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Chikirinの日記 RSSフィード

2008-01-31 ちきりんの小学生時代

古いファイルの整理をしていたら、小学校から高校までの通知票を見つけました。ちきりんは一体どんな小学生だったのか、通知表で振り返ってみましょう!


★★★


1年生の通知票、何も書いてないですね。なんでもかんでも「よくできました」みたいな感じで、たいした情報はありません。2年生へGO!


★★★


2年生から5段階評価が始まっているのですが、1学期、2学期、3学期と「3学期続けて全部(5段階評価のうち最高位の)5」だったのは、音楽と図画工作だけ。


えっ?


あたし優等生じゃなかったの? 音楽と図画工作だけ??


その上、クラスでの役割が、1学期=班長、2学期=給食係、3学期=給食係。

これって、一学期に班長をやらせてみたものの、「やっぱり、こいつは班長より、給食係向き」と判定されたんでしょうか。


音楽と図画工作と給食係・・・小学校2年生のちきりんの実像です。


★★★


3年生

1〜3学期まで通して“5”なのは、またもや音楽と図画工作


なんだよ、これ?


私って芸術系の人だったんですね。係は相変わらず給食係と、シール係。ずいぶん給食係ばっかりやってますね。


3年生になると先生のコメントがあって、これがおもしろい。

一学期のコメント:知識・理解力あり、まじめで熱心なお子さんです。発表を好まず、自分から話すことはほとんどありませんので、その点は努力してほしい。


二学期:熱心に学習し努力もしているようだが、活気がない。友達とはよく話しているが発表はあまりない。図画工作においては創意工夫があってよい。


三学期:判断力、理解力をもっているのに、強力にそれを押し出せない性格的なものを感じます。


友達とは話すが、授業中に手をあげて発言しない、ということですが、イヤ実際、ちきりんはこの「授業で手を挙げて答える」ということの意味が全然理解できず、困っていたんですよ。

これぐらいの学年だと、先生が問題を出して「分かる人、手を挙げて!」とか言うと、結構な人数が元気よく「ハイハイハイ!!!」って手を挙げるのよね。

ちきりんには、これが意味不明で。


「回答したい子がこんなにたくさんいるんだから、私がわざわざ手を挙げる必要性はあるまい」と考えてました。

未だによくわかんないです。なんで全員が手を挙げる意味があるんだろう? だって別に自分の意見を言うとかじゃないんですよ。「4×4が分かる人?」とかいう質問ですよ。全員で手を挙げる必要がどこにある?


超シュールな小学3年生、ちきりん嬢


★★★


そんなちきりんも無事に4年生。これもひとえに、家から小学校までが4秒しかかからなかったおかげでしょう。(小学校の通用門と、ちきりんの家の玄関距離)

これって登校拒否とかいう概念が存在し得ない距離です。「ちきりんの家どこ?」「体育用具置き場の隣」みたいな。



3学期続けて5の科目。


なし


も お い い。

勉強ができなくても明るい良い子なら!


コメントは、

一学期:テストのみに力を注いでいるように感じる。学習時、学習の輪に入り自分の存在をはっきりさせるような学習ぶりになった時、成績もあがってくることでしょう。

勉強ができなくても・・明るい良い子・・・なら・・?



二学期:グループ学習等を通し、以前より活気のある生き生きしたものを感じられるようになりました。


三学期:教科全般、着実に進められています。復習プラス予習が大事ですが、後者に力を入れてみてはどうかと考えます。


この先生は、初めてちきりんの担任になった先生です。

で、一学期が終わった時、ちきりんにたいして相当むかついて(いらっしゃい)ました。私が学期中、全く、一切、絶対、手を挙げないからです。すごく反抗的に見えたのでしょう。でもテストの成績はいい。

上記のコメントって、「この子は、テストさえ良い点をとっておけばそれでいいんでしょ、という態度だ」という意味だよね。


先生としては、「いくらテストの点が良くても、そんな子に私は教師として“5”はつけません」ということだったのでしょう。一学期の終わりにそのメッセージ(というか、この先生の意思)は、私にも明確に伝わりました。


で、2学期は何回か手を挙げた。


負けた気分だったよ。

権力に。


あとね。3学期のコメントを読んだ父が言いました。「小学校4年で予習だの復習だのが必要やなんて、おまえ相当、アタマ悪いな。ママに似たんやな」


★★★


5年生。1〜3学期まで全部5の科目は、

国語

算数

社会

理科

音楽

家庭科


ついに、才能開花!!!!



図画工作はどーした??

3学期とも4。


ええ〜!

芸術を犠牲にして、優等生への道を選ぶのか、ちきりん

それが大人になるということなのか? 


この学年(5年生)から「読書クラブ」に入ったみたいです。

コメント(担任の先生が4年の時とは変わっています。)

一学期:全教科成績優秀。まじめで熱心によく努力しました。2学期も今の研究的・意欲的な態度で大いに頑張ってくださいね。


二学期:算数によく努力しました。読書をよくしました。音楽もよく頑張りました。理科も頑張りました。


三学期:大変よく頑張りました。全教科成績優秀。読書クラブでよく活躍しました。作文、文章表現力が一段とよくなりました。


研究的態度という言葉を見る限り、相変わらずあんまり積極的に“挙手”してなかったようです。二学期のコメントはちょっと手抜きな感じですね。三学期の「文章表現力」は、今のブログに生きてますね。


黄金の5年生時代、終わり!!


★★★


6年生。最終学年

3学期通して5をもらったのは、国語、社会、算数、理科、家庭科


図画工作に続き、音楽も脱落。芸術家への道を断念した頃ですね。(?)


コメント

一学期:よく本を読みました。感心しています。読書によって広い知識と豊かな心が養えることはとてもいいことです。

言葉や文章による表現に、とてもいいひらめきや、筋道だった考えがみられることがよくあります。

今のブログに活かされている能力の開花が見えますねー!


二学期:先生は「ゆとり」と「よゆう」という言葉が好きです。2学期のちきりんさんにはこの「ゆとり」があったように思います。ゆとりのある人こそ、将来大きく伸びられるものです。

たしかに、ゆとりと余裕の有りすぎる大人になりましたよ。ちょっとマズイくらいに。


まあでも2年前には「予習と復習をやれ!」と言われていたのに比べれば大進歩です。

この頃、私は学んだんです。自分がすべきと思うことだけ(例えばテストで良い点とるとか)をやっててもだめなんだな。「評価者である先生が望むことをやってあげないと、評価されないんだな」って。


先生の中には、自分が「分かる人、手を挙げて!」と言った時に、「クラス全員が元気にハイハイ!と連呼して手を挙げる図」というのが快感であり、ゴールである人がいるんだな、と学んだわけです。

いくらそれが「無意味に見えても」「それって先生の自己満足に過ぎなくないですか?」と思っても、子供らしく手を挙げないとだめなのだ。こういうことを身を以て学んだことは、後々すごい役に立ちました。


3学期:ちょっと気がゆるんだのか努力が足りなかったようです。

すばらしい読書生活の成果が中学校で発揮されるでしょう。勉強も大いに力を発揮してください。楽しみにしています。


ちきりんは、すべての学校(小学校、中学校、高校、大学・・)で「最後の学期」に成績が下がります。

だって「最後の学期って関係ない」んだもん。どうせもう次の学校が決まってたり、入試が終わってたり、就職が決まってるわけです。

大事なのは最終学年の2学期までなのよね。そこにピークを持って行くのがベストなはず。

とか言ってたから、千葉すずはオリンピックにでられなかったわけですけど。


というわけで、小学校卒業。


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また明日!

2008-01-30 コンビニご飯と“器の力”

これは昨日の帰国直後に食べた食事


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左下は、タコワカメ(お醤油のみ)

上は、野菜炒め(ちょっとだけ豚肉入り)

いずれも家の近くのセブンイレブンで購入。

ご飯は自分で炊いて冷凍していたものをチン。


以上。


十分美味しい。帰国して家に着いてすぐにコンビニに寄って、これくらいのものが食べられるとほんとに助かります。マジでいい国だ!

