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Chikirinの日記 RSSフィード

2008-03-31 一対一では支えられない

昨日は、障害者や病気の人、高齢者、さらに保護者に遺棄された子供などは、自力で生活するのは難しいと書きました。そして、多くの人達が現在は(公的な福祉の支援だけではなく)“私的セーフティネット”によって支えられています。

その“私的セーフティネットの偏在と崩壊”という話を昨日は書いたのですが、さらにもうひとつ、この私的セーフティネットが危機的な状況を迎えつつある背景があります。それは、家族単位の少人数化です。

大家族であれば、たとえば3世帯7人で住んでいれば、1名の高齢者や1名の障害者を支援することの負担は大勢で分散できます。しかし2人世帯で1名が支援を必要とする状態になると、残りの1人は一対一でこの人を支えなくてはなりません。

典型的なのが「母子家庭」です。子どもが赤ちゃんの間、一定以上の収入を母親がひとりで得るのは簡単ではありません。赤ちゃんからは目が離せないし、保育所は不足しており、預かってくれる時間にも制限があります。赤ちゃんはしょっちゅう病気になりますが、そのたびに仕事を休めば仕事を失います。そして実際、日本の片親世帯の6割が貧困状態と言われています。

赤ちゃんではなく、大人で世話が必要な人がでてきた場合も同じです。介護保険サービスだって一日数時間しか来てくれません。それ以外の時間に認知症の親がどこかに行ってしまう、というパターンが毎日続けば、息子・娘が会社勤めを継続するのは困難です。

最近ニュースでよく聞く「80代の母親と40代の息子が生活苦で・・」という事件はこのパターンです。40代の息子一人なら貧困状態になることはありません。しかし、誰かの世話をしなければならなくなると働けなくなり、二人とも貧困状態に陥ってしまいます。

唯一やっていける方法は、高齢の親を丸抱えしてくれる施設に預けることです。そうして40歳の息子がフルタイムで働けば、生活は成り立つでしょう。しかし、そういう施設はコストが非常に高いか、もしくは安いところは、まず空きがありません。1年待ちですと言われたら、その期間のために息子は仕事を失うことになります。


実際には、自立できない人を一人支えるには最低でも二人が必要です。一人が稼ぎ、一人が世話をする、のです。この分担ができないと、皆で倒れてしまう、というのが現実です。できれば3人対一人くらいで支えるのが理想です。

重い障害のある子供をもつ親御さんにとっては、自分がなくなった後のことが一番の心配ですが、この場合、障害をもつ子供のことだけではなく、その他の子供達(兄弟姉妹)にかかる負担についての心配も大きいです。兄弟が5人以上もいた昔と違って今は少子化ですから、ひとりあたりの負担も相当です。

家族が助け合うのは当然と言えば当然でしょうが、周囲の人にかかる負担は半端ではなく、時にその人生の選択(就職や結婚や居住地など)にも重大な影響と制限を与えます。“私的セーフティネットを当然として前提にした福祉制度”は本当に、このままでいいのか、考えさせられるところです。

政府はよく“夫婦に子供ふたりの標準世帯”という言い方をしますが、実際には単身世帯や2人世帯が急増しています。「住み慣れた家で老後を送ることが出来る在宅介護を推進する」などと、いつまでも「支える家族がいる」ことを前提に制度設計をしていると、そのうち深刻な事態を迎えることになりかねません。

より現実に即した福祉の在り方、すなわち、「私的セーフティネットを当てにしない公的扶助の仕組み」を考えていくべき時期がきていると思います。


ではでは

2008-03-30 私的セーフティネット 偏在そして崩壊

就職氷河期で学生が正社員になれないという話には心痛いものがありますが、それでも健康な20代の日本人であれば、本人の不満や将来への不安は別として、今日明日食べていくことはできるでしょう。

しかし、身体的、精神的に重度の障害がある場合はそれさえ困難です。視覚や聴覚の障害があったり、歩行障害で車いすに乗っていると、アルバイトを見つけるだけでも不可能に近いほど難しいし、簡単にネットカフェにも泊まれません。そういった人にとって独立して食べていくことは、障害者年金など福祉の支援を得た上でも容易ではありません。

これは、単身で相当高齢になった場合や、なんらかの理由で保護者を失った子供も同じです。高齢で体力や思考力が衰え慢性疾患を抱えれば、少々の年金が得られても独立して生活できなくなるし、小学生以下の子供にいたっては、一人では住む場所も確保できません。


では現在これらの人がどうやって暮らしているかといえば、全く身寄りがない場合は多くが公的な施設に暮らし、福祉の支援で生活しています。しかし、誰かしら身寄りがある場合は、福祉の支援を受けながらも、主要な支援は“家族”が提供している場合が多いでしょう。

たとえば障害がある子供の多くは成人後もずっと親が面倒をみているし、親の死後は兄弟が面倒をみる場合もあります。年老いた両親や祖父母は、子供や孫が同居して支えたり、もしくは子供らが資金を出し合って施設費用を負担することも一般的でしょう。保護者を失った子供を、親族が引き取る場合もあります。

このように、いわゆる“社会的弱者”の生活は、もちろん社会福祉でも支援はされているものの、未だその多くの部分を家族・親族による私的扶助によって支えられています。

今日はこの私的扶助、もしくは、イザという時に私的扶助を受けられる環境という意味で、“私的セーフティネット”について考えてみます。

★★★

まず第一に私的セーフティネット”は相当程度、偏在していると思われます。

たとえば交通事故で障害を負ったとしましょう。

ある人は自分の貯金があり、かつ、社会保険に加入していて障害年金が貰え、加入していた民間の保険から多額の保険金が支払われるかもしれません。さらに勤務先の会社は、部署を異動して雇用を維持してくれるといい、親兄弟も一定の支援をしてくれる。

こういう人がいる一方で、貯金もなければ、年金も未加入で障害年金も貰えず、仕事はアルバイトだったから事故と同時に(退職金もなく)失い、親兄弟にも自分を助ける余裕はない、という人もいます。


これが、「保険はないが、貯蓄がある」とか、「貯蓄はないが、助けてくれる親族は多数いる」というふうに、それぞれになんらかの私的セーフティネットがあるならいいのですが、実はこれらは極めて偏在しているように思えます。

つまり、もっている人は貯蓄、保険、仕事、家族などすべての私的セーフティネットをもっており、もっていない人は何ももっていない、ということです。貧困を特集するテレビ番組に取材されている人の多くは、これらの私的セーフティネットをなに一つもっていないようにみえます。


加えて今後は、“私的セーフティネットをもたない人”が急増することが予想されます。

現時点で退職している世代は、かなりの個人的な蓄えができています。これはひとえに「日本が高度経済成長してきた時代に働いてきたから」です。

60才から年金を受け取り、正社員だったから収入も安定していて、持ち家を手にいれていて、かつローンが残っていません。退職金も貰っている。子供も2,3人いて、なにかと助けてくれる。

こういう状態であれば、夫婦のいずれかが病気になったり、娘が母子世帯になってもある程度の援助ができます。万が一の時にもなんとかなるんです。


ところが、これのどれひとつとして「今後も大丈夫」と言えるものはありません。年金は既に65才支払い開始だし、不動産が値上がりする時代ではありません。非正規雇用の人も多いし、正社員であっても退職金も当てになりません。

子供2人どころか単身のまま老後を迎える人も急増するし、離婚も増えています。子供がいても、その子供の就職が困難です。

こんな状態で“何か”が起った時に家族や親族に私的扶助を提供できるでしょうか。事故や地震に遭遇したり、自分や家族が病気になるなどの場合、私的セーフティネットがないと一気に貧困状態に陥ってしまいます。


ちきりんは、この「私的セーフティネットの偏在と崩壊」が、今後の日本において貧困者を急増させる主要因であろうと考えています。


ちょっと時間が無くなったので、この続きは明日書きます。

2008-03-29 尊敬すべき人たちの類型

テレビ番組でも、たった10秒くらいの発言でそれなりの存在感とか洞察を示せる人をたまに見ます。その人の生きてきた軌跡や考えてきた思考がぎゅうっと濃縮されている。たかだか数時間とか数ヶ月勉強したくらいでは出せない洞察ってあるよね。


ちきりんが「すごいな〜」と尊敬する人の類型は、下記の5種類の人です。


(1) 天才型

(2) ストイック型

(3) 絶対価値観型

(4) 無私愛提供型

(5) 経験洞察型



世の中には芸術系の人で、いかにも天才という人もいる。「○○するために生まれてきた」といわれる人たちだ。彼らは最初から全然違う。自信に溢れ、迷いがない。誰が見ても、その才能は見逃しようがない。


