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Chikirinの日記 RSSフィード

2007-06-30 自分基準

何かの行為や人を責める時、あなたは「なにを基準にして」責めていますか?実は人が何かを批判する時には、ふたつの異なる起点がありえます。


起点となりうるのは、

(1)あるべき姿

(2)自分

のふたつ。私たちは何かを責めるとき、無意識にどちらかを“起点”に選んでいます。

「それは、あってはならないことだ」というのは(1)のあるべき姿との比較で、「オレはそんなことは絶対しない。それは責められるべきだ。」というのは(2)の自分との比較です。“自分=あるべき姿である”という完璧な人なら、ふたつは“常に同じ”なのかもしれません。


この基準が非常に明確なのがマスコミです。マスコミが他者を批判する時は、その起点は常に「あるべき姿」です。彼らは自分達の会社に女性重役がほとんどいなくても、「企業は女性を公平に処遇すべきである」と書くことに躊躇しません。「学歴偏重はよくない」とか「採用の早期化が問題だ」という報道も同様です。

また、「正規社員と非正規雇用の人の待遇が違いすぎるのは問題だ」と報道する新聞社にもテレビ局にも、下請けや非正規雇用で、正社員とかけ離れた処遇をされている人はたくさんいるでしょう。だからといって彼らがそれを「仕方がない時もある」と報道することはありません。マスコミの批判精神の起点は常に「あるべき姿」であって、「自分が基準」ではないのです。


一方、「あるべき姿」を起点に責められやすい職業もあります。政治家や医者です。急に記者に囲まれて矢継ぎ早に質問され、うろ覚えのことを答えてしまい、それが間違っていた、などということは誰にも起こりうるのではないでしょうか?「自分を起点」で考えると責めたりできない。

でも相手が政治家となると、世の中の人の多くがそれを許しません。「いい加減だ」「意見がぶれる」と責めます。この視点は「あるべき姿」です。自分を振り返れば責められない場合もあるはずなのに、相手が政治家だと遠慮がありません。

医者もそうですよね。40年働いていて、仕事でミスしたことがない、という人はいませんよね。毎日なんらかのミスをしている人さえいるのでは?でもそういう人でさえ、「医者のミス」にたいしては「あるべき姿」と比べて「あり得ない。ひどい。」と責めます。

もちろん医療過誤はとんでもないですが、ミスが発覚した時に「あるべき姿と比較して責める」という姿勢の他に、「自分と比較して、高いプレッシャー下の仕事には常に一定のミスが起こりうることを理解し、その上で、今後どうすればいいかを考える」という思考も重要だと思います。


ちなみにちきりん個人的には、何かを責める時に“あるべき姿”ではなく“自分”と比べることが多いです。なので、たとえば多忙な中で凡ミスをした人の報道を見ると、責める前に「ああ可哀想だなあ。つらいだろうな、怒られるだろうな。首になるかも?」と思ってしまいます。

このアプローチのまずいところは、自分があまりにも“適当な性格”だと、「ほとんど誰も責められなくなる」ってことでしょうか。

たとえば狭い雑居ビルの非常階段にゴミ箱や段ボールを“ちょっとの間だけ”置いておくような行為。まさか火事が起るとか思わない。それらの荷物のために人が逃げられなくて死んでもいいなんてもちろん思わない。

だけど、自分がそのビルの所有者(管理者)だったら、毎日ひつこくテナントのバーに指導をするだろうか?もしテナントが言うことを聞かなければ毅然として「出て行ってくれ」というかしら?・・・と考えると、はなはだ心許ない。

でも実際に火事が起こり、その荷物のせいで人の命が奪われる事件もあります。そういう場合、“あるべき姿”と比べると「非常階段にモノを置くなんてとんでもない行為だ。許し難い。」となります。一方でちきりんには、こういうのを簡単に責めることができません。「自分がオーナーだったら、本当にちゃんと指導してただろうか・・」と考え込んでしまいます。


特に「責められない感じがする」のは、“自分が生まれた環境から抜け出て成功するために、無理をして無茶をしてのしあがってこようとした途上で大きな失敗をする”人達です。

そういう人の多くは「極悪非道な人」という感じはしません。不注意だったり軽率だったりするし、何よりも無知な場合が多い。“無知で不注意”なことと“極悪非道”なことは違います。けれど実際には、“無知で不注意”なことから重大な災害が起ります。被害者から見れば「許し難い事件」となるでしょう。


ちきりんが、“極悪非道”と感じるのは、自分の享楽、快楽のために弱者の命を奪うような犯罪です。“ありえない”と思うし、“重罰に!”と思います。遊ぶお金ほしさにお年寄りを突き倒して財布奪うとか、性的な快楽のために誰かの人生を踏みにじるとか。そういう犯罪に関しては遠慮なく責められる一方で、自分も環境や状況によってはそうしていたかも、と思うことは批判しにくいです。


というわけで、何かを批判している人の話を聞くと、その人が“あるべき姿”と“自分”のどちらを起点に責めているか、見えることがありおもしろいです。時には「そこに起点が!?」と驚くことも。皆さんも何かを責める時、自分の“起点”を意識してみるとおもしろいかもしれません。


そんじゃね。

★★★


<誰かを責める時の起点が“自分”であることが明らかな過去エントリ>

(1)ヒューザー社長と姉歯さんについて

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20051203

(2)折口会長について

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20070611

(3)無差別殺人事件の人について

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20070420

2007-06-29 ペットボトル入りお茶と水の違い

仏壇にお茶を供えて一日おいとくと、この季節、お茶の上にカビが浮くのよね。白い丸いカビが二つくらい浮きます。

手抜きしてペットボトルのお茶を入れて供える日もあって・・・ああ、こんな手抜き、ご先祖様ごめんなさい!お父さんごめんなさい!って感じなのだが、

二日くらい置いといても、発生しませんね。

かび。


やっぱいろいろ入ってるってことよね。ペットボトルのお茶。いかにも「ヘルシーでございます」って顔して売られてるけど、やっぱり「カビが生えない何か」が入れてあるわけだ。カビや雑菌を殺してしまうような何か。

そういうものを毎日毎日何十年も飲んでいたら、そりゃーガンにもなるわよな、と思う。胃壁も腸壁も“イイモン”の雑菌やらカビやらで守られている気がするもの。そーゆーのも殺しちゃうわけでしょ。ペットボトルのお茶。結局のとこ、毎日薬飲んでるようなもんです。はい。


最近の日本で売られてるお餅も、カビ生えにくいですよね。家でついたおもちって、すぐにカビだらけになる。食パンだって昔はカビがすぐに生えてませんでした??最近、パンもカビが生えにくい気がするのはちきりんだけか?

どうもね。食べ物ってどんどん“毒化”してると思う。


★★★

最近の冷蔵庫って氷を勝手に作ってくれるでしょ。あの容器の部分も汚れるのよね。ある程度ははずして洗えるようになってるけど。

ただ、カビが生えるか?というと、水道水を使っている限りは大丈夫なんです。そもそも氷を作る冷凍庫はマイナス20度とか?だし、水をいれる冷蔵庫の部分だって常に5度くらい。だからあんまりカビは発生しない。というか、水道水で氷作るとカビない。

が、実はボトル入りのミネラルウオーターをあそこにいれて氷を作ると、そんな温度なのにカビが発生するのよね。だから冷蔵庫の説明書には、「氷は水道水で作ってください。ミネラルウオーターを使わないように」って書いてある。



これ、おもしろいなと思うです。

こっちの場合、ペットボトルに入っているミネラルウオーターの方が“自然”なわけ。水道水の方が“カビも生えない状態”に消毒されている。


そういうこと。

それが違い。同じように見えて、“ペットボトル入りお茶”と“ペットボトル入りお水”は、全然違う。



食べ物が安全かどうか知りたければ、皿にのせて、コップにいれて3日放置すればいい。カビが生えないものは・・・長期間継続して食べたり飲んだり、しないほうがいいと、思う。

んじゃね。

2007-06-27 誰が言ったか、何を言ったか

世の中は、「誰が言ったか」って方が「何を言ったか」より、だいたいにおいて重要だね。

唐突になんだって?

