ブログトップ 記事一覧 ログイン 無料ブログ開設

Chikirinの日記 RSSフィード

2008-05-29 分業と非分業

社会には、「どんどん分業が進むもの」と「どんどん非分業が進むもの」があります。

一般的にビジネスの現場では、どんどん分業が進んでいます。

昔は全部ひとつの会社で作っていたのに、今は液晶はA社、バッテリはB社、プラスティック成形はC社と、全部違うメーカーが作ります。

ひとつの工場の中でも、組み立てる人、塗装する人、検品する人、等に分離され、開発は日本、組み立ては台湾という国際的な分業も多くなっています。


事務職も同じで、昔は総務部が人事も総務も法務も全部担当していたのに、今は人事部、総務部、法務部に分かれ、人事部の中がさらに、採用だけやる人、給与計算だけやる人、労組対策を専門にやる人、と分離してきています。

どんどん分業、ずんずん分業、という感じです。


ところが反対に“家庭”では非分業化が進行しています。

昔は、“家事と育児だけする人=妻”、“稼ぐだけの人=夫”、“勉強だけの人=子供”、“留守番と近所つきあいの担当=おじいちゃん&おばあちゃん”のように、

家族はそれぞれの役割を分業して担当し、各人は一業務専任でした。

ところが今は、夫も妻も両方が働くし、どちらも家事や育児を担当する方向に進んでいます。

家庭では分業をやめる動き(非分業化)が主流となりつつあるのです。


なぜ、ビジネスでは分業が進み、家庭では非分業が進んでいるのでしょう?

理由は「分業体制と生産性」の関係にあります。


効率を上げるためには分業体制が適しているのです。分業すればスキルは高度に専門化して生産性があがります。

料理は妻がずっと作っていた方が美味しいし、洗濯も掃除もたまに夫にやってもらうより妻が自分でやった方が手早く終わらせられます。だから効率や生産性が重要なビジネス現場では分業が進みます。


ところが、効率を追求するとおもしろくなくなります。分業による高効率は楽しくないのです。

「家事と育児だけの毎日」「仕事のみの人生」をつまらないと感じ始める人が増えているから、家庭では分業をやめるところが増えているのです。


実は工場でもセル方式といって、“非分業”を取り入れる流れがあります。

これも、「あまりに分業すると、たとえ仕事であっても従業員がやる気をなくしてしまうから」です。

分業というのは行き過ぎると“歯車感覚”がでてきて、おもしろくなくなるのです。


★★★


ところが、ここに落とし穴があります。

分業でも非分業でも時間は 24時間しかありません。

インプットが変えられないのに非分業体制によって専門性(スキルレベル、生産性)が低下すると、全体として成し遂げられることの量が減ってしまいます。


ビジネスはこれまで「分業化」を推し進めることで成果を拡大してきましたが、家庭に関しては「非分業化」の流れのなかで、達成できる成果がどんどん縮小しているのです。

実は少子化はその結果ではないかと私は思っています。

「非分業化による効率の低下が、家庭全体で達成できる成果の減少」、すなわち“もてる子供数の減少”につながっているのではないかということです。

分業モデル(専業主婦モデル)なら子供を二人もつのは難しくないし、三人もなんとか可能でしょう。

しかし非分業モデル(共働き)では子供一人でも大変です。

二人もつのは相当の覚悟が要り、非分業モデル(共働き)で子供三人は不可能に近いくらい難しいです。


また経済的にも、共働きの方が有利とは限りません。

従来は夫一人が働いて、配偶者、子供、親を全部養っていました。

今は共働きで一見、世帯収入は増えていますが、実質的には豊かになっていないケースもあります。

なぜなら共働きモデルは様々なコストが高いからです。

子供を預けるコスト、料理の中間品を買ったり外食する割高分、親の介護を外部にお願いするコスト、職場の近く住むための家賃の高騰分などが余分にかかります。


さらに(古い考え方が残っている)税金や社会保障に関しても、共働き家庭の負担は専業主婦家庭より重くなっています。

また専業主婦なら子供を一人育てるのも二人育てるのも手間や費用は倍にはなりませんが、共働き家庭が子供をふたり保育園に預ければ費用は必ず倍かかります。


このように“非分業”体制はコスト高であるため、二人分の収入があっても必ずしも常に経済的な余裕が大きいわけでもなく、子供の数が増えるほど分業(専業主婦)モデルの方が有利になってきます。

