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Chikirinの日記 RSSフィード

2007-10-30 国の選択・資金投下先

与野党拮抗は「いろんな議論が行われる」という点では悪くないのだが、一方で必然的に「大きな政府」への途となってしまう、という点で、やっぱりちょっと困ったもんだ。

「税金のばらまき」はいつだって人気のある施策だ。特に小沢さんが「格差問題」を選挙の争点化したことで、選挙後はこの「困っている人にお金をばらまこう」という方向がキワだってきた。そして、選挙前には一切議論されなかった増税議論が大手を振ってまかり通るようになってきた。

昔と違って「ばらまくために借金をする」という手が日本ではもう使えない。今の日本では「ばらまくためには、増税をするしかない。」

「ばらまくために借金をする」というのは、資金循環でいえば、「現在の世代」が「将来の世代=子供世代」から金を巻き上げる、という構図です。これを日本は延々やってきたわけですが、既に将来に押しつけた借金額は多すぎるし、少子化で将来世代の人数は少なすぎるし、もうこれを続けることが不可能になった。

で「ばらまくために増税をする」わけですが、こちらの資金循環の構図というのは、「現在かわいそうではない世帯」が「現在のかわいそうな世帯」にお金を渡す、という構図です。もう先払いという“つけ”はきかないので、今いる人の財布の中でお金をまわそうと。

では、「かわいそうな世帯」と「かわいそうでない世帯」とは、それぞれどんな世帯なのか?

★★★

増税とばらまきの手段として、現在考えられているのは下記です。


<増税側>

・消費税 10〜15%へ

・所得税 特に年収800万円程度以上


<ばらまき側>

・老人(を抱える家庭を含む)

・農家

・地方

小沢さんの主張通りです。

★★★

ということは、資金は次のように流れることになります。すなわち、

「都市部に住んでいる中堅サラリーマン、必要消費額の大きい子育て中の世帯」からお金が取り立てられ、「田舎でお年寄りご夫婦で小規模農業を営んでいる世帯」へ流されるわけです。

・・・・・

これがねえ、本当に有効なお金の使い方なのか、限られた我が国のお金の、使い方として正しいんだろうか。やっぱりどーも、ちきりんにはわからんですよ。

老人も子供もいる家は差し引きチャラか?って。そうですね。額としては差し引きチャラでしょう。しかし使い道は世帯主には決められない。子供の教育費が削られて老人福祉に回るんです。それが本当に、望ましいお金の使い方なんですかね。

★★★

国の役割というのは、経済面に限れば、「誰から金をとりたてて、その金をどこに配分するか」に尽きるわけです。

明治以降の政府組織は、庶民と商人から取り立てた資金を中央政府にまわして国のインフラを整備し、最後には軍隊に回し始めて破綻。

敗戦以降の政府は、同様に庶民と商人から取り立てた資金を、大企業に回して「輸出貿易型の経済」を作り上げた。

ところがその後、資金は一貫して「地方」へ流された。列島改造論の時代です。地方には無用に立派な橋や道路や公共の建物が林立する。しかし、このあたりから「資金の徴収」が行き詰まりを見せる。そのため、地方の橋やダムを造り続けるには、将来世代から借金をするしかなかった。これが財政がむちゃくちゃになった時の資金循環の構図です。


上記の構図で、明らかなことがひとつある。成功している時の共通点と、失敗している時の共通点が余りに明らかなのだ。

成功している時、明治以降の国造りの時代には、「資金を回した先」が「その資金のおかげで新たな価値を生んだ」のだ。初めて鉄道がひかれ、初めて電気や水道等が整備され、すべての子供が教育を受けられるようになったおかげで、産業が興り、新たな社会を率いる人材が育成された。つまり、お金が投資された「国作り」の分野では、そのおかげで、次のお金を生む仕組みが整ったのだ。

敗戦後の高度成長の時代も同様だ。近代工業を興すためには、石油と海外の進んだ技術の導入が不可欠だった。そのためには外貨が必要だ。外貨が稼げる繊維、鉄鋼業界に庶民の金をつぎ込み、それらの産業を牽引役として日本経済は立ち直った。

成功した時期の共通点は明らかだ。お金をつぎ込んだ「先」が、「投資先」であったということだ。「消費先」ではなくて。

★★★

失敗した時の共通点も明らかだ。

お金のまわし先が「消費先」なのだ。投資と違って消費は、将来の富を生まない。消費先に資金を配分するということは、将来の見返りもなしに、永久にお金をつぎ込まなくてはならないということだ。そして、それがいつか破綻することは目に見えている。

負け戦の軍事費、誰も使わない地方の高速道路や博物館、いずれも「消費」であり「投資」ではない。永久にそれらにお金をつぎ込むことはできない。いくらつぎ込んでも、その消費先が新たなお金、価値を生むことがないからだ。

(なお軍事費の場合は、勝てば、その資金が投下された先が新たな富を生む場合もあります。したがって費用項目として必然的に消費先なわけではない、とも言えます。)

★★★

話をもどしましょう。小沢さんが「これからお金をつぎ込む先」としてあげた3つを見て欲しい。


地方、農家、老人。






暗澹たる思いになるのは、ちきりんだけか?

ねえ。

2007-10-21 自分を営業

ちきりんは、今の仕事に巡り会って、本当にラッキーだったと思っています。前にも書きましたが、この仕事は大学でてから3つ目の仕事。一つ目、二つ目の仕事は、それぞれ5〜6年くらいずつやりました。おもしろい仕事だったし、いろいろ学びも出会いもありましたが、ちきりんに“ベストフィット”の仕事ではなかったと思います。

そしてここにきて3つ目の仕事。既に一番長く携わっているわけですが、これはなかなかに適性があったと思うし、忙しいけど楽しく働けていてとてもラッキーです。

実は今の仕事は、就職したとか、あるポジションに就いたという形で始めたものではありません。今ちきりんがやっている仕事は、うちの会社には以前は存在していませんでした。より正確に言えば、皆が手分けして片手間でやっていて、この仕事の専任職スタッフはいなかったのです。

他の仕事をやっていたちきりんは、「この仕事おもしろそーじゃん!」と思い始め、ある時「専任職でちきりんを雇うべし!」という企画書を作り、役員会で企画提案書を発表し(もちろん事前に根回しもやりましたが)、めでたく現在のポジションを獲得しました。

