『たべもの世相史・東京』

たべもの世相史・東京 (1976年)
二年ほど前、ロフトプラスワンで開催された、唐沢俊一さん*1の蔵書即売会(もう、行けども行けどもグッとくる本がザクザクだった)でゲット。何冊かまとめていくらだったから、この本に唐沢さんがつけた値段はわからないが、「ほぉ、なかなかお目が高い」と言ってくださったのを覚えている。
構成は、大正篇、昭和戦前篇、戦中・終戦直後篇の三部。筆者は明治38年に本郷四丁目で生まれ、幼少期に父の仕事の都合で朝鮮を転々とはするが、正真正銘の「東京人」である。まったく驚くべき細密な記憶や実体験をもとに、食べ物を通して縦横に描く「東京」の世相があざやかである。
たとえば、大正九年慶應の医科に通っていた従兄と「本郷バー」なる洋食屋に行ったときの記述。

「ポークカツ二ちょう! オムレツとコロッケ追加だよッ!」
そのころは、トンカツなどという言葉はなかった。チキンカツ、ビフカツ、ポークカツである。
値段は、チキンが二十銭、ビフカツが十銭、ポークは八銭。オムレツ、コロッケはどちらも五銭であった。
(中略)
今でこそ、ブロイラーという、味も素っ気もない生きている合成鶏肉が出現したために、一番やすくて不味いチキンも、昔はカツの中では最高でビーフ、ポークを見おろしていたのであった。

チキンカツがビフカツの倍高い! そんな時代があったのである*2。大正9年といったら、たかだか90年前のことだ。しかし、そういったトリビアルなことは、こうやって誰かが書き残しておかなければいとも簡単に埋もれていってしまう。チキンカツやビフカツの値段なんて瑣末なものを伝えていくことは、別に誰も彼もがやる必要はないが、誰かがやらねばならない。いや、別にやらなくてもいいのかもしれないが、できればやってほしい。90年後の読者の、「へぇ」や「ほほぉ」や「にやり」のために。
いま、そんな貴重な「トリビア語り部」は誰なのだろう。なぎら健壱さん*3なら安心して任せられるなぁと思う。泉麻人はちょっと…。



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*1:もともと、「と学会」以来の憧れの方だったが、以前、あることがきっかけで何度かトークライブでごいっしょさせていただき、顔と名前ぐらいは覚えていただいている。

*2:別の項にも、当時は牛や豚より鶏のほうが高かったという記述がある。

*3:この方とも、とある番組で何度かごいっしょさせていただいた。