一方で、ストイックに努力を続けるタイプの天才もいる。そのために人生をささげると決意した者の強靭さを示す人たちだ。努力できること自体が、ひとつのことしか見えないこと自体が、彼らの才能だ。


もうひとつは、“絶対信念”をもった人たち。世の中の大半の人は相対的な価値観、社会から刷り込まれた価値観で生きている。しかし、中には外からの影響を離れ、脳内的に自分で考えることができる人がいる。そしてそれにそって行動できる人がいる。びっくりな人たちだ。そんな才能がありながら、なんでそういう生き方をする?というような人たちだ。


4番目に煩悩とか私欲から離れることができる人たちがいる。この人たちもすごいと思う。人間の本能を制御できている人たちってことだからね。


そして最後が経験洞察型。経験を洞察に変えて思考することで、自身の視点を形成する。しかも経験に貪欲、つまりエネルギーレベルが高い。固定観念にとらわれないで経験を咀嚼しユニークな洞察をだす。一定のレベルに達するためには一定の年数が必要なタイプ。


ちきりんが「すごいよねー」と思うのは、こういう人たちである。


んじゃね。

2008-03-26 性格改造の歴史

テレビで「うつ病になりやすい人の特徴」が紹介されていたのですが、それを聞いてたら「まさに自分の性格だなあ・・」と思いました。

まじめで責任感が強い、内省的、心配性でネガティブな方向に考えがち、几帳面、などなど、全部あてはまります。今のところまだ患ったことはありませんが、その理由のひとつは「すごく気をつけてきたから」だと思っています。


うつ病に関しては、「自分だけは大丈夫と思っている人があぶない」と聞きますが、私の場合は反対で、「自分は気をつけないと、うつ病になるかも」とずっと心配してきました。

だから常に気をつけています。ある意味では予防的な認知療法をやってきた、という感じでしょうか。

その結果として“とりあえず今のところ”ならずに済んでいるんだと思うので、できればこのまま頑張って、一生ならずにすませたいものです。


で、何にどう気をつけているかと言えば、まずはなるべく“モノを考えない性格の人”とつきあうようにしています。と書くと「私のこと?」「オレのこと?」と驚く友人が何人もいそうですが、これはもちろん悪口ではありません。

楽観的で何でも前向きに考えて、失敗しても大笑いして済ませられる人と一緒にいると、「こんな大変なことでも、こういうふうに受け止めればいいんだ」と学ぶことができます。時には余りに呑気に見える友人も、ちきりんにとってはだいじなメンタル・コーチです。


反対に、自分と同じように内省的で考えすぎる人に出会うと、深く理解しあえるメリットはあるのですが、一方で「生きる意味は?」「これが人生で今やるべきことなのか?」みたいな、答えのない議論を突き詰めたり、あえて傷口をさらすような行為を行って、お互いにピリピリしてしまい、時には怖く感じることさえあります。

「もっともっともっと考えないといけないんじゃないか?」と思いがちな私にとって、何を議論していても 5分もすれば、「とりあえず夕食は何食べる?」と話を変えてくれる人は本当に貴重な存在です。


もうひとつ気をつけているのは、「一定以上の努力が必要なことはしない」ってことです。私は、「自分の能力を大きく超えた目標をたてない」ように、常に気をつけています。

まじめな人は、いったん高い目標をたてると最後まで頑張ってしまいます。適当に済ませることができず、「できなくてもいいや、仕方ない」と思えません。「なんとかしてやり遂げないと」と自分を追い込んでしまうのです。


そうなることが目に見えているので、私は最初から「頑張らなくてもできそうなこと」を目標にします。なのでよく「努力という概念を知らないヤツだ」とか、反対に「余裕があるよね、ちきりんはいつも」と言われるのですが・・・確かにそうでしょう。できることしかやらないのですから。

大丈夫かなと思ってやり始めたことでも、「あっ、これはかなりの努力をしないと無理だ」とわかった時点でやめます。「お前ならやればできるはず」などと言われても、おだてられてやる気になったりしないよう気をつけています。


その他、「そんなに頑張らなくて良いよ」と言ってくれた人の言葉を大きく書いて、会社のデスク前、パソコンの横などすぐ目に付くところに飾っています。

私の母は「大事な仕事に寝過ごしたら、神様にありがとうといいなさい」とよく言っていました。「大事な仕事なのに起きられないくらい体が疲れている時に、無理矢理起きなくてよかった。そこで寝られたから、命と健康が守られたのよ」というのが彼女の理屈です。

母には他にもよく「つらかったらすぐに逃げなさい」と言われました。頑張りすぎる娘の性格をよく知っていたのでしょう。


その他、多くの親しい人が、私を救う言葉をかけてくれました。

つまんない失敗ひとつで地獄の果てまで落ち込むちきりんに「自分の失敗なんか、自分以外で覚えてる人はいないんだから、自分が忘れたらそれで終わりだよ」と言ってもらえて、どれだけ助かったか。

この言葉を書いたメモは、今も自宅のパソコンに貼ってあります。


というように、内に向かいがちな感情をコントロールするために、「心の持ち方の訓練」、「できるだけネガティブに考えないようにする訓練」を続けていると、感受性自体も次第に下がってきます。

それを何十年も続ければ、次第に性格や気質も変化し、最近は自分の性格についても「比較的いい感じじゃない?」と思えるようになりました。

この経験から私は、「性格は変えられる」と確信しています。


もちろん、「完璧なる脳天気さ」を発揮してくれる本当にすばらしい友人達を見ていると、「あっ、無理。こうなるには 300年あっても無理!」とは思うものの、

自分の時系列比較(昔の自分と今の自分の比較)であれば、その変化はかなり大きく、「よく頑張った!」と自分を褒めたいくらいです。


たいていの人にとって“成長”とはスキルが上がったり、知識や判断力が増すことを意味するのでしょうが、私にとっての“成長”とは「できるだけ鈍感になること」「あまり考えこまないようになること」であり、振り返れば“性格改造”こそが自分の成長の目的であり軌跡であったと思います。


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んじゃね


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2008-03-23 逃げるチベット、擦り寄る台湾

おもしろいなあ。台湾とチベット。

全く同じタイミングで全く反対の方向に進もうとする

ふたつの“国ではない国”of China.


台湾の総選挙。この国(だか島だか)の選挙勢力は二つに分かれる。ひとつは「中国本土と仲良くすべしだ派」で、もう片方が「共産党なんか絶対信じない。台湾は独立すべきだ派」ですね。本土と仲良くすべき派が国民党、独立するべ派が民主進歩党です。

昨日、中華民国総統選挙があり、国民党の馬英九さんが勝ったですよ。本土と仲良くすべき派。彼は「中国沿岸部と台湾でEUみたいな自由貿易ゾーンを作ってはどうか」とまで言っちゃってて、それって事実上、香港みたいな統合を考えてる??みたいなアイデアです。

こうなると朝鮮半島の統一より中国と台湾の統一の方が早いかも?ってな雲行きですが、選挙民がこの方向を選んだ最大の理由は、“香港の大成功と台湾のここ数年の経済不況”にあります。

香港は昨年行ったけど、すんごい好況でバブル期の日本みたいでした。香港がイギリスから中国に返還される際に、中国を信じられず恐れてカナダなどに移民した香港の人が次々と帰国していると言ってました。

当時カナダに移住するには一定額の貯金をするか、子供をカナダで生むしか方法がなく、香港の貧しい人達は“せっせと妊娠して”カナダへの飛行機に飛び乗った。カナダについたらすぐに仮アパートで出産し、生まれた子供を移民局につれこんで居住ビザをもらう、みたいな話が雑誌に載ってました。その人達が「なーんだ、あんなことする必要全然なかったじゃん」と戻り始めている。

香港の中国返還、一国二制度は、びっくりするような斬新な方法論でありながら、歴史的にまれに見る驚異的な成功事例として近代アジア史に記されるでありましょう、ってな感じなわけです。


それをみて台湾も「おおっ!もしかして結構いーんでないの?中国の一部門になるって」と思い始めた。

しかも過去数年、台湾は大不況期に入ってた。韓国と一緒に日本を追いかける国に見えていたのに、中国本土の急速な追い上げで「安く何かを作る基地」としての立場を奪われ、起業家の多くも日本や本土やアメリカでの成功を期して旅立った。

