鰤端末鉄野菜 Brittys Wake このページをアンテナに追加 RSSフィード

You have eaden fruit. Say whuit. You have snakked mid a fish. Telle whish.

-- J. Joyce, Finnegans Wake, Book IV

鰤端末 書庫閲覧についてWikimedia関係日誌 これは誰?

2008-07-16

[][] 落書き異聞・ラムセス二世葬祭殿にて

先週末からエジプトにいる。ルクソールへ飛んで王家の墓などを見学したあと、昨日からカイロ。明日はアレクサンドリアにいき、そこでウィキマニア2008に出席。そのあとしばらくまた旅行して月末までには帰宅する予定。

ルクソールでは王家の谷をはじめいろいろなところを見学したのですが、王家の谷は4世紀以降キリスト教――のちのコプト等につながる人たちだがこのときはまだ分裂していない――隠修士の住まうところとなり、コプトの修道士たちが赤土かなにかでかいた文章、十字架や聖人像などのキリスト教画像がときどき壁に残っている。いまは「コプトの落書き」(Coptic graffiti)と呼ばれていて、それ自体が文化遺産。ラムセス4世の墓の前にある説明書きなどには「第一の見所はコプト教徒の落書きです」と書いてあった。

そのあとラムセス2世葬祭殿へいくと、入り口に「マルコ 18××年」「レオナルド 18××年」*1と「定礎」ってのりで大きな彫り物がしてあって、ガイドによるとイタリア人の落書きなのだという。なお進んでいくと頭の高さにいろいろ人の名前と年号があって、主に19世紀のイタリア人の名前。なぜ頭の高さかというと当時はそのあたりが地面の高さだったので*2ときどき英国人風のもあるが圧倒的にイタリア人の名前が多い。落書きといったがこちらはすべて彫り物で、本来はイシス像やらホルス像やらがあるはずのところに容赦なく彫りつけてある。

そういや「イタリア人は落書きが合法だと思っている」という発言が最近イタリアであったなあ……とみていくと G. Berzoni 1856*3だかなんか稚拙な字で書いてある、つうか彫り付けてある。いやな予感がしてガイドにきくと、やっぱりジョヴァンニ・ベルツォーニの字なのだそうだ。

ベルツォーニというのは、探検家といえば聞こえがよいのだが、まあ山師と盗掘師を足して二で割ったような人であったらしい。ラムセス1世の墓やアブシンベルの発掘で知られる人だが、掘り出したものをイギリス人などに気持ちよく売り払ったので、発掘というより略奪といったほうがいいかもしれない。あとでフランスの考古学者マリオットはこの無秩序な略奪を阻止しようといろいろ奔走し、現在のカイロ博物館の創設につながるのだが、ともかくベルツォーニがエジプト学でビッグネームであることには違いない。それで自身もコプト信者であるガイドがいうよう「初期クリスチャンは異教の偶像だというので神殿のレリーフを削って破壊(vandalize)した。多くの古代のレリーフが失われた。まったく残念なことだ。そしてイタリア人がやっていて落書きをした。マルコとレオナルドはいい。奴等はただの観光客なんだから。でもベルツォーニほどの[名前のある人が]落書きするとは、まったく残念なことだ」。そうなのか、ほんとにマルコとレオナルドならいいのか、ぉぃ。

とはいえ、このすさまじい落書き/刻み文字振りをみて――なんといってもイタリア人のはおそらくもう補修のしようがないのである――、確かにこの素地があったら、フィレンツェ大聖堂にマジックでちょこちょこと書いたからといって、イタリア人は騒いじゃいけないよね、とは思った。因果応報ってこういう場合にもいうのかなあ。

また、この手の落書きでもっとも有名なのはフィレー神殿にあるナポレオン遠征隊の、つまりはフランス人の落書きで、これはだいぶん面積をとって、下のレリーフを綺麗に削り取って表面を綺麗にした上でしっかり文章が刻んであった。嗚呼。でもまあ「共和国第6年」から始まる落書きも、いまとなってみればフランス革命の暴風と当時のエジプト熱の名残だよなあ。なのでこれはこれでいいやと思えてくるのは不思議である。