提案書には、仕事内容の他、「ちきりんをこのポジションで雇うと、こんなメリットが」的な、いわゆる営業トーク、また、「給与はこれくらい」「権限はこれとこれをください」みたいなのも含めました。今まで無かった仕事なので、全部設計しないといけないから。

で、いろいろ議論はありましたが、「まあやってみたら」ということになり(やさしい会社だ)、現在に至っています。

★★★

こういう「ポジションがあって、応募して、選ばれる」という通常のプロセス以外の仕事の探し方、獲得方法があるとちきりんが知ったのは、実は、とある若い人がそうしているのをみたからでした。

その人は、ほとんど「その子」というくらいの若さで(20代前半だったと思う)、ある仕事に転職しました。彼は、前の仕事の有給休暇を利用して、ある会社で無料でアルバイトをさせてくれ、と頼みに行きました。アルバイトというか、無給だからボランティアですね。

そして、そのアルバイトの期間中に、自分の仕事ぶりを通してその会社の経営者を説得してしまい、その若さでいきなりの部長職を得て転職しました。もちろんその会社は、そんな求人をしていたわけではなく、募集していたのはアルバイトだけなんですけど。

それに、もし部長職の求人があったとしても、もし彼が普通に履歴書を送って転職活動をしていたら、あの若さ、数年の実務経歴だけで、そこそこの会社への部長職への転職なんてあり得なかったと思います。

この時、もちろん彼は私よりもずっと若かった訳ですが、ちきりんはこの彼のやり方に感銘を受けました。どうやったら、こんな自由な発想ができるのか、自分のやり方で自分の未来を拓く力を持っている、こんな若い人がいるんだなと。すごいなあと。

★★★

その数年後、ちきりんは上に書いた方法で現在のポジションを得ました。間接的にではありますが、大きなヒントをくれたこの彼には本当に感謝をしています。

その彼は数年前、誰もが知る企業の社長に抜擢されました。彼が社長としてどうなのか、最近は会う機会もないのでよくわかりません。でも、そういう器の人だったんだな、と思います。

こういう若い人に会えたことを本当にラッキーと思います。


んじゃね。

2007-10-19 電子マネーに表われる社風

最近、セブンイレブンのナナコも携帯で使いはじめたんですけど、音が全然かわいくない。コンビニがうるさいと音が聞こえないくらい小さいし。いつ携帯はずしていいのかわかりにくい。

きっとS会長が「電子マネーの普及に音なんて関係ない」って思ってるんだな。


って、実際かんけーないかもだが。


Edyの音はあんなにかわいいのにね↓

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20060217


ちなみに、セブン銀行は今やちきりんのメインバンク化しているわけだが、そのキャッシュカードも全くかわいくありません。スーパーのポイントカードみたいです。デザインなんて気にする様子もない。


そのへん、えーかげんなんとかしたらどーよ?

って思う。余りにダサダサです。


ソニーのエディとセブイレのナナコ、社風が表われてる電子マネーだなあと思います。

ではでは

2007-10-17 和食って甘い

日本のご飯って甘いよね。

ご存じのとーり(かどーか知りませんが)、ちきりんは超がつく和食党。今日の夕食は、ご飯、ししゃも焼いたの、大根の煮たの、エノキダケと春菊の酢の物。こういうご飯が本当に美味しい。今夜は全品自分で作りました。

家で作る料理、最近は韓国料理も多くなりました。チゲ、石焼きビビンバ(フランパン焼きだが・・)、ナムルなど作ります。料理って国が違うと、基本調味料が違うよね。韓国料理では、ごま油とコチジャンがやたらとよく使われる。

昔は洋風な料理も作ってましたけど、最近はあまり作らないです。ポトフより豚汁をよく作るし、昔はスパゲティもよく家で作ったけど今は「ネギ鴨ソバ」作る方が多い。鴨肉と蕎麦とネギがこんなによく合うと気がついた人は本当にエライ。


で、最近気がついたのだが、砂糖を料理に使うのは、日本料理が圧倒的に多いですね。すき焼き、肉じゃが、魚の煮付け、それに大半の煮物に砂糖いれますよね。卵焼きとかも(論争があるようだが)砂糖入れる家も多いでしょ。

他の国の料理作る時って、砂糖を入れてる容器自体を棚から下ろさない場合が多い。使わないんです。西洋料理だと、たとえばお肉焼くにしてもシチュー煮込むにしても、魚貝類を炒めてもオーブンにいれても・・砂糖なんて、全くといっていいほど使わない。

だ・か・ら、デザートがあんなに甘いのだと思う。塩とか砂糖とかって、一定量を体がほしがるようになってる。西洋料理だと「砂糖はデザートから摂取」となるからデザートが甘い。日本料理だと料理自体から砂糖を摂取するからデザートをあんなに甘くしなくていいってことだと思う。


お酒もね、確かに辛口の日本酒もあるけど、やっぱ日本のお酒は“甘い”ような気がする。ワインやウィスキーやビールにくらべて、日本酒って甘く感じません??お米がそもそも甘いのだが。

あとね、出来合いの調味料見ると、どれも砂糖が沢山入ってると気がつく。日本食って甘いんだな、という気がした。



そんだけ。

じゃね。

2007-10-16 コンテンツ足りないんで作ります、虚構を。

結局ね、地上波のテレビは、稼げるコンテンツが足りなくて困っているのだ。四苦八苦しているのだ。


今、地上波で視聴率がとれるコンテンツは多分この4つしかない。

(1)やらせを埋め込んだニュースやドキュメンタリー

(2)人気タレントの多用(吉本&ジャニーズ)

(3)スピリチュアルブーム(男性と女性各一名。なぜかこの二人は体型が似ている)

(4)人気スポーツの中継


歌番組も、ドラマも、バラエティも、誰も見なくなってしまったから。

★★★

(1)はバレると問題視される。

(2)と(3)はジャニーズと吉本と例の二人と、と数が限られてる。既に限界まで使いまくっており、もうこれ以上は増やせない。

で、(4)って一番強いコンテンツなんだけど、これもそろそろ限界にきてる、ってことだと思う。

★★★

(4)の元祖は、ご存じマードック氏。イギリスの国内フットボールリーグなんて、地元民以外誰も関心がなかったのに、彼はこれを超一流の、世界中に売れるコンテンツに作り替えた。

オリンピックで言えばアトランタが最初だった。テレビの放映権販売料が多額のコストを支えるという構造。五輪発祥の地はアテネだが、商業五輪発祥の地はアトランタです。

日本でも昔から(4)は王道だった。日テレの巨人戦、朝日新聞の高校野球、NHKの大相撲。箱根駅伝はどこだっけ?