中国(本土)がBRICSのひとつとして持ち上げられるここ数年間の歩みは、台湾経済にとっては直線的な地盤沈下の数年間だった。人口の小さな、すなわち、消費できない、しかも国としてのアイデンティティを持てない国の未来に光は見えなかった。


「中国と仲良くしようよ!!」

「別に一緒になったっていーじゃん。香港みたいに!!」

「いや、いっそ一緒になった方が得じゃね?今みたいにどの国に行っても自国の大使館もないよーな立場じゃまずいだろ?世界中が経済ブロック化してるってのに、俺らこのままじゃあ自由貿易協定も結べないんだぜ!」


てなもんで、中国と仲良くしましょ派の馬英九さんが選挙に勝利した。同じ(ような)立場のチベットがあんな状況になっているさなかの選挙なのに、昔の台湾なら「中国はやっぱり怖い!いつ自分たちもああやって侵略・制圧されてしまうかも!!」と恐怖におののいたであろうに。

チベット騒乱さなかの選挙で台湾選挙民は言い切った。「中国と一緒の方がとくやで」と。

★★★

さて時を同じくして、“中国の一地域”であるチベットが「独立したい!!!」とデモ。大騒ぎ。国際的・大騒ぎ。


「やっぱり貴方(中国本土)と一緒になるわ!」と言いだした台湾と、「ずっと言ってるでしょ!とにかく私は別れたいの!!」と叫ぶチベット。このタイミングのシンクロさが超おもしろいんだが、それにしてもこの二人、何が違うのか?

台湾が中国と一緒になった方が得なら、チベットだって同じではないのか?東ティモールだって独立したのはいーけど、どーやって喰っていくんだ?って感じだしね。



経済的な損得で考えはじめた国と、損得で考えない国の差か?


資源のない国と、資源のある国の差か?


歴史的に別々の国と、歴史的に元は同じ国の差か?


中国に擦り寄る国と、離れていく国が、こんなに同じタイミングで現れるって皮肉だなと思った。この歴史のシンクロぶりは単なる偶然か。それとも、何かの必然の論理の上にあるふたつの相反する(ように一見みえるだけの)現象か?


馬英九さんは本音ではかなりの「反日派」、ダライラマさんはかなりの親日派。だからか?

の、わけなし。


中国とくっつくのと、中国から離れるのと、実際、どっちが得だと思う?間違ってるのはどっちなのだ?それともどちらも正しいの?何が違うから?


そんじゃね。

2008-03-22 なんで辞めないか

昨日話をしていた人達のお話。ひとりは「なんで8年もこの会社にいるかと言えば、他にやりたいことがなかったから」と言っていた。「やってもいいかなと思えることで、話がきたので、行くことにしました。」って。

別の人はこういっていた。「同業他社から年収3倍のオファーがあったんですよ。思わず行きそうになっちゃいましたよ。」そーなんだあ!!!びっくり。でも行かないわけでしょ?「行くわけないでしょ。」そうだよねえ・・・・


じゃあ、なんでちきりんはこの会社で結構長く働いているのか。ちょっと考えてみました。


(1)自由だから!

最大の理由はこれ。こんなに“指示”や“決裁”の少ない会社も珍しいだろう、と思う。稟議という概念がないことは外資系企業には珍しくもないですが、昨日も誰かが言っていたが「よくここまでリスクとれるよね」と感嘆するほど個人に裁量を与える会社です。

この自由さは一度覚えると捨てがたい。誰かの指示で仕事をするとか、やることなすことに申請やら許可が要る、という状況に、もう戻れない。

そしてこの自由さから派生するメリットとして、仕事の内容がルーチンにならず、おもしろく、楽しく“できる”ということにもなる。

これは“できる”ということであって、自分でそういうふうに持って行く必要はあります。もともとおもしろいわけでも楽しいわけでもなく、放っておくとすぐルーチン化するので、自分で“おもしろく設計する”という必要はある。

だけど、やろうとすればそうできる、というのは悪くない。


(2)ナイスな人が多い。

どこの組織にも“この人と働きたい!”と思えるようないい感じの人と、“ひえ〜近づきたくない!”と思える人の両方が存在する。それはうちも同じ。

だけど、比率的には圧倒的にみな“よい感じ”だと思う。耐えられないわ、と思う人ってごく僅かだ。みな話がおもしろいし、性格がいいよね。尊敬できる人も多いし、(尊敬はできなくても・・)すごいな〜!と思える人も多数。

なにより皆すごいエネルギーレベルが高い。“寝てるよーな人”ってのがいない。だから退屈しない。

自分の知っている世界だけの比較にすぎないが、ちきりんが知っている複数の他の企業と較べればこの点も圧倒的だと思う。

“話のわからないバカ”や“年をくっているとか、結果を出してるという理由だけで、意味不明にヤな態度の奴”もいない、いや、極めて少ない。


(3)組織がレバレッジできる。

これも大きな理由だと思う。個人(自分)がやりたいことを追求しようと思ったときに、組織(会社)が利用できるわけだが、この利用できる倍率みたいなのがでかい。つまり“利用しがいのある会社”だということだ。

他社に移って、このレバレッジ(利用できるものの大きさ)をより大きくできるか?というと、非常に希なケースを除き、ここにいるのが(この組織に所属しているのが)一番お得、という感じがする。

これは具体的に転職の機会のお話などが来た時に痛感します。その(誘われた)会社で働く自分、というのを考えた時に、「そっちにいったら、今の組織であれば難なくできていることで、困難になることがあるよね〜」と思える。


(4)休みがとれる。

介護休暇をとったり、遊びのための長期休暇もとれるし。

家族が遠くにおり、旅行好きで、長時間労働の嫌いなちきりんには、モーレツ企業は向いてないです。“伸び盛りのベンチャー企業”とかって、このあたりが大変だよね。

ただし・・・労働時間が短いわけでは決してありません。世間的にみればちきりんの労働時間もそこそこだとは思う。が、理不尽な感じはないのと、上に書いたようにまとめて休みがとれるのは、ちきりんの生活嗜好に合っている。毎日8時に終わる仕事より、年に数週間まとめて休める仕事の方が好きなんで。


なお、給与に関して言えば「普通にもらえる」という感じかな。世間からみれば十分に頂いていると思うけど、内部的には搾取されてる感もあるしね。むしろ、必要な経費をちゃんと使わせてくれる、ということの方がありがたい。

そんな感じ。


そこそこ長くいるので飽きることもあるし、ともすればルーチン化する日常業務をどうおもしろおかしく設計するかという戦いもある。組織に“もれなくついてくる”様々な軋轢やらうっとうしさももちろんあります。それでも総合的にみれば、こんないいとこ、なかなかないかもね、と思える。

そして“こんないいとこ、なかなかないかもね感”を拡大再生産していくために、ちっとでも貢献できればいいかなと。



結構ポジティブだな、わたし・・・


そんじゃね!

2008-03-20 隔絶

飛行機の中で読んだ雑誌記事について。

ひとつはモーニング娘。の看板スターだった後藤真希、いわゆるゴマキが弟の銅線窃盗事件で謹慎中に、パチンコ屋で、ジャージ姿で、立て膝で、ふかし煙草で一心不乱にパチンコしている写真を撮られたニュース。

その後に「ゴマキは当時から楽屋に灰皿が用意されてないと怒り狂っていた」とか、「トイレで喫煙してて浜崎あゆみと喧嘩になった」とかいう話が続々と出てきました。

彼女は今 22才。だから喫煙は問題ない。

でも・・・「楽屋に灰皿が無いと怒っていた」時は未成年のはず。


モーニング娘。のメンバーには、他にも何人か未成年喫煙が問題になり脱退した人がいます。煙草をくわえた写真が表に出た元メンバーも複数いる。

ってことは、当時(今も??)おそらくモー娘。の楽屋はどこでも、“モクモク”状態だったんだろうなと。

フジテレビの楽屋でも日テレの楽屋でもテレ朝の楽屋でも、そして「皆様の受信料」で製作されるNHKの番組の楽屋でも、彼女たちは“モクモク”していたと考えるのが自然だと思いません?


★★★


興味深いのは、それをテレビ局のエリート社員達、皆様のNHKの社員なども、基本的には“見て見ぬふり”をしてきたわけだよねってこと。

彼らは高校野球の出場予定高の選手が喫煙してたら、テレビニュースで何時間もそのことをとりあげ、あげくは甲子園出動辞退!に追い込むくらいの報道をするわけです。超エラソーに。

なのにその一方で、楽屋でモクモクしてるアイドルグループには文句を言わない。

だって・・そんなことに文句つけて「もうフジテレビには出ない」とか言われたら困るから?