それにしても、日本のコンビニはレベル高い。最近特に、タコとか烏賊のお刺身はスーパーより美味しい。そして器を入れ替えるだけで「手作り和風ランチ」に見えるのがすごい。


じゃね!

2008-01-29 ずんずん仮説に挑戦!(どうかな?)

昨日のエントリにいただいた仮説のひとつ、「そもそも男性のほうがたくさん生まれてるのでは?」という仮説にたいして考えて見ましょう。


(1)0歳の男児が女児より6%ほど多い。データは下記。若干のブレはあるけど、だいたい5〜7%くらい男児の方が沢山生まれるもののようです。

http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/P_Detail2007.asp?fname=T04-01.html&title1=%87W%81D%8Fo%90%B6%81E%89%C6%91%B0%8Cv%89%E6&title2=%95%5C%82S%81%7C%82P%81%40%90%AB%95%CA%8Fo%90%B6%90%94%82%A8%82%E6%82%D1%8Fo%90%B6%90%AB%94%E4%81F1872%81%602005%94N


(2)次に乳児死亡率の推移はこちら。(千人中何人というデータ)

http://www.gender.go.jp/whitepaper/h17/danjyo_hp/danjyo/html/zuhyo/fig01_00_12.html

乳児死亡率は大正9年から昭和45年くらいまで急激に下がってます。“公衆衛生”の偉大さを感じるグラフですね。

問題の昭和20年〜30年に生まれた人達は、この乳児死亡率が急激に下がっている期間の後半に該当する。昭和20年あたりだと100人中8人が乳児期に死んでいるが、昭和30年だと5人弱くらい。この10年で3%=3人ほどの乳児が、乳児の時に死ななくてすむようになった。


(3)その3人は男児なのか?

下記のデータを見る限り、乳児死亡率の改善は男女が大人になる比率に影響を与えているようには見えない。“死亡性比”という欄をご覧ください。女児死亡100人にたいして男児死亡が何人か?というデータですが、問題の世代である1945年〜1955年生まれの10年でその比率はほとんど変わっていない。この間ずっと男児は女児より2割くらい死亡数が多い。

ちなみにそれより後になると、男児の死亡性比が120よりもかなり高まっている時期もある。医学の進歩は男女に平等に恩恵を与えており、いや、寧ろ女性により大きなメリットがあった、ということでは?

http://www.ipss.go.jp/syoushika/tohkei/Popular/P_Detail2007.asp?fname=T05-02.html&title1=%87X%81D%8E%80%96S%81E%8E%F5%96%BD&title2=%95%5C%82T%81%7C%82Q++%90%AB%95%CA%93%FB%8E%99%8E%80%96S%90%94%81C%97%A6%82%A8%82%E6%82%D1%90%AB%94%E4%81F1900%81%602005%94N

ということで「乳児死亡率の低下により、男児が女性より多いまま成人する傾向が進んだ」というのは「該当していない」ようす。


(4)本当はそのものずばりのデータ、つまり昭和40年〜60年(1965年〜1985年)の20歳〜30歳の男女比を調べればよいわけだよね。これ、当時の国勢調査にデータがあるはずで、上記の人口問題研究所発行の紙のデータブックには載ってたと思うのですが、ネットでは探せませんでした。

ところで平成18年の性別・年齢別人口をみると、20才の人は男性が7%多く、30才の段階では男性は3%多いだけになってる。これもおもしろいデータですよね・・

http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2006np/zuhyou/05k18-01.xls

平成18年の30歳は1976年生まれ、同年の20歳は1986年生まれです。この1976年生まれから1986年生まれまでの10年間では「20歳段階での男性が余り始める」ということが起こっているようにも見える。では、この10年の出生性差と乳児死亡の性差を見てみると・・

出生性差=1976年と1986年では、男女の出生数比率はほとんど変わらない。どちらも106前後。

一方で乳児死亡率の死亡性比=135.5→123.6。つまり、この10年で言えば、男性の乳児死亡率はかなり改善している。

なるほど、この「1976年〜1986年生まれの10年」であれば、「乳児死亡率の改善により、男性が沢山生き残るようになり、20歳時の人口バランスが男性過多に偏っていった10年である」という仮説が成立します。


が、(4)のデータが見つからないと確定的ではないが、上記(1)〜(3)の数字を見る限り、「昭和20年から昭和30年に生まれた世代にかけての10年間で、男性の未婚比率が急上昇した理由は、ずんずん仮説では説明できない」と言えるのでは?


というのが今日の結論。

★★★

なお、今の段階でいくつか感じたことだけメモっておくと。


(1)「“男女とも”に生涯未婚率が上昇していることの理由についての仮説」と、「近年、男性の生涯未婚率が女性よりも高くなっていることの理由についての仮説」は、分けて考えるべきことかな、と思います。


(2)コメントの中には、「経済力をつけた女性が未婚を望んでいるのでは?」「女性がたとえバツイチでも気にせず“いい男”の方を選ぶから男性が余っているのでは?」と、女性側に最初の理由があると考える方も多いようですが、ちきりんはこの点についても懐疑的です。

なぜなら、昨日のグラフは“今の30代の話”ではなく、“今の62歳から52歳の人”の話、なんです。本当に「女性側に最初の理由がある」のかなあ?と思います。

(3)相関と因果関係も分けるのが難しいですよね。「コンビニができ、家電製品が整い、家事が楽になったり、一人で楽しめる娯楽が増えたために、結婚しない人が増えたのか」「結婚しない人が増えたために、コンビニが増え、家電が高機能化しても売れ、一人で楽しめる娯楽が広く受け入れられ普及したのか」は、わかんない。


(4)コンビニとならんで「結婚機能の代替物」として名前のあがる性風俗産業ですが、これは男性の未婚率とは関係ない、と思います。

公娼時代、赤線時代を含め、女性を買える場所は時代を問わず常に存在するし、昔の方が寧ろ「公的」「合法的」であり、かつ、男性がそれを利用することのバリアも心理的、倫理的に今より余程低かったと思います。

そういう過去において98%の人が結婚していたのですから、現在の未婚率の高さを「風俗がある」ということで一部でも説明するのは難しいかな、と思います。



というわけで力尽きてました。残りはまたそのうち!


ではでは〜!

2008-01-28 求む!あなたの仮説

本日のグラフはこちら。青が男性、赤が女性。横軸は時系列で大正9年から約5年ごとのプロット。国勢調査の数字です。

生涯未婚率とありますが、正確には「50歳の時の未婚率」です。未婚には離別死別を含みません。つまり、2005年現在、この年に50歳である男性の15.4%は今まで一度も結婚してない、ということです。ちきりん的な実感よりかなり多いです。

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びっくり? それとも知ってました?


未婚というと女性がよくとりあげられて「負け犬」とか呼ばれますが、実際には男性の未婚率の高さに驚きます。2005年現在で、女性の50歳時未婚率は6.8%となんと男性より8.6%低いのです。

この数字の男女格差の意味は?

単純化して言えば、8.6%の女性は「自分が初婚で、相手が再婚」という結婚をしている、ということですよね。一番想像しやすいのは、男性が30歳で28歳の女性と結婚し、50歳になった時に離婚し、再度、その時点で今度は20歳年下の30歳の女性と再婚する。そんな感じです。男女の100人に9人くらいがそういう婚姻関係を経験しているってこと?