でも、それだけじゃあ足りない。真似して、世界陸上だの水泳だのバレーだの、各局がスポーツコンテンツを囲い込む構図がここ10年できあがった。

★★★

今年になってから、

(a)高校野球の特待生問題がなぜだか今頃取り上げられ、

(b)朝青龍問題と時津風部屋問題が勃発し、

(c)日本GPでは、フジテレビがレーサーの命を無視した濃霧の中でのレースを独占中継し、

(d)TBSは、関西の、ガラの悪い傍若無人な少年を“世界王者”に仕立てようとして叩かれた。


これってどれも「地上波テレビの深刻なコンテンツ不足」から端を発している気がする。(4)のスポーツコンテンツももう、「探してくる」とか「光を当てる」じゃネタが切れてて“いいの”が見つけられない。

ソフトバンクは“ばんえい競馬”に光をあてたりしているが・・地上波じゃあ、アレでは役不足なのよね。もっと派手なのが必要。なんだけど、そんなの“もう残ってない。”

だから「作るしかない」っていう段階なんだろうな。だから、霧が出たくらいで中止にできるか、ばーろーってことなんだろう。だから、反則くらいどーでもいーだろ、ば〜ろ〜、である。


もうねえ、コンテンツがないんですよ。伝えるべきコンテンツが。だからって、“じゃあ、うちの局もう解散しますわ”ってわけにもいかない。“やらせ”でニュースを作って流し、虚構で“世界に挑戦するスポーツマン”をでっちあげてでも、流すべきコンテンツを作らなくちゃ。そーしないとオレ様、メディア様が存在し続けられないじゃん!

組織の自己防衛本能ってのはね、ホントすごいのよ。霞ヶ関もテレビ局も。



存在意義が終わってるのに、巨額の広告費だけが入ってくるから、地上波TV局は皆さんコンテンツ“作り”に大変なのであるわさ。ちなみに、話が逸れるけど、同じ理由(存在意義が終わってるのに巨額の広告費が入ってくる)のために、堀江さんも三木谷さんも地上波テレビをほしがる。“メディアの融合”なんて、嘘です。





大変だね。

じゃね。

2007-10-15 米の自給と安全保障論の欺瞞

米を始め食料の自給率問題を扱ったテレビの討論番組をみました。

「国の安全保障問題として、食糧を自給すべき」「いつまで外貨が稼げるかわからない。いつまでも海外から食糧を買えると思わない方が良い。危機管理のために、国内で食糧を作るべき」と言っている人がいた。



うーーーーん。



この手の主張は大昔からよく聞く“なんちゃって理論”なのだが、こういうことを言っている人は、自分の主張が変だとわかっていないのか? それとも、わかってるけど農協から研究費を出してもらっているから、という学者なのか?

なんで恥ずかしげもなくこんなことが言えるのか、全然理解できないちきりんです。


安全保障のためにお米を自給したって、安全保障問題で食物が入ってこなくなるような時には、石油がまず入ってこなくなると思うんだよね。

電力に関しては3分の1くらいが原子力になっているとはいえ、こっちだって全てのプロセスが日本で済んでいるわけでもないでしょ?(ウランが日本で採取されてるわけじゃないじゃん)

トラックはじめ自動車や飛行機、船はガソリンなどで直接動かすわけだから、燃料は完全に輸入でしょ。食料は輸入できなくなったが、石油はいくらでもはいってくるという安全保障上の問題って何? そんなこと起こりえる??


本当に「安全保障上の問題」が起こったら、米自体はいくら新潟県や秋田県で作れても、それを消費地に運ぶ電車もトラックも動きません。

米を炊く電気炊飯器も動かないし、マンションなんて電気がないと水も出ない。てか、米作り自体、トラクターも田植機も動かなくても今と同じ量を作れるの??

外貨云々も同じです。外貨が稼げなくなると、もしくは1ドル 1000円になると、海外から食料が買えなくなる、だから食料は国内で自給すべき! って人がいるんだけど、1ドル 1000円になったら、まずは十分な石油が買えなくなるんですってば。


だから自給だの何だのの前に、日本は「世界と仲良くする」という途を選ばなくてはならないのです。ってことを、日米戦争前のABCD包囲網とかで学んだんじゃなかったの?

アメリカ、中国、ロシア、フランス、オーストラリアなどがどこも日本に食料を売ってくれない関係に陥ったら、たとえ“食料自給率100%”であったとしても、この国はその時点で終わりです。


というわけで、この「安全保障のための自給率確保」論は、超詭弁だと(ちきりんは)思うのだが、全く衰えないところをみると、農水省ってこういう屁理屈を作るのが本当に巧いよね。

んじゃね!

2007-10-12 クイズの答え

一昨日のクイズの答えです。ご回答頂いた方、皆様、ありがとうございます!


設問には3つのスーパーが出てきます。

(1)ネットスーパー

(2)宅配サービスのあるスーパー

(3)格安スーパー

で、(1)は騙されてた、(2)にも実は騙されていたと気がついた。それに気がついたのは、(3)に行った時である。さて、ちきりんは(2)にどう騙されていたのか?というのがクイズの趣旨でした。

★★★

問題の最後は、「価格差が・・・」で終わっていますよね。(2)と(3)の価格差を見て、(2)に騙されていたと気がついたのです。でも(3)の方が全体としては安いことは知ってました。何を買っても10円、20円は安い。それは知っていた。

でも、ある日、気がついた。「ちきりんがよく宅配を頼む商品の価格差が、大きい。」と。

最後に頂いたmmさんの回答が一番近いのですが、ちきりんが宅配を頼むものは、重いモノ、かさ高なものです。ちきりんだけじゃないだろう。誰だって宅配にはそういうものを頼みます。そういう商品の価格差が、非常に大きいのです。

つまり、(2)のスーパーは、(3)と比較検討されてしまう商品(=客が持ち帰る生鮮商品や軽いモノ、小さいモノ)は、できる限り(3)に近い値段まで下げる。しかし、(3)で買ったら持ち帰るのが大変でしょ!だから、皆さんできれば(2)で買いたいでしょ?という商品については、かなりの価格差をつけてるんです。50円とか100円とか、たとえばお酒の一部については、300円以上も高いとか、があるんです・・・


ひえ〜!!

巧いっ!



