を主とすることにする。長文で述べる必要があったり、toroneiさんの反論への再反論が必要な場合は、ダイアリー使用を復活させることになるかもしれないが。

 なお、9日に、

私の主観では、実際に、「丁寧」な文面を備えた批判もなかったことにされた例を見てきた(これについては今後取り上げる)

と書いたが、これについては中止することにする。toroneiさんがどういった批判を削除してきているのかを、ブクマ経由で拾い上げていき*2、本当に「中傷」なのかを問うていこうかと思っていたのだが、toroneiさんから反応がない以上、そのようなことをしても意味がないためである。

*1:どうでもいいが、toroneiさんのこのブクマコメントも事実誤認がある。

*2:ブクマには、リンクされていることが表示されているので、ダイアリーと照合すれば削除されたかどうかが判別可能だろうと思ったため。

SUGARISUGARI 2008/03/15 18:12 上質であると思います。
まだ”第一部”が始まったばかりではないでしょうか。
身勝手な願望であることは重々承知しておりますが、
益々のご発展と魅惑の展開をお祈り申し上げます。

ただただ応援していることをお伝えしたくて。

BodyBody 2008/03/15 23:05 コメントありがとうございます。
toroneiさんと、ようやく会話が成立するかと思ったのですが、無理でした。残念です。

2008-03-14

toroneiさんからの応答来ず toroneiさんからの応答来ずを含むブックマーク

前の日記で、私は、

「読みたくない」という部分だけならば、「どの部分が『読みたくない』かを言えばそれは別にかまわないだろう」と思えるのだが、なぜそれを他人に「読ませたくない」のか。その理由が全く明らかになっていない。「読ませたくない」ということが、トラバ削除の理由の大部分を占めていると思われるので、なぜ、中傷的なものだと読者に「読ませたくない」のかをきちんと説明していただければありがたい。

また、念のために言っておきたいが、私は「煽るような口調」を用いたという意識を持っていない。どれが、なぜ「煽るような口調」と判断できるのか、指摘してもらえればもう少し考える余地も出るが、これだけでは何とも言いようがない。

このエントリの最後に、一点質問したい。toroneiさんは、「批判」と「中傷」にそれぞれいかなる定義や判断基準を持っておられるのだろうか。

という3つの問いをtoroneiさんに向けて出した。

つまり、「読ませたくないって何で?」「煽るって何が?それを言ってもらえないと、ブクマを省みようもないよ」「批判・中傷の定義を教えて」という3つの問いである。

しかし、その後、toroneiさんから説明をいただけていない。

一方では、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080311/Ahttp://d.hatena.ne.jp/toronei/20080313/Uといった、「toroneiさん自身によるブログ論」を続けて書かれている。この、toroneiさん自身によるブログ論が、何らかの応答になっているのかと思って読んでいたが、こちらが指摘したことを考慮しておられる様子も全くないし、こちらが問うたことを説明していただけているわけでもない。

それどころか、

基本的に僕は自分基準において「付き合う人」「付き合わない人」を決めるのは、大事な自己防衛だと思います。http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080311/A

だとか、

こういった事やブクマなどの評判を気にしてまで、個人の趣味のブログはやるべきではない。そっちに気を遣うぐらいなら、とにかく駄文でも書き散らしでも落書きでも良いから、とにかく書いておく事の方が大事です。ブログは深夜ラジオやトークライブと同じ、とにかく何でも良いから喋るのと同じ気持ちで書くことが大事、僕がこのブログを始めたときに最初に考えた事は「深夜ラジオのフリートークのノリ」でしたが、いまこうやってやつていて思うのは、喋った方が楽かなあと思うぐらい、文法や文章の正確性よりも、喋り言葉に近い書き方でライブ感を出す、とにかく間違っていても良いからその時の感情を優先する事、「どれだけ遅れてもその日の話をその日に書く」というのも、そういう考えを元にしてやつている。http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080313/U

だとか、自分のブログで付き合う人は「自分基準」であること、自分のブログに価値はないということ、自分が書いたことに無責任であることを正当化する文章を乱発しておられる。

別に、自分基準で付き合う人を決めること自体もかまわないし、無責任なものを書いていると自覚していること自体も結構なことであるが。どうしても私には疑問が浮かぶ。以下、疑問を述べていく。

