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Chikirinの日記 RSSフィード

2006-05-31 プラド美術館

プラド美術館展に行ってきました。

81点も運んできていて、なかなかの内容でした。平日だからすいてるし。ご存じ、マドリッドにあるプラド美術館。本物はすごいです。ちきりんは、美術館、博物館フリークで、あちこちで訪ねますが、一番インパクトがあると思ったのが、このプラド美術館です。

今日行った東京都美術館も悪くはないのですが、プラド美術館を始めヨーロッパの美術館の大半は昔の宮殿だ。だから、まず天井が高いんだよね。そして、壁も天井も床も「舞台」として装飾されている。本当ならああいうところで見たいよね、と思う。


雰囲気と見やすさは違う。今日の都美術館の方がひとつひとつの作品をきちんと見ることができる。細かい技法とか筆遣いとか。プラド美術館は超暗いのだ。昔の宮殿て電気がないのよ。日暮れになると「係の人が」蝋燭とかランプをつけてまわるわけだから。それも天井じゃなくて、壁際の蝋燭をともして回る。宮殿は暗い。高い天井。細長い窓。

宮殿て廊下がないことが多い。総ての部屋が「部屋で」つながっている。小さな部屋は「つなぎの間」とか「控えの間」とか言われる。そういう部屋をずうううっっと通って、あれっ?と思うと大きな部屋がある。大きな部屋ほど暗い。奥まで光がとどかないから。

プラド美術館って、そういう宮殿だ。


その中に、「闇と光」を中心技法とした絵画がならんでいる。しかも、ものすごい数だ。そうか、昔は、大英帝国のまだずっと前に、スペインは無敵艦隊を持つ世界の覇者だったんだよね。

しかもプラド美術館って、ルーブル美術館とかと違って人が少ない。観光客の数が圧倒的に少ない。ちきりんは何度も、広い暗い部屋で、ゴヤやベラスケスの巨大な絵の前で、たったひとりの観客になった。迷いそうで怖い。そんな美術館だ。今はもう少し混んでいるのだろうか?しかも開館時間が短い。昼休みに数時間閉めるんだもの。スペインタイム。スペインも公務員の強い働かない国だからね。商売っけも全然ないよ。「あら誰か来たの?じゃあ、見て行けば?」って感じ。



スペインは光の国だけれど、プラドの中には闇がある。

それは収蔵品の技法と全く同じコントラストをなしていて、美術館から街に出てきた時、まるで魔法の国に迷い込んで出てきたかのように感じたのを覚えてる。




また明日。

2006-05-30 利益を出すCSR

最近、「酔っぱらい運転を黙認していた運送会社」の摘発が相次いでいます。前に書きましたが(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20060326)ここを押さえないと、無駄な命を落とす人の数は減らせない。なによりです。

が、もう一歩踏み込んでほしい。仕入れる原材料が「合法的に作られたか」、捨てたモノが「合法的に産廃処理されたか」に責任をとわれつつある「大メーカー」に、「自社製品が合法的に運ばれたか」の責任も問うべき。ここに責任を負わせればなんとかなるのです。一番力が強いのだから。


「マーケティングが売上を生み」「ロジスティックスが利益を生む」。ビジネスの現場でよく言われる言葉です。利益を生むロジスティックスは徹底的なコストダウンを求められます。それが超過密スケジュールで仮眠時間も確保できずに運転することを迫られるドライバーを生んでいます。で、寝不足のまま高速を深夜にぶっとばすトラックに殺される人が沢山いる。こんなことを放置しておいてCSRとか言って欲しくない。


CSR*1という言葉はここ数年すごく「流行って」ます。企業の社会的責任と訳されます。


「我が社は環境に配慮しています」

「我が社の製品には農薬が使われていません。動物実験をしていません」

「我が社は恵まれない国と災害被災地にこれだけの寄付をしました!」

「社員の名刺は再生紙で作られています」と。


まあ、それもいいんだけどね。ちきりんが思う企業の社会責任として、やるべきと思うことを列挙しておきましょう。

★★★

(1)社員にきちんと「有給休暇」を取得させてください。有休にとどまらず「法律上、就業規則上、認められている休暇」をキチンととらせてください。出産休暇はもちろん、男性も含めて育児休暇や介護休暇を「実質的に」とれるようにしてください。

精神を病むような社員が減り、少子化を少しでも止めること、社会的入院を減らすことは、企業にとっても長期的にはメリットがあるはず。長い視点で社会に貢献すべきです。新しいことをしなくていいです。するべきと決まっていることを、きちんとやってください。

社員の有休取得率が50%を切るような企業が、いくら「農薬をつかわず」「動物実験をせず」「エコに配慮していても」ちきりんは、信じない。あなたがやっているのは、マーケティングであって、社会責任活動ではありません。

(この有休取得率も、基幹職の(事実上はほぼ)男性だけで計算してね!と追加しておきましょう。)


(2)長期的に雇っている派遣や契約社員を「正社員」にしなさい。その代わり「できない社員をクビにできる」ようにもすべきだ。いったん正社員の座を手に入れたら、罪でも犯さない限り(どんなに仕事ができなくても)クビにならない。一方で、どんなに頑張っても、契約社員は常に不安定な立場のまま。これが「公平」か?「社会的に責任のある態度か?」

経営者は「企業には雇用を守る社会的責任がある」と言います。それはイコール「正社員をクビにしないこと」のようです。正社員をクビにしないことが、社会的責任なのではありません。きちんとした成果を出している人(頑張っている人ではありません、誤解のないように)に、きちんと報いることが「雇用を守る社会的責任」です。都合のよい「読替え」をしないでください。


(3)談合を止めてください。特に「官公庁需要」に対して。

官公庁の需要(公共事業の他、日常の商品の納入に関しても)は巨額です。談合をすれば、企業は「高い値段で納入」でき、利益が大きくなる。官公庁で働いている人って全然スキルがないし、また、自分の懐が痛むわけではないので、すごい高い値段でモノを買ってくれます。

これね〜、企業ってほんと「天つば」やってると思うよ。官公庁が払ってくれるお金で利益がでるけど、それ税金なんだから、まわりまわって企業や社員が払うべき税金が高くなってんだよ??いーかげんにしてよね〜。


(4)税金払いなさい。

銀行は赤字の間、ぜーんぜん税金払ってなかったし、商社も一時期、国内では全く税金払ってなかった。誰でも知っているそんな大企業が全く税金納めない、って変じゃない?石原都知事が訴えられるような税金を課そうとした気持ちもわかるよ。中小企業、自営業の人も同じです。

大企業の経理部って、利益がでると「今年の利益が高くなりすぎます。今年度中にこれとこれを買いましょう」みたいなことやるんだよね。海外との取引とか、それこそ投資ファンドとか海外口座とか、何もかも駆使して。大半は合法的とはいえ、法律の穴をついて、そういうことができる大企業だけが納税を逃れるのって、おかしくないか?

★★★

以上です。とりあえず、この(1)〜(4)をやってから「エコ」とか「環境」とか言ってくれ。まずは最低限の「社会責任」を果たしてからえらそーなこと言ってください。



「そんなこと言っても中小企業には無理。ぎりぎりでやっているのだから」・・・はい、そーですね。わかります。だから、大企業がやってください。十分利益でてるでしょ?大企業は今、やるべきことをやらず、その分を社員と株主で山分けにしている、だから二極化が起こるのだよ。大企業はちゃんとやりなさい。東証はこういう社会的責任を負わない企業を上場させるな!


CSRは、今やある意味でとても「パワフルなマーケティングツール」です。企業ブランドの確立のツールとして使われています。だから、「一般受けする」「耳あたりのよい」ことばかり注目される。つまり「利益のためのCSR」になっている。「あの企業は環境に配慮しているから、あの会社の商品を買う」という消費者がいるのです。



話変わるけど、イタリアのアパレル商品って、すごく色がきれいで、布地も肌触りがよいでしょう?あれは、他の国には真似できません。イタリアでは、他の国で「使用が禁止されている」多くの有害な染料や溶剤が禁止されていません。国の大事な産業であるアパレル産業を保護するためです。

ベネトンの広告はいつもとても衝撃的です。黒人の男性が白人の女性(恋人)にキスしている写真をポスターに使う。アメリカの保守層などの中には、「娘にはベネトンを絶対に着させない」と言う人もいます。そういう批判をものともせず、人種差別に立ち向かうベネトン。「社会的貢献企業」です。が、有害な化学物質の使用規制が弱い国だけで、製品を作っています。



またもや偏見と独断で断言しましょう。

「世界規模でビジネスを展開し、儲かっている企業」に、本当の意味で「エコ」な企業なんてありません。

そういうことを守っていて成り立つのは、小さな規模(一定の地域だけで商売できる規模)か、利益でてないか、です。一店舗だけでやってるパン屋が「一切、環境に悪いことはやってない」ってのは信じていいです。アメリカにもイギリスにも日本にも商品があったら、「見えてないだけ」。


「CSRを守っている企業の株を集めた投資信託」のエコファンドとかいうのがあるんですけど、「大笑い」です。(ただし、騙される人がおおければ投資収益は悪くないかも、ですが。)


利益のためじゃなく、本当に社会的な責任を果たす気があるなら、ちょっと視点を変えて欲しい。そー思います。



ではまた明日



★★★

*1:Corporate Social Responsibility

2006-05-27 技術の時代は終わるのか?

