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You have eaden fruit. Say whuit. You have snakked mid a fish. Telle whish.

-- J. Joyce, Finnegans Wake, Book IV

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2009-03-16

[][] エホバの証人と輸血の話

輸血拒否した両親・親権停止が男児の命を救った - NATROMの日記のブックマークコメントでだいぶん混乱がみられるので、一応の情報提供。

まずわたしの立場から説明しておくと、私はいまは正教会に通って勉強している身ではあるけれど(洗礼は受けていない)、子どもの頃はエホバの証人の研究生だった。そちらでもやはり洗礼(バプテスマと彼らは呼ぶ)は受けていない、でもまあ幼稚園くらいから親に連れられて週に三度の勉強会に出ていたせいで(彼らの用語では「集会」)家庭戸別訪問にたまに参加したり、それから後年自分の手術に際して輸血拒否したくらいにはずぶずぶに信者のようなものだった。すでに高校受験に際して集会にはいかなくなったとはいえ、私がほんとうに彼らときっぱりすっぱり縁を切れたのは、結婚して、30になる少し前だったと思う。幼少期のカルト系新宗教の影響を断ち切るのはかくも難しい。まあその話はおいて。

というわけでわたしの情報はリアルタイムのものではないし、エホバの証人は教義を予告なく変更することでも悪名高いので(後述)、以下に書く情報は細部では異なっているかもしれない。ではあるが、ブックマークコメントでかなり誤解に基づく憶測がいろいろとなされているので(それは脱会を働きかけたり、彼らの行動の問題性を把握する上ではマイナスに働く)、せめてもと思って、このエントリを挙げる次第。

エホバの証人はなぜ輸血してはいけないと信じているのか

「血を避けろ」と聖書に書いてあるから(と彼らは少なくとも信じている)。

id:mushi_cake たしか信仰していない人はサタンの使いだから、サタンの血が混じったものは身体に入れられないって感じじゃなかったっけか?助かった後のこの子供が気になる。親に悪魔として虐げられなければよいが・・・。

おさがしのページは見つかりませんでした

いやそれはないです(苦笑)。まあ彼らのために弁護してやる必要はないので(そしてこういう誤解が生じるのもわかるので)細部には触れない。「サタンの血が混じったものは身体に入れられないって感じじゃなかったっけか?」ということはない、というのは他の信者の血液や自己血輸血も禁止しているからです。血は一切入れてはならない、というのが教義だ、ということになっている。いまは。その話は後で触れるとして、彼らがそう信じる理由は聖書にあると彼らは主張している。

主な根拠として援用されるのは旧約では創世記9:4、「しかし肉をその生命であるその血のままに食べてはいけない」、同様の規定はレビ記17:10-14にあり、これはユダヤ人の律法なのだが、ここでは血を食べたものは死刑になる(「民のうちから断たれる」)といわれる。さらに新約では使徒行伝15:29のいわゆるエルサレム教令に「血を避ける」ことが命じられている。ここでエホバの証人は1.なるほどレビ記の記述はユダヤ人に与えられたものですでに効力はないが、2.創世記の規定はユダヤ人だけでなく当時の全人類(ノアの洪水の直後なんで8人)に与えられたものであり、3.エルサレム教令はむしろ異邦人信徒に与えられたものなので現在も有効である、よって「血は避けられなければならない」、そしてそれは輸血をも含む、と信じていて、穢れた血と綺麗な血があるというようなことを信じているのではないのである。

エホバの証人にとって輸血はどれだけ嫌なものか

これについてはエルサレム教令の内容が参考になるだろう。そこでは「偶像崇拝、血、絞め殺したもの(≒血が完全に注ぎだされておらず、肉のなかに残っている可能性が高い)、淫行」が禁止されている。偶像崇拝や結婚外の性行為なみに冒涜なのだというのだが、まあ理窟ではないのですよ。エホバの証人の間では、輸血はある種のタブーになっていて、信者はそれを神の教えに背くものだとずっと聞かされているので、よいエホバの証人の信者であればあるほど、意識的にこれにそむくことは気持ち悪くつらいことと感じるのです。もちろん「永遠の命」の希望なるものもあるけれども、こういう嫌さは理窟ではないのだと思う。