(1)toroneiさんは、「付き合う/付き合わない」ということと、「(コメントや)トラバを許可する/削除する」ということをイコールで考えておられるのではないか。

これまでに問題視されてきた(そして私も指摘した)、批判トラバの削除は、「付き合う/付き合わない」といった次元とは別の問題である。「批判トラバに答える/答えない」ならばイコールで結びつけることもある程度妥当かもしれないが。トラバを削除するということは、「自分への批判と付き合わない」ということではなく、「自分への批判を不可視化する/抹消する」というものと近い。トラバ削除を正当化したいのなら、付き合い方とは別の次元で正当性を論じる必要があるはずであろう。

(2)無価値であるとしつつ、批判を消すのはなぜか

自分で「ブログは無価値」とするのなら、なぜ批判的なトラバを削除するのか。また、なぜ「読ませたくない」などと、読者からの評価を気にするのか。無価値なものと思っているのなら、批判も含めて読者の読みに任せればいいではないか。にもかかわらず、特定の批判を、基準を示すことなく「中傷」と非難し削除するのか。結局のところ、toroneiさんは、「批判によってブログの価値が減ずる」と考えており、だからこそ「ブログの読者に読ませたくない」と考えておられるのではないか。要するに、「無価値である」ということと、「読ませたくない」という態度は両立しないのである。「読ませたくない」というのは、自分の書いたものを保護し、自分の書いたものへの読者の評価を守ろうとする人が取るべき態度なのだから。

(3)無責任さの正当化が達成できていないことと、その他に考えるべき無責任さがあること

3点目。toroneiさんは、

とにかく何でも良いから喋るのと同じ気持ちで書くことが大事、僕がこのブログを始めたときに最初に考えた事は「深夜ラジオのフリートークのノリ」でしたが、いまこうやってやつていて思うのは、喋った方が楽かなあと思うぐらい、文法や文章の正確性よりも、喋り言葉に近い書き方でライブ感を出す

とし、自分は「正確性」よりも「ライブ感」を重視していること、だからこそ、「文法や文章の正確性」が結果的に損なわれていても、それに責任を持とうとしていないことを述べておられる。これは2つの点でおかしい。

第1に、「文法や文章の正確性」と「ライブ感」は二者択一のものではない。「文法や文章」を「正確」にしつつ「ライブ感」を出すことは可能である。「ライブ感を保とうとしているがゆえに、文法や文章が正確でなくなる」などと主張したら、モデルとしておられる「深夜ラジオ」の担い手が怒るだろう。また、世の中に多く存在する、「ライブ感」を備えてニュースを発信している人に失礼である。たとえば、句点と読点をきちんと使い分けないことで、どれだけ読みにくくなっているか。そして、きちんと使い分けることにどれだけの手間が必要なのか。ご自分の文章に対する雑さを、一般化・必然視するのはやめたほうが良かろう。

第2に、toroneiさんが問題視されているのは、「文法や文章」の正確性だけではない。事実に関しても、正確性を欠いていることが結構ある。たとえば、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080310/Dでは

日本のスポーツ選手とか、アーティストって絶対に自分たちの商売の邪魔にならない程度にしか、物言わないですよね

などとおっしゃっているが、ブクマでも指摘したとおり、フリーチベットを訴え続けている日本のアーティストは多い(スポーツ選手については、私は知らないので述べない)。その他にも、事実を誤認しておられる例は多い。こんなことは、googleでも用いて少し調べれば分かることである。

toroneiさんは、ここのところの文章において、「事実に対する正確な把握が欠けている」というこれまでなされてきた指摘を、意識的にか無意識的にか無視しておられるようだが、こちらについての正当化はどのようにやっていくおつもりなのだろうか。言うまでもないが、「ライブ感」ということで、事実への正確性の欠落が正当化されることはない。

(4)やや蛇足ではあるが

最後に。やや蛇足ではあるが、

とにかく間違っていても良いからその時の感情を優先する事、「どれだけ遅れてもその日の話をその日に書く」というのも、そういう考えを元にしてやつている。更新が遅れたけど書きたい事があるときは、この日にどう思っていたかを思い出してその時の気持ちを書く、思い出せなくなったことや、後日談で思いが更新されたものは書かないけど、更新されなかったものは書く、ただ後日談の方には触れない事もある。