★★★

グラフの全体を見ると、3つの時期にわかれてますよね。

(1)大正9年から昭和30年くらいまでの第一期。ここでは男女の未婚率は、「差がなく、かつ低い」です。1.5%くらい。

(2)昭和35年くらいから昭和の終わりまでの第二期。ここでは女性の未婚率は一貫して男性より高い。倍です。でも、2%と4%なので、絶対値としてはそんなに高くはありません。

(3)平成に入ってから男女とも未婚率は上昇しますが、特に男性の未婚率上昇が急ピッチ。


それぞれの時期を振り返ってみましょう。


(1)これはわかりますよね。この頃の日本では基本的に「全員結婚していた」のです。結婚しない人は何らかの障害があるなどを含め、余程の理由があった人だと思います。

(2)も簡単。明治以来の近代国家日本は戦争ばっかしてますから、男性が足りてないのだよね。だから女性の未婚率が高い。男性の50人にひとりは結婚適齢期までに戦死してしまってた。

(3)そして最後の時期。最後の戦争が終わった時(昭和20年)に10歳だった人=戦争で死亡していない世代=が50歳になったのが昭和60年ですから、昭和の終期以降は男女数は均衡してくるはず。そして、それと同時に「結婚しない男性」が増え始めている。急増といえるレベル。

この(3)の理由が一見しただけではよくわかりません。


この(3)の世代は、生まれたのが1945年=昭和20年(戦後直後の生まれ)から1955年=昭和30年生まれ。結婚適齢期の20〜30才の時に昭和40年から60年の高度成長期、です。この世代は一貫して未婚率が上昇してる。男女ともですが、男性の方がかなり急ピッチだ。


女性は比較的理由が想像しやすい。昭和40年〜60年というのは、有史以来!初めて我が国で、女性が自分で自分の食い扶持をまかなうことが可能になりはじめた時期ですよね。

でも男性の未婚率がここまで急上昇した背景はわかりにくい。今と違って経済的な理由が関係あるようには思えない。不況もあったけど、全体としては日本は高度成長国だったし。今の30才代の人達が「こんな給与では結婚できない」と主張するのとは事情が違うと思うのです。


じゃあ、この男性の未婚率急上昇の理由は何さ?


というわけで、今日のエントリの題名通り、皆様の仮説、募集中です。


ではね!

2008-01-27 欧州から見える世界

アメリカじゃなくて、欧州にいると、世界はこう見えます。

(1)欧米・・・知と仕組みを提供

(2)アラブ・・金とオイルを提供

(3)中国とインド・・・人(労働力と消費力)を提供



世界が、

(1)日本

(2)アジア

(3)世界

というような同心円で教えられていた時代を懐かしもう。



世界を

(1)日本

(2)欧米

(3)第三世界

などと感じることができていた、傲慢な時代を記憶にとどめよう。



世界の“その他”に属する私たち


旅の空から

2008-01-23 戦う相手、ちがってますよ

昨年以来、若年貧困層が立ち上がり声をあげています。そのスローガンの中に「この年収では結婚もできない!」というタイプのものがあります。

ちきりんは、若者層がひどく虐げられているといるという現状認識については同意見なのですが*1、この手のスローガンにはいつも違和感を感じます。

それは、この「結婚できる給与額の要求」が、まさに日本が高度成長時代に作り上げてきた「年功序列賃金制度の維持」を意味しているからです。

その主張の中では、給与とは“お金が必要な人に払うもの”であり、“仕事の成果に対して払う”ものとは位置づけられていません。

だから、子供の教育費や家のローンなど一番お金が必要な 50代の給与を高くして、薄給でも暮らしていける若者には安い給与を払うのです。

日本では女性の給与は男性よりかなり低く抑えられていますが、この背景も同じでしょう。

女性軽視云々の前に、女性とは“一家を養わない種族”であり、“一家を養う必要のある男性”により多く払うのは当たり前だと考えられてきたのです。

さらに今は多くの企業で廃止されましたが、以前は大企業には「家族扶養手当」なども存在していました。給与とはまさに「家族を養うのに必要なお金を支給する制度」だったのです。


翻って現在、若者者は「こんな年収では結婚できない」と自らの不遇を訴えます。けれど、もし今の段階でそれに必要な額を払えば彼らは数年後には「こんな給与では子育てできない」と言い出すでしょう。

そして 10年後には「こんな給与では家のローンが払えない」、60才になれば「こんな退職金では親も介護できない」と言い出すことになります。

これをすべて満たしていけば、彼等の主張は「年齢があがれば必要な額も大きくなる。したがって、中高年により多くを支払え」という主張となり、つまりは「年功序列賃金を維持してくれ!」という主張と同一となります。


35才の男性(妻と子供あり)と、23歳の新卒1年目の男性(独身)が同じ仕事をしていたとしましょう。

妻子がいる 35才の男性には 35万円の給与を支払い、22才単身者には 22万円を支払う。その代わり、22歳の男性が 35歳になった 13年後には 35万円(+インフレ分)を支払うと約束する。これが年功序列賃金であり、正社員の給与はこのように決められています。

ところが非正規雇用では時給で給与が計算されます。

同じ仕事であれば、労働者の年齢に関わらず時給は同じです。すなわち時給の仕事では賃金は年功序列ではなく、“同一労働同一賃金”なのです。

だから 35才妻子持ちの男性も、22歳の単身者と同額しか稼げなくなり、結果として「この年収では結婚できない」となる。これが現在起こっていることです。

しかし、だからといって「非正規雇用の労働者にも、年功序列賃金制度を導入するべきだ!」というのが、本当にワーキングプアと言われる若者達が主張すべきことなのでしょうか。

★★★

図で見てみましょう。左側が若者で右側が中高年です。上段(青とピンク)は「人件費が桁外れに安い外国の労働力に代替されない能力を持っている人」で、下段はそういった国の労働者に「代替される人たち」です。

現在は、グローバリゼーション(生産等の海外移転等)によって、下段の人達の給与が世界水準に向けて下がり続けています。

世界では“同一労働同一賃金”が普通ですから、年齢が高いから、妻子を養う必要があるから、日本の物価が高いから、というような理由で、給与額を決めるわけにはいきません。

しかし、中高年の多くは正社員であるため給与が下げられません。そのため緑の箱にいる若者にすべてのしわ寄せが来ているのです。


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それぞれの箱には彼等の主張を入れてありますが、ちきりんが違和感があるのは、ここで左下、緑の箱の若者が発する「結婚生活に必要な額を支払ってほしい」というタイプのスローガンです。

前述したようにこれは「年功序列賃金を払え」という主張と同じです。「給与は生活給である」という前提の上にたつ要求です。

ちなみに上段の人にとっては成果主義制度が有利で、下段の人には年功序列賃金が有利なので、緑の箱にいる若者が「年功序列賃金が望ましい」と主張すればそれは、それは下段の人から上段の人に向けた要求と認識されます。


けれど、ちきりんにはこの“上下の戦い”があまり生産的に思えないのです。

なぜなら、上下の戦いは「資本主義の上段」と「共産・社会主義の下段」という構図だからです。

資本主義では給与は成果に基づいて分配しますが、共産主義では成果とは関係なく生活費の必要性に応じて分配するのが原理原則です。上下の対立とはそういう対立です。

しかし、その構図で今から戦うのは無理ではないでしょうか。1991年にソビエト連邦を初め共産主義体制は大層が崩壊してしまいました。また社会主義的な政権の欧州の国でも、再分配機能は強化されていますが、下段の労働者の賃金制度は“同一労働・同一賃金”となっています。

このグローバル経済の時代に、日本だけ「給与は成果に基づく額ではなく、生活必要額を払います。非正規雇用の人にも年功序列賃金制度を導入します」などという結論を勝ち取るのは不可能に思えます。


しかし一方で、左(若者)と右(中高年)の問題に注目すればどうでしょう。

下段の若者と中高年は、仕事においてほぼ同じ成果を出しているのに、既得権益を持つ中高年だけが正社員として厚く厚く守られています。同一労働をしているのに、若者の方は正社員になれず、その賃金は非常に低いのです。

