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Chikirinの日記 RSSフィード

2006-08-28 隣国は仲が悪い

この間、テレビで誰かが言っていた。「近隣の国と仲の良い地域なんかない」と。これは納得した。

日本では小泉首相を批判する勢力が必ず持ち出すのが「アジア外交の失敗」ということ。そもそも中国と韓国だけがアジアなのか?という話もありますが、この人はこういっていた。「ヨーロッパでも南米でも、近隣の国、特に大国同士は仲が悪い方が普通」だと。

確かにフランスとドイツが仲が良いと思ってる欧州人(←誰?)はいないし、イギリスVSフランス、イギリスVSドイツという構図もよくでてくる。

南米でもアルゼンチンとブラジルは(サッカーの話ではなく)超仲悪い。特にアルゼンチンは南米の嫌われ者だ。

インドのあたりも、パキスタン、バングラディッシュなどなど、皆して仲悪い。中東だってイランとイラクは昔年のライバルだ。

北米に関していえば、余りに力に差があって表沙汰にはならないが、「カナダはアメリカの一部」と公言するアメリカ人に辟易としているカナダの人は沢山いるだろう。メキシコとアメリカも同じだ。


近くにある大国同士(もしくは、大国を目指す同士)が、心情的に仲よしこよしなどということはありえないのだ、というのが、そのコメンテーター(誰か忘れてすみません)の意見。

これはなかなか説得力がありました。


だから、アジア外交の目的も、必ずしもすごい仲良くなることではなくて、とりあえず、首脳同士が会えないという異常な状態をまず解消し、持ちつ持たれつ、牽制したり怒った振りをしたりしながら、関係を強めていけばよい、ということだ。

闇雲に「中国と韓国と日本が、堅い友情で結ばれた状態」など夢想しない方がいい、ということ。


んではね。

2006-08-26 おもしろすぎる雑誌

ちきりんの無駄遣い対象の一つが「雑誌」です。やたらと雑誌買います。しかも、ちょっと普通の人の買い方と違う気がする。普通はまあ、自分が関心のあることが書いてある雑誌を買うんだと思います。ちきりんもそういう買い方ももちろんします。が、もうひとつ別の関心をもって買う雑誌が多いです。


雑誌ってね、すごく「セグメント」を意識して作られたメディアなんです。ここまではっきりした商品って他にないと思う。例えばテレビも早朝は「シニアな方向け」、朝は「出勤前ビジネスマン向け」、10時からは「奥様向け」の番組と、時間帯によってターゲットの層を変えるんだけど、それはシームレスに連続的に変化するから、気をつけてないとわかりにくいの。新聞も、・日経新聞・一般紙・スポーツ新聞以外は大きな区別がないと思う。あんまし細かくわかれてないのです。

本だと、全くわかれてないですよね。結果論として「セカチューは若者に売れた」とか言う話があるだけ。

ところが雑誌は、すごい細かくターゲットの層をわけて、それにむけてファインチューニングして作られているのです。だから、「Aという層に向けて作られた雑誌」を読むと、Aという層のグループの人たちがどんな人たちで、今何に関心があって、どんな生活しているの?というのが超よくわかる。しかも、めちゃめちゃ細かい区分ごとに雑誌が存在しています。だから、そういうことを知りたいという目的で接するには、最適のメディアが、テレビでも映画でも本でもネットでもなく、雑誌なのです。

★★★

自分と全然関係ないのによく読む雑誌が、まずはシニア向けの雑誌。これは、かなり前からでています。


よくある特集は

・健康系

・終の棲家系

・夫婦関係系

・お金系

・生き甲斐系

でしょうか。


健康系は、このターゲット独特。年をとってから成りやすくなる病気とか、老眼その他の加齢による体の変化に対する特集とかね。終の棲家系も多いです。一戸建てを売って都心のマンションを買うべきか、息子夫婦に声をかけて二世帯住宅にすべきか、とか、「成功事例集」とか「先輩の失敗例」とかね。

夫婦関係編では、圧倒的に熟年離婚特集が多い。妻に捨てられないために、という特集。そうそう、この手の雑誌はほぼすべて「男性向け」です。女性シニアのは、別のくくり方での雑誌が発行されてるので。

お金系は退職金の運用方法とかね。「○才まで生きたら、いくらいる!」みたいな特集。若い人のマネー相談と違って、かなりシリアスです。

生き甲斐系も多いね。若い頃のスキルを活かして中国に技術指導に行っている人とか、シニア国際ボランティアはどーだとか。

★★★

何がおもしろいって、ですね。人間、結局そんなに幅広い友達はいないのだよね。自分の周りには自分に近い境遇や年齢や価値観の人ばっかりしかいない。だから、違う人たちの世界をのぞける雑誌がおもしろいってことです。このメディア以外だとここまで「自分と違う人」のことをビビッドに理解できない。

★★★

主婦系の雑誌もおもしろい。特集としては

・弁当、献立系

・節約、貯蓄系(節約系には「お金を掛けないプチリフォーム」とか「千円で作る夏の親子ウエア」とかを含みます。)

もうこれだけ、です。主婦って子育てってホント大変なのね、と思います。だって、弁当の作り方と今日のおかずのヒントと、節約方法と住宅購入の頭金の貯め方以外の「関心事」ってないってことなの?って感じです。

そして広告には「ダイエット」「消費者ローン」が圧倒的に多い。



う〜む、です。

★★★

ところが、「セレブ系の主婦の雑誌」だと全然ちゃいます。世界が違う。

「御義母様とお出かけする時の一押しスタイル」←服と靴や鞄を合わせてウン十万みたいなコーディネートです。

「たまには女性同士で。ドバイのリゾートホテルライフ」←近所に遊びに行くのとは違うと思うが・・・

「彼のステータスにあわせたアクセ選び」←開業医の集まりの場合は、とか、外資系セレブ系パーティにはこれ、みたいな・・・


う〜ん。

広告もさすがに消費者ローンは出してないし、ダイエットは「エステティックサロン」と言葉を換えます。

★★★

ここ数年多いのが、「中年男性のための雑誌」ね。「ちょい悪おやじ」等の言葉を生んだトレンドです。よく出てくる言葉が「隠れなんとか」です。「隠れ家レストラン」「隠れ家温泉旅館」「都会の隠れ家 一流ホテルの休日」とか。


「何をそんなに隠れたいのだ?」と思います。

「隠れてする何か」に対する憧れというか妄想、があると思う。



★★★

背景として、昔は、中年男性(30代後半〜50代までの男性)ってのは、消費者として全く力がなかった。子育てに住宅購入にと、すごいお金がかかるから自分のお小遣いは限られているし、仕事も最も大変な時期で、個人的な趣味に使う時間的余裕もない。だから雑誌もなかったんです。ビジネス誌とか、スポーツ新聞とか、一般週刊誌だけの十把一絡げの扱いを受けていた。


今は、

・晩婚化で、「給与=小遣い」の中年男性が増えてる。

・格差社会で、奥様に好きに使わせても、自分の小遣いもたっぷり、という層も増えている。

ということでしょう。


★★★


そして最近でてきた超笑える雑誌が「子育てパパ向け」の雑誌。


これね〜、ほんと笑えますよ。

特集として

「子供の職業適性を見分ける10の注目ポイント」

「起業家になれる子供の育て方」

「世界に通用する子育て ソニー流」

「嫁にいける娘、いけない娘」



も〜、ほんと笑かせてくれる。中吊り見てるだけで吹き出しそうです。最後のなんて、作ってる編集者の価値観丸出しで、ホント笑えるでしょう。「嫁にいく」っていう言葉もすごいし、「いける」「いけない」って・・・あんた・・・って感じです。「いく」「いかない」の選択肢の時代なんですけど、もう十年くらい前から・・・

★★★

これはね〜、子育てが「趣味」のひとつになってきた、ってことかなと思います。「車や釣りより子育てがおもしろい」とか。あとは、やたらとニートとか自宅に放火するような子供の事件が騒がれるので、売らんかなで不安を煽ってる気もする。自分の子をそうしないためには、自分は何をすればいいのか、と。まじめなセグメントなのかもしれない。



というわけで、最近は「教育パパ雑誌」ばっかり読んでいるちきりんです。ホントに笑えます。冗談みたいな記事満載です。400円でたっぷり2時間くらい笑えます。



んではまた

2006-08-24 どうなる冥王星?

