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Chikirinの日記 RSSフィード

2007-02-26 見えやすさ

海外にいくと「日本は格差が見えにくい国だなー」と思います。

格差の存在自体については、「日本の格差なんて、他国と比べれば余程マシ」という人もいれば、「いやそれは既に幻想で、日本は他国と比べても格差の大きな国になった。」という人もいます。再配分前か後(社会保障還元後)かによってもかなり違い、どの年代、家族形態で見るか、によってもかなり状況が異なり、意見が分かれています。

でも、すくなくとも「格差の見えやすさ」については「日本は圧倒的に(格差が)見えにくい国」なのではないでしょうか。


その最大の理由は「格差と人種が結びついてない」ことでしょう。欧米だと、経済格差と肌の色に高い相関があるために、格差がビジュアルにわかりやすいです。

欧米では、ゴミ収集車の作業員、格安ファーストフードの店員、ホテルのハウスキーパーなどは、オフィス街でスーツを着て働く人や、ホテルの受付にいる人とは、明らかに“肌の色”が違います。だから「ああ、格差があるんだな」とすぐ気がつきます。

日本でもオフィスビルやホテル、新幹線車内でお掃除の人に会うことはあっても、宿泊客や乗客は、その“格差”を意識することはあまりないですよね。けれど、もしも掃除をしている人達の多くが自分と肌の色が違っていたり、日本語以外で話しているのを聞いたら、その格差は圧倒的に「見えやすく」なります。


二つ目の理由として、日本は“職業と所得が見えやすい形で関連していない”のもあります。日本ではゴミ収集をしている人達が公務員やそれに準じる立場で、実はかなり安定した年収の高い層だったりするし、関西のどこかの市バスの運転手の年収も800万円から1000万円と報じられていました。

一方で、スーツを着てアタッシュケースを持って街を闊歩している人が、過酷なノルマに追われる英会話教材販売員で“年収200万円で、しかも歩合給”だったりします。日本には、こういう、一見“颯爽としてパリッとしているワーキングプア”の人達がたくさんいますよね。


3つめの理由として“混ざり方”が違います。アメリカだと経済レベルによって利用する店自体が違います。スーパーマーケットとかレストランにも“格”のちがう数種類があったり。

一方の日本では、ワーキングプアレベルの人と年収1000万円以上の人が同じコンビニに行き、その奥さんは同じスーパーで夕食の買い物します。そして、どっちの子供も学校帰りにマクドナルドに行くわけです。

アメリカに留学している時は貧乏学生だったちきりんですが、それでもマクドナルドにはほとんど行く気になれませんでした。味の好き嫌いの問題ではなく、雰囲気や客層、周囲の街の様子からして「あなたが行くべきところではありません」的な臭いがプンプンしていたからです。利用する店、生活エリア自体が、収入層によって分離してしまっていると強く感じました。


最後に、親子の関係も日本の格差を見えにくくしている理由でしょう。

英米だと親が成人した子供を養わないので、若年層が失業するとホームレスになってしまいます。実際、日本でも親が助けてくれない若者は、ネットカフェで寝泊まりし半ホームレスにならざるをえません。でも日本では親が同居させてくれる場合も多いので、その場合若者の貧困層が街で顕在化しません。

彼らは親の家に住んでいるので、少なくとも飢え死はしないし、路上で寝たりもしないし、コンビニ強盗にもならない。「見えない貧困者」として隠れてしまいます。

「余裕のある親が貧困の子供を抱え込んでいる」というのも、日本の格差を見えにくくしている理由のひとつでしょう。


というわけでいくつかの理由により、日本はとても格差が見えにくい状態だと思います。日本の格差レベルについてはいろいろ議論があるんでしょうが、日本で格差が「見えやすくなった時」には、“あっと驚くレベル”になっているかもしれないですね・・。


ちょっと怖い。


んじゃね。



↓この辺読むと驚きます。

2007-02-23 資本主義が勝てない“そこ”