この左右の格差について「それはおかしい!」と主張するのは十分に理のある戦いです。こう主張するなら、若者達の主張が通る可能性は十分あります。

ちきりんが不思議なのは、若者達がなぜ勝てる可能性のある「中高年との格差の理不尽」と戦わず、勝ち目のない「資本主義の原則」と戦おうとするんだろう、ということです。

いや、若者の中にも「既得権益者である中高年vs犠牲を押しつけられた若者世代」という対立構造を意識している人はたくさんいるでしょう。

しかしながら、彼らの多くが「結婚できるだけの給与を払え」というスローガンが、その対立構造と矛盾していることに気が付いていません。

彼らが唱えるべきはあくまで「成果に基づいて払え!」というメッセージのはずなのです。

そうすれば、自分達と変わらぬ成果しかだしていない中高年(下段、赤い箱の人達)が貪っている不当に厚い賃金を一部分配させることができるはずなんです。

この「成果に基づいて払え!」というスローガンは、「結婚できる給与を払え」=「生活に必要な額を成果に関わらず払え!」というメッセージとは全く異なるものです。

★★★

現在の中高年の中心である団塊の世代には、若い頃の経験から「資本主義 vs. 社会主義・共産主義」という対立構造が染みついている人がいます。

彼らはデモやアジテーションにも慣れており、若者がデモをするといえばいろんな指導をしてくれるでしょう。

しかしちきりんから見れば、その人達が若年貧困層の不満を利用して、対立の構図を歪めているのではないか、とも思えます。

若者達の怒りが自分たちに向かうことを避けるため、他の人達に怒りが向かうように仕向けている、と。つまりは(ここでも?)若者は中高年に巧みにだまされているんじゃないでしょうか。


というわけで、ちきりんからのアドバイスは「戦う相手を間違えるな」ってことです。

戦うべきは「成果に基づく報酬を受け取っている人」ではなく、「成果より遙かに多い報酬を受け取っている人」です。

その「成果より遙かに多い報酬」を正当化している「年功序列賃金」制度を支持するようなスローガン(=「結婚できる給与を払え」)を掲げていては、話が混乱するばかり、という気がします。


そんじゃーね。

*1:以前のエントリでは、右側の中高年が左側の若者を切り捨ててきた、という話について書いています →http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20071228

2008-01-21 最後通告は37歳

三浦展さんの「下流社会 第2章」という本のコラムに

「37才危機説」

というのが載っていました。下記枠内はそのコラムからの引用です。

人生があまりうまくいっているとはいえない人にとって、37才前後というのは非常に重い年齢なのではないかと思う。とすると、近年増えてきたフリーター、ニート、失業者などが37才を迎えると、けっこうヤバイ状況が生まれるのではないか。


中略


35歳ならまだまだ若いという気持ちがある。しかし37歳というと、40代がぐっと近づいて見える。人生の折り返し点。人生のやり直しがいよいよきかない年齢になるのである。その時、フリーターや、ニートたちは、なかなか平常心は保てないのではないか。その中から、異常な犯罪に走る人間がでても不思議ではない。


必ずしも結論に賛同するわけではありませんが、この年齢に注目した着眼点はすばらしいと思いました。三浦展氏はフリーター、ニートにとっての37才について書いています。しかし、より広く誰にとっても37才は「いよいよ」の年齢だと思います。


たとえば・・・

(以下は本に書いてあることではなく、ちきりんの感想です)


・出産未体験女性にとって、37才は「自分が人生において出産を経験しないであろうと確定的に感じる年齢」ではないでしょうか。結婚していても、していなくても、です。


・男性の仕事では、「夢を語ることができなくなる年齢」でしょう。30代前半までは「オレは将来こーゆーことがしたいんだ。」とか「留学しようと思ってるんだ。夢があるんだ!」とか言っていられます。しかし37才を超えてそんなこと言われても、「へっ?」って感じですよね。


35才くらいまでは「今の自分」とは「異なる自分」が将来にあるかも、という希望(妄想)を、本人も持てるし、世間も許容します。そして、実際に可能なんでしょう。

それが37才を超えると、「将来の自分」は「今の自分」と本質的には変わっていないだろうと、確信的に思わされます。未来が今の延長線上でしか想像できなくなる。そういう年齢なのです。


著者は「人生があまりうまくいってない人にとって」という限定を置いていますが、実は巧くいっている人も同じです。順調な人にとって37才はまさに「飛躍の年」でしょう。将来トップに上り詰める人は、この年齢あたりで確定します。

20代や30代前半でいくら「優秀だ」「あいつはトップエリートだ」と言われていても、彼らが50才になった時、本当の勝ち組になれているかは、なんとも不確実です。


20代では、学歴や遺伝子、就職タイミングの好不況やちょっとした巡り合わせが、その人の社会人としての成功・失敗を大きく規定しています。「その人独自の判断や努力」がまだ効いていません。

でも37才で勝ち組だったら、その理由は「遺伝子やタイミング」ではなくその人自身がやってきたことです。だから、その後の人生との相関が高くなるのです。負け組もまた同じ。時代のせいだ!などと叫んでいれば許されるのは、35才までなのです。


この年齢で「最後のレース」に残れない人の多くが、行く道を変更することになります。一方、この年齢で「勝ちに行く」人たちも積極的に生き方を変更する必要に迫られます。

たとえば、今まではただ必死で仕事をしていただけの人も、この年齢からは所属する“社内派閥”を決めてリスクをとる必要があるでしょう。選挙に出るなど勝負に出る人も、このあたりで“踏み切る”必要があります。


★★★

個人生活も同じです。

30代前半なら、家庭があっても「本当に人生を共に歩みたい人」と人生をやり直すことも可能です。最近は子供がいてもそういう判断をする人も多いですよね。

でも37才を超えたら、そういう人と非公式な関係を持つのは可能でも、生活の枠組みを変えるのはとても大変になります。

これは「配偶者が年をとっているから捨てられない」という話ではありません。

子供のこと、親の介護、住宅ローン、自分の健康問題、会社での立場など、個人の感情以外の様々な制約が絡まって、人生の舵を大きく切ることに必要なエネルギーが、圧倒的に大きくなるからです。だから「今あるもの」を大事にすることが唯一の選択肢となってくるのです。


このあたりから、女性がヨン様や石川遼君、ハンカチ王子などにはまり始めるのも、その点と関係があるんじゃないでしょうか。

32才なら「娘の担任の先生」という実在の人に恋するのもアリでしょうが、37才を超えてそんな身近な人に恋していたらヤバイです。人生を崩壊させる気がないと、のめり込むことはできません。

でもヨン様ならなんの遠慮も要りません。夫のお金で韓国までファンミーティングにでかけても人生は崩壊しない。(いや、しりませんよ、自己責任ですけど) 現実が変えられなくなるからこそ、人畜無害の疑似恋愛対象が求められるわけです。


三浦展氏はこの本の中で、今30代前半の氷河期世代が“不幸なまま37才になった頃”本当の絶望の時代が訪れますよ、と警告しており、これからの5,6年がその時期にあたります。なんだかちょっと怖いです。


そんじゃーね。


この本は本文よりコラムがおもしろい。

下流社会 第2章  なぜ男は女に“負けた

下流社会 第2章 なぜ男は女に“負けた"のか (光文社新書)

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下流社会 第2章〜なぜ男は女に“負けた”のか〜: 2 (光文社新書)

2008-01-17 貧困とは?

貧困問題を考える時の第一歩は、“貧困の定義”です。

どういう状態を貧困と呼ぶか合意できないと、現状の貧困レベルを測ることも、必要な対策をとることもできません。

貧困の定義を考える時には、2×2の整理が必要です。

最初に、相対的貧困と絶対的貧困のどちらで考えるかという選択。次に、母集団をグローバルに考えるか、日本で考えるか、という選択ですね。


たとえば「グローバルな絶対的貧困の基準」の場合、「まともな家も洋服もなく、その日の食べ物に困っている状態」とか「一日1ドル以下で生きている人」等と定義されます。

「グローバルにみた相対的貧困」だと、「世界の真ん中の経済状況の人の、半分以下の収入で暮らす人」となります。

いずれの基準でも、日本人で貧困に該当する人は非常に少なくなります。

「アフリカでは多くの子供が餓死しているのに、高校に進学できないくらいで甘えるな!」という意見は、貧困の定義としてグローバル基準を採用した場合にでてくる言葉なわけですね。


反対に、「世界に貧しい人が多いとか、日本の貧困問題には関係ない。日本人である限り、日本という国の豊かさを平等に享受できて当然」と考えれば、基準はローカルで考えるべきという話になります。

日本の憲法では第二十五条に、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書かれてるので、この“最低限度の生活”を、日本における最低限度の生活と理解するってことですね。