というtoroneiさんの方針について、これには例外が存在することを指摘しておきたい。過去にブクマで指摘されていることでもあるが、toroneiさんは、「その日の話」じゃないものを「その日」のこととして書いたことがあり、それによって自らへの批判が出ないように(意識的にか無意識的にかは分からないが、結果として)したことがある。関連するlookeastさんのブクマを引用する。

5月23日に書き込まれたコメントに反応しているということは、この記事は23日以降に書かれたものですよね。では何故20日付としてアップしてるんですか?こんな姑息な手段で反論から逃れようとしても無駄な努力ですよhttp://b.hatena.ne.jp/lookeast/20070523#bookmark-4796125

どのような方針を持たれようと構わないし、遅れて更新しても別に問題はないと思うのだが、「自分はこうやっているつもりだ」というものと、実際の振る舞いとが一致していないので、指摘させていただく。

以上

以上である。前のエントリに関して、何らかのアクションがいただけるかと思いしばらく待ったのだが、何もないようなので、私が感じたことを新たに指摘させていただいた。

また、ブクマについても「何が『煽り』なのか」という説明もいただけておらず、そのため私としてはどういった対処もできない。元々私には「煽り」などという意図はなかったので、toroneiさんにご説明いただけない以上、自らに問題があるようにも思えない。したがって、今後とも、ブクマコメントを、主に短文で指摘できるものについて用いていこうと思う。

2008-03-10

応答への応答 応答への応答を含むブックマーク

id:toroneiさんから、昨日のエントリに対してブクマで応答をいただいた。

2008年03月09日 toronei blog, はてな 批判でも中傷まがいになっているトラバは読みたくないし、読ませたくない。貴兄はこういう風に論を組み立てて丁寧に批判できている、ブクマで煽るような口調でするような事からしない方が良かったのでは?

ということである。

このブクマコメントは、2文(実質3文?)で成り立っている。

おそらく、1文目が私の論への一応の応答で、2文目以降が私の行いに対する何らかの指摘なのだろう。

こちらが指摘したこととのかみ合ってなさに少々悲しくなったが、まず、いただいた応答がかみ合っていないこと(toroneiさんのブクマコメントが、私の問と指摘への応答になっていないこと)から指摘させていただく。

「批判でも中傷まがいになっているトラバは読みたくないし、読ませたくない」

「中傷まがい」?

前回のエントリで、私はこう書いた。

「丁寧な文面」じゃないことを理由に「相手」をしないのならば、どの辺が「丁寧」でないのかを指摘するべきである。それが、toroneiさんのブログに「価値を見いだしてくれる、ありがたい人」も含めた読者への説明責任であろう。

つまり、私が指摘しているのは、「丁寧でない」あるいは「中傷」であるから相手をしないのならば、どこが「丁寧でない」あるいは「中傷」なのかを指摘(説明)し、その上で「だから相手をしない」とするべきである、ということである。「中傷まがい」だから「読みたくない」と、toroneiさんの立場を主張されても、私の指摘に対する応答にはなっていない。

また、前回私はこうも書いた。

私の主観では、実際に、「丁寧」な文面を備えた批判もなかったことにされた例を見てきた(これについては今後取り上げる)

繰り返すならば、「中傷」だとか「丁寧でない」といった判断は、どのようにしてもある程度は主観に委ねられざるを得ない。だからこそ、少なくとも「自分の判断ではここが中傷的である(だから相手をしない)」だとか「中傷とはこういったものである」と(要するに判断基準・削除基準を)説明する必要がある、ということである。

「読ませたくない」

以下はかみ合っている、かみ合っていないとはやや別の話だが、理解できないので説明をお願いしたい。

この文章には、もう1つ分からないところがある。「読ませたくない」という部分である。

「読みたくない」という部分だけならば、「どの部分が『読みたくない』かを言えばそれは別にかまわないだろう」と思えるのだが、なぜそれを他人に「読ませたくない」のか。その理由が全く明らかになっていない。「読ませたくない」ということが、トラバ削除の理由の大部分を占めていると思われるので、なぜ、中傷的なものだと読者に「読ませたくない」のかをきちんと説明していただければありがたい。