「いまは信じている」、ではそれ以前はどうだったのか

……実はエホバの証人も輸血OKだった時期があったのです。もうだいぶ昔の話で、信者でもこの話は知らない人が多い。前世紀の最初の頃の話である。第二代会長のラザフォードがこういうことを言い出したので、それ以前にはそういうことはなかった。エホをちの間では「代替わりで団体が分裂していったので、締め付けが必要だったのだろう」という見解もある。余談だが「エホバの証人」という名称を考え出したのもこのラザフォードである。いろいろとアイディアマンだったのであろう。

エホバの証人の教義がやたらめったら変更されることは、エホウォッチャーの間では有名な話で、一般的にも知られているのはハルマゲドン予想の変更だろう。これは当初は19世紀の終わりといわれていたのだが(なおその数字は当初ピラミッドの計測から割り出されていた。エホ証の黒歴史なので末端の信者はあまりこのことは知らない)、そのうち1914年になり、たまたま第一次世界大戦がこの年に始まったので信者はハルマゲドンが来たと浮き足立ったのだが、もちろんそんなことはなく、なので急遽教義を変更して「異邦人の終わりの時」なるものがこのときに始まったことにし、彼らが大患難とも呼ぶハルマゲドンはもうちょっと後になることになった。1970年代にはやはりこのときハルマゲドンが来るとほのめかされたのだが、これもそのようなことはなく、信者の大量の離教を招くに至った。そこで教団幹部も反省したのか、以後ははっきりした年や日時を予想することはやめ、「1914年の世代が過ぎ去る前」つまりこの年に生まれた人たちが70代や80代になる頃とか言い出したので、わたしなどはこれを教わったわけだが、もちろん20世紀末にそんなことは起こらず、そこでハルマゲドンはいつか来るというような無期延期状態に落ち着き、現在に至る。なおエホバの証人の用語でこういう無理筋で突然の教義の変更を「新しい光」と呼ぶ。新しい光が教団に照って、聖書の解釈が深まるのだそうである。やれやれ。

というように、ある程度長くこの教団と付き合っていると、「新しい光」による教義の変更ということがたびたび起こるのがわかる。まあキリスト教そのものにも教義の追加というようなことはないわけではないのだが――たかだか百数十年でこんなにしょっちゅう教義を変える教団もちょっと珍しいのじゃないかと思う。まあそれはおいておいて、なのでウォッチャーの間では輸血に関しても、そのうちまた「新しい光」が照るんではないかという憶測も流れている。いままでの展開からすると、成分輸血がまず解禁されて、そのあと全面解禁が来るだろう、それは今世紀の中ごろくらいなんではあるまいか、というのが人気のある観測で、いやまあエホ証の教団幹部はつねに予想の斜め上45度くらいをぶっ飛んでいるので、この予測もはずれるかもしれませんけどね。

輸血は本当に聖書で禁止されているのか

そんなことはない。少なくとも明示的に輸血が禁止されていたりはしない――紀元前後のユダヤにそんなものはなかったからである。知らないものは禁止しようがない。

たしかに聖書には「血を避けよ」と数箇所に出てくる。死刑相当だった時代もあるくらいである。そうして創世記の規定と使徒行伝の規定は、なるほど民族に関係なく与えられたものだというエホバの証人の主張を認めてもよい。現に、中世ヨーロッパでは教会が血入りソーセージ禁止令をなんどか出していて、聖書の当該部分について「血を食べることが禁止されている」という解釈はエホ証の専売特許ではないようだ。

