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Chikirinの日記 RSSフィード

2005-09-28 fair value と market value

Fair value とMarket valueという言葉があります。Market valueは「市場価値」、Fair valueは「公正な価値」か「正当な価値」でしょうか。Market priceとFair priceとも言えます。

バブルの頃、土地の売買はMarket priceに基づいて行われていました。ある土地を「明日100億円で買う」という人がたくさんいるという理由で、今日「90億円で買いたい!」という人が現れるのです。明日、「100億円で買いたい!」という人が現れる理由は、「1週間後には110億円で買う!」という人が現れると確信しているからです。

こうして市場価格はどんどん上がっていきました。


実際には、その土地にマンションを建てた場合、5000万円で売れる部屋を100戸作るのが設計上ぎりぎりだったかもしれません。その場合、販売総額は50億円ですから、建築費を考えれば土地の「正当な価格」は50億円以下です。賃貸マンションやオフィスビルを作った場合でも、将来までの家賃の総額が正当な価格の上限になるはずです。こういう価格は Fair priceと言えます。

バブルの頃は、土地売買をする人だけでなく、彼らに融資をする銀行も「この土地を100億円で買う人がたくさんいる」という理由で、その土地を100億円と評価し、それを担保に100億円まで融資をしました。銀行は「市場価格」に基づいて融資をしたわけです。あの頃はみんな「土地の値段は上がり続ける」と信じ、土地の利用価値など全く気にしていなかったのです。

ところが、ある日突然「明日100億円で買うよ」と言っていた人がいなくなりました。政府の方針転換により、不動産取引のために貸せるお金の総量に制限が課されたためです。そして、不動産は一気に売れなくなりました。

この時に起こったことは、土地の価格が「市場価格」から「正当な価格」のレベルまで低下する、という現象でした。

100億円の市場価格がついていた土地が、Fair valueである50億円以下でしか売れなくなり、その土地を100億円で買った会社は倒産、その企業に融資をしていた銀行は、担保の土地を処分しても借金が回収できず不良債権を抱えました。

この場合、市場価格は一気に下がりましたが、正当な価格の方は大きくは変わっていません。バブル崩壊とは「市場価格の下落により、ふたつの価格の乖離が一気に縮小した現象」ということもできるし、「土地のプライシング方法が市場価格から公正な価格に変わった」のだとも言えます。


Market priceで買うべきか、Fair priceで買うべきかという議論は、企業買収の際の株価のプライシングにおいても起こります。A社の株式の過半数を買って買収しようという場合、「親会社やその会社の経営陣が、高値で買い戻してくれるだろう」と思えば、彼らが払えそうな価格の少しだけ下の価格で買えばいいということになります。これが市場価格です。

しかし、企業を買収した後にその事業を運営していきたいなら、「いったい将来にわたっていくらのキャッシュフローが得られるか?」ということを計算し、その価格以下で買わないと投資が回収できません。

つまり「売り抜ける気か?」それとも「経営しようとしているのか?」によって、最初に買い占めを始める時の“妥当な価格”は大きく変わってきます。目的によって「市場価格と公正な価格のどちらで買うべきか」は異なるのです。


★★★


市場価格は何の分野でもすぐに変わります。コレクターグッズのオークションでも、そのアイテムが流行っている間はやたら高値が付きますが、人気がなくなると一気に暴落します。一方で正当な価格は(ある程度変動はしますが)そんな急激には変わりません。テレホンカードや切手であれば、公正な価格は明記されています。

また資本主義国では大半の仕事の給与は、その仕事の本質的な価値とは関係がありません。それらは需給で決まってます。需要が高いのにスキルや経験がある人が少ない分野では報酬は高くなりますが、それらが「他の仕事より価値が高いかどうか」はわかりません。

したがって、市場価格に基づく給与が公正な価値に基づく給与より何倍も高いという業界で働いていると、何かの拍子に市場価格が暴落し、公正な価値に収束してしまうこともありえます。


Fair valueとMarket valueは、「市場が効率的であれば」理論的には同一になるはずなのですが、、実際には市場が完全に効率化するなどということはありえません。

つまり現実の世の中では、「モノの価格は常に二つある」のです。そして私たち一人一人は、「市場価格と正当な価格の二つのどちらの価格で売るのか? 買うのか?」という選択肢を常に突きつけられ、判断しながら生活しているのです。


★★★


ところで多くの人は、教育は非常に投資効率がよいと考えています。しかし本当にそうでしょうか? たとえばアメリカのビジネススクールの授業料は、過去10年から20年の間に高騰しました。

ビジネススクール側にしてみれば、それでもまったく問題がありません。なぜなら、今の値段(1年間の学費が400万円程度、2年のプログラムなら授業料だけで800万円)でも世界中に「その学位をその値段で買いたい」人が溢れているからです。この価格は明らかに「市場価格」です。

では、今、アメリカのビジネススクールに行くことの「公正な価値」はいったいいくらなのでしょう?

それは、そこで学位を取ったことで上昇する将来の給与の合計ということになります。その合計が、かかる費用(授業料や報酬に加え、働いている人が留学した場合は、その期間中に稼げたはずの給与も合わせた合計)を超えなければ、留学することの価値はマイナスになってしまいます。今のレベルの授業料を払っても、本当にみんな経済的利益が得られるのでしょうか?


誤解のないように書いておきますが、私は「市場価格」が悪い価格だと言っているわけでも、正しくないと言っているわけでもありません。市場が付ける価格とは、すべての取引参加者の総意として尊重されるべき価格です。

しかし、何かを買ったり売ったりするとき、特に、教育や住宅などの大きな買い物に関しては、自分が今、払おうとしているのはどちらの価格なのかということ、そして、そのふたつの価格はどの程度、乖離しているのか、という観点を常に持っておく必要があると言えるでしょう。


ではまた明日。

2005-09-27 NGOとNPO

NGOとNPOはどう違うの?

って、答えられます?

よく聞く言葉なのに、ちゃんとした違いがよくわからないですよね。


NGOとは非政府組織のこと。G はガバメントの G。一方、NPO の P はプロフィットだから、非営利組織です。


が、

NGO は、profit seeking でもいいんだろうか? 「非・政府」であれば「営利」でもいいのか? 

だったら、ソニーも NGO だよね・・。それは変でしょ。ソニーを NGO と呼ぶ人はいないです。実際には(文字通り)NGO なのだけど、誰もそうは呼ばない。なぜか?

やってることが Profit seeking だからです。

であれば、NGO というのは当然に NPO である、ということが想定されている。つまり、NGO は NPO に含まれる概念なんです。


それとも政府や公的機関で、営利目的っていう組織は想定されてると思います?

それがないなら、NGO は、NPO という上部概念の中のイチ分野ということになる。つまり「 NPO には NGO と政府がある」、もしくは「 NPO は、NGO と政府に分れる」ということ。でもそういう言い方ってあんまり聞いたことがない。


★★★


そもそもどっちの言葉が先にできたんだろう?

例えば NPO って言葉が先にできたとする。

するとその時は前提として「 NPO には政府は含まない」という共通意識があったんでしょう。だって政府が Non profit だということは誰でも知っている。だから NPO という言葉ができた時には、「これは政府じゃないけど、非営利なんだよ」という意味だったと思う。

でも、だったらその後から NGO という言葉を作る必要はないよね。


反対に、先に NGO という言葉ができたとする。

すると、できた時に、そもそも「利益追求じゃない」という前提があったはず。だって「政府でなくて営利」なんてのはごく普通の概念(一般企業のこと)だから、それを表す言葉を創る必要はない。

わざわざ「政府じゃない」と言う言葉( NGO )を使う意味は、「政府ではない。しかし政府みたいに見える」ってことのはず。

つまり、マクロ的なこととか、福祉的なこととか、外交とか、「政府」がやるべきことをやってんのに「政府じゃない」って意味だと思うんだよね、NGO って。だったら、当然 non profit でしょってことで、それはあたりまえだから、わざわざ言わない。

でも、こちらもその後にNPOという言葉ができた意味がわからない。実際には NPO も本来政府がやるべき、みたいなことをやっている。だったら NGO っていう言葉が先にあるならそれを使えばいいのに。


わかんなーい!!


