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Chikirinの日記 RSSフィード

2006-11-27 必要最小限であるべきもの

先日読んだ本の感想の続きです。消費者金融について。

闇金の金利、30%で一定額借りたら、しかも、押し貸しとかされたら・・・「一回はまったらアウト」ですよね。だったら、最初に足を踏み入れる理由は何なのか?を考えてみようと思います。最初にハマってしまう原因がつぶせたら問題が根本から改善できるかなと思って。

いったい一番最初に、いわゆる「上場会社のサラ金」からお金を借りるってのは、何が原因なのか?(最初から「闇金から借りる」って人はいないだろうと思うので。)


3つにわけて考えてみた。

(1)生死に関わるほど困って借りた。

(2)生死には関わらないけど、生活に困って借りた。

(3)生死にも関わらないし、生活にも困ってないけど、借りた。


まず(1)生死に関わるほど困って借りた。ってのは、たとえば、稼ぎ頭の人が病気や怪我、もしくはリストラや破産で失業し、同レベルの次の仕事が見つけられない場合。また、離婚や死別で働き手を失い、小さな子供がいて働けないとかもあるでしょう。

主要因は「収入が途絶える」ことですが「突発的な支出」もセットで起こる場合が多い。それに加え、「蓄えや備えがない」とか「助けてくれる頼れる身内がいない」ということもあるからお金を借りることになるのでしょう。

このうち、「収入が途絶える」「突発的な支出」は防ぎようがない。いくら気を付けていても病気や怪我はありえるし、リストラされるかもしれない。ある程度蓄えておくべきというのは簡単だけど、でも健康で働いている時から「カツカツ」で、蓄えはとても無理という収入の人も一定数います。

こういう場合、銀行はお金貸さなそう。なので彼らがサラ金に駆け込まなくていいようにするには「社会福祉による救済」しかなさそうです。生活保護か緊急生活融資かね。

★★★

次は、(2)生死には関わらないけど、生活に困っているから借りた、という人達。

たとえば、3年ごとに車買い換えながらサラ金から借りてるとか、子供を中高一貫の私立校に通わせながら借りてるとか、飲みに行ったり風俗行ったりしつつ、借りてる、ついつい流行の洋服やバックを買ってしまいつつ借りてる、そういう人たちです。

「毎月赤字!」と言いつつ、いろいろ贅沢したり見栄をはった支出をしている。こういう人たちも結構いるだろうなって思います。


そういう場合ですね、冷たい言い方ですが本当は、

サラ金で借りる前に、子供は公立校に転校させるべきだし、家は手放すべき(売却してもローンが返せない場合、小さいアパートに引っ越して、今のを貸すとか)だよね。で、外食もやめて生活費も徹底的に削減すべき。ペットボトル飲料なんて買っちゃいけないですよ。水道のお水飲みましょう。


と、思う。簡単にお金借りちゃだめです。


ではこの(2)のケースの対策は?

例えば、サラ金で初めて借りようと思ったら最初に必ず1時間のビデオを見なくちゃいけないようにしちゃえば?しかも家族全員で。そのビデオでは「年利30%で借りると何が起こるか」ということと、「貴方の生活でここを諦めればこれだけ支出は抑えられますよ」っていう方法論の紹介をする。

最近、煙草もパッケージにこわーい警告文が書いてあるじゃない?あれと同じようにサラ金も「警告ビデオ」見ないと借りられないようにしちゃえばいい。最近煙草のCMってテレビであまり見ないです。多分昼間は禁止されてるんだと思う。サラ金も自主規制ではなく、テレビCMは規制すべきだと思うです。


予防教育も大事ですよね。そもそも「夫の収入が6割になったら払えない額」の住宅ローンを組むべきではないと思う。これは不動産会社や銀行も問題。あんなめいっぱいなローン組ませてマンション買わせて、無茶です。何か一つでも不幸があったら払えないような額のローンって変でしょ。そういうこと、ちゃんと教えるべきだ。高校くらいで。

★★★

さて、(3)。困ってないのに借りる人?

そんな人いないと思います?いるんですよね。まずは「借りる方が得」と思ってる人がいます。

よく言われるのは「夜中に銀行でお金おろすと、ATM手数料が210円かかるけど、サラ金で借りてすぐに返すと100円の利子で済む」という話。最近のサラ金には「最初の1週間無利子」ってのもあり、すごく得だという人が言う。でも「上手に使えばサラ金のほうが得く」というのは、結構「はめられてる」よね。このあたり教育問題です。

もうひとつ。「毎月少しずつ貯めてから買う」のと「買ってから、毎月少しずつ返す」というのが「同じ」だと思ってる人もいる。う〜〜〜む。「それは全然違うことなのよ!」と誰が教えればいいのか。

それとキャッシュフローの問題と損益計算書の問題が区別できてない人がいる。「1週間後が給料日なのだが、今日飲みにいくお金がないので、“とりあえず”借りる」という人だ。これを「キャッシュフローの問題だ」と思っている人がいる。「今日はないが、1週間後にはあるのだから」「単なるつなぎ融資」みたいに思ってる人がいる。

ちがうってば。あなたがこの1ヶ月で使う額は、給与以上になってるじゃん!それはキャッシュフローの問題ではありません。つなぎ融資ではありません。収入以上使ってる、という問題だ。ってことを誰が教えればいいのだろう?


こういうケースでは予防のための教育はもちろん大事だが、消費者金融に関してマーケティング的な営業手法を一切禁止する必要があるのではないかと思う。最初の利子を無料化するとか、24時間オープンの無人貸出機とかは禁止すべきだ。

特定商品についてはローンでの販売自体を禁止すべきだ。着物とか布団とか英会話教材とか、ローンで買う必要はないでしょ。車も特定車種(趣味性の高いもの)に関しては、頭金を4割入れないとローンを組ませないとかいう法律にしてしまえばいい、と思う。(いろんな業界が反対しそうな意見ですね。)


まとめると、対策としては下記が必要だと思う。

(1)社会福祉(=税金)による救済

(2)予防教育&直前警告システムの法制化

(3)予防教育&営業・マーケティング手法の制限の法制化



確かに“金貸し”ってのは太古から存在する商売ではあるんです。売春と同じだとよく言われる。「どの国にも、どの時代にも」必ず存在する。

しかしながら、この商売の存在自体について「必要最小限であるべきだ」「できるだけ少ない方がよいのだ」という感覚を社会の合意として持つべき、というのが、ちきりんの結論です。

反対に言えば、サラ金を上場させた80年代の判断が最大の問題であったと思うです。上場するってのは「どんどん利益をあげる」ことを社会が求める、ということです。それはこの商売をミニマムに、という思想とは真っ向から対立する考え方を認めてしまうことであったわけです。