世の中ってのは、びみょーに、ちょこっとずーつ、変わるよね。兆候はあっちこっちに、ちょろっとずつでてくる。それを統合して、どっちに向かってんのかな〜と考えるのは非常におもしろい。おもしろいけど、まず当たらないんですけどね。


世の中が変わる要因で、これはすごいことになるな〜と思うことを書いておきましょう。


(1)先進国ライフをおくる人の人数の急拡大

みんなね、国際援助とかいって、あちこちに援助してるけどさ、結局の話、今のバランスというのは、「大量消費をする人は、世界の人口の1割くらい」ということを前提に成り立っているんだよね。60億人のうち6億人程度が「先進国ライフスタイル」。それ以外の人は、普通、もしくは、かなり困ってる。そういうバランスでないと成り立たない。

安い国の人件費で製造・栽培されたものがあるから、先進国は豊かに暮らせる。1割で世界の資源を独占できるから、先進国は豊かなのだ。

当たり前っちゃ当たり前なのだが、中国が豊かになってエネルギーが足りなくなって、初めてわかってきたよね。穀類も魚介類も足りなくなりつつあります。中国人が豊かになって一斉にエビやらカニやら食べ始めると・・・私たちはもうエビもカニも手に入らなくなるあるよ!中国の人件費が高騰したら、今日本に溢れている「安くて、そこそこの品質の商品」はなくなるよ。皆さん、今持っているものを大事に使いましょうね。


ふーむだ。


今はさ、GWは混んでて飛行機が高いとか言ってるけど、中国人が3割でも海外旅行し始めたら・・・飛行機なんて年がら年中「ピーク値段」になっちゃうよ。いや、責めてるわけでも怒ってるわけでもない。ただ、まだまだもっと、今は思いもつかないようなところに、影響がでると思う。

そう、世界は、「6億人が54億人から搾取する時代」から、「30億人が30億人から搾取しようとする時代」に変わっていく。搾取できるモノの量も質も、大幅に低下する。他の条件が今と同じなら・・・今と同じ?  ここがポイントなんでしょうね。はい。

★★★

(2)少子高齢化

日本の中で言えば、これが一番大きいのは明白でしょう。前も書いたけど、「移民を入れない」なんてのは「そうしたいかどうか」という問題ではない。もう、せざるを得ないってば。大量の高齢者を社会で支えるために必要なのは、お金ではなく人手なのだもの。

こんな治安のいい国のままではいられないと思う。それは移民の話ではなく、日本人で「どんづまり」の生活をする人が多くなるから。セーフティネットなんて「払ってくれる人」がいて初めて成り立つ。誰が払うのか?どんどん切り捨てられると思います。福祉レベルは。一方で、精神的にも肉体的にも自立生活力のない人がどんどん増えている。


ちきりんが増えるだろうな、と思うのは、ひとつはアル中と自殺、もうひとつは、身内殺人です。なんか怖い話ですみません。(怖すぎるから、なんでそう思うかは書きません。)

今はまだ見えていないけど、いろんなものの「値段」が変わると思う。需給のバランスが崩れてくるから。新しい需給のバランスへの移行のプロセスの中で、産業構造が大きく変わるだろう。

★★★

まさに内憂外患ですな。


さて、当然ですが、何か問題が起こると「解決しよう」という力も社会に生まれます。この解決方法も変化を始めている。今までは「技術で解決しよう」という感じだったのだが、最近は「生活スタイルの変化で解決しよう」というように変わってきた。


・病気を高度医療で治療するのではなく、生活スタイルを変えて予防しよう。

・足りない資源を「環境技術でリサイクルしよう」というのではなく、「不要なもの使わない」生活スタイルへ。

・人工呼吸器で生きるのではなく、自己決定で終末を選ぶというスタイルに・・・



なんでかっつーと、技術じゃ間に合わない、からではないかな。技術は開発にお金がかかるから、全員がそのメリットを享受できるようになるまで時間がかかる。生活を変えるのは全体へのインパクトがあるからね。

★★★

するってーと、もうひとつのことに考えが移る。

いままで「先進国」「豊かな国」ってのは、基本的に「技術立国」なんだよね。蒸気機関車を発明して産業革命が起こった大英帝国に、いわずとしれたアメリカに日本に・・・

ヘゲモニーの源泉が技術から、生活スタイルの移行をスムーズに行えるという社会意思と社会行動力に移るかも?と思うよね。今近いことやっているところで言えば、北欧とかでしょう。ふむ。

それとね、技術はあんまり自然条件に影響されないけど、生活スタイルはそうではない。技術は資源のある国でもない国でも、そんなにハンディがないでしょう?でも、生活スタイルの方は、自分の国がどれくらい自然に恵まれているか、に大きく左右される。一年中暖房も冷房もいらない国では、エネルギーが足りなくなっても、その点に関しては快適だし、道端からすぐ野菜が実るような気候ならタンカーで食料輸入ができなくなっても餓死はしないでしょう。




今まで築きあげてきたものは、どーなるのか?



技術の時代は終わるのか?






ふーむでしょ。



ふーむだね。



また明日

2006-05-25 時代と空間のジグソーパズル

ちきりんは大の旅行好きなのですが、古代遺跡を巡る旅の際、いつも頭をよぎることがあります。それは「もしもここにすべてが揃っていたら、どんなにすばらしいだろう」ということです。

ご存じのように大英博物館には、エジプトの遺跡からでた多くの発掘品や、ギリシャのパルテノン神殿のすばらしいレリーフが展示されています。パリのルーブル美術館はモナリザなどの絵で有名ですが、イスラム世界やオリエント時代のコレクションも圧巻です。ドイツの博物館でも、中近東やイスラムの遺産が観賞できます。

一方で、ギリシャに行けばパンテオン宮殿の骨格は残っていますが、最もすばらしいレリーフはイギリスに行かないと見られません。教科書にも必ずでてくるロゼッタ・ストーンも本国のエジプトにはレプリカしかなく、本物は大英博物館にあります。

ちきりんは、欧米の大きな博物館も大半は訪れたことがあるので、ギリシャやエジプトの遺跡では、過去にロンドンやパリでみたすばらしい発掘品やレリーフを思い浮かべ、頭の中で合成した図を想像しながら当時の様子に思いをはせます。時間と空間を越えてバラバラにされたジグソーパズルを頭の中で組み立てるような作業をしながら楽しむのです。


そしてそんな時いつも考えるのは、「すべてがオリジナルの場所に揃っていたらどんなにすばらしいだろう」「でも、本当にそれが一番いいんだろうか?」ということです。

たとえば、当時の欧米諸国は経済力や軍事力において圧倒的でした。大半の遺跡も、欧米の調査団が最初に発見しており、彼等はそれらの多くを無料、無断で祖国に持ち帰っています。“いや、合法的に購入したはずだ”と主張する場合でも、実際には、遺跡がでた土地の所有者であった農民に10ドルほどを渡して発掘品を“正式に購入した”ようなパターンも多いのです。

中国はこれを非常に問題視していて、中国の遺跡に行くと説明パネルに「いかに欧米の人達が中国の財宝を勝手に持ち帰ったか」が説明されています。敦煌の莫高窟では、欧米人が壁の絵をはがして持って帰った、という話の他にも、“ロシアの軍隊が莫高窟を宿舎に使い、その中で煮炊きをして多くの壁画がすすにまみれ剥落した”などの記載もあります。

そういうことを、莫高窟を訪れた自国民、そして相手国の観光客に積極的に知らせようとする中国の姿勢は興味深いものがあります。実は日本の浮世絵も海外の美術館にすばらしいコレクションがありますが、ああいったものが海外に流出した経緯を聞くことは日本ではほとんどありませんよね。


ところで、もしも欧米の調査隊が自国に持ち帰っていなかったら、それらの発掘品はどうなったでしょう?欧米の博物館は、発掘品や財宝の保存に最先端の技術を適用するため多額の費用をかけていますし、修復や調査にも膨大な手間をかけています。彼等の調査により新たにわかった古代の事実も多いのです。さらに多くの国は、それらの財宝を無料もしくは非常に安いコストで誰にでも鑑賞できるようにしています。

しかし、多くの古代遺跡が元々ある国の方は、少なくとも今まではそんな多額の資金を自国の遺跡保護のために投入することは不可能だったでしょう。風雨にさらされて毀損してしまうかもしれないし、盗掘や盗難も日常茶飯事です。

ちきりんがエジプトの遺跡を訪ねた時には、壁画の色あせを防ぐためにフラッシュの使用が禁止されている遺跡内部で、「10ドル払えば、フラッシュで写真撮り放題にしてあげるよ」と持ちかけてくるガイドに何人も会いました。アフガニスタンではタリバンが古代遺跡の仏像を破壊してしまいましたが、宗教的な対立が続くエリアでは何千年前の歴史の残存物さえぞんざいに扱われています。

ある意味では「欧米諸国の調査団が大規模に持ち帰ったからこそ、ベストな状態で今まで保存されてきた」とも言えるのです。


もちろん、現地で毀損するならそれもまた歴史のひとコマと考えるべき、という意見もあります。古くから文明が栄えた地では、多くの遺跡が“多層”になっており、「一番外側の石をはがしたら、別の時代の遺跡がでてきた」という例はよくあります。新しい文明が起こると古い文明の遺産が塗りつぶされる、それこそが歴史だ、という考え方もあるのでしょう。

この意味で興味深いのが、北京の故宮と、台北の故宮博物館です。蒋介石が台湾に移る時に、故宮の財物のうち価値あるものの大半を運び出しました。なので、財物、特に小さいモノに関しては、一流のものほど(北京ではなく)台北にあると言われます。一方の北京の故宮には中身はなにもありません。なにもないけれど、あの建物、あの広さ、あの場、の持つ雰囲気は、いくら台湾がお金をかけて博物館を整備しても決して真似できない力を持っています。

台北の博物館に行くと、「これらの作品があの北京の故宮にあったら、どんなにすばらしいか」と思います。お手本となるのがイスタンブールのドルマバチョフ宮殿です。ここでは巨大な宮殿建築の中に、ソファやテーブルなどの家具、食器などの日用品、アクセサリーなどの宝石、装飾品までが綺麗に揃っており、往時のオスマン帝国の力と生活様式をとても具体的にビビッドに思い描くことが可能です。故宮に関しても建物と中身を一カ所に合せれば、驚嘆すべき過去の世界が再現できるでしょう。

でも、器である建物が北京に、中身の財宝が台湾に存在していることこそが、中国の歴史を表しているともいえます。最近は共同展示会の試みなどもあるようですが、それらが同じ場所で展示されることがあるとすれば、それは“歴史”自体がそう動いたタイミングと重なることになるでしょう。

★★★

ちきりんは、北京、台湾を行き来しながら、それらが故宮にあった時代を想像するのが大好きです。ペルガモン美術館(ドイツ)のイシュタール門と古都バビロンの風を、エジプトの砂漠と大英博物館の展示を、バルセロナの太陽とパリのピカソ美術館の一室を組み合わせ、時間と空間を使ったジグソーパズルをひとつづつはめていくことに心を奪われます。

実は最近はエジプト、中国などを中心に、流出した自国の古代文明の至宝について、返還要求をする動きもでてきています。

皆さんは奈良の大仏がずっと昔に売られていて大英博物館にあったら、返して欲しいといいますか?金閣寺は1950年に放火されて消失していますが、もしもその前にアメリカが解体してニューヨークに運んでおり、メトロポリタン美術館で本物が見られたとしたら、ありがたいと思いますか?