さっきニュースを見ていたら、上記のタイトルでニュースをやっていました。惑星の定義によって、水金地火木土天海冥・・・云々の太陽系惑星の数が変わるかも、という例のニュースですね。日本時間の明日未明の会議で決まるとか。


この「どうなる冥王星?」という言い方、かなり違うよね。

正しく言えば「どうなる天文学?」でしょ。

「燃えるゴミ」ではなく「燃やすゴミ」が正しいという話と同じ。今回問題になっているのは冥王星ではなく天文学なのよ。だから「どうなる冥王星?」じゃなくて「どうなる天文学?」です。もっと言えば、「どうなる天文学会?」かもしれない。


今回の議論において、大半の人にとって(もちろん、ちきりんにとっても)最も意義深いことは、「星って何?」という問いに、答はないということが明らかにされたこと。いや、その答が「あたかも自然界に存在しているかのように」「学会によって決められていた」「ということが明らかにされた」、ということだ。

これが一番おもしろいことだし、それを多くの人が明示的に意識した、ということが大事なことでしょ。

星とは何か?」という問いに答えるのは、神でも自然でも、ましてや科学でもない。「多数決」なの。「多数決が決める」のだ


社会科学系の事象だとこういうことはよくある。計算方法が変わると「実はあの頃の経済成長は○%でした。だから高度成長ってほどでもなかった」みたいになったりする。「経済成長」ってのは、「社会の現象」ではなく、「計算の結果である」ということを、私たちは既に理解してる。

だけど、自然科学系だと「真実」というものがある、と思いこむ。それは人が左右できることではなく、神の領域のこととして?「自然に」「そうなのだ」という概念だと、思いこむ。


ちきりんだってそう思ってたよ。でもさ、「いや確かにそうではあるのだが」=すなわち、「真理」は確かに存在するのであるが、その周りに、まるで厚化粧のように幾層もの幾層もの「人為的な思考の結果」が真理の周りを固めているものこそが「学問」と呼ばれているのだ、ということを、今回の話は極めて明確に私たちに示してくれた。しかも世界的に通用する話題で。



これはでかいでしょう!!


と思うけどね。



だから、今日の夜中(明日)の議論の結果は大いに注目に値する。何が問題となっているか、ということに、彼らが気がついている結論を出すのか、いや気がつかないわけはないのだが、それを意識した結論を出すか、そうでないか、そのあたり、注目度大です。



極端な例で言えば、これが冷戦時代で、冥王星を発見したのがソビエトだったとする。他の惑星はアメリカとイギリスが発見していたとする。どういう議論になるか、割と推測しやすいでしょ?冥王星の次に小さい星はどこが見つけたか、とか。


ちきりんは天文学なんて超無知なので、なんもしりませんが、「真理」と「人間の決定」というのは全く違うものだ。多くの人々が「真理」だと信じていたことを、そうではないのだと、世界中のマスコミがこぞって報道をしている。これはすごいと思います。天文学は大きなモノを失った。しかも、たぶん純粋に学問的な探求心によって。



ではでは

2006-08-23 格差をビジュアルに見る@上野周辺

日本最初の地下鉄は「上野・浅草間」です。昭和2年らしい。すごいよね、そんな昔に東洋初の地下鉄が、上野・浅草間に走った。

しかも最初から“自動改札”だったんだって。10銭硬貨を入れるとバーが回る(古い水族館とかにある)やつ。その上、当時から3分間隔の運行だったらしい。それもすごくない?


不忍池の近くに、「下町風俗資料館」というのがあり、そこから徒歩10分のところに「旧岩崎邸」があるんです。この二つはぜひセットで訪れてほしい。

下町風俗資料館は、明治から昭和初期にかけての長屋や商家、風呂屋やカフェを再現して展示。なつかしグッズも沢山あります。当時の庶民の暮らしがよくわかる。


旧岩崎邸も明治29年の完成なので、ほぼ同時期の建物。三菱財閥の創設者岩崎弥太郎氏の長男が「岩崎家本邸」として建てたお屋敷です。今は、もともとの敷地の1/3くらいの大きさらしいけど、それでも乗馬ができそうな中庭付き。


そう、この二つは、ほぼ同時期に存在していたんです。岩崎邸に岩崎さんご家族が暮らしていた頃、庶民が暮らしていた家が風俗資料館に再現されている。その二つが徒歩10分しか離れてない位置で見られるのは悪くない。同日に訪ねると・・・

格差ってのはこーゆーことだ

とわかります。


岩崎さんのお屋敷はこちら。趣味の良い洋館です。中も見られます。素敵です。トイレも洋式です。戦後はGHQに接収され、その後、東京都の財産となりました。私邸なのに、返してもらえないのね・・

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同時期の庶民のお家。

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格差ってこういうことです。そして、幸せの量とお金の量はあんま関係ないのね、という当たり前なことも、結構如実に伝わります。

上と下の家、「どっちに住みたいか?」と言われたら、一瞬迷うでしょ?なんで迷うのか、不思議なんだけど・・


ではね。

2006-08-22 ちげ

夕食に作ったチゲの写真。チゲって韓国ドラマを見ているとやたらでてくるので、食べたくなって作ってみました。かなりマイルドにしあげました。(スープ、あんまし真っ赤じゃないでしょ?)極端に辛いのは苦手です。

ドラマの中では複数人が鍋に直接スプーンを突っ込んで食べてるシーンが多いんだけど、どーもあーゆーのは好きでないので、食器に移して・・・

しっかしこれは健康的な料理ですよ。野菜が山ほど入るしね。辛いだけでなく魚貝(キムチのね)と豚肉との出汁も効いてるし、ごま油の風味もして、コクがあり、白いご飯ともよく合います。

とても美味しかったけど、これを小さい時から食べて育つと、出汁味とかポン酢で食べる鍋では「味がしない」って感じになるかもね。


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んではまた。

2006-08-20 泡沫候補って楽しい!

自民党の総裁選。安倍氏独走態勢!とのことで、谷垣さんと麻生さんは「2位狙い」的な報道が定着してきた昨今ですが、ちきりんが注目しているのは、いわゆる泡沫候補の皆さんです。

つーか、推薦人不足で立候補さえ危ぶまれる方々。彼らが結構おもしろくなってきてる。


一番おもしろいのは鳩山邦夫さん。弟の方です。“太ってる方”といった方がわかりやすいかな。まだ自民党にいる方です。彼は立候補表明こそしてないけど、「政策提案書」みたいなのを出し、パーティもしてました。

テーマはずばり「自然との共生」

「このぶっとび具合が鳩山兄弟!」でしょ。パーティの参加者も“あんぐり”していたよ。


彼曰く「景気だの年金だの言ってる場合じゃない。年金なんかもらえても、“黄砂”で息ができなければ死んじゃうんですよ」って。

ふむ。


そりゃそーかも。


とはいえ世の中は年金問題で大騒ぎなんですけど・・・。

で、「あいつは頭がおかしくなったのではないか?」という極論も含め、「なんなんだ?」という冷たい目が多いわけです。彼に対してね。

なんだけど、ちきりん的にはちょっと違う感想を持ちました。


これ、「人間が余裕を持つとどうなるか」をよ〜く表している、と思う。

★★★

田原総一郎氏は若い頃、作家になりたかったのだよね。田舎から早稲田大学に進学。学費もすべて自分で稼ぐという赤貧生活。

2畳の下宿で「いざ書くぞ」と思った時、石原慎太郎が発表した「太陽の季節」を読む。そこに描かれた「ヨットに乗り、夜はシャンパンでパーティをし、女の子をオープンカーで送っていく若者の日常」を読んで、田原さんは思いました。