当時何に流されたのか、ってのはよくわかる。上の対策を本当に実施すれば「困る人たち」が沢山いる。不動産も車も売れなくなるし、バカ高い授業料の私立学校も経営が危うくなるかもしれない。

すべての人が「収入の範囲で支出する」生活に戻ったら、日本は世界第2位の経済大国ではなくなるかもしれない。

それでも「サラ金に上場させて、どんどん業界が大きな利益を出し続けることを期待する社会」ってのは変だと思う。そこからこの話はおかしくなってきたのだ、とちきりんは思っている。


そんじゃあね。

2006-11-26 マンションの間取り

さて、すごい量の韓国ドラマを見ているちきりんなのですが、ドラマを通して社会風俗系のことで学ぶことが多い。今日は、家のレイアウトの話。まずは下の図をご覧ください。

f:id:Chikirin:20061126144349j:image:w400

左側が韓国ドラマに出てくる「韓国の昔の家」です。現代では、「ソウル郊外の貧乏な家」という設定でも同じようなレイアウトの家がよく出てきます。つまり、昔風、お金がない、伝統的な古い家、ってのが左側のような作りをしているみたいです。

門を入るとすぐ中庭です。緑にしたところね。中庭といっても庭がデザインされているわけではなく、単なる空き地みたいな感じです。井戸があることが多いです。総ての部屋はこの中庭を囲むように配置されていて、行き来には中庭を靴を履いて動くことが必要です。

★★★

中庭で体操をしていたり、煮炊きをしていたりってこともあります。近所の人が来ても、たいていここで話します。夏は中庭に面した入り口を開け放っていることもあるようです。まあ、屋外リビングみたいなイメージです。

各部屋は、中庭から一段高いところに床があるんで(下はオンドル=床暖房)、一段上がる感じで部屋に入ります。

ん〜、プライバシーは結構保たれるよね。だから下宿人を置いていたり、息子が結婚してもどこかの部屋に住んだりしてます。

★★★

おもしろいのは右側です。こちらは「ソウルの普通のマンション」としてよく登場するレイアウトです。日本のマンションと全く違うのは、玄関を入るとすぐ「リビング」があるってこと。廊下がないんだよね、韓国のマンションって・・・(いや、現実は知りませんよ。あくまでドラマの中にでてくる韓国のマンションには廊下がない。)

これは、日本と比べると「?」ですが、実は欧米も廊下のないマンションはたくさんあります。よほどの大きなマンションでない限り、玄関を開けるとすぐリビングってのが多いです。

これね、日本人的には、うーむだよね。宅配便を受け取るだけでも「リビング丸見え」なところで受け取りたくないよね。でも、韓国では、リビングはあくまで「外」であって、プライバシーの部分はそのリビングの周辺にある「個室」の中にあるべき、って考えみたいです。だから、リビングは外の人にも開放されているイメージ。


この左と右を見ると・・・似てるでしょ?レイアウトが。


昔の家とマンションのレイアウトがやっぱ似てるわけです。

で、じゃあ日本はどうか?と。

★★★

f:id:Chikirin:20061126143719j:image:w400

左側は、とりあえず、ちきりんの実家です。昔の日本の家の例として。ん〜、築50年以上だと思う。場所は田舎です。(ホントは母屋側に二階がありますが、それは省略。)

で、右側は日本で圧倒的に多いマンションの間取りを書いてみました。こんなんでしょ、たいてい。

でね、ちきりん実家の母屋のレイアウトと・・・マンション似てるでしょ。玄関があって廊下があって、両脇に部屋、一番奥にリビング、っていう配置です。日本でも、マンションのレイアウトは、昔の日本の家から、その基本構造を引き継いでいると思うわけです。

だから、日本と韓国のマンションのレイアウトは、かなり違う、って結果になっている。

★★★

それとね、この配置の日本と韓国の違いはなかなかに奥深い。まず、リビングの配置が正反対です。玄関から最も遠いところにリビングを配置する日本と、玄関ドア開けたらすぐリビングの韓国。

リビングというものの持つ意味が違うって気がする。もしくは、「家族とご近所」の「距離感」が違うんだろうと思う。

韓国では「リビングはパブリックスペース」で、家族や家族以外の人(客人)が集う場所、っていう扱いだ。でも、日本では「家族(だけ)がくつろぐ場所」だよね。いわば「インナースペース」だと。

そして、個室は、韓国では「個人のプライベート・スペース」だけど、日本では「寝るだけ」の場所だし、往々にして「共用目的」でも使われる。

★★★

これは「家族メンバー間の関係」もかなり違うってことだと思う。日本は玄関や廊下があって、「外部から内部が見えないように」というレイアウトでありながら、内部の部屋同士は「直接つながってる」場合も多い。

韓国のレイアウトだと、個々人の居室は、かなり独立している。家族同士といえども、パブリックスペースである居間を通して(のみ)向かい合うことになる。話がしたければ居間に呼び出すのよね、他の家族を。

日本だと「両親の部屋」というより「リビング脇の和室」だし、「子供部屋」というより「家族の物置部屋」だったりする、「個人居室と言いつつ、実は家族共用スペース」って感じ。


この辺り、なかなかにおもしろい。

★★★

もうひとつ。日本のマンションと韓国のマンションを比べてみてください。日本のマンションって、この位置に「ベランダ」が付いていることが非常に多いでしょ。これは、日本の昔の家の構造と同じです。「部屋の外側に庭がある」んです。

でも韓国のマンションだと・・・リビングは「内部」だからリビングにベランダは付かない。そもそもドラマで韓国のマンションのベランダって見たことないです。これは・・・昔の家のレイアウトを見ると非常に納得できます。庭は「内部」にあるわけ、部屋の外周ではなく。

マンションでは、内庭が内リビングに変化したってこと。んで、部屋の外側にはベランダはない。



いや、あくまで・・・ドラマの話です。なんせ、韓国は行ったことはあるけど、個人のマンションの中なんて見たことないんで。



こうなると次に知りたいのは、中国の伝統的な家のレイアウトと上海の最新マンションの間取りですよね。次回、中国に行く機会があれば是非見てみよう。

どうやってマンションの間取りを調べるのか?って?簡単です。街の不動産屋さんに行けばたくさんパンフレットがおいてあるです。でも、中国はメインランド、台湾、香港などでもかなり違いそう。それもなかなかおもしろいかも。


そんではね〜

2006-11-25 「下流喰い」感想

久しぶりに本を読みました。新書で「下流喰い」消費者金融の実態、という本。テレビにもよくでている須田慎一郎さんの本。おもしろかったです。


ポイントはふたつ。

(1)消費者金融業界がいかに悪であるか、の徹底的な証明&説明

(2)下流と下流で騙しあう構図の指摘

★★★

(1)について、非常に具体的でビビッドです。「サラ金は、資金ニーズがあるから応えているのだ」とか「借りた金は返すべき」という、業者側がよく使う「一見なるほど」な言葉の「大嘘」をきちんとついていて、読み手が確固たる意見を持てるようになります。