で、次に「相対的貧困」と「絶対的貧困」のいずれを問題視すべきか、という点についてはどうでしょう。

相対的貧困は「日本人のうち真ん中の所得の人の半分以下の所得で暮らす人」という定義で、これだと日本の貧困層は 15%程度と言われています。

貧困率 15%というとずいぶん高いように思えますし、実際に国際比較でもアメリカに次いで高い率となっています。

しかし、相対的貧困率は年功序列賃金の影響を受けるなど、数字としての意味合いに疑義も挟まれています。*1

また、相対的に貧困でも、生活にはなんの問題もない場合もあります。

たとえば月 10万円の年金収入で暮らす高齢者は、退職金を含め何千万円の貯金やローンの終わった一戸建てをもっていても、年収 120万円なので、相対的貧困層です。

このように相対的貧困率はそのまま鵜呑みにしていいのかどうか、ちょっと難しい数字です。

というわけで、ちきりんは「日本に貧困問題は存在するのか。それはどの程度深刻なのか?」ということを考えるためには、

「日本という国における、絶対的貧困レベルとはどういうものなのか?」を定義する(考える)必要があると思っています。

★★★

ところがコレ、簡単なことではありません。

以前、生活保護の母子加算廃止に反対する母子家庭の母親達が「子供の習字レッスンをやめざるを得ない」と記者会見で発言し、ネットで批判をあびました。

その母親らの一部が茶髪だったことも反発をよんだようです。「俺たちの税金で髪を染めてるのか?」と。

この話は“貧困の定義”についての意識の違いを表しています。

ある人達は日本における貧困について「最低限の衣食住が手に入らないレベル」であると思っており、義務教育以外の習い事や髪を染めるコストは“最低限の生活には関係のない贅沢な費用”だと考えてるわけです。

これは昔からある議論で、生活保護の申請をする時に持ち家はもちろん、どんなにおんぼろでも自家用車があってはいけないと言われました。

また生活保護を受けている人が、酒やタバコを楽しむことにも一部に批判があります。こういった意見によれば、嗜好品に回すお金の余裕がちょっとでもあればそれは貧困とは言えない、ということなのでしょう。

しかしながら今の日本において“生きていくのに最低限必要なカロリー”だけが摂取できてれれば貧困とは呼ばない、と本当に定義すべきでしょうか? 


この問題が難しいのは、貧困の定義がそのまま「税金で助ける必要がある人達」と理解される、という点にあります。

彼らを助けるための税金を払っている人達も、かならずしも余裕のある生活をしているわけではなく、自分自身、嗜好品や子供の習い事を諦めたりしています。

そういう人達にとって、自分の払った税金が他人の酒やタバコに使われるのは納得がいかないというのも、心情的にはよく理解できます。


数は少ないですが、本当の意味で(=摂取カロリーが足りなくて)餓死する人は日本にもいます。(たとえばこういう事例です→http://sekakata.exblog.jp/6684335/)こういう状態を「絶対的貧困」と呼ぶことには議論の余地はないでしょう。 

しかし「生きていくのに最低限必要な摂取カロリーだけが入手できれば貧困ではない。テレビがなくても死なない。洗濯機がなくても手で洗えばいい。1週間くらい風呂に入らなくても病気にはならない」と言われて、「その通り!」と賛同できる人も多くはないと思います。

というわけで、次は「日本における貧困状態とはどんな状態のことなのか。すべての人に保障されるべき最低限の生活とはどんなものなのか?」について考えていきたいと思います。


んじゃ!


続きはこちらです)→ http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20080222

*1:各国の相対的貧困率:http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4654.html

2008-01-16 年金も消費税も5年後に考えるべきだよ

下記のグラフをご覧下さい。赤い棒グラフは、戦後すぐからの日本人の出生数を表しています。(縦軸の単位は“人”)

戦後直後の3年間は毎年250万人以上が生まれ、3年間で750万人を超えます。これが最近定年を始めている、いわゆる“団塊世代”です。

出生数はその後急激に減り、1966年の“丙午”に大きな落ち込みを見せたあと、二番目の出生数のピークに向かいます。彼らが団塊世代の子供達で、“団塊ジュニア”と呼ばれる層ですね。団塊ジュニアのピークは1973年です。


f:id:Chikirin:20100909163535j:image


そして団塊世代の出産ブーム収束後、ものすごい勢いで出生数は減りはじめ、赤い棒グラフは急激に短くなります。団塊ジュニアのピーク時出生数は209万人ですが、2007年の出生数は109万人。この35年で「一年に生まれる赤ちゃんの数」は半減したわけです。

★★★

さて、団塊ジュニアの後、急激に減少した出生数ですが、実はここ15年くらいは減り方がやや緩やかになってるのが、わかるでしょうか?

赤い棒グラフを見ると、直近の15年は減少幅がなだらかですよね。団塊ジュニアのピークからジェットコースターみたいに一気に減ってきたのに、ここ15年は“横ばい”にさえ見えます。少なくとも激減ではありません。

これは少子化が止まった、もしくは、少子化対策の効果がでてきた、ということでしょうか?未婚者、ディンクス、もしくは、一人しか子供を産まない夫婦が一定数に達したため、少子化も“底を打った”のでしょうか?

★★★

ここで青い折れ線を見てください。これは出生数を“25年分”だけ右にずらして書いた線です。つまり、赤い棒グラフのトップラインだけをつないで、25年分右にずらすと青い線グラフになります。

これにより、それぞれの年に生まれた人の数(赤い棒)と、その年に親になり始める年齢(25歳と仮定)に達した人の数(青い線)が対比できます。

親が増えれば当然子供の数が増えます。戦後すぐの1945年直後に生まれた大量の団塊世代は、1970年以降25歳となり親になり始めます。だから、そのあたりで二番目の山ができているわけです。


さて、ここで皆さんも気がつかれると思います。1973年には200万人以上の“団塊ジュニア”が生まれており、彼らは1998年には25歳です。実際、1993年から2002年くらいにかけて、青い線は大きな山型を描いています。

ところがその山の下の赤い棒グラフには山がありません。青い線で表される親は“団塊ジュニア世代”でかなり多いのに、子供の数が増えてないのです。


なぜでしょう?


グラフをよく見ればわかりますよね。「2000年あたりには出生数の山はないけれど・・・子供の数の減少ペースが、“急減”から“漸減”に変化している」でしょう?

最初にも書きましたが、直近15年くらいは“出生数の減り方がなだらか”になっています。この理由はまさに「団塊ジュニアが適齢期となり、親世代の人口が増えたから」です。

別の言い方をすれば、戦後すぐに生まれた団塊世代は団塊ジュニア世代という「第二の山」を作りましたが、その団塊ジュニア世代は、「第三の草原」を作ってくれたというわけです。「谷を草原にまで埋めてくれた」という意味ではちゃんと「山」はできていた、とも言えます。

★★★

さて、赤い棒グラフに戻りましょう。団塊ジュニアの後のジェットコースター的な出生数の下降ラインは1978年くらいから始まっています。

ということは、1978年+25年=2003年あたりから、もっと深刻な少子化が始まっていてもおかしくないのに、実際には赤い棒グラフの数字は2003年以降も「緩やかな減り方」です。

親の世代が急激に減り始めてるのに、なぜ子供は少しずつしか減ってないのでしょう?やはり少子化も底を打ったのでしょうか?