ちきりんはこれに感心したわけです。こんなことになってたとは知らんかった。10円、20円高いだけなら、宅配のある(2)で買います。でも、300円高いと知っていたら、どうだったか?少しずつでも自分で持ち帰ろうと思わないか?

ねえ?

こんなん騙されてるの、ちきりんだけですかね??

★★★

実は宅配を頼む時に、(2)の店ではレシートナンバーを控えます。ちきりんはこの理由を次のように思っていました。

宅配した時に「あら?ビールは10本あったはずなのに、9本しか無いじゃない。おかしいわよ。」とクレームをつける客がいるかもしれない。その際に、レシートナンバーを控えておけば、「いえいえ、あなたはビールを9本しか買っていませんよ」と抗弁できる。そのためにレシートナンバーを控えているのだと、思ってました。


が、違うんです。多分。


あのレシートナンバーで、宅配客が買った商品の集計をしてるんだと思うのです。「客が宅配に頼む商品」というのが把握されている。そして、その商品の価格設定をコントロールしているんです。宅配される商品は高めに売る、ということです。

実際にはもっときめ細かく価格は変えられます。宅配を頼む人が何曜日にくるか、とか、レシートではそういうこともわかります。土日に宅配を頼む人と平日に宅配を頼む人は、買うものが違う可能性がある。土日の人は働いてる人で、平日の人は子供が小さい主婦か高齢者だとかね。すると当然宅配に頼む商品も違うでしょ。

じゃあ、土日に宅配を依頼される商品は土日だけ高く、平日に宅配を依頼される商品は平日だけ高く、とかもできちゃう。スーパーの値段なんて、バーコード制度になって以来、毎日変えられるようになってんだから。


ほほほ〜!!!

巧い!


と思った。ということなのでありました。

宅配のサービス費用は何らかの方法で回収しないといけない。その方法として極めて合理的だなあ、と思って。

だって宅配サービスには絶対に一定の費用がかかります。それをどこから回収するか。どんぶり勘定にしてしまうと、「すべての商品が少しだけ高くなる」わけです。これだと、そもそも(3)より高いのに、“すべての商品について”(3)との価格差が開いてしまいます。

しかしこの方法だと、宅配をよく頼まれる商品以外の価格は、今のままに据え置くことができます。そして、宅配を頼む人は、きっとそこまで価格に敏感にはならないだろう、という読みなわけで、彼らが買う商品の価格はすこーし高めに設定する。宅配が多くなった商品の特売はやめてしまう、ってこと。


・・・というのが答え。これに、ちきりんは驚いたってわけでした。


クイズに解答頂いた皆さん、本当にありがとうございましたっ!

ではまた〜

2007-10-10 スーパーとの騙し合い

ネットスーパーってのがあります。サイトに商品が掲載されていて、クリックして買い物かごに入れて申し込むと、数時間後、もしくは、翌朝等にピンポーンといって買ったものが届きます。届いたのを受け取る時にお金を払う。

最低買い物額が、3千円とか5千円と決まっていて、それ以上買えば配送料は無料です。

品揃えはもちろん普通のスーパーよりは少ない。が、一応一通りのものはあります。売れ筋の定番(花王のアタックとか)はきちんと入ってます。

最初これを使ってたんです。でも、途中で「これは騙されてる!」とわかった。価格が198円とか、225円とか、スーパーでよく見る価格なんで疑ってなかったのですが、これがやっぱ普通のスーパーよりは高く設定されてるのよね。コンビニ価格(定価に近い)ではないのでわかりにくかったのですが、スーパー価格とはかなり違うので、そこんとこ間違うと全体としてはかなり高くつく。

ある日それに気がついて急に悔しくなり、使うのをやめました

★★★

次に、自宅から5分のところの駅前のスーパーの「お届けサービス」を使い始めた。生鮮食品等は持ち帰りますが、重いモノを無料で届けてくれます。1時までに買えば夕方に、それ以降に買った物は翌朝にピンポーン。

この場合、品揃えと価格は、普通にスーパーに行くのと“完全に同一”です。だって店でかごに入れているのは、ちきりんだからね。レジでお金払った後、カートのままサービスカウンターに持って行くと、預かってくれて、配達してくれる。

これなら騙されてないじゃーん!と思ってた。

配達を頼むのは、お米、ペットボトル飲料、ティッシュ5箱組とかトイレットペーパー12個入りなどのおまとめパック、シャンプやリンス、洗剤、お酒や調味料のボトルなどの重いモノやかさ高もの。

これは非常に便利。都心では買い物は徒歩の人が大半だし、ちきりんのように平日は買い物できない人は、すべてを土日にまとめ買いすることになる。こういうサービスがないと重くて勘弁!って感じなので。

★★★

が、最近また気がついた。「やっぱ、騙されてる。」


というのは、もうひとつ駅前にスーパーがある。そこは格安で知られたスーパーなのです。既にレジ袋もくれません。5円で買う方式。もちろん配達サービスもありません。

ちきりんは、10円20円のためにここに行くことは余り無いのですが、たまーになんかの拍子でこっちのスーパーに行くことがある。


そして気がついた。配達サービスをしているスーパーとの価格差に。

もちろん、全体としてこの格安スーパーの方が安いんです。それは織り込み済みで。最初からわかっていたこと。なんだけどね、その価格差が・・・・



ちきりんは驚愕したよ。なるほどね〜、巧いよね〜と。ほんとエライです。客とスーパーと、騙し合いってことよね〜。

★★★

さてクイズです。・・・・・の部分はなんでしょう?

これ、当たった方すごいです。

きっとスーパーの店長になれますよ。ってなりたくないか。


答えは明日〜!