「こんな生活を描けるヤツとは体験の量が違う。俺には作家は無理かも」と。


そういう感じ。圧倒的な余裕が生み出すものがある。圧倒的な欠乏が生み出すものと同じくらいに。


鳩山さんはトチ狂ったわけではなく、大まじめなんだと思う。彼にとっては「環境問題こそ」が「すべて」なのですよ。そう見えるんだと思う、あんだけのお金があると・・・。

年金とか老後の不安とかローンとか、そういうのはもう「見えない」んだよね。嫌みでもなんでもなくて、「何がそんなに大変なのさ」ってのがまったく理解できない(のでしょう)。


ホント心地よいくらい、すがすがしいくらい違う。


お兄さんは神経質そうだけど、弟の方はおおらかな感じだしね。


★★★


河野太郎氏もいい味だしてます。彼は出馬宣言してます。でも立候補できるかどうかは不明(賛同者が集まらない可能性が高いから)。

彼は父親に臓器提供をしたことで有名です。


彼の主張は「年金」。最初は一本だったけど、最近は「教育」も加えました。「年金と教育水準」です。こちらは比較的まともな主張です。

最近の河野さんは、なんつーか「ふっきれ感」があって、とてもいい感じ。もうなんか「どーでもいいから、言いたいこと言わしてくれ」「立候補できないと決まるまでの間でいいから、俺をテレビに映してくれ」みたいな。


で、わりとまともなこと言ってます。谷垣さんも麻生さんも靖国をどーするのこーするのって、「どーでもええわい」ってなことばっかり言ってるけど、「どうせ立候補もできないかも」と思うと、まともなことが言えちゃう、ってことなのかもしれない。票読みしなくていいと、言いたいことが言える。


ちきりん的には総理は安倍さんでいいのだけど、「戦う政治家」とか「美しい国」みたいなキモい言葉はやめて欲しいなあ。

んでは、また明日。

2006-08-16 靖国参拝

靖国神社・・・、8月15日に軽い気持ちで行ってみたら衝撃でした。

結構な人が来ていました。団体バスも何台も来ていたし、着物や浴衣姿の人もいました。


手と口を清めて、拝殿で「二拝二拍手一拝」。個人参拝も申し込めるんだけど、そこまでするのもなんだかな、と思ってぶらぶら歩いていると「遊就館」という資料館があったので入ってみました。

そして・・打ちのめされました。


★★★


遊就館、立派な建物です。入館料大人 800円ですが、かなり混んでます。これだけの立派な施設を維持できるのは「さすが靖国」


ちきりんは 20年くらい前に中国の「盧溝橋博物館」と「南京虐殺博物館」を訪れた時、ふたつの博物館のあまりの「豪華さの違い」に驚愕しました。

前者は日本も認めてる事件だから、日本の支援ですごく立派な博物館が出来てるのに、後者に関しては、その当時、まだお金がなかった中国だけの資金で造られていたので、超みすぼらしい博物館だったんです。


その時、私は学んだわけです。「歴史系博物館」というのは、その「豪華さ度合い」が「支持者の立場」を如実に現すということを。「権力者が認めた歴史」でないと、豪華な博物館は作れないのだよね。

というわけで靖国の場合、やはり「かなりエライ方々の支持を受けている」という感じでした。


その後、館内へ。広いです。ゼロ戦とか実物展示があって映像資料室も複数あり、そこで 50分もの長い映画を見ました。ドキュメント映画「私たちは忘れない」です。内容は・・・

靖国神社が最初にできた時の由来から始まり、戊辰戦争で死んだ人を祀ったとか。そこから「大東亜戦争」の終わりまでの描き方が・・・そうか−、これが「かの有名な靖国史観」ってやつね、って感じです。


・アジア、アフリカ、南米は植民地候補地であり、つまりは「被支配エリア」なのに、そこから「支配者」になろうとする国がでるなんて、ありえね〜、という欧米の身勝手さが総ての元凶という論調。この考えがまずは貫かれます。

・次に「大東亜戦争」は、アジアが欧米列強に屈せず自主独立するための戦争であったと。日本がロシアに勝った時、アジアの国は皆歓喜したのだと。例の漫画家さんの主張ですね。

ちきりん的には最初の方は「まあそうね」なんだけど、二番目は「まじ?」でした。こんなん中国や韓国の人が見たら怒るだよ、きっと。


そーいえば中国語と韓国語のパンフも売ってるんだけど「日本人には売らない」って書いてあるんだよね。こんなむちゃな商売がありえるなんて、さすが靖国。

もしかして違うことが書いてあるのかな?? ちょっと謎なパンフでした。あと、お土産屋さんも超充実。「突撃」とか「必勝」のはちまきやTシャツ。私は右翼じゃないんで、要らんけど。


そして・・展示の最後のあたりは、「涙、涙、また涙」でした。も〜、涙なしには見られないです、あの展示。


最後の御前会議で、無条件降伏に唯一強硬に反対したのが阿南惟幾陸軍大将なんです。彼は、「沖縄は失ったが、本土決戦に持ち込み少しでも有利な状況で終戦にもちこむべき」って主張したらしい。

おいおい。そんなことくらいで「少しでも有利な状況」なんかになるの?? いや、なるにしても、いったいそのために何人一般人が死なないといけないの? やめてよ、です。


でも天皇は「今すぐ降伏する」と決めた。これが 8月 14日。

でも、阿南大将も別に自分のために本土決戦を主張したわけではないです。何よりも「国体の護持」つまり「天皇制維持」が大事。最低でもそれだけは条件をつけて降伏したい。

だけど、今だと「無条件降伏」しかない。せめてほんのちょっとだけでも「頑張ってから」終戦にできないか。そして「なんとか天皇制を残したい!」ということですよね。

ちなみに阿南大将はこの日の夜に自決します。その際に書いた遺書。紙に墨で書いてあって、すごい血が染みている。


一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル


昭和二十年八月十四日夜

陸軍大臣 阿南惟幾


神州不滅ヲ確信シツツ


これ読んで、涙が出て止まらなかったちきりんです。


私はそもそも涙腺が弱いんです。映画でもすぐ泣くし、どこかにぶつかって怪我した、とかでもすぐ涙がでるんですけど。

「我が死を以て罪を償いたい」と。「奉る」ってんだから、お詫びの相手は天皇陛下ですね。

すると「謝っている内容」は、「戦争に負けたこと」だよね。「戦争をしたこと」ではない。私がふがいないから負けてしまって申し訳ない、ってことでしょうか。


直前の御前会議では「本土決戦を!」と言っていた人が、「我が身を以て償いたい」と。


つまり彼も、敗戦以外の道はないと理解していた。それでも「自分のせいで(負けたせいで)天皇制が消滅する」なんて耐えられなかった。

実際には天皇制は今でも残っているわけですが、当時はそんなことは想像できなかったのでしょう。無条件降伏 = 国体変更、下手すると天皇も処刑される、と思ってたんだろうね。だから無条件降伏に反対した。


たとえ日本人が全員死んでも天皇制(神国ニッポン)を残すべきだと主張したのに、その「守るべき天皇自ら」が「もうやめましょう」と決断した。だって客観的にみてそれしかないでしょう?と。