しかしですね、文脈と当時の技術水準からいって、この「血を避けよ」を輸血と取るのは苦しすぎるのではないか。とわたしなどはいまは思うのです。そもそも紀元40年代のユダヤに輸血などという概念があるはずもなかった。輸血が試みられるまで、我々はあと数百年を待たなければならない――それで、たとえ血を食べることの禁止はそうだとしても、それが論理の当然として輸血禁止をも意味する、というのは拡大解釈に過ぎるのではないか。そもそも聖書筆者には輸血などという概念はなかったのだから、むしろ聖書は輸血に関して何もいっていないという解釈の方が素直なのではないだろうか? そうして、エホ証はなにもかもを教義で定めているわけではなく「各自の良心にゆだねる」といって判断停止してしまうことだって多いのだから、輸血に関してもいつかそうならない保証はない、とわたしなどは思っている。

エホバの証人はすべての血と関係あるものを避けているのか

ここでひとつ云っておきたいことがある。エホバの証人は血液製剤は使っている。なんでも「主要成分」はだめで「分画」はよいという主張をしていて、後者のみからなる血液製剤は使ってもよいというのだが――名前の通り、血液製剤は誰かの血液を原材料にしている。輸血献血で集めた血液から作られる血液製剤を使うことは、血を避けることのうちには入らないというのである(この問題についてはSmall Business: Web Hosting, Domains, Ecommerce & Emailがよくまとまっている)。その意味でも「信仰していない人はサタンの使いだから、サタンの血が混じったものは身体に入れられない」ということはないのである。いやむしろフリーライダー。彼らは自分では決して献血をしない。

そうして驚くべきことに、エホバの証人はなにが血液の「主要成分」で「分画」なのかについての定義を時期によって変更している。2000年にはヘモグロビンが解禁になった。ヘモグロビンというのは、ところで赤血球の主要な要素ではなかったのだろうか。いや赤血球そのものはだめでその成分であるヘモグロビンは(たんなる物質なので)よいということらしいが、しかしそのヘモグロビンは誰かの血液から精製されているわけで……。

まあ、親兄弟はまだ信者であるとはいえ、わたしにとっては過去の話である。われながら、こんなごたごたをよくもまあ信じていたものだと、振り返って呆れざるをえない。もっとも輸血拒否をした当時は、上に書いたことのすべてを知っていたわけではなかったが。

エホバの証人の個々の信者にとって、輸血をするかしないかは重大な、信仰に対する問いである。そのことはたぶんいまでも変わっていない。しかし、教団そのものにおいても、その問いは同じく重大な問いなのだろうか。わたし自身の意見はここでは控えておく。

2009-03-17 追記:

はてなブックマークでいただいたコメントの一部にお返事をしました。あわせてご覧いただければ幸いです。「エホバの証人と輸血の話」へのコメントとお返事 - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

関連エントリ:

一日一チベットリンクチベット動乱50年、日本でも僧侶が法要 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

antonianantonian 2009/03/16 21:53 聖書の時代や中世の禁止ってのは、衛生の問題とか伝染病がどうとか、わりと生活の知恵的な動機にあとからこじつけたようなのが多いから、エホ証さんとは違うとは思える。エホバさんの場合は霊感逐語的な文脈から出てきていると思われる。創造論的な文脈に近いかな?

BrittyBritty 2009/03/17 01:16 あまり詳しくないのですが、霊感逐語説に分類していいんだろうなあ。わりと字義通り解釈するのが好きという印象はあります(啓示文学除く)。記述の歴史性とかあまり考えない人たちではありますね。
エホ証は創造論もがんばってたなあ。さすがに六日創造説じゃないのですが。
とはいえアメリカだと、古いところはもう足掛け3世紀くらいやってるので、かなりまったりして適当な信者が増えてもいるらしく、日本で先鋭化するのは移入宗教ゆえかなという気もします。改宗者が家系による信者より熱心な現象というのは、ときどき聞きますね。

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