簡単に解決する問題ではありませんが、これからは多くの国の人達が、「歴史の遺物はどこに存在すべきか」という問いについて、考えなくてはならなくなるでしょう。


ではまた明日


追記)参考サイト)http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2716654/5586414

2006-05-24 成功の定義が違う

大絵巻展(京都博物館)に行ってきました。国宝の鳥獣戯画や源氏物語絵巻を始め、超有名絵巻がそろって展示されるとあって、すごい人気でした。

私は午前中に行ったので入場待ちはなく、内部で30分くらい並んだだけですが、観賞を終えて帰る頃には「博物館に入るための列」が1時間、入ってから観るまでに40分待ちとなってました。

平日でこれですから土日は推して知るべし。最近は東京で行われる絵画の企画展でも、平日に入場制限がかかるほど混雑するものが少なくありません。これから団塊世代が引退すれば益々こういった企画展を訪れる人は増えるでしょう。なにかよい工夫はないのでしょうか?


問題を整理すると、

(1) まずは混雑の偏りです。平日でも入場制限がかかるような展覧会は、土日はまともに観賞できない状態でしょう。また企画展の場合、期間の最後の頃にいきなり混み始めることも多いです。

(2) 二番目は、内部の動線デザインや展示手法の問題です。特定の目玉展示品を観るための列が、他の作品の観賞スペースを占領するような配置は最悪ですし、回遊動線が混乱し、一部のみに渋滞が起こっている展示会もあります。

今回も、入場者のお目当てである鳥獣戯画と源氏物語絵巻には専用の列が作られ、その列が「他の作品の展示室」まで延びていて、関係のない場所まで混乱していました。

(3) さらにいえば、絶対数として観客が多すぎる、という問題もあります。これは開催期間、開催都市数、会場の選択に最初から問題があるからだとも言えます。

今回の展覧会も京都のみの開催でした。こういうものが見たい人は、京都観光に行きたい人と同一セグメントなので、東京を始め日本全国から観客が集まるのに、会場は本当に小さなところでした。他の都市で開催ができない理由があったのかもしれませんが、これがあまりにもお粗末な結果につながっていました。


これらの問題の解決方法はないのでしょうか?

たとえば、土日と平日の入場料に格差をつければ、「仕事を早めに終わらせて平日に行こう!」と思う人がでてくるでしょう。開催期間後半の値段を高くすることも有効な方法だと思われます。

さらに、時間区分ごとに予約入場を受け付ければ、時間ごとの入場者数をあらかじめ平準化することもできるはずです。電話でそんなことをやっていてはお金がかかってしかたありませんが、ネットなら一度システムを作ってしまえば運用コストは高くないはずです。


また、平日も入場制限が行われるような展示会は最初から需給が合っていないのですから、開催時間をできるだけ延ばすことを考えるべきです。

たとえば開催都市(場所)に、都心の美術館の他、人口の多い東京西部での開催が加われば混雑は大幅に緩和できそうですし、開催日程がのばせないなら、より多くの夜間開催(夜22時までオープン)や早朝開催(朝6時から開館!)を検討することはできないのでしょうか?都心なら、会社員の人で業務前の1時間を美術鑑賞に当てたい人もいると思います。


展示場の工夫については、いくらでも方法がありそうです。パリのルーブル美術館でも、モナリザには世界中の団体客がひっきりなしに押し寄せます。だからその部屋だけは特別にだだっ広く、入り口と出口の動線もきちんと設計され、遠くからでも見えやすい位置にモナリザは微笑んでいます。

そのほか、小さな財宝を展示する場合でも、一番前の列は「歩きながら見る人の列」とし、その上に一段高い「立ち止まって観賞したい人の列」を作っている博物館もあります。拡大鏡の工夫で遠くからでも大きく見えるようにすることも可能でしょう。

企画展ではなく常設の美術館ですから投資できる自由度も大きいのでしょうが、まだまだできることはたくさんあると思います。


★★★


ところで、美術館や博物館、もしくは企画展などの「成功の定義」とは何なのでしょう?当然ですが、観客が少なくて「待ち時間もなく空いていて観やすかった!」ことが展覧会の成功を意味するはずがありません。

一方で「予想を超える○十万人の来場があった。」と聞くと「大成功!」というイメージを持つ人もいそうですが、「入場客数が多いこと」が美術展等の成功を意味するわけでもないと思います。

ちきりんの超独断で書いてしまえば、成功かどうかは、「観客が、展示された作品のもつ力を存分に感じることができたかどうか」によって判断されるべきだと思います。

1時間もの列に並んで疲れ切った足で、大勢の人に押されながら、作品の放つ力を十分に受け止めるなんて不可能です。

フィジカルにはリラックス、メンタルには高揚感を感じられる環境を整えてこそ、そういうことが可能になります。だから、1時間以上もかかる長い列を作らせては「展示会の成功」なんてありえない、と思うのです。


文化というのは、本当は経済合理性の対極にあるべきものなのに、その世界においてさえ「入場客数」という、サイズを表す数的な指標が成功の基準のひとつとされていること自体が、とても皮肉な話だと思います。


ではまた明日

2006-05-23 みっともない京都駅

京都駅って新幹線の駅のロビー?というかフロアのに、修学旅行の生徒が、座ってるんだよね。50人とか。たいてい制服です。女の子はスカートだよ。それが足を放り出してべた〜と床に座ってます。

で、先生が人数を数えたり、これからの注意点を話したりしてます。修学旅行シーズンだと一カ所ではなく、あちこちに生徒の群団が「床に座って」ます。


これねえ・・

変じゃない??



修学旅行の目的ってなんだか忘れちゃったけど、駅の床に座るって、学校の行事でそんなこと指示したら、それが普通のことだと教えてるようなもんじゃん。そこ、座るとこだっけ???他の人は皆歩いているところですよ。そんなに汚れているわけではないにしても・・・なんかすごい違和感あるんですけど。


「最近の若い子は道端や電車の中で座る」と言って嘆いたり驚いたりする「大人の声」をよく聞きますけど、修学旅行で先生が指示してこんなことやらせてていいのか?


京都駅が駅ビル立て直したの、そんな昔じゃないじゃん。修学旅行生が山ほどくるなんてことは昨日今日始まったことでもないじゃん。なんで、何かそういうスペースを最初から新しい京都駅の設計に組み込まないかな?かなり不思議だよ。


そんじゃーね

2006-05-21 この国の労働者

近年まれに見る戦略的なビジネスジャッジメントだなあと、感服しました。ブックオフの社長にパート社員で入社した女性が就任したというニュースに。

今、全国的なリテールビジネス(特にフランチャイズ)において“最大の経営課題”は、「いかに優秀なパート社員を獲得できるか」になりつつあります。この経営課題に対して、こんな戦略的な手を打った企業がある。すごいです。


ホント景気いいのですよ、最近。なので人手不足。若者の数はどんどん減っている上にニートだ進学だと働かない人も多い。産業構造が「人手勝負」の第三次産業にどんどんシフトしているのに、この国は移民もいれない。というわけで、働く人の頭数が足りない。

加えて、これらのリテールビジネスは、すごいコスト競争にさらされている。商品の単価はぎりぎりまでおさえる必要がある。材料は地球の裏側からグローバル調達、組み立ては中国、そしてできあがった商品は特別開発した低コスト店舗に並べ、時給の安いパートやアルバイトだけで販売する。規模の利益を得るために、多店舗、多地域展開を急ぐ。それが定番。

しかし、時給数百円で働き手を確保するのは至難の業になりつつある。しかもアルバイト先が多いということは、働く方も気楽。スケジュールや気分次第でいつ辞めても次の働き口が見つかる。

雇用主側にしてみれば、優秀な社員はパートではなく社員にしてでも定着してほしい。そういう時勢になってきた。


イオングループ(郊外型スーパーの)が、パートの募集をしても全然人が集まらず困ってた。んで、募集チラシに「パートから、売り場責任者等へ昇進していったパートのおばちゃんたちのストーリー」を書いてみた。そしたら、すごいたくさんの応募があった。しかも、応募してくる人たちのプロファイルが変わった。

もともと一流企業の事務職をやっていて、今は子育てが終わり「次の何か」を探していた人達(経済的に働く必要はない状況)や、他の場所で正社員として働いていたような人が応募してきたらしい。これもおもしろいニュースだ。

というか、上のブックオフのニュースと同じことを報道している。ただ、「偶然」のイオンと、「戦略的判断」のブックオフの違いが、インパクトの差に現れている。

ふーむ。やるもんだ、です。

★★★

第二次産業で起こったことが、第三次産業で再び起こるのかもしれない。日本の第二次産業、簡単に言うと製造業が世界を席巻したのは、現場で働く人のモチベーションの高さ、それゆえのスキルの高さに負うところが大きい。アメリカでは工場で働く人たちが、自分たちで改善点を競い合って見つけ出し、新しい生産方法を確立していくなんて、信じがたいことだ。そんなことができるなんて、思っても見なかった。トヨタをはじめとする多くの企業が、「それが可能である」ことを証明し、世界に出て行った。

当時、アメリカの工場では、ポカ休、つまり無断欠勤の比率をどうさげるか、が最大の工場長の悩みだった。勝手に休んだり一報もせず辞めてしまう労働者をどうコントロールするか、が課題だった。彼らに「生産性を向上する」案を企画して実験して方法論を確立することを期待するなんて、考えられない世界だった。日米の差はとてつもなく大きかった。