そういう判断を天皇にさせてしまったことに、彼は自分の命を差し出すくらいではとても済まないという気持ちになったんでしょう。だから自決するしかない。


ところが最後にまた「神国が滅びないことを信じている」とか言う。わかっているけど、国体が維持できないことはわかっているけど、「信じています」と言う。

だって「天皇制が守れないことをわかっていながら敗戦を受け入れた」などということは「あってはならないこと」だから。


彼の辞世の句は、

大君の深き恵に浴みし身は

言ひ遺こすへき片言もなし


東条英機氏も「天皇には罪はない」と言い、天皇は「すべては私に責任がある」と。

なんか、やっぱ「違う宗教」だと思います。


んで、この辺りで泣いているのは私くらいでしたが、次の部屋だと泣いている人が結構いました。

特攻隊に散った若い人たちの写真とか「母上様」へのお手紙の展示が始まるので。ホント切ないです。悲しいです。みんなすごい立派な顔しているのに、こんな若い時に、「無駄に」死にに行くなんて・・・(この「無駄に」ってのが「靖国史観」と違うとこです。)

「神風特攻隊」って昭和 19年の 10月から始まってるらしい。終戦の 1年くらい前、日本には何もなくなったタイミングだったんでしょうね。

展示の大半は日本語のみの表示ですが、一部英語もあり。また、来ている人に一部「欧米系の顔と言葉の人」あり。でも靖国側には「世界に発信」という気持ちはないみたいです。英語の表示も極めて限定的だし、例の映画も日本語のみです。


資料館にたっぷり 2時間いて出てきたら・・・夕日の靖国拝殿が、なんか神々しく見えました。ちきりんも、ひとつ間違うと右翼になってしまいそうな、そんな体験でありました。

また行こうと思います。一回だときちんと見られないくらい展示が充実してるんで。結構勉強になった。


ではでは


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おまけ。お土産屋に売っていた「ポスト小泉まんじゅう」・・・例の4人の顔が描いてあるまんじゅうです。どうなのかしらね・・。

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2006-08-09 変節点

変化のパターンには、「一定のペースでの連続的変化」と「突然のジャンプ」の2種類があります。「進化と変異」とも言えますね。

人の一生も、少しずつ背が伸びたり、次第に白髪が増えていくというような連続的変化と、初潮、出産、病気、のような突然のジャンプの組み合わせで進みます。

日本の歴史をみても、経済成長や西洋化は連続的変化ですが、それ以外に戦争や開国など「突然のジャンプ」があり、非連続な変化が起こっています。

そして、企業も段階ごとにいくつかの「変節点」を乗り越えて、非連続な変化を起こしながら成長、発展していきます。


(1)自分“以外”の壁

「一人でビジネスをやる」のと、「自分以外の人を雇う」のは、全く違います。一人なら好きな仕事を、好きな量、好きなやり方でやればよいです。朝起きて「今日は休み!」と決めてもいいし、いつビジネスをたたんでも自分だけの問題です。しかし誰かを雇えば、その人への責任がでてきます。これは非連続な変化です。


(2)社員数100人の壁

「一人で管理できなくなる」規模です。数十人の会社なら、社長がすべての社員の採用面接をし、昇格の判断、ボーナス評価を自ら行うことも可能かもしれません。しかし100人を越えるとすべての人事を社長が自ら決めるのは困難になります。

すると「誰かに任せる必要」がでてくるのですが、創業社長にとっては「自分の他に重要な判断をする人がでてくる」のは、パラダイムシフトです。しかし、そういうことを任せられる仲間が見つけられないとこの壁は越えられません。


(3)1000人の壁

ここまでは「経営陣が適宜話し合って決めていく」というスタイルが可能ですが、ここからは「ルール」が必要となります。

たとえば役員報酬や管理職の給料。いままでは個々人の能力や実績を勘案して「適宜判断」をしていても、このあたりからは“人事テーブル”など「組織のルール」が必要になります。でないと個別判断には手間がかかりすぎるし、「なぜあの人だけ?」という不公平感もでてきます。

ルールができると、リーダーといえどもある程度はルールに従う必要がでてきて、たとえば自分が高く評価している部長だけを優遇する、なども難しくなります。社長なのに、俺の会社なのに、なぜルールに縛られるんだ?と思うこともでてくるでしょう。


(4)1万人の壁

いわゆる大企業への脱皮点です。この規模を超えると「組織を維持するためのエネルギー」が、「ビジネスをのためのエネルギー」と同等レベルで必要になります。巨象が自分の体重を維持するために食べ続けなくてはならないように。

管理部門という「儲けるため」ではなく「組織を維持するための部門」に、多くの人、多額の予算が必要になります。会計上の利益額も、経理(税金、減価償却、投資等の形態やタイミングの管理)、法務(契約形態。雇用形態の選択)によって大きく左右されはじめます。


(5)最後が10万人の壁

ここから先は「日本だけでは無理」です。日本は経済規模が大きいので、国内だけで通用する企業でも(4)までは可能ですが、世界市場で成功せずして10万人企業になるのは難しいと思います。例外は国鉄、電電公社などの流れを引く元公的組織のみでしょう。

★★★

これらの5つ変節点により“企業の発展段階”は下記の6段階に分れます。

(1)一人企業・・・個人事業

(2)数十名企業・・・単独リーダーの組織

(3)100名超企業・・・複数リーダーの組織

(4)1000人超企業・・・ルールにより動く組織

(5)1万人超企業・・・大企業

(6)10万人超企業・・・グローバル企業


そしてこの6段階でそれぞれ「成功するリーダー」の種類が違います。

(1)一人企業・・・・行動力とエネルギーのある人

(2)数十名企業・・・他人にコミットできる人

(3)100名超企業・・・信頼できる仲間を得られる人

(4)1000人超企業・・・組織の機関として力を発揮できる人

(5)1万人超企業・・・管理が巧く政治力に長けた人

(6)10万超企業・・・異なる価値感や多様性を取り込める人


「各段階で成功するリーダーの資質が異なる」ということは、一人で(1)から(6)まで企業を成長させるのは簡単ではない、ということです。

なので、パターンとして、(1)&(2)を創業者、(3)&(4)を二代目が担当という世代分担形もでてきます。もちろん卓越したリーダーが(1)〜(4)までひとりで実現、というケースもあります。

反対に、(1)から(2)に移行できない企業、(3)までは創業者が頑張ったが(4)になる段階で先代と二代目が反目したり、また、(4)から(5)に移行する段階で創業者社長が解任されるなど、「変節点が越えられない会社」も多数あります。


継続的な変化の部分は同じリーダーが率いていくことができるのですが、変節点を超えて成長するには、

・リーダー自身が非連続に変化する、か

・異なるリーダーを擁する

のいずれかが必要となります。


リーダー自身が非連続に変化するには「自らの成功体験を、自分で乗り越える」ことが必要で、葛藤や困難を伴うことが多いです。これがうまくいかないと、「自分のスタイルで次の段階に進みたい今のリーダー」と、「次世代のリーダーを求め始めた組織」の間で“内紛”や“お家騒動”が起こることもしばしばあります。

「自分の能力の限界を見極め、きれいな引き際を」というのは、誰にとってもとても難しいことです。しかもこれらの人は皆「大成功者」ですからね。簡単に自分の限界を認めたりしたくないし、むしろ常に自信過剰気味の人が多いので余計大変です。


人も組織も国も、大事なのは「変節点をどう乗り越えるか」です。継続的な成長は気持ちのよいものです。誰でも前向きに頑張ることができます。でも、過去を否定して非連続な変化を求められた時に、自分を変えることができるか、もしくは、引き際を見極めることができるか。これが、その組織が「次の段階」に入ることができるかどうか、を決するのです。

大事なのは「変節点マネジメント」だということですね。


ではまた明日!