★★★


このふたつの言葉の定義、NGO は「政府に似てるけど政府じゃない」、NPO は「民間企業に似てるけど、利益追求じゃない」という定義だとすると、

そもそもの NGO と NPO の違いは、「政府と民間企業と、どっちが本来やるようなことをやっているか」という違いなのよね。起点が違うというか。

でもこれもかなり微妙な定義だ。

だって外交や防衛ならともかく、最近、何を政府がやるべきで何が民間企業がやるべきか、ということ自体が揺れている。混ざってきているというか。日本は郵便配達を民間がやるとかやらんとかで国が揺れてるし、アメリカでは牢屋が民間運営だったりするし。


このふたつ、なんでわざわざ、違うところに起点をおいた二つの言葉が併存して使われているのか、がわからない。区別する必要ないじゃん。めんどーだし。


というわけで、「 NPO で働いています!」という人や「 NGO に興味があるんです、僕!」という人に会うと、ちきりんは必ずといっていいほど「ところで、NGO と NPO ってどう違うの?」と聞くようにしてる。


・・・答えられた人はまだいません。


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またあした


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2005-09-26 生活保護

今日は、事実=ファクト=factだけ、書きます。


(1)平成15年度に我が国で生活保護を受けた人の数は、137万人です。総人口は1億2760万人ですので、生活保護を受けているのは、日本国民の1%ちょい。約100人に1人です。


(2)一番、生活保護受給率が高いのは北海道で2.2%、次が大阪で2.1%です。2%ってのは、50人に1人です。


(3)同年で、世帯別でみると、生活保護世帯は94万世帯です。日本の世帯数は4000万ちょっとですね。94万世帯ってのは、全世帯数の2%です。繰り返しますが、2%ってのは、50世帯に1世帯ってことです。50戸のマンションの1戸ってことです。


(4)一人当たりの月額保護費は、15万151円です。

・ひとりあたり、です。一世帯あたりではないです。

・月額です。年額ではなく。

・全体の平均値です。最高値ではありません。

・なお、この額には所得税も住民税もかかりません。社会保障費もほぼかかりません。

・加えて、生活保護を受けている間、医療費の負担はゼロです。(通常は3割負担)


(5)平成14年度の生活保護費の総額は2兆2500億円ちょいです。

日本の消費税の総額は、10兆1600億円です。所得税の総額は13兆1600億円、法人税の総額は11兆5100億円です。他の小さな税金を合わせて、我が国の税金の総額(国の一年の収入の総額)は、44兆70億円です。ええっと、生活保護費が2兆2500億円だから・・・税収入全体の5%ちょいです。5%ちょいというのは、20分の1よりちょっと多い、ということです。我が国の総収入の20分の1ちょいが、生活保護費として支給されている総額です。

※かなり話がそれますが、数年前にりそな銀行という銀行が潰れた時に投入された税金は2兆円です。ひとつの私企業です。一つの銀行です。従業員2千人弱の銀行に投入されたお金です。それが、上記と同じく、我が国の一年の総収入の20分の1です。


(6)平成9年には、生活保護費の総額は1兆6370億円です。平成14年度に2兆2500億円ということは・・・過去5年間の伸び率は、6.6%です。毎年6.6%増えてるんです。毎年ですよ、毎年。額だと、5年で6130億円増えてます。


(7)生活保護を受けている人の約46%が高齢者世帯です。25%が傷病世帯です。あとは障害者が10%、母子世帯が8%です。あとはその他です。構成比です。


(8)高齢者世帯の半分以上が、既に過去5年以上継続して生活保護を受けています。高齢者世帯の3分の1は、過去10年以上継続して生活保護を受給しています。傷病世帯も、その4割以上が、過去5年以上継続して生活保護を受給しています。また、これらの世帯の8割は年金を受け取っていません。年金の受給がない(無年金の)人たちです。


(9)高齢者の生活保護世帯は、46万世帯くらいですが、生活保護を受けるのをストップする世帯数は、一年で3300世帯です。今、生活保護をもらっている高齢者世帯で、来年はもらわなくてすむ世帯は1%もない、ということです。


(10)生活保護の受給がストップした高齢者世帯3300世帯の、受給ストップ理由は・・・

・死亡=1600世帯

・失踪=190世帯

・その他の社会保障費の受け取りが増えた=200世帯(支払われるお金の種類が変わっただけ)

ここまでの合計で、2000世帯ですね。その他が多くてよくわかりませんが、

・収入が増えた!とか病気が治った!という理由で、支給がストップしたのは、330世帯くらいです。「生活保護状態」からポジティブに抜けられる高齢者世帯は0.1%ということです。


まあ、そういうことです。

今日はデータだけ。何も意見はありません。


む〜

2005-09-25 お年寄り天国

ちきりんは、これからの日本はどんどん「お年寄り天国」になると思っています。

皮肉ではありません。ちきりんも将来の年寄りであり、“年寄り天国”に期待しています。医療費もあがるし、年金は切り下げられる、なんで年寄り天国なんだ?と思われるかもしれませんが、今後の日本は高齢者にとって今より圧倒的に住みやすい国になるでしょう。


理由は「これから急速に年寄りが増えるから」です。

現在、65才以上の人口は、すでに人口の2割。2200万人を超えています。国立社会保障・人口問題研究所によると、10年以内に人口の25%が65才以上になると予測されています。60才以上でみればもっと多いし、消費人口に占める割合では30%を超えてきます。

これからは「すべての企業にとって、最も重要な顧客は高齢者」という時代がやってきます。企業は“高齢者が気に入るもの”を競って開発し、“高齢者に気に入ってもらうためのマーケティング”を開始するでしょう。ここのところ新聞の活字が大きくなっているのはそういう流れのひとつです。


独身女性のマンション購入理由として、「年を取って独りだと、賃貸の部屋が借りにくい。」とよく聞きますが、これも今後は変化するのではないでしょうか。若者人口が減って空き室が増えれば、「独居高齢者の方に、こーんなに便利なアパートです!」「高齢者の方に入居の特典付き!」みたいな物件がでてきてもおかしくありません。

総人口の4分の1が老人になるうえ、若い人よりお金を持っている人も多いのです。若者にはニートや低所得のワーキングプアが増える傾向にあり、所得は減少傾向です。これからの日本では高齢者を無視した商売は成り立たなくなると思われます。


DVDやパソコンの使い方が難しすぎる!とお悩みの方も安心してください。今後はきっと“楽々操作”の製品が増えてきますよ。より性能の高いパソコンより、トラブルが少なくシンプルでわかりやすいパソコンの開発の方が、企業にとって重要な商品になるかもしれません。携帯電話市場ではすでにそういう商品が売れ筋のひとつとなっています。

年をとって独りだったら買い物にも困る、夫に先立たれたら海外旅行もできない、なんて心配する必要もないです。個人への配送を行う店や、一人暮らしの高齢者のための趣味ビジネスも増えると思います。あまり考えたくもないけど、「独居高齢者、日々生存確認サービス」みたいなものもでてくるかもしれません。コンサートでも「スタンディングオベーション禁止エリア」ができたりね。


今は企業のウエブサイトの文字も小さいですが、市役所サイトの福祉関連ページは文字が大きいところも多いです。これからは企業サイトもそうなるでしょう。株式投資する人もネットで商品を買う人も「半分は老眼」になるんだから。

資本主義って偉大です。規制やお役所が邪魔さえしなければ、ニーズのあるところに新事業は生まれます。

また、今後の高齢者ビジネスは“大金持ちの高齢者“向けではなく、より数の多い“一般のお高齢者”をターゲットにして開発されるでしょう。

どうやって低価格化するのかって?

日本はなんでも高スペックで高価格すぎるんです。アメリカのDVDプレーヤーの売れ筋の価格は2万円以下と日本の半分です。日本人は「いいもの」を欲しがりすぎる。でも、年をとったら、そんな複雑な商品は要らないでしょ。簡単操作でシンプルで安いモノ、そして大きな文字で説明書がついている。すべてに“ほどほどの品質でほどほどの値段”という市場が現われると思います。


そういえば最近は、駅などにエレベーターの設置が進んでいます。バリアフリー新法が予定されており(追記:2007年に施行済み)、公共交通機関は足腰の弱いお年寄りがスムーズに電車やバスを利用できるよう整えることが求められました。

これは国とっても大事なこと。公共交通機関が利用できれば自分で出かけるし、働いたり、消費しようという気になる。バスや電車に乗るのが難しくなると引きこもりがちな高齢者も増え、ひいては医療費や介護保険の増大にもつながりますから。


あと、そのうち「電動アシスト自転車」の進化版のような乗り物ができても不思議じゃないですよね。電気自動車と電動車いすと電動アシスト自転車をまぜて3で割ったみたいな商品。そして歩道の横に「高齢者用電動車いす専用道路」ができるとか。

町を出歩く人の半分が「足がヨタってる人」になるかもしれないのだから、“歩道橋”みたいな(シニアな人に厳しい)ものは消えゆく運命にあるでしょう。


飛行機も今は「小さなお子様づれのお客様」も優先搭乗できますが、「70才以上の方の優先搭乗」が始まるのも、そう遠くないんじゃないの?