今、第三次産業においては、日本でもポカ休は日常茶飯事だ。デパートやスーパーの売り子さんや飲食店のサービスの人がしょっちゅう募集されているのは、無断欠勤、無断で辞めてしまう(こなくなってしまう)人たちが、製造業に比べてとてつもなく多いからだ。

店側にとって、「毎日出社してくれて、1年以上勤めてくれて、辞める前にはちゃんと1ヶ月前くらいに教えてくれる」人を雇うことが課題であって、「自分で考えて、自分で工夫して商売する」売り子さんに遭遇するのは僥倖に近いものがある。

こういう状況に対応するために、第三次産業においても新しい動きがでてくるよね、と、上の二つのニュースを見て思った。あらら、これはおもしろい、と。そして、製造業において、そういう社員を集め、動機付け、維持できた企業だけが世界で戦える企業として残ったように・・・第三次産業でも同じことが起こるかもしれない。

また明日

2006-05-19 介護費用“C”

ちきりんが一番好きな“起業家”は、“ジャパネットたかた”の高田社長です。愛嬌があるし、一生懸命っぽく見えるし、ちょっと応援したくなる感じですよね。

このテレビショッピング、最近は専門チャンネルもたくさんあり、大抵が24時間やっていて、一時期ちきりんもよく見ていました。

キャストの方は独特の語り口で皆一様に早口なんだけど、人を引き込むのが上手い。しかもあれってちょっと“中毒性”があるんですよね。洗脳されちゃうってこういうことだな、みたいな。

「注文が殺到していますっ!」とか「黒のMが売り切れましたっ!」とか、煽られているうちにアドレナリンが出てくる・・はまったらちょっと大変そう。

時々、購入者が電話で参加してキャストと会話するのを聞くんだけど、それ聞いていると「あ〜、この人はまってるな。ご主人はご存じなんだろーか」と心配になることもあります。


でも・・・気持ちはわからなくない。こーゆーのにはまる気持ち。

ちきりんが以前これにはまった時、どーゆー状態だったかというと、

・とても暇だった

・大半の間、家にいた

・スカパー!などおもしろいチャネルが家で見られない状態だった

んです。

で、最初は暇つぶしにずっとつけていた。そしたらだんだん「あっ、洗脳されてる!」という感じになりました。ちきりんは何も買ってないのだけど、あれは一度買うと「今日も何かを買わなければ」という感じになるかも、と思えました。


はまる人達の特徴としては、


「はまる人達の特徴」

(1)暇・・・主婦、定年後の一人暮らし、ニート的な立場

(2)大半の時間家にいる

(3)他の趣味がない


あたりでしょうか。そういう人が、たとえば、近くの飲み屋のおねーちゃん、テレビショッピング、訪問販売や対話販売系(着物、宝石、化粧品、健康食品、布団等々)なんかにはまります。

独断と偏見で言い切ってしまえば、これから、こーゆーのに「はまってしまう」お年寄りが今後は急増するんじゃないかな。


年をとる、というのは、自分がなってみないとなかなかわからない。

「俺は暇になったら思う存分、本を読む!」と言っている人は、年をとると小さな文字が見えにくくなるとわかってない。ブログも同じ。パソコンの画面なんて見たくもない、と思う状況(健康状態)が、いつかやってくる。

車に乗れなくなり、足下がおぼつかなくなり、小さな文字を読むには目がつらくなってからの人生が10年とか、人によっては30年あるんです。どーやって毎日をすごすのか?

★★★

悪徳商法、と、それに近いビジネス。必ずしも「悪徳」とは言えないけど、「不要なものを」「かなりの利益率で」「何度も同じ人に」売るビジネス、は、今、すごい勢いで増殖中です。供給があるからではない、需要があるからです。

自分に語りかけてくれる人が、それいう人しかない、という毎日が週7日、月30日、年365日、そして、何年も何年も続く。たまーに息子夫婦や娘が訪ねてくる。年に4回くらい?電話かけてくる?月に1回くらい?・・・それ以外の時間は???

年に900回食事をするとして、何回をひとりで食べるのか?


ご夫婦そろっている方はまだいいと思う。でも、夫婦が同時にあの世に召される可能性は小さい。大半の人は、最後の何十年をパートナーなしで暮らすことになる。子供が一緒に住んでいる、という幸せな(?)人を除けば、基本的に一人で・・・


これらのビジネスは、そういう人の心に響く何かをもっている、と思う。それで癒される部分があるなら、正直言って「適当な額」なら騙されててもいいと思う。自分の資力で払える範囲なら、そういうのにはまるのも(少しくらいカモられるのも)幸せとはいえないか。


ちきりんは、これを“介護費用C”と名付けることにした。

・介護費用A・・・生きるための最低限の費用。医療・介護など

・介護費用B・・・お正月やお盆での、身内の人との愛情にあふれた時間

・介護費用C・・・日常の「人間」との関わり

幸せな老後にはこの3つが要るってことです。

Aは基本的な生活費用や支援。Bは一年に数回だけ帰ってくる孫を連れた息子夫婦。でもAとBだけでは暇すぎる。実際にはCが必要なのだが、誰かが向こうから働きかけてこないと、このCは単居高齢者には手に入らない。

働いている人や学校に行っている人は、これを自然に持っているから、それのない生活が想像できない。そして、そういう状況に陥ったとき、自分に語りかけてくれる人が現れたら・・・どんなに嬉しいだろう。ほっとするだろう。安らぐだろう。たとえその人の意図が、よろしくない何かであったとしても。。。


ちきりんには、地方に住む母親に高価な着物を何枚も何枚も売りつける業者と大げんかしている友人がいる。

ローンを組んで買った着物代は、息子である彼が払っている。年老いた親を個人破産させるわけにはいかない。「これ以上、母に着物を売っても僕は払いませんよ」「こういう商売をして恥ずかしくないのか!」と彼は電話口で業者に怒鳴っている。

わかるよ、気持ちは、わかる。

でも、この業者が、“介護費用C”を担当してくれているのだ。

着物屋さんは、毎日お母さんに電話したり、訪問したり、家まで迎えに来て車で販売会場につれていってくれたりするのだ。それは、誰かが提供しなければならないサービスであり、誰が提供してもそれなりのコストがかかる。

息子が仕事をやめて同じサービスを提供したら、その給与分のコストがかかるということだ。それより安ければいいじゃん、着物・・・


そういうことかな、と思ったりするです。


ではまた明日。

2006-05-18 こっちの格差問題の方が・・・

「英語教育を小学校から始める」という件に関して、某新聞の読者投稿欄に載っていた意見に呆れました。

曰く「留学生(中学生)を短期間、我が家に迎えたが、英語が全然話せなくても、笑顔で交流できた」 → 「言葉ではなく心の交流が大事なのだ」 → 「だから、小学校からの英語教育は不要だ」


頭痛いな、まったく。


日本語がまだ話せない日本人の幼児を、親が出かけている間、預かって遊んであげたとしましょう。その子はまだ言葉(=日本語)が話せないけど、笑顔で心が通じ合った。そういうことはありますよね。

だとすると、この経験から導ける結論として、「したがって、小学校で日本語を教える必要はない」と言うのかしら?


わっけわかりません。


★★★


小学校からの英語教育の是非に関しては、世の中には賛否両論があり、うるさーいわけですが、いずれにせよ今回の施策は失敗するでしょう。だって、最大の問題は、いつから習うかではなく、誰から学ぶかであり、どう教えられるか、だもの。小さい時の方が、発音は覚えやすいっていうけど、小さい頃から「小学校の先生の発音」とか覚えて、意味あるのかな。

それはかなり怖い感じでない??


この問題に関して、ちきりんが最も深刻だと思っているのは、「二極化」です。

これは本当にやばいと思う。「子供をインターナショナルスクールに入れたい親」ってのも、よく報道されてますが、当然だがそういう学校に子供を通わせるのはすごいお金がいります。小中高だけでなく、大学まで海外で行かせることになるかも、という覚悟も必要です。


そこまでいかなくても、中学や高校、もしくは大学で一年休学させて語学留学とか交換留学という子供がすごい勢いで増えています。子供が行きたがる、というのは前提だと思うがけど、親が勧めているケースも非常に多い。

経済的に余裕のある家の子で、親がそれなりの問題意識を持っている場合、日本で私立の中高に通い、夏休みごとにアメリカのサマーキャンプに参加する子供も珍しくないんです。


そして、彼・彼女らが学んでくるのは、英語力だけではありません。

こういう子が、今の10代にはすんごい勢いで増えているんです。小学校からの英語教育に反対してるおじさん、おばさんの想像を超えた割合でね。


これは将来の二極化の大きな原因になるなあ・・・と思うちきりんです。

今、上海あたりでは、同じ年齢の中国人でも英語とパソコンができる人と、できない人の年収格差は多分5倍とか以上でしょ。だから子供の年収が親の年収の倍とかいう家庭が珍しくない。


日本でも

「公教育を信頼できない」親が、

「私的な教育にお金を投じる余裕のある」親が、

「何を今、身につけさせるべきか、を文部省よりよくわかっている」親が、

「その方法論として何が望ましいかを、文部省よりよくわかっている」親が、

「自分の子供だけ」「公教育の制度を離れて」育てようとしている。



これ、田舎にいると見えにくいと思う。

これ、今時の中学生あたりの親とのコミュニティにいないと見えにくいと思う。

でも、すごい変化が起こってきている。と思う。

将来の二極化の大きな原因が作られ始めている。

こっちの方が、今、現時点の経済的な格差問題なんかより大問題だと思うけどね。



「公教育が、生きていくために必要な教育をしてくれた時代」に育った幸せな世代のちきりんは、やっぱり、これが日本の社会のすばらしさのひとつでしょ、と思ってる。


深刻だと思います。

2006-05-17 3/3

女のあそこを ナイフで 切り取って

壁にはりたい

たくさん

たくさん

あつめてみたい


毎日それをながめる

ときにはそれをなめてみる

唾液をつけてみる

でも 動かない 感じないんだね きみたち


ものいわぬ たくさんの 女たち

きみたちは 女のなかのおんなだ

ぼくは君たちを尊敬してる 畏怖している if, イフ


ひからびて くるよねきっと

そうしたら 僕はどうしたらいいのか

頭がきっとパニックするね

君たちの 大事なものを

ぼくが 殺してしまうなんて

2006-05-16 2/3

遠くから聞こえるあの声に

僕は一生悩み続ける

恐れ続ける


測れない深さから

手の届かない暗闇から

母の胎盤を通じてやってくる恐怖


汗腺から すべての体皮から 防ぎようのない とめようのない

流れ出る暗く濁ったその血液から

恐怖というウイルスが猛スピードで拡散する


選択肢を与えられていない僕を

動力を 足を 動く力を 与えられていない 僕を

そいつは目指してやってくる


そいつが飲み込もうとしているものは

僕の感覚だ 体毛だ すべての 感じる力だ


僕がおそれているもの

捨て去りたいとおもっているもの の

すべてかもしれない




.