つまり、分業体制を解消した家庭においては、その非効率さのために時間も家計も余裕がなくなり、そのためにもてる子供の数が少なく抑えられているのではないか、というのが、私の仮説です。


しかもこの傾向はこれからも変わらないでしょう。

家庭は競争ではないので、成果の多さ(経済的ゆとりや子供の多さ)より、生活の楽しさや生き方の好みが優先されるのは当然です。

この点、高度経済成長時代においては、妻が家事・育児一切を引き受け、男性は家のことを忘れて超長時間働くという方式でなければ、テレビや冷蔵庫やエアコンを買うための“昨年よりずっと多い収入”を毎年確保することはできなかった。

だからみんな(ある意味では仕方なく)分業モデルを選択していたし、それが結果として高度経済成長を実現させたのです。

しかし今は、そこまでの働き方をして手に入れたいモノをみんな見いだせません。

超長時間働いて毎年給与を上げるより、家庭と仕事のバランスをとりたいと思い始めています。分業して生産性をあげたいという動機がありません。


では少子化を食い止めるにはどうすればいいのでしょう?

解は「楽しい分業を可能にする」か、「成果の落ちない非分業を目指す」のいずれかです。

「楽しい分業」は核家族では限界があります。

夫婦二人では分業の選択肢は「一人が仕事に専念、もう一人が家事・育児に専念」しかありえません。たまたまニーズの合う男女が結婚する場合のみなりたつ方法です。


もうひとつの「成果の落ちない非分業」はどうでしょう。

こちらは、職住近接、在宅勤務推進、職場での保育園の完備(病児保育含む)、男女とも有給休暇や育児休暇を取得できる環境、安心でおいしい手作りご飯がすぐに手に入る環境、そして子育て費用の支援、などが整えられれば可能になります。


非分業で親がふたりとも働いていても、家事や育児を分担しつつ子供が 2人でも 3人でも育てられるようになれば、子供の数を増やしたい人はたくさんいると思います。

しかしこれを実現するには、男性を含めた企業社会の働き方の変革、様々な家事や子育てのサポートビジネスの普及、公的資金による育児支援などが不可欠です。

実際、フランスなど少子化を克服しつつある国の多くがこのアプローチで成功しているのですから、可能性はあると思います。

また関連のサポートビジネスは新たな内需産業としても、雇用創出の源としても効果が期待できます。


間違えてはならないのは、家庭はもう“分業”の世界には戻らないと理解することです。

保守派のおじさま方の中には「女が働くから子供が少なくなる」「女は家庭に戻って子供を産むべき」という意見もまだ存在しています。これは「分業に戻れ」という意見です。

しかし時代の時計の針を戻すのは不可能です。それを言っている限り少子化は止まりません。

これからは家庭の非分業を前提として、それでも子供が 3人もてるインフラや制度を整えることに力を注ぐしか(子供を増やしたいなら)手は無いのです。


f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium

じゃね!


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2008-05-25 よくできた仕組み

アメリカの大統領選って、よくできた仕組みだよね。

ひとつの党の代表を延々半年も一年も、ずううっっと討論させて選ぶわけですよ。すると、だんだんその候補者が「実はどんな人か?」ということが、わかってくる。数週間の選挙戦ならごまかせることが、数ヶ月、一年近くとなるとごまかせない。

つきあってみて決めるのと、同棲してみて、もしくは、結婚してみてから(??)決める、ってのと同じで。1年もずうううっと衆人監視の中で言動のすべてを報道され、分析されて、候補者が決まっていく。

なかなかよくできたシステムだ。


ようやく皆、わかってきた。


「ヒラリーって、こういうヒトだったんだぁ」って。





ビルが(大きな声では言えないけど)つぶやいていると思う。「ほらね、みんな、わかってくれた?こーゆー女性なわけよ、ヒラリーは」って。



夫しか知らない本性を、全国民にさらして、選ばれるか、選ばれないかを問う。超過酷な戦い。


がんばれ、ヒラリーおばさん、食らいつけ!!