ここで次のグラフをみてください。


f:id:Chikirin:20100909163534j:image


今回追加した緑の点線は、赤い棒グラフのトップラインを「35年」右に動かして(一時期のみ)表示したものです。

ご存じの通り、戦後や30年前に比べて今は、親になる年齢が遅くなっています。結婚も遅くなっているし、それに伴い、第一子をもつ親の年齢も高くなっています。

前は「25年で親」になり始めていたのが、今は下手すると35歳で親になり始める。7年から10年程度、親世代を表す線を右にずらす必要があるわけです。このように、青い線が緑の点線に移行する過程は“晩婚化・親になる年齢の高齢化”を示しています。


こうすると、なぜ2003年頃から急激な少子化が起こるはずなのに、そうなっていないのか、わかります。結婚や出産を先延ばしにしてきた団塊ジュニアが、30代半ばでいわば“駆け込み出産”を始めたために、再度起るはずの急激な少子化傾向が先延ばしされているのです。

しかし団塊ジュニアもいつまでも出産できるわけではありません。医学が進んだとはいえ、女性が出産できる年齢には一定の限界があります。団塊ジュニア世代が出産年齢を超えれば、その後には「親となる年齢の人口自体が急激に減る時代」がやってきます。


では、ジェットコースターのような急激な少子化が再び始まるのはいつになるのでしょうか?


赤い棒グラフを見ると、団塊ジュニアの山の後の「ジェットコースター的急激な少子化」は、開始年が1979年、終了年が1989年くらいです。この人達が35歳になるのは、2014年〜2024年です。青い線や緑の点線が示すように、その頃になると親世代の人数は130万人未満にまで落ちてくるのです。

ちきりんは、その頃から、再び、驚くようなペースでの少子化が始まるのではないかと予想しています。


少子化傾向がここ15年ほど“少しだけゆるやか”になってきていたのは、一年に200万人もいる団塊ジュニア層が結婚出産の“駆け込み適齢期”になっていたからです。

しかし次の時代、つまり5年後から15年後にかけては、親の数自体が一年分の人数で130万人くらいまで下がってきます。親年齢の世代が200万人いても最近の出生数は110万人程度なのですから、親世代が130万人となれば、子供(出生数)は70万人というようなレベルになっても全く不思議ではありませんよね。


もしこの予想が正しければ、消費税の引き上げも、年金制度の抜本改正も、大事なことは、5年後以降に起る可能性のある“再度の出生数の急降下”を前提として検討すべきだということです。

現在のような「一時的に収まっている少子化傾向」を前提に試算しても、将来に備えることはできません。この赤い棒グラフは、いつまで“横ばい”を続けてくれるのか。それが大きな問題なのです。


f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium

そんじゃーね。


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2008-01-15 リニアはどーなる!!

「日本に現存する冷蔵庫の数」と「同、自家用車の数」、どっちが多いと思いますか? 販売数じゃなくて、現存数ね。どちらも(業務用を除いて)家庭用のみで考えてみてください。


自動車と考えた方は、田舎の、いや、交通が不便な地域の在住者です。

冷蔵庫と答えた方は、都市圏などの在住者です。


わかりますよね。


田舎だと、冷蔵庫は一家に一個しかないけど、車は大人の数だけあります。全員、車で会社に行ったり買い物に行くので、車は“個人のもの”です。当然「車の方が多いでしょ?」と思う。

一方で都会生活の長い人は、「冷蔵庫は“すべての家にある”が、車は保有していない家もたくさんある。オレだって持ってないし。」と思います。だから「当然、冷蔵庫の方が多いでしょ?」となります。

ちきりんはこれを「田舎モン発見クイズ」と名付けています。

★★★

答えは、全然重要ではないのですが、だいたい同じです。どちらも世帯数の2割増しくらいの数字だったと思います。


皆様ご存じのように、日本での自動車の販売台数はどんどん減っています。一番売れてたバブル最後の1990年の590万台の販売に較べて、昨年は343万台でなんと250万台の減少。(軽自動車は含まない数字です。軽自動車は増えていますが、もちろん全体でも減少です。)

売上台数が18年で250万台減るってどういうことか。今年の売上全体が343万台なんだから、トップシェアのトヨタでも今年一年で140万台ほどしか売ってないわけでしょ。どんだけ危機的な状況か、感覚的には驚愕の数字ってレベルです。


理由はなんでしょう?


(1)車離れ(特に若者:文化問題)

(2)車離れ(特に都会の居住者:経済問題)

(3)新車を買い替えるサイクルが長くなっている。


(1)は「車がなくても彼女ができる時代が来ました」ってこと。(2)は「駐車場が家賃より高いよばーろー問題」です。(3)はバブルが終わったのと、(1)と通じるものがありますが、車を移動手段としてしか見ない人が増えたということでしょう。(昔は“動くリビング”とか言って、カーテン付けたりしてましたからね。)


そして、よりインパクトを大きくしている要因が、


(4)人口が減る(特に若者)

(5)人口が減る(特に田舎)


のふたつですね。

★★★

今日は成人の日ですが、10年前の新成人の数=170万人でした。

今年の新成人の数は135万人と報道されてます。

そして20年後の新成人の数は=2007年に生まれた赤ちゃんの数なんで

109万人です。


どーよ、これって感じでしょ。こんなんで車の販売数が増えるはずがありません。つーか、車だけじゃないんだけどね。なにもかも10年前とは半分しか売れなくなります。


加えて上記で(4)と(5)をわけた理由でもあるんですが、「日本全体で人口が減って車が売れなくなる」だけではないんです。もちろん冷蔵庫も売れなくなります。

しかし最初のクイズに書いたように、車の“実需”が存在するのは都会ではなく田舎なんです。交通の不便なところなんです。そういうところで特に人口が減るんです。しかも冷蔵庫は100歳でも使える可能性がありますが、車はそうはいかない。



そう、

人口が減るインパクト、高齢化のインパクトは、「冷蔵庫より自動車への影響が大きい。」ってことなんです。



別の言い方をしましょう

人口が減るインパクトは、

「パナソニックより、トヨタへの影響が大きい。」



★★★

今はね、日本の自動車会社は絶好調です。アメリカで売れてるからです。そこがサブプライムでこけても、それこそBRICSがあります。ロシアでもインドでも中国でも、車はこれから売れまくります。

でもね、よーく考えてみてください。

今年、トヨタの生産台数は、年間800万台くらいです。現在この海外・国内生産比率は約半々です。日本で約400万台、海外で400万台作っています。(商用車を含む全台数です。)

5年前には日本で350万台作り、海外では210万台でした。日本の方が圧倒的に多かったのです。


さて、これから“国内生産数”はどんどん増えていくでしょうか?


ってな、しょぼいクイズをやっている場合ではありません。


一番重要なのは“本社機能”です。

★★★

今年はトヨタ自動車にとって「国内生産数と海外生産数の均衡年」です。いよいよ「日本で作られるトヨタ車」より「海外で作られるトヨタ車」の方が多くなるのです。(この年が、日本の人口の“ピーク年”と重なっていることは、単に偶然であるのですが、極めて象徴的ではあります。)この比率が今後どうなっていくかは火を見るより明らかでしょう。



ですが、大事なことは、現在、800万台の車の生産は海外と国内が半々であるが、その800万台の車の、

・企画(開発車種のコンセプト作り)

・開発(エンジン等主要パーツ開発、特定のブランドの車の開発)

・研究(新動力を含む環境系とか自動運転システム系とか電子系とかね。)

・販売(ブランディング、マーケティング、広告作り)

・財務

・人事企画

・経営


のうち、たぶんまだ、その8〜9割くらいが日本で行われてるってことです。おそらく北米で企画、販売をちょろっと、開発をほーんのちょっとやっているだけです。



そう、

・生産

だけが、今年“半々”逆転したんです。


・生産は 50/50

・それ以外の機能は80/20

なんです。


だから、ワーキングプアの問題がでているんです。

だから、「オレは関係ない」と思える人がいるんです。実際、名古屋大学工学部出ました、とかいえば、「オレは関係ない」んです。だって、生産以外の機能は、まだ全部“あのあたり”で行われているのだもの。



でも・・・生産の海外比率だけがどんどん海外にシフトして、それ以外の機能の海外比率はいつまでも今のままなのでしょうか?



いつか、海外販売(生産でもいいけど)数が1200万台、日本では100万台とかになった時にも、

企画、開発、研究、財務、経営などのすべての機能が、名古屋近郊で行われているんでしょうか??



いや、だとしたら、それはそれですごいことだと思います。ほんとに。




そう思います?

