番外編_読書推進セミナー『今、なぜ読書が大切なのか?』レポート

 2011年7月7日〜10日に東京ビッグサイトにて開催された、【第18回 東京国際ブックフェア】に参加してきた。今回は番外編、いつもの読書感想文ではなく、こちらのイベントのレポートを記載しようと思う。
 私が足を運んだのは9日(土曜日)で、一般公開初日ということもあり大いに混雑していた。様々な出版社や書店のブースには定価の2〜5割引で本が買えるコーナーがあったり、海外の印刷物や電子書籍を扱う展示もあった。なかには本の他にも栞やブックカバーといった読書グッズを扱うブースも出展されており、見て回るだけでも大変楽しめた。帰る頃にはバーゲンブックのコーナーで見つけた本数冊と、(展示会では恒例の)大量のノベルティを抱えて、すっかり荷物が重くなってしまった。
 今回ビッグサイトへ赴いたのはもちろん展示会を見るのが第一であったが、もう一つ、私には大きな目的があった。というのは、展示会と同時開催される【読書推進セミナー】に事前予約で申し込んでいたのである。セミナーは主催側の予想を上回る予約数があったらしく、会場を二つに跨いで同時中継されるほどの盛況ぶりだった。
講義の内容はさすが精神科の先生であり、大変に分かりやすく且つ興味深いお話だった。以下に記載するのは、講義中に取ったメモを基に、印象に残った話を要約し感想を交えたものである。理解力と文章力の不足により当日の内容と差異が生じてしまうかもしれないが、あくまでも管理人の主観としてご理解頂きたい。


読書推進セミナー
『今、なぜ読書が大切なのか?』 国立医療大学大学院 臨床心理学専攻教授、精神科医 和田秀樹

 子供の活字離れが危惧されて久しい。テレビゲームやインターネットなどエンタメツールの多様化が要因の一つであることは間違いなさそうだが、かく言う和田先生も読書の嫌いな少年であったそうだ。宮沢賢治太宰治―親の買い与える小説に、何の面白みも感じられない。どんな本を開いてみても、数行目で追うだけで眠気が襲ってくる…。唯一熱心に毎日読んでいたのが、なんと新聞だったと言う。

「良い読書」と「悪い読書」を、区別しない事。
 物理の先生に聞くと、昔の学生は「問題が難しくて解けない」と言ったが、現在では「問題の内容が難しくて理解出来ない」と言う学生が増えたそうだ。物理以前の問題で、日本語が読み解けない。本を読まない子供が増加したことにより、日本語をまともに読めない人が増えているのである。
 そこで重要なのは、「とにかく何でも読んでみる」ことだそうだ。文学や評論にとらわれず、新聞、週刊誌など、どの様なものでも読んでみる。一見、教育的な意味合いを内包した小説や詩が「良い読書」であり、ゴシップなどの俗っぽい記事に溢れる週刊誌などは「悪い読書」であるように見える。しかしいくら「良い読書」であっても、読む気が起きないのでは仕方がない。あくまでも重要なのは内容云々よりも、字を通じて理解が広がる、情報を得ることが出来ると知ることなのだ。
 「良い読書」と「悪い読書」を区別せず、興味がもてる文章を読む。逆に言えば、区別をするようなゼイタクを言える時代ではないのである。それほどまでに、現代人の日本語力は低下しているのだそうだ。


■読書で、頭が良くなるのか?

 いま私たちが生きる現代は『知識社会』なのだと言う。
 昨今インターネットの急激な普及により、これまでは専門家しか知りえなかった情報も、パソコンや携帯電話などの端末を少し操作するだけで誰しもが入手出来てしまう。つまり、必要な情報はいつでもその都度引き出すことが可能なのだ。ならば情報化が進めば進むほど、勉強の必要性が無くなるのではないか?

大事なのは「情報」よりも「知識」
 沢山の情報を知りえたとして、それはあくまでも無機的に情報が「ある」に過ぎない。その情報の中で思考を巡らせる材料となるのは知識なのだ。「情報」とは、頭の外にあるもの。逆に「知識」はその人の頭の中にあり、いつでも活用出来るスタンバイオッケーの状態である。
 情報はインターネットで入手出来る。そして知識は、読書によって身につけることが出来るのだ。

『頭の良い人』=『知識人』ではない
 そもそも頭が良いとは一体、どのような事を指しているのだろうか。
 和田先生曰く、それは知識を加工し、応用出来ることだという。たとえば多くの知識を持ち合わせていても、その知識を自分のものとして活かせないのであれば意味がない。知識の加工とはつまり、ケースバイケースで自らの知識を上手く活用していくことを言うのだろう。
 では知識を加工しやすくするには、どうすれば良いのか。それには、今ある知識で満足しないことが重要なのだそうだ。知識を得た時に「そうだったのか」と納得するのではなく「そうかもしれない」と、一つの可能性として理解する。物事における多くの可能性を考えることが、知識の加工をしやすくするのだ。そのためには、要点だけを切り取り、決め付け的に放送するテレビの情報よりも、多角的に捉えられた本による知識が重要になる。
白か黒かだけではなく、グレーの部分を知る。それこそが読書によって身につくことであり、延いては、読書を通じて頭が良くなるということである。


■読書によって心の健康を得ることは出来るのか?

 このあたりのテーマは、さすが精神科医である。
 読書によって物事の様々な可能性を知ることが出来る、とは先に記述した。実は、「白か黒か」という極端な考え方は、精神衛生上よろしくないらしい。白か黒だけではなくグレーを知ること、つまりは深く考えすぎないということが、心の健康にとっては重要なことだと言う。

多くの中から選択する、その材料としての「本」
 色々な考えがあると知り、決め付けを無くすためには、色々な本を読むのが良いそうだ。あれこれ試して、自分に合うものを選ぶ。また、多くの中から良い部分だけを採用する…つまり「良いとこドリ」をする。その材料として、本があると言う。小説からは人の心がわかる想像力が広がり、そのことは心の豊かさに繋がる。しかしそれ以前に、様々な本を読むことで多角的な見方を養うことが、心の健康にとっては不可欠なのだ。


 どのような本が良い、ではなく、様々な文章に触れてみる。そのことは自分の知識を応用する力につながり、心穏やかに生活することにも一役買ってくれる。どのような面で見ても、読書がもたらすのがプラスの作用であることは、どうやら間違いなさそうだ。