糖を食べるようになって虫歯になり、

塩を使って調理するようになって高血圧になり、

栄養状態がよくなって動脈硬化になり、

世の中が便利になって(化学物質に囲まれて生活するようになって)ガンになり、


数多くの魅惑的な嗜好品によって、様々な病気が生まれ、

AIDSで滅びそうな民族さえ出てき始めたように、

世界がつながって、テロが出てきた、と思う。


もうこれは、避けられないことなんだと思う。私たちはそれと、つきあっていかなければいけないんでしょう。


最近の欧米の空港の警戒は、異様で異常で滑稽といえるレベルです。


液体の機内への持ち込みが厳しく制限されている一方で、免税品店で買ったものなら化粧水も香水もブランデーも、全く問題なく機内に持ち込むことができます。

理由はこう。

「免税品店の品物はきちんとチェックされているから」と。


ほんまかい。


すごい量ですよ。ロンドンやNYやパリの国際空港で売られる、それらの商品の量を想像してみてください。「きちんとチェックしている」なんで笑止千万。私がテロなら、免税品店の仕入れ商品に必要な溶剤を混ぜ込んで運ぶでしょう。

毎日毎日、世界中で、何千、何万、何百万の商品の入った段ボール箱が、トラックから免税品店に運び込まれてます。なにをちゃんとチェックしているって?? 

これらはすべて、空港の厳しいセキュリティゾーンの“内側”に置かれているんです。そこで買ったものは、セキュリティチェックにかからずに機内に持ち込めるんです。


でも、「きちんとチェックされている」と、そう言わざるを得ません。化粧品もお酒も、免税商品のメインカテゴリーだから、これらの販売機会を失うことに、アメリカも、イギリスも、私たちの体制自体が、資本主義という仕組み自体が、“耐えられない”から。

テロが狙うのは、私たちのそういう仕組みなんだと思う。


マンハッタンの島の上を飛行機が飛ぶことは禁止されました。けれど、マンハッタンを挟んで流れるふたつの川の上は、すでに飛行禁止が解除されてます。大金持ちの自家用ジェットが飛行するためにかかせないルートだから・・・。

そのルートから、マンハッタンのビルのひとつに飛び込むことは、ハンドル操作ひとつで一瞬だということは皆わかってる。空軍のスクランブル発進なんて、全く間に合わないことを、彼らも私たちも、皆知っている。

んだけど、“全面飛行禁止”にはできない。


私たちには、そんなことはできないんです。

私たちは、“安全ごっこ”をやっている、と思う。


あんまり大変ではないレベルで、ちょっとだけ安心な感じを醸し出す、そういうゲームです。だって、テロを防ぐために資本主義をやめることはできないのだから。



テロが突いてきているのは、まさにそういう、資本主義のアキレス腱なんです。私たちは、安全のためだろうと、健康のためだろうと、お金と快楽を諦めることはできない。そういう世界を、そういう体制を選択したんです。



空港の馬鹿げたほどに厳しいセキュリティを終えてから、きらびやかな免税品店ゾーンに入ると、「ああ、ここが私たちの勝てないところなんだよな」と。思います。



んじゃね。(3日前に帰国しました)

2007-02-22 先輩に任せます

3選を目指す石原都知事、何歳かご存じですか?

74歳です。74歳。

都知事の任期は4年です。つまり、石原氏は、「74歳から78歳まで知事をやります」と言って立候補します。


対抗馬が出てきません。と思ってたら、「誰も出ないならオレが対抗するぜ!」って、超有名建築家が出てきました。都庁を設計した丹下さんの愛弟子で、奥様があの往年の名女優さん。

そうです。黒川紀章さんですね。


で、この人が何歳かご存じですか?


72歳。4月で73歳。


・・・・








ちきりんの提案!


(1)被選挙権(立候補する権利)は、満70歳以上の者のみに、これを与える。

(2)ついでに、選挙権も70歳以上の人にのみ付与する。


70歳以上の方、我が国の未来を背負って頑張って欲しい。任せますよ、未来は70歳以上の方に。


未来は、70歳以上の方に任せますっ!