実際、日本は今どんどんシニアな人にやさしい街になろうとしています。それは、インドや中国にいくとよくわかります。ああいう国は今はまだバリアフリーにお金を使うよりは、新しいビルや大型施設を建てるのにお金を使いたいという経済ステージにいます。

若い人は気がつきにくいかもしれませんが、エレベーターやスロープが増え、宅配をするスーパーも増えている。日本の街作り、ビジネスの作法は大きく視点が変わりつつある、と最近よく感じるちきりんでした。



というわけで、これからの高齢者の方は安心して老後を迎えてください。


そして既に高齢者の方は?・・・長生きしてください!


ではまた明日!






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追記)2011年11月に発売された書籍紹介

高齢者向け賃貸住宅経営で成功する法

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2005-09-23 二大政党制に必要なもの

近年よく使われる“二大政党制”という言葉。これが成立するためには、二大政党の議員数がバランスすること以外に、もうひとつの条件が必要です。

それは「基本思想の対立」です。それぞれの政党が依って立つ根本的な考え方に明確な対立点がないと、効果的な二大政党制は成立しないのです。

たとえば民主党がこれからやる!と主張することの大半は、小泉さんが既に掲げていることばかりです。

主張が同じであれば政権党が圧倒的に有利であり、国民は政権交代の必要性を感じません。今の民主党と今の自民党にはその差がなく、これでは二大政党にはなりえないのです。


ヘゲモニーの対立で一番わかりやすいのが 55年体制です。当時の自民党と社会党には明確な“対立思想”がありました。資本主義経済か社会主義経済か、米国寄りかアジア寄りか、という対立です。

イギリスの保守党と労働党も同じです。イギリスにはまだ色濃く社会階層が残っています。ノーブルな層の利益か、労働者階級の利益か。その対立思想に基づいて二つの政党があるのです。

アメリカの共和党、民主党の違いも明確です。

裕福で保守的な白人支配層か、経済的に必ずしも豊かではないマイノリティか。それぞれが支援する産業も、伝統的な重厚長大産業と、サービス産業やIT、バイオなどの新産業に分かれています。

したがって、「日本でも二大政党制が成り立ち得るか?」と考えるためには、「何と何の対立構造が、日本において成り立ち得るか?」と考える必要があるのです。


いくつか、対立構造になりそうな点を挙げて考えてみましょう。

(1)生まれつきの貴賤・・・欧州的な貴族階層は日本には存在しません。日本の元皇族は数が少なすぎるし権力、経済力も弱すぎて、「皇族vs.平民」という対立は成立しえないでしょう。


(2)学歴の上下・・・大学進学率が非常に高く、学歴と経済的なポジションの相関も、英仏やアメリカに比べて極めてゆるいのがこれまでの日本の特徴でした。

超一流大学を出ても博士号をもっていても“一兵卒”からキャリアを積めといわれる日本のシステムはきわめて民主的で、学歴上での“エリート”という区分さえ明確ではありません。

ただし、この点については(以前に書いたような)ゴールドカラー的な人が増え、一方でずっと非正規社員という人も増えてくると、今後は対立構造を形成する可能性もあるでしょう。


(3)経済思想の対立・・・社会主義、共産主義は世界的に敗北が確定しており、今さら“右か左か”という思想対立で政党がふたつ並び立つのは不可能でしょう。共産党も社民党も議席は相当少なくなっています。


(4)経済状態の上下・・・“一億総中流”と言われた高度成長期の日本では成り立ち得ない対立軸でしたが、経済格差が問題視されることも多くなった今後は、この基準で対立するふたつの政党が並存することはあり得るでしょう。

いわゆる“配分論者”と“経済のパイ拡大論者”の対立です。


(5)国際政治グループの選択・・・これもあり得ますよね。

今までは、なんだかんだ言っても「アメリカ追随」以外に現実的に日本が選べる道はありませんでした。東西対立の時代には、アメリカ側に付かないことはそのまま共産主義陣営に入ることを意味していたからです。

でも今は違います。アメリカ以外でも、アジアも欧州も選択肢として検討できるでしょう。


(6)産業の別・・・アメリカだと、金融とメディアのNY,ハイテクとバイオのカリフォルニア、自動車のデトロイト、石油のテキサス、エンターテイメント産業のLAというように、地域によって“キラー産業”が異なりどれも世界的な競争力をもっています。

すると、為替が安い方がいいか高い方がいいか、保護主義がいいか自由貿易主義がいいかなどの“産業の対立”がありえて、それぞれを支援する政党が現れます。

しかし日本では輸出型の組み立て産業(電気・機械、自動車)と、化学など産業材プロセス業のみが抜きん出た国際競争力をもっていて、それらに対抗できるほどの産業は今のところ出てきていません。

なので、産業を二分して対立する二つの政党、もまだ成立しそうにありません。


(7)人種の違い・・・この点についても日本ではマイノリティの規模が(二大政党を構成するには)小さすぎるでしょう。


(8)都市と田舎の違い・・・今までは「田舎の利益を代表する自民党と、都市の利益を代表する革新政党」という対立があり得ました。でも、最近はこれも対立軸としては弱くなっています。

交通と情報と教育が行き届き、田舎と都会の人の考えはずいぶん交じりあうようになりました。

孫正義社長や堀江貴文氏も九州で教育を受けて育っているように都会の人の多くは地方出身者で、彼らは田舎の状況も理解した上で自分の意見を決めています。

また、ずっと地方に住んでいる人でも「こんなところに高速道路は不要」「ダムも要らない」と考える人もたくさんいます。


★★★


となると、「日本における対立構造」としてあり得る要素は、以下の3つと考えられます。

(2)学歴の上下

(4)経済状態の上下

(5)国際政治グループの選択

この3つの要素を組み合わせると、以下の二大政党がありうると気がつきます。


A党支持者=欧米で学位をとるなどゴールドカラー的な教育を受けて、リスクをとる人生を選択する。もしくは教育を早々に切り上げ、自ら起業している。


30代で年収1000万円を超える人も多いが、年収が高いというより「年収期待値」が高い人達。米国的な資本主義経済圏の一員としての日本を支持し、国際社会のリーダーとして尊敬される日本を志向する。フリーターやニートは「支援すべき社会層」と捉える。


B党支持者=日本で教育を受け“日本でのみ通用する”仕事についている。終身雇用や年功序列を好み、定年後は厚い公的福祉に守られたいと考えている。


国際社会における米国の独断的な言動に嫌悪感を持ち、アジアと連帯したいと考える。経済大国である必要はないから、平和で平等な日本でありたいと考えている。フリーターやニートは「社会の構成要素」である。


A党は自民党と民主党の中堅以下、若手政治家の主張に近く、B党は公明党と共産党と社民党と民主党(の元市民活動家グループ)をあわせたような政党です。

こういう組み合わせになれば、数合わせだけではなく、主義主張としても差異が明確な“対立軸のある二大政党制”となるのです。


ところが現状の政党はそうなっていません。現在は、

・A党的な自民党とB党的な公明党がくっついている。

・民主党は、党内にA党的な人とB党的な人が混じってる。

というふたつのねじれがあります。


この二つのねじれが解消しないと、対立構造がはっきりせず、したがって二大政党制は日本では形成されません。しかもこのねじれ現象は、実は意図的に作られています。

自民党と公明党がくっついてるのは、今の日本ではA党とB党の対立がまだ“そこまで”明確じゃないことを、彼らが理解しているからです。

そこで主張が違うのをわかった上で敢えてくっつくことで、自民党がA党支持者の、公明党がB党支持者の票を得ようという作戦です。


だから最強なんですよね、“小泉自民党+公明党”


というわけで、日本に二大政党制が実現するとしたら、その組み合わせは、

1)自由&民主党

2)社会民主共産公明党

のはずなんだよね。


また明日!