テレビ局だけじゃないでしょ。

写真撮影やら取材やらコンサート密着やらをしていた多くの「大人の」芸能記者だって皆、知っていたはず。

もっといえばゴマキだけでもモー娘。だけでもない。

昔から“芸能人、未成年の喫煙”なんか問題にする人は、テレビ局にも芸能関係者にも誰もいなかった、ってことなのでは?

「人気絶頂のモー娘。につまらんこといって話をややこしくしたくない」という一介のサラリーマンの立場で、そんなこと問題にできないもんね?


★★★


別の週刊誌に「ショーケン」の記事がありました。ショーケンとは萩原健一さんですね。

記事によると今度、自叙伝を出すらしく、そこに若い頃の話が書いてあって、すんごいかっこいいわけだが、

その中に「あの頃は、朝からマリファナとビールでぐだぐだで、昼からはコカやって女抱いて、その合間に撮影してっていう生活だった」みたいなくだりがあるらしい。

彼は後に覚醒剤が理由で逮捕されてるんですけど、これも、そんな生活してたのだとしたら、彼が捕まるまでの間、テレビ局やドラマの制作スタッフが、そのことを知らないわけがないよね?  

薬やってるよなあ、というのは分かってたのでは??


ショーケンだけじゃないです。

岩城滉一、研ナオコ、美川憲一、井上陽水、尾崎豊、元サザンのメンバーにドリカムのメンバー、大麻やら覚醒剤で捕まった芸能人はいっぱいいる。

こういう人達が、そういうことをやっていることを、当時のテレビ局関係者やマスコミ関係者が誰も知らなかったなんて考えにくくない?

むしろ、「みーんなわかってた。でも、誰もとめないし問題にしない」・・・そういう状態が芸能界では何十年も前から続いてきたのでは?

そして、逮捕されるのは「(薬の使用が周りの人だけでなく、通りすがりの人にも隠せないほどの)明らかに見かねる状態になった時」であり、

マスコミに話が漏れるのは、「その芸能人(グループ)が落ち目になった時」、という一般則も全く変わっていない。

だから今、ゴマキの喫煙写真が今、世の中にでる。

22才の時より、14才の時の喫煙の方が、明らかに問題であるにもかかわらず、写真が世間に出るのはモー娘。が人気絶頂の当時ではなく、このタイミングだってこと。


★★★


ショーケンの時代からモー娘。まで、芸能人の薬や未成年の喫煙に関して、なぜ関係者が目をつぶるのか?

「そんなん当然だろ? 自分の飯のネタを自分で潰してどーするよ?」という意見はわかる。けど、どーもそれだけではないんじゃないかな、とも思います。

私にはその根底に「エリート達の」「違うセグメントの人達への」「蔑視的無関心」があるんじゃないかと思えるんだよね。


テレビ局の人にとって芸能人ってのは、昔から、そして今も「そーゆー人種」だとみなされている。

麻薬とか平気でやっている人達だと。

未成年で煙草吸っていようと。

見境無く女をくわえ込んでいても。

たかだか子供のガキタレが周りの大人に汚い言葉で罵り、その傍若無人振りを遺憾なく発揮していても。

「どうせあいつらはそういう奴らだから」という、「だから、ほっとけよ」感があるんじゃないかな。


売れまくってお山の大将になり、誰もがヘコヘコへつらってくれるような立場になっても、マスコミ側には「芸能人は飯の種」というか、「商売のネタにすぎない」「使い捨てのコマ」的な感覚があり、

また、「こんな世界に入ってくるのは、どうせまともな奴じゃない」というベースとしての感覚がある。ように思える。


★★★


今はアイドルや女優に憧れる人はたくさんいるし、才能と外見がよければ芸能人を目指すのは普通の職業選択にみえる。

だけど、まだマスコミ側には彼らを“見世物”的に蔑視する考えがしっかり残ってる。

表面的には彼らを持ち上げ崇拝しおべっかをつかい、だから「少々のことは見逃す」という論理の振りをしながら、

実際には「どうでもいい奴ら」「人生を捨てている奴ら」が、「どんな大人になろうと」「薬で人生崩壊しようと」「どーでもいいじゃないか、俺らには関係ない世界の話だし」という。

そういう感覚の存在を感じるんだよね。。。


だから、楽屋で薬でロレロレになっている俳優がいても、どう考えてもまともな大人にはなれないだろうと思われる言動を繰り返すガキタレが煙草をスパスパやっていても、彼らにはまさに“どーでもいい”。

番組さえ無事に製作でき、そこそこの視聴率がとれたら、

一流大学から一流企業であるマスコミに就職して働いている、社会的認知と精神的な満足感の得られる「こっち側の世界で生きている俺たちが、

“あっち側の世界の人達”にとやかく口を出す必要はないと。

そんなアホみたいなことしなくても、あっちはあっちの世界なんだから、と。


30年前のショーケンの話と 2008年のゴマキの話。

この二つの記事がちきりんに感じさせたモノ。

それは、まともな“カタギの世界”と“そうではない世界”の断絶であり、絶望的なその距離感。


人は「違う世界」には口をださない。


そんな感じ。


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じゃね。


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2008-03-15 見てない人が払ってくれるのがありがたい

NHKの受信料の支払い率、今は70%くらいらしい。今後は80〜85%を目指すんだって。でも、今の70%ってのも、いろんな意味で微妙な数字ですよね。

最も視聴率の高い紅白歌合戦やワールドカップの日本戦でも、視聴率は瞬間的に50%いくかいかないか、ですから、NHKが普通の有料放送だったら加入率が今の“70%くらい”なんかになるはずはありません。

だから彼らは絶対に「有料放送」にはなりたくないんです。あくまで「受信料制度」にしがみついていたい。スクランブルをかけたとたんに「契約世帯数」が半減(もしかしたら7割減とか)になることは眼に見えてます。


この受信料制度、今は「見てるのに払ってない」人が問題になってるけど、実際は「見ないけど払ってる」人がすごく多いという制度です。

「見てないけど払ってくれてる人」が余りに多いため、「有料放送」になんて絶対なりたくないというわけ。


それに、今の支払い率の70%超というのも、かなり怪しいんじゃないかな。実際はもっと低いと思うんだけど、リアルな支払い率を開示すると、まじめに払ってる人が「じゃあ、オレも払わねえ!!」って怒り出します。

だから「70%の人は払ってるんですよ、払ってないアナタは少数派であり、ずるい人ですよ」というプレッシャーをかけることができる数字を発表してるんだと思います。


それはそれとして、じゃあギリギリまで受信料制度を維持できるよう(政治的に)頑張り続けるのが、NHKにとってベストなのか?というと、そうでもないと思うのですよね。

だって、“競争の練習”をは始めるのが遅くなるだけだから。

「マーケティング」とか「プライシング」とか、経験値が貯まって巧くなるまでに数年から10年はかかるわけで、NHKも早めに競争の練習を始めた方が、本当は有利だと思う。

NHKも含めて地上波の番組って、「テレビのチャンネルが何に設定されているか」という意味不明な数字=視聴率をずっと気にしてる。これ、実際には(家族の)誰が見てるのか全然わかんないでしょ。

でも、スカパー!やケーブルテレビは、それに加えて契約者のプロファイルをもっている。さらに、有料放送だと「視聴料分の価値がない」と思われたらすぐに解約される。だから「解約した家庭のニーズは何だったんだ?」とか調べるでしょ。新たな加入者のプロファイルも集めてる。

ところがNHKって顧客データを持たない会社なんだよね。普通の経営者からみれば、「顧客データなしで経営するって怖くないっすか?」って感じだと思う。

BtoCの会社(消費財とか消費サービスを売ってる会社)って、顧客データを手に入れるためにすごいお金をかけて市場調査とかするわけで、そういうデータは「お金をかけてでも手に入れるべき」価値のあるものなんです。


でもNHKはそういうのには多分、関心はないんでしょう。「見てない人が払ってくれる受信料制度」の方が得だと心から信じている。民放と一緒になって「視聴率」だけ気にしてる。


そんなんでいいのか?


じゃね!!

