無意識が覚えている

7月に入る直前ぐらいからなんかブルーだなー低気圧かなーいやだなーいやだなー(cf.稲川淳二)と思ってたんです。でもなんでだかわからないうちに1日2日とすぎて、ある日スケジュールを確認しようとカレンダーを見ていて思い出しました。7月には父の命日がありました。ここ数年、7月に入るたびにこんなことを繰り返している気がします。いちいち忘れてるのもどうかと思いますけど、表層意識で思い出さなくても脳が覚えてるんですねー。いやーほんとにすごいな。

父が他界したのはもう11年前になります。食べることが大好きな私なのにごはんが食べられなくなってしまって、1ヶ月で5kgやせたんだったかなー。悲しくて悲しくてびっくりするほど悲しかった! 「こんなに悲しい気持ちはもう二度と味わいたくはないけど、これほど悲しんだということは絶対に覚えていよう」と誓っていました。ちゃーんと胸の重みとして蘇ってますね毎年。どうして私は自分に呪いをかけてしまったのでしょうか。


こういう公の場で父の死というプライベートなことを書くのは賛否両論あると思いますが、私は自分の気持ちの変化を客観的にみることができる気がするので毎年メモとしてどこかしらに残しています。暗い話と思わないで読んでいただけるとうれしいです。

他界して数年は周囲の人がいい話をたくさんしてくれるおかげで記憶が美化され、もう一生ファザコンから抜け出せないような気がしたものです。でもそれも7回忌の頃までにはずいぶんと減り、家族で思い出話をしていても「いやいや聖人ではなかったよね」みたいなエピソードが差し挟まれるようになりました。今ではかなりフラットな気持ちで客観的に生前の父を思い起こすことができます。父も人の子、おばあちゃんの子!


とはいえ末っ子で母が嫉妬するほど父にかわいがられていた私なので、やはり今でもいちばん尊敬する人は父だし、ああいう人になりたいと思っています。父は人望が厚く優しい人だったので、お葬式にはたくさんの人が集まってくれました。当時の上司も東京からわざわざ駆けつけてくれました。みんな口をそろえて「お母さんを支えて」と言ってくれました。人が亡くなった時に一番ストレスを感じるのは配偶者なのだそうです。本で読みました。「愛する家族を失った人へ」みたいな気恥ずかしいタイトルの本でした。家族を失った人の心理的変化を段階別に解説しているのを読むと、辛い時期にも終わりが来ると思えて落ち着きました。

そんな中で一人だけ私自身のために手紙を書いてくれた人がいました。義兄のお母さんです。私と同じ年齢で父を亡くしたということ、言葉でなくても背中を見てきたのだから大事なことは教わっているんだということ、迷った時は父ならどうするかと考えて決断してきたということを教えてくれて、心の底からうれしかったのを覚えています。私もそのようにしようと思いました。


さあ、今月は命日があって、そのとき母は実家にひとりなのです。豆柴はかわいいけれど話し相手にはなれない。ケロッと明るく電話をかけて、最近読んだ本とか食べたものとか仕事のことについて長話をすることが、娘としてやるべきことなのだと思っています。母が命日を忘れているといいなと思います。そのぐらい軽い感じでひとつ。