★★★

松下が、冷蔵庫でさえ「パナソニック」で売ると決めたのは、極めて妥当でしょう。あの日、市場は下落したのに、松下の株価はしっかり上昇しました。

「松下」なんて名前を知っているのは、日本人だけです。その日本人の数は、20歳ベースで、10年前の170万人が20年後に109万人になるんです。一方で、中国とブラジルとロシアとインドの人口は・・・ねえ。です。


松下を初めとして、冷蔵庫の海外生産比率が50%を超えたのがいつだったのか、ちきりんは知りません。多分プラザ合意の直後くらいかな?という気はするから、そうだとすると20年前くらいでしょう。

トヨタの海外生産比率が50%を超えたのが今年です。業界差20年。

そして何度も言いますが、自動車の方が、冷蔵庫よりも「少子高齢化」のインパクトをもろに受けます。一番最初に書いたクイズの賞味期限はそんなに長くありません。



今、勝ち組だなどと言われて、大企業で高い年収と安定した雇用を享受している多くの人達が、定年まで後何年あるか、それは人によります。30歳の人なら後35年、40歳の人なら後25年です。

あと25年〜35年の間に何が起こるのか。

★★★

JR東海は、リニアを東京名古屋間に自力で建設する、とブチあげました。なるほど、大阪と東京は「古びた新幹線しか走ってない」が、東京、名古屋間には「ピカピカのリニア」が走るのです。



すばらしいね。

美しい未来だ。




JR東海さんへアドバイスするだよ。


リニア、急いで作った方がいいですよ。トヨタの本社機能があそこにある間に減価償却できるようにね!


んじゃまた。

2008-01-13 個人情報“開示提供”サイト

下記のページでは、「たらこさん」という匿名の学生さんが、自分のプロファイルと就職活動の内容を開示しています。

http://www.action-net.com/lipple_hottea/pe_2.html


オリジナルページは長くは残らないと思うので、ポイントだけ書きだしておくと、この方は、

(1)現在、東京大学で、行動文化学科社会心理学専攻の3年生で、

(2)アカペラとTNKというサークルで活動していて、

(3)体力があまり無い人なのですが

(4)めでたく伊藤忠商事に内定し、来年の4月から働き始めるらしい。

(5)1年前には「うつ病」を煩いつらい日々を送っていたが、

(6)今はひとつ年下の彼氏に支えてもらって、とってもハッピーです、と。

もちろん、本当のことを書いているかどうかは不明ですけど。


ちきりんはこの「たらこさん」が誰か特定できませんが、以下の方であればこの人の氏名を特定できるでしょう。


(a)東大の行動文化学科社会心理学専攻の方 (上下の学年の方を含む)

(b)伊藤忠商事の人事部の方

(c)同年の伊藤忠商事の内定者(他大学の学生さんなど)

(d)アカペラとTNKのサークルのメンバー

(e)東大の当学部の教授等講師側の人と、事務職員の方

(f)親兄弟


この方が、(a)〜(f)の人達に、(1)〜(6)のことを、すべて開示しているのか、

開示はしていないが、伝わっても問題はないと考えているのか、

伝わると問題ではあるが、まさか伝わらないと思っているのか、

はよくわかりませんが、勇気のある人だな〜とは思います。


★★★


先日ある動画サイトを見ていたら、いきなりちきりんの知っている人が画面に登場してびっくりしました。名前や所属はでていませんが、その人の知り合いであれば、それが誰か明確にわかるレベルで顔が写っています。カメラに向けて話しているので、本人も「自分が撮影されていること」は理解をしているし、了承をしているようです。

でも本人が、その映像がこうやって万人に公開されていることを知っているかどうか、そこまで理解して録画を了承したかどうかはかなり疑問です。分かっていたらOKしていないのでは?と思えるような内容の動画だったからです。


考えてみれば「撮影されること」に関しては、比較的気安く了承してしまう場合もありそうです。今は携帯電話などでも簡単に撮影ができるので、飲み会やクラブで騒ぎながら撮影したり、旅行先で友人からいきなり携帯を向けられ、ムービー録画されてしまうこともあるでしょう。

けれど多くの場合、その動画がいったん撮影された後にどう扱われるか、本人には全くコントロールできません。撮影する際からデジタルだし、ファイルの転送も非常に簡単です。いったんネットに公開されれば、厳密にはすべてを削除することは不可能であり、長期にわたって無防備な状態に放置されてしまいます。前の彼女との飲み会で撮った動画などが、他の人と結婚して子供が出来てからも、実はずうっとネットに残っている、などというのもでてきそうですよね。

動画サイトに見つけたちきりんの知り合いも夢が大きな人なのですが、その人が将来公人になった時(選挙にでるとか、社長になるなどの場合)、こういう映像がパブリックに出回っていることをどう思うかなと想像すると、ちょっと複雑です。

過去にキャバクラで働いていた経歴が問題視された女性議員がいましたが、今後は“キャバクラで遊んでいるところが映った動画が見つかって問題視される議員”だって現れるかもしれません。政治家が大臣になる時にスキャンダルの素がないか確認することを“身体検査”と呼ぶようですが、今後は「変な動画が出回っていないか」なども含めた身体検査が必要になるかもしれません。

★★★

また、今は誰かが犯罪で逮捕されるとすぐに「中学校の卒業アルバム写真」などがマスコミに流れます。同級生がマスコミに見せているのでしょうが、最近増えてきたのは、「本人のブログ」が見つけ出されて報道されるケースです。

ブログ自体は匿名でも、本人が犯罪に巻き込まれた場合には(必ずしも犯人側ではなく、被害者側であったとしても)、事実上、個人名が特定されて報道されることになります。

犯罪捜査手法としては、たとえばブログ上の記載により「殺意があったと認められる」とか「周到な準備をしていたことが証明される」ようなことも今後は起こってくるでしょう。また、アリバイ工作に使われ始める可能性もあります。そうなれば警察がブログサービスの会社に更新時刻記録などの提出を求めるのでしょう。

最近は監視社会とも呼ばれ、繁華街のあちこちに監視カメラが設置され、犯罪の時にはそれらの映像がチェックされているようですが、今後は「事件の様子を撮した映像がYou Tubeにアップされてるらしい。すぐにチェックしろ!」みたいな刑事ドラマもありえますよね。

また、裁判の際に被告人の“人となり”を証明する材料として、ブログや動画が提示され「こんな人だった」などと使われることも予想できます。ブログはもちろんですが、動画の場合、よりビビッドにその人の“人となり”を表現してしまいますから、そういったものが裁判での心証に影響を与えることも考えられます。

技術と端末の進化で、誰でもどこでも気軽に発信できるすばらしい時代になりつつありますが、同時に、今はまだ考えられないような問題や事態もこれからたくさん発生するかもしれません。

★★★

そういえば昔はテレビ番組の最後に「このドラマのオリジナル音楽CDを抽選で5名の方に差し上げます。お申し込みは・・」みたいなのがありました。あれは、「特定セグメントの氏名・住所を収集する」のが目的で、葉書に書いてある名前や年齢、住所はすべてDB化されます。そしていわゆる名簿屋や、ドラマのスポンサー企業のマーケティング部門に渡されるわけですね。

昼のメロドラマをみているなら「専業主婦名簿」ができあがるし、キムタクのドラマなら「キムタクファン層名簿」ができあがります。個人情報が多ければ多いほど、名簿として高く取引されます。(現在はこういう情報流用は違法でしょうし、行われていないと信じましょう。)

昔の名簿屋さんって、薄暗い雑居ビルの一室とかにあり、「こわーい」感じでした。そこでは“霊感商法に騙された人の名簿”なども売っており、そういうのはデータ一人分○○円などととても高いです。お金持ち幼稚園の父母名簿なども高額です。

でも今後、“動画の検索”が出来るようになれば、「特定の人をネット上から調べて集めてくれる」ような新手の名簿屋さん(個人情報の収集販売ビジネス)も出来てくるかもしれません。


なんだかちょっと気をつけなくちゃねと自戒を込めて思いました。

そんじゃあね。

2008-01-08 もひとつ目標!