たとえば、「増税か」「減税か」という中身が大事な気がするでしょう?議論においては。一瞬ね。「増か減かどっちなのか、ってのが問題なのだ!」と。

でもね、それはたいして重要でなかったりする。小泉さんが言うか、ちきりんが言うか、の方が実はよっぽど重要だ。



ちきりんが「増税だ!」と言おうと、「減税だ!」と言おうと、そしてそれをテレビや新聞が報道しようと、誰もなんも気にしません。が、小泉さんが言えば、すごいことになるだろう。それが増税であっても減税であっても、大騒ぎになる。

つまり、増税でも減税でも、ニュースバリューは変わらんが、小泉さんかちきりんか、というのは大問題だ。

と、何を当たり前のことを言っているのかって?


あの北海道のとんでもミート会社の田中社長の発言ですよ。あれ聞いて、ああ、「何」より「誰」なんだよな、と思った。


彼の発言の趣旨はふたつ。

「皆やっている=ミンチ会社が違うものを混ぜているのはよくある話。」

「安いモノだけを求める消費者にも問題がある。」

これが「何を言ったか」です。発言の内容です。WHATです。


これさあ、消費者啓蒙団体とか、家庭科の先生とか、親とかが言えば、「なるほど」って感じじゃないですかね?

居酒屋で隣のテーブルのおじさんが、「どこのミンチだっていろいろ混ざってるに決まってるよな〜。安物に飛びつく消費者がアホなんだよ〜」とか言ってても、そんなに腹立たしくないでしょ?同じ内容でも。


実際、ちきりんは小さいころスーパーにお買い物にいくと、母親にいろいろ教えてもらった。例えばお肉やお魚はこうやって指で押さえてみると。すると、その戻り方の弾性の強さによって新鮮さがわかるんだ、とか。

キュウリならあのつぶつぶが痛いくらいのものが新鮮なのだ、ネギならパリパリ感、みずみずしさをみろとか、寒天状の食べ物はすごく鮮度が大事だから製造日を必ず見ろとか。

で、よく言われていたよ。「ハムやソーセージ、それにコロッケとか、材料の形の見えないモノは安いモノを買うな」って。


つまりさ、「そういうものは何が混ざってるかわからない。業者側がいろいろ違うものを混ぜるのはよくある話。だから消費者としてできることはあんまり安売りのものを買わないことよ。」と教えられてた。

古い肉を買わないですむように工夫するのと同様に、混ざりモノの多い変なモノを買わないように気を付けろ、と。


言ってることは、うちの母親も田中社長も同じだよ。


でも、問題は「誰が言ったか」だ。

田中社長は、それを言うべき人ではなかった、ということだろう。

★★★

おもろいのは、マスコミの報道だ。彼らは「田中社長がこういうこというのは変だ。」という報道はしない。「誰がこれを言ったか、という点が問題なのだ。」という意識はないよね。あくまで「彼が言った“中身”がおかしい」と報道している。

「とんでもないことを言っている」と、ひどいことだ!、と責めている。


マスコミってたしかにそういう業界だよね。関西テレビのあるある大辞典のやらせ問題。あれもかなりとんでもなかったでしょ。納豆なんて見たこともない学者の英語の会話を超適当に訳して「納豆は!!」と報道した。

でもそれがばれたとき、彼らは「やらせなんてテレビ局はどこもやってる。」とか、「おもしろ可笑しいだけの番組を見て視聴率をあげてくれる消費者がアホだからだ。」とか一切言わなかった。

あくまで「あってはならないことが起こった」と言って謝ってた。下記の過去エントリにも書いたが、このことの方がちきりん的には笑えた。


で、あの時、ちきりんは思ったの。誰でもやってることは皆知ってるだろう。他の番組もおなじじゃん、と。でも、それを今マスコミが言うと問題になるから、言わないのだろうな、と。ちきりんはそう解釈してました。

しかし、違ってたようだ。彼らは「誰が」が問題なのか「何を」が問題なのか、というふたつの異なる問題を分けて考えてないんだね。

単に「何を」だけに注目している。今回の報道で、それがよくわかった。



このあたりがマスコミが世の中についてこれてない現状を象徴してるんでないかと思う。世の中はもはや「何を」だけを問題にはしてないと思う。「誰が」という点と、その関わりにおいて何を、つまり、「誰が何を」という組み合わせで、発言の意味を判断していると思うんだけどね。

今回の田中社長の発言に「ひでえやつだな」と思っている視聴者は、「彼が」そういう発言をしていることに憤っているのであって、「何を」の部分に怒っているわけではないと思う。つーかさ、「何を」の部分だけとりだせば、「そーだよな」と思っている人結構いるのでは?

しかし、それを報道しているマスコミは、この差に気が付いてないと思うのよ。そういう感じのする報道なのだわ。だって、気がついてたら別の報道があるだろう?と思うのよね。

マスコミ人としてどこに注目しなくちゃいけないか。「誰が」と「何が」の目のつけどころが違えば、行くべき場所が他にあるはずでしょ?違う?


まあ、その辺のシンプルさっつーか、単純さが、地上波ってことなんかね、とも思うけどね。


んじゃね。

★★★

過去のご参考エントリ


(1)安いミンチ製品を買わないお話

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20050615


(2)あるあるの捏造問題に関してのエントリ

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20070128

2007-06-25 友達いないんで・・

ネットで外部の人となんらかつながっています、という人は多いと思うのですが、つながり方のタイプを分けるとこんな感じだろうか。


(1)メール・オンリーさん(他者とのつながりはPCのメールのみ。ウエブは情報収集のみに使い、他者とはつながってない。)

(2)ケータイ・オンリーさん(基本的にPCを使わない)

(3)SNSさん(SNSを主に使って他者とコミュニケーションする人。)

(4)ブロガーさん(ちきりん)

(5)チャネラー

(6)マルチさん(全部やる)

こんな感じ?


(1)はどんな人かというと、まあ、ネットで発信だのコミュニケーションだのとる必要はない人ってことでしょう。リアルな社会で言いたいことを言い、聞いてくれる人がいて、コミュニケーションに溢れた生活をしている。ので手紙や、音声電話の代替ツールとしてPCメールは使うけど、ネットの世界に「他者とのつながり」を求めているわけではない、という人。もしくか、そもそもそういうの好きでないか。


(2)は中高生が多い。理由は明確で、まず端末が安いこと。PCは最低でも10万円するし。もうひとつの理由は、いつでもどこでも親に見られずに友達とコミュニケーションできること。一人一台だし持ち歩けるしね。


(3)と(4)がどう違うのか、ってのがおもしろいと思うのだが、(3)の人は「リアル・コミュニティ」で生きてる人ですよね。

SNSって結局は知り合いとネットでコミュニケーションする場所です。もしくは、知らない人でもリアルな知り合いとなることを探りながらコミュニケーションが始まる。だから(少なくとも昔は)実名、実際の写真を出す形で始まった。

「リアルとネット上では同じ人格である」というのが基本だと思う。


一方で(4)の人って、ちきりんも含めプロファイルを特定されないようにしてる人が大半でしょ。公開しているのは営業目的の人だけだよね。社長とか自営業、政治家、タレントとか。

なんでプロファイルを公開しないかというと、「自分だとわかると言えないことで、でも、言いたいことがある!」ということだと思う。

リアルな社会において、“言えないこと”というのが存在する人とも言える。言うと角が立つとか、仕事に差し障るとか、自分の性格を知り合い全員に知られたくないとか、いろいろ。


もうひとつは、リアルな社会のコミュニティが、自分の趣味とは違う軸で成り立っている人ってことだろう。ちきりんもそーだけど、リアルなコミュニティの大半は仕事つながりなわけで、それは別にちきりんと気が合う人の集団ではない。むしろ「絶対友達にはなれないでしょう」って人ばっかりだったりする。

でも仕事としてはいい仲間なんで、それはそれでいいのだが、それとは違う「ちきりん」という人格があると。ところがリアルな社会で、そっち側のコミュニティを持っているか、というと持ってません。

時間がないとか、面倒だとか、そんな趣味持ってる人が限られてるとか、いろいろあるでしょう。とにかくリアルコミュニティでこーゆー人だけで集まっているという状態ではない。


すると、ブログで発信というのは、非常に適してる。自分が誰か特定されないから、言いたいことが言える。読みたい人は、趣味が似ている人だけが読めばいい。「友達の日記だから読む」というのがSNSだが、「趣味嗜好&思考が同じだから読む」というのがブログだ。

