香田証生さんはなぜ殺されたのか――下川裕治著

イスラム国」の日本人人質事件が進行中なので、10年前のこの事件を思い出して、何か参考になることは書いていないか、と思って図書館から借りてきました。しかしその点については、あまり参考にはならなかったです。
この本は香田証生さんが殺されたわけを追求したものではなく、なぜ香田証生さんが危険なイラクに行ってしまったのか、ということを探ったものです。それも著者が香田さんのたどった旅の道のりを追体験するという方法で迫っていくものです。ほとんど著者の推論だけでこの本は成り立っています。そういう意味では、なぜ香田証生さんがイラクに行ってしまったのか、という問いにも明確な回答は得られていません。
著者は、この事件の当時、香田さんの行動に対して世間が非難をあびせたことに違和感を持ったということです。それは著者が香田さんの中に、自分と同じ、あてのない旅をする旅人の気質を見い出していたからでした。著者は長年、そのような旅を続けてきたそうです。

 しかし一歩、知らない国の土地を踏み、わけのわからぬ男や女に騙され、右往左往しているうちに、日本で僕が考えていた旅の目的などどこかに霧散してしまった。なんの意味もなかったのだ。気がつくと、「今日の飯はうまかった」、「昨日の宿の蚊はひどかった」ということしか考えられないほど脳がふやけ、「今晩、どうやって蚊を防ぐか」という一点で頭のなかがいっぱいになる旅行者になっていた。
 それだけ旅が過酷だったといえばそれまでかもしれないが、そういう空白の旅を僕は受け入れていった。日本に帰れば、どんな仕事をしたらいいのかという重い現実が待ち構えているのに、その問題を常に先送りし、パスポートに入国と出国のスタンプだけが増えていく旅をつづけていた。

 次に向かう国や街を決めていく動機もいい加減で、「あの街はきっと気持ちのいい高い空が待っていそうだ」、「なんとなく街の名前が気に入った」程度の理由で夜汽車や過酷なバスに揺られていった。バックパッカーの旅はそんなものだった。

 香田君はフリーターだった。自分探しの隘路のなかでもがいていた。しかし旅人としての天性をもっていた。だからニュージーランドのワーキングホリデーの終わりに、イスラエル、ヨルダンを経て、イラクへという旅を選んでしまったのだ。


この本を読むまで知らなかったのですが、香田さんは最初はニュージーランドに語学研修に行っていたのでした。そしてそこではかなり英語のヒアリングを上達させていたそうです。そして、帰国の予定日が近づいてきた時に、ニュージーランドでの友人たちにはメキシコに旅行に行くと言っておきながら、実際にはイスラエルに向かったということです。しかしこの時点でもイラクに行くつもりはなかったようです。イスラエルでどういう心境の変化があったのか、定かなことは分かりませんが、そこからヨルダン経由でイラクに入ったそうです。

 (ヨルダンの)アンマンは坂の多い街である。真下にはプリンス・モハド通りがあり、そこから延びる急な坂道に沿って石づくりの家が階段状に連なっていた。視線をあげると、こんもりした丘が見渡せ、その上に雲がゆっくりと動いていた。
 香田君はテラスから外を眺めることが好きな青年だった。(彼がヨルダンに行く前に滞在していたイスラエルの)テルアビブのスカイホステルのドミトリーは四階にあり、ベン・イフェダ通りに面してテラスが突き出ていた。そこが香田君の特等席だったようだ。どきどきそこで寝入ってしまうこともあり、ホテルの従業員が心配したこともあったという。彼はそんなふうに街を眺めていた。

24才で、まだ就職出来ずにいる青年が、異国の風景を眺めながら何事かを考えている、その光景が目に浮かびます。そこには共感できます。しかし、未熟と言うか判断ミスというか、彼はイラク行きを決めてしまったのでした。著者はこう書きます。

 混沌としたアラブ社会に慣れていたら、香田君が殺害されなかったというわけではない。『イラク聖戦アルカイダ機構』と名乗る犯人グループは、外国人なら誰でもよかったような節すらある。しかし、香田君がもう少しアラブ社会の流儀を身につけていたら、バグダッドの危ないエリアには足を踏み入れなかったかもしれないし、目立たない服装も心がけたような気もする。貧しい国には貧しい国の歩き方があるものだ。
 (ニュージーランドでの留学先の)クライストチャーチや(イスラエルの)テルアビブというビーチリゾートで暮らした香田君は、唯一、エルサレルの旧市街でアラブ社会に出会っているが、そこはやはりイスラエルのなかのアラブだった。ヨルダンに入国し、翌日にはクリフ・ホテルまでやってきた香田君は、アラブの街を本格的には歩いていなかった。

 ヨルダンは彼にとって、はじめての途上国だったのだ。そして香田君は出口のない貧困にあえぐイラクという国を旅しようとしていた。バグダッドを歩くためには、アンマンはいいテキストだったはずである。
 しかし彼は、イスラエルから一直線でイラクをめざしてしまう。
 クライストチャーチやテルアビブで彼を悩ませたであろう「守られている」という感覚、そして苛立ち・・・・。彼は安全な繭のなかから飛び出そうとしていた。それは彼が望んでいたことでもあった。しかしアラブの矛盾や貧困は甘くはなかった。

私は読んでよかったと思いましたが、著者の推測がどこまで当たっているのか疑問です。ひょっとしたら著者の思いが香田さんという素材に投影されていて、現実の香田さんとはかけ離れた像を提示しているのかもしれません。評価の難しい本だと思いました。