★★★

とか、書いていると現在60歳前後の団塊の世代の皆さんから質問がありました。

「そんな年寄りに任せるなんて・・・団塊の世代のオレ達はどうすればいいんだよ?」って?

皆さんはまだ60歳で、まだ若いんだから急がないで。あと10年精進して、先輩のことをよく見て学んで、んで、70歳になったらリーダーとなって将来を担ってください。



任せます。皆さんに。



じゃね。お先に・・・

2007-02-20 監視社会

皆さん、e-ticketってご存じですかね。飛行機のチケットが、昔の“紙”から電子データのみ、になってるんです。アメリカで数年前から始まり、最近は日本でも国内線ではかなり増えてきたかな。どんどん普及している感じです。

そもそも飛行機の予約をすると「チケット」が紙で渡されます。これを乗る日に空港で「搭乗券」と引き替えるわけですね。んで、飛行機に乗る。

でも実はこの「チケット」という言葉が変なんです。正確には「切符」にあたるものは「搭乗券」の方です。一方、私たちが今まで「飛行機のチケット」と呼んでいたものは「搭乗予約がしてありますよ、という記録が書いてある紙」だったわけです。「予約の控え」とか「予約の覚え書き」とか、そういう感じ。

単なる「予約の控え」なんだから、別にああいう「チケットっぽい紙」である必要はなく、電子データでもなんでもいいじゃん、予約の確認さえできればいいんだから、ということになります。

で、どんなもので代替するかというと、マイレッジカードもしくはクレジットカード。ネットなどで飛行機の予約をする。その際に入力したクレジットカードナンバーと同じカードを空港の機械に挿入する。と、搭乗券が出てきます。

上記の代わりに携帯電話が使われる場合もあります。あと、「予約番号」だけを控えていって、空港の機械にそのナンバーを入力する。これでも「搭乗券」が出てきます。バーコード方式もあります。


ここまでは、まあOK。紙のチケットより、印刷代などもかからないし郵送期間なども不要(夜にネットで予約し、翌朝にカードで搭乗券を受け取れます。)になる。IT化、ネット化による「経費節減」と「スピードアップ」がメリットなのかな、と思っていたのです。つまりは。


ところが・・・・


今回出張で3ヵ国を回って「なるほどね」と気が付きました。これ、ペーパーレスだけが目的ではないみたい、ですね。


ちきりんは今回3ヵ国間(と日本)を飛行機で移動しました。ちきりんのチケットはe-ticketでした。でも、自分で買ったわけではありません。会社が旅行代理店を通して予約したものです。だから、ちきりんのマイレージカードやクレジットカードや携帯には、予約データが入っていません。


で、どーすんの?と。

読み取り機に予約番号を入力するのかなあ?

読み取り機に私の名前や便名を入力するのかなあ?

などと、機械の前で説明書きを見ようと考えていたら、いずれの空港でも“お助けマン”みたいな人が寄ってきて教えてくれました。

彼らは、「パスポートのバーコードを、バーコードリーダーにかざして」って言うのです。


パスポートってバーコードがついてるんです。それを機械に読み取らせる。すると・・・ちきりんが次に乗る国際線の飛行機の搭乗券が出てくるんです。


これって、、、、どういうこと???


パスポートのコードだから、ちきりんの名前を読み取るのはわかります。そして、その名前で予約飛行機情報が出てきて、搭乗券が出てくるわけです。つまり“私のパスポート情報”と、“私の全旅行予定データ”が“関連付けて”“どこかのコンピューターに蓄積されてる”ってことだよね。

なんか〜こわくない??って思いました。


たとえば、ちきりんがこのパスポートで次にどこかに入国した時、その国のイミグレーションも「ちきりんは昨年どこに行って、今年どこに行って・・」みたいなことがわかる可能性があるわけでしょ。

ひえ〜星新一の世界みたいやん!