2008-03-12 ラストリゾート

少し前に大阪で、病院が患者を公園に遺棄するという事件がありました。この患者(63歳の男性)は糖尿病で全盲。治療の必要は既になく、病院側は福祉施設に移るよう勧めたけれど本人が退院を拒否していました。

しかも、なぜか本人の障害年金を前妻(63歳)が管理しており、数年前から入院費も不払いになって残高が200万円近くに達していたほか、病院では他の患者や職員ともトラブルを起こしていたそうです。*1

病院職員はこの男性を前妻のところにつれていって本人を引き取るよう(もしくは、入院費用を支払うよう?)依頼しますが、拒否されます。職員は、その帰りに西成区にある公園のベンチに本人を座らせ、救急車を呼んだ上で遺棄(置き去りに)したのです。

結局この医療関係者は、医療法違反で逮捕され、病院長は「あってはならないこと」と謝罪されていました。


さて、この事件は様々な問題を示唆してくれます。

まず、何百万円踏み倒されても、病院は“治療の必要もないのに居座る人”に出て行ってもらえないのでしょうか。

“お金はないが、治療の必要がある患者”を追い出すというのなら、倫理的な問題が発生します。生活保護を申請してもらって治療を続ける、ということが選択肢になるでしょう。しかし“治療の必要がなく、かつ、お金もない人”を世話すべき機関が医療機関だとは思えませんよね。

それはあきらかに福祉機関の役目であるはずですが、本人もお金のない人が暮らすことになる福祉施設よりも病院の方が居心地がよいことはわかっていたのでしょう。

では、本人が移転を拒否すれば、病院には何の手立てもないのでしょうか。他の病院で、もしくは、今後もこういう事例が発生した場合、いったいどのように対処すべきなのでしょう?


また、前妻が本人の障害年金を管理し続けているのは不可解ですが、こういった“受け取るべき人以外が年金を受け取っている”という事態にたいして手を打つべきは、誰の責任なのでしょう。

今回は病院の職員がわざわざこの前妻を訪問していますが、少なくとも離婚した妻に、本人を保護、世話する義務があるとは思えません。“離婚した妻”なんて他人です。

病院としては「本人の障害年金を受け取っているのだから、世話もしてほしい」ということなのかもしれませんが、これは理屈が反対です。「赤の他人が年金を管理しているおかしな状態」をまずは正すべきであり、それは病院ではなく社会保険庁の仕事でしょう。

いったん年金支払いが始まると、本人が死亡していても、離婚していても、変わらず同じ口座に振り込み続けるという年金の仕組みは、あまりに安直に過ぎると思います。


また、こういう事件を見ていて思うのは、“生活保護は福祉の最後の砦”と言われるけれど、実際には“お金”だけもらっても暮らしていけない人はたくさんいる、ということです。

上記例のように障害がある場合もそうだし、認知症を患っていて単独での日常生活が難しい場合、高齢で寝たきりになり体の自由がきかなかい場合なども、たとえ保護費などお金が毎月、銀行口座に振り込まれても、ひとりで生活していくのは無理です。

そういった人が最後にどこに行き着いているのか、一般にはなかなか見えません。中には、無認可で劣悪な環境の高齢者施設、いわゆる“貧困ビジネス”に吸い込まれていく人もいるでしょう。また、年間3万人を超える自殺者の中にもそういった最後の行き場所(生き場所)が見つけられなかった人が含まれていると思います。


ちきりんは小学生の頃に裁判所見学に行き、そこで「冬を越せる長さの禁固刑にしてほしい」と裁判官に頼み込む被告を見て驚愕しました。不況の時代には「自由な外よりも監獄の中の方が生きやすい」という人は例外的ではないとも聞きます。“社会的入院”という言葉が示すように、行き場がないために病院に居続ける人も、この事件以前から問題になっていました。

普通は「一刻も早く出て行きたい」と願うであろう病院や監獄が、最後のセーフティネットとして機能している社会。貧困問題をこのまま放置していたら、20年後には多くの人が「病院に入れてくれ」「監獄に入りたい」と殺到しかねないとさえ思います。

将来の日本の“最後の砦”は、いったいどんな場所になるのでしょう。問題は決してお金(生活保護)だけではないように思えます。

そんじゃーね。

*1:事件に関する記事はこちら:http://news.livedoor.com/article/detail/3388922/

2008-03-11 足りてるの?足りてないの?

最近、“救急患者があちこちの病院で受け入れを拒否され・・”というニュースをよく聞きます。原因のひとつとして“医者不足”が挙げられるのですが、本当に医者の数が不足しているのか、どうもよくわかりません。

それが根本的な原因だというなら解決方法は明確で、“大学の医学部定員を増やす”という以外に方法はありません。そして、医学部の新設は難しいでしょうが、定員を少し増やすくらいは可能なはずです。

ところが「医学部の定員を○割増やすべきだ」という主張は、メディアでも国会議論でも、また医者の業界団体の主張としても、ほとんど聞くことはありません。医者を増やすと医療費が増えると怖れる厚生労働省がこの話を無視しがちなのは理解できるのですが、他の専門家もこのシンプルな解決方法を積極的に主張するわけではないところに、この問題の複雑さが垣間見えます。

★★★

二番目によく聞くのは、「医者の絶対数は不足していないが、偏在が問題である」という意見です。ところがこれもはっきりしない話です。

たとえば“過疎地の医者不足”という話はよく聞きますが、よく報じられる“救急受け入れ拒否”の多くは東京や大阪など大都市の事例です。偏在とは「ある所では余っているのに、別の場所では足りない」という意味ですよね。過疎地でも東京でも医者が足りないとすると、いったいどこで医者は余っているのでしょう?


診療科別で医者不足がよく喧伝されるのは産婦人科や小児科ですが、一方どこかの診療科で医者が余っているという話を聞いたことがあるでしょうか?外科も内科も麻酔科も、医者が余っているとは聞きません。

感覚的に「競争が激しそう=供給側が多そう」と感じるのは、コンタクトレンズ店併設の眼科と、美容整形外科ぐらいですが、偏在が本当なら、解決には“分野ごとの適正人数と現状の人数、その格差”が記された一覧表が必要なはずです。しかし、そういう基礎的な情報さえなかなか手に入りません。

★★★

また単純な“不足”“偏在”問題だけでなく、、様々な社会や生活スタイルの急激な変化がこの問題の背景にあるようにも思えます。

まず需要サイド(患者側)において、夜の活動レベルの増加が考えられます。昔に比べ、今は夜でも車の交通量も多く、働いている人も遊んでいる人も増えています。夜の救急患者数は相当伸びているでしょう。

また、核家族が増え子供の数が減ると、ちょっとした異変でもお母さんは赤ちゃんを病院に連れていく以外ありません。医者に会うまで「医者に行く必要があったかどうか」判定できないからです。

昔は多くの女性が20代前半で第一子を生んでいたのに、今や30代前半の初産は普通になっています。助産師さんや単科の産婦人科ではなく、脳外科などを併設した大病院でないと対応できないお産も増えているでしょう。このように、医療ニーズ自体が大きく変化していると思われます。


一方の供給サイド(医者側)にも多くの変化がありました。昔は医局の教授が若手の医者を“適切に配属”することによって、それなりに大変な職場にも医者が配置されていたかもしれませんが、今や医者向けの転職サイトまで存在する時代です。

個々人の医者も、自分なりのキャリア形成やワークライフバランス、住みたい地域などを検討しながら働く場所を選ぶようになるでしょう。そうなれば当然、人気のある場所と人気のない場所が生じます。

また、ある医者の方が「女性が医学部に増えたのが医者不足の原因」と発言されていましたが、たしかに家事や育児を担当することの多い女性は、男性の医者ほどの労働時間はとても働けないでしょう。特に、一部の勤務医の労働時間は尋常ではないと言われており、他の産業同様“滅私奉公”的な働き方を要求する職場は、女性でなくても敬遠されがちになるのは当然です。また、夜の患者が増えても真夜中に働きたい医者が同じペースで増えるわけでもありません。

このように、需要サイドから見ても供給サイドから見てもここ数十年で大きな変化が起っているのに、制度設計自体がそれについていけていないのではないかと思われます。


また、勤務医vs.開業医という構図についても、ポルシェを3台持っている、というようなお金持ちの開業医の話も聞くと同時に、設備投資費用を回収するレベルの収入が維持できず、経済的に行き詰まる病院も多いとも聞きます。

いったい医者は足りているのかいないのか、偏在しているのかいないのか、報酬が十分なのかそうでないのか、日本の医療は崩壊しつつあるのか、海外の富裕層に売れるほど高品質なのか。この業界全体で何が起っていて、どんな問題を解決しないと状況が改善されないのか、本当に見えにくいです。