2005-09-17 成長=昨日より今日の生産性を上げること

私は日頃から「 inputと output のバランス」を常に意識しています。

例えば人のブログを読むのは inputで、書いて発信するのは output。勉強はinput、得た知識を使って仕事をするのが output。野球の練習は inputで試合が output。

人間関係においても、「今は、知らない人ともどんどん関わりをもって世界を拡げるべき時期」とか「今は、仲のいい友達とまったりのんびり過ごす時期」というように、input / output のバランスをとるんです。


これを強く意識し始めたのは、一度働いてから大学院に行ったからでしょう。大学から続けて大学院に行くと「小学校からずっと input」だから余り意識しないかも。

でも、一度働いて(= outoput して)から大学院(= input の場)に行くと、「この input は何のタメか?」「この input は、どんな output につながるのか?」と、すごく気になる。

そしてその頃から「 output 目標がないのに input に時間やお金をかけるのは、馬鹿げてる」と思うようになりました。

昔は英語も“とりあえず勉強”してたけど、今は“必要な分だけ”勉強します。今の仕事や趣味(一人旅)に必要な英語力だけ獲得・維持できればいい。それ以上の input はちきりんにとっては“無駄な input ”なんです。


★★★


昔は、皆こんなに input しなかった。というよりできなかった。input は時間もコストもかかります。今は大学院までいく人も多いけど、昔は中卒で働く人も多かった。input の年数は倍に増えてるんです。

もちろん、昔は input が足りないから、出せるoutput にも限界がありました。新技術を知らないと、新商品はできない。だから日本でも経済発展に伴って、皆が input に力を入れるようになりました。

企業はもともと、「工場」=「製品を作り出す output の場」だったけど、そのうち「研究所」という「 input の場」にもお金をかけるようになります。当初の研究所の存在意義は、よりよいものを工場で output するための研究だった、はず。

ところが、いつしか「 input のために input する」人が研究所に集まり始め、彼らはずうっと研究してるわけです。ずうっと input している。output につながらなくても気にしない・・。

こうして、output 目的のために始めたinput 作業が自己目的化し、「巨額の研究費を投資しているのに、全く新製品のでない会社」ができてしまうわけですね。そのくせ「研究所で働いている人の方が工場で働いている人よりエライ」みたいな風潮まで出てきてしまう。

本来、民間企業の研究は製品につながらなければ意味がない。input だけでは(自己満足はあっても)他者にはなんの価値もない。


★★★


右肩上がり時代は「 output につながらない input のコスト」も企業は負担できた。でも今は「新しい価値」が世に提供できない企業は淘汰されます。

大事なのは output なんです。日本がここまで高度成長したのは output の質と量のレベルが高かったからです。output なしに input し続ける人が増えたら、将来はとても暗い。


と思っていたら、最近は新しい傾向も目立ちます。就職環境が厳しい中で、「とりあえず起業する」みたいな人もでてきました。走りながら経営を学ぶ彼等は、MBAで経営を勉強しつつ、起業も経営もしない人よりよほどマシ。

自営業(数人の会社の経営者)の友人が、「成長機会が乏しい」と言ってました。確かに、自分が先頭にたってビジネスをやっていると output に追いまくられ、なかなか input 時間を確保できない。

それでも「 input だけ」より「 output だけ」の方がいい。input だけの人なんて、いてもいなくても世の中は何も変わらない。


就職や転職の時だって問われるのは「あなた何が( output )できるの?」ということです。それなのに履歴書に輝かしい「学歴」や「資格」を連ねて「僕はこれだけ input しました!」とアピールする人がいる。

何がすごいのか全然わからない。学歴や資格はinputの記録だが、問われるのは(その input で)どんな output を出したの?という点です。


★★★


分母に input、分子に output をとると、その式で「生産性」が計算できます。この生産性の、ポジティブな経年変化が成長と呼ばれるのです。

工場でも経済でも人間でも同じです。昨日より高い生産性で仕事ができる自分になっている、それが成長したってことなんです。「昨日は8時間働いて8時間分の仕事がこなせたが、今日は 10 時間働いて、10 時間分の仕事が仕上がった」ことは、成長とは呼びません。

また、「昨日は知らなかったことが今日はわかってる」も、成長ではないです。それって、inputの量が増えただけでしょ? それで output が変わらないなら、退化じゃん!?

昨日できなかったことができた、昨日より価値の高いなにかが生み出せた、昨日よりよりよい働き方や方法論を実践できた・・・それが、成長したってことなんです。


な・の・に、口では成長したいと言いつつ、input ばかりして output しない人がいる。


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よく式を見てください。分母が input、分子が output です。この数値をあげるためには分子の output を増やす必要があります。

分母の数字である input を増やしたら生産性は低下します。それじゃあ成長どころか退化ですよ。「勉強ばかりしてると成長できない」ってことなんです。

なにはともあれ、output することが大事です。


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 ではまた明日。


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2005-09-13 組織のために・・・

カネボウの粉飾決算に関して、旧経営陣と大手監査法人の公認会計士が逮捕されました。

これまで日本企業では、社員が会社のために違法行為に手を染めるのは、必ずしも珍しいことではありませんでした。

談合に業界カルテルにダンピング、監督官庁の官僚接待や総会屋への利益提供・・・これらは「私利私欲のための不正」ではなく、「会社の利益ために社員が違法行為を行う」というタイプの犯罪です。

社員が「自分の利益のために会社のお金を横領する」タイプの不正とは性格が異なるとはいえ、犯罪は犯罪です。

最近でも大手商社、自動車メーカー、メガバンクなど、様々な一流企業がこの手の不祥事を起こし、社員が逮捕、起訴、時には有罪判決を受けています。日本を代表するような大企業にもそういった行為が蔓延していたのです。


昔はこういった(会社のための)犯罪の場合、“運悪く”公になって社員が逮捕されても、会社は一生その社員のめんどうをみるのが慣習でした。形だけ解雇しても、すぐに子会社で再雇用したり、その社員の家族を雇うなどして、最低限の生活に困らないよう配慮していたのです。

しかし最近は内部告発も増えているし、国際的な視線もあって、身内内の甘い処分でお茶を濁すのは次第に難しくなってきました。「会社のためにやった」が通らなくなり、個人の犯罪として個人で責任をとらされるケースも増えています。特に大変なのは、アメリカでの不当取引で有罪になる場合です。

大企業に就職し、海外駐在するのはエリートコースです。ところがアメリカ駐在中にカルテルで訴えられると、日本とはケタ違いの賠償金を負わされ、時には服役も必要になります。会社が賠償金を肩代わりするようなことは株主が許しません。

エリートとして順風満帆の人生を歩んでいた人が、「組織内で業務として毎年引き継がれてきていた不正な事務処理」をたんたんとやっていたら、ある日突然、個人としての責任を問われるのです。


日経ビジネスの「敗軍の将、兵を語る」という人気コラムで、カネボウ最後の社長が、「自分だけが悪いのか?カネボウはずっと粉飾決算をやってきた。前任者になんのお咎めもないのはおかしい。」

「私が社長を引き受ける時には、それを含めて引き継いだ。自分が粉飾決算をしなければ、会社はすぐに倒産していた。社員の生活のためになんとか乗り切ろうとしたのだ」という趣旨のことを書かれていました。

「あんな大変な時に火中の栗を拾う思いで社長を引き受けたのに、なんで俺だけ逮捕されるんだ?」という気持ちはわからなくもありません。でも“アウト”です。


今回、公認会計士は4名が逮捕されました。ずっとお得意様である大企業の決算で、犯罪とも言える巨額の粉飾決算に気がつき、倒産や経営者逮捕につながると理解した上で、「これに適正意見は付けられません」と言うのは、勇気のいることでしょう。それはわかります。わかるけど・・でも逮捕されるときは個人なのです。

(カネボウのケースでは、会計士は粉飾決算の手法をアドバイスしたとされており「見逃した」だけではないので、その罪はより大きなモノです。)

アメリカではエンロンの不正監査問題で、大手会計事務所がひとつ消えてしまいました。当然日本の監督当局もこの事件を意識をした処分をせざるをえないでしょう。


★★★


今この瞬間にも「会社のために不正行為をしている個人」はいるかもしれません。民間企業だけでなく公的機関にも、たとえば検察庁とか裁判所でさえ、そういう行為をしている人がいるかもしれません。

また、これから社会人になる若い方も、そういった事態に直面する日がくるかもしれません。そういう方に、ちきりんは声を大にしていいたいです。「そんな行為を求められたら、できるだけ早くに辞めた方がいい」と。

厳しい労働環境の企業がネット内では「ブラック企業」と呼ばれることがよくありますが、ちきりんに言わせれば、社員個人に違法な行為をさせてまで利益を上げることに疑問を持たない一流企業こそ、まさにブラックな企業だと思います。


問題はある日突然発覚し、会社はあなたを守ってくれなくなります。人生を掛けて会社のために違法行為を続けることはありません。告発する勇気がないなら、静かに離職するだけでもいいのです。

「個人」のモラルが問われる時代です。「会社のために」法を犯し、人生を棒に振るのはやめましょう。



ではまた

2005-09-12 選挙総括

さっき読んだ「日刊ゲンダイ」があまりに過激だったので、最初にその話を。いわゆるスポーツ紙ですね、キヨスクで買いました。


日刊ゲンダイ曰く

「この国の民主主義は死んだ」

「この選挙結果は狂気の果てだ」

「この国では選挙民のレベルが上がらない限り、何度選挙をやっても同じだ」

まじ? 日刊ゲンダイって何様??共産党か社民党か民主党の機関誌??