2007-10-09 問題の範囲と当事者の範囲

民法は、第752条で夫婦間、第820条で親から子に対する扶養義務(生活保持義務)を定めています。また第877条では、直系血族(祖父母、親、子、孫など)と兄弟姉妹の間での扶養義務(経済的に余裕がある場合に生活扶助義務があること)を定めています。

法律に書いてあるってことは、守らないと違法ということです。親が子供を放置することも、子供が介護の必要な老親を放置することも違法です。このあたりまでは心情的にも納得できます。


でも兄弟姉妹になると微妙ですよね。若い時ならともかく、全員が80代になってお互い10年以上会ってないのに、遠く離れた地域に住み、生活が困窮している兄に仕送りをする義務がある、と言われても戸惑う人もいるはずです。たとえ自分の方に少々の“経済的余裕”があっても、自分だって高齢なわけで、簡単に仕送りを始めることは難しいでしょう。

この扶養義務が現実的に関係するのは、生活保護の申請時です。そこには「まずは私的扶養(親族間の生活扶助義務)、それが利用できない場合に公的扶養(生活保護)」という原則があり、役所は生活保護の申請者にたいして、まずは家族に助けを求めるよう指導します。


今日考えたいのは、この「家庭内の問題は、まず家庭内で解決すべし」という原則についてです。

これに関しては、扶養義務以外でもたとえば、「夫婦間の強姦罪は成り立つか」とか、「親の財布から同居の息子(成人)がお金を盗んだ場合に窃盗罪が成り立つか」などの問題があります。いずれも日本では犯罪として成立する事例は少なく、「家の中のことには法律は口をださない」というのが現在の日本の原則(慣行)のようです。

ところが、伝統的な家族観や典型的な家族関係が崩壊すると、家庭内では解決できないことが増えてきます。するとそれらについても、家庭外=社会で解決しなければならなくなります。


この問題が複雑になりつつあるのは、“家族の関係性”が急速に多様化しているためです。子連れの離婚や再婚の増加に伴い、「会ったことはないけれど、血のつながった親」(=小さい時に親が離婚し、母親に育てられた子供にとっての、実の父親との関係)とか、「全く心が通じ合ったことのない親子」(親の再婚相手との関係)、「母親も父親も自分とは異なる兄弟や姉妹」とか「前の前の前の夫の子供」のような関係が、出現し始めています。

これらを伝統的な「血のつながりがあり、法律的な関係もあり、かつ、長年を共に過ごしてきた実体的な家族」と同様に扱い、「家族だから扶養義務がある」「それは家庭の中で解決すべき問題」と言われても、心情的に納得できないケースがでてくるのは当然です。


つまり、

「問題解決コミュニティとしての家庭の崩壊」、もしくは、、

「家庭の問題解決能力の低減」が起っており、そのために

「家庭内問題の社会化」や「家庭問題の可視化・顕在化」

が起こりつつあるのです。


たとえば、“昔→今”という形で書くと、

例1)障害がある子供は親が扶養する。親の没後は長男(家長!)夫婦が面倒を見る。→ 親の没後は、自立できない障害者の兄弟(姉妹)は施設に移って暮らしてもらう。

例2)親が子供を育てる。親が亡くなると親戚が育てる。→ 育児放棄や虐待された子供が、児童養護施設で育てられる。親戚も親の亡くなった子供をひき取らない。

例3)子供が老親の面倒を見る。→ 親は介護保険と、介護施設で世話をされる。

例4)成人した子供がギャンブルで作った借金は(連帯保証がなくても)、親が田んぼを売って払ってやる。→ 成人した子供が借金を返せない場合、子供が自己破産する。

例5)犯罪を犯した(成人後の)娘・息子を親が監督して更正させる(と裁判所に約束する。)→ 成人した息子、娘の犯罪には自分は関係ないと断言する。

例6)経済的にやっていけない人を、兄弟姉妹が扶養する。 → 生活保護で扶養される。

というような感じです。このように昔は家庭内で問題解決していたことでも、今は社会で解決することが多くなっていると思われます。


特に介護保険の導入はこの点でエポックメーキングであり、日本社会の変節点でした。老親の面倒を看ることは、過去ずっとごく当然に「家庭内で解決すべき問題」とされてきたのです。それが介護保険制度ができたことで、「老後扶養問題は、社会で解決すべき問題。もちろん家庭のみで解決できるならそれでもいいですが。」という位置づけに変わりました。

ここでは、公的扶養は私的扶養の有無とは関係付けられていません。介護保険を申請する際「子供さんが親の面倒を見ることができる場合は、介護保険は使えません。」とは言われないのです。子供が扶養できるかどうかに関わらず、健康状態によって支援や介護が必要だと認定された高齢者は介護保険のサポートを受けることができます。


一方で育児については相変わらず「まずは家庭でやってください」という原則が健在です。多くの認可保育園では、母親が専業主婦では子供を預かってくれません。優先されるのはフルタイムで働いている母親や母子家庭など、家族内では保育ができない家庭です。つまり、育児に関しては家庭内での問題解決が最優先であり、「私的扶養が可能な場合は公的援助は与えられなくて当然」という考えです。

これだけ少子化が問題視されても、父親の育児休暇の取得促進は全く進まないし、保育所不足問題も遅々として解決されないのも、「育児は家庭(=母親)の責任」という原則が存在しているからでしょう。しかし実際のところ「少子化という社会問題」を家庭で解決しろというのは暴論です。だからこの問題は解決できないのでしょう。


同様に「家庭内で解決しろ!と言われているけれど、とても不可能」と思われるのが、高齢ニート問題です。三十代半ばを過ぎたニートの子供に関して、親のしつけや育て方が悪かったのだと言われることもありますが、原因はともかく、だからといってこの問題を家庭内で解決するのはもはや不可能です。

40才近くでほとんど職務経験のない息子を抱えて、年金生活をする高齢の両親に何ができるというのでしょう。社会が積極的に乗り出さない限り、この問題は親の年金と貯金が尽きるまで放置され続けるに違いありません。

幼児の虐待問題(特に、親の年齢も若く、離婚再婚を経験しているようなケース)も同様です。家庭の形が急速に変化し、問題も多様化している中、「家庭の問題はまず家庭内で解決せよ」というコンセプトは本当にこのままでいいのか、議論を始める時期ではないでしょうか。

時には社会の側から家庭の中に首を突っ込み、「問題はありませんか? 公的な支援を使ってはいかがですか?」と積極的に介入するくらいのことが必要な世の中になりつつあるのではないかとさえ感じる今日この頃です。


そんじゃーね。

2007-10-08 先進国フェーズ II の12年目、秋。

昨日、新国立美術館すばらしい!フェルメール展ひどい!という話を書きました。んで、その時に思いついた話。

「先進国フェーズ I, II, III」ってこと。


先進国フェーズIとは、経済的に先進国であること。

先進国フェーズIIとは、文化的に先進国であること。

先進国フェーズIIIとは、外交的に先進国であること。

なお、それぞれのフェーズは、巧く進んだ場合で「各50年かかる」。



日本先進国双六のスタートは1945年なので、1995年でフェーズIが完了。

フェーズIIの完了は2045年ですね。現在12年経過しており、あと38年。最近の東京のホテル、上記美術館を含む文化施設、海外で認められる様々な文化人をみていて、まあそんな感じかな、と思います。