また、グレー金利の意味を具体的に計算してみせたり、サラ金の顧客像のデータを明示することで、数字の意味するところがよくわかります。


(2)はユニークな視点。これぞ格差問題、って感じです。

ここでは、「サラ金によって人生を滅ぼされる人」も「サラ金側」も実は「同じ層の人間である」ってことを言ってます。要としては暴力団が介在するわけですが、それ以外は両方が「同じ側の人」だと。つまり、いわゆる「下流」であり、いわゆる「負け組」だと。騙している方も騙されている方も、どっちも。


サラ金の異常な押し貸し(無理矢理、借金させること・・大手サラ金でも恒常的に行っている)と過酷な取り立てで一家自殺した人たちは、紛れもなく「下流」だし「負け組」として描かれる。

だけど、その家族を死に追いやる「取り立て役の若者たち」も、田舎からでてきた中卒だったり高校中退だったりの、都会で他に生きていくすべを持たない、負け組構成員に他ならない。彼らはこの取り立ての仕事で、生まれて初めて「人よりうまくできること」を見つける。生まれて初めて、成果をあげて尊敬されるのだ、と。


これはちょっとユニークな、意味ある視点だと思いました。

なぜなら、消費者金融問題が「被害者も加害者も下流の人たち」の中で完結するならば、上流の人たち、勝ち組の人たちはこの問題を、「どうでもいい問題」と認識するようになるだろうと思ったからです。

これがもし「下流の人が上流の人を脅かす」問題であれば、上流の人たちは問題を解決しようと動くでしょう。彼らは選挙にもいくし、政治的にも経済的にも行動的にも、問題解決しようという意思と影響力を持つ層だから。

だけど、「搾取者も被搾取者も“あっち側の人たち”」となってしまうと、「危ないから近づくのはやめよう」ってことになるかもしれない。


例えばアメリカでも、お金持ちの住むエリアに連続強盗や放火魔が出てくると、警察も動くし、金持ちも自衛に金をかけてそれを阻止する。でもスラムエリアで日常的に放火やレイプや強盗が行われても、誰もなんのアクションもとらない。「旅行者の方はこのエリアに近づかないように」ってのと同じです。そんなとこ近づかなければいいだけ。反対に言えば、問題は「放置される」ってことです。


格差問題というのは、大半を占めていた中流の人たちが上と下に別れていく(大半は下へ)プロセスでもあるわけですが、その「下の方でなんかややこしいことが起こってるらしいね」という感じになる。


この問題、ちきりんは今までも「世の中無関心だなあ」と思っていたのですが、その理由がわかった気がする。「関係ない人には全く関係ない問題」になりつつあるんではないかと。

ただし現時点で「オレは関係ない」と思っていても、中流はいずれ「下流」と「上流」にわかれるのだと考えると、将来的には関係あったりするわけですが、いずれにせよ、関係ない層には全然関係ない。


この本の中で「怖いな〜」と思ったのは、次の記述。

いま足立区内でマンションを購入しようとすると、都心から近いにもかかわらず相場は1000万円から2000万円。区内にあった旧都銀の支店は相当部分が撤退し、区内にそれなりのネットワークを持つのは、都の指定銀行であるみずほ銀行くらいで、無人のATM店が数店、存在するのみというありさまだ。実際に区内を歩くと、スーパーやコンビニの店舗がやけに少ないことも実感としてわかる。


これ、「なるほど〜」なわけです。今まで銀行って「とりあえずどこでも」支店を出してました。でも今は銀行は中間層以上の層にしか関心がないんです。だから、そういう層のいないエリアから撤退しつつある。無人ATMさえ数少ないって・・・怖すぎない?

でも実際、アメリカの街を思い浮かべると、「危ないから近づくな」と言われるエリアには、他のエリアには普通にあるそういった店舗が非常に少ないことに思い至ります。そういう場所からビジネスをひきあげちゃうわけ。んで、そういうエリアには「そういうエリアだけの店」ができはじめる。

著者は、同エリアには「かわりに、このエリアにはサラ金の無人機が集中した場所がたくさんある」という。つまり、このエリアでは、住人が現金を“手に入れる”ために必要なのは、銀行ATMでなく、サラ金ATMだと。


著者はたまたまこのエリアの出身だし、取材としても歩いているわけですが・・・そもそもこのエリアに一生行かない人もいるわけです。マンハッタンの100以北に行ったことのないニューヨーカーがいるように。

特定のエリアでは違法な商売や取り立てが横行し、しかし、それらの問題は放置される。そして、その恐ろしげな闇の商売に従事している若者の大半は、そのエリアで生まれ育った者たちだ、と。そして、そんなエリアに「近づかないよう」教育され、実際入ったこともない人たちが一方で存在する。スラムってこうやって形成されるのだ。


「消費者金融問題は、そういう問題だ」と、著者は指摘する。


これは結構おもしろかったです。うん。



んではね〜


下流喰い―消費者金融の実態 (ちくま新書)

下流喰い―消費者金融の実態 (ちくま新書)

2006-11-22 それぞれの時代

昨日のエントリの続きっぽく、各年代って何をするべきだったと思っているか、先のコトも含めて書いてみるです。あくまで、ちきりん考えるところの理想であって、現実でも“答え”でもないです。



(1)生まれてから15歳くらいまで

とにかく愛されて育つこと。これが大事な気がする。それだけで十分な気がする。誰かから、無償の、無条件の、無限の愛情を与えられて育ちたい。そうできたら幸せだ。


(2)16歳くらいから25歳くらいまで

好き勝手に生きればいいと思う。傲慢に、身勝手に。

世界が自分を中心に回っていると誤解してればいいと思う。「できないことはない!」と断言できるくらい世間知らずで、自信家で、視野が狭くて、強気で、いいんでないかな。そういう時代ってあっていいと思うのだ。後から考えると顔から火が出るほど恥ずかしい、いろんな経験をすればいいと思う。

後先考えず、熟慮も計画もなく、突っ走ってしまえばいい。多感な時期だから、泣いたりわめいたり大笑いしたりすればいい。無理に大人びず、わかったような振りをせず、まじめに人生に悩み、まじめに世界平和を考えればいい。

ブレーキのない10年間であればよい。


(3)25歳くらいから35歳くらいまで

人生で、一度だけ頑張らなければならない時があるとしたら、ここかなと思う。働いてる人も子育てしてる人も人生模索してる人も、皆同じだよね。ここが踏ん張りどころだと思う。