しかも、その人がブログで開示している性格・趣味の部分だけが好き、ということでOKだ。リアル・コミュニティへの発展を前提としていないから、そのブログに現れていない部分の性格について、お互いどーでもいい。

誰のブログでも同じだと思うが、例えばちきりんブログを毎日読んでいる人で、実際のちきりんを知って友達になれる、なりたいと思う人はごく少ないだろう。それぞれが自分のごく一部だけをネットに乗せて、その共通点の部分だけでつきあっていく、そういうツールだよね。ここがSNSと全然違うところだ。


(5)(6)は基本的にリアルよりネット内で人とつながろうという人だよね。ここにくるとネットとリアルの重要性が逆転してるんでしょう。「リアルなオレ、昼間のオレは本当のオレではないのだ!」という感じか。


つまり(1)から(6)にかけて、自分の重心がリアルからネットに移ってくるようなグラデーションがあると思う。コミュニティはリアルのみ、であれば、その連絡ツールとして電話やメールだけがあればいいのだ。

コミュニティがリアルのみで済むというのは、ある意味すごく幸せでしょう。リアルで出会える人なんて数としても機会としても極めて限られている。にもかかわらずそうやって出会った人だけの間で人生楽しくすごせちゃうなんて、すばらしい。幸せというか、充実してるよね。

もちろん妬みを込めて言葉を探せば、世界が狭いのだ!とか性格が単純なのだ!とか言えるけど、実際にはそうではないのだろうな。素直で開放的で健康的で、かつ、恵まれた人だと思う。

反対にいえば(6)に近づくほど、少なくとも現代社会においては恵まれてないってことでないの?って気がする。

★★★

ちきりんも基本的に友達の多い性格ではない。一緒に旅行に行く友達に「マイペースすぎる」「喧嘩売ってるの?」と言われるくらい(その友達に、ではなく、旅の途中で会った人などにたいして)愛想悪い。

これ仕事の反動です。明らかに。仕事で「無理矢理に、とにかく楽しそうにしている私」「余りにくだらない話を興味深そうにニコニコ聞いている私」というのがいて、もうプライベートではそんなこと、とてもできないです。耐えられない。勘弁して、って感じです。

ブログはそういう意味でフラストレーションのはけ口になってると思う。言いたいこと言わしてもらいます。気にいらん奴は読むな!って感じだ。


まあそういうことです。なにを考えていたかというと、自分はなんでSNSではなくてブログをやってんのかな?と思って。そうしたら、友達がいないからじゃん、とわかったと。そういうことで。

んじゃね!

2007-06-24 SPA! おもしろすぎ

この前書いた SPA! なんですけど。あの記事以外もかなり秀逸だったのでいくつか紹介します。ちなみにこの雑誌、結構長寿ですよね。ってことは、そこそこ売れてるってことで、ちきりんと同じセンスの人が多いってことか。

ただ、昔誰かが「ヤな女」というくくりで「SPA!読んでるような女」と言っていたのは、ちょっと心にひっかかっていたりはするけど。。


まず最初に“中年下流の実像”っていう記事。定義は「35歳以上で年収400万円以下」とある。

確かに働き始めたばかりの20代前半なら年収400万の人は沢山いるし、そこから上がっていく可能性もある。つまり年収基準だけだと“下流”は定義できない。だけど、35歳すぎという年齢軸をいれて2軸にすると“下流”が定義できる。

ここで感心したのが、“この層”がこの前も書いた“特定の時代性”の中で生まれていることを指摘してのネーミングである点。


ご存じの通り、就職環境のボトムは1994年〜2003年あたり。この年代は今年26歳〜35歳。彼らは、不景気の煽りで大卒後就職できず、やむを得ずフリーターになり、今も“正社員経験がない”という理由で好景気に取り残されている。そのことが問題視されている層です。

その中でも一番割を食ったのは1994年に22歳の1972年生まれ。彼らが今まさに35歳を迎えようとしています。他の年代に生まれていたら“そこそこ”の人生が手に入ったはずの人たちが、「今年、下流のまま中年に突入」するんです。

彼らの世代には、いろんな呼称がつけられている。「就職氷河期世代」が一般的なネーミングだけど、精神科医の香山リカさんが「貧乏くじ世代」と呼び、朝日新聞が「ロストジェネレーション」と呼んだ。そして今、SPA!がそれを「中年下流」と呼び始めた。

「中年下流が一番センスいいじゃん!」と思うのは、ちきりんのセンスがSPA!的であるっことかな。


★★★


別の記事。「どの通販ダイエットが一番痩せるか?」という特集。太った人がいろんな“通販ダイエットツール”を実際に試して体重等の変化を比較してます。あまりにばかばかしくて楽しい記事です。

最初にとりあげられるのは“ビリーズブートキャンプ”。で、最初に108.6キロの人がこれを3日間試して結果は109キロ。


増えてどーするよ!


って、記事もつっこんでます。これを試した人、食べ過ぎだってば。運動したかもしれんけど・・結局10日やって106.6キロ。うーむ、微妙だ。


その他、チタン・シェイプ・スパッツは「汗は大量にでたが体重は減らなかった」とか、スレンダーシェイパー、マッスルトレーナー、ロデオキングなどテレビでおなじみの名前の器具が次々に試されてます。

あまりにばかばかしいので、読んでても大笑いしてしまいますが、試した人が一番痩せたのが「マイクロダイエット」です。73.6キロの人が71.7キロ。ウエストの減り方もこれが一番大きい。つまり、痩せたいなら運動より食事制限が有効という当たり前の結果になってます。

なんだけど、この人の記事も「一日2食をマイクロダイエットに変えたが、他の一食をソバにした日は痩せて、ジンギスカンとビールの日は太った」と書いてあって・・・おもしろすぎる。


何がおもしろいかって、こういう通販が次から次へと新しいダイエットツールを紹介する。購入者はひとつ買って、結局3日坊主で痩せもせず、すぐに使わなくなって置き場所に困っているのに、また次のダイエットグッズがテレビで大量のCMで流れると、ついつい買ってしまう。

これは、そういう購入者がやまほどいるってことを、皮肉る記事なわけですよ。“ぶらさがり健康器”の時代から同じなんだと、いうのが伝えたいことであり、それがよく伝わる記事になっている。

そして、それでもこういうグッズを買うことをやめられない「太った」「下流の」「懲りない人たち」を自虐的に皮肉って分析し、でも、暖かく応援している。

このSPA!の姿勢が、とてもおもしろい。

彼らが太っているのは、テレビの前でこういうグッズのCMをみながらボリポリぽてちを食べているからに他ならないのだが。

★★★

最後に、「見る女の論理」という記事。この記事タイトルもおもしろい。内容は「彼氏のケータイを平気で“見る女”と“見ない女”がいる」と。

文章がイケてる。

左のグラフを見てもらえれば一目瞭然だが、44%と実に半数近くの女性が彼氏・夫のケータイを盗みみているのに対し、“見られている”という自覚のある男性はわずかに12%。(中略)残念ながら、男性の危機管理は極めて甘いと言える。

最後の一行、笑わせてくれませんか?


さらに、

詳細は次ページより紹介していくが、平穏無事な未来を手にいれるため、冷静に読み進めて頂きたい。


めちゃくちゃ笑いました。“冷静に”って何?“冷静に”??

しかも5ページにわたり詳細に傾向と対策を分析、紹介。ほんとおもしろい。


こういう職業に迷い込まなかった自分を呪う。


というわけです。どうでしょう?全然、何がおもしろいのかわかんないですか?ちきりんだけなのかしら、こんなに大笑いしてるのは?

だとすると、ちきりんは幸せです。370円で2時間くらい笑ってました。通勤時間にSPA!読みながら笑いがこらえきれない女って、ホント不気味だとは思うけど。



というわけでした。またタマに買うことにしたです。SPA!

こんだけ言っといて「タマに」かい?って


まっ、その辺が関西人。



んじゃね。

2007-06-23 それがホントにメディアの役目なのか?

