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We are going to die, and that makes us the lucky ones.
Most people are never going to die because they are never going to be born.
- Richard Dawkins "Unweaving the Rainbow"

2009-03-19

坂の上の雲(五)

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坂の上の雲〈5〉 (文春文庫)

坂の上の雲〈5〉 (文春文庫)


「攻城砲兵司令官は二十八サンチ榴弾砲をもって、ただちに旅順港内の敵艦を射撃、これをことごとく撃沈せよ」(中略)

その命中精度は、百発百中であったといっていいであろう。

(p.120)

  • いままでの苦労がウソのように。。パラダイムを変えることで簡単に片付く

真之の対バルチック艦隊の戦法もかれの独創で、どの国の戦術書にもない。

かれがいま練りつつある迎撃戦法はのちに、

「七段構え」

という名称がついた。真之は敵を一艦残らず沈めるとすれば、原則としてこれ以上ないと考えている。

つまり、済州島あたりからウラジオストックまでの海面を、七段に区分するのである。その区分ごとに戦法が変わる。

まず第一段は、バルチック艦隊が日本近海にあらわれるや、すぐには主力決戦はせず、いちはやく駆逐艦や艇隊といった足の速い小艦艇を繰り出し、その全力をもって敵主力を襲撃し、混乱せしめる。この点、真之が熟読した武田信玄の戦法に酷似していた。

第二段はその翌日、我が艦隊の全力をあげて敵艦隊に正攻撃を仕掛ける。戦いのヤマ場はこの時であろう。

第三段と第五段は、主力決戦がおわった日没後、ふたたび駆逐・水雷という小艦艇をくりだし、徹底的な魚雷戦をおこなう。これは正攻撃というより、奇襲というべきである。

次いでその翌日、第四段と第六段の幕を上げる。わが艦隊の全力ではなくその大部分をもって敵艦隊の残存勢力を鬱陵島付近からウラジオストック港の港外まで追い詰め、しかるのちに第七段としてあらかじめウラジオストック港口に敷設しておく機雷沈設地域に追い込み、ことごとく爆沈させるという雄大なもので、第一段から第七段まで相互に関連しつつ、しかも各段が十分に重なり合っていて、隙間がない。その精密さと周到さという点においては、古今東西のどの海戦史を見てもこのようではない。真之以前の歴史上の海戦というのは、多分にゆきあたりばったりの粗大なものが多く、真之はむしろこの緻密さを、陸戦の戦史を読むことで会得したといっていい。

(p.180)

  • 周到すぎる。戦略立てて当然かと思っていたらこの時代まではただの殴り合いだったのか

ロシア帝国の威信は、軍事的強大さによってのみ存在している。それ以外にロシアはなく、軍事的強大さがなくなればすなわちロシアそのものがなくなるのだ」

(p.193)

  • 不安定な国。

ところが日本海軍は、帆船時代を持たず、機会軍艦時代からスタートした。むろん海軍大臣山本権兵衛も機械のなかからうまれたし、東郷平八郎もそうであった。かれらは石炭のカロリーが軍艦にとっていかに重要なものであるかを、ごく当然な常識として戦略思想の中にもっていた。

(p.225)

  • 古い慣習にとらわれることがなかった。

「攻撃中止」

という命令はこの夜のうちに日本側の全軍にゆきわたった。ただし第十一師団の一部にその命令が伝達されることが遅れた。それをわずかな例外として、戦場はにわかにしずかになった。

二日は正午から開城談判というのに、この日の夜明けから、ロシア軍陣地からぞろぞろとロシア兵が出てきた。

「狂うがごとく、この開城をよろこんだ」

と、兵站将校だった佐藤清勝という人が書いている。事実、ロシア兵は保塁上に全身をあらわし、たがいに抱き合って踊っているかと思うと、一部の戦線にあっては、日本兵も壕から出て互いにさしまねき、両軍の兵士が抱き合って踊るという風景も見られた。

なかには、日本兵が、ロシア兵の保塁までのぼってゆき、酒を汲み交わしたりした。さらには酔った勢いで日露両兵が肩を抱き合いながら敵地であるはずの旅順市街まで出かけて行き、町の酒場へ入ってまた飲むという光景さえ見られた。むろん軍規違反であった。しかしこの人間としての歓喜の爆発をおさえることができるような将校は一人もいなかった。

(p.285)

  • このエピソード一番好き

旅順における両軍の損害
日本ロシア
兵力100,00045,000
死傷60,21218,000
うち死者15,4003,000