世間に対して、人生に対して、「あたしはこーなのさ!」ってのを確立するための戦いの時期だと思う。ひとつ前の時代と違って、甘いも酸いも経験しないと乗り越えていけない。現実と理想をない交ぜにして飲み込むべき時代だと思う。

自分の人生が「自分以外の人に持つ意味」を考える時期かもしれない。生まれて初めて、ブレーキを使い始める時期だと思う。いや、ハンドルも同じか?とにかく、「コントロールする時期」だ。


(4)35歳くらいから45歳くらいまで

ここは「格差の時代」だと思う。ここまでの過去が問われる時期。

一つ前の時代から「加速度付いちゃった人」がいる。突っ走って突っ走って「あれっ?オレ、昨日35歳だったのに、明日はもう45歳だよ?」みたいな人。大きくジャンプする人もでる。今までは普通の会社員だったのに目覚めちゃって、リーダーになっていく人。

一方でこの10年を惰性ですごす人もでてくる。「ルーチン」に流れてしまう人。「オレの人生はローンを返すためにあるんだな〜」みたいな感じ。「あたしの人生ってなんなんだったんだろ〜」みたいな感じ。喪失の時代と感じる人もいるだろう。

あきらめを抱いて眠る人もでてくる。やたらと人生を総括したくなる人もでてくる。この時期で初めて「人生が複数にわかれる」気がする。


(5)45歳〜55歳まで

ああこれだ、ってものが「確信できる」時代なんじゃないかな。それが仕事だ!って人もいるだろうし、やっぱ家族だった、と思う人もいるだろうし。仕事でも家庭でもないさ、って人もいるかも。諦観に近い人も。

なんつーか「ああ、こういうもんだったのね、人生って」ってわかっちゃう時期なんじゃないかと思う。


(6)55歳〜65歳まで

ひとつを除いて他には何もいらないや、と思う時期かなあ。自分にとって大事なモノが明確になると思う。んで、それ以外は要らないなってわかりそう。

あと、結構じたばたする時代かもしれない。ピークを過ぎたことを(実際にはもっと前に過ぎているのに)初めて、否定できないレベルで突きつけられる時期なんじゃないかと。それで失敗する人も多いよね。

起業家とかで、この時期にいきなり血迷って「息子に継がせたい」とか思い始める人がいる。血迷う時期なのかもしれない。


(7)65歳〜

生きていることにとても感謝すると思う。今だって「生まれてこれただけでもラッキー!」と思っているちきりんとしては、もし65歳までも生きられたら本当に幸せだ。

もう何も所有したくなくなるだろうな。こだわりがなくなると思う。安心して生きて行ければいいなと思う。それとも反対に執着が増すのだろうか。わかんない・・・宗教的な、哲学的な境地に入るか、もしくは、子供に戻るかどっちかな気がする。できれば子供に戻れる環境であったら、どんなにすばらしいだろうと思う。


以上です。



最初は「こういう時代であるべき」と思うことを、と書き始めたけど、途中で「こんな感じの時代なんじゃないか?」という想像になってしまいました。


んではね!

2006-11-20 より若く?

人間の一生に関する「グラフ」って、20代あたりで「ピーク」を打つグラフが多いですよね。体力とか、脳みそ系の能力とか、ホルモンの量、“お肌の曲がり角”、たいていのものが20代あたりでピークを打つ山型のグラフです。

生まれてからそのピークに向かっていく“登り”の道のりは「成長」と呼ばれます。そして、ピークから終焉に向けてのラインは「老い」と呼ばれるわけです。電車の「上り」「下り」みたいなもんですね。ピークポイントという基準点があって、そこへ近づいているか、遠ざかっているか、で呼ばれ方が変わる。


昔はこのピークに向けて、人の気持ちも表現されていた、と思います。たとえば子供は「早く大人になりたい」と思い、老人は「若返りたい!」と思っていた。つまり、老いも若きもすべての人が「ピーク・ポイントが一番よい時期である」と考えていた。

ところが、これ最近は違うように思える。若い人の間に「大人になりたくない」トレンドが出てきてるんじゃないかな。留学だ留年だ進学だと働き始める年齢を遅くしたがるし、30歳になっても親と同居するとか、自立を遅らせる道を選ぶ人が多い。そして気持ちも「ピーク・ポイント」に向かってなくて、できるだけ若いところ、幼いところ、に向いているように思います。

一方で、中年やシニアになってから「今が一番幸せ」と感じる人が増えているようにも思う。団塊世代の大量定年に向けて「60歳から人生謳歌!」みたいに言う人もいるし、定年の後に起業だの夢の実現だの勇ましい。

で、その中間にいる人たちはどうかというと、「若作り志望」が甚だしいと思う。20代みたいなファッションを好む30代が大量発生しているし、「気持ちは30代!」という40代がすごい勢いで増殖中の様子。「ちょい悪オヤジ」とかその代表的なコンセプトでないかな。


これって、何を意味しているのか?


ちきりんには・・・中年やシニア層が、若者のものであったピーク・ポイントに進出、いや、しがみつきはじめてる、と見える。彼らが「自然に任せて老いていく」という道を拒否して、「俺のピークは今だ!」って感じでピーク・ポイントにしがみついてる。

そしてそのために若い子が、そのピークポイントに憧れが持てなくなってるんじゃないかな。若者って、中年やらシニア層やらが集まって大騒ぎしているポイントに、わざわざ行きたいとは思わないでしょ。


これから特に人口的にも若い人は少なくなる。だからあんまり、ピーク・ポイントを過ぎた人は若い人の立ち位置に進出しない方が(しがみつかない方が)いいと思うんだけどね。自然に、動物として与えられた普通のラインを、それなりに受け入れて進んでいく、それがたとえ成長ではなく老いと呼ばれるプロセスであっても、そういうのが自然で良いんではないの?