「貴兄はこういう風に論を組み立てて丁寧に批判できている、ブクマで煽るような口調でするような事からしない方が良かったのでは?」

次は、いただいた指摘に対する応答をする。

こういうことを指摘するだけの字数の余裕があるのなら、私が問うたことや指摘したことへの応答を先にしてほしい。問われたことや指摘されたことに先に答えた上で、自分の主張や指摘を行うという手順を踏んでいただかないと、会話が成立しない。続いて、これも指摘しておきたいが、仮に私が、「煽るような口調」でブクマコメントをつけていたからと言って(そのような意識はないが)、toroneiさんが批判的トラバを削除することが正当化されるわけではないし、私が昨日書いたエントリの意味がなくなるわけではない。

また、念のために言っておきたいが、私は「煽るような口調」を用いたという意識を持っていない。どれが、なぜ「煽るような口調」と判断できるのか、指摘してもらえればもう少し考える余地も出るが、これだけでは何とも言いようがない。

 

ここを見逃しておられるのだろうか

続いては、再度の指摘をさせていただく。

前回のエントリで私は、

toroneiさんが「相手」をしているのは、自分に賛同する人のメールやトラバのみである。本来であれば、「丁寧な文面」と批判が両立することもある。私の主観では、実際に、「丁寧」な文面を備えた批判もなかったことにされた例を見てきた(これについては今後取り上げる)。「丁寧な文面」じゃないことを理由に「相手」をしないのならば、どの辺が「丁寧」でないのかを指摘するべきである。それが、toroneiさんのブログに「価値を見いだしてくれる、ありがたい人」も含めた読者への説明責任であろう。

toroneiさんの文章が「評論」ならば、「『toroneiさんの評論』に対する評論」もまたされて当然。それを「極点に嫌悪感を示したり臆病になって(略)封じようとするのは、矛盾しないかい?」。無視するなら無視するでいいだろうし、コメント欄を閉じるのも勝手。だが、批判トラバを削除してしまい、なかったことにする(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/toronei/20070516/B)のは批判者の言論を封じることに他ならない。

と書いた。この文章を、toroneiさんは読み飛ばされたのだろうか。ここを読んでいたら、「批判でも中傷まがいになっているトラバは読みたくないし、読ませたくない」などという応答で、「応答が成立している」と考えることはできないと思うのだが。

要するに、私は、「きちんとした理由を示さずに(恣意的に)、削除したり『読ませたくない』とするのは、ご自身が批判している『言論を封じること』と同義である。言論封殺を避けたいのならば、削除時に『中傷』の基準を示す必要がある」と指摘しているのである。「『中傷まがい(略)は読みたくないし、読ませたくないから』削除するんです」では応答になっていないことがご理解いただけるだろうか。


最後に

このエントリの最後に、一点質問したい。toroneiさんは、「批判」と「中傷」にそれぞれいかなる定義や判断基準を持っておられるのだろうか。

それを明らかにしないままだと、「批判は認めるけど中傷は削除する」という主張は、「恣意的に削除を行う」=「自分の基準で言論を取捨選択する」という主張と変わらないものとなってしまう。「言論を封じること」を本当に問題視するのならば、「恣意的に削除を行う」などということは認められないはずである。言論封殺を避けるためにも、定義・判断基準を示していただければと思う。

追記
私が言及したことにtoroneiさんが気づかれないかもしれないので、元々の話題であるhttp://d.hatena.ne.jp/toronei/20080308/Eに再度トラバを飛ばさせていただく。

2008-03-09 このエントリーを含むブックマーク

toroneiさんの記事(http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080308/E)を読んで、興味深く思った。

一度ブックマークでもコメントをつけたが、もう少しきちんと述べる必要があるようにも思ったので、ブックマークは削除してトラバを飛ばす。

なお、今後は、このダイアリーをメモ帳として使っていくことにする。

話し合うことが出来ない間柄というのはいる、人は解り合えないというのが自分がネットで学んだことです。たまに話が通じない相手というのは、賛同者でもいるからタチが悪い。同じ日本語を使っていても、言葉が通じない相手というのは多い。