ニュースが・・デジャブ感にあふれているというか。見ていてとてもあほらしい感じがする。


たとえば渋谷のスパの爆発事故。

オープン以来一度も天然ガスの濃度を測ってなかったとか、検査会社もそんな指示は受けてないとか。

これ、どっかで見たニュースでしょ。ちょっと前に。


そう、大阪の遊園地のジェットコースター事故と同じ。

だあれも、そういう危機感を持っていなかったし、みんなそもそも原理としてよく知らなかったと思う。金属疲労とか、温泉と一緒にガスがでているもんだとか。

そういうことを誰がわかっていたのか不明だが、誰も「オレが点検しないと誰もしないだろう」とか、そういう想像力も働かないし。



なんだけど、ちきりんがもう本当にお腹一杯なのが、それを全くおなじ口調で報道するマスコミのほうで。

まるで鬼の首をとったかのように、「オープン以来一度も天然ガスの濃度は測定されていませんでした。」とか「オープン以来一度も軸受けは交換されていませんでした。」とか。



なんだけど。

そのことを、事故後に報道することに意味がないとは言わないが、

そのことを、事故前に提起できないことには何の落ち度もなく、なんの恥じることもないという、そのジャーナリストさんとやらの偉大さが

あまりにも

気分悪い感じだと思うのだ。


★★★


重力に挑戦を続ける鉄のマシンが日本中に溢れ、過去何百年も温泉地でありえなかった都会に続々と温泉施設がオープンし、それは事故の前からあまりにも顕著であまりにも不思議なことであったはずなのに、

そういうことに「大丈夫なのか?」「メンテされているのか?」「危険性はないのか?」という問題提起が、仮にもジャーナリストなどという仰々しいタイトルの職業の方々から、これまで一切でてこなかったというのは、彼らがそういう視点を持ち得なかったことというのは、胸を張って威張れることなのか?


そういうことなのか?


たとえばミートなんとかっていう北海道の会社。牛肉に豚肉を混ぜていたとか、国産といいつつ外国産の肉だったとか。

仰々しく「立ち入り検査に入る農林水産省の検査官」とやら。

ライブドアのオフィスに踏み込む地検の特捜部の人たちやら。

全く同じ絵柄で。

デジャブ感に溢れている。


問題が報道されて、それから「すわ出張だ!!」と集まるのだろうか。

テレビで見ただけでも10名以上もの検査官途やらが、会社にものものしく踏み込む。

刑事ドラマの見過ぎじゃないか??


見つけてから踏み込むの、そんなにエライことか?

何年も消費者を騙していた会社に、踏み込むの、そんなエバッてできることか?

「じゃあ、いったい今まであんたら検査官は何していたの?」という問いは、全く浮かぶことはないのか?


なんか、こう、勘違いがあるのではないかと思うんだけどね。


毎回毎回、泥棒が捕まった後に、偉そうに出動する警察官と、毎回毎回、泥棒が捕まった後に「実は盗難対策はお粗末でした!」と嬉しそうに報じるマスコミ。


なんか変だな?って


ほんとに思わないですか?

2007-06-22 たまにはスパ!読もう。

“言葉のセンス”のある人がうらやましい。

“ハンカチ王子”と名付けるだけでもすごいのに、次に見つけてきた若いゴルファーを“はにかみ王子”と呼ぶセンス。誰だか知らんけど(ふたつのネーミングをした人は異なる人だと思いますが)いずれもすごい。

あれ以来ちきりんも、電車の中でかわいい高校生とか中学生を見つけるたびに、“もしこの子を○○王子と呼ぶとしたら何?”とか、自分の頭の中でネーミングを考えたりするんだけど全然思いつきませんね。

あんまジロジロみてると痴漢みたいだし・・・

★★★

今日久しぶりに SPA! を読みました。スパは大好きな雑誌なのだけど、最近余りに手抜きなので二ヶ月に一冊くらいしか買わなくなってました。けど、今日久しぶりに読んだら、やっぱいいセンスしてるよね〜、と思いました。

今日感心したのは、「日雇い犯罪者」というワーディング。携帯やネットとかの掲示板に書きこまれた裏アルバイトの求人に応じる人のことです。

同じでも、表の、普通の“日雇い労働者”はよく知られてる。現代版日雇い労働者は半場ではなく、グッドウイルなどで一日7千円くらいの日雇いの仕事を探して、夜はネットカフェ難民になる。年収200万円くらいの仕事。

これの裏バージョン。仕事はちょっとした犯罪行為。たとえば、自分の名義で携帯電話を契約して売るとか、口座を開いて売るとか。ほかには、振込め詐欺で集まったお金をATMから引き出すアルバイトや、偽造クレジットカードで買い物する、盗んだ保険証を渡されて消費者金融でお金借りてくるなど。

こうみると、犯罪には大量の手先人材が必要なんだなーとわかります。メンの割れてない、かつ、万が一逮捕されても前科がない(=牢屋に入る必要はない)、また、組織の秘密を何もしらない、大量のアルバイトが必要なんです。で、こういうアルバイトを毎日ネットでさがして暮らしている人を「日雇い犯罪者」って呼んでる。


超センス良い言葉でしょ。



しかも記事中の分析もなかなか鋭い。

こういう日雇い犯罪者には「レベル」があると言う。最初は携帯電話を契約してくるとか口座を開設するとか、あんまり「犯罪っぽくない」行為からスタートする。(どちらも犯罪ですけど、あくまで「ぽくない」ことが大事)

次のレベルになると、怪しい口座から現金を引き出してくるとか、渡されたクレジットカードで買い物するとかになる。そして、いくつかの段階を経て、最後には指定された人と養子縁組したり、結婚したり離婚する。戸籍ロンダリングに利用されるわけです。


そういえば先日、ピンクのバンで血だらけの死体が運び出されたという事件があったでしょ。その死体があった部屋のマンションの契約者(男性)は、「何度も養子縁組を繰り返し、無数の会社の社長として登記してあった」と報道されました。そう。こういう人になっていくんです。最後は。

表にでられない人生ってやつ・・。

★★★

おもしろかったのは、こういうアルバイトをネットで募集すると、応募者は何十人もいるが、実際に採用されるのは十人にひとりもいないと。

なんで?

「多くがシャブ中やアル中で使い物になんないんですよ」って。


そりゃそうですね。こういう仕事をする人は、ほぼ全員が多重債務者だとは思っていたけど、ちきりんの想像以上に「もっとせっぱつまった意味で、お金が必要な人たち」ってことであり、「表では絶対に雇ってもらえない」人ってことなんですよね。なるほどです。


そして最後に記事はまとめてる。世界に冠たる一流企業の工場で、偽装請負や日雇い派遣の人が大量に必要であるように、すべての犯罪にも、こういう“いつでも切り捨て可能な人材”が大量に必要なのだ、と。表も裏も同じだと。


これはインサイトフルですね。

やっぱたまにはスパ読まなくちゃと思いました。


んじゃね。

2007-06-19 明日いきなり

生きる姿勢について、昔の作家や哲学家などが残している名言の中で、ちきりんが強く共感した言葉をいくつかご紹介します。


最も衝撃を受けたのは、フランスの女性小説家、フランソワーズ・サガンの「たとえ悲しくて悔しくて眠れない夜があったとしても、一方で嬉しくて楽しくて眠れない日もある人生を、私は選びたい。」という言葉です。

彼女は若くして小説が売れ大金を手にします。すると様々な思惑のある大人達が彼女の周りに集まってきます。彼女はそういう人達とオープンにつきあい、時に無茶をします。それにたいして“善良なる大人達”が彼女に忠告します。

「つきあう人を選びなさい。誰が貴女のことを本当に考えていて、誰が貴女のお金に引かれているのか、見極めてつきあうべきですよ」と。

そのアドバイスに対する彼女の回答が上記です。


騙されること、利用されること、傷つけられることをイチイチ怖がったり器用に避けて生きる必要はないでしょう。それらを怖れて何もしなければ、楽しくて嬉しくてすばらしいことにも出会えないのだから。私がほしいのは“何も起らない平穏で退屈な人生じゃないのよ”と彼女は言っているのです。

これは本当にそう思います。人生には、悲しいこともつらいこともあっていいんです。だからこそ一方で、嬉しくて眠れないことも起こりえるのだから。いいにしろ悪いにしろ感情を大きく揺さぶることが何もない人生なんて全くつまらない。泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだり、感情豊かに生きていきたい。彼女はそういう生き方を選びます。