日本では住基ネットナンバーさえまだ普及してないわけですが・・そんなもんに反対だの賛成だの言っている間に、世界はこうなっていた、という感じです。そう、「世界中の人の通し番号化」が行われてて「行動データが一元管理化」されつつある、と・・・

「人間ナンバーxxxxxからxxxxyまでは日本人パスポート」とかね。

★★★

話は変わるけど、最後にいたロンドンのホテル。50チャンネルくらいあるケーブルテレビのチャンネルの中には、日本語の番組もあるけど、アルジャジーラを始めアラビア語のテレビもいくつか見られます。

で、思った。これ、ちきりんがもし、一定時間以上アルジャジーラ(もしくはそれ以外のアラブの番組)を見ていたら、その情報はホテルのテレビサーバーかなんかを通して、さる筋とかに情報提供されるんでないの?って。「○○○号室の客が、アルジャジーラを見ています」みたいな感じで。

そしてカードでホテルの支払いをする時、ちきりんのカードになんらかのデータが転記される。そして、そのカードで搭乗券を受け取ると、、、、ちきりんは空港で特別のセキュリティチェックを受ける。*1


そーゆーふーになっても、もう全く不思議でないよね。。。と思った。ちょっと、ぞっとした。です。


帰りの新聞で読んだ。ロンドンの地下鉄テロ以来、ロンドンは監視カメラだらけになっていると。一人が一日に300回も撮されてるんって。空港や地下鉄駅はもちろん、銀行のATMや大きな商業施設、目抜き通りなどにも設置されていて、ずうううううっと録画してるんだそうです。

そういえば、歌舞伎町とかも最近監視カメラが道をくまなく録画してる。



なんだかな〜


ねえ

*1:ちなみに911の後、アルジャジーラのHPにアクセスすると「このサイトにアクセスしたコンピューターの情報は、アメリカの諜報機関に特定されますから気をつけてね」みたいな注意書きがでてました。

2007-02-17 ビクトリア&アルバート博物館

すばらしかった。

今日は半日お休みだったので、ウオーキングをかねて標記の博物館まで行ってきました。いやーほんと圧倒されます。この博物館は久しぶりに来ました。ほんと、すごいです。

何がすごいか文字で説明するの無理です。すみません。

昔は美術館で絵ばっかり見ていたちきりんですが、最近は工芸品が好きなんです。だから、この手の博物館はホントしびれます。入場無料だし。すごいな大英帝国。彼我の差を感じます。


ため息がでるというか、ため息しか出ないというか、ものすごい精巧な工芸品、たとえば大理石やら他の天然の素材を、釘一本で削っていって、こんなに細密な文様を一面に???みたいな作品を見るとですね、「これはいったい何人の人が何年かけたんだ?」と思うわけです。

もしも一人で作っていたら20年とかかかるだろうな、と思える作品がごまんとある。昔の人は40歳くらいで死んだりするわけで、文字通り、一生で一つの大理石の壷の模様を彫ってました、みたいな人生がありうるわけです。

その壷の完成を死ぬ前に見られるかどうかも不明だし、たとえ見られても、それを使う人の生活は全くしらないままだろう。(壷を飾るのは貴族で、彫るのは職人だ。)

あまりにもすばらしい数々の作品を見ていて思ったのは、「人間の人生より大事な工芸品」という概念だ。

反対に言った方がわかりやすいかも。「取るに足りない人生」「高級たばこ入れひとつにも値しない人間」「無尽蔵な、無価値な、労働力としての人間」の存在が、何百年、何千年も後の、博物館の観客達を感嘆させるために必要だということ。


つまり民主主義が芸術を滅ぼした、とも言える。「人間の価値は皆、平等」とか言い出すと、芸術には限界ができてしまう。独裁、絶対権力、想像を絶する格差、がないと、ピラミッドもクレムリンもタージマハールもルクソールも、存在し得ない。

虫けらの命が、夢のような宝を生み、何千年も後に、平凡な観光客達を、ほんのひととき感嘆させる。



芸術を「ひとりの人生の範囲」で決着させようとすると、その人が見られる範囲のものしかできない。祖父が土台を掘り、親父が柱を彫った。俺は瓦を焼くんだ。俺の息子が、みたいな、そういうスパンでみないとルクソール宮殿とか作れないじゃん。