2006-05-15 By S.F

さぐりあう 君と僕

疑いあう きみ と ぼく

負けないことだけが なによりも大事か

頼りたいのか 頼られたいのか

わからない 僕たち


求め合う 君と僕

恐れ合う きみ と ぼく

理解し合うことが 何の意味を持つのか

愛したいのか 愛されたいのか

わからない 僕たち



シーソーゲームに勝ち負けがないように

しんごうきにきいろがあるように

多次元の均衡点を 探して焦る僕たち



惹かれ合う僕たち

ひきつけあう 君と僕

ひきずりあう 僕と彼女

ただ待ち続ける

きみとぼく





.


この詩は、ちきりんの古い友人のSFさんが作ったものです。

2006-05-13 宗教の定義

ちきりんの「宗教の定義」は下記です。

(1) 教祖や神など、絶対的立場のシンボルが存在する。

(2) 現実の世の中を否定している。

(3) 現在の科学レベルでは不可能なことを信じている。

(4) 集客と集金のシステムがある。 


(1) は不可欠です。「神」無しに、あることないことを人に信じさせることはできません。


(2) も重要です。

宗教は「この世に不満を持つ人」向けのものです。だから、「こんな世の中には意味がありません」「今の世の中はおかしいのです」と現世を否定することが、そのまま信者の存在を肯定します。

「世間に否定されているように思える自分」を肯定してくれるからこそ、人はそれを信じたいのです。


(3) そしてこれが「救い」を与えます。

たとえば、現実の医療では治らない病気も、信心があれば治せる!と言い切ります。キリストだって難病の人の体に手をかざして治してる姿が宗教画によくでてきますよね。

宗教以外の世界はいまやとても科学的です。解明され証明されていることだけが真実だと言われます。

しかし、それでは救われない人がいます。自分を救わない真実は信じたくない。そんな彼らにとっての“真実”を提供してくれるのが宗教なのです。


(4) 布教や維持にはコストがかかりますから、集金システムがないと団体は継続できません。また、継続的な集金のためにも集客が必須です。

これは宗教の目的なのか、それとも結果なのか、という問題もありますが、ちきりんに言わせれば“目的”です。

京都の宗教総本山のお寺の巨大さ、欧米の有名教会の巨大さをみれば、いかにこのシステムがよくできたものであったか、わかるでしょう。宗教とは富を集める権力機構そのものです。


★★★

世の中にはたくさんの問題があります。その問題の多くは、人間や社会が解決できないでいる問題です。

どこの国も様々な制度で国民の幸福度を上げようとしていますが、完全に成功することはありえません。

そして、社会が解決できない問題の多くは、悪徳業者もしくは宗教が救うという構図になっています。


反対に、公的な制度が社会の問題を解決できればできるほど、宗教は居場所がなくなります。

先進国において皆がもはや昔ほど信心深くないのは、全体として皆、しあわせになったからです。

しかし世の中の問題を現実の制度が解決できなくなれば、悪徳業者もですが、宗教もどんどんその勢力を伸ばしていくでしょう。


あなたを救ってくれるように見えるものの名称が「セミナー」や「○○道場」であっても、「○○会」や「○○の集い」であっても、上記の4つの条件が揃っていれば、それは宗教です。


f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium

ではまた明日。


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2006-05-10 高等遊民

「高等遊民」って、夏目漱石の造語だそうです。この言葉、とても好きです。イメージとしては、スナフキンか?ちきりんはスナフキンも好きです。

オーバードクターの人も、親でも政府でもパトロンでも、篤志家の出資者がいればいいわけで、本当は、「二極化」というか、「階級社会」に戻れば、「気に入った芸術家と、天体研究家をひとりずつ養ってる」とか「息子10人のうち、ひとりは自由にさせてる」みたいな資産家が現れるかもしれません。

って、そんな非現実的なことを・・・

★★★

さて、この話題そろそろ終わりにしたいので、最初に書こうと思ったことに戻って終わりにしたいと思います。

ちきりんがよく相談を受けるのは、「研究にはこだわらないから、社会人として給与を得られる立場になりたい」という方から、もしくは、そういう方を支援している立場の方から、です。

ちきりんはアカデミックの世界にも研究にも無縁です。民間の普通の仕事をしています。ですが、仕事を通じてこういう方と会う機会が多く、その中には、「ちなみに・・・民間企業はどういう人を求めているんでしょう?」とか、「博士って、採用されないんでしょうか」とか、聞いてこられる方もあります。んで、相談にのったりしているうちに、いろいろ考え、今回のブログとなったわけです。

ですが、最初に書きたかったのは、この問題自体ではなく、「民間就職したいんですけど」という方へのアドバイスです。だって、個別に本人を目の前にしていると・・・やっぱちょっと言いにくいことが多すぎです。だから、ブログにでも書いておくか、と。縁があればご覧になるでしょう、と。それがいつの間にか4回連続に・・・ああ、長すぎる。

というわけで、そろそろ終わりにしたいので、それだけ書いておわりにします。


なお、念のため書いときますと、ちきりんはアカポスやポスドクなどの研究職の獲得方法は知りません。あくまで「研究者以外の仕事を得たい」と「決めた方」へのアドバイスです。「まだ、決めてない」「迷っている」方も「想定外」です。「僕はどうすればいいんでしょう」とか言われても困ります。人生相談はできないです。

(中等教育の教師も別とします。あくまで「民間企業就職」希望の方向けです。&、下記はすべて、ちきりんの「独断と偏見」に基づく考えです。)



題して「博士の民間就職」指南マニュアル!!



(1)履歴書

相談にのっていて、まず「むむむ」と思うのが履歴書です。10枚もの紙に、論文や著作要旨、学会発表の記録が、しかも日英併記で・・・このタイプの履歴書、正直言って当惑します。

企業側はこう思います。「この人は、アカポス向きだな」って。「企業社会で、履歴書といえばどういうものかを知らないか、知る気もないか、知っているがプライドが邪魔して書けないんだな」って、思います。履歴書で落とされている人の一部は、その内容ではなく、フォーマットで落ちてる、と思います。

どこかの大学のアカポスに応募する時、市販の履歴書を送ったら、教授(会)がどれくらい当惑するか想像してください。それくらい「違う」感じです。


(2)「売り」

「私は専門分野以外は何も知らないし、研究以外は何もできないのですが・・・」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、そんな弱気なことでは、職は見つかりません!!


世の中は「自信をもっている人」を求めているんだから。



たとえば、

・統計の知識&スキル

・社会調査スキル&経験

・実験スキル(電気系、機械系、生物系、薬品混ぜ混ぜ系など)

・大型コンピュータースキル

・数学知識(計量系)

・文章力、表現力

・英語!

・プレゼンスキル


などの「研究の付随スキル」は、民間でもとても役立ちます。

学士の新卒学生では全く期待できないスキルなんです。どーしてそれを売りにしないの?と思います。研究内容ではなく、付随スキルを売りにすることに躊躇される気持ちはわかります。でも、「民間企業就職したいんなら・・・」です。


反対に、やめた方がいい、と思うのは「論理的な思考力があります!」っていうアピールです。百害あって一利なし、です。

「論理的思考力」=頭でっかち、理屈っぽい、手足が動かない というのが、企業側のイメージです。

博士号をもっているのだから、「とても非論理的かも?」とは誰も思いません。そんなことわざわざ言わなくてもいいです。


(3)仕事の種類

シンクタンクや財団法人、(公的部門の)外郭団体での研究職、理系の場合だと、加えてメーカーの中央研究所か開発職くらいまでしか視野に入れてない人が多いように思います。

もっと広く考えてよいと思います。商社、投資銀行(証券会社)、PEやベンチャーキャピタル、メディア、教育産業、人材斡旋業界、大学にモノやサービスを売っている各種企業・・・長くなるので詳しくは書きませんが、結構幅広くチャンスはあると思います。自分から道を狭める必要はありません。

あと、「英語コミュニケーション」力は、つけておくと、とても有利です。外資系企業への門戸が開かれるからです。昨日書いたように、「博士」の価値は日本より海外の方が高いです。変な偏見も少ないです。


(4)採用されない理由

ちきりんの経験では、(学位にかかわらず、応募者が民間企業に)採用されない理由は、

・能力、適性・・・33%

・タイミング・・・33%

・マッチング・・・33%

です。落ちる理由の3分の2は、能力や適性ではありません。(反対もしかり。採用されたのは「有能だから」ではない場合が大半です。)

能力向上より、「機を見て」「トライ&エラー」の方が大事です。「機を見る」ことができれば、試行錯誤の回数が少なくてすみますが、全然そのセンスが無くても、とりあえず、落ちた理由が上のどれなのかだけ、聞いておけば、再チャレンジに意味があるかどうかは判断できます。



まあ、大事なことから書くとこんな感じ。他にもいろいろあるんですが、これ以上詳しく書いても、「誰のためになるねん?」って気がしてきたので、もうやめます。

皆様の健闘をお祈り致します。はい。景気もよくなってきたし。

2006-05-09 他国の博士は?