他の作家の言葉で、「人生の傍観者になるな。観客席に座っていてはいけない。舞台にあがって自分の人生の主役を演じるのだ。」というのも同じです。


ぼーっと観ていると、人生という名のお芝居はいつのまにか終わってしまいます。お芝居を観るのもそれなりに楽しいけれど、やはり主役として演じなければ本当の楽しさはわかりません。

観客席に座って、「ああ、オレは大学に行くんだな」「就職するんだ」「そうか、結婚するんだね」と、自分の人生をまるで他の誰かが演じているかのように観ていては生きる意味がありません。

生きるということは、観客席から立ち上がり、舞台に立ち、自分で自分のストーリーを決め、そのために振る舞うことなのです。


ちきりんがこれらの言葉を知ったのは大学生の頃です。自分でも中学、高校、そして大学への進学には“当事者意識”が持てていませんでした。みんながそうするから、そういうものだから、大学生になっていました。

これらの言葉に出会い、強く思いました。「自分の人生を傍観してる場合じゃない!」と。そして、自分も人生において、飛び上がるほど嬉しいことを是非経験してみたいと思いました。

将来のために我慢して、準備して、危ない橋を避けて安全だと分かる途だけを選んでいたら、きっと「大失敗もないけど、飛び上がるほど嬉しいこともなかった」人生になってしまいます。


人生はいつ終わるかわからないのです。それは明日かもしれない。だから今こそ、自分の人生をおくらなくっちゃ、と思います。


んじゃね。

2007-06-17 適当(な文章、という意味)

マスコミの年金問題報道はすごいね。我が国は本当に平和だ。今日コメンテーターがテレビで「だいたい年金制度がおろそかになった国は、滅びる傾向にあるんですよ」って言ってて絶句した。

こんな、“聞いた瞬間に誰もが嘘だとわかること”をテレビで言えるってすごい神経だね。マヤ文明が滅びたのは年金制度の破綻のせいだって?ローマは?大日本帝國は?

司会者も言うべきでない?「いやさすがに・・そんな訳のわからんことを言うのはまずいと思います。」って。


年金問題で公明党の人が演説してた。「菅さんも小泉さんも坂口さんも厚生大臣だった。みんな悪いんです。我々にも責任あります。でも、今すべきは責任追及ではなく、これからきちんとやっていくことなんです。まずは“組合活動だなんだと言って、まじめに働かない社保庁の職員を正していくこと”が、大事なんです。」って。

この政党がなぜ選挙にあんなに強いか、端的に表す演説だと思ったよ。

★★★

全く話が変わりますが、キッザニアとかいう、子供に職業体験をさせる「税金箱モノ公共事業」のパビリオン?が人気らしい。ニート対策という名前の箱モノ公共事業なんだけどね。

で、アイスクリーム屋とか花屋とかウエイトレスとか、“いろんな職業”を子供に体験させられるそうです。でも親によっては、「んなとこ連れてって、うちの子供が花屋にでもなったらどーしてくれんねん?」とか思いそうだけど。

つーかさ、こんな人口の減る国で、んな職業に子供を誘導してどーするよ?


んじゃね!

2007-06-11 だれが勝ち組だって?

コムスンの折口会長なんですけどね。よく知られているように、父親の事業失敗で、小さな頃、豊かな家から急に貧乏になってるんだよね。

私立大学を卒業しながら「小さい頃、うちの実家は貧しくて・・」とか言ってる人も世の中にたくさんいますけど、この折口さんは経済的な問題から“公立高校”に進めず(国立大学ではないですよ、公立高校に合格してたのに、です。)、授業料が無料の陸上自衛隊少年工科学校にいってます。

皆さんの15歳って、どんな生活でしたか。家計のこととか考えたことありますか?ちきりんは全くないです。15歳くらいだと「お小遣いもらう生活」です。「高校生になったら、お小遣いあげてくれる?」って親にねだったりしてました。

その15歳です。彼が経済的な理由で公立高校を諦め、“自衛隊少年工科高校”に行こうと決めたのは。いや、決めたときは14歳か。


一方で、今回のコムスンの不祥事にたいして、「こんな奴には、そもそも介護業務をやる資格がないんですよ。国が問題ないと言ったとしても、我が県内においては、コムスンにもその子会社へも、介護事業の申請は一切許可する気はありませんよ、僕は!」とテレビで大声で主張していた“正義の知事”、和歌山県知事の仁坂吉伸氏の経歴は下記です。

和歌山大学教育学部附属小学校

和歌山大学教育学部附属中学校

桐蔭高校

東京大学経済学部

通商産業省に入省

ブルネイ国大使と

社団法人日本貿易会専務理事を経て、

平成18年12月 和歌山県知事

すばらしいですね。

田舎で国立大学の付属の小学校行くって、親御さんも教育熱心だったんだろうね。

★★★

折口さんは、現在、田園調布に7億円のプール付きの家をもってて、この前ロールスロイスを買ったと言って喜んでいた。

一方、介護を担当する大半の人は月に14万円程度の手取りであり、とても食べていける年収でないことが問題視されている。コムスンのもう一つの事業である人材派遣業も「ワーキングプア製造事業」とも言える。

この対比をもって、「こんな奴に介護をやる資格はない」と言う人がいる。


それをどう思うのだ?と問えば、折口氏はこう答えるだろう。

月収14万円の仕事がきついなら、毎日携帯でその日暮らしの仕事を探し、ネットカフェで暮らす毎日がつらいなら、自分で努力しろよ。自分で工夫しろよ。なんとしても、のし上がってこいよ。

と。


★★★

ヒューザーの社長と、姉歯建築士の生い立ちについて前に書きました。同じ気持ちだっただろうと思う。

世の中はこういう人たちに「まともに勝負する」ことをなかなか許さない。彼らは必然的に危ない橋を渡ることを、誰もとらないリスクをとることを迫られる。「まともな生活をするために」だ。

一方で、親の言うことを聞き、先生の言うことを聞き、普通に努力していると、「まとも以上の生活が、当然のように手に入る」人も存在する。



7億円のプール付きの豪邸と、14万円で重労働を強いられる介護士。

経営者としてどうなのか?と思う人は、ちゃんとキヤノンについていも、トヨタについても、同じことを問うべきだ。

ファーストクラスで出張し、ダボス会議出席のために数十万円のスイートルームを予約する人が経営する、「日本的雇用を守っている」すばらしい我が国を代表するそれらの企業の、その工場では、「偽装請負」契約でワーキングプアから逃げ出せないようにきつーく縛られた人たちが何万人も働いている。それでもその大企業の経営者の資質は問われないのか?


いやそりゃあ、じっくり考えれば同じ構造だけど、んだけど、いいのさ。とにかく折口は叩いてつぶしてしまえ。生意気で目つきが悪くて若いからね。それに「育ちもよくないし」。

そーだ、そーだ、大賛成!

って、そういうこと?

★★★

前にも書いたように、介護保険の仕組み自体がばかげた設計をされていて、これは破綻すべくして破綻する制度だ。介護士の給与が低いのは制度設計の失敗が要因だ。

フリーターがフルタイムで就職できない責任だって、派遣業を始めた起業家の方にあるんだろうか?経団連の大手企業に頼まれて派遣法を作ったのは折口さんら起業家ではないでしょ?寧ろ、経団連の大企業が政治家と官僚に強力に働きかけてあの制度を作ったのだ。

そしてそれらの法律や制度を作った側の人は、誰も14歳の時に高校に行く経済力が問題となるような家庭では育っていない。そうではなく彼らは、自分が幼稚園の頃にお父さんまで仕事を休んで面接に同行してくれて地元の名門国立付属小学校やら私立小学校やらに入れてくれる家庭に育っている。


そうやって育った彼ら経団連大企業の皆様は、実際にそれらのワープアな人達を募集したり雇用するという仕事は彼らの会社では直接は行わない。そういう“汚れ仕事”は、別のやつらにやらせておけばいい。そういうことだ。



この人=折口氏、ちきりん好きではないのです。

寧ろ嫌いなタイプです。けどね、でもね、それでもちきりんは、「自分が14歳の時に、公立高校にいくお金もだせない家庭環境で育っていたら」きっとえらそーに「あいつには経営者の資格がない」などと言い放てるような人生は得られていなかったと思う。

ちきりんが常に感じざるを得ない、「今持っているものの大半は自分で手にいれたものじゃない」という感覚。それが彼のことを非難するのをどうも妨げる。


世の中のラベリングが大好きな人たちは言う。「勝ち組・負け組」とね。折口氏はどっちなの?7億円の豪邸を持つ、勝ち組なんですかね?


