コンピュータ創世記(5)

1943年当時、ノーバート・ウィーナーは何者だったかというと、MITの数学者だった。当時49歳でもう若くはない。彼のそれまでの大きな業績は、確率的にしか未来の値が決まらない信号の解析方法を編み出したことで、これはルベーグ積分と密接に関連している。しかし私は正直なところルベーグ積分がよく分かっていないので、これ以上はウィーナーの業績を述べない。このようなことを研究している人間がなぜMITにいるのかというと、このような確率的にしか未来の値が決まらない信号というのが雑音や通信メッセージを取り扱う数学的なモデルとして利用できるためで、こんなわけでウィーナーは電子工学、通信工学に近接した分野を研究していた。
さてこの当時、ウィーナーも戦時研究に携わっていた。モークリーとエッカートがENIAC開発をアメリカ陸軍から委託されたのと同様にである。ウィーナーに課せられた戦時研究は戦闘機を打ち落とす高射砲の命中度を高めるための研究であった。戦闘機の速度が上がったために、戦闘機が現在いる位置に向けて砲弾を発射しても命中しない。戦闘機の未来の位置を予測してそこに向けて砲弾を発射することが必要になる。しかも、砲撃が始まると戦闘機乗りたちは回避行動をとるので、完全に戦闘機の未来の位置を予測することは難しい。ウィーナーは、回避行動の統計データを取り、そのデータに基づいて予測する方法を開発した。この高射砲の自動追従装置の開発中に、ウィーナーはフィードバック機構という視点から見れば、ある種の機械と生物はよく似ているのではないか、という発見をした。

  • よく、この話の説明に「自動追従装置が激しい振動に陥る場合があることを発見し、それが人間のある種の病気の症状に似ているのに気付いた」という説明を見かけるが、ウィーナーのサイバネティックスという本を見る限り、そのような記述はない。その少し後ろのところで確かに振動についての記述があるが、これは予測の方式に関係する現象であり、フィードバックとは関係がないように私には読める。

フィードバックという面からの機械と生物の類似性を発見した個所を「サイバネティックス」から引用すると以下の個所になる。

なるほど、或る種の火器制御装置では、レーダーによって衝撃波そのものが直接、照準器に入ってくるが、もっとふつうのものでは、人間の照準手が、火器制御装置といっしょに、その一部分であるかのように動作する。したがって照準手のはたらきを機械に含めて数学的に扱うためには、照準手の特性を知ることが必要になる。(中略)
 ビゲロウ氏と私とが得た重要な結論は、随意運動においてとくに重要な要素は、制御工学の技術者が「フィードバック」とよんでいるものであるということであった。
(中略)こういう見通しをえたので、ビゲロウ氏と私とは、このひじょうに特殊な疑問をローゼンブリュート博士に提出した:「患者が鉛筆を拾いあげるというような、ある随意運動をしようとするときに、目的の物からいきすぎてしまい、どうにも止められない振動をおこすというような病理学的症状があるだろうか」。これに対しローゼンブリュート博士は、それは企画震顫というよく知られている症状であって、しばしば小脳の障害に関連しているものだと即答してくれた。
このようにしてわれわれは、少なくとも、ある種の随意運動の性質に関する仮説について、最も重要な確証を見出した。(中略) 中枢神経系はもはや、感覚から入力を受けて筋肉に放出するだけの独立な器官であるとは思えなくなった。それとは反対に、中枢神経系のきわめて特徴的な或る種の機能は、循環する過程としてのみ説明できるものである。この循環する過程は、神経系から発して筋肉にゆき、(中略)感覚器官を通して、再び神経系にもどってくるものである。


ノーバート・ウィーナー「サイバネティックス」より

ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信 (岩波文庫)

ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信 (岩波文庫)

この見解はウィーナー、ビゲロー、ローゼンブリュートの3名でまとめられ、1942年5月「脳抑制会議(The cerebral Inhibition Meeting)」と呼ばれる会議でローゼンブリュートが代表して発表した。そこに参加していたのが神経生理学者マカロックだった。彼はこの少し前からウィーナーと連絡を取り始めたらしい。きっとウィーナーたちの研究が興味深かったからだろう。そして1943年には「コンピュータ創世記(4)」に書いたように彼はピッツとともに論文「神経活動に内在する観念の論理計算(A Logical Calculus of the Ideas Immanent in Nervous Activity)」を発表する。ウィーナーとマカロックは神経系の研究において、神経系全体を対象とするか個々のニューロンを対象とするかの違いはあるものの、対象をブラックボックスとみなして入力と出力に注目して数学的にモデル化するという方法論で類似しており、彼らはこの方法論が人間の脳の活動の解明のための新しい知見をもたらすと考えたのだろう。ウィーナーはフィードバックを接点とした生物学と工学の学際研究を提案して、そのアイディアを科学者仲間に広めていった。この新しい科学の流れをウィーナーは1948年にサイバネティクスと呼ぶようになるのだが、1943年時点ではまだその名前はなかった。
この時期はちょうど、(ウィーナーやマカロックは実際に関与していないが)ENIACを始めいくつかのコンピュータの開発がアメリカの各地で始まった時期であった。翌年1944年には、このコンピュータ開発の流れにサイバネティクスの流れが侵入してくる。高名な数学者フォン・ノイマンはずっと前からウィーナーとは知り合いで数学のさまざまな問題について意見を交換する仲であったが、この頃ウィーナーの学際研究に興味を持ち、マカロックとピッツの上記の論文を読んだ。私が非常に興味を覚えるのは、ノイマンがこの論文を読んだ時、何を考えたか、ということだ。私はそれを知りたい。すでにウィーナーが、この論文とシャノンの1937年の論文「リレー回路とスイッチング回路の記号的解析」との関係を指摘していたので、電子工学的に脳に似たものを作ることが出来る、というアイディアは持っていただろう。それを越えてノイマンがこの時点でチューリングマシンにまでアイディアを結び付けることが出来たかどうか私は知りたい。ノイマンはこれまた戦時研究である、それも極秘の戦時研究であるマンハッタン計画にかかわっていた。そして原爆の設計のための大量の数値計算を実行するために高速計算機の必要性を強く感じていた。