いくら結果が気に入らないとはいえ、一応、国民の6割が投票した結果について、愚民呼ばわりはないだろうと思うのだけど。

★★★

さて、本題に戻りましょう。選挙総括。昨日から今日にかけて「つまり、どういうことよ」ってのを考えてみた。

(1)選挙の構造が変わった。都市世論で動く国になった。

これは大きい。実は、今回だけでなく前回もそうでした。前回と今回の共通点であり、大きな特徴は、関東での民主党圧勝(前回)自民党圧勝(今回)に象徴されるように、都市で勝つ政党が全国の結果を象徴する、ということが明確になったことです。

これはある意味当たり前。人口の数%しかいない農業をやっている人が支持する政党が与党になるなんて、明らかに変だった。人口の大半が住んでいる地域(関東、関西、中部、そしてその他の中核都市)での結果が、日本の意見として反映されるようになった。選挙の構造が変わったのです。

自民党の関東なんて、本当は比例区で8人当選できるのに、名簿に7名しかいなくて、社民党に1議席あげちゃうんだよ。それくらい今回は自民は都市で強かった。

そして、これは次のステップとして、選挙の構造変化→行政の構造改革(地方優先行政から都市優先行政へ)につながっていくでしょう。地方にダムを造るのも大事かもしれんが、都市の公害や渋滞や高齢化問題や治安にもお金を使わなくてはならなくなる。

都市の人が優先っていうと、「地方切り捨て」的な感情論にすぐなるんだけど、ちきりんは、もうそれはやめたほうがいいと思ってる。なんだかんだ言っても、都市に住んでいる人の多くは田舎の経験もある。田舎から出てきてるんです。ちきりんしかり。どっちにも住んでみて、やっぱり今の制度はおかしいと思うもの。ホリエモンも孫さんも九州の田舎町に住んでいたのだ。

★★★

(2)比例の地域ブロックがある限り、弱小政党も10くらいとれる。でも10しかとれない。

今回、共産党と社民党が9とか7とかの議席です。ちきりんはゼロ?とか思っていた。でもそうはならない。比例の地方ブロックがあるからです。一定数の支持者がいると、比例で一名は送り込める。一定規模の有権者がいる地方ブロックの数だけ送り込めます。それがだいたい10くらいなんだな、とわかった。

公明党は34から30くらいに減った。これも同じこと。ここも与党自民党から離れたら、おそらく少しずつ10に近づいていくんだと思う。創価学会って集票マシンとしてすごい!というイメージがある。実際そうでしょう。でもね、それをもってしても小選挙区では勝てない。だからそもそも候補者をあまり立ててない。

Big 2でなければ小選挙区での当選は無理。でも弱小政党はゼロにはならない。比例区は、既存の政治体制に文句がある人の「ガス抜き」ツールとしての役割を果たしていくわけですね。

★★★

(3)今回の結果は2大政党制に近づいた。

今回は2大政党にならず自民圧勝になったわけですが、日刊ゲンダイと同様に「こんな大勝するのはまずい」という人が結構いる。「2大政党制が遠ざかった」という人がいる。でもちきりんは、当面これでいいよ、と思ってる。むしろ今回の結果で、2大政党制に近づいたとさえ思う。

だって、ちょっと議論に時間かかりすぎだもの、今までの体制だと。反対されると何も可決できない。すると「自民党の責任」が問いにくい。できなかったのが自民党のせいなのか、野党の反対のせいなのか見えないんだもん。それに、野党は「反対だけしている党」に見えてしまう。

むしろ数年は一党で安定過半数を握り、どんどん実際の政策を実現してみてほしい。そうしたら結果がでる。いいにしろ悪いにしろね。そして、それが誰の責任かということもとても明確だ。結果がダメならまた民主党に揺り戻しがいくでしょう。

やたらと勢力が拮抗して何も進まないより、一党が絶対多数をもってどんどんいろいろやってみて、結果がだめなら、別の政党に政権を託す、その方法の方がいいと思う。そういう意味で、2大政党制の実現に、今回かならずしも遠ざかったわけでもないと思うよ。

★★★

(4)選挙制度の残された問題は、投票率向上と一票の格差問題

小選挙区+比例という制度は、上記の(2)と(3)にあるように、ちきりんはいいシステムだと思ってる。あとは、いかに投票率を上げるか、と、一票の格差問題だ。

投票率は、いくらでも工夫が可能だ。選挙場所が公民館とか小学校とかでしょ、今。せめてコンビニとか、できれば自宅でPCで、というようにしてほしい。これは実現味がでてきた。なぜなら自民党が都市型政党になる可能性があるからだ((1)参照)。都市で投票率があがることが有利である、と判断すれば、彼らはそれをやろうとするだろう。イマドキ、小学校と公民館はないだろ?と思うもの。

あとね、一票の格差。これも、まだ4倍程度まで許されてるよね。でもそれ変だよ。なんで??倍も変だと思うよ。同じ票くれよ!!これは実は次に書く(5)の問題と被さってる。立法も行政も司法も「一票の格差を違憲状態であったとしても、田舎に有利に設定することにより」「田舎を守ろう」としている。ちきりんは、田舎を守る必要はあると思ってる。でもね、この方法で守ろうとするのは不適切だ。目標は正しいが、方法論は違う。一票が同じ重みをもたないと、田舎から大物議員が沢山でてくる。彼らは選挙や行政の構造改革にことごとく反対だ。少数の特定者の意見を不当に尊重する制度は変だと思う。

★★★

(5)地方をどうするのか。根本的な改革が必要だ。

ちきりんだってもともとは田舎の人だ。田舎がなくなっていいとは思っていない。住めない場所にしないでほしい。豊かな田舎は日本の財産だ。都市だけの国なんて全くなってほしくない。補助金や一票の格差で守られる地方ではなく、皆が住みたいと思う地方を再生してほしい。

無理か?可能だと思うよ。先進国では一都市集中の方がむしろ少ないのだ。田舎だって(田中角栄氏の時代とは違って)最低限の生活は確保されるようになってきた。一生都市に住むとか、一生田舎かである必要はない。子供の頃田舎でもいいし、働き始めてから一度は田舎でもいい、引退したら田舎に住むもあるだろう。この豊かな日本をみんなで維持する方法を考えるべきだ。

方法論は、地方分権、道州制だと思う。まずは違いを出す必要がある。プチ東京では魅力がない。独自性が必要なのだ。今までの地方開発はとにかく「地方を東京みたいにする」だからね。新幹線とめて飛行場作ってオペラハウスと美術館作って。そんな東京にもあるもの作っても、東京の人がそこに住みたいとは思わないだろう??訪れたいとも思わないだろう?

これは、大きな課題だ。でも、三位一体の改革は(他の諸問題と同様に)枝葉末節では官僚の抵抗にあい大変な骨抜きリスクを負っているものの、方向としては極めて正しい議論だ。だから、これが郵政の次の課題、というのはその通り、と思う。(ちなみに、郵政の次は政府系金融機関民営化です。農協、中小企業公庫、政策銀行、開発銀行等々ね。皆さん、今真っ青でしょう・・。ただし、これは郵政問題とセットの課題。大きな区切りでは、次は三位一体改革です。)

★★★

というわけで、超偏見と独断、ちきりんがピックの今後の日本の課題は、

A 選挙制度改革

B 行政の構造改革(郵政だけでなく、財政、年金、少子高齢化、教育とか全部これ)

C 地方改革

だと思います。


とりあえず絶対多数なんだから、自民党なんでもやってくれ。結果で判断すればいいのさ。



ではまた明日!

2005-09-09 イタリアの娼婦

ちきりんの理想の女性像は、「イタリアの娼婦」です。

フェリーニの映画にでてくるみたいな。超かっこいい!ぼこーんと太って、胸もおなかもおしりもグラマーで、ベタア〜と真っ赤な口紅塗って、タバコスパー、ワインガブー!