医療は誰もが関心のあるテーマだし、日本は先進国の中でもすばらしい医療制度をもっている国です。制度疲労を起こしているのは確かでしょうが、もう少し問題が整理され、一般の人にも広く正しい問題意識が共有されるとよいのにと思います。

日本企業の国際化や競争力の話であれば、ネット上でも多くの人が参加して議論をしています。医療制度問題の不幸のひとつは、おそらく医療関係者のコミュニティ内だけで議論が行われ、広く現状認識と議論が拡がらないこと。議論になるのは何か大きな問題が起った時だけで、その時にはマスメディアの単純化された極端な報道だけになってしまっていることではないでしょうか。

過重労働に苦しむ医者の方や、受け入れを拒否されて彷徨う患者さんの問題が放置され続けるのは悲しいことです。問題を解決し、これからも自信を持って世界の人に誇れる医療体制であってほしいものです。

そんじゃーね。

2008-03-10 本音建前変換機構

竹田恒泰さんの「旧皇族が語る天皇の日本史」を読了。戦後に皇籍離脱した竹田宮家の子孫で、明治天皇の玄孫にあたる方ですね。学者さんで、皇室典範改正議論の時にはかなり積極的に発言されていたので、ご存じの方も多いでしょう。

先日からの流れで「誰が継ぐのが正当なのよ?」というのを考えたく、こういう立場の人の意見を知るのもいいかなと。

で、誰が継ぐべきか?に関しては意見変わらず。やっぱ男系維持でしょ〜と思います。が、それとは別にとても大事なことが理解できました。


★★★

何が理解できたか、というと、「天皇ってなにさ」ってことが、理解できたです!


そんなことが、本一冊で理解できるなんてあまりにお手軽なちきりんの理解力ですが、ずばり、天皇とは・・・

「本音建前変換機構である」と。

思ったですよ。



どーゆー意味よって?

★★★

たとえば、


1945年原爆投下後

本音=「やばい!このへんで戦争やめないと日本全滅だ!!」

建前=「我が日本軍は永遠に不滅だ!大日本帝国は絶対勝つ!」

本音建前変換機構スイッチオン!

「我が日本軍は永遠に不滅だが、天皇陛下が民のために降伏するとおっしゃっている。陛下の意思には従わざるを得ない!」


ってな感じ。



幕末も、

本音=「開国を拒み続けるのは無理だ。相手の軍事力は圧倒的なんだから、拒み続けたら武力制圧されてしまう。しかも実際のところ、開国した方が日本も近代化できていいくらいだ」

建前=「開国なんかありえん!不平等条約なんてありえん!黒船なんか撃退しろ!!腰抜けどもめ。戦え日本男児!!」

本音建前変換機構スイッチオン!

「開国を受け入れた幕府はけしからん。幕府は責任をとって退場しろ!朝廷に王政復古だ!」

★★★

つまりね、終戦にしても明治の開国にしても、本音では「しかたない」のだが、建前上それを認めるわけにはいかない。で、天皇制度を利用して建前を崩さずに本音を実現する、ということが行われてる。

「時の政権は、常に天皇を利用してきた」というよく聞く意見って、同じコトをネガティブ側から言ってるんだと思う。


戦前の軍部だけでなく、徳川幕府、源氏や平家、藤原氏など、事実上の権限をもっていた人たちは皆同じように、好き勝手にこの「本音建前変換機構」を利用してた。

つまりさ、天皇制度を利用すれば、「誰にも責任を問わずして前言を翻すことが可能」となり、「やっべ〜、間違ったよ!!」ってなことも、いつでも恥ずかし気もなく「やーめた」と言える。すごい便利な機関である、ということだ。いつでも自分の間違いを訂正できるんだから。

普通はね、権力者が間違いを犯した場合、そんな簡単に「間違ってました」「やっぱりやめます」とは言えないでしょう。言いにくいじゃん。でも、この仕組みによりそれが言えるようになるわけです。


そして、そのことが何度も「日本を守った」と思う。時の政権の上に“スペシャルな立場”の天皇を擁することで、“ジョーカー”を使った勝負ができる、って感じ。

「名誉と体面を守りながら誤った道を修正できる権利」を持つ国、「いやよいやよ」と言いつつ「来て来て」って言える国、ってのは強いじゃん、と思えるわけ。

★★★


それ以外でおもしろかったのは・・天皇家って結構「なんでもあり」だな、と思いました。かなりいろんなドラマがあるよね。怨念とか後継者争いとか暗殺から島流しまで。すごい「人間くさい」ドラマがいろいろある家系だな〜と思いました。“神聖”っていうよりはドロドロなイメージが残りました。


万世一系については、神からつながってるかどーかはしらんが、これしかないんだから、守るべきでは?と思う。それ以外にこの一家の特殊性を担保できるものはないんだから。


あとね、天皇家って、時の権力者が皆、娘を嫁がせてるでしょ。蘇我氏とか藤原氏、北条氏とか。天皇の外戚になりたいから、自分の娘を天皇に嫁がせる。だから天皇家ってのは男系の血はつながってるが、女系の血は基本的に「時の権力者」の血が入れられる、という仕組みになってんのよね。

美智子様だってそうでしょ。あの頃からは「権力者」は「民」なわけで、だから奥様は民間から入るわけよ。

これはねえ、天皇家がこんなに長く生き残っている大きな理由だと思う。権力者の家って、基本的に「強い血」なわけですよ。その時代の実権者の家系の血を常に導入できるって、そりゃあ、血として最強だわな、と思うわけ。

ふむ


えっと、天皇の母は正妻ではなく女官さんの場合も多いので、「時の権力者」もしくは「女性として選ばれた人の血」ということでもいいかも。まあ、女官だって時の権力者の家からたくさん来てたと思いますが。だって、とにかく「ご生母様」を取りに来るわけだからね、権力者の家は。

いずれにせよ、男系はひとつしかないけど、その代わり女性側からは「強い遺伝子を入れまくる」というのは、結構巧い仕組みなんだと思う。

★★★

&戦後はまだ60年ちょいしかたってなくて、確かに二千年も続く天皇家の歴史からすれば“一瞬”にすぎない。60年前に臣籍降下した宮家が戻るのは、たいした問題はないことなんだろう。こういう「時間軸の違い」も理解できて意味があった。やっぱり旧宮宅を戻す案に一票だす。

それと、日本の特徴である政権の二重構造を理解した上で、天皇の日本史を教育で教える意味ってのはあるんじゃないかと思う。別に右とか左とかでなくてさ。ふむ。

というわけで、結構いろいろわかっておもしろかったです。



なお、この本の著者の意見はあくまで元皇族の意見であって、一応この人の職業は学者ではあるけど、事実と論理に基づく中立的な意見とは思えない内容の本ですので一応念のため。&上記に書いたのは、ちきりんの感想であり、この本に書いてあること、著者の意見ではありません。

たとえば著者によると「天皇とは“祈る存在”である」とのことで、ちきりんの言う「本音建前変換機構」などとは全然違うものであると主張されとります。反対にちきりんには“祈る存在”ってなにさ?って感じです。全然わからんです。


んじゃ今日はここまで。

ばい

2008-03-06 教えられそうなもんだけど・・

さっきクローズアップ現代かな?で、今後導入が検討されてる「18歳未満の人の携帯電話契約時に、アクセスできるサイトについて購入時から制限をかけておき、親の同意がないとそのアクセス制限をはずせない。」という規制についての解説をやってました。

この規制、携帯電話の若者向けコミュニティサイトの運営会社、特にとあるベンチャー企業なんて「この事業の価値だけで企業価値の8割です」みたいな会社なわけで、そーゆーとこにとっては「死活問題」なわけです。で、すごい反発をしている。

で、総務省も押されて「規制は検討しなおすかも」みたいな話になってます。


最近ね、mixiの規約改正の取り消し問題もだけど、こういう「文句言われたらやめます」みたいなの多いよ。そんな簡単に変更するってことは「最初に“この規制を始めたらどーなるか”を考えてない、考えきれてない」ということだと思うのよね。

一年くらい前の経済産業省の中古の電気製品の安全マークみたいなのに関する法律もそう。結局、法律を骨抜きにして事実上とりやめたわけですが、この3つの例の共通点は、最初に、「これをこーしたら、何が起こるか?」を考えてない、ってことです。

考えていたけど敢えて踏み切った、ではないのよね。不満や文句がでてから「あっ!そーゆーこと言ってくる人がいたんだ!」と気がつく、って感じなんです。で、“考えてみれば”あきらかに文句を言っている人の方に理がある。で、すぐに「考え直します」と言ってしまう。

なんじゃそれ?