そして、外交的に先進国になるのは、さらに50年先の2095年。ちきりんはもう生きてません。

フェーズIIIってのは、たとえば「攻撃的武力を持つのか持たないのか」など防衛関係とか、「アメリカに追随する分野と中国側に寄る分野はどこなのか」とか、「台湾、ロシアとどう向き合うのか」とか、そういうことに関する国民の意思が、国の意思として明確に固まっていて(そうすれば)ちゃんと安保理理事会メンバーにもなってると思います。


よくいいますよね。「芸術がわかるようになるには3代かかる」って。一代目が金儲けして脱税のために絵画を買い集め、二代目はそれを投機に使い、三代目がそれを芸術品として扱うのです。


長い話ですね。

んじゃ。

2007-10-07 新国立美術館はお勧め

新国立美術館と東京ミッドタウンのサントリー美術館に行ってきました。

新国立美術館の建物は、すばらしい!の一言です。お庭と調和した、優美な曲線の外観があまりにも美しいです。今日はお天気がよかったので、光が反射して一番きれいに見える日だったと思います。

内部も斬新で大胆で優美で。なんつーか、“日本で初めての、西欧先進国レベルの美術館”という感じでした。建物だけでも見に行く価値あり、です。

観たのはフェルメール展ですが、こっちは1500円も取る割には全く・・・って感じ。美術館の設計自体は追いついたけど、中身はまだ相当時間かかるなあと思いました。

ちなみに美術館の設計はあの黒川紀章氏。選挙にでまくって“発明王ドクター中松”みたいになっちゃう前にやめた方がいいと思うのよね。こんなにすばらしい設計ができるのに、あんなこと(=選挙)する必要があろうか?立派な人も晩節を濁さずというのは難しいのだなあ、と思うです。


新国立美術館からお散歩がてらに歩いて10分で、東京ミッドタウンに到着。サントリー美術館が3,4階にあります。まずは東京ミッドタウン。こちらは何回か食事に行ったことあるのですが、最近できた東京の新名所の中では、ちきりん一番好きです。

丸の内が難しいのは場所が足りないってことです。もともと丸ビルがあった分の敷地なんてたかがしれてる。立て直して高層にはできますが、あんな場所では横にはのばせない。

こっちは防衛庁という広大な敷地があったという利点が大きいですね。緑と公園とのバランスとか、中庭の風の通り方とか、とても気持ちよいです。お天気のよい日、お勧めです。食べ物は何か他の場所で買っていくのがいいとは思いますけどね。何もかも高いから。

サントリー美術館でやっていた屏風展は、内容的にとてもよかったです。上記のフェルメール展より200円安くて、内容的には3倍くらいよいです。

ちなみにフェルメール展は17〜19世紀のオランダあたりの風俗絵画を集めているのですが、実は屏風に描かれている日本の風俗模様も同時期のものです。つまりこのふたつの展覧会を観ると、同時期の西欧(オランダ付近)の風俗と日本の風俗が較べられます。で、その中身を見る限り、日本の文化の成熟度は相当のレベルだとわかります。表現方法も日本の方が丁寧、細密で洗練されている気がしました。結構すごかったのね、あの時代、って感じです。


それに、サントリーという日本を代表する企業が、屏風という日本の文化財を集めて整理して見せてくれるという心意気にも誇らしいモノを感じます。昔、NYや欧州ですばらしい浮世絵のコレクションを見て、なんとなく複雑だったからね。お金ができたらこーゆーのを買い戻すべきだって感じ。

それにしても何の補助金ももらえない民間企業の美術館が200円安く、これだけの内容の展覧会を開けるのだから、なんだかね〜とは思います。まあ、日本は資本主義だってことだわね。


以上です。夕食は月島でもんじゃ。

基本はお好み派のちきりんではありますが、たまにはもんじゃも美味しいかも。


じゃね

2007-10-05 ちきりんさん、是非このブログの出版を!

詐欺まがいの事件の中には、「なんでこんなのに騙されるの?」というものがあります。

「100万円を預ければ年30%の利子が付きます」とか、「30万円の教材を買って勉強すれば、毎月100万円の収入が確実に得られます」というような話は、自分の親が言ってきても信じられないだろうと思うのですが、実際には騙される人も少なくありません。

一方で「なかなか巧い」のは、本人が騙されたと思わないもの、騙されたのかどうか確認できないようなものです。


たとえば、「なんらかのクリエィティブな分野でデビューできます!」という言葉は、多くの人を惹きつけます。思わず「だったら少々高くても投資してみようか!?」と思わせる力をもっているのです。

歌の上手な人に「あなたならきっとデビューできます!すぐにレッスンを始めましょう。まずはボイストレーニングのレッスン料として30万円を・・」ともちかければ、(自分の声や歌に自信がある人ほど)「おっ!」と思うのではないでしょうか。

音楽活動、作曲活動をしている人に「この曲なら巧くやればアルバムに入れられます。ついてはプロにアレンジを頼んだほうがいいので、その費用として20万円を・・・」という話がくれば、誰だって一瞬、いろんな妄想が(?)頭に浮かびますよね。

その後に「いいアレンジが仕上がりました!是非有名スタジオで録音しましょう。ついてはスタジオ代が・・・」と言う話になった時点で「あれっ?」と思う人もいるでしょうが、反対に「いよいよだ!」と興奮してしまう人もいそうです。

こういうケースでは、最終的に期待した結果がでなくても、「騙された」と思う人もいれば、「プロでも厳しい世界ですから・・」といわれて納得してしまう人もいるでしょう。

払った金額が受け取った便益に見合う金額だったのかどうか、経費が法外な金額ではなかったか、ということさえ確認しない人も多そうです。

★★★

本に関しても、新聞や公募雑誌に「自分史コンテスト原稿募集」とか「出版するための原稿を探しています!」という広告がよくでています。

こういったものの中には、応募してきた人に「最終候補には残ったのですが、出版できるのは最優秀賞だけなんです。でもこの原稿をこのまま埋もれさせてしまうのは忍びない・・・」とか、「すばらしい原稿ですね!でもこういう分野は読者が少なくて、商業出版には向かなくて・・。」という話になり、最終的には自費出版や協力出版、共同出版という形で本にしましょう!と勧められるものがあります。