現代芸術の多くは、その手間を機械と技術でカバーしようとするわけだが、これはまだ無理があるのだ。なんたって、機械は人の手なんかには全くまだ追いついてないからね。柱を積む作業なら、クレーンがあった方が楽だろうが、細密な文様なんて、機械の方が得意なわけではない。

技術もね、昔もすごいですからね。これも、今がすごく進歩しているわけではない。未だにピラミッドの設計図さえ書けないんだから・・

ちきりんは現代芸術も嫌いではないが、まだまだ「イマイチ」感があるのは、淘汰が済んでないということに加え、やっぱ「制作に奴隷が使えない」というのも大きいんだと思う。誰もが腰を抜かすくらい驚くようなモノを、一人で作るのは無理だ。


そういうことです。

んじゃね。

2007-02-13 産むということ 黒柳徹子さんの洞察

すごく昔の話ですが、動物園のパンダが赤ちゃんを生む時に(親パンダも)死んでしまいました。

私はこの件に関する、黒柳徹子さんのコメントをすごくビビッドに覚えています。

元々の事件に関してはうろ覚え。いつだったのか、どこの動物園の話だったのか。

でも、それについて黒柳徹子さんがコメントしているテレビ画面のシーンだけは、ビジュアルも含め、今でも鮮明に蘇ります。

それくらい衝撃的というか、インパクトがあった。


徹子さんはこう言ったんです。「子供を産むというのは、それだけ大きなことなんですよね」と。

短いコメントなのだけど、む〜とテレビの前でうなってしまった。


私が衝撃を受けたのには、ふたつの理由があります。

ひとつはその内容。子供を産むのは命がけなのだ、ということ。

当時の私はまだ若く(たぶん学生)、そんなこと考えたこともありませんでした。

でもこのコメントのずっと後、私はそれを思い知らされる事件に遭遇しています。


会社の同じ課の女の子が、「産後の肥立ちが悪くて」出産後 半年ほどで亡くなったんです。

赤ちゃんは元気に生まれたけれど、彼女は出産後に入退院を繰り返し、一度も会社に復帰できなかった。

お祝いとお見舞いに行こうとしても、ご家族からは「今はちょっと・・」という返事ばかり。

そしてある日、突然そういう話を上司から聞かされ、めちゃめちゃ驚いた。


本人も二十代半ば。高齢出産でさえなく、なんの持病もない健康な女性の出産に、そんなことが起こるなんて思ってもみなかった。

そしてつい先日、43歳で初産を経験したアナウンサーの女性が、体調を崩して自殺というニュースを週刊誌で読み、

「子供生むって本当に大変なコトなんだよね」と。黒柳さんのコメントを思い出した。


身の回りの人(お母さんとか奥さんとか)のお産がトラブル無く終わっていると、子供を産むことの大変さってなかなか実感しにくい。

でも実際には「子供を産む」って母親にとっては命がかかってる。

高齢出産はもちろん、私の友人のように若くても、そして、人間以外の動物たちも、命をかけて子供を産んでます。

だからもっとお母さんに感謝しなくちゃ。私を生んでも、母が無事で本当によかった。


★★★


そしてもうひとつ、黒柳さんのコメントが印象的だったのは、彼女が(私の知る限り)出産の経験がない人だったということ。

他の人が「パンダかわいそう」「赤ちゃんパンダが見られなくて残念」といった情緒的なコメントに終始している中、

もしくは、せいぜい動物育成の専門家が「パンダの繁殖は非常に難しいんです」的なコメントを出している中、

彼女はずばり「子供を産む行為は命がけである」という一般の人が忘れがちな、でも、とても重要な事実を指摘した。

その鋭い洞察力というか、本質をついた発言に、私はものすごく感心したんです。

すごい、こんなこと言えるんだ!って。


しかもこの洞察を、彼女は「自己体験」なしに手に入れてる。

自分で体験していないことに関しても、本質を理解することは可能。

そういう能力を持つ人がいる。

自分も(精進を積めば!)そういう人になれる可能性がある、と思えて、すごく勇気づけられた。


★★★


よく言うでしょ。「あなたにはわからないわよ」って。

「体験した人でないとわからない」という言葉を半分信じつつ、私はこの言葉があまり好きじゃない。

だってそれって人間の限界を、分かり合うという行為の限界を、あまりにも安易に容認する言葉だから。


それが本当だとすると、「ブッシュ大統領は、イラクに生まれてないから、イラク人の今の気持ちはわからない」みたいな話になる。

そんな実も蓋もない結論でいいのか?