今日も続きです〜。こんな続けるのは、旅行記以来??今日は「他の国は?」という視点で書いてみましょ。

博士を生み出す国ってのは、限られてます。(と、思います。)基本的に「働くのは食べるため」って状態では、大学進学率自体が高くなく、博士なんて特別な人がとる学位にすぎません。というわけで、いわゆるG7と言われるような先進国だけみればいいのかな、と思います。

★★★

一番多いのは、おそらくアメリカでしょう。アメリカって、日本人も毎年100人以上が博士号を取得してるし、なんと中国国籍の人で毎年2000人以上ですよ。インド人とかイスラエル人も多そう。もちろんアメリカ人が一番多いのでしょうが。いずれにせよ、日本より圧倒的多数の「博士」が生まれていると思います。

アカポスに進むのが最も「普通」というのは、ここでも同じだと思いますが、この国の特徴は、なんといっても「ビジネスで成功する博士」が多いことではないかと思います。

自らネット関連企業を起こすこともあるし、そういう企業から「CEO,最高経営者」として迎えられる人が「博士号」を持っていることも多々あります。大企業の役員リストにも「ドクター」と書いてある人、たくさんいます。最近は、MBAではなく、心理学等での博士号を持つ人のCEO就任が目立つ、という記事を読んだ記憶もあります。(結局のところ、経営とは人を動かすこと、人の動きを読むことだから、というような理由付けがされていました。)

あと、個人事務所的なもので、コンサルティングをやっている人も、個人的にはよく会いますね。「コミニケーション」「話し方」「ネゴの仕方」などのアドバイス会社、企業広報やPR、マーケティングに関するアドバイス会社などね。

もうひとつ、博士を大量に吸収しているのが、「政策シンクタンク」。様々な分野に強い研究者を抱える「経済シンクタンク」「医療問題のシンクタンク」、「中国政策関連のシンクタンク」「犯罪心理についての・・・」などが存在しており、その分野の研究者が書いたレポートを政治家やロビイストが購入します。

というわけで、結構多彩な「進路」があります。

そうでなければ、大量の博士を毎年生み出すことはできないし、日本と違って「博士の供給数」は政策的に決められているわけではないので、「需要があるからこそ、供給が可能」という市場原理が働いている、という感じです。

★★★

アメリカは、博士にかかわらず、学士も含め、「大学とビジネスの距離が非常に近い」ですよね。

日本でも今は「大学生のインターン」が大流行ですが、アメリカでは、4年間の大学生活の間に、2年生くらいから毎年、いろんな会社でインターンする学生がたくさんいます。卒業するまでに、いくつかの業種の会社で働き、卒業後入社した際に「電話の取り方がわからない」という状態ではなくなっています。即戦力とは言えないにしろ、社会を全く知らないまま卒業するってのは、(まともな学生には)あまりありません。

大学院に進めば、職業をもっている学生もたくさんいます。自分の会社をもっていたり、パートタイムで働きながら、勉強していたり。そもそも「教授が自分の会社を経営してる」とか「教授が、とある会社の社外取締役」というのも珍しくないですから。経済系でも、「教授は前の政権の○○担当」だった、みたいなのがありますよね。ちきりんの行った大学院は「民主党」系なので、クリントン政権の時には何人かの教授がアドバイザリーなどの職についていました。(その間、授業は行いません。)

★★★

もうひとつのアメリカの特徴、それは、教授であったとしても、結構「市場原理にさらされてる」ということです。一回、アカポスを手にすれば一生安泰、ということはないように思います。

教育側では、よく言われるように「生徒からの厳しい評価」にさらされます。それは「満足しましたか?」みたいなあまいアンケートのレベルではありません。民間企業で働く時の「年末評価」と同じような厳しい評価を受けることになります。

また研究に関しても、「研究資金を集められるかどうか」は、その教授の研究を「市場が評価するか」にかかっています。日本と違って、一流大学は皆、私立、というのもありますが、自分で研究資金を集められない教授なんて、お話にならないのです。

★★★

で、最後に書いておきたいのは、アメリカで「博士号」という学位は、日本とは比較にならないくらい「尊敬」されてるってことです。手紙を書く時も、たとえ相手がCEOでも、Mr. Ms.ですが、相手が博士号を持っていれば、Dr.です。履歴書の一番上には名前を書くのが通例ですが、普通の人は名前だけを書きますが、博士の人だけは、Ph.D.とか、Dr.とか書きます。「名前と同じレベル」で重要な情報なんです、博士号って。

市場においても、社会生活においても、「博士」ってのは「すごい人!」なんです。反対に言えば、ちきりんは、日本ほど「博士」がないがしろにされている国を他に知りません。あんな時間と能力とお金をかけて学位とって、こんな扱いをされては、やりきれないだろうな、と思います。

★★★

ヨーロッパは?

ちきりんの印象で博士が多いのは、ドイツです。なんか「博士だらけ」です。ドイツの閣僚、大企業の役員等々のバックグラウンド見ればわかります。ドイツは高等教育は全部公立、というか、税金でまかなわれます。いわゆる一流大学では、学卒で社会にでる、というのは寧ろ少数派で、基本は大学院に進みます。だいたい8年くらいいます。(ちなみに、在籍制限がないので、10年くらい大学にいる人もたくさんいると思う。)

彼らは10年近く大学にいますが、その間に「やたらと働いて」います。アメリカみたいに「学期中は勉強、夏休みにインターン」というのとは違って、学期中もずうっとパートタイムで働いています。日本の学生みたいに、家庭教師や居酒屋のアルバイトをしているのではなく、ダイムラークライスラーなどの大企業で働きます。大学が国費とはいえ、生活費を親に出してもらったりはできないので、基本的に「自活」しています。結婚している人、子供がいる人もたくさんいます。もんのすごい長い期間かけて、大学生という立場で、いろんな会社で働いて、「ど〜こ〜に〜しよーかな〜」みたいな感じで社会にでていきます。本当の社会人になるのは、みんな30才超えてから、みたいな感じです。すごいゆとりのある社会だと思います。

というわけで、大半の博士の皆さんは、普通に就職します。30才くらいで・・・

★★★

が、この背景にあるのは、やっぱ「社会階層」だと思います。上に書いたのは「エリート層」の話であって、普通の人はこんなことしません。職人になる人は専門学校に行って、マイスターを徒弟制度的にめざすんです。パパママショップ経営する人が大学に行く必要は感じていません。博士号に進む人というのは、最初から、政治・経済・経営・技術などの分野において、「国を率いるリーダー層」である、というコンセンサスがあり、その人たちの間だけで見れば「みーんな博士」という感じだし、一方で、社会全体から見れば、彼らは「特殊な人たち」です。

この傾向は、イギリス、フランスでは、より顕著です。ただし、学位のタイプ、授与の方法などが米国型とはかなり違います。イギリスやフランスでは博士号にあたるものを持っている人というのは、ホントに少ないです。

この二つの国は、博士号云々の前に、大学自体が2種類に分かれてます。もともとは非常に進学率が低い国だったのですが、最近は大学への進学率は急伸しています。しかし、それは「特殊な大学」に加え「普通の大学」を拡大しているからです。

イギリスではオックスブリッジといわれる2校、フランスでは、3つの「超エリート大学」というのがあります。そこをでないと「社会のリーダー」にはなれないんです。それ以外の大学は、「教養」をつけるための大学であって、「エリート」「指導者」「知の専門家」となるための大学とはちがいます。まあ、「民にも大学を用意してやるか」って感じです。

★★★

オックスブリッジに進むには、中高一貫のパブリックスクールと言われる(まあ、中高一貫のエリート学校?)で学ばないといけないし、そこに進む人たちの「居住区」ってのもすごい偏っています。「住所」で決まってしまう将来がある、ということです。

フランスのエリート大学(ちなみに、有名なソルボンヌ大学ってのは大衆大学であって、エリート校ではありません。)に入るには、その準備校に入るわけですが、そこの面接では、「やんごとなきフランス語」で受け答えする必要があります。説明が難しいのですが、「一定レベルの家では、きちんとした言葉」が話されていると、んで、中学生くらいの時に、そういう「話し方」ができないと、入れないんです。そう、そういう言葉が話されている環境で育たないと、そういう大学にはいるのはとても難しい。

これが、階層ってものです。日本の「格差」なんてちゃんちゃらおかしいです。

ただし、日本と違うところは、みんながみんなエリートなんて目指してないことです。それが・・・階層ってものです。はい。

(ただし、いずれの大学も、移民・外国人でも、とても優秀な人をそれなりに受け入れてます。この辺りは、日本に比べても“微妙に”オープンです。たぶん、植民地の宗主国という背景からそうなっていると思います。)



というわけで、イギリス・フランスでは「博士」ってのは、本当に特殊で、なんとなく「普通の人がとる学位」とは違います。上記の「特殊な大学」をでて社会のエリートになる、という方が一般的な(エリートの)キャリアであって、博士は「別ルート」って感じです。

★★★

これくらいなんじゃないでしょうか。博士なんて生んでる国は。



で、何が言いたいかっていうと・・・日本では「想定モデル」が確立されてない、ってことなんです。博士ってどういう立場で、何を期待されているのか、基本的な思想がないんです。

欧州みたいに「歴史」からそれが規定されていること(したがって、エリート層という社会階層を受け入れる覚悟がある)もないし、アメリカみたいに「市場主義」で解決するのだ、という信念もない。それでも「博士」をたくさん生むのが「先進文明国である」という思いのもとに、制度だけ真似して政策的に博士を増やそうとする。

「とにかく欧米の真似をする」「何かの指標で欧米に劣っている部分をとにかく改善する」というコンプレックスと他人真似と偏差値思考的な目標の立て方。「追いつき、追い越せ」思考は、ビジネスの分野では少なくなりましたが、文化・教養・教育の分野では、まさにそれが今は花盛り。なんだかな〜、です。