たとえば30代、40代の人は、

(1)20代向けのファッションに乗り出さない方がいいと思う。ローライズとかレギンスとか・・

(2)あんまし情報に過敏になって、あちこちの「流行りのお店」をはしごしなくていいと思う。

(3)そんな年齢から新しい資格をとるだの大学行くだの勉強しなくていーと思う。


いや別に「成長するな」「年を考えろ!」と言いたいわけではなくて。年齢を重ねること、それに伴い、体の様々な点が劣り始めるということ(肌やら脂肪量やら含めてね)、感情や感覚が愚鈍になり(10代前半のような鋭敏さを失い)、当然体力も能力も低下するっていうそういう“老い”を、もっと自然に受け止めるのは一つの方法ではないか、と思うのよね。



美智子妃殿下って、一回も髪の毛を染めてないでしょ。ずっと白髪のままだよね。これって、今の年代の人としては、極めて例外的と思います。元々すごい美人なのに、もったいない、って思う人も沢山いるよね。なんで染めないんだろうって。

美智子様のあの髪を見るたび、ちきりんは、人生への潔さを感じるです。「私は若い頃にやるべきことは、その時代、その時代にすべてやり尽くして参りましたので。」っておっしゃっているように感じる。


「いつまでも若くいること」は、本当にそんなにいいことなのか?って思うのよ。


60歳になっても大半の人の髪の毛が「黒い」のは、嘘でしょ?バカ高い錠剤飲んでまで性欲を維持する必要がありますかね?おばさんやおじさんまでがローライズ履いて、黒髪で天寿を全うするのは、どーも奇妙な感じです。


そんではね。

2006-11-18 提案)カードのスペック指定買い

皆様、クレジットカード、何枚お持ちでしょうか。大人だと、「ゼロ」って人は少ないような気もするけど、そういう方もいらっしゃるんだろうなあ・・・

働き盛りの年齢だと3枚くらいが平均でしょうか?5枚、6枚という人も多そうです。

ちきりんは、1枚→2枚→3枚→4枚→2枚→3枚という歴史。社会人になった時に最初の一枚を作って、長らくその一枚だけだったんだけど、だんだん増えてきて・・・途中で「整理」して2枚に減らしました。

やっぱ1枚だと不安だよね。何かで使えなくなると困る。それと使用限度のあるやつだと、いざという時足りないってことがあり得ます。だから2枚のうち、一枚は使用限度の設定のないカードにしています。

だったんだけど、最近また1枚「作らざるを得なくなり」、計3枚になりました。不満なんですけどね、増やすこと自体。

だってさ、財布を落としたら連絡先が増えてややこしいし、使わないからと家においとくのも不安でしょ、泥棒だって多いのに、家にしまいこんでたら盗られても気がつかないだろうし。いわんや、いろんなカードを使うのは、引き落としの管理など、もっとめんどう。

最後の一枚を作らざるを得なくなったのは、JRのせい。新幹線のエクスプレス予約をしたくて、そしたら専用のクレジットカードを作れという。エクスプレス予約は、新幹線のヘビーユーザーのちきりんにはメリットの多い会員制度なんで、こっちは是非利用したい。でも、そうすると否応なくクレジットカードが増えてしまう、という次第。

あああ、です。

★★★

あと最近ね、ダブルネームのカードが多いんだよね。東急カードとJALカードが一緒になります、とか、○○カードにEdyがつきます、とか。

これもね〜、要らんもんまでついてくるよね。Edyは、こっちのカードについてるからもーいらん!と思っても、またついてくる。



でね、思うわけ。「なんの機能をつけるか、なんのブランドをつけるか」こそを選ばせてほしいなあ、と。

最初は「無地」のカードで、色は好きに選ぶ。んで、次に機能を選ぶ。

「クレジットカード機能はビザでお願いします。銀行はUFJ三菱と新生銀行でのキャッシュカード機能をつけてください。あと、JALマイレッジ会員とクリーニング屋○○の会員ナンバーとTSUTAYAの貸し出しカード機能をつけといてください、あっあとEdyも追加で」ってな感じで機能を選んでいく。ひとつ機能を選ぶと、無地のカードの上に、それぞれのロゴマークが表示されて、個々人のカスタム機能カードができあがる。

んーと、カードのオーダーメードっていうシステム。

これ、超いいアイデアだと思うんですけど、どーっすかね?


紛失時も、一カ所に電話すれば全部止めてくれて、再発行も全部一回で済んで便利そう。もちろんICカードで、指紋認証とか、顔写真表示など、セキュリティも強化してね。

★★★

携帯電話も同じだと思う。売られている段階で、機種によって機能が「プリセット」されてるでしょ。「うーん、俺はカメラはいらないのに、欲しいデザインのものにはカメラがついているんだよな」というような購入者も多そう。

自分で、「このデザインで」「機能は、電話、メール、音楽、電子マネーで」っていうふうにオーダーできたら便利そうでないですか?

なんで「あっちが」「勝手に」「組み合わせる」んかね。

★★★

パソコンなんかもそうよね。普通はプリセット。だけど、購入時に少しだけ変更(メモリ増設とか)もできるし、後から拡張もできる。ネット購入だと、すべてのスペックを指定して買えるでしょ。メモリはこう、HDDはこう、とかね。

なんで携帯やカードはプリセットだけなんだ??

って思うわけ。そのうち「スペック買い」ができるようになるかしら?携帯は技術的にも難しそうだが、カードなんて簡単にできそうな気がする。それこそ、ネットで、好きなデザインと必要な機能を選んで申し込んで・・・1週間後に届くとか。

そーなってくれるとうれしいでやんす。よろしくです!!


ではね〜

2006-11-17 欲しいのは「単機能・高機能」

電子レンジのドアが調子が悪い。

今の電子レンジは 13年前に購入したもので、1万円未満の格安品。コロナというメーカー(ガス器具関係のメーカーですね。)

1万円で 13年も使って、しかも、「調理→冷凍保存→解凍して食事」のパターンが多い私は、電子レンジの使用頻度がすごく高いので・・・おそらく我が家の中で最も役に立っている「機械」です。

だから「もう買い換えてもいいかな〜」とも思う。一方で「調子悪いのはドアだけだから、まだ使えるし・・・」とも思ったり。


「買い換えよう!!」と思う理由は他にもあって、最近すごく出力の大きな電子レンジが売られてる。コンビニが備え付けているやつね。800wとか1000Wとか。今のはこれまでの主流で 500Wくらいだと思う。

解凍でも調理でもワット数の大きなレンジだと調理時間が半分になる。5分かかるものが 2分でできる。


→ すごい!!調理時間が半分になるなら、すごい便利ジャン!!

という声と、


→ たかだか 3分間 節約して、なんになる???

という声があって悩みますね。


もうひとつ。電子レンジってすごい量の電磁波がでてると思うんだけど、最近のレンジはそれをカットする技術が進んでる。扉とか本体とかね。最近は電気カーペットとかも「電磁波カット」をウリにするのが多いけど、昔はそんなの誰も気にしてなかった。だから古い機械はそういう対策があまりとられてない。


だから、買い換えようよ!!という声と、

一日数分×数回だけだし、レンジの前に座ってるわけでもないじゃん、という声もある。


★★★


というか、今ひとつ買い換える気になれないのは、「欲しい商品がない」からなんだよね。


ちきりんが欲しいのは「単機能・高機能」商品なんです。


つまり、「電子レンジ」の機能だけがついていて、「高機能」、上に書いたように、出力が大きく、フラットでターンテーブル無し、むら無く加熱できるもので、電磁波もカットされてる、とか。

ところが世の中にでている商品はふたつに分かれてるんです。

「単機能、低機能」商品と

「複数機能、高機能」商品に。


「単機能、低機能」ってのは、丸いターンテーブルがついてて出力も低い。

一方の「複数機能、高機能」のは、たいていが「オーブンレンジ」です。電子レンジとオーブンが一緒になったもの。


これね〜、便利ですか? オーブンレンジって???


