2011-12-31
2011年の振り返りと映画『けいおん!』の感想
というわけでtwitterで長く書いてしまうと微妙なのと自分用のメモ代わりの場所としてはてなダイアリーを利用することにしました。基本的にはtwitterの方がメインなので、こちらを利用するのはごくたまにといった感じになると思いますけど、まぁやっぱり自分の足場は欲しいなと思ったので。
んで、この日記の最初の題材はもう間もなく終わろうとしている2011年の振り返りです。
今年も振り返ってみると好きになった作品はいろいろありました。初めて真面目に最初から最後まで視る仮面ライダーオーズとかMXでの再放送のおかげで最終話まで視聴できたハガレンとか、あとはアニメを通して初めて触れたアイドルマスターとか。
とまぁ、そうしたいろいろな作品があるわけですが、何より自分にとって今年触れた作品の中で最も印象に残っているのはやっぱり『けいおん!』なのだと思います。今年の自分は『けいおん!』に始まり、『けいおん!』に終わりました。ええ、年の初めにBDで1期2期を通して一気に視聴して完全にハマり、幸運にも2月にさいたまスーパーアリーナで行われたライブに参加することが出来て、自分の中の好きという気持ちが完全に根付き特別なものになったと思います。今振り返ってもあのライブに参加できたのは間違いなく今年最大の幸運でした。あ、いや、やっぱ違うな。一番の幸運は『けいおん!』って作品に出逢えたこと自体ですね(苦笑)
そして12月に公開された映画も今日を含めて5回鑑賞し、観るたびに自分の中の大好きって気持ちを実感してます。本当に今年は『けいおん!』一色だったので、その今年の締め括りとして今日映画を観ることが出来てとても良かったと思ってます。勝手に改めて思い返してすごく胸に込み上げてくるものがありました。自分で言うのも何なんですけど、ホントこんなにも大好きになれる作品があったことが非常に感慨深いです。
僕のことをある程度以前から知ってくださってる方なら、僕が惹きつけられるキーワードに『青春』ってものがあることはなんとなく存じていただいてるかもしれないのですけど、過去そうして惹かれた作品ってのはたいてい我が身を振り返って自己嫌悪に陥る言うなれば呪いみたいなものがありました。その自己嫌悪の気持ちってのは作品が自分にとって眩しければ眩しいほど、強くなる傾向があったんですけど、ただそんな中に現れた例外が『けいおん!』なんですよね。
こんなに大好きで感情移入して視てるのにずっとずっと「大好き」と声高に謳い叫ぶことに全く躊躇いがいらない。こんなにも唯たちの”今”は輝いてるのに自己嫌悪に陥らない。と言うか、そうした気持ちを押し流してしまうくらいに大好きという気持ちが圧倒的に強い。
それはこの作品がいわゆる「ぬるま湯だから?」って言われると、それは受け取り方の問題、気持ちの問題であって、違うんでないかと思う。少なくとも自分はそう思いたいと思ってる。
ちなみに個人的にその辺の理由に納得がいったのが
http://news.walkerplus.com/2011/1207/9/
こちらの山田監督のインタビュー記事の以下の部分。
高校時代の輝きに、思わず「まぶしい!」と、もだえてしまう大人世代も多いはず。さらに、校歌の響く廊下や、夕日の差す部室、ルーズリーフをちぎった手紙など、ノスタルジーをかき立てる演出がたまらない。「自分たちとシンクロしてしまいますよね。彼女たちに、そういう強い思いを背負わせるのは嫌だったんです。できる限り彼女たちには“今”を生きてほしいって。でも、どうしてもそれを見ている私たちはまぶしくなってきてしまって。夕日を差し込みたくなってしまう(笑)」。
たぶん山田監督をはじめとしたスタッフの方々がこの方針でずっと唯たちの“今”を描こうとしてくれたこと。それが自分がこんなにも心底からこの作品を大好きになれた理由の一つなんじゃないかなと。この辺って何気に自分がtwitter上でBDで視聴してる時からずっと言ってたことにも通じてるんですよね。その”今”への想いは例えば2期後半のED『NO, Thank You!』の歌詞に焦がれるほど切なく謳われていたりする。