この国はどういう国になっていくのか。それを示す人が、どの分野にもあまりにも少ない。全体像の設計や根本思想の検討なく、個別の細かい指標だけで運営してしまう。官僚から政治家の仕事へ。その意味するところは、政治の世界だけでなく、すべての分野にとって適用される、今の私たちの国の課題でしょう。




ああ、長い・・・・

また明日。

2006-05-08 途中下車する人たち

昨日の続きで、オーバードクター問題を考えてみます。

職業の「需給」は本来は市場で調整されます。、高度成長期であちこちでビルやら道路やらが造られる時には、建設作業員へのニーズが高まり、日給も高くなり、するとそれを生業にしようとする人が増えます。一方で、豊かになり皆がおしゃれになると、デザイナーやアパレル業がでてきたり、高給レストランが流行始めれば、調理人へのニーズが出て来ます。需要があるから供給したいと考える人がでてきて、職業へのニーズがでてくるわけです。

一方で、「政策的に増やされる・減らされる」職業もあります。多くの資格商売がそうです。医者の数は、医学部の定員をいじれば変えられるので、供給が完全にコントロールできます。法律家も司法試験の合格者数を人為的に変えたりしています。たいていの場合、既得権益者である現在のその職業組合(医師会等)が、増加に強く反対し、常に不足気味に維持されます。

需要側は、人の生活ニーズからでてくるので「自然形成」ですが、供給側は「政策的に決められる職業がある」、ということです。オーバードクター問題は、まさにこの問題で、供給側だけが政策的に増やされたから博士が余っています。

★★★

では、需要側はどうか?研究者の需要としては、研究の他、教育もあるわけですが、まずは、教育側の需要はまったく増えない。これは少子化・人口減少という社会のトレンドから決まってきます。問題は、「研究」に対する需要です。

これがちょっと特殊な需要であって、「民間」には「研究」への需要がほとんどありません。工学や通信のごく一部には、そういう需要もありますが、民間企業は、利益への距離が遠い投資にたいして、どんどん厳しい視点を持ちはじめています。いわんや、人文系、社会学系、理学系に対しては、ほぼ民間での需要はありません。

これが、研究者という職業の、他の職業との大きな違いです。つまり、民間には全く需要がないのだから、供給を増やすなら、税金で需要をまかなうという覚悟が必要であったはずなのに、その手当もせずに供給を増やしてしまった、という政策ミス、構造問題が起こっています。


ところが、当然ですが、ここでも「自然調整」的な動きがでています、供給側に。

たとえば研究者になるべき道の途中にいる学生たちの中から、あえてその道をはずれようという動きが顕著になっています。博士課程に進まず修士課程で就職する、とか、なかには博士課程の途中で就職する、という道を選ぶ人たちが増えているのです。もちろん「研究者」以外の職に、ということです。

修士までであれば、理系はもちろん人文系でも、普通に「新卒就職」ができます。ドクターコースの一年目くらいでも可能でしょう。昨年あたりから労働市場は非常にホットになりつつあり、需要はたっぷりあります。

で、見ていて「おもしろいなあ〜」と思うのは、この「途中下車する人たち」に一定の特徴があるということです。


・社会のトレンドに敏感

・「好きなことをやる」より「社会ニーズのある」ことをやりたいと思っている

・「一人で考える」より「皆で作り上げる」「対人関係の中で仕事をしたい」と思っている

人たちが、どんどん途中下車しているのです。

★★★

「ほんとは研究者になりたいんだけど、一応、就職活動する」という人もいます。その「試しの就職活動」によって、「やっぱ就職するか」と思い始める人もでてきます。上のように確固たる意思をもった途中下車ではなく、「降りてみたら、そっちも楽しそうだから途中下車する」人たちです。この人たちも、上に書いた特徴をもっています。

★★★

でも同じように試しにやってみたけど、途中下車しない、という人もいます。

・学卒の時に就職活動する→なんとなくピンとこない。修士へ進学。

・修士の時に就職活動する→なんとなく「やりたい」仕事がない。博士へ進学。

・博士課程の途中で、学位をとっても就職先が極めて限定的だとわかる→今までよりは本気で就職活動する→いままでの2回より、圧倒的に就職市場で厳しく見られる→とりあえず、学位を目指す世界に戻る→博士号取得

という人たちです。やばいかも〜と思いつつ、進み続ける人たちです。

この「試しにやってみたら・・・」という人たちの中でも、同じ傾向があります。途中下車する人たちには、やっぱり「共通した」志向、傾向、特徴があるわけです。

★★★

もう、見えましたよね・・・意思をもってにしろ、なんとなくにしろ、途中下車する人たちの特徴(上に書いた3つ)は、民間企業が「採用したい」と思う人の条件と完全に一致してるんです。

彼らは決して、「研究者として劣っている」わけではありません。もちろん「あきらかに研究者には向いてないよね」という人もいるし、一方で、学生時代から学振からの給与をもらっているような(研究者としても)将来有望な人もいます。研究者としての資質にかかわらず、上のような傾向のある人が、民間職業へと「途中下車」しているのです。

★★★

これが必然的に引き起こす問題があります。それは、「途中下車しない人たち」の資質・適性にも偏りがでてきている、ということです。一定のプロファイルの人「だけ」が抜けるので、残っている人たちも「共通点の多い」人の集団へと凝縮されていくのです。


残る人の特徴は?

・現代の社会トレンドではなく、真理に関心がある、

・「好きなこと」を(社会ニーズにかかわらず)やっていきたいと考えており、

・一生「一人で考えつくす」ということに適性のある人たち、ということです。


明らかに研究者向きですよね。研究者が「今のはやり」なんて追っていては話にならないでしょう。

でも、これ・・・たとえ、22才の新卒学生であっても、「企業としては、あんまり採用したくない」人のプロファイルなんです・・・・

★★★

途中下車せずに残っている人のプロファイルが偏ってくるにつれ、民間側の「博士号なんてもってる奴は使えない」というイメージはますます強固なものとなり、また、個別の人も、博士課程修了後に就職しよう、と考えても、全く採用されない、という状況につながっています。

彼らの大半は、30年前に生まれていて、余程の金持ちでなければ新卒で就職せざるをえない、という環境の中にいたら、たとえ苦手であっても22才で社会にでたのです。そして、社会環境の中で、もともと苦手かもしれないビジネスの社会での仕事のやり方を覚えていくわけです。慣れていくわけです。適性がない、とか言ってられなかった。幸か不幸か、今は「苦手な道を選ばず」「自分に向いた道を選んで」30才まですごすことができるようになりました。幸か不幸か・・・

★★★

長くなるので、ここまで。また(たぶん)明日。

ふーむ、な問題です。はい。

2006-05-07 CD&OD

CDと言えばなんですか?

 ・コンパクト・ディスク(と思った人は、音楽好き?)

 ・キャッシュ・ディスペンサー(と思ったあなたは、銀行員)

 ・クリスチャン・ディオール(と思ったあなたは、プチセレブ)

 ・中日ドラゴンズ(と思ったあなたは、名古屋出身)


ODと言えば?

 ・オーバードース(精神疾患のある患者が、睡眠薬などを過剰摂取すること)

 ・オーバードクター(今日のテーマ)

★★★

オーバードクターってのは、ごく簡単にいえば“博士号取得者が就職できない問題”です。

原因として語られることに、

(1)文部科学省の無責任な&人体実験的な博士大量輩出政策の問題

(2)学位授与や研究者採用の不透明さの問題

(3)研究者の社会貢献の場所の圧倒的な不足の問題 などなど。

などがあります。


ことの発端が(1)の文部科学省の政策です。文部省は「少子化で大学が余ってしまう」とか「博士が欧米先進国より少なくて恥ずかしい」とか、「技術立国、文化先進国には博士が必要」とかと考え、政策的に博士号取得者を増やしてきた。

これは人為的にコントロールできる数なんです。基本は、博士課程の定員を増やせば博士が増える。で、どんどん増やしてきた。修士課程にいる学生に対して「博士よいとこ、あなたもおいで」的な勧誘も行われたわけです。

ところが、博士号取得者の伝統的就職先である「大学の教授ポスト」(アカデミック・キャリア、アカデミック・ポスト)は、全然増えない。当然です。少子化で日本の学生数は、全体として減っていくわけだから、教授側ばっかり増やすわけにはいかない。で、博士号はとったけど、仕事がない、という問題が生じています。

ところで過去20年くらいで文部科学省が決めた大政策は、「ドクター大量養成政策」と「ゆとり教育」くらいしか思いつかないのですが、他になんかあるのかな?

★★★

ちなみに、もっと大変な問題もあります。博士課程に進んだのに「学位がとれない」人もいるんです。博士課程に入学して、在籍して、すべての課程を修習したけど博士号が取得できず、そのまま卒業したり中退します。博士号って、学士とは違い「博士論文」が認定されないととれないのですが、この認定方法がまた不透明なわけです。

まだ理科系はましです。国際的な学会や学術誌の評価とかがありますから、圧倒的にすぐれた成果を残せば、客観的に認められる。だけど・・・たとえば文学系とかだと誰が判断すんねん、論文のクオリティを?って感じでしょ。

結局のところ、既得権益者である「今の大御所教授」が判断するわけです。これはかなり不透明だし、かなり人為的でない?と、誰でも思いますよね。「力のある教授に“気にいられないと”アウト!」って感じです。誰が助手として大学に残れるのか?という「選抜」においても、同じです。


そもそも、博士号をとってもポストが絶対数として不足してます。一番伝統的な「助手から教授へ」というポストは、上に書いたように限度があります。文部科学省は税金つかって責任をとり、いくつかのポストを用意してます。中心的なのが、ポスドクとよばれる「ポスト・ドクター」職ですね。国関連の研究機関が給与を払って、博士号取得者を雇います。ポスドクの最中に研究を重ね、アカポスへの就職を目指すという趣旨です。

が、ポスドクってたいてい2,3年の任期、最高年齢は35才まで、そして、根本的な問題として、待ってたってアカポスが増えるわけではない。しかもポスドクを合わせても、年間の博士号取得者の7割未満しかポストがない。残りの人はどーすんの?今ポスドクの人は、35才以上になったらどーすんの?と思いますよね。

