歴史(中) ヘロドトス

歴史(中) (岩波文庫 青 405-2)

歴史(中) (岩波文庫 青 405-2)

(中)の概要は次のとおりです。

  • 巻4:ダレイオスのスキュティア遠征とその失敗。彼の部下によるリビア占領
  • 巻5:イオニアのペルシアへの反乱とその失敗
  • 巻6:ペルシア軍がいよいよギリシア本土へ侵入。マラトンの戦い

さて、話が多々脱線することは(上)と同じです。私が興味がある、ギリシア神話と歴史の間にあるような話も出てきます。例えば、このような話です。

ヘロドトス 歴史 巻6、137から)
話はペラスゴイ人がアテナイ人によってアッティカの地から追放された時に遡る。(中略)アテナイ人は、アクロポリスにめぐらした城壁構築の労に報いるため、自発的にヒュメットス山麓の土地をペラスゴイ族の定住地として与えたのであったが、もとはとるに足らぬ貧弱な土地であったのが、立派に開墾されたのをみたアテナイ人は、その土地が嫉ましくなりわがものとしたい欲望にかられた結果、それ以外格別の理由を設けることもなくペラスゴイ人を放逐したというのである。(中略)
 さてペラスゴイ人たちはアテナイを追われてからレムノスに住みつき、アテナイ人に報復することを念願としていたが、(中略)アテナイの女たちがブラウロンで女神アルテミスの祭礼を営むのを待伏せ、(中略)女たちをレムノスへ連れて行って妾として手許に置いた。
 この女たちは生まれた子供が増すにつれ、子供たちにアッティカ語とアッティカの風習を教えた。それで子供たちはペラスゴイの女たちの生んだ子供とは交わろうとせず、仲間の誰かがペラスゴイの子供に擲られるようなことがあれば、総出で助けにゆき、互いにかばいあった。それのみかこの子供たちは、自分らが子供の世界を支配するのが当然と考えており、大いに羽振りをきかせていたのである。このことを知ったペラスゴイ人たちは(中略)彼らが成人した暁には一体何をしでかすか判らぬと考え(中略)アッティカの女たちの生んだ子供を殺すことに決めた。彼らはこの決定どおりに実行し、あまつさえ子供らの母親たちまで殺してしまった。(中略)殺害してからというものは、穀物は実らず女も家畜も以前のように子を産まなくなってしまった。

このような話は通常、ギリシア神話では登場しません。