これも不思議な感覚だ。ちきりんに言わせれば、彼こそが「負け組」のシンボルのような人生を送っているようにみえる。

のし上がろう、のしあがろうとしても、抜けだそう、抜け出そうとしても、既存の勝ち組達が頭を叩いてくる。叩かれて、のし上がってきた道の倍以上の距離をまた突き落とされて、すると次に上がってくる時は、またひとつ危ない道を選ばざるを得ない。


この人を勝ち組と呼ぶ人の気が知れない。



上記に書いた和歌山県知事の“すばらしい”経歴をもう一度見てみてください。

この経歴なら、貧しい人にも、負けてしまった人にも、能力のたりない人にも、ハンディを背負った人にも、子供の頃からずうっと、ひとりにも触れずに育ってくることさえできただろう。(実際には知りませんけど。)

恵まれた環境に育つこと自体は、もちろんその人の責任ではない。でもね、自分が想像できない世界があるかもしれないという、そういう感覚なしに組織の長という立場にたつのはどうなんかね。とも思う。


勝ち組ってのは、こっちのことを言うのではないの?と思う。



あの和歌山県知事の「勝ち誇ったような」「嬉しそうな」コメントを聞いた瞬間、テレビを思わず凝視しちゃったちきりんです。

県民が被害を被ったというのに、お年寄りが不安になっているというのに、彼の声には、なんともいえない「嬉しそうな」響きがにじみ出ていたから。んで、思わず経歴を調べてしまったのでした。

そしてわかったの。この人、何が嬉しいのか、って。


じゃね。

2007-06-10 年金問題も騒ぎ過ぎ

社会保険庁が夜中から休日まで問い合わせに応じているらしいけど、過労で心や体をこわす人が多くならないことを祈るよ。

それにしてもこんな混んでる時にわざわざ問い合わせに行こうってのは、いったいどんな人なんだろうな。


うちの母は、独身の時に少しだけ働いていて厚生年金を払っていた。その後結婚し、名前が変わり、かつ他の市町村に引っ越した。そこからは無保険状態になった(当時は専業主婦は無保険でした。)その後、三号被保険者の制度ができた。で、60歳になる前年に社保庁に行って確認した。

結婚前の記録は“自動的には”でてこなかった。世の中の人はこれを「消えた年金」と呼んでいる。でも、当時その話を聞いたちきりんは、それを「ひどいミスだ!」とは思わなかった。パソコンもない時代の住所も名前も違う(旧姓の)記録なんて、リンクされてなくて当たり前だよ。

で、その場で「いや、○年頃、○○という旧姓で数年払っているはず」と言って探してもらった。母は会社の名前も覚えてなかったし、小さな会社だから現在存在しているとは思えなかった。だいたいの地名(県と市)は伝えた。

待つこと15分、データが見つかりました。めでたしめでたし。すばらしいね、社保庁!って感じだ。


でも今、社保庁に押しかけて同じ経験をした人は、こう言うだろう。

「“やっぱり”間違えてた!」

しかも3時間も4時間も待たされているから怒りも一段大きくなる。「ひどすぎる。民間ではこんなのあり得ないっ!!」で、その声をマスコミが拾って何度も何度もテレビで報道する。


「保険料を払ったのだから、社保庁側で把握していて当然である」と思う人がいることは“理解”はできるよ。払うときは勝手に持って行くくせに、もらう時にはなんの連絡もしてこずに平気で「申請主義です」と言って開き直っているのは、いかにもお役所だ。

ただね、こういう巨大な数のデータが入っていて、しかもパソコンのない時代からの制度で、その捕捉率を100%とするのは、システム運営者側だけの努力では不可能、というのも事実だと思う。ある程度の規模のデータベースを運営したことのある人なら感覚的にわかるはず。

だからお互いに申告し合って間違いを直していく必要があるし、そうやってうちの母のデータみたいに15分ほどで見つかったら何の問題もない。理屈ではお金を払った方=客側が、なんで言いにいかないといけないのか?と思うけど、でも、そうでないと全体を正しくするのは不可能です。


というわけで、政権交代のためとはいえみんな騒ぎすぎだし、みんな自分達で自分達を不幸にしていると思う。


ただ、役所側に悪い点がないとは言わない。

証明書類がない時に、社保庁は「領収書はありますか?それがないとだめです。」という。「もしくは、基礎年金番号導入時に、不明な点は問い合わせろと法律に書いてあったでしょ。そこから時間がたってもう時効になったからだめです。」という。これは「おいおい」と思う人は沢山いるだろう。

公的部門ってのは「法律を作れば世の中は動く」と思っている。それがどれだけ大きな間違いか全く気がついていない。きっと誰も教えてくれないのだ。

何回も学ぶ機会はある。東京都だってゴミ袋を変更する時「法律を作りました」とかいって1年後に施行しようとしたら直前に都民が「聞いてねえよ」という話になり、実施を遅らせた。

経済産業省が中古家電の品質管理問題で法律を作り、家電メーカーにしか説明せず、世の中に中古市場があることに全く気がついておらず、施行直前に大騒ぎになった。結局法律を骨抜きにするという解決方法を採らざるを得なかった。

こういう「同じ種類の、失敗の歴史」が山ほどあるにもかかわらず役所は全く学ばない。「法律を作れば世の中は動くのだ。仕事は終わりだ」と思ってる。

民間企業で「戦略を作って取締役会の議事録に載せれば、会社は動くのだ。仕事は終わりだ」といっている経営者はいないでしょ。


もうひとつ。これは役所というより政治家が悪いと思うけど、こんなふうに国民全員の不安を煽ってみんなを社保庁に駆けつけさせてなんの意味がある??

年金なんて25年払わないともらえないし、60歳にならないともらえない。40代の人が今騒ぐ必要はまったくない。「まずは55歳以上の方の記録を確認しますので、55歳以上で不安な方はお問い合わせを」とか言えばいいじゃん。で、順次調べていけばいい。なんで国民全員を煽って、3時間だの4時間だのの待ち時間をわざわざ作り出すかな。意味不明ですよ。


国民も社保庁の人も振り回されて本当に不幸だ。


んじゃね。

2007-06-09 “お気に”なドラマ

相変わらず韓流ドラマにはまっているちきりんですが、ここずっと“涙・ナミダ”しながら見ているのが、「ソウル1945」というドラマ。

舞台は文字通り1945年前後のソウル(日本が占領するこの時代の呼称は“京城”)を舞台にこのドラマには5種類の人たちが出てきます。


a) 普通の人

日本人からの差別や搾取はあるものの、普通に暮らしている市井の人たち。


b) 貧民層

炭坑等で働かされ搾取される下層民。彼らが貧しいのは日本の占領のせいではなく、李氏朝鮮の王朝時代からずっと貧しいです。


c) 元朝鮮王族

李氏朝鮮の王族、貴族を含む特権階級。日本の占領時代においては支配階級ではないけれど、それなりに優遇されてる。


d) 親日資本家

日本に取り入り、日本人と一緒に朝鮮人から搾取する資本家達。“親日”と呼ばれ、ドラマの字幕には“親日する”という動詞まで出てきます。日本企業との合弁経営をしている資本家も多く、日韓併合のことを、「韓日大合同が成し遂げられた」などと評価します。彼らは、日本よりも共産主義の方を忌み嫌っている。まあ、本心から“親日”なわけはありませんが。


e) 独立運動家(一部、共産主義活動家)

「日本からの独立」を求めて戦う人達。この人達には思想的に2種類あって、一方はソビエトに支援され共産勢力になってる人達。こちらは、日本の支配だけではなく李氏王朝の支配も否定している。もうひとつは共産主義は支持せず、単に民族独立を求める人たち。