そもそも、世の中の人ってオーブンなんてどれくらいの頻度で使うわけ?? 電子レンジの頻度と比べると全然使わない人も多そうなんだけど、なんでそんな機能を電子レンジにくっつけるのか意味不明だよ。

「形が同じだから一緒にしてみました。」みたいな商品なんだよね、オーブンレンジって。


というわけで、電子レンジの買い換えについて悩んでます。悩んでるってほどでもないが、考えてます。どーしようね。


また。買い換えたら報告しますっ!

2006-11-13 驚くほど白く

うちの母は“洗濯の天才”です。たまに実家に帰った時に母に洗ってもらうと、何年も着てる服が新品みたいにみえる。なんなんだ?って感じ。

もちろん母は洗濯屋でもないし、特殊な機械やスキルもありません。普通の全自動洗濯機と乾燥機、それに普通の合成洗剤。それなのに仕上がりが全く違う。私だけではなく、母に洗濯をしてもらったことのある、ほぼ総ての人が驚嘆します。


なんで?


って思いますよね。ちきりんも、何か秘密があるならそれを私も真似しよう、と思いました。で、洗濯する母を一度じっと見ていた。


ら、やっぱ、きれいに仕上がるには、それなりの理由があった。


(1)洗濯頻度・・・母は洗濯物が少なくても毎日洗濯機を回します。ちきりんはドでかい洗濯機を買って、夏でも週 2回、冬は週 1回しか回さない。というか、一回で大量に洗濯するのが効率的だと思っていたんです。

しかーし、あたりまえですが、汚れてから 3日放置された衣類の汚れは、汚れた当日に洗われるより、圧倒的に「とれにくい」ですよね。時間がたてば汚れが定着しちゃうわけです。だから、「すぐ洗う」のが大事。


(2)洗濯量・・・しかも、毎日洗濯するから一回の洗濯量が少ない。大きな洗濯槽で多めの水で洗うことができる。一週間に一回だと洗濯槽めいっぱいで洗うことになるから、布も傷むし再汚染の可能性も高い。


と、ここまででもかなりの差がつきます。


さらに・・

(3)洗濯終了直後に取り出す・・・母は、洗濯が終わる 5分前から、洗濯機の前で“待機”してます。最近の洗濯機って「あと○分で終了」っていう表示がでますよね。母はそれをすごく気にしてて、洗濯が終了したらすぐさま洗濯機のフタを開ける。

ここで 5分放置するだけで、“しわが固定”するんです。「すぐさま干す」ことの意味は(実は)非常に大きい。

ちきりんなんて下手すると 1時間近く洗濯機の中に放置してる。そんなことすると、夏は細菌が繁殖して臭いがでる。冬は水が凍りかけて繊維を破壊する。

とにかく「すぐに干せ」・・・なわけです。



(4)しわ取り乾燥・・・さらに、綿系のもの、シャツなどは乾燥機に 5分かける。そうすると「アイロン効果」で、大半の洋服のしわが消える。これすごいですよ。

実はうちの母はこのことを“経験的に見いだした”んですが、最近の乾燥機ってこの機能のボタンが最初からついてるんです。コントロールパネルに「しわとり」というボタンのある機種がでています。

これって家電会社の方が商品開発に「主婦の声」を取り入れたんだと思う。うちの母以外にもこの効果に気が付いた主婦がいて、その声がメーカーに入って・・・。すごいですよね、日本の家電メーカーは。こんなボタンは欧米の乾燥機にはついていません。


そして、(5)色物には干す際に「糸くず取りブラシ」をかける。これも、すごいです。

白以外の色物、特に黒や原色のものは、これで見違えるほどキレイになります。

洗濯って、タオルや下着など「白の綿系」のものが必ず混じってますよね。それらから出てくる糸くず、ほとんど目に見えないような細かい糸くずが、洗濯中に色物や黒色の服の表面に付着するんです。

このため濃い色の洋服は、洗濯後“くすんで”見えるんです。それがブラシ(エチケットブラシと呼ばれているもの。下記参照)をかけると、いきなり鮮やかな発色が戻ってくる。そーゆーことだったのね!!!って感じです。

それにしても綿のTシャツとかポロシャツとかに“ブラシ”するんですよ。考えたこともなかったです、そんなの。


そして、(6)干す前に、総てを一度ひろげてたたむ。ぐちゃぐちゃのまま干さない。すべてひろげて伸ばして形を整えてから干す。

干すときに形を整えてパンパンって叩く人は多い(ちきりんもです)けど、干す前に全部伸ばすのは、母を見て初めて知りました。


というわけで、専業主婦っていうか洗濯のプロって言うか、本当すごいです。

★★★


余談ですが、「驚くほど白く!!」って宣伝している洗濯用洗剤には、「蛍光増白剤」という白の染料っぽいものが入っています。

つまり「驚くほど白く」とは、「驚くほどきれいに」ではなく、ホントに「白く」なんですよね。


というのも、黒いシャツを洗っても汚れが落ちたかどうかわかりにくいけど、白い洗濯モノは汚れが落ちたかどうか、消費者にも一目でわかる。だから「白モノの汚れをよく落とすことが洗剤開発のベンチマーク」になってるんです。

で、それを突き詰めた彼らが行き着いた結論が「白の染料(的なもの)を混ぜる」という結論なんですが、これにより、白いモノがより白くなるのに加え、白くないものも白くなっちゃうんです。黒系の洋服の多い私にはほんとーに迷惑な話です。(入ってない洗剤もあるので、それを選んで買ってます)


そういえば昔の資生堂の広告には、「ホルモンたっぷり! 美顔クリーム新発売!!」みたいなのまであります。こんなの今なら怖くて使えないよね。

通販で売られてる「塗ったら肌がすぐ白くなる美白クリーム」も怖いよね。ああいう「即効性のある美白クリーム」には漂白剤(的なもの)が入ってるんじゃないか?と疑ってるんで、そんなものを顔に塗りたくありません。


まあ、「飲むだけで痩せるお茶」「食べると痩せるビスケット」など「即効性のあるダイエットサプリ」には下剤や利尿剤が入ってたりするのと同じですね。


「努力不要で、偉大なる成果」と唱うすべてのものには裏がある。偉大なる成果の裏には、やっぱし偉大なる努力があるってことなんです。

ではでは

2006-11-02 メトロポリタン美術館

昨日の続きです。

NYのメトロポリタン美術館は、ちきりんに「美術館の展示方法には価値がある」と気づかせてくれた初めてのミュージアムです。

昨日書いたように、展示方法について、なんらか「自然な方法」が存在するミュージアムでは、「展示方法」それ自体が独立して構成され価値を持つ、のは持つんですが、それが外部にわかりにくい。