2006-08-08 監禁罪は“いいご身分”の・・

また大阪で「監禁男」が捕まりましたが・・・「監禁」ってさ、他の犯罪とちがうのよね。それは、「誰にでもできる犯罪ではない」ということです。


たとえば、「殺人」も「強盗」も「詐欺」も「暴行」も、やろうと思えば「できる」という人はたくさんいる。普通の人でも、できるんです、そういう犯罪は。

でもね、監禁罪って、大人を1年以上にわたって監禁するって、誰にでもできるわけではないのです。だってさ、まずは場所が必要でしょ。「誰にも侵害されない私的空間」が必要です。

それにね、時間が必要。だってさ、相手は大人なのだから、放っておけば逃げられます。いくら鍵を外からかけたってさ、山の中の洞窟じゃあるまいし、普通の家に監禁していても、一日放っておいたら、窓割って逃げるとか、窓から大声で叫ぶとか、なんらか逃げたり人を呼んだりする方法があるよね。

だから、「見張っている時間」が必要なんです、監禁罪を犯すには。

つまり・・・働けないってことです、誰かを監禁しようと思ったら。働かずにずっと見張っている必要がある。

★★★

でもさ、働かずに、かつ、私的な空間と、あと、その他の生活費を手に入れるって、誰にでもできる話ではないでしょう?

実際今回の犯人も土木建設業者の息子で「資産家の息子」らしいし、前にも北海道の資産家の息子が東京で監禁やってたよね。新潟の犯人は、資産家ではないが、年老いたお母さんがパートで働いて息子を養っていた。

監禁ってのはね、殺人や暴行とちがって、「結構よい身分の人でないと、犯すことができない犯罪」なんです。

「お金は出してくれるけど」「口はいっさい出さない」誰かに庇護されていないと、この犯罪は犯せない。

★★★

でさ、だったら防ぐ方法があるんじゃないの?って思うけどね。

それは、金を出す方が、もうちっと気をつけるってことではないかと思う。


ほらほらそこのお父さん、息子には生活費を十分以上に与えてるけど、過去何年も息子のマンションには行ったことないって?だめだめ、一年に一度は見に行ってくださいね、ってことです。

それだけで監禁罪ってすごい減りそうだ、って思うけどね。

★★★

もっと言えばですよ、「金を出したら口を出すべき」だと思うけどね。これは、株主でも親でも納税者でも同じ。

金だけだして口をださないのは、犯罪助長行為ともいえると思う。納税して選挙いかない、株主だけど経営方針になんの声もあげない、親だけど、子供にはもう何も言えないとか。それって「やさしい」「寛容」だけではないと思う。

一種の無責任。もっといえば「悪行の幇助行為」だと思う。

★★★

それにさ、こういう「いいご身分」の人の犯罪ってのはさ、その「資金提供者」にとっては「やっぱりな」くらいなもんではないかとも思うのよね。本当に「全く想像できていなかった」っていえるだろうか??

仕事もせず、部屋にひきこもり、結婚斡旋パーティにたまーにでてますっていう「40代の息子」が、毎日何をしているのか、気にならないの?お父さん、って思います。なんかやばいかも、って思わないの??全然???って思います。


というわけで、心当たりのある方は、一度息子の出かけた後に、住居をちょこっとチェックしてみた方がいいかも、って思います。別に監禁でなくても、いろんなことがわかるんではないかと。はい。



ではね、また明日

2006-08-07 69歳の知事を選ぶ長野県

長野の田中知事が3選を前に破れました。なかなかのドラマですね。この件でおもしろいと思ったことは・・・

(1)ニュースの扱いが小さいですね。開票直後の一番気になる段階では、地上派テレビは通常番組をやっていてニュース自体がないし、そもそも事前の報道も非常に少なかった。田中が勝てないということを見越した報道体制だったのか、はたまた、「だからこそ勝てなかった」のか。この件は、彼が勝てなかったことと同根であると思えたのだが。

(2)政党の影が見えない選挙とのことですが、一応、支持政党ごとの得票率が発表されていて・・・初めて知ったのですが、共産党支持者って田中知事を支援しているのね。8割以上の支持率なんだよね。自民党と仲悪いのは知っていたけど、どっちかいうと民主党だというのは知っていたけど、共産党とのリンクがこんなに強いって知らなかった。財界人の支援で初当選した知事なのに、非常におもしろいね。このあたりも今回の結果と(因果関係は感じないが)、同根だと思う。

(3)県知事レベルで、大きな(逮捕につながるような)スキャンダルがないのに、現職が負ける、っていうのはですね、「すごい大きな不満がある」ってことのはずなんですよ。それが見えない。何が不満だったのか、というのが見えない。強引な政策運営方法っていうけど、県民にはそれは関係ないでしょ。県庁の人とか議員ならわかるけど。もっとなにか本質的に有権者が忌避したものがあるはずなのだ。なんだけど、報道の怠慢なのか、なんらか理由があるのか、よく見えない。地方のニュースって見えないもんだよね。このあたり理解したいのだが。

(4)勝った人もねえ・・・「いい人だ」「優秀らしい」以外に何もないような人だね。まあ、(3)で書いたように「田中が負けた」であって、彼が勝ったわけでもないのでいーんですが。この人も69才。総裁選出馬を取り下げた福田さんと同じ年齢。


ちきりんはね、この人がどんなすばらしい人であったとしても、トップになったということには「あーあ」です。

年齢がすべてではないという意見も、若さは人それぞれという意見もわかる。しかし、今、この国は、リーダーポジションに69才の人をつけてはいけない国だと思う。

これはもう「感覚的な意見」ですが。できれば40代の人に、ぎりぎりでも50代前半までの人にまかせるべきだ。これホントやばいのだ。これから「暇で有能な60代の人」が大量に出現するのだ。ほっとくと本当、牛耳られてしまう、と思う。

(5) 田中前知事の選挙中のつぶやき。「なんで政策の無い相手候補の支持率がこんなに高いのか理解できない」・・・あああ。「政策の中身など何もなかった」6年前のあなたを熱狂をもって迎えた有権者の気持ちを忘れちゃ勝てないでしょーが。ねえ。


んではまた。

2006-08-06 文庫本

とても好きで、不思議な文章がある。各社の文庫本の最後の方にある一ページ。文庫本シリーズの発刊にあたって、各社のトップが記した「決意文」みたいなやつね。下記は角川書店のですが、新潮文庫にもあるし、別の文庫でも見たことある。

これ、「すんごい小さい字」で書いてあって、旧仮名遣いで、時に読むのに「虫眼鏡がいる」状態なんですが、文章自体はどれも格調高く洗練されていて、心打つ文章が多く、ここの文章を読むのが、また、読み比べるのが、大好きなちきりんです。

★★★

これ不思議なのは、最近はやりの「新書」シリーズにはこういう文章がないってこと。単行本にはもちろんないのですが、なんで「文庫だけ」、各社が決意表明文?を書いているのか?ってのもなかなかに興味深いです。文庫本という体裁の出版が始まった時、たぶん、何か深い?社会背景とか出版人の思いの凝縮であったとか、なにか背景があるんだと思います。

あと、「円本」と言われていたものと文庫本というものが「同じもの」なのかどうかも、ちきりんは知らないのですが、このあたり「出版と言論の戦後史」みたいな“新書”があれば、是非読んでみたいものです。

というわけで、今日は角川のをご紹介。他社のと比べてこれが一番好きなわけではないのですが、今読んでいる本、すなわち手元にある文庫が角川のものなので、これを転載します。他社のはまた別の機会に。

★★★


角川文庫発刊に際して

角川源義


第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。
私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花にすぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。

西洋近代文化の摂取にとって、明治以来八十年の歳月は決して短すぎたとはいえない。にもかかわらず、近代文化の伝統を確立し、自由な批判と柔軟な良識に富む文化層として自らを形成することに私たちは失敗してきた。そしてこれは、各層への文化の普及浸透を任務とする出版人の責任でもあった。

 一九四五年以来、私たちは再び振り出しに戻り、第一歩から踏み出すことを余儀なくされた。これは大きな不幸ではあるが、反面、これまでの混沌・未熟・歪曲の中にあった我が国の文化に秩序と確たる基礎を齎らすためには絶好の機会でもある。

角川書店は、このような祖国の文化的危機にあたり、微力をも顧みず再建の礎石足るべき抱負と決意とをもって出発したが、ここに創立以来の念願を果たすべく角川文庫を発刊する。