★★★

日本の朝鮮占領はご存じのように35年(1910〜1945と数えた場合)、実質的には併合前から始まっているから45年くらいです。

あまりにも占領期間が長いので、「生まれたときから、受けた全ての教育において“自分の国は日本である”と教えられてきた人たち」が多数存在します。

そういう人の中には独立運動に関心を持たず「こういう世界で、それなりに頑張ればいいじゃないか」という人もたくさんいる。「頑張って京城帝國大学に入って、高等文官試験にうかって・・」という道を目指す人とか。

もちろん一方には、“京城”という日本に押しつけれた名前を冠し、東京帝国大学をトップとする日本の教育システムの一環に組み入れられている“京城帝國大学”を目指すのが、民族のリーダーのやるべきことのはずがない、という考え方も当然として存在します。


そのうち日本が戦争に負けはじめると、彼らの中にもダイナミズムがでてくる。あくまで日本が勝つと信じて(日本はソ連にも清にも勝った国なのだから・・と)、親日することを続ける人たち。

いや今度は日本は負けるぞ、と考え始める情報通の人もいる。次の世で生き延びるため、日本との合弁会社を解消したり、軍需工場を他人に譲って“親日の証拠”を消し、「戦犯」になることを避けようとする。避難させる意味で息子を海外に留学させたりね。

反対に、「日本が負けた時こそが、悲願の独立のチャンス!」と待ちかまえる人もいる。夢が実現されるのだ、と。


そして遂に戦争は終わる。日本が負ける。朝鮮の人は狂喜乱舞する。夢のようだ。あり得ないと思っていたことが実現する。「日本から解放される!」のだ。

「半島の人、全員が同じ感情を共有するのが、“この一瞬だけ”であったこと」が、なんとも皮肉だ。


一方、「親日していた人たち」は恐怖におびえる。民族の独立は嬉しい。しかし・・彼らは血祭りにあげられることにおびえ、すぐに次の動きを考える。誰のもとに結集すべきか?彼ら、資本家と元王族の答えは明確だ。

絶対にこの国をソ連(共産主義勢力)に渡してはならない。そうなったら、資本家も王族・貴族も財産どころか命を失うだろう。なんとしてもアメリカに助けてもらわなければならない!!!


というわけで、ここに3つの勢力が誕生する。

(1)アメリカに助けてもらおうと考える特権階級(資本家、旧王族貴族)

(2)独立を求める活動家

(3)日本にも特権階級にも搾取されたくないと考え、中ソの支援を得て共産主義を目指す人達


南北戦争は(1)と(3)の間で起った。民族の悲願はおそらく(2)であったのに・・

★★★

ドラマには何名かの若者が登場する。

男性のメインキャラは、

1.李氏王朝の子孫であるドンウ

2.下層民の生まれだが、頭が良く京城帝國大学を主席で卒業するウンヒョク。民族独立、南北分断阻止の思想を支持してる。

3.同じく下層民の生まれだが、親日することでのし上がろうとするチャンジュ。戦後は親日の過去を隠して、時の政権にすり寄ることで下層から抜け出そうとする。

4.親日資本家を兄に持つが、貧富の差に嫌気がさし、共産主義支持者となるムン・ドンギ。

どれも“ありそうな”設定でしょ。


女性の登場人物は二人。

1.ソッキョン。元々貧民層であった父と下女であった母は、徹底した親日活動で大金持ちにのし上がる。その結果、ソッキョンは令嬢として育つ。戦争後、親日の罪を責められた父が自害(腹切り!)。共産勢力を忌み嫌う。

2.ヘギョン。貧民層の女性。政治的にはなんの色も主張もないが、愛し合うウンヒョクが北に逃げざるを得なくなり引き離される。


一番下のヘギョンと、上にでてくるウンヒョクが相思相愛なのだけど、ウンヒョクは次第に政治に巻き込まれていく。もともとはヘギョンと幸せに暮らそうと思ってるんだけど、彼にはやっと日本から解放された朝鮮が、南北に分断されることが耐えられない。

京城帝國大学を主席で卒業したエリートの彼は、民族のために戦う人生と、愛するヘギョンと平凡に暮らす人生のいずれを選ぶのかで激しく悩みます。ヘギョンも、愛する人に、信じる道を歩んで欲しいと思いつつ、平凡に自分の側にいてほしいという気持ちも捨てられない。

結局、ウンヒョクは、民族のために戦う人生を選び、ヘギョンに別れを告げます。そして地下組織へ。


涙涙で本当に切ないドラマです。こういう「世の中の大儀のために戦う人生」というのを目の当たりにしたことがないので、実感としてはわからないけど。

昔は日本にだって同じような人がいたのでしょう。軍国主義に反対した活動家の中には、個人としての幸せを犠牲にすることを選んだ人たちもいると思う。韓国、日本だけじゃない。世界中に、歴史の変わり目のいろんなところで、そういう決断をした人がいると思います。

愛する人というのが恋人の場合もあるだろうし、子供や親の場合もあるだろう。とにかく、自分の大事な人が、そういう決断をしたら?


どうっすかね、みなさん。

自分の一番大事な人を思い浮かべてください。奥さんでもご主人でも子供でも親でも恋人でも。もしくは、“自分”でも。

その人との、慎ましいけど幸せな生活が目の前にあるのに、何かの大儀のために、それらをすべて捨てて、違う世界に入っていくって、どういう感じかと。


民族のために家族や幸せな人生を捨て出ていこうとする息子に、ウンヒョクのお母さんも泣き叫びます。「なんでお前が朝鮮のために人生を捨てなければならないのか?」と。「アメリカでもソ連でもいい。分断はどうせ起こるのだ。お前はここにいておくれ」って。

これ、特攻隊にとられるよりつらいと思う。だって誰かの意思ではなく、自分の息子の意思だもの。いとこくらいなら「エライねえ。誇りに思うよ」と言えるかも。でも息子や恋人だったら、勘弁してよ、と思うのも自然なことだ。「あんたがわざわざやらなくても、誰かがやってくれるわよ」と言いたくなる。


ほんと切ないドラマです。



韓国併合 (岩波新書)

韓国併合 (岩波新書)

2007-06-05 タクシー業界について

前エントリの続きです。タクシー業界が不思議な動きをするひとつの理由は、「タクシー会社」と「タクシードライバー」の利益構造に違いがあるからでしょう。

タクシー会社は「固定費ビジネス」なので、少しでも多くのタクシーを街に出したい。一方でドライバーは「完全な変動費事業者」=「歩合労働者」なので、そんなに沢山のタクシーが街にでたら商売あがったりになる。タクシー会社とタクシードライバーという供給側のふたつの主体の間に利害対立があるんです。


普通は利害対立は「供給側と需要側」にあります。「より高く売りたい供給側」と「より安く買いたい需要側」ですね。ところが、タクシー業界では「より沢山の車を走らせたい供給側&どこでもタクシーがひらえると便利で嬉しい需要側」と「あんまり多くのタクシーを走らせたくない労働者=ドライバー」という2:1の対立構造になっています。

供給側(タクシー会社)と需要側(客)は「タクシー台数は多い方がいい。」という点で“需給の利害”が一致しちゃってるんで、台数を自由化すると「タクシー台数」が増えます。当然ですよね。企業側と客側の利害が一致してるわけで、当然のことが起こったわけです。

ところが労働者側(ドライバー)は、タクシー台数が多いと一台あたり売上が少なくなって食べていけなくなる。それが今問題になっているわけです。


例でいうと、タクシー会社は「一日4万円売り上げるタクシーが1台」より、「一日1万円売り上げるタクシーが8台」ある方が合計売上が多くなります。

しかもコストが固定費的(=タクシー台数が増えても費用がその割合ほどには上昇しない。通常、一台のタクシーを複数のドライバーが使用するので、車の稼働率が上がるのはタクシー会社にとって嬉しいこと)であれば、利益もこのほうが大きくなる。

だけど、タクシードライバーの給与は売上の3〜4割程度だから、一日1万円の売上では食べていけない、ってことですね。


昨日書いた話ですが、「なぜタクシー業界では、自由化で、サービスがよくなり価格がさがるということが起こらないか」といえば、ビジネス客や都心の“移動の足”としてのタクシーを考えるだけであれば、客の求めるサービスは、

・価格が安いこと

・どこでもすぐつかまること(台数が多いこと)

