いつでも誰でも話せば通じるわけではない

人を見る目がないことに掛けては私は絶大な自信があります。

亡夫と結婚したとき、彼はわたしの二歳上だったのですが、わたしたちはひとつの約束をしました。彼がわたしを看取ってくれるという約束でした。わたしたちのあいだで単に「お約束」といったら、それはこの約束のことでした。そうして私は彼がこのお約束を守ってくれることには安心しきっていたのでした。彼がひとりで逝ってしまう、その朝まで。

9月の、あれは中頃だったろうか、もう9・11のテロ事件は起こったあとでした。午前3時ごろだったか、居間をのぞくと、普段は夜の早い彼が晩酌をしていました。「お約束、破ってもいい?」と唐突に彼がいう前に、どんな話をしていたのか、どんな状況だったのか、それは忘れました。ただ、その言葉はいまでも耳に残っています。そのとき庭でしきりに鳴いていたコオロギの声や、妙に明るい蛍光灯の色や、そのほか一切のこまごまとしたことといっしょに。その一言をいってしまった後は、二人とも涙声でした。もちろん、わたしがいいと云うわけがない。そして彼も最後には「ごめんね、もういわない」とまだ泣きながら再び約束をしてくれました。

たわいない約束ですが、そうして私はこのとき「この人鬱病だ、このままでは危ない」と思ったのですが、なぜか彼が「お約束」を守るだろうということには、その後数ヶ月間不安にさいなまされながらも心の底ではどこか疑っていなかったのでした。

彼が自死したのは、それから3ヶ月少しあと、2001年の12月の下旬でした。

それ以来、私は人の言葉を根底からは信じません。いや信じられなくなりました。彼が口先だけで、「お約束」を更新したのだとは私は思っていません。その点では私は彼をずっと信じていますし、これからもそれは変わらないだろうと思います。ただ、私は知ってしまいました。そのときは心からでた叫びであっても、人は己の言葉を踏み超えてしまうことがある。いわんや、もっと軽く発せられたことばを、人はその場の状況でいかようにも放り捨てていく。そうして、それが悪意からにせよそうでないにせよ、そうやって自分のことばを破らざるを得ない精神や周囲の状況というのが出来するのが、わたしたちの現実です。

「人がその心に思うことは悪い」と聖書にはあります。人が嘘を意図的についてばかりいるということではないのでしょう。何かをいうそのとき、そのひとはほんとうにそう信じているのでしょう。そう望んでいるのでしょう。たいていはそうなのだろうと思います。人間はそれくらいには善良なのだと私はどこかで信じている*1。ではなぜひとは自分のことばを反故にしてしまうのか。むしろ、自分のことばを守れないというのは善や悪への意志によるのではなく、ある種の病気だと思ったほうがよいのではないだろうか。義しくあることができないという存在者に固有の病。わたしたちの存在の限界(Begrenzung)であり、わたしたちの存在の根底(Grund)にある病塊です。弱さといってもいい。

ともかくも。わたしがもっとも愛した人・わたしをもっとも愛した人へ、わたしが心の底から願ってかけたことばは、とどきませんでした。ことばというのはそれだけの重さしかもってはいない。それを軽さといってもよい。ではわたしはそのとき沈黙すべきだったのか、いやそうではない。そうではないと私は信じます。わたしの全存在を賭けたことばであったけれど、それは彼には結局届いていなかった。わたしはその無力をしっている。その軽さを知っている。だけれど、そのときのことばに、彼を翻意させようとした自分の行為が無だったとは私には思えないのです。たとえ究極には彼をこの地上に繋ぎとめるだけの重みがなかったとしても、それはその時点では彼を翻意させるくらいには重みを持って聴かれた。人のことばはそれほど重くまたそれほど軽い。

彼のその告白から死にいたるまでの数ヶ月間を私は毎年その時期になると反芻します。反芻しながら、自分のことばには力がなく、自分には人を見る目がないなと思います。彼は共白髪になるまで一緒にいて、わたしを看取ってくれるのだと、わたしは無邪気に信じていたのですから。

ひさびさの一日一チベットリンクhiron -10/19Pemsiライブ@大阪北浜 亡命チベット人ミュージシャンによるライブ。京都でもあるみたいです、こちらは11日。明日。

*1:もちろんそんな善良な人ばかりでないことも知ってはいますが、それはここでの問題ではありません。