これは正しい。通じない相手というのは、ネットに限らず、現実世界でもいる。

SNSに引きこもったり、丁寧な文面でメールやトラバしてくる人としか相手しなくて良いと決めてから、自分はネットでブログの更新とかが出来るようになった。

ここは変。toroneiさんが「相手」をしているのは、自分に賛同する人のメールやトラバのみである。本来であれば、「丁寧な文面」と批判が両立することもある。私の主観では、実際に、「丁寧」な文面を備えた批判もなかったことにされた例を見てきた(これについては今後取り上げる)。「丁寧な文面」じゃないことを理由に「相手」をしないのならば、どの辺が「丁寧」でないのかを指摘するべきである。それが、toroneiさんのブログに「価値を見いだしてくれる、ありがたい人」も含めた読者への説明責任であろう。

また、toroneiさんは、以前「評論」について語っておられた(http://d.hatena.ne.jp/toronei/20070516/A)。ここでは、芸人に対して、

いまの評論されるの許さない的なことを言ってる芸人さんは、「自分たちは芸人なんだから、笑いの為なら何しても良い」というのを直ぐに振りかざすクセに、自分たちが批評や批判の対象にあうことには、極点に嫌悪感を示したり臆病になって、上の立場からそれを封じようとするのは、矛盾しないかい?

と述べておられる。この文章自体は正しいのだが、問題は、この文章がtoroneiさん自身にも返ってくることを理解しておられない(あるいは理解していながら、あえて自分に返していない)ことである。

toroneiさんの文章が「評論」ならば、「『toroneiさんの評論』に対する評論」もまたされて当然。それを「極点に嫌悪感を示したり臆病になって(略)封じようとするのは、矛盾しないかい?」。無視するなら無視するでいいだろうし、コメント欄を閉じるのも勝手。だが、批判トラバを削除してしまい、なかったことにする(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/toronei/20070516/B)のは批判者の言論を封じることに他ならない。

結局言いっぱなしの無価値のものと自分で先に認めるのが大事、そうしたら自然に書けるようになってくる。そしてそんなものにも価値を見いだしてくれる、ありがたい人たちにだけ向けてやっていけばいい。

この文章も、これ自体では正しい。だが、toroneiさんが文章を書いている媒体がブログであることを考えると、おかしくなってくる。toroneiさんのブログが、それこそ「SNSに引きこもったり」した、完全にプライベートなものならば、どんな暴論が吐かれていようが、気にしない。しかし、現段階では、文章は誰でもが読める状態にされ、パブリックなものとされている。パブリックな状態にし、方々にトラバを飛ばして、多くのことに論評を加えておきながら、「言いっぱなしの無価値のもの」と言ってしまうのは、結局のところ責任逃れにしかならない。自分自身で「無価値」と思うのは自由であるが、公開している以上、その「無価値」なものが、toroneiさんの思惑を外れたところで、何らかの影響を及ぼす可能性もある。結果として「無価値」ではなくなる可能性もある。したがって、パブリックな場で文章を書いている以上、自分の文章(とそれへの反応)に対してどこかで責任を取らなければいけないことは自覚すべきであろう。

特に「行間を読んで欲しい」文章というのは、ほとんどの人がそんなものは読めないと思った方が良い。自分にそれを伝える能力もなければ、世間の人にそれを読み取る力も両方無いと思うべき、その上でそれを理解してくれる人が僅かでもいることを期待するのなら、大多数に誤解されるのを覚悟して書くべき、その結果、馬鹿なブクマコメント満載になっても、少数でも理解してくれる人に届くことを大事とすべき。

この文章も、それ自体では正しい。しかしtoroneiさんは、これまで、「誤解」が生じたときに、誤解した人間に多くの責任を着せ(http://d.hatena.ne.jp/toronei/20070525/Cなど)、自分の文章の持つ「伝える能力」を省みることは、(ゼロではないが、相手に責任を着せるのと比較して)少なかった。「大多数に誤解されるのを覚悟して書くべき」というのももっともだし、すばらしい心構えだとは思うが、これまでの言動と一致していない。また、「誤解されるのを覚悟」するだけではなくて、同時に、誤解される可能性をできるだけ減らそうとすることもまた必要だろう。


追記
トラバの設定がよく分からず、変な飛ばし方をしてしまったかもしれません。もしそうであった場合は、お手数をかけてしまったことをtoroneiさんにお詫び申し上げます。