これまで刊行されたあらゆる全集叢書文庫類の長所と短所とを検討し、古今東西の不朽の典籍を、良心的編集のもとに、廉価に、そして書架にふさわしい美本として、多くのひとびとに提供しようとする。

しかし私たちは徒に百科全書的な知識のジレッタントを作ることを目的とせず、あくまで祖国の文化に秩序と再建への道を示し、この文庫を角川書店の栄えある事業として、今後永久に継続発展せしめ、学芸と教養との殿堂として大成せんことを期したい。

多くの読書子の愛情ある忠言と支持とによって、この希望と抱負を完遂せしめられんことを願う。



一九四九年五月三日


★★★

最初の一文は名文だよね。あの戦争で破れたものは、軍事力ではなく若い文化力であったと。出版人の視点で言えば、当然にそう表されるべきであったろう。あの時、敗北を喫したものは、私たちのなんだったのか、それぞれの立場の人たちが、それぞれに胸に刻んだのだと思う。


ちきりんは文庫本好きだ。値段が手頃で持ち運びに便利な大きさと重さで、あと、紙質が好きです。きれいだけどレトロでしょ。昔の文庫本の紙に比べると圧倒的に「きれい」なんですけど、それでも「知性の質素さ」を体現している感じの紙質だよね。

最近は新書がはやりだけれど、文庫本って、何かを伝えようとしている気がするよ。上の文章にも決意があふれているでしょう?「創立以来の念願を果たすべく角川文庫を発刊」とか「この文庫を角川書店の栄えある事業として、今後永久に継続発展せしめ」とか。



今日は、広島に大きな爆弾の落ちた日です。生活のどこかに、この時代のことを思わせるものが密かに埋められているのは、悪くない、と思うだよ。


んではね。

2006-08-05 分を知る

ファッション雑誌のコピーに「プチセレブな通勤ウエア」というのがあって笑えました。まじめに書いてるのか、ダジャレなのか。

そもそも通勤するのは“セレブ”じゃなくて“会社員”です。これじゃあそのうち、「プチセレブな消費者金融とのつきあい方」とか「プチセレブのロト6必勝法」が特集されるかもしれない。

とある高級アパレル会社の人が「うちのドレスを買って、クリーニングに出したら縮んだとクレームをつけてくるお客さんがいて困る」と言ってました。

彼曰く「うちのドレスは、洗濯して何度も着ることを前提として作ってない」とのこと。数回着たら次のドレスを買う人を想定して作られた服を、「これは高かったから・・」とイベントごとに着て、クリーニングに出して、太ったらサイズ直しにまで出してくる。高級ブランドの服ってそういう着方が前提とされていないからこそ実現できるデザインや素材を採用しているのに。


外反母趾も同じでしょう。足先がほそいハイヒールを長時間はいていると親指が曲がってきて、ひどくなると手術が必要になる。

本来「ハイヒールをはいて、毎日地下鉄を乗り継いで通勤する」や「ハイヒールを履いて一日中働いている」のは想定外です。もともとああいう靴は「不労所得」で食べている人のために作られていて、お出かけは馬車かハイヤー、舞踏会(遊びのイベント)の間だけハイヒールをはくと想定されている。

身も蓋もない言い方ですが、労働者層の人が貴族向けの靴を無理して一日中履いているから、足の指が曲がってしまう。

毛皮も同じですね。あれ着て満員の地下鉄にのる人を見ますけど、周りの人にも毛がついて迷惑だし、毛皮もすり切れます。そもそも「着て公共交通機関に乗る」ことが想定されてない素材なのです。


ちきりんは、日本の総中流意識とこの「局地的に頑張る」一点豪華主義的な消費スタイルは、奥底でつながっていると感じます。「母親がスーパーのレジパートで働いて、子供を中高一貫の進学校に通わせる」のも一点豪華主義のこだわりですが、社会クラスが明確な社会ではこういうことは起こらない。一部だけ背伸びしても「ひっくりかえせないものがある」と皆がわかっているからです。

総中流社会には“分”という概念がない。みんな同じ“分”だから、あるものが手に入るか手に入らないかは資金力だけの問題だと理解される。だから資金を一点に集中させたら自分にも手に入るはず、という話になり、それが「局地的に(たとえば“子供だけには”)集中して頑張る」という方法論につながっているのではないでしょうか。

でもそういう頑張りは、長期的にはどこかで無理がでるんじゃないかと思うのです。ハイヒール履いて一日働くなら大丈夫だけど、ずっとそんなことやってると足がゆがんでしまうのと同じように。


三浦展氏がベストセラー「下流社会」の中で、下流の特徴は経済力のなさではなく、むしろ上昇意欲のなさだと指摘されていました。確かにそうかもしれないと思います。

でも、それは必ずしも悪いことではないでしょう。「分を知る」というのは、気楽に楽しく生きる方法であり、自分を守る方法ともいえる。無理してブランドモノの鞄を買わなければ、その分、生活には余裕ができるのだから。


ちきりんは最近、自分の“分”を見極めて、そのあたりで生きていきたいとよく思います。以前は“分”を超えようとすること=「志を高く持ち、前向きに努力する」であり、それが成長につながったり、よりよい自分につながることかなと思っていたけど、最近は「ちょっと違うかも」と思います。

“分”を超えようと努力するのは一見いいことに見えるけど、結局は長い間にストレスが溜まる結果にはならないか。無理して背伸びを続けるのは、毛皮を着て地下鉄に乗るような滑稽な話なのではあるまいか、と感じるのです。

自分の分を知り、そのあたりの範囲で生きることは、自然で無理がかからない。それを見極めてその範囲で人生を楽しもうとすることを「下流思考」といわれるなら、それも甘んじて受け入れよう、と。そんなふうに思います。


ではでは


2006-08-04 病を受け止めるということ:王監督

王監督の一連の記者会見を見ていて、頭が下がるというか、舌を巻くというか、ほんと感服します。自分が66才になった時に同じ振る舞いができるか・・・いやいや「世界の王」と自分を比べるなんて不遜もいいとこなんですけどね、


週刊誌には、王監督が入院後かつ手術前に病院を抜け出して銀座のなじみの料理屋を訪ねたと書いてありましたが、「抜け出した」などというのはありえないことで、当然医師もご存じでしょう。

「早期の胃ガン」といいつつ「全摘出」なわけで、「胃がない」という状態になれば「もう一生、普通の食事はできないかも」くらいのことを覚悟する必要、もしくは瞬間、があるわけです。

だから、病気ではあっても、手術の前に「最後にあれを食べておきたい」「最後の(普通の)食事を楽しんでおきたい」という気持ちはすごく切実なものだったと思う。


そして手術後の会見で彼は「テレビを見ていて食べ物がうつると、いつかあれを食べられるようになるぞ!」と心に誓っていると言っていた。これも、すごい発言だと思うわけです。

胃がなくなるということは、消化ができないということだから、最初はおかゆとかすりつぶし系のものとか消化の非常に楽なものばかりを食べることになるんだと思うんです。加えて、普通の量を食べたりはできないし、普通の大きさでも食べにくくなるのかもしれない。

たとえば胃を全摘した時点から、「一生」焼き肉は食べられない!となるかもしれない。

ただし実は、人間の体は生きているので、胃がなくなっても、小腸の一部が胃の代わりにふくらんで消化機能を担ったりと、一部そういう「再生的な動き」はあるわけです。でも、だからといって、じゃあ、焼き肉ががんがん食べられるようになるか?といえば、それはやっぱりとても厳しい。まあ王監督の場合、もとプロ選手だし、体の鍛え方が普通の人とは違うから、それも可能なのかもしれないけど。