メトロポリタン美術館は、展示方法を工夫しないと「なんで、これが、ここに?」ってなる。だからいろんな工夫をする。

それはもう“工夫”のレベルを超えていて、きちんと学問として成り立っているわけです。


この試みが成功しているか否かについて、なのですが、ちきりん的には「成功はしていないが、なかなか頑張っているし、それなりの意義はある。」と思います。

昨日も書いたように「その場の雰囲気の再現」は、やはり本物を見たことのある人、現地に行ったことのある人から見れば、フェイク、偽物にすぎない。

一番伝えられないのは、それはもう仕方ない話ではありますが、「湿気」や「空気」です。アンコールワットの、インドのお寺の仏像をいかに工夫して展示しても、あの重い、湿気とほこりに満ちたアジアの空気を伝えることはできない。



それから「空間の広がり」も伝えられない。中国の庭って、日本の庭園とは全く異なる。緑の街の設計と言ってもいい。広大なオープンな空間設計。それは人間が人形となる箱庭だ。中国の「庭」を見て、ちきりんは初めて「日本の庭」が「日本独自のものなのだ」と理解できた。あれは中国から来たものとは全く違うものだ。「庭で遊ぶ」という概念も、中国で「庭」を見て初めて理解できた。


たとえば、中国の庭につきものの“借景を利用した覗き窓”。本物のそれは、壁をくりぬいた窓と、その向こうにちょっとした竹を植えて照明で照らしたくらいでは再現できない奥行きと広がりを持っている。その向こうにある、広大な湖と長い長い渡り廊下と、強烈な日の光と・・って、そういうものが、展示ののぞき窓には当然のことながら存在しない。

偽物は、乾いていて、きれいで、せせこましい。


反対もあるです。湿気だけではなく「乾燥」も表現できない。

エジプトの神殿に立ったとき、髪の毛に肌に鼻孔に常に吹き付ける砂の粉を、メトロポリタン美術館で再現することはできない。

「うさんくささ」も体感できない。「腐敗したモノのにおい」も遺跡につけられた多くの「手垢」も、NYで一番の美術館は再現できない。

だから、仕方ないけど、嘘っぱちだ。


なんだけど、誰もがちきりんみたく「あちこち実際に自分の足で行ってみる」なんてできない。当たり前だ。ちきりんだって、たとえば子供の頃にそういうものを見ていれば、今とは違った人になったかもしれないが、それを子供の頃に見ることは不可能だった。

でも、もし、メトロポリタン美術館の近くに小さい頃から住んでいたら?


そういうものを「体感」しながら子供時代を過ごしていたら?


違う人生だったかもしれない、と思うのだ。


もしかしたら、「探検家になりたい」とか「考古学者になりたい」とか、そういうんでなくても「これが生まれた国に留学してみたい」とか、そういうふうに考えたかもしれない。

古代のネックレスをみて、アクセサリーデザイナーを目指したかもしれないし、中世欧州の家具をみて家具職人になりたいと思ったかもしれない。いやもっと直接的に「美術館で働きたい」とか「オークションの仕事をしたい」とか思ったかもしれない。



でもちきりんは子供の頃に、そんな世界があるなんて全然知らなかった。知らないモノになりたいと思うことも、憧れることも、人はできない。


こういう国のこういう地域に住まうことの価値は、リアルに得ようとすれば多大なる時間と資金が必要となる「圧倒的に多彩な世界の広がり」を、たかだか10ドル程度で見ることができる、ということだ。

たとえそれが、少々偽物であったとしても、です。そういうものを、そういう距離で見られることの価値は、計り知れない、と思います。


★★★

勝ち組と負け組ができてしまう最大の理由は「物差しが単一である」ことによる。生まれた時から複数の異なる多彩な物差しが提示されていれば、全員が同じトラックで競争するという世界にはならない。


田舎に生まれると、「サラリーマンか公務員か郵便局員になる。もしくは、家業を継ぐ」という未来しか見えかったりするわけです。

「私はパタンナーになりたい!」とか、「美術館の所蔵品の修理の技術屋になりたい!」とか思えないでしょ。そんなとこで。



・・・に生まれると「貧乏の中に暮らす。もしくは、テロになる」という未来しか見えなかったりするわけです。



メトロポリタン美術館の展示で一番悲しいのは、イラクを初めとする中東の文化の展示だ。

古代文明の様々な出土品が持ち帰られ展示されている。(大英博物館などの展示には全く及びませんが。)

中東の古代遺跡の出土品をこれだけの量と質でここに持ち帰ってあるから、アメリカの子供(アメリカ人の、ではない。)は、アメリカの美術館で中東を「学ぶことができる」


だから、

もう「今の中東」は、爆弾で破壊してしまってもいいと。そういうことか?



メトロポリタン美術館はとても不思議な場所だ。

そこが「何を展示しようとしているのか」、ちきりんは、それをまだうまく言葉にできない。そして「そこが結局のところ何を展示しているのか?」も、まだうまく表現できない。



彼らがそこに展示し、そうだと信じている大半のものが偽物だ。いや、飾ってあるものは「本物」なんだけど、「表現しようとしている世界」が嘘なのだ。


「偽物の世界をまるまま、ひとつの建物の中に再現」しようとしている国がある。いや「できると思っている国がある」と言うべきか。“ふーむ”と思う。



ということです。


そんじゃーね。

2006-11-01 世界の美術館の違い

美術館、博物館について。特にNYのメトロポリタン美術館に関して感じたこと、考えたこと、などなどを書いておきます。

メトロポリタン美術館って結構特殊です。世界の主な美術館・博物館をちきりん流に分類すれば・・・


(1)ウイーン美術史美術館・・・ここは「ハプスブルグ家」のお膝元で、この美術館で展示してあるのはほぼすべてがハプスブルグ家の一家の所蔵品か生活用品=工芸品です。彼らが使った食器、アクセサリー、家具、そして、彼らの家や部屋を飾っていた絵、が所蔵されています。

つまり、美術館は「所蔵品を集める」という作業をしてない、とも言えます。そもそもウイーンの街自体=ハプスブルグ家の庭、だし、ホールも教会も公園も「あの一家」のためにある、って感じだからね。

これはエルミタージュ美術館やプラド美術館も同じ。その地に栄えた王朝一家が使っていたモノ、持っていたモノが飾られてるわけです。すごいのは美術館ではなく「王朝そのもの」なんです。

台湾の国立博物館も同じだね。故宮の至宝を持ち出した蒋介石政権側が台北に移ったことにより、あれだけのお宝が台北にある。それを展示しているだけ。彼らも展示品を「収集する」という作業はしていない。