じゃね。(いや、全然応援してないんだけど)

2008-05-24 大学進学費用は誰が払う?

大学の授業料について思うのは、「これ、いつまで親が出すんだろう?」ってこと。おそらく先進国の中で、“親が大学卒業までの全コストを負担するのが当然”というのは現時点では日本だけなんじゃないかな。

大学の授業料レベルは各国様々で、米国の大学の授業料はバカ高い。多くの学生は奨学金と学生ローンの組み合わせで進学する。もちろん親が多くを(授業料だけとか)を出す家もある。欧州は大学は国公立(王立)が多く授業料は無料だったり格安なので、学生はアルバイトをしながら自活するケースが多い。

ただし欧州を“平等な教育制度の国”と呼ぶのはどうかと思う。未だ「階層」意識が根強く残る欧州では、エリート学校(フランスのグランゼコール、イギリスでオックスブリッジに行くのにとても有利なパブリックスクール)は、普通の労働者階級の子供が行く学校ではない。さらに、こういった高校、大学にいかずして社会のリーダーになれる可能性は日米に比べてもとても低い。

授業料は高額だが奨学金制度が充実しており、成績とリーダーシップが卓越していればほぼ確実に丸抱えの奨学金が得られ、社会階層や親の経済力に関わらず一流大学に進学できるアメリカの方がむしろ平等と言えるだろう。


最近日本では「親の経済力が学歴に響く」的な論議が多いけど、この議論の大前提は、「これからもずっと、親が大学教育費を負担する」ということです。でも、ちきりんはこの前提自体が、いつまで続くの?という気がしている。

大学教育費は「入学に必要な学力をつけるための経済力」=入学前経費=塾費用などと「卒業に必要な経済力」=入学後経費=授業料や生活費に分かれるので、とりあえず後者の話から。

★★★

「親が大学教育にかかる費用を払うのはあたりまえ」という感覚は、日本ではとても根強い。「親が子供にしてやれる最大のことは教育をつけてやること」などという言葉も存在する。韓国はもっとすごくて「家族が存在するのは、子供の教育のため」くらいの勢いだ。=子供を小さい頃に英語圏に留学させるため、母親が同行し、父親がソウルでひとりで働いていたりする。

中国も進学率が高まるにつれ、同じようなことが起こっている。今回の地震でも、一部の中学や高校には遠隔地の子供達が集まってきていた。

この「アジアの特徴」は、おそらく儒教系の流れだと思う。科挙を目指して頑張る子供を家族が3回引っ越してでも支援する。親は子供の高等教育のために働き、それこそ全財産をかけて支援する。

が、これは「その代わり、老後は子供が丸抱えする」というのとセットの話だ。儒教の世界では老親の世話を子供がするのは基本中の基本。

人間の一生で大きなお金がかかるのは、育児、不動産取得、老後の3つだ。現在のお金でそれぞれ4千万円くらいはかかる。ところが昔は不動産は高くなかった。みな、その辺の土地の掘っ立て小屋に住んでいた。だから、お金がかかるのは育児(教育)と老後(働けなくなってから死ぬまでの生活費)だった。このふたつを、親が子供の育児費を払い、子供が親の老後費を払う、という形で「時間差交換」を行っていたわけです。

子供が小さい時は、働き盛りの親が子供の経費を払い、子供が成長して働き盛りになれば老いた親の経費を払う、という「助け合い」方式と言ってもいい。

ちなみに“個人自立ルール”の欧米では、どっちも「自分に必要なものは自分で払いましょう」となっている。子供は自分の高等教育費(大学の費用)を自分で借金をして借りて支払い、一方で親は老後資金は自分で貯めておく。

というわけで、今後「親はいつまで子供の教育費を出すのか?」という問いは、今後「子供はいつまで親の老後を養うのか?」という問いに等しい。

だんだん変化があるんでないの?儒教的な家族観(世代で助け合う)が一気に壊れるとは思わないが、「うちは親が出してくれた」「へえ、いいなあ。うちは自分で借りて進学したよ」みたいに、どっちもあり、くらいにはなるんじゃないの?という気がします。