今年の目標のひとつとして、社会の在り方について、自分なりの「こーすりゃいーんじゃないの?」って解の案をまとめてみたいなあ、と思ってます。

ちきりんは通常いろいろ考えていることに、あんまり急いで結論を出そうとしないんだよね。たまに考えるけど、別の時にはすっかり忘れ、またなにかあると思い出して友達と議論してみたり。「考えてることリスト」の引き出しから、適当なものを適宜取り出して、ちょっとだけ考えてまた放り込んで。

「いつまでに結論を出したい」とか、「議論してすぐ答えを」とは余り思わないです。別に仕事でもないし、自分の生活が困るわけではないし、考えてること自体が楽しいんだし。まあ、一生答えがでなくてもたいした問題ではないし。

なんだけど、今年はひとつテーマを決めて、それについては年末で終わりにしないまでも、一応年末には「これが今のちきりんの結論だす!」ってのを出すことを“目標”と設定してみるのもおもしろいんじゃないかな、と思ったのです。年の初めだしね。

もちろんそのテーマについて毎日書くわけではないし、いろいろいろんな角度から考えるから、多分てんでバラバラに考えて、検討して、ぐちゃぐちゃで、でも年末に向けて、ちょっと「とりあえず」の結論にしてみようかなと。

初めての試みなんでうまくいかなかったらやめますけど。

★★★

で、なんの問題を設定するのさ?ってことなんだけど、ちきりんが現時点で一番“誰にも解が見えてなくて、でも、インパクトが大きい”と思っているふたつの課題のうちのひとつである、“貧困問題”にしようと思ってます。

ちなみに「ふたつの課題」のもうひとつは、“先端の国際競争力”の話。

これは折に触れちきりんは書いてますが、過去5年くらいずうっと考えている課題で、こっちはまあまとまってはいないものの、ある程度自分なりの解が見えてきている。なんだけど、実は日本はもうひとつ大きな問題があるよね、と最近思い始めた。それが“底辺問題”なのよね。で、こっちは今まで全然考えたことなかったのですが、今年は初めて考えてみようかなと。

この二つ、「先端の国際競争力」と「底辺絶対値レベル問題」というのは、一番上と一番下の話ではあるけれど、格差問題ではないです。最初の方は国際比較の問題で、後の方は生存権というか、先進国における人権、の問題だと思ってます。全然違う問題です。

このふたつの課題がどういう関係にあるのか、も非常に興味深いのですが、例えば、実はルーツは同じ所にある、という考え方もあるし、いや、対立関係にあるのだ(どちらかを解決すると、どちらかはよりひどくなる)という考え方もあります。

でも、これ(この二つの課題の関係)は今年のテーマではないです。今年のちきりんの“思考テーマ”はあくまで“貧困問題”です。日本のね。


なんだけどね、これは結構難しいかもと既に思ってる。だって、ちきりんのまわりには、ちきりんも含めて、このことに体感的センスを持つ人があまりにも少なすぎるからです。

数日前に「今年のテーマ、これにする!!」と決めて何人かにその話をして、そのことをちきりんは痛感しました。

ちきりんの今年のテーマを聞いた人が皆こう言うのです。「それ、自分にも大いに関係あります!」と。全然関係ない人達が、そういう。


そのうちの一人はこう言った。「うちの家賃は35万円だけど、こんなん払えない(貧困の)人はたくさんいるよね!子供なんか育てられないよね。」と。







おいおい










殴られますよ。道で言ったら。






★★★

まあ、かくいうちきりんだって、多少つましい生活をしたのが学生の時くらいですからね。全然わかんないです。

しかも、昨年まで流行だった格差問題についても、ちきりんの周囲の人で「それは問題」などと思っている人は皆無です。これ、ほんと皆無なんだよね。びっくりするくらい皆無です。皆、全く興味ないです。




「えっ、格差? なんの?」




って感じです。






前途多難。


すぐ諦めるかも。


まあとりあえず宣言だけ。


ということで、んじゃね。

2008-01-03 一貫性

(1)北朝鮮の金日成氏の後継者は、息子の金正日氏です。この世襲は民主主義的であり、正しいと思いますか?

(2)パキスタンのブット首相の後継者は、息子のラワル氏です。この世襲は民主主義的であり、正しいと思いますか?


(3)原材料の肉の種類を偽っていたミートホープという北海道の食肉業者が、肉(最高級和牛とのこと)をくれると言ってきたら欲しいですか?

(4)原材料の肉の種類を偽っていた船場吉兆という高級割烹が、肉(最高級和牛とのこと)をくれると言ってきたら欲しいですか?



ちきりんの答えは、

(1)いいえ

(2)いいえ

(3)いいえ

(4)はい


微妙ですね・・・自分の性格の強さ弱さ加減が微妙に反映されてて笑えます。


★★★


パキスタンのブット首相の息子は“例によって”イギリスのオックスフォード大学に留学中とのこと。ブット女子自身もイギリスでずっと教育を受け、暮らしていました。

だいぶ前のことだけど、ミャンマの軍事独裁政権の幹部の子供の結婚式がすごく豪華だと、そういうビデオが流されたのを覚えてますか?

ミャンマの庶民が苦しんでいるのに、独裁者の子供がこんな豪華な結婚式で、食べ物も溢れていると。そう言いふらしたい人が作ったプロパガンダのビデオです。日本のテレビ局は鬼の首でもとったように何度も何度もその映像を流してました。



でもね、ブット女子やその息子がイギリスで長期間滞在し、勉強する費用は、誰からでてるのでしょう? ちなみに、ミャンマーの反政府活動家のアウンサン・スー・チー氏も長くイギリスで教育を受けています。

お金の出所はふたつしかあり得ません。ひとつは「その国のお金」であり、もうひとつは「その国以外のお金」です。

それが「その国のお金」であるなら、上記の結婚式と同じ批判が成り立ちません? 庶民は食べるのにも苦しんでいるのに、“親が首相(もしくは将軍)であったという理由だけで”その子も孫もイギリスに留学する費用を国民から奪ってもっていってしまうのか? と。


そっちだってビデオ作るべきでは? パキスタンやミャンマーの餓死寸前の子供達の映像と、オックスフォードのキャンパスで友人達とコーヒーチャットを楽しむラワル氏やスー・チー氏の学生生活の映像を交互に組み合わせたら、いいビデオになるんじゃないの?

留学中のブット女子やワラル氏が履いてるジーンズ一本で、何人のパキスタンやミャンマの孤児達が飢餓から救われるのか、計算してもいい。

ミャンマやらパキスタンの国内で少々豪華な結婚式してかかる費用と、ハードカレンシーであるポンドが必要な英国留学とは、実質的な費用総額が全然違います。イギリスで何年も暮らすって日本人でも大変ですよ。


★★★

ただし、パキスタンやミャンマの庶民から搾取したくらいでは、こういう費用全部は出せません。当然“外部の支援者”からも、かなりの額が出てると思います。

支援者って誰か?って。

CIAとか、時期によってはソビエトも出してた時代があるでしょう。



これら外部の支援者達が“世襲の”将軍のお嬢様やお孫様の留学費用を出すのは何故?

将来、彼らをと傀儡政権として擁立し、その国を自分達の意に添うように運営したいからだよね。だから先行投資をする。


日本政府だって、満州国の皇帝に擁立された溥儀の家族を相当数、日本に留学させたりして投資してたじゃん。


んじゃね!

2008-01-02 我が家のおせち

あけましておめでとうございます!

我が家のおせちです。塗りのテーブルの上では見えにくかったので畳に置いて撮影しました。床で食べてるわけではないです。


おもちは丸餅、白みそに鰹節と水菜のみのトッピングです。

おせちは黒豆と田作りは調理済みのものを購入。それ以外は自家製。他にもいくつか調理していますが、毎朝7種のみを選んでお皿に載せます。


これは今日(2日)の分で、元旦は、かち栗(勝つ!)、昆布(喜ぶ!)、干し柿(これ何だっけ?)も懐紙に添えます。


年の始まりです。


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ちきりんは白米好きとともにお餅好きでもあるので、当面お餅ですごします。

ではでは〜