いずれにせよ、彼は「俺は食べる機能を、元に戻すぞ」という決意を、たんたんと述べたわけです。


たとえ早期であっても胃にガンが見つかった時点で、「もう、一生普通の食事を楽しめないかも」となるということなわけですが、それでも「幸せなほう」かもしれない。とりあえずは「命云々の前に打つ手がある」ということだから。

でもね、自分だったら・・・と考えると、ほんと落ち込むと思うし泣きたくなると思うし、何も前向きになんて考えられなくなりそう。

そういう状態の時に、「いつかああいうものが食べられるようになるぞ、と思ってるんですよ」といえる王監督。

すごいよな〜、この人は。と思いました。お涙頂戴にも、悲壮感にも、カラ元気にもせず、淡々とそういうこといえるのが、すごいなあと。


手術の報告記者会見で医師の方が、出血量が非常に少なかったとおっしゃっていました。特殊な技術の手術であったと理解しています。

「外科手術」ってのは、ものすごい「原始的」な方法なわけです。実は医学ってのは案外進歩してないよね。基本的に「悪いところが見つかったら切る」しかないなんて。進歩したのは、「切る時の痛みを感じないようにする麻酔」とか「どこを切ればいいかをわかりやすく見るMRI」とか、そういう技術ばっかで、結局は「人間の体のどこかが機能しない→捨てましょう!」みたいな話なんです。

こういう「患者への負担がもっとも重い」方法論である「外科処方」がいつか医学の中心ではなくなる日が、早くやってきてほしい。と思います。


王監督は、その人生において、大変なことがたくさんあったでしょう。そんな中でこれだけの成果をあげ、かつその姿勢において、あれだけの人徳を示せるってのはすごいと思います。

ちきりんも(比べるなって?)、二十余年後に「胃ガンです。胃を全摘しますよ」と言われた時に、同じような態度をとれる人になっていられたら、すごい進歩であるよなあ、と思います。

とてもなれそうにない気がするよ。そうなるためには、何が必要なんですかね。どういう経験なり生活なりが必要で、どういう心がけで生きていけばよいのでしょうか。そういう成長をしていきたいよねえと思います。


んではまた。

2006-08-03 下流社会

久々に「おもしろい!」本に“あたり”ました。三浦展さんの「下流社会」という本です。最初に話題になったのはもう半年くらい前かもしれません。

多くの含蓄・洞察があり、300ページ弱で780円、読む時間は3時間くらい・・価値あるお金と時間の使い方だったと思います。(←なんだか発想が下流的ですが)


何がおもしろかったかというと、まずは

「自分らしく」症候群が、「下流社会」の源泉である、という洞察。

いわゆる団塊ジュニア層=30才前半の人の層が、“やたらと”「自分らしく生きたい!」と言う傾向が強いと。この点は多分この本より前に指摘している人がいますが、ではこの「自分らしく症候群」はどこからきたのか、という話が新しい。

実は団塊世代(これから数年で定年する世代です)が、最初に「自分らしく生きたい!」を言い出した世代なんです。でも、この世代がそれを言い出した時代は、すべての人に“全国民は日本の高度成長のための従順でタフな歯車たれ!”という大号令がかかっていた時代なのです。

そういう、モーレツサラリーマンの道を否定することがほとんど不可能だった時代に、滅私奉公的な働き方の中にも“なにかしら自分らしい味付け”を探していく、そういう試みが「自分らしく生きよう」運動(思想)だったわけです。

したがって、その世代の人達にとって「自分らしく生きる」のは、単に歯車になりさがるのにくらべて圧倒的に大きなエネルギーが必要とされる生き方であり、社会との戦い、抵抗運動のスローガンとしての生き方論、だったのです。


で、この人たちが親として教師として子世代を育てる際に「自分らしく生きることの価値」を強く説いた。そのために、団塊ジュニア世代に「私らしく症候群」が受け継がれた。

ところが団塊ジュニア世代は親世代と違って、「お国の復興のための歯車たれ!」などというプレッシャーは全く受けていない。

だから「自分らしく生きる」のは、親世代にとっては“社会への抵抗”であったのだけど、この世代にとっては“社会がどうであれ、自分には関係ない”みたいな生き方として伝わってしまった。で、いわゆる「上昇志向」を失ったセグメントがでてきたと。そういう話です。

説得力あるなあと思いました。なるほどね〜です。


自分らしく生きること」の難易度が大きく変わったわけですね。昔はすごくエネルギーが要る生き方だったのに、今はすごくエネルギーレベルが低くてもよい生き方になった。

エネルギーレベルの高い昔の「自分らしく生きた人」は勝ち組(中の上の層を獲得)となり、エネルギーレベルの低い今の「自分らしく派」は下流となっている、というわけです。


ちなみに、ちきりんは、団塊と団塊ジュニアの間にいる「新人類世代」で、この世代は「昭和ヒト桁生まれ父親」の世代に育てられてます。昭和ヒト桁世代は「自分らしく生きろ」などとは言いません。社会規範や道徳観、家族観の規範の中で生きた世代ですから。

なので、その子供である新人類世代は「ぐだぐだわがまま言わずに働け!」という考えで育てられています。実際に「頑張れば報われた最後の世代」でもあり、頑張ることに肯定的です。

なので下流に向かいにくい。そして「自分らしく派」が口にする「自分探し」だとか「自己実現」などという言葉を忌み嫌っています。「甘えてる」とか「世間知らず」と言ってね。ここでも「親の世代の意識」が「子供世代の意識」に引き継がれているように思えます。


もうひとつおもしろい点。下流というのは経済力の話としてよく語られますが、この本の中で、経済力は「結果」であり、むしろ「上昇志向」「エネルギーレベル」がないのがそもそも“下流になる原因”だと指摘されています。

で、結果として経済力がなくなるのだが、それを気にするそぶりもない層のことを下流と呼ぶのだと。そうなると、極端なこと言えば「引きこもるのが俺らしい生き方なんだ」という理屈もありうるわけです。

この理屈に沿えば、自分の子供をニートやフリーター、それを含む下流層にしたくなければ、「自分らしく生きろ」とか「自分のやりたいことを見つけろ」とか言わない方がいい、ということになります。が、まあ行き過ぎると暴れられたり(最近あった事件では)自宅に放火されたりしちゃうし、難しいところです。

とにかくこの本では「自分らしく症候群」が下流社会発生の根本原因としてとりあげられており、それが親世代の育て方から影響を受けたものだと解説されています。この点はおもしろかったです。


★★★

他にも興味深い着眼がいくつかありました。下流の人が「動かなくなっている」という話。地元の大学に行くというレベルの話ではなく、例えば東京でも「生まれた街の私鉄沿線の大学に進学する」みたいになってると。

これ、ほんとそうなってるよね。小学校から大学まで、そして遊びに行く街まで、全部「○○線沿線の街」になってる人いそうです。

地方に住んでいて、「東京で学生生活を送りたい」と思うと高いエネルギーが必要なわけです。めんどうだからそんなことしたくない。「地元でのんびり暮らすのが、オレ流」であり、それにたいして「自分らしい」という免罪符もある。

こうなると「自分らしく生きる人」というのは、別の見方をすれば単に(未知の世界に挑戦する意欲も行動力もない)「エネルギーレベルの低い人」であり、もっと批判的に言えば「怠け者」にすぎない。

なんだけど、「自分らしく生きる」という免罪符を手に入れてるから、やたらポジティブに聞こえる、そんな感じです。


長くなるのでもう止めましょう。

もちろん世代論は、「この世代はこんな感じ」と言っても「例外無し」というのはありえない。ちきりんとしても「?」な点もいくつかありました。

また、女性に関する分析は特に難しいと感じました。夫の給与が高いのも自分の給与が高いのも、いずれも女性にとって自分の「上流意識」に貢献するんですが、このふたつの意識が必ずしも同じでないから「上流意識をもっている女性」という分析では、全く異なるふたつのグループが混じってしまう。この辺は将来の分析に期待したいです。