障害者が健常者に、

貧乏な人が金持ちの人に、

不細工な人が美人な人に、

「俺の気持ちはおまえにはわからない!」と言う時、それは「分かり合うことの拒否」に他ならない。


説明自体も、説明する努力もせず「どうせわかってもらえない」「おまえには絶対わからない」と言い切る。

それって切ないでしょ。

そう思うに至った経験を想像すると、本当に切ない。

だけど、そう言われてしまう。

コミニケーションの、相互理解の、拒否


黒柳さんのコメントは、私が怖れていたそういう絶望感を少しだけ和らげてくれた。

出産経験のない人が、出産の本質を誰よりも明確に突くことができるなら、私も、自ら体験できない多くの事象について、本質を理解できる可能性がある。

だからそれはとても明るい言葉だった。


以上、子供を産むという行為を軽くみないほうがいい。

そして、私たちは分かり合えるのだ、ということも信じたい。


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2007-02-11 科学の復讐

意見や思想に関して少数派であることもつらいとは思う。

だけど、もっとつらいのは「ごく少数の人がかかる難病」になることかも。昨日のガイアの夜明けで化学物質過敏症の人の生活を追っていたのを見ての感想です。

新築の家(建材等)や家具に含まれるホルムアルデヒドやその他の化学物質で、アレルギーとしてのシックハウス症候群になって(これは治るらしい)、一部の人は化学物質過敏症(こっちは今のところ治らない)になる。

この病気になると、普通の家には住めなかったり学校や会社に行けなかったり、社会生活に大きな障害がでる。

それってつまり収入が途絶えるということだ。テレビの中では病院にさえ入ることのできない人がいて(病院にも化学物質が溢れている)、この人が他の治療が必要な大病をしたら、いったいどーすんの?って思った。

原因も、よく言われる「新築のマンションで」というの以外に、近くの田んぼの農薬とか工事現場から飛んできた化学物質とかもあり、必ずしも都会の人だけがリスクがあるわけでもないみたい。


ちきりんもひどい花粉症なんでアレルギー持ちなわけですが、花粉症みたいに「国民病」になると、あれこれ治療や予防方法が出てくる。

ところが、花粉症よりもっと大変なこの病気になかなか救いの手がさしのべられないのは、まだ患者が少ないからだ。

昔、リウマチの専門医の方に話を聞いたら、研究に全然予算が投入されないと嘆いていらした。

リウマチは患者の大半が女性、しかも高齢者なんです。だから病気になっても「社会への影響が少ないと見られているんです」と。

例えばガンは、働き盛りの男性の命を奪う。GDPへの影響が大きいから、どこの国でも国の予算が研究から治療から予防まですごい額つぎ込まれると。そういう理屈です。

まあ、若干ひがみ的とも思うけど(だって患者の立場からしても、ガンの方が避けたいよねリウマチより)、でも、確かにそういう側面もあると思う。

つまり、「少数の弱者を襲う病気については、治療法や予防の研究が進まない。」ということ。予算がつかないのだ。予算がつかなければその分野の研究者はでてこない。

★★★

一年前くらいだろうか、ヨーカドーが海外から輸入して販売した小さな電気ストーブが化学物質ビームみたいな代物で、これをずっと使っていた人(受験生が多かったみたい)が過敏症になったというニュースをみたことがある。3000円を切るような値段の小型の電気ストーブだ。

なんたってヨーカドーというどでかいグループ企業の話なんで、マスコミも続報をほとんど流さない。(ホントに大きい企業のスキャンダルは報道が少ない。武富士、日興コーディアル、セブングループしかり、だ。狙われるのはパロマ、リンナイ、不二家等々、ちょっと露骨です。)