これ、仕組みをちゃんと理解して契約するならいいのですが、「本を出したい!」という人の気持ちが強すぎて細かいことを確認しないまま話が進み、トラブルになる人もいます。


契約パターンは様々ですが、「本を作るコストは著者が全額を払うのに、本が自分のものにならない」場合や、「製作コストが妥当であるかどうかの吟味が難しい」という点がよく問題になる点です。

本を作る費用というのは、紙代、印刷費用、製本代金などのほか、編集、校正、デザイン料などが含まれますが、同じような仕上がりや部数でも100万円未満というところから300万円という業者まであり、値段はあまりにばらばらです。

一般の人にとっては校正代金や製本代の相場なんてよくわからないし、「有名なデザイナーさんに頼むので、表紙デザイン料が50万円」と請求されても判断基準さえわかりません。たとえ自費出版であっても、その価格の妥当性は相当きちんと調べてから契約すべきものだと思います。


加えて、本の製作費用を著者が全額出したなら、できあがった書籍は全部「著者のモノ」となるのが自然です。(実際、自費出版ではそうなります。)本が自分のものであれば、友達や親戚には“ただ”で配ることができるし、もしも自己努力で販売できれば少しでも経費が回収できます。

ところが協力出版や共同出版という形になると、書籍はあくまで「公に出版される」ため、本は作者のものではなく「出版社のモノ」になります。この場合本が売れても代金は(書籍価格の一割弱に過ぎない印税を除き)著者には入らないし、家族や友人に配る分も本人が出版社から購入する必要があります。

そもそも著者印税が1割弱である理由は、残りの9割の中から出版社側が本を製作、販売促進するという前提があるからです。大半のコストを著者が払っているのに、本の販売代金が本人に入らないなんて変ですよね?

しかも、どんな形であれ本になれば著者は自分で販売努力を重ねます。製作費用の負担もしないのに売れた本の代金が手に入るのですから、企業側にとってはずいぶんありがたいことでしょう。


本来は、他の高額商品の購入の際と同じように、複数の業者から製作費用の見積もりを取った上で自費出版すればいいと思うのですが、自分の本が“全国の本屋に並びます!”と言われたり、“ベストセラーになれば夢の印税生活”といった言葉に心惑される気持ちもわかります。

特にここ数年の間に多額の退職金を手にして定年退職した団塊世代の人たちにとっては、「自分の半生を振り返る本を出したい」「自分が学んできたことを形に残したい」という人も多く、こういった話に乗ってしまう人も少なくないのでしょう。

★★★

音楽や舞台で夢のデビューを果たしたい若い人から、長い下積み生活をなんとか脱出したい万年組、さらには退職金を使って人生を総括したい団塊世代まで、どの世代の人にも「騙されていてもいいから夢をみたい!」という気持ちがあり、いろんな分野にその気持ちを利用したビジネスがでてきます。

特に最近はMixiのグループなどで、「自分が何に関心があるか」ということを公にしている人がたくさんいます。商売を仕掛ける側にとってはこんなに便利なことはありません。

あるグループには「作曲に関心がある人」、別のグループには「俳優希望の人」「小説家になりたい人」が集まっているのですから、魚がいるとわかっている釣堀に針をたれるようなものです。

夢にお金をかけること自体は悪いことではないですが、数十万円、100万円といった出費は「趣味のコスト」としては非常に高額です。もちろん「職業訓練費用」と考えてもそれなりの出費でしょう。

どんな名目にしろ「これだけのお金がかかります」といわれた時点で、自分が得られるものが本当にそのコストに見合ったものなのか、その費用総額はいったい自分の生活費の何か月分に相当するのか、よくよく考え、慎重に吟味すべきかと思います。


まっ、ちきりんなんかも「ちきりんさん、是非このブログの出版を!」とか言われたら、ホイホイ200万円くらい払ってしまうのかもしれませんけど。

ではでは〜

2007-10-03 “no more もの運動”を主宰してます。

ここ数年「捨てるモード入り」している私。

きっかけは、2年前に「実家を片づけた」こと。

ちきりんの実家は築 50年くらいの田舎の一戸建て。高校卒業までの私も含め、これまで家族 3代が住んできた家ですが、2年前にリフォームのために家を片づけた時、大きな衝撃を受けました。

なんたってまあ、とにかくモノの量の多いこと多いこと。

身内 2名にバイトを 2名動員し、大人 4人で一日がかりで片づけたゴミの量は、家庭ゴミの範囲を遙かに超えており、有料で産廃業者を呼んで引き取ってもらったほどです。

しかもリフォームしたのは家の一部だけ。なので、片付けたのもその部分だけです。

それなのに不要品がこの量? と本当に驚きました。そしてそれをきっかけに、自分の家のモノも大幅に減らしたいと思い始めたわけです。


テレビで「片付け屋」というビジネスが特集されていました。

自宅で暮らせなくなり、施設などに移ることになった高齢者が家の片づけを頼むケースとか、

親御さんが亡くなって、遠くに住む子ども家族が実家の片づけを頼むケースなどの他、

比較的若い人でもモノが増えすぎて収拾がつかなくなって片づけを頼む人もいるようです。


なんだけど、その人達の家をテレビで見て、私はまたもや大衝撃を受けました。

だって大半の家が、“ゴミ溜”以外の何ものでもない、って感じに見えたから。

ところが、本人達はそこで普通に暮らしてるんです。

ものを払いのけてソファや座布団に座ったり、机の上のゴミの中からリモコンを探し出してテレビをつけたり。

きっと毎日少しずつ「徐々に汚くなってる」から気がついてないのでしょうけど・・・他人が初めて見ると、「あり得ない」って感じの部屋ばかり。

いったい何がそんなにひどいのかといえば、結局のところ、汚いわけでも壊れてるわけでもなく、「モノが溢れてる」んです。

どう考えても使ってないと思われる大量のモノが家中に溢れて収拾がつかなくなっている。


私個人の家だって、9年前に住み始めた頃は本当にすっきりしてました。

ところが最近はモノが溢れてる。でもその間、危機感をもったことはありません。なぜなら、毎日、毎月、毎年、少しずつ、モノが増えているから、自分では気がつかないんです。

このままではいつか、私の家もテレビで見たような家になる!!