★★★

この問題の特徴をあげると、

・「困っている人が少ない」:年間の博士課程修了者は1万5千人くらいかな。世の中全体で失業者とかニートの増大!とかって言われる場合、単位は何百万人、ですからね。たかだか数千人が就職できないなんて、「小さな問題」として扱われる。

・「分野による差が大きい」:日本は製造業の国だから、技術系・工学系の企業はたくさんあります。余裕があれば「中央研究所」を持っている。大学の定員も大きいし、教授職もそれなりに数がある。悲惨なのは、まずは人文学系。学校以外で、どこが雇う?って感じでしょ。次が社会学系、そして、案外大変なのが「理学系」です。「宇宙」とか「天文学」とかね。こーゆーの研究しても「民間就職」ってありえないでしょ。

というわけで、そもそもの人数が少ないのに、分野による差が激しいため、ひとつひとつの問題が非常に「細かいし、小さい範囲で起る」んです。だから、解決策を考える方の人にメリットが少なく、問題が放置されがち、なんでしょう。


これは病気も同じ。ガンは深刻な病気ですが「亡くなる患者が多い」ので、治療方法の研究が進むんです。日本で年に数十人しか死なない病気になると「研究すれば治療方法が見つかるのに、研究自体が行われない」ということが起こります。それと同じ。

しかしながら・・・当の本人にとっては、問題の大きさは「全体の人数」とは無関係。むしろ、世間の人に知られてない問題だからこそ深刻、とも言えます。


というわけで、長くなるので今日はここまで。(たぶん)明日、続きを書きます。

ではまた〜

2006-05-06 ニュース感想

ふたつのニュースについて。


宇宙飛行士の人がアメリカのロケットに乗るでしょう。あれね〜、「なんで、日本人が乗るのか?」わかります?

宇宙開発費って膨大なんです。それを「一部払う」ことで、乗せてくれるんです。一人一回乗せるといくら、という感じで日本はお金をはらっています。最近は韓国の宇宙飛行士も乗ってますよね。韓国も最近はお金が払えるようになった、もしくは、アメリカから「一人乗せるから、○○くらい払え」と言われるようになった、ってことです。(日本では、他国の飛行士の報道はほとんどないので、まるで日本人だけが特別に乗せてもらっている、もしくは、日本の技術力のために乗れている、ように報道されてますが。)

こういうお金の額、公表してほしいな。普天間の移転費用とかは問題になるけど、こういう「事実上、負担しているアメリカへの協力金」みたいなのは巨額になっても、あまり公表されないよね。

「いくら払ってのかね〜」と思えて、この「日本人宇宙飛行士が、夢を乗せて!!」みたいなニュースが素直に見られないちきりんです。宇宙からの中継で中学校とつないだりもしてますけど、あーゆーのもイチイチお金払ってると思いますよ。科学技術関連費用でね。すごい額なんだと思うけど。

いや、いーんだけど、「何がいくらなのか」は納税者としては知りたいかな、と思います。

★★★

巨額セクハラ訴訟について。最初の感想は、「トヨタの米国法人社長って、やっぱまだ日本人なのね」ってこと。それから「秘書って日本人なんだ」ってこと。

額が巨大なのは、セクハラ自体への賠償金というより、「トヨタが痛みを感じる額」に設定されているという理屈。

これね、理屈自体は、ちきりんはサポートできるんです。罰金って経済力に合わせて設定すべき。駐車違反とかって、貧乏人でも金持ちでも「2万円」って言うでしょ。松坂なんて駐車違反の2万円なんて「へ」とも感じないだよ。保釈金と同じように「その人にとって痛い金額」にすべき。談合の罰金とひとつずつ説明してくれるとかもそう思います。「過去3年間の利益の○%」というように設定しないと、抑止力にならない。

だから、「トヨタだから214億円。小さな企業なら2億円」ってのは、悪い考え方ではない、と思ってる。

しかし、なんとなく素直になれないのは、これは民事裁判で、賠償金が「個人」に帰属することです。罰金は国家に入るけど、これは訴えた個人に6割くらい、弁護士に4割くらい入るでしょう。だから、なんとなく、弁護士の言っていることも「嘘っぽく」聞こえる。今回の場合も、着地は20億円くらいになるんじゃないかな、と思うんだけど・・・

「20億円もらえるなら、私に抱きついて!」みたいな人は沢山いそうだ。(不謹慎な発言で、すみません・・・)でも、売春婦の皆さんだって、「よろこんで!」と思う額だったりしそうです。

こういう賠償金って、トヨタからは200億円でもなんでもとればいいが、帰属は「家庭内暴力の被害者団体に寄付」とか、ODA予算に回す、とかそういうふうになればいいと思うのだけど。

しょぼい会社でセクハラされたら20万、トヨタでセクハラされたら一生一族が食べられるお金になる。これ、どーも納得できない感じです。


ではまた!

2006-05-03 内容の難易と文章の難易

文章を書く場合、内容と書き方の難易を分類すると4種類あります。

(1)難しいことを難しく書く

(2)難しいことを簡単に書く

(3)簡単なことを難しく書く

(4)簡単なことを簡単に書く


ちきりんブログは明らかに (2)か (4)です。だって私は難しい文章を書けないから・・


たまに「難しいことを簡単にわかりやすく書いてる」と言ってもらえたりもするんですが、実は違います。私は本当に「難しく書くのが苦手」なのです。あえて簡単に書いているわけではなく、難解な文章は苦手で書けない、だけなんです。


書くだけじゃなくて、読解もだめです。難しい文章は理解できません。昔「一応、大学生だし」と思って、いくつかの古典的な哲学書や思想書にトライしたけど、全く理解できませんでした。あーゆーのがわかる人がいるってのは驚きです。

そういうのを読んで理解できないのは、それなりに「ショック」でしたが、でも、そこは実務家ちきりん。「こんなのわかんなくても生きていけるさ」と前向きに考え(?)すぐに本を放り出しました。


昔、実家に、父親が旧制高校生の時に読んだという阿部次郎の「三太郎の日記」。父に「これくらい読んどけ」と言われて目を通そうとしましたが・・・

ぜ〜んぜん、わかりませんでした。

「おとーさん、ほんとにこれ、高校の時に読んでたの??」って感じです。昔の高校生ってすごかったんですね。びっくりです


★★★


話を戻しましょう。四つのパターン。

(1)難しいことを難しく書く

これが、先ほどから書いている「ちきりんには理解できない世界」です。

なにが難しいのかというと、

・単語の難解さ

・抽象度の高さ

・止揚度の高さ

ですね。この3つが揃うとお手上げです。


これは「わざと難しく書いている」のとは違います。言いたいことをできるだけ正確に伝えるためには、表現が難しくなるんだよね。



(2)難しいことを簡単に書く

・単語に関しては、漢字や熟語を少なくして、説明的にするとわかりやすくなる。

・抽象度→できるだけ具体例を挟むと、わかりやすくなる。

・止揚度→止揚する階層をひとつづつ説明してくれると、わかりやすくなる。


こうすれば、内容は難しいけど文章はわかりやすくなります。その一方、デメリットもでてきます。それは、


・文章量が大幅に増える。

・具体例は、あくまで「例」であり、抽象度の高いことを具体的な「例」にするのは、それ自体が難しいだけでなく、絶対に「100%の例」にならない。すなわち、伝えたい内容に一部漏れや違い、が出てしまう。

「例で理解する」というのは、「ほぼわかる」ということであって、「完全にわかる」ということじゃないんです。

・止揚度は、階層を説明してくれれば、思考を追っていける。ただ、これは書き手に多大な手間と時間の投資を要求します。宇宙物理学者や哲学家が、素人にわかるように文章を書くために自分の研究時間を割くべきか否か、議論のわかれるところでしょう。

さらにいえば、すごーく難しい内容を簡単に書いてくれる人がいると、素人は嬉しいけれど、その嬉しさは「理解できた嬉しさ」ではなく、「理解できた気になる嬉しさ」にすぎません。そこにどんだけの価値があるのか、というお話。



(3)簡単なことを難しく書く

「人を欺きたい」という目的がある時によく使われます。欺きたいパターンは2種類。

・自分がすごい人なのだ、と欺きたい。

・内容が正しいのだ、と欺きたい。

の二つです。妙な新興宗教の奥義書とか、左翼(崩れ?)の人の文章とかね。圧倒的に「わけわかんない」けど「不要に難解」で、かつ「かなり、うさんくさい」文章です。


(4)簡単なことを簡単に書く

これは子供の日記です。朝起きました。ご飯を食べました。プールに行きました。みたいな・・


★★★


佐藤勝彦さんという物理学者の人が本を書いてて、「相対性理論を楽しむ本」とか「最新宇宙論と天文学を楽しむ本」とかいうのがあります。これ、驚きです。ちきりんでさえ「相対性理論が理解できたっ!」って気になります。

でも、それはやっぱり錯覚です。理解できたのではなく、簡単に書いてくれると「理解できた気になる」(んで、嬉しい)。

ありがたいが、罪作りな気もします。

ちきりんが、こんな本を高校生の時に読んでいて「相対性理論おもしろいっ!」とか思って物理学科にでも進んでいた日には、落第に落第を重ねて、今頃どーなっていたことやら・・


まあでも、これだけわかりやすく書けるのは大変な才能だとは思いますが。



ところで、難解な文章の読解力は、やっぱ、世代を追うごとに落ちている気がする。父の方がちきりんより圧倒的に読解力があったとはなかなか信じがたいですが、父の方が明らかに難しい本を読んでます。


やっぱり昔は、

・同級生がみんな読んでるから、見栄はって無理して読んでるうちに、理解できてきた。

ってのと、

・議論しながら読んでいるから、皆で議論してる間に理解できるようになる、ってのもあったんでしょう。


そう、ちきりんが難解な文章を読み込めないのは、時代と友人のせいだっ!



・・・こーゆー開き直った態度が・・・進歩のない理由でしょう。


ではまた明日



超わかりやすいです(キンドル版もでています!)