体重100キロくらいなのに、超セクシーかつ安っぽいテロテロドレスを着て。んで、超ふかーいコメントしたりする。人生についてね。若ーい男の子をからかって大口あけて笑う。

誰にもこびない、誰にも威嚇されない。


甘い生活 デジタルリマスター版 [DVD]

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でも、あたしがそうなるのはかなり無理そう。若いときの無茶が足りない、という気がするのだよ、ああいうふうになるには。

ちきりんは、同じプロファイルの人に比べたら相当「無茶」やってきたと思う。でもね、やっぱり全体から見れば、とてもお利口さんの人生を歩んできてしまった。だから迫力がでないのよ。


坂口安吾の堕落論を読んだときに思っただよ。こういうのできないだろうな、って。堕ちるって、すごい勇気がいるわけだ。彼はそれを見透かしていてね、「あなた偉そーにしてても、堕ちるの怖いでしょ。そういう人を僕は軽蔑してる」って感じ。

そこまで言われても、それでも難しい。怖い。自分を時々振り返るに、やっぱこう、最後の一線超えたことがないでしょう、という人間の小ささが表れてる。

これはちょっとね。もう一回別の人生があるとしたら、そっち側にトライしてみたいな〜と思う。たけしさんとかを見ていると、そういう人間の大きさを感じる。ちきりんは、ちゃんと「底」を見てきていない。

まあ、しゃーない。手遅れです。

また明日

堕落論 (280円文庫)

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2005-09-08 日本に生まれただけで

誰でもそうですが、「自分がとても恵まれた立場にいる」ことは、なかなか自覚できないものです。

ちきりんが就職するとき、どんな一流大学をでても「女性は一切(アシスタントでしか)雇わない」というのが、大企業から中小企業まで、大半の日本企業の方針でした。当時は、「学歴差別が問題だ!」と叫ぶ男子学生を見ると、「何を甘えてるわけ?」と思えました。

今でも管理職以上のビジネス会議にでると、女性は自分一人という場合が少なくありません。男性の方は一度目を閉じて、よ〜く想像してみてほしいです。「自分以外の出席者は全員女性」という会議を。そうしたら、女性がどれくらい自分と異なる環境で働いているか、わかっていただけると思います。

また、「結婚や子供を持つことと、仕事を辞める(変える)ことがセットの問題であっても、自分は今と同じように結婚や子供をもつことについて考えることができただろうか?」とも想像してみてください。

男性というだけで、日本ではいわば「特権階級」なのです。


でもちきりんは、男女差別に怒っているわけではありません。なぜなら、今の時代の日本で、五体満足で生きていることだけでも、自分も相当に恵まれているという自覚があるからです。

世界の人口のうち「今日は何食べる?」などと言えるのは、60億人中、先進国の人と中進国の富裕層など12億人程度だけです。5人に1人です。残りの人たちは、「今日の夕食」に選択肢があったりはしないのです。

しかも男性は半分なので、世界人口60億人のうち6億人しか「先進国の男性」はいません。つまり日本の男性は、その事実だけで世界でトップ10%に入る「恵まれた人たち」なのです。

ちきりんだって、6億人には入らないけど12億人には入ってます。食べることに悩んだことのない12億人であり、本当にありがたいと思います。


今世界で、「自分がどれくらい有利な立場か」ということを決める要素は、

(1)どの国の、どの時代に生まれるか・・・これでほとんど決まってしまいます。

(2)五体満足かどうか・・・そうでないと、どの国でもホントに大きなハンディを押しつけられます。

(3)男性か、

(4)その国のマジョリティの人種か

といったあたりでしょう。それ以外の要素なんて、この4つに比べたら誤差みたいなもんです。

★★★

もちろん、恵まれているからといって卑屈になる必要はありません。そして、恵まれていないからといって、怒ったり悩んだりしても何も変わりません。

ちきりんもよく「超お金持ちの家に生まれていたら・・」とか「超美人に生まれていたら・・」などと思いますが、今は今の環境と条件でやっていくしかありません。


また、自分より恵まれていないすべての人を助けることもできません。私は「アフリカでは子供が飢え死にしているのよ。だから、嫌いな人参も残さず食べなさい」という理屈が好きじゃないです。私が人参を食べても残しても、アフリカの餓死数は変わりません。

自分は自分の与えられた環境で、楽しく一生懸命生きればいいと思うのです。女が不利だから男になりたいとも思いません。けれど、いろんな条件の人がいることは、早めに知った方がいいと思います。

ちきりんが「こんなに差別されるのね」と初めて知ったのは、就職活動を始めた22才の時でした。今思えば、あのタイミングで「努力ではどうにもならないことがある」と理解できたのは幸運でした。

そうでなければ、無駄に努力する人生を送っていたかもしれません。自分に手に入るものと、手には入らないものがあることを理解し、自分の持っているカードで人生を乗り切り、楽しくやっていこうと思えるようになりました。私が目標を低く持ち、自分の“分”の範囲で十分幸せを感じられるのは、あの時の学びがあるからだと思います。


ではまた明日

2005-09-07 尊敬できるけど友達にはなれません

ブッシュ大統領が、洪水への対応が遅れたことについて「問題があった」と認め「なぜ問題が起こったかを究明する」と言ってました。

これね、すごく偉いよね、と思うのです。

まあ、作戦っちゃー作戦なんだけど。でも、日本で首相が「政府の対応に問題があったと認める」ってすごく少ない気がするのだよ。

日本は政治家は、とにかく頑固に自分や行政側の「過ちを認めない」という悪い癖がある。なんだかんだ言い訳する、正当化しようとする。誰にでもミスはあるのに。

とりあえず謝罪して、ミスの再発防止に力入れた方が前向きよね。そういう意味では、久しぶりに(すんごい久しぶりに)こーゆーところ、アメリカは偉いよね、と思った。


911のテロが起こった時に、政治家(上院議員とか、そういう人)が言っていたの。「なぜアメリカがアラブの人達に憎まれるのか。まず私たちはこのことを分析せねばならない」って。

これ、本当にわかってなくて、分析しようと言っているのだろうか?って、ちきりんは驚いたよ。

そんな(明確で簡単な)ことが、ほんとにあんたわかってないのか?あんた。政治家なんでしょ?オレンジ農家とかじゃないんでしょ??って。


ちきりんが教えてあげましょう、とさえ思ったよ。(明らかに核を持っていそうな)イスラエルには核査察も求めないし、イスラエルが国連決議無視しても、なんの非難もしないし、非難決議があがってきたら拒否権発動してつぶすし、そのイスラエルに超多額な補助金と最新軍備をあげちゃうから、アラブの人に嫌われるのよ。わからんかい?そんな簡単なこと。って感じだ。


が、しかし、こうも思う。

もし本当に「なぜアラブに嫌われるのかわからない」状態で911みたいな攻撃を受けたら、マジで頭にくるだろう。その中で、「嫌われる原因を分析しなくては」という姿勢を見せられる、ということにはある種、感心するわけです。普通だったら怒りまくって「ぶっころせー」でしょ。でも「なぜ嫌われるのか勉強しよう」と。


アメリカってそういう国なのだ。無茶苦茶当たり前のことを、すごいまじめに分析する。

一言で言えば「アホだが努力家」って感じだ。

反対に日本は、そこそこ頭いいのに、まったくまじめにやらない人みたいだ。当たり前のことをまじめにやることを「くさい」とか「かっこわるい」と思っているみたいに感じる。

★★★

ちきりんは、アメリカという国にとてもミックスした気持ちがある。

(1)好きかキライか、という感情論だと、キライだ。

(2)偉いか、偉くないか、という客観論理だと、偉いと思う。

んだよね。

たとえば、差別をなくそうとか、すごい努力するのよ。(努力して、結果がでているわけではないですが。)すごくまじめに努力する。新しい人を受け入れようとか、新しいアイデアを受け入れようとか、そういう懐の深さもすごくある。

でも、ほんとに訳のわかんないことをする。余りに無知で、あまりに視野が狭い。アメリカには「イラクの人を救うためにアメリカはイラクに爆弾落とした」と“信じている“人がたくさんいるんだよ。びっくりする。ほんとにそんなこと信じてるの?