のふたつであり、この二点においては、上記に書いたように需要&供給側の利害が一致しちゃっているからです。そしてそれは、労働者を犠牲にして達成されています。


★★★


でも本当は、「価格や台数だけが重要」という以外の市場も存在しているんです。例えば都心以外の街や、住宅地、田舎ではタクシーは流しではなく呼び出しなので、必ずしも台数が多い必要はありません。

そしてそういう場所では、たとえば「親がついて行けないけど、子供の塾の送り迎えをしてほしい」とか「お年寄りが病院に行く補助もしてほしい」、「お父さんが忘れた荷物を会社に届けてほしい」など、実はいろんなニーズがあるはずなんです。

ところがこれが実現できません。「タクシーは移動手段だから」「介護」とか「育児補助」とか「郵便的サービス」を勝手に組み合わせてはならん、的な規制がかかるわけです。

介護サービスをやりたいなら、介護事業者認定などそっちの資格もあわせて取得しろ、と言われる。しかもその管轄は厚生労働省だから、国交省としては基本的にそんなことをやりたくない。


いや単に、足下の弱いお年寄りの乗り降りを助けるだけだし、病院の受付まで一緒に歩くだけなんで介護事業者の免許なんて要らないでしょ?と思うし、タクシードライバーだって別に特別料金なんか求めないよ!、、、と言ってみてもだめなんですね。

だってタクシーは国交省、昔の“運輸”省の管轄。そして、介護も育児も郵便配達も、「縦割りされた」別の省庁の管轄ですから。


その他にも、路線バス的なタクシーとか、どこの国でも見かける空港と自宅をつなぐ乗り合いタクシーなど、ニーズの高そうなサービスも「だめ」です。なぜなら、“運輸省”の別の利権団体であるリムジンバス業界とか、空港関連会社と競合しちゃうからです。当然、そういう団体には国交省のOB様が天下りされております。だから彼らの業界の利益はとても大事。

つまり、縦割りで他の他省庁の領域に行くのもだめ、自省内の他グループの利権に影響を与えるのもだめ、というお話。これでは自由化されてもなんの企業努力もできません。


まとめると今起こっているのは・・サービス競争によって付加価値をあげられる市場は「自由化されず規制がかかったまま」に放置され、一方で「価格と台数だけ」が自由化されて大量のタクシーが都心にあふれかえってドライバーが食べていけなくなった、ってことです。

その結果、東京で「値上げ必要論」がでてきた。あまりに馬鹿げてます。


このタクシー業界の事例をもって「自由化はうまく行かない。規制緩和は必ずしも成功しない」などという“資本主義が嫌いな人”がたくさんいますが、それは間違ってます。

自由化や規制緩和が悪いのではなく、あまりに中途半端な自由化により、こんな混乱が引き起こされた、ということなんです。“運輸以外”のニーズのあるサービスを自由化できていたら、台数競争にも価格競争にならなかったのですよ。

★★★

この話にはもうひとつおもしろい面があります。普通は役所ってのは、業者のことだけを考えるんです。つまりここでは「タクシー会社のこと」を考えるもんなんです。労働者なんてどーでもいいはず。なのに

なぜ今回は、「労働者のための値上げ」などという案を出してきたか?

そこには「建設省」と「運輸省」が一緒になった「国土交通省」の性格が関係しています。


ご存じのように、日本の失業率はどんな不況の時でも10%になんてなりません。相当の不況でも、3%が5%になりました、という程度にしか上昇しないですよね。なぜなら、不況になると公共事業という形で補正予算が組まれ、その資金を元に、元建設省が管轄していた「土建業」が失業者を引き受けていたからです。

しかし、公共事業費は小泉政権下で相当の減額となった。さらに建設省は名前を消した。

でも、誰かが失業者の受け皿にならなくちゃなりません。失業率を10%にすることはできません。なぜなら、そんなことにしたら自民党が政権を失うから。官僚もそれだけは避けたい。

そこで、元建設省と一緒になった運輸省側の「タクシー業界」がそれを引き受けたわけです。


リストラされた多くの人が(昔は土建業に向かっていたけど今は)タクシードライバーになります。「タクシーの台数自由化」の目的のひとつは、失業者を引き受けてくれる市場を作ることでもあったのです。だってその頃、公共事業でダムを造る仕事はもうない=有権者が許さなくなった、からなのです。


というわけで、どれもこれも予想されたことなんです。彼らは最初から「自由化してサービスがよくなる」なんて期待していませんでした。だからサービス向上の道を閉ざしたまま台数だけ自由化した。台数を自由化して、失業者にタクシードライバーという仕事を与えたかっただけだから、それで十分なのです。

でも、予想してないことも起こりました。あまりにも失業者が多すぎて、あまりにもタクシーの台数が増えすぎて、給与が下がりすぎた。だから今度は「給与をあげましょう」という話になってます。


・・・やめてよね。

★★★

ところで、これら一連の話の中に、消費者、客、の視線は全く出てきません。客が何を求めているか、という議論はゼロです。だって、国交省が規制をゆるめたり厳しくしたりする理由は、

「サービス業としてまともな言葉使いをするタクシーを増やす」ことでもなく、「消費者によりよいサービスを提供する業界をつくる」ことでもないから、これも当然と言えば当然なのでしょうか?


じゃね。

2007-06-03 まか不思議タクシー業界

ここ最近のニュースで一番「ありゃりゃ感」が高かったのは、タクシー業界が規制緩和路線を変更するという話。東京では値上げの話まででている。本当にわけわかんないね、この業界。つーか、国交省。

ご存じタクシー業界は規制業種。地域ごとに台数が決まってて勝手に新規に商売を始められない。価格も台数も役所がコントロールしてる。これを数年前に“一部”緩和、自由化した。

ところが価格の過当競争が起こり、ドライバーは食べていけないわ、乗客も危ないわ(ドライバーが居眠りするとか?)で、このたび規制をまた厳しくしましょうと、やっぱ台数制限をやりましょうと、そういう話らしいです。


すごい不思議です。

なんでタクシー業界だけ、こーなるの?


普通は市場を自由化すれば、

(1)新サービスが現れてより便利になり、かつ、価格が下がる。

(2)一時的には悪徳業者が現れたり価格競争に陥るが、最終的にはそういう業者は排除され、頑張った業者が新しくのしあがってくる。

(3)ただし、過疎エリアでサービス提供自体がなくなったり制限される。

ということが起ります。


たとえば電電公社の頃は黒電話だけで、留守電機能のついた電話機さえないし、もちろん携帯も無かった。権利金みたいなものも必要だったし基本料金も高かった。電話の世界は、電電公社が民営化され、新規参入が行われて市場は大きく変わった。

飛行機や鉄道も全く同じ。JALが唯一の国際線だった頃は、マイレッジサービスもなかったし、ご飯もまずくてひどかった。JRが国鉄だった頃はスイカ(イコカ)もなければ駅中ストアもなかった。

今はすごい便利になったけど、過疎地域は切り捨てられた。客は安くてノーサービスの格安飛行機会社とANAやJALを選べるようになった。

普通はこういうことが起こるんです。これが「自由化すると起こるはずだったこと」なんです。


タクシー業界も同様に

(1)どんどん新サービスが現れて、価格がさがり、

(2)悪徳業者も現れるけど、時間がたてば淘汰され(監督機関によって閉鎖させられ)、

(3)ただし、過疎エリアではタクシーがいなくなっちゃう、と、

そんなことが起こるはずだった。


ところが、タクシー業界はそうならなかった。何が起こったか。

(1)新サービスはほとんど定着しなかった。一部地域で価格競争だけが起こった。

(2)業者の淘汰は全く行われない。なので価格競争が益々激しくなった。

(3)過疎エリアでは何も変わない。


これがタクシー業界で起こったことです。

なんでタクシー業界だけ、こんなに違う動きをするのでしょう?


特に「値上げ」って何さ?です。顧客ニーズが惹起できなくて、売上があがらないから値上げをする、というのは、完全にお役所の発想です。民間は客がこなければ値下げするんだよ。

そういえば昔は郵便も電話も国鉄も、みんな「赤字だから値上げする」「客が少ないから値上げする」と言っていた。これが官と民の最大の違いだよね。

「売上があがらないから値上げする」というタクシー業界。その事実が、この業界がどういう業界なのか、象徴的に表している。


というわけで、なんでタクシー業界はこうなのか、明日、まとめて書きます。


ではね。