です。


言われたらすぐ「相手の方が正しい」と思えるようなことくらい、最初に「想定しておくべき」でない?


上記3つの例のうちふたつが役所なんで、「役所ってのは世の中を知らん人が多いからね」ってことなのかもしれない。でもmixiまで?と思うと、ちょっと「なんだろね〜」と思う。

いや実は、これができない人、最近おーいだろ?と思うのだわ。んで、別に教育のせいにする気もないけど、こういう「これをしたら、何が起こる?」とかいうことを考える癖を、そういう練習を、もーちょっとどっか早い段階でやっといてほしいな〜と思うちきりんであります。

そういうの自分も学校で習った覚えがないので、みんな自分で身につけろということか、もしくは会社で教えるもんなのか??

学校で教えるの、可能な気がするのだけど。ゲーム的にさ、“はーい、こういうルールができたとしましょう。どんなことが起こると思いますか?じゃあ、グループ毎に違う人物の立場になって考えてみましょう!”とかいう授業。おもしろそうじゃん。


ねえ


そんじゃね!

2008-03-05 単なる酔っぱらい

酔っぱらってます。


昨日の続き。皇室ミーハーなちきりんです。

雅子様はなんであんなプロポーズを受けたんでしょうね? 

皇室がどんだけ大変か(帰国子女だから)知らなかったんだよね、たぶん。てか雅子様だけでなく、あの家の人、つまり雅子様の両親も、たぶんそれをよく知らなかったんでしょう。そこがこの不幸の元だと思います。


皇太子は彼女が自分の意見を言うしっかりした女性で、それが好みであったと言ってたけど、それはね、他の人が巧かったんです。

他にもたくさんお后候補はいて、彼女たちだって現代女性なわけで、それなりに自分の意見もあるし、しっかりしてる人もいたでしょう。

でもね、日本で育っていると、皇太子の前で「私はこー思うんですよ!」とか言いません。

心の中で「ひえ〜モノホンの浩宮だよ〜」とか思いつつ、言葉ではおしとやかに「はい」とか「そうですね」とか「ええ」とかだけ言って、無難に時間が過ぎるのを待ちます。


一方、お気楽な帰国子女だった雅子様は。誰の前でも「私はこーおもいます!」って言ってたんじゃないでしょうか。だから白羽の矢がたったんですよ。

その他にも数多く存在してたお后候補の場合は、親が「彼氏はいるのか? じゃあ、とりあえず早めに婚約させよう」とかって感じで、親に逃してもらったと思う。

もしくは宮内庁から「やばそうな機会」に招待されても「あっ、これは浩宮がくるかも?」と思うと、そういう場所に娘をつれていかないよう、親も考えたはず。

だけど両親共々海外生活の長い小和田家は、このあたりに関して、よくわかってなかったんでしょう。何か機会があれば娘もつれていって楽しめばよいと思ってたと思う。

「室内演奏会があるんだけど、一緒にいくか?」とか、何も疑わずに行ってしまう。ああいうところで、どれくらい宮内庁側が“仕組んでくるか”そこまで考えない。

娘が皇太子様と結婚しようかなと思い始めた際も「本人が好きだというならそれでいーんじゃないか」みたいな極めて欧米的でシンプルな思考で、とりたてた反対をしなかったと思う。どれだけたいへんなことか、娘に言い聞かせたりしてないと思う。


雅子さんのお母さんも外交官の妻として世界を回っていて、いわゆる舅、姑との生活を経験していない。だからそれがどれくらい大変か、感覚的にわからなかったと思う。普通の舅姑でもこれだけ大変なのに、舅が天皇陛下だったら!!!と、予想することができなかったんでしょう。

だから、今になって親も娘も「こんな大変なことだとは思ってなかった」となってる。


一方で、この日本離れした親子だからこそ、病気になった後のウルトラQ的なケアが可能になっている。

御用邸があちこちにあるのに、わざわざ小和田家の別荘で静養するなんて、普通は考えがたい。

欧州での夏休みもそうでしょ。ハーグの国際機関につとめる小和田さん父がツテをつたって、あっちの王室からのインビテーションを出してもらったんじゃないかな。

日本の皇室が「ノー!」と言えないように、海外の王室から誘ってもらう。それ以外の誰が「海外でのご静養」とか言い出せます? 天皇陛下? 宮内庁? 皇太子? ありえないでしょ。小和田さん夫妻がセッティングしたと思うよね。


そして今後も、この欧米ちっくな一家なら、ウルトラQな解決案を考えてくれるのかもしれない。

「そんなにイヤなら別れればいーんじゃないか」とか、平気で考えそうで怖い。


んじゃね。



以下は過去の皇室関連エントリです。

秋篠宮家の反撃?

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20060208

覆面座談会

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20051116

雅子様キャリアウーマン説は変だよ

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20050316

2008-03-04 この方向は正しいのか?

おとついの話の続きなんだけど「次の世代になった時、雅子さまは皇后として活動できるのか?」ってこな?

だんだん回復してきて私的外出はある程度できるようになり、日帰り公務も一部できるようになりました、と。

だけど、この延長線上に宮中儀式を含めた公務をすべてこなす生活がほんとに来るんだろうか?

そもそも“鬱病が治る”という概念は、「もとの生活ができるようになる」ということではないよね。

ある人がある環境の元で暮らしていて鬱病になり、生活する気力を失ってしまいました、と。治るというのは「失った“生活する気力”を取り戻すこと」であって、「病の原因となった厳しい生活に戻っても全く問題なく生活できるような強靱な精神力を“新たに”体得する」ということではない。

人にはそれぞれ自分が耐えられる範囲が決まっている。プレッシャーにしても花粉にしてもね。

その限度を超えたら病気になる。病気がなおったら、そういう自分の苦手なものとは縁のない生活を選んで暮らすというのが基本。

だって、ほんとは皆(特に医者は)わかっているよね・・・


しかも皇太子妃と皇后はかなり違う。

去年だっけ、終戦記念日に皇太子一家が自宅で子供会を開いて批判をあびたでしょ。確かに一瞬これを聞いた時は「ありえなくない?」って思いました。呼ばれた方の子供の親御さんも困っただろうな、と。

だけど皇室の人の当日の予定をみていると、秋篠宮だって娘と一緒に外国訪問してる。一方で天皇と皇后は慰霊祭に出てる。

それをみて、ああやっぱ「終戦の日」だって天皇と皇后だけが背負うんだな、皇族全部じゃなくて、って思いました。


しかも、新天皇の即位ということになったら、そのための儀式の多さはすさまじい。いちいち体清めて髪を固めてとか必要だし。

つまり鬱病がなおっても、皇后になれば今までよりも更に大変な規範と伝統の中で一生をすごすことを余儀なくされるわけで、雅子様が(回復したからって)そんな生活ができるようになるのかな??

繰り返すけど、鬱病が治るというのは、“前より強靱な人間に生まれ変わる”という意味ではないんだから。

★★★


じゃあ、「雅子様は皇后になっても宮中儀式も公務しなくていいです」って言われたら彼女は気が楽なのかといえば、そうでもないでしょ。

「自分がやらなくちゃいけないことができない」そのことへの自責の気持ちが人一倍強いからこそ心の病気になっているわけで、「しゃーないでしょ」と思える性格だったらこうはなってない。

つまり、皇后になりまっせ、ということになったら、もうそれだけで(誰かがとりたてて何か意地悪なことを言わなくても、)また病気が悪化すると思う。

しかも皇后になったら今みたいに3人でスキーだ、ディズニーランドだ、っていう精神療法を続けるのは多分とても難しくなる。

今は他の人が公務を代わってくれているから雅子様とその家族は療法、療養に優先的に時間が使えるけれど、天皇・皇后ともなれば、多くの公務は他の皇族には頼めないものになる。

(戦没者慰霊祭を秋篠宮夫妻に頼んで、自分たちは子供会というわけにはいかないでしょ?)その上、私的なお出かけも含め、警備の厳しさも今とは較べモノにならない。


このままいくと、本人も皇太子も周りの皇族も国民も宮内庁も医師団も、誰もハッピーとは思えない結論になりそうで怖い。

雅子様は皇后としての公務ができずに自分を責めて引きこもり、今の皇太子は天皇としての激務をこなしつつ、宮内庁や国民と家族の狭間で苦悩し、

愛子様は不安の中に育ち、他の宮様には代理業務が押しつけられ、国民はなんのための皇室ぞと不満に感じ、宮内庁は責められ、医師団は無能とそしられる。

いまの方向、つまり「そのうち昌子様の病が治って、公務が全部できるようになる」という前提で進むのは、悲惨な将来への道以外のなにものでもない、と思うのは、ちきりんの杞憂?