★★★

さて別の話。大学の授業料をあげるという話をちょっと試算してみましょう。試算なので数字は適当です。

たとえば大学の学費が年に100万円だったとする。学生の数はとりあえず100名とおいてみましょう。100万円×100人で1億円の授業料収入があるってことです。

この大学の運営には2億円が必要だとします。授業料だけでは足りないので1億円の「税金」が投入されていると。この税金を国民全体が負担するわけですが、日本全体の家庭数を500家としましょう。各家庭の平均税金負担分は1億円÷500家=20万円ですね。

すなわち、学生をもつ家庭は、100万円の学費を直接的に負担し、20万円の税金分を間接的に負担しているということになります。負担額の総額は120万円です。


さて、学費を倍の200万円に引き上げるという案があったとします。200万円×100人で2億円の収入。増収分の1億円のうち、半分を奨学金として使い、半分を税金穴埋めとして使うことにしたとする。

すると税金の投入額は半額の5000万円となり、一家あたりの税金負担額も半額の10万円となります。

残りの増収分の5000万円は「奨学金」として支給することにします。親の年収が低く、成績が優秀な25名に200万円の授業料を補助できますから、4名に一人は学費がゼロとなります。(差し引き計算で言えば、授業料は75人×200万円で1億5千万円ということでもあります。)

家庭の経済基盤は弱いが子供に学力があるという場合、親の負担は授業料ゼロ、間接的な税金負担の10万円で、合計10万円です。これを新制度とします。


なお、奨学金の返還義務はなしとする案、返還義務ありとする案、お金で返還する必要はないが一定時間のボランティアを代わりに義務づける案(たとえば同じように貧しい家の子供に進学指導するとかね)などがありえます。お金での返還義務に関しては、返還期間を長期に、利子を低めに設定すれば、返還義務なしの場合との間の様々な地点に制度設計が可能です。

★★★

<現行制度>

・授業料は100万円

・税金投入額は1億円(一家20万円)


<新制度>

・授業料は200万円に値上げ

・税金投入額は半分で5000万円(一家10万円)

・25名に奨学金(ローンかも)あり


さて、誰にとってどちらの制度が有利でしょう?各家庭を、「経済的余裕あり」と「経済的余裕無し」の家にわけ、それぞれを「成績の良い子供がいる」「成績の悪い子供がいる」「子供はいない」の6個に分けてみましょう。

「経済的に余裕があり、子供がいる場合」、子供の成績にかかわらず今の制度の方が圧倒的に有利です。彼らは奨学金はもらえませんから授業料は確実に2倍になります。

「経済的に余裕があり、子供がいない場合」は、値上げしてくれた方が有利です。税金の負担が減りますからね。

「経済的に余裕がなく、子供が賢い場合」、この人達のために新制度はあるようなもんです。今だと進学をあきらめていた子供も、新制度なら進学が可能になるかもしれません。新制度大賛成です。

「経済的に余裕が無く、子供の成績が悪い場合」、現行制度の方がましです。新制度では、子供は進学をあきらめざるをえないかも、です。

「経済的に余裕がなく、子供がいない家」、授業料値上げの方が負担が減ります。

★★★

まとめると、この授業料の値上げ+奨学金という新制度は、

(1)子供がいる家では、「貧乏だが、子供はとても優秀なんだよね」という場合、子供の進学が非常に容易くなる。今までは進学断念、という場合でも進学の道が開けるかもしれない。一方で「経済的に余裕のある家」の負担は急増する。また、「貧乏で子供の成績がよくない場合」は進学はあきらめようということになるかもしれない。

(2)子供のない家の場合は、すべて負担が減ります。


お金の流れとしては、

「経済的に余裕のある家で子供がいる家」からむしり取ったお金を、「子供がいない家」と「貧乏で優秀な子供のいる家」に振り分ける、という流れです。


大学にいける人が変わる、という効果もある。今までは「経済力の有無」で進学できるかどうかが決まっていたが、新制度では「子供の成績がよいかどうか」ということでも、一部、進学できるかどうかが決まり始める。