そしてそんな彼女たちの”今”を裏打ちしているのは本当に何気ないキャラクターの描写の積み重ね。例えば映画で言えば唯とムギ、澪と律ちゃんが一緒に登校してて、それが自然と合流して4人になったり、その後律が唯の髪をさり気なく直してあげていたり。あとはこれはtwitterで先週映画観た時に書いたけど、律ちゃんが日本にメール送る際に携帯を掲げた時最初に律ちゃんの意図に気づいて手を合わせるのは澪であったり。そういった細かな描写から彼女たちの関係が見えてくる。そして自分はそんな何気ない毎日をこれ以上ないくらい青春してる唯たちが大好きです。
本当はこの辺り、もっともっと言葉に落とし込める『好きな理由』があるようにも感じていて、それについて数日悶々と考え続けたりもしたのだけれど、でもとにかく何よりも確かなのは自分がただこの作品を大好きだということ、大好きだと言いたいこと、大好きでありたいということなんですよね。だから今はその気持ちを正直に書き残しておきます。
ちなみに以下映画の感想について捕捉。というか先日
http://www.tbsradio.jp/utamaru/2011/12/1217.html
こちらの放送を聞いて改めて自分の思ったことを書いておきたくなったので書き残しておきます(苦笑)
まず卒業旅行の話と梓に曲を贈ることの構成については個人的には特に後者に対しては寧ろそこまで描いてくれるのかと思いました。あの部分はエピソードが”並列”してるんじゃなくて後者に前者が”内包”されてると言った方が正しいんでないかなと。卒業旅行自体は勿論それは一大イベントではあるのだけれど、でもそれは大事な想い出の中の1つであり、梓に贈る歌を見つけるための過程であり、「いつもの私たちの曲で良いんだよ」って答えに辿り着くための道筋だと思っています。
それからTVシリーズに対しての劇場版のラストについて。これは人によって受け取り方の違いがあるのかなぁ。
自分の場合、TVシリーズ最終回は唯たちの”今”の提示で、劇場版のラストは少しだけ視線を前に向けた”これから”の提示だったと思ってます。気持ちの上でも、「自分たちが卒業した後一人残されることになる梓のことを考える」ってのがまず先のことを考えてると思う。2期後半から終盤にかけては主に梓の視点だったのが、映画は4人の視点になってるってのはやっぱりポイントですよね。
ただ、その”先”ってのは”これまで”と”今”があるからこそ在るものだということも彼女たちが積み重ねた想い出、例えば映画の中ではロンドンへの卒業旅行や帰国後の卒業ライブ、そしてあの卒業式の日に解放された屋上を駆け抜けたシーンからはっきりとそう思うことが出来ます。
また、もう一つ象徴的だと思うのはEDの歌詞だと思うんですよね。さっきも書いたようにTVシリーズのED『NO, Thank You!』は唯たちの”今”への想いが謳われています。「思い出なんていらない」のに「永遠さえいらないのに何故かなくせない」”今”への想いが。だから僕は20話の後で聴く『NO, Thank You!』でヤバいと思ったのですよ。終わりがあることを提示して、それでも”今”があることの尊さを声高に謳うその想いが。
それに対して映画のED『singing!』は映画本編のEDを象徴するかのように卒業を経た先の”これから”へ目を向けた唯たちの想いが謳われているんですよね。「道なき道でも進もうよ 一緒に放つ音が地図だよ」、「瞬間瞬間は ああ、止まれず終わってくけど 終わり続けるから始まり続ける」、「未来 信じてく」って。もうね、ここら辺の歌詞が大好き過ぎます。胸に込み上げてくる万感の想いがある。
映画を観終えた今、唯たちの物語はこれからも続いていくけれど、アニメはこの劇場版で一つの”描き切った”感があると思っています。だから3期についてはそりゃまぁ在れば嬉しいと思う気がするけど、映画で終わりなのだとしても個人的には文句は全く無いですね。そういう締め括りを描いて見せてくれているので。
と、至って断片的ではありますが映画についてちょっと書いておきたいなと思ったことを書いてみました。言いたいことはいっぱいあるんですけどね。あずキャット!とか、唯あず!とか(苦笑)
あーそれにしても今年っていうか、ホント『けいおん!』は自分の中で特別な位置を占める作品になったよなぁ。こんなにもこの作品を好きになれたことがすごく嬉しい。この作品に出逢うことが出来た2011年は非常に想い出深い年になりました。来年もこんな気持ちを日々に埋もれさせないような生き方がしたい。そのためにはいろいろとやりたいこととかやってみたいこととかやらないとね。そういう映画のラストの唯のような気持ちで2012年に臨みたいと思います。