信じてます。これはね、自分の国のひいき目じゃなくて、誠実にまじめに信じてる。

日本だと、イラクに自衛隊だしたのを「イラクの人を救うため」なんて理由を信じている人ってほとんどいないでしょ?皆、政治的パフォーマンスだとか、軍隊を持ちたいからその実績作りだとか、アメリカに気に入られたいから、とか思ってるでしょ。

アメリカでは、普通の人はホントに信じてるですよ。「米軍は正義のためにイラクに行った」って。んでね、学ぶのに3,4年かかるのよ。

努力はするわけ。素直に努力する。だから3,4年たつと「あれはイラクの人のためではなかった」ということを、ジャーナリストが暴き、世論が変わったりする。なんだけどさ、んなこと、理解するのに、なんで3年も4年もかかるのさ???ってのが不思議なのだよ。

「ジャーナリストが暴く」必要なんてないでしょ。自明よ、自明。


ほんと、努力するけどアホ。



たとえばお店の売り上げが落ちるでしょ。すごい店員のサービスの悪い店の売り上げがね。日本人は何も調べずに「サービスを良くしないとだめだ。お客様は神様だと思え」って言うんだよね。

アメリカ人は「なんで売上げがおちたんだろう?」って、なんだか面倒なアンケートとかをやりまくった後で、2ヶ月後くらいに「配送を依頼されたケースの3割で、配送が1ヶ月以上遅れていた」とかいう結論に達する。そんで「配送を依頼されたら、忘れないようにポストイットを貼りましょう」みたいな、おとぼけた解決方法を「鬼の首でもとったように」報告するんだよね。ポストイットを忘れず貼って配送を忘れなかった社員を「表彰」したりとかの工夫もする。

超日本人のちきりんから言うと、「あほちゃうん」だ。


エンロン事件とかもそうよね。日本人的な感想で言えば、企業の不正経理なんて「無茶したらいかんで」「悪い奴がおるなあ」「どこも同じやで」といった感じだが、アメリカはまじめにまじめに考える。「なんで不正経理が起こったのだろう、なぜこんなことが見逃されたのだろう。どうしたら防げたのだろう。何が悪かったんだろう」って。延々まじめに考えます。


感情的にはついていけないのだが、でもね、そういう地道な(ばかみたいな)努力じゃないと克服できないこともある。まじめに考える、って大事なことなんだと思う。そういう意味で「偉いなあ」と思うことはある。でも、あまりに「アホすぎる」とも、よく思う。


尊敬はできるが友達にはなれない。なりたくもない。


ちきりんにとってのアメリカはそういう国だ。



また明日

2005-09-06 「逆バリ」と「先読み」

資本主義の国では、給与は「需要と供給」で決まるのが基本です。

たとえば今なら名古屋近隣での派遣社員や期間工は、北海道の同じ職業よりも時給が高いです。これは、名古屋が景気がよく人手不足だからです。


日本全体のハローワークには失業者が溢れていますが、SEの人は今はひっぱりだこです。需要が非常に多いのに、必要なスキルをもった人が少ないからです。

そういえば以前JALの偉いさんが「客室乗務員の給与平均、月14万円」という報道に批判があったことに対して「この報酬レベルでも応募者は殺到している。だから給与を上げる理由は見あたらない」と発言されていました。需要と供給からいえば、まさにその通りなのでしょう。

つまり給与は、仕事の価値や、その仕事をする人のスキルや能力にはあまり関係なく、基本は「需給」で決まるのです。

だから、給与を上げる方法は二つです。


(1)多くの人にはできないスキルを身につける。

ある仕事をやれる人がたくさんいれば、供給(応募者)が増え、会社側は給与をあげる必要性を感じません。労働力は買いたたかれてしまいます。

高い給与を得るためには、他の多くの人にはできないスキルを習得する必要があり、そのためには、周りの人が勉強していることとは異なることを学ぶ必要があります。

けれど世間一般の人と異なる分野に時間やお金を投資して勉強するのは勇気がいることです。

人はどうしても「皆がやっていることを、自分もやっておけば安心だ」と考えがちです。

また、一般に親は本人より保守的で、我が子が皆と同じであることを強く望んでいます。


本当は、皆と同じことをやるのはわざわざ供給過多の海に飛び込むような行為です。けれど一方で、周囲と同じことをやっていれば安心できるのも事実です。

だからこそ“他者と違うことをする”というリスクをとった人だけが、高い給与を手にする可能性を得るのです。これを逆張りといいます。


(2)世の中が求めていることが、できるようになる。

他者ができないスキルをつければいいとはいえ、スイカの種が100メートル飛ばせても高給の仕事は得られません。世の中が求めていないことができても、意味はないのです。

なので、世の中では何が求められているのか、を理解することが重要なのですが、これも簡単ではありません。

現時点で求められているスキルは、既に多くの人が習得を目指しています。供給はすぐに増えてしまうでしょう。

したがって、「将来、世の中では何が求められるか?」を考えて準備する必要があるのですが、これもまたなかなか難しいことです。これを先読みと呼びます。


ちきりんは、起業して30歳で大金持ちになった起業家たちが金銭的に報われることは当然と思います。彼らは逆張りのリスクをとり、先読みして(結果として)当ててきたのです。

モノ作りニッポンを支えてきたメーカーの技術者の仕事の価値は非常に高いでしょう。けれども、需給で考えれば彼らの給与が低いのもまた当たり前です。

彼らは「他の人と違うことをやる」という逆張りリスクをとっていません。「日本の有名大企業の社員になりたい」日本人はたくさんいます。メーカーに限らず日本の大企業の大半は、今より何割か給与をさげたとしても応募者数が減ったりはしないでしょう。

また、これから世の中がどうなっていくのか、したがって将来自分には何が求められるのか、という判断についても、会社員の多くは“辞令”に従い、自分で先読みするのではなく、会社組織の判断に任せてしまっています。

逆張りも先読みもしなければ、給与は払う側の思惑通りにしか動きません。


「逆バリ」のリスクもとらず、また「先読み」の能力もないのに給与をあげるのは難しいです。人と違うことをやり(逆張り)、ここぞと思う分野を自分で選択していく(先読み)ことが必要なのです。


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ではでは


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2005-09-03 人生の半径

「ゴールドカラー層の形成」という趣旨の論文(Robert Earl Kelley (1985). The Gold-Collar Worker)を読んだのはもう 10年以上も前ですが、最近はこの動きが現実になってきたようです。

それにしても学者ってすごいです。何十年も前に「世の中がこれからどうなっていくか」を学術的に推測できるのだから、軽く嫉妬を感じるほどです。


そのざっくりした内容は、

その昔、第一次産業から第二次・第三次産業への移行期に、ブルーカラー層とホワイトカラー層が分離しました。

昔は大半の人が農民や工場労働者などブルーカラーだったのに、その息子や娘が営業職や事務職に就きはじめます。ブルーカラーとホワイトカラーの分離です。

この次の段階として、先進国ではホワイトカラー層からゴールドカラー層が分離する、というんです。


論文の中では、先進国ではブルーカラー層が減少するだろうと予測されてます。

たしかにそうですよね。日本でも工場自体が減り、そこで働く人も大幅に減少しました。農業従事者も激減です。


かわりにサービス業で接客業に就く人がでてきていますが、こういった仕事でも、アジアからの留学生に頼る職場が増えています。こうして、“日本人”からはブルーカラー層が消えていきつつあるわけです。

先進国の人がブルーカラー的な仕事をしなくなるのはヨーロッパも同じです。

ドイツなど失業率が 15 %を超えていても、道路工事や清掃系の仕事はトルコ移民や出稼ぎの人がやるもの、という感じになってます。


★★★


ホワイトカラーから分岐して新たに現れるゴールドカラー層ですが、その特徴は「人生における移動距離が圧倒的に長いこと」とされています。

たとえばブルーカラー層は、生まれた町で高校まででて、隣町の工場に勤め、配偶者とは近くのバーで出会い、子どもも地域の学校で育つ。ので、人生は半径 50キロくらいのエリアで完結します。

ところが、ホワイトカラー層は一生の間に数百キロは移動します。

日本で言えば、金沢に生まれ育って、東京で大学に行き、大阪に配属になったりします。

妻の実家は仙台だとしましょう。東京・大阪間が約 600キロ。人生はだいたい半径 500キロくらいの範囲を舞台として繰り広げられるわけです。


それに比べて、ゴールドカラー層は、数千キロ動きます。半径数千キロというのは、つまり世界を股に掛けるということです。

先日、雑誌に載っていた米国の投資銀行のチーフエコノミストの方。中国の田舎生まれで、清華大学(中国の理系のトップ大学)の工学部で博士号をとり、その後ハーバード大学で経済学の博士号をとって国際機関で働き、今は、米系の投資銀行で働く傍ら、中国政府のアドバイザーもやっている、と書いてありました。

この“移動の距離”が彼がゴールドカラーであることを示しているのです。


日本人でもそういう生き方を始める人がでています。

日本の田舎で生まれて、今は米国で活躍する野球選手、ずっと日本で育ったけどシリコンバレーで起業する人、20代でアジアに渡り、タイやベトナムで働く人。音楽家を志す子供もすごく早い段階からヨーロッパに行って教育を受け始めたりね。