(2)ルーブル美術館は、上とはちょっと違います。ルーブルに飾られているものは、ブルボン王朝が集めたり使ったりしたものは、そんなに多くないです。ルイ14世が使った工芸品も確かに飾ってあるけど、展示のメインはそれではないです。

ルーブルの展示品の大半は、「パリに集まった芸術家達が作製したもの」なんです。スペインからピカソが、オランダからゴッホが、というように周囲の各国から芸術家がパリに集まった。彼らはパリで絵を売って生活するわけですから、作品の多くがパリに散らばる。それらが環流して集まって集大成としてルーブル美術館ができています。

ウイーンやサントペテルスブルグと異なり、パリは「その街の魅力自体で、美術品を収集した」街なのです。


なお、パリのポンピドー美術館は、現在パリに集まっている「生きている芸術家」の作品を積極的に買い入れ展示している美術館で、彼らが死後にでも「巨匠」になれば、美術館はまたしても「街の魅力により」強力なコンテンツを手に入れることができる。

なんせ今の段階ではそれらの「未来の巨匠」は自分の作品を「展示してもらえるなら」とただ同然でポンピドーに差し出すのだからすごく格安で作品を集められルのです。

パリでさえ・・・「二匹目のどぜうを狙っている」と言える。


(3)大英博物館・・・上記の(1)とも(2)とも異なります。そもそも「美術館」ではなく「博物館」と訳される。(英語だとどちらもミュージアムなのにね。)

大英博物館が展示するものは、英国王室の所蔵品でもないし、英国に集まった芸術家?そんなの聞いたことないです。


彼らが展示するのは、「大英帝国が植民地から持ち帰ったもの」なのです。エジプトやギリシャ、そしてオリエントの様々な古代文明からの出土品が大英博物館の展示のハイライトです。

これらの植民地は文明国ではないから、当然あるのは油絵ではなく石像であり神殿であり宝石でありミイラ。だから「大英美術館」ではなく「大英博物館」なわけですね。


では、(4)メトロポリタン美術館は? 「巨額の資金で買い集めたものを展示」してます。大英博物館と同様に他国から略奪して持ち帰ったものも、もちろんたくさんあります。

(余談ですが・・・前に「違法コピーを取り締まって欲しい。オリジナルの価値を尊重して欲しい」と米国高官に言われた中国の大使が「メトロポリタン美術館にある、我が国のオリジナル美術品も返して欲しい」って言ってました。おもしろすぎるよね、中国って・・)

まあとにかく、ここで一番多いのは「買い集めたもの」です。だってそりゃそーでしょ。この国の歴史は200年ちょい。大半の美術品はそれより何百年〜何千年も前のものなんだから、後から集めるなら奪うか買うしかない。


で、この「財力」が「すげ〜」って感じな訳です。大英博物館に行って驚くのはエジプト文明ではなくて「大英帝国のすごさ」なわけですが、メトロポリタン美術館では「アメリカの資本力のすごさ」に圧倒されます。


なんなんだ、この金持ちの国は!!!です。



この美術館の特徴は、多くの展示室に「個人の名前が冠されている」ということです。そう、個人から寄付されてるわけです。美術品はまず「大金持ち」によって収集され、時間がたつとメトに寄付される。それ以外でもアメリカでは多くの大学が個人の寄付によって学部を開いたり校舎を造ったりするし、オペラやバレエなんかも寄付で成り立っている。

メトロポリタン美術館も同じです。一番新しいロバートレイマン・コレクションなんて、「まじ??これを個人が集めてたって??????」って感じですよ。びっくりです。あんたは王様か?って感じです。すごいレベルの金持ちがいるんだよね、アメリカって。


こういう個人の名前が冠された部屋は他の(1)〜(3)の美術館ではほとんど見ません。芸術は国家の責任範囲なんです。アメリカ以外では。でも、この「資本主義をショーウインドウに並べて売る国」では、美術、文化も資本主義のルールの上に成り立っています。

アメリカの美術館にだけある大規模な「個人の名前の展示室」は、この国の美術館の「展示品の集め方の違い」を非常によく表している、と思うです。

★★★

で、この「収蔵品の集め方」が、「展示方法」にも影響を与えている。それも非常におもしろい。


(1)のウイーンやマドリッドの美術館は、建物もその王朝の宮殿だから、展示方法はきわめて「自然」です。もともとの入れ物に、もともと入っていたモノが並べてあるだけ。分類も「文化学的」に行われるのではなく、「自然に」わけてある。


(2)のルーブルは、工芸品と美術品に大きく分けて、その後は「トレンド別」です。後期印象派とかフランドル派とかあるでしょ。(いや、ちきりんもあんま知らんけど)ああいうの別に展示するんです。工芸品なら「ロココ様式」とかなんとか。

これは、その作品がどういう芸術潮流の時代のものか、でわけているわけで、街が芸術家を呼び込むことでその展示品を集めてきたパリ、ルーブルにふさわしい展示方法だよね。そういう潮流が流行っていた、それぞれの時代ってのが実際にパリにあったわけですから。


そして、(3)の大英博物館は? そう、もちろん「植民地国別」の展示です。エジプトコーナー、インドコーナーとかに別れているわけ。どこから持ち帰ったか、で展示するのです。


ではメトロポリタン美術館は?

ここの展示は他の美術館・博物館と全然違います。ここは「その文化の全体像を再現しよう」という工夫をしているの。北海道の旭川に“行動展示”とやらで人気の動物園があるでしょう?あれの美術館・博物館バージョンです。

ヨーロッパの彫刻はヨーロッパのお城みたいな展示室につくり、エジプトの神殿をある程度の大きさで再現し、日本の展示室にはワビサビな庭や畳スペースを作り、中国の王朝の神殿も再現する。

もちろんそれぞれの本物の地を見たことある人にとっては、「にせもの〜」な作りなんです。ちゃちい。いや、作り物としてはかなりすごいんですよ。でも本物を見たことあったら、やっぱりかなりちゃちい。嘘っぽい。

なんだけど、その努力は「すごい!」って感じではある。


これね、気持ちはわかるんです。彼らは、これらの文化の展示品を「お金で買ってきた。」つまり、ここ(=NYだったり、アメリカ)とは何の関係もない土地の芸術品なわけです。自分の街に集まった芸術家の作品でも、自分の街の王朝の所蔵品でも、そして、自分の国の植民地から持ってきたものでもない。単に、お金で世界から集めてきたモノ、なんです。

だからこそ、その文化環境をまるまま再現して展示しようとする。まるで、それらの所蔵品が「ここにあること」に意味を持っているかのように、展示する。


ってことなんです。



おもしろいな〜。



って感じでした。



そんじゃーね!