他の人には「あと5年もすれば雅子様もすっかり回復され、皇后になられた暁には自信を取り戻し、すべての公務をこなし、有意義で楽しく人生を送っておられることでしょう。めでたしめでたし。」という姿が目に浮かぶんでしょうか?

そういう可能性が一定以上あると思ってる???

ちょっとちきりん的には信じがたいのだけど。


★★★


超大胆な予測をすると、

万が一、皇后になられたあとの雅子様が、それが理由でふたたび心身を弱められたら、天皇(今の皇太子様)が天皇という職責より、雅子・愛子様の夫であり父であるという立場を、より大事にされるという可能性もあるのでは?

次の天皇は弟の秋篠宮家だし、そこには皇太子となるべき男児もいるしね。


ありえない想像?

いやいや将来どうなるかは、誰にもわからないでごじゃるのよ。


f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium

んじゃね。


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2008-03-02 日本の技術は圧倒的!!

HD-DVDとブルーレイディスクのデファクト争いの話には、いろいろ考えさせられる。

一番興味深いのは、「この次世代技術のデファクト争いに参加したのがほぼすべて日本企業である」という点だ。なんで、日本企業ばっかりなの?




<考える時間>




多くの日本人が「日本の技術は圧倒的なのだ。だから次世代技術の争いは常に日本企業だけの戦いになるのだ」って言う。

勝ったのがソニーと松下、負けたのが東芝。どうころんでも日本企業が勝つし、日本企業が負けるという構図。これを「日本企業の技術力は圧倒的!」と信じられる素直さが、ほんのちっとでも私にあれば・・・・・・ちきりんブログは存在しない。


サムソンにもLGにも、フィリップスにもアップルにも、そんな戦いに参加する技術力がなかったから、日本企業だけで争っているのだ、って。そうおっしゃるわけですか?


ふーん

へえ〜



ちきりんに言わせれば、こんな戦いに参戦しようとするのは、日本企業だけ、だからなんじゃないの?と思えるんだけど。

★★★

これを一昔前のベータとVHSの争いと較べる人も多い。そうね。構図は全く同じです。

(1)戦って、デファクトを争って、ハードの技術で勝つのも、負けるのも日本企業だけという点が同じ。つまり日本企業しか、この競争に参加してない。

(2)どっちを勝たせるかを決めるのが、米国のコンテンツ企業だというのも前と同じ

(3)そして、どっちが勝っても負けても、特許料を払ってハードを生産し、世界中で売りまくるのがサムソンとLGという構図も同じ。彼らはどっちの方式が勝っても大きな損はしない。



別の言葉で整理しましょう。

米国のコンテンツ企業は、全く財務的リスクを負わない立場でキャスティングボードを握る、という商売をやっており、

韓国のメーカーは、“デファクトがとれず多額のリソースを無駄にするリスク”も、“たとえデファクトをとれても、投資回収が間に合わないくらい短期間で技術の世代交代が起こってしまうリスク”もとらずに、インドや中国や南米など人口が爆発してる国でハード機器を売りまくる、という手堅い商売をやっており、

日本のメーカーは、5年だか10年だかという期間、大量のエンジニアのエネルギーと給与とサービス残業時間をすべて“賭け”に投じるという商売をやっている。


今回の技術の争いに日本企業だけが参加している理由を「日本企業の技術に他国企業がついてこれないからだ!」と読む人と、「そんなアホみたいな商売に参加したいと思うのは、日本企業だけ、だからでは?」と思うちきりん。


心根の素直さがちがうやね。ああ、ひねくれ者のちきりん。



この「賭けのような商売」を、「やってられない賭け」と見るか「賭けるべき」と見るか、その違いは、今回の技術がどれくらい“もつ”か、ということにたいする“読み”の違いにある。

オンデマンドで光ファイバやらなんやらでコンテンツが届けられるようになり、記憶媒体なんて要らんじゃん?という時代はまだまだ絶対こないと読む。データの圧縮解凍技術がめっちゃ進んで、そんな大容量の記憶媒体なんていらんじゃん??という時代はまだまだ絶対に来ないと読む。

その“読み”に対する自信が、日本企業は圧倒的に高いんでしょう。だから日本企業だけが次世代の大量記憶媒体デファクトの賭けに参戦する気になってんのでは? だって、3年後に大容量記憶媒体が不要の世の中になったら、今回勝ったはずのブルーレイ開発企業だって投資は回収できないんだよ。そうなったら両方とも負けです。

日本企業だけが「この賭はいける!」と判断したのは、前にそうだったVHSやCDがかなり長期間“もった”、という過去の経験から「過去もそうだったんだから、たぶん”BDもちゃんと長期間“もつ”と思う」みたいな思考停止的思い込みによるものではなく、ちゃーんと、きちんと考えて「ブルーレイ技術もVHSと同じくらい長い間もつ」と、そう判断してるの??


他国の企業が、この技術争いに参加してないのは、この“読み”が日本企業と違うからではなくて、本当に技術争いに参加する“技術力がないから”なの?



日本企業しかこの技術開発争いに参加していない理由は、技術力の高低ではなく、むしろ「どういう商売をするか」という経営判断の違いにあるのではないか? と、思えたりもするんですけどね。


他国の企業は、“こんな賭け商売”に(こんな“ビジネスモデル”と呼んでもいい、もしそういうカタカナがお気に召すなら)わざわざ経営資源を投下しようとしてないだけでは?

★★★

アップルなんかも全然違う商売の部分に乗り出してる。iPodに音楽入れるとデータ的にはスカスカにされちゃうわけで、ハイクオリティ音源を大量記憶媒体に入れて持ち歩いて聞きたい!という方向とは全く違う市場を彼らは選んでる。

パソコン事業を売り払っちゃったIBMもそう。勝ってる企業は「勝てる商売」や日本企業とは違う商売のやり方を選んでる、ように見える。

「自分の企業がとるべき商売の形はどれであるべきか」という判断が、日本企業には見られない。技術力でいいものを開発して売る、デファクトをとって特許料で儲ける、という過去に成功した商売のやり方を変えるということなど、考えたこともない。これからもずっと「同じ商売」でやっていくのだと信じてる。

たとえて言うとね、「どの種目にエントリーするか。どれにでたら確実に勝てるか勝ちやすいか」を考えてる人と、種目を変更するなんて考えもせずに、その種目しか存在しないと思い、そこで勝つための努力に疑問をもたない人との違い。


ちきりんは、結果として日本企業のこの分野の技術力が高い、ということは否定しません。実際そうなんでしょう。なんだけどね、HD-DVDもブルーレイも数人のエンジニアが1ヶ月頑張ったくらいでできあがる技術じゃないんです。

これらの開発につぎ込まれた“R&D投資額”は、“大量の技術者の数年分の給与”なわけで、「それだけのお金をこの開発につぎこむ」という“経営の意思決定”があったから、結果としてその部分の技術において「圧倒的な技術力」につながってるわけ。

だからね、「日本企業の技術力はすげえ!」と言ってるだけでいーのか? という気がするんです。

「そこで勝負すると決めた経営判断は、そこに自社リソースを投入すると決めた判断は、正しいものだったのか?」と、問わなくていいんでしょうか?


「他の勝ち方はないのか?」とか

「もっと得な勝ち方があるんじゃないのか?」とか

「こういう勝負の方法はどうだろう?」とか


そういう発想が無いような気がする。それが、気になるのだわ。



「技術立国」もいいし「技術の○○」もいいし「日本の技術は世界一」も、あまりに甘美だ。うっとりしちゃう。

マイクロソフトの技術なんてたいしたことないと多くの人が口を揃え、アップルが飛ぶ鳥落とす勢いなのが技術力の賜だと思っている人も多くはない。物作りをやめちゃうIBMなんて“メーカーの風上にも置けない”。サムソンがデファクト争いに参入してこないのは「やっぱり韓国メーカーの技術なんて、まだまだから」なんだよね?


ホントにホントにホントに??


日本企業は技術で勝負するのだ。次のデファクト争いでも、そう、HD-DVDとブルーレイの、その次の争いでも、勝つのも負けるのも日本企業だけ、かもしれない。



だって、日本企業の技術は圧倒的だから!