最近ではごく普通の人でも、日本(半径数百キロで行けてしまう範囲)を越えた選択肢の中で、「どこの大学に行こうか?」と考える人がでてきています。


「人生の舞台の半径が、ヒト桁違う」


これがゴールドカラー層の特徴です。


★★★


もうひとつの特徴は、ゴールドカラーは「誰にも使われない」ということです。

ブルーカラー層の人もホワイトカラー層の人も、結局は「使われている=雇われている」人です。部長や課長や工場長や社長の指示を受けて仕事をしています。


一方でゴールドカラー層の人たちは、形式上は雇われているけれど、実際には、仕事は自分で主体的に選んで、しかもどんどん転職していく。時には自分で会社を作ったりもします。

日々の仕事においても、自分でやるべき事を判断、提案しながらやっていく。指示されて作業するのではなく、成果で評価され、その達成方法は自分で考える(任されている)。


上の例にだしたチーフエコノミストも、投資銀行から給与をもらっており、形としては「雇われている」わけですが、別に首になっても大した問題じゃないし、首にならなくても時期がくれば自分で次の仕事を選んで転職していきます。


つまり、使われているわけではなく、対等の立場で雇用契約を締結し、報酬をもらっているという感じです。

もっと言えば、自分のキャリア形成や、自分が人生で達成したいことのために、適宜必要な大学や会社を“利用・活用している”のです。

これが、ゴールドカラーの人の特徴です。「どうやったら自分は選んでもらえるか」ということを気にしない人たち。「次は何を選ぼうか」と“選ぶ視点”で考える人たちです。


★★★


もうひとつ印象的だった点、それは「こういった社会層は発現から3代で定着する」という一節でした。

ブルーカラー層とホワイトカラー層の分化が始まった頃は、お父さんは農家、お兄さんは工場で働いて、弟が大企業でホワイトカラー、というのがあり得ました。

しかし、3代たつと大半の家は「家族全員がブルーカラー」か「家族全員がホワイトカラー」というように「家族ごとに分離・定着」してしまう、と。


そして今後は同じことが、ホワイトカラーとゴールドカラーにも起りますよ、と予想するのです。

ここから数十年は、ひとつの家に、長男はゴールドカラー、次男はホワイトカラー、三男は親の農地を継いで耕作している、みたいなこともあり得る。過渡期だから。

それが 3代たてば、「父も母も兄も妹もゴールドカラー」という家がでてくる。


一方で「ゴールドカラーの人なんて親戚中に誰もいない。うちは家族全員ホワイトカラーだよ」という家もでてくる。

ゆっくりと、でも確実に、今の「ホワイトカラー家庭」は、「ホワイトカラー家庭」と「ゴールドカラー家庭」に分化する、ってことです。


たとえば、自分の子供にたいして「いい大学をでて、いい会社にはいれる(=いい会社に選んでもらえる)ように育ててあげたい」と考え、高い塾の授業料を払いながらお受験をする家庭もありますよね。でも、そういう方法で育つのはあくまで「ホワイトカラーの子供」です。

子供をゴールドカラー層に育てるには、英語を学ばせればいいのでしょうか?

そうではありません。なぜなら「親にいわれたから英会話学校に通っている」というのも「指示されたことをやる人」に過ぎないからです。


ゴールドカラーとは自分で路を選ぶ人達です。

小さい頃から“他人と違う言動”を褒めてもらえ、突拍子もないことを言い出しても寧ろ応援してもらえる。そういう環境から彼らは育っていくことでしょう。

ある意味では「素直なよい子」とは対極にあるところから、そういう人達が育っていくのかもしれません。

それもちょっと楽しみだったりします。


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 また明日!



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2005-09-01 なんで意見が違うのか

A君とB君の意見が違うとします。さて、なぜ二人の意見は異なるのでしょう? というのが今日のお題です。


最初に考えられる理由は、「持っている情報が違う」ってことです。

A君は、消費者金融の企業で働いたことがあり、実際どんなもんだか知っている。

B君は街で看板を見たり、テレビで消費者金融のCMを見てるだけ。

「消費者金融でお金なんて借りちゃだめだ」というA君の意見と

「いいんじゃないの、別に。ちょっとお金足りない時あるし」というB君の意見の差は、

二人が持っている知識や経験などの情報の差から来ています。


★★★


二番目は、分析方法や解釈方法が違う場合。

過去 20 年間の日本株の動きを分析したら「株なんて上がらない」となるし、

100 年分を分析すれば「長期的には上がる」となる。

そして 50年分を分析したら「上がったり下がったりする」という結論になります。


他にも、平均値を見て語る人もいるし、飛び離れ値を見て語る人や、分散に注目する人もいる。

日本の財政赤字は、国際的な水準から言うと超危険レベルですが、日本人はそんなに深刻に考えてない。

国際比較とは他国と比べることですが、日本人は「過去の日本との時系列比較」をしてます。だから、「今まで何とかなったように、これからも何とかなる」となります。


では (1)持っている情報と、(2)その分析方法が同じなら、A君とB君の意見は同じになるでしょうか?


★★★


なりません。ふたりの価値観が異なる可能性もありますよね。

報われると信じて努力することに意義を感じるか、報われるかどうかもわからないのに努力するなんてバカらしいと思うかは、価値観の問題です。

価値観が違うと、同じ情報を同じように分析しても、ふたりの意見は同じにはなりません。


この「価値観が違う」状態を、話し合いで解決しようとするのは極めて無謀だし危険です。

だって、みんながいろんな価値観を持ってるからこそ世の中は多彩なのであって、

全員が説得し合って、結果として「全員が同じ価値観」になったりしたら、怖いでしょ。そんな画一的な社会。


なので議論して、「意見が違うのは価値観が違うからですね」って理解できたら、そこでお互いの価値観を尊重し、議論は終わりにすればいいんです。

どうしても決める必要があるなら民主的な方法(多数決)で決めれば良い。

「自分はなぜこういう価値観を持つに至ったのか」と自分で考えるのはいいけど、

相手の価値観を変えさせ、自分と同じ価値観にさせようとするのは暴力的な行為なのだと覚えておきましょう。


★★★


じゃあ、情報量、分析方法、価値観が同じなら、意見は同じになるか?


もうひとつ大事なことがあります。「ゴール」が違う場合です。

金メダルをとりたい(一番になりたい)のか、新記録を狙いたいのか、この二つは全然違います。

ゴールが異なれば、ベストな練習方法も変ってきます。一番になりたいなら、ライバルの研究と対策が大事です。

一方、目標は新記録を出すことだ( 2番でもいい)というなら、他者のコトなど考えず、自分の改善だけに集中すればいい。


★★★


(1)情報量、(2)分析方法、(3)価値観、(4)ゴールが同じなら、A君とB君の意見は同じになるでしょうか。


そうですね、それだけ一緒なら結論は同じになりそうです。

ただし、同じなんだけど、同じに聞こえない場合もあります。言葉の使い方が違う場合です。

「靖国参拝を遺憾に思う」と、「靖国参拝なんてとんでもない。いい加減にしろよ」のふたつは、もしかすると気持ちは同じかもしれないけど、全然違う意見にも聞こえます。


というわけで、この5つの条件のどれか、もしくは、組み合わせによって、A君とB君の意見が異なるわけです。


★★★


まとめときます。


あなたと誰かの意見が異なる場合、その原因は、

(1)情報量が違う


(2)分析方法が違う


(3)価値観が違う


(4)ゴールが違う


(5)言葉の使い方が違う

のどれかです。


★★★


郵政を民営化すべきか、すべきでないか。この意見の違いはどれから来るんでしょう?


一番大きな理由は(4)だと思います。

民営化すべきと思っている人とすべきでないと思っている人は、この国をどうしたいと思うか、というゴールの姿が違ってる。だから意見が違う。

であるならば、ポイントは「どちらの意見が正しいか」ではなく、「どちらのゴールを私達は希望するか」です。


こういう場合、どちらが正しいかを議論していても答えはでません。

どちらの意見も(それぞれのゴールのためには)正しいのです。

だから、「郵政を民営化すべきか否か」ではなく、「この国をどうしたいか」を話し合い、民主主義的な手段(=選挙)で結論を出せばいいんです。


★★★


誰かと意見が異なる時、まずは、この (1)〜 (5)のどの理由によって意見が異なっているのか、考えると早いです。

そして、(1)が理由なら、お互いの持っている情報を共有化すればいい。


(2)が違うなら、お互いの分析方法を開示して比べて、どっちの分析方法が適切か? と議論する。

(3)が原因だとわかれば、話し合っても意見が同じになることはありません。。お互いの意見を聞いて「そういう考え方の人もいるのね」と理解すれば終わり。


(4)なら、まずはどちらのゴールを選ぶかを議論すべき。

(5)なら、お互いの主張を様々な言葉で説明し、コミニケーションの齟齬をなくせばいい。


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