被爆電車 2011年夏(その3)

広島電鉄 651号
 昨日帰るつもりだったのですけれとも、夕方広島駅へ行くと、備後赤坂で踏切事故とのことで、架線切断のため当日中の復旧はなし、代行バス運行中とのことでした。そういうことなので、やむを得ずもう1泊せざるを得ないと、もちろん新幹線で帰ればいいわけですが、総合的に判断するともう1泊した方がよかろうということで、市内に引き返して安いホテルを予約し、灯篭流しを見に行きました。
 それでこれは今日の画像です。八丁堀で電車を待っていると、宮島口行きのグリーンムーバーの後をトコトコ付いてくる被爆電車が見えました。これも何かの貸切のようです。広島駅行きのグリーンムーバーmaxと並びました。
広島電鉄 651号
 今日の分は枚数が少ないので、2枚目は後追いです。本来こういう構図の方がいいですね。21世紀の広島の街を行く、被爆電車という感じで。ラッシュ時に一部1号線の単車の運用がないことはないのですが、普段の運用でこのあたりを走ることは、今はごく少なくなっているはずです。70年前の広島を知っている彼と話ができるのであれば、今の街並みが彼の目にどのように映っているのか、聞いてみたい気がします。
広島電鉄 651号
 そして、これは回送です。直進していったので、たぶん戻ってくるだろうということで、紙屋町で待って撮りました。昨日、一昨日に撮った写真も眺めてみると、曲がってくるところの写真ばかりになっていますが、こういのが好きなんですね。あんまり意識してないけど、私が撮った写真である証ということで、ご容赦ください。
 大げさに受け止められると気恥ずかしいのですが、同じ時間を共有している者として、彼らを記録しておきたいという気持ちがあるんですね。他のものもそうなんですが、特に被爆電車については、2両が廃車になったころから、そういう思いが強いように思います。ネット上に置いているということも同じ文脈です。今年も夏の広島へ行って、いろいろなことを考える機会が得られました。それ自体も、私としては貴重な経験であろうと思っています。66年前の夏を想い、御霊の安らかなることをお祈りいたします。