ではでは


2006-08-02 みんな無駄が議論が好きだね・・・

日経新聞が天皇の“お言葉メモ”とやらをスクープしました。「昭和天皇は靖国へのA級戦犯合祀は不愉快」との当時の富田宮内庁長官のメモが発見された!とのこと。

メモの真贋について既に議論が噴出しているし、報道内容も細かい点を誤魔化したりしており、信頼に足る内容なのかどうかもよくわかりません。

ただ、この時期の「日経新聞」のスクープ、というのが意味があります。つまり「靖国問題で中国との関係を悪くしたくない」財界が、小泉首相や次の首相の靖国参拝を阻止したいと考え、財界御用新聞である日経新聞に報道させた、という感じでしょうか。

いずれにせよ、その後を見ていると報道の大きさにちょっとたじろいでしまいます。


そもそも今や天皇は象徴に過ぎず、彼の意見は普通の人の意見以上の意味は全く持たないはずなのに、なんで、こんなに「天皇の御心」とかいうものが重要視されるのか?ちきりんにはまずここが理解できません。

「天皇は神」という教育を受けた世代は、既に70才とか、かなりの年齢のはず。ということは、今テレビで議論している人の大半は、生まれた時から「天皇は象徴」ですよね。

そういう人達が天皇陛下の意見について「これは尊重すべきおおみごころ」と報道し、自分達が選挙で(間接的とはいえ)選んだ首相の行動より優先すべきように言うのはどうなんだろ??


ちきりんもこれを「当時の天皇陛下のお気持ちの分析」に使うというなら反対はしないし、そういう研究には画期的な発見なのかもしれないとは思うけど、「現代において私たちがどう生きるか」について、何かの示唆ととる必要は全くないと思う。ところがテレビでは「これで小泉首相は参拝しにくくなるでしょうか?」みたいな議論が盛んに行われてる。不思議なことです。



次に東京裁判の解釈に関して。これも皆、すごい真剣で驚く。

東京裁判は、勝者の裁判とか事後立法とかいろいろ問題が指摘されてますが、そんなこといわれるまでもなく、こんな裁判が正当だと思っている日本人はほとんどいないでしょう。そんなこと議論する必要さえあるのか?って思います。

なんだけど、こだわる人も多いよね。例えば「戦犯」という言葉、「東京裁判を認めない立場」としては「戦犯という言葉は使わない」んだそうです。こういうのって・・・実質的な議論というより、言葉へのこだわりにしか見えません。


だって・・・・戦争に負けたんだからしゃーないじゃん?不当な裁判されるとか、仕方ないでしょーが。それの正当性を云々するって時間の無駄じゃない??

極端な人なんて「我が国で自主的に裁判をやり直すべきだ」とか「東京裁判の結果を受け入れることを前提としたサンフランシスコ条約の締結の是非は・・・」みたいな議論するんだよね。

超実務的なちきりんには、そんなこと今更蒸し返してなんの意味があるのか、マジでわかりません。というわけで、ちきりん的にはこれも全くこだわりがもてない。どうせ戦勝国が勝手にやった裁判なんです。放っておけばいいじゃない。言わせておけばいいじゃない、と思う。



さらにいえば「天皇が戦争を避けたがっていたか否か・・・」的な議論も皆さん好きですね。つきつめれば、「天皇に戦争責任があるのか」「いやいや、軍部の暴走を天皇はできる限り止めようとしたけど、無理だったのだ」みたいな議論です。

これも・・・どーでもいいじゃん、と思ってしまうちきりんですが、一部の人にはすんごい大事なことらしい。


ちきりんに言わせれば、「もう死んだ人のことだし」「たとえ責任があったとしても、今から何も変わらないし」「どうせ真実はわからないし」どーでもいいじゃん、です。

戦争責任があったか?と言われたら、あるに決まってるでしょ。でも「彼だけに全責任があるか?」って言われたら、「そんなはずはない」って思う人が大半なんじゃない?

それ以上、いったい何を議論したいのかさえよくわからない。

不思議です。



ではまた明日

2006-08-01 南北の窓

最近、スカパー!の基本パックにKBS Worldという番組が追加されてて、よく見るんですけどね、これがなかなか「味わい深い」番組をやってます。KBSってのは、韓国のNHKです。でもCMはあります。番組の途中にはないけど、番組と番組の間ならCMはいれてもいいみたいです。

最近、NHKも海外向けチャンネルを充実すべきっていう議論がでてるでしょ。あれ、ちきりん賛成です。日本もちゃんと「発信」の努力をすべきだと思うです。

★★★

ニュース放送なんかは時差無し地域だから、そのまま同じモノを流しているみたいです。(時差1時間あるんだっけ?)。このニュースは字幕が入らないので(生だから・・)ちょっと難しいです。ドラマやドキュメンタリーなどはすべて日本語の字幕が入ってます。のど自慢とか朝のドラマとか・・・まさにNHKです。(視聴料金制度がどうなっているのか、知らんです。)


んで、このKBS Worldで、ちきりんが一番気に入っているのが「南北の窓」という30分番組です。べたな番組名でしょ〜。


南北の窓、だよ、。南北のね。

★★★

だいたい想像されている通りの内容だと思います。女性と男性の一組のアナウンサーが、北朝鮮絡みのニュースをいくつか紹介していきます。その「トーン」が非常におもしろい、です。


先週の番組では、たとえば、北朝鮮からの脱北者の人が貧しくて、歯が痛くても治療ができないと。んで、それを助けてあげてるボランティアの歯医者さんを特集したりしてます。韓国では歯の治療には保険がききません。(これはとても合理的で、日本もそうすればいいのです。保険がきかなければ親は子供に必死で歯磨きをさせます。でも、それでは「虫歯で苦しむ人が減ってしまって」「歯医者さんは困る」ので、日本歯科医師学会が橋本派に多額の献金をするのです。・・・おっと話ずれすぎ。)

話戻します。


顔をモザイクで隠された脱北者の女性が、「もう、この先生がいなければ私は生きていけませんでした」と涙ぐむ。歯の治療だけでなく、子供のこととか、生活のこととか、いろいろ相談にのってもらっているとのこと。ふううん。

みたいなニュースを5,6本、30分間の間に流してます。

★★★

あと、「北朝鮮では食糧不足の足しにしようと、子供達がナマズを育てることに挑戦しています」とか、「○月○日には、故金日成総書記の“宣伝”映画がテレビで流されました。」とか。


食糧不足であることとか、“宣伝”映画であることとか、その辺はもちろん「客観的」です。でも、なんつーか、不必要に非難的だったりはしないわけです。たとえば、日本のニュースが、日本のとある地域の水害の様子を伝えるのと同じような感じです。たんたんと報道するんです。しゃべり方もあの北朝鮮ニュースの「演説調」とは全く違いますが、同時に韓国の普通のニュースの「報道系」でもないんだよね。一番近いのは、小学校や中学校で教材として見せられるビデオ。ああいう「無色透明な」「淡々とした」トーンでの報道です。

「ミサイル発射で世界の批判が強まっており、南北○級会談が延期されました。」「あ〜そーですか〜、がんばってほしいですね〜」みたいな感じ。なんつーか、不思議で目が離せない感じのニュースです、はい。

★★★


なんだけど・・・やっぱり何らか情報を得れば人間というのは親近感を感じるわけで、全然関係ないちきりんでさえ「ああ、早く南北統一できたらな〜」とか思っちゃったりします。「ああ、脱北者の人嬉し〜だろ〜な〜、こんな歯医者さんがいたらね〜」とか。


なんつーか、微妙に良い人になれる気分。不思議な番組です、スカパー!ご覧の方、一度見てみてください。「ちきりんが好きなテンポ」がどーゆーものか、わかって頂けるかなと思います。あっ、でも、んなもんどーでもいーですかね、いやかなりの確率で「どーでもいい」と思いますけど。でも「微妙に」「楽しい」番組です、はい。





ではまた明日