と思うと、ホントに背筋がぞっとしました。そしてそれ以来、「モノに囲まれて暮らすのは、こんなに醜いことなんだ」と思うようになったのです。

★★★

そもそも「モノが増えてもなんとか納めてしまう」のがダメなんですよね。

「モノが増えて、モノを増やして、で、片づけて収納する」というアプローチ自体が、必ず破綻するプロセスなんです。

このアプローチでは、結局モノは増え続けます。

一生、収納家具を買いたしたり、保管倉庫を借りたり、広い部屋に引っ越したりして、“きれいに片づけて”ると、結局モノは増え続けてしまいます。

そして、人間どこかで限界が出る。片づけることができなくなる日が来るんです。

なぜなら片づけってのは、かなりの体力と気力、そして判断力を必要とするから。


2時間買い物してモノ増やすのは簡単なことです。でもごちゃごちゃの部屋を 2時間くらい片づけても全然きれいにならないでしょ。

ということは解はひとつしかありません。つまり、「モノを減らす」ということ。


大学に入って、初めて一人暮らしを始めた時は、ほとんど荷物はありませんでした。それでも生活には十分だったはず。

高齢者施設の大半は、トイレ付きでも 25平米くらい、かなり広くても 40平米程度でしょ。

人間、最後はその範囲に収まるものしか維持できなくなるんです。

そして生来の「旅人気質」も思い出しました。ごくごくシンプルな家で住みたい。いつでもどこでも鞄一つで旅にでられるような生活を実現したい、と。

本当に好きなもの、必要なものだけを厳選した、超シンプルでモノの少ない家にすることができたら、どんなに格好いいでしょう。。。憧れですよね。


もちろん一足飛びには無理なので、とりあえず「モノを 3割減らす」という目標を立ててみた。

長期目標は「次の 5〜7年くらいで、6畳一間で暮らせる量まで持っていくこと」です。

★★★

ちなみに、昔の人って、そもそもモノをそんなに持ってませんでした。

戦前までは、資産家ではない普通の家の人なんて、一人の持ち物は洋服 10枚、靴 2つ、布団一組、食器一組、その他、小さな箱に一箱分、ってな感じだったんじゃないでしょうか。

モノが増え始めてるのは、戦後の高度成長期からです。

それでも核家族化が始まる前は、親が死んでもその家に子どもがそのまま住み続けるため、代替わりしても「実家の片付け」という作業が発生しませんでした。

しかし 80年代以降は、結婚後、親の家に同居する人が急速に減りました。

すると親の家には親しか住んでおらず、彼らが死んだ後は、「この家にはもう誰も住まない」=「誰かが片付けないといけない」という状況に陥ります。

それでここんとこ日本史上初めて、「実家の片付け」という問題が起こってるわけです。

これは今後、ほんとに大変なことになると思います。


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というわけで、そんじゃね〜


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2007-10-02 究極の選択:金正日かブッシュか

今日、盧武鉉(ノムヒョン)大統領が金正日氏と会った。年末の韓国の大統領選に向けたパフォーマンスです。

韓国では「南北統一」は“国民の悲願”だから、7年前の金大中大統領の南北首脳会談以来、とにかく金正日氏と会えば韓国の政治家は支持率があがる、状態で、皆あからさまに(金を払ってでも)金正日に会いたがる。

実際、盧武鉉大統領派はかなり支持率が下がっており、最後の安倍総理みたいな状態なんです。で、12月の大統領選ではかなり負けそう。今日の会談でちょっとでも盛り返せるか!?っていうのが注目。


ちなみに韓国では「前大統領は、野党候補が次の大統領になると、必ず逮捕される」っていうルールがある(?)ので、日本の政権争奪とは較べモノにならないくらい皆真剣です。

で、めっちゃおもしろいのが、野党の大統領選挙候補者の人が、訪米してブッシュ大統領と会うって発表したこと。

アメリカの大統領は、基本的に他国の野党リーダーとは会わないのです。なんだけど今回は野党リーダーと会うらしい。びっくりです。韓国のマスコミも驚いてました。なんでブッシュは会う気になったんだ?と。

つまり、それくらい盧武鉉大統領率いる現在の韓国政権がアメリカと関係がよくない、ってことなんです。彼らは極めて左であり、二日前まで書いてきた話とつなげると、李承晩から戦後ずうっと維持してきた親米政権が、金大中以来盧武鉉までの間ひっくりかえされちゃってます、という状態なわけですね。

この現政権の“親北反米”に対抗しようと、野党はやたらと“親米反共”を強調してるわけです。なので、そっち側を支持するアメリカが、まだ野党候補なのにてこ入れの意味を含めて会ってくれた、というわけ。

★★★

ちなみに韓国は、戦後すぐの南北対立の時に、アメリカがつれてきた(韓国におけるカルザイさんの立場である)李承晩(イスンマン)博士が大統領になった後は、長らく“軍事政権”でした。選挙もなかったし議会もお手盛り。独裁者が軍服を着て政治してました。一般市民の“民主化要求デモ”も激しく、光州事件などをはじめとして、罪なき市民が大量にコロされた。

でも、これらの“軍事独裁政権”は当然ながら、反北朝鮮、すなわち反共であり、ということは親米でした。なので、当然のようにアメリカはこの軍事独裁政権を強力に支持していました。

“アメリカが民主化運動や民主的政権を支援・支持”というのは嘘だということは、この例でも明らかです。“アメリカは親米政権を支援・支持”するだけです。


なお、金大中以降の大統領、現在の盧武鉉大統領も、上記の独裁軍事政権の時代に、デモを率いていた“民主化運動家”リーダーです。韓国では、“民主化運動のリーダー”=反米であり、親北、という、“ねじれ“減少が特徴となっています。

★★★

話を戻しましょう。


この、

・与党の大統領は金正日と会見してアピール!!

・野党の大統領候補はブッシュ大統領と会見してアピール!!

ってのは、かなりおもしろい。どっちも最悪な感じのリーダーだが(たぶん現在、世界で最悪の二人だと思う)、どっちが勝つんだろう?超きょーみあるです。


韓国国民は、金正日を選ぶのか?それともブッシュを選ぶのか?

二人のテロリストからのチョイス!!


うーむ、ホントに究極のチョイスだわ。


訂正:上記のニュース、再度確認してみたら、ブッシュ氏と野党候補者との会談はキャンセルされたとのこと。一方で金正日は盧武鉉大統領に一日滞在延長を促したと報道されてます。金正日一歩リード!


★★★

そのうち、自民党の総裁選の直前に

・福田さんが訪中して、○○書記長と会談でアピール!!

・麻生さんが訪米して、○○大統領と会談でアピール!!

みたいになるのかも

おもろいな。


んじゃね。