あのストーブのニュース以来、ちきりんは、あんまし格安な電気製品買うのはやめようと思った。

ドライヤーとか調理器具とかも含めて、です。だって「発熱」するものはなんであれ「化学物質放射ビーム」みたいな側面を持っている。人件費の安い海外では、日本で既に禁じられた塗料が使われている可能性もある。あーこわ、です。


あとよく言われるのが、コンビニ食品の容器。

化学物質の固まりのような容器に食品が入っている。

これをレンジで加熱する。この「化学物質+熱」というは、上に書いたように「病気になるためのベストな組合わせ」だ。しかもその食品を口から体内に摂取するんだもの。・・・うーん、これも病気になるための方法のようだ。


テレビの中で医師の方が言っていた。「過敏症になる人は、他人より少ない量でアレルギーがでてくる。でも、過敏でない人(鈍感な人)は何も感じない。そういう人には、何も感じないけど、最終的にずうっと後の方でガンとか、別の病気として現れているわけです。」と。

これは「なるほどね」でした。


敏感だと今でてきてアレルギーになる。鈍感だと表面には現れないが体内には蓄積している。結果は別の形でずっと後にでてくるってことだ。誰も逃れられない。


私たちは科学の復讐を受けていると思うですよ。


じゃね。

2007-02-01 「私は違うと思います。」

「よく考えろ」とか「考えが浅い。もっと深く考えて」と、言われたことがある人は少なくないですよね。では そのための具体的方法を教えてもらったことはありますか?

学校の先生や会社の上司などは、多くの場合、号令みたいに「もっと考えろ!」とは言うけれど、「こういうふうに考えれば思考が深まるよ」という具体的な「How ?」は示されない場合が多いですよね。

すると「もう一回よく考えろ」と言われても、やみくもに時間をかけて「ウンウンうなる」しかなく、当然だけれど全く考えは深まらない。 こーしろ、あーしろという人は、その方法論も一緒に教えてほしいと思います。


ちきりんの記憶でも大半の人はただ単に「考えろ!」というだけなのですが、何人か具体的にその方法論を教えてくれた人がいます。

そのうちのひとつの方法が「他人の意見を聞いたら、何か考える前に、“それは違うと思います”と言え」という方法です。なんだか失礼な方法論ですが、これホント役立ちます。

相手が説得力のある人とか、エライ人とか、マスコミだとするでしょ。すると「考えていると、なんとなく正しい気がしてしまう」ので、「考える前に違うと言え」というのです。

この「言う」のも大事。思ってるだけではダメです。言うと、相手から「なぜ違うと思うのですか?」と反論される。すると「ええっと、あのですね・・・」って説明しなくちゃいけなくなる。「なぜ違うと思うのか」を突き詰めざるをえなくなるので、考えることができるわけです。

誰かの意見に「ああ、本当にそうだなあ」とか「説得力あるなあ」と素直に感心していたら、思考が停止してしまいます。だから「違う!」と、まず言えと。

そういう方法論を教えてもらったのが十数年前。これはかなり役立ってます。


たとえば「日本の未来は暗い」という論調はよく聞きますよね。でも「いや、そんなことはないです。日本の未来はバラ色です」と言ってみる。すると「何が明るいのだ?人口も減るんだぞ。未来が明るいはずがない。」と言われる。すると、とりあえず(考える前に)「いや、人口が減っても未来はバラ色です。」と言い切ってしまうのです。

そうしたら・・・「本当に人口の大小と未来の明るさは関係しているのか?」と考える必要がでてきます。そして、多くの人がお手本のように語る北欧の多くの国は、イラクやイランより、もちろん、中国やインドより、圧倒的に人口の少ない国だということに思い至るでしょ。

また「そもそも未来の明るさとは何なのか?」ということを明確にしないと反論できないことにも気がつきます。そして「明るい未来」の定義こそが、この議論の根底にあることにも思い至ります。

というように、とりあえず「違う」と言ってみる。そしたら思考が進むかも?


また明日。