とはいえ今のエジプトで遺跡に落書きすれば犯罪で、遺跡には警察がうろうろしているので*4、見つかったら署に連れていかれて罰金刑くらいは食らうのだろうが、「2007 Love だれだれ」なる釘文字をエドゥフ神殿の壁だったかな、で見ましたよ。勇者だのう。。

というわけで人間とは落書きする存在であるということを改めて確認してきたのではありました。なおエジプト人自身はあまり落書き民族ではないようで、駅や列車の車体に落書きがいっぱい、ということはないようである。

追記: ご心配いただいた皆様、ありがとうございます。いまのところ順調に旅行しています。宿は無事全行程に渡って確保できました。移動の交通機関もほぼ順調に確保できています。アギア・エカテリナからの帰りの便が確保できないのだがこれはそもそも公共交通かどうか怪しい経路を通るので現地で情報収集するつもりです。

関連エントリ:

[] 「しらない」

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20080708/p1*5がいろいろとかまびすしいのですが、

  • 知らないことで人を軽蔑するというのは、あまりよい態度ではないのではないでしょうか。一般論ですけどね。とブックマークのコメントをみていて思いました。知らないことに開き直るのとたんに知らないのとは違って、前者は軽蔑されても仕方ない場合が多々あるんだろうけど、後者は「無学への許し」(ウンベルト・エーコ)ということがあるので、もちろん常識だといわれれば、そうなのですか、とお返事するんだろうけども。
  • もっとも誰にでも時間は有限なので、何についても知らないといわれたら親切に教えるべきだとまでは私も思ってはいませんが。
  • そして「知らない」は「よく知らない」ではないかというのは慧眼だと思います。ていうか学者の作法というのはそういうもので、たとえば故・渡邊二郎先生などは、ある学会の席上「ぼくは(シェリングの)『超越論的観念論の体系』についてはあまり知らないんだけどもね」というようにおっしゃっておられました。学会の質疑なんかで「ぼくは知らないんだけども」は枕詞としてよく使われますよね*6。もっとも、法哲学でもそうであるという保証はないのですけど。

[] プレイベント・Jimmy Wales 講演 "Wikipedia, Wikia and the future of Free Cuture"

厳密にはウィキマニアとは関係なく、共催機関と地元企業の主催するイベントなのですが、Jimmy Wales の講演をアレクサンドリア図書館・カンファレンス棟大ホールでいま聴いております。お題はウィキペディア・ウィキア・ウィキアサーチの三題でいまはウィキアについての話をしています。基本的に新味はないですが、「オープンソースで営利サイトを運営する」「フリーライセンスで営利サイトを運営する」という思想とその意義を、そもそもオープンソース運動がまだ届いていないエジプトで説くことには意味があるかな、と思いつつ聴いています*7。あ、ウィキア・サーチに話題が移った。

ところで「ウィキペディアとは何か/だれでも編集できるオンライン百科事典」という振りが今回なかったなあ。講演者紹介でも「みなさんウィキペディアは当然ご存知ですよね」とさらっと流したので、こういうものを聴きにくる人には既知の情報として扱われているということなのだろうか。

聴衆ですが。500人近く入るはずのホールに200人は聴衆がいるのかな。うち8割は地元の人みたいな感じです。男女比は半々くらい。

*1:年号は記憶に頼っているので不正確。

*2:ナイルの土砂が堆積して地面が高くなっていくのだそうだ。いまはダムができたのでもうそういうことはない。

*3:年号は記憶に頼っているので不正確。

*4:Tourist Police および Archeological Police なるセクションがあるようだ。

*5:これ変な風にゴミが入って展開されるなあ。なぜだろ。/どうも簡易編集モード特有のバグのようだ。

*6:もっと踏み込んで言えば「私は基本的にこの問題一般に興味はないのですが、あなたのいうことには若干興味をもったので質問するですよ」というサインである場合も、ある。

*7:ウィキペディアはエジプトでアクセスランキング40位代、アラビア語ウィキペディアも話者人口2億人以上いる言語にしては記事数10万にいまだ達せず、まだまだ広報の余地がある状態