ってかんじかな。

★★★

ちきりんは“全体に安い授業料を国民皆で支える制度”より、“授業料は高いが、成績優秀者に奨学金やローンが可能な制度”の方がいいと思ってます。

教育にもっと公的資金入れるべきだとは思ってますが、それは義務教育の方にいれた方がいいと思っています。(給食費とか教材費、修学旅行費とかを親からとるべきでないとも思います。)

欧州のような「一部エリート校は別扱い」で、「大衆大学は誰でも入れますよ。授業料無料です!」というのは、あまり好きではないです。「人にはそれぞれ分にあった“クラス”というものがある」という欧州的価値観に違和感があるんで、ちょっと支持しがたい。


あと、「大学に入るための教育費」、つまり、塾とかのお金が払えないから、親が貧乏だといい大学に入れない、という話だけど、これはちきりんは今後はあんまり問題なくなる、と思ってます。

そもそも大学に入学するのは圧倒的に容易くなる。受験地獄などと言われたのは今昔。すでに全入時代です。塾にいかないと「私立一貫校」には行けないだろうが、国立大学なら努力と能力しだいでしょう。

なので奨学金制度さえしっかりしてれば大学の授業料なんてもっと高くていいと思うのだが(その方が、大学の研究費とかも潤沢に確保できるし)、

そんなことより、

高校卒業までの全経費を税金で出すべきだと思う。高校の授業料はもちろん、そこまでの弁当代も含めて全部、です。生活保護の家でも、児童福祉施設で育った子でも、高校卒業までは一円もお金を持って行かなくて済むようにすべきだ。

弁当がもっていけないから悲しくて不登校になる貧しい家の子供、「親もいないのに義務教育でもない高校に行きたいなんて贅沢だ」などと言われる施設の子供ってのが一番無くすべき(助けるべき)対象だと思う。

18才まではしっかり国が教育を提供する。親には一切負担をかけない。そして18を超えたら、必要なお金を子供本人がその能力と努力によって調達できるような仕組みを整える。

これが一番いーんでないの?と、ちきりんは思うです。


そんじゃね。

2008-05-23 効率の世界から効果の世界へ

これから日本全体が変わっていかなければならない方向性を一言で言えば、「効率の世界から効果の世界へ」の転換だと、ちきりんは考えています。

効率とは“単位時間当たり、できるだけ多くのモノを作ること”であり、サービスの場合は“単位時間当たり、できるだけ多くの量をさばくこと”です。


“効率的な人”とは1時間に1つではなく10個の案件を処理できる人で、“効率的な工場”とは、1時間に100個ではなく1000個の商品を作る工場です。ビジネスにおいて効率の高さはコスト競争力に直結します。

一方の効果は全く違う概念です。iPodやyoutubeのような商品、サービスを生み出すのは、効率ではなく効果側の話です。“早く大量に”ではなく、“新たに独自の価値があるものを生み出す”のが効果です。


戦後日本の産業界は、その効率の高さで世界の頂点をめざしました。圧倒的に歩留まりが高く、生産性の高い工場が生み出す商品が世界中を席巻し、日本の通貨は世界で通用する価値をもつに至ったのです。

効率の世界のキーワードは“画一性”です。足並み一つずれることなく同じように動けるロボットのような人間、同じモノを見れば全く同じコトを考える人間、が効率性追求のためには必要です。


多くの人が感覚的、経験的に「いろんな人がいるとややこしい」ことを知っています。多様な人がいると、“あうん”の呼吸が通じず、お互いを理解するにも時間がかかります。何をやるにも「なぜそう思うの?」と問う必要があります。多様性は効率化の邪魔になるのです。

日本が効率で世界トップになれた背景には、もともと民族や言語の画一性が高いという特徴と、中央集権的な体制の下、全国に同質的な教育を広めることに成功したことがあります。

それに加え、さらに高効率を目指すために「他人と違うのはよくないことだ」「皆と同じように考え、皆と同じように行動するべきだ」というプレッシャーが、あちこちの環境でかけられていきました。

★★★


しかし高効率だけを追求する世界は、生身の人間にとって必ずしも楽しい世界ではありません。人は食べるに困らなくなれば“効率は悪くても楽しい世界”を求めるようになります。

実際、高度経済成長が一定の水準に達したバブル期には、日本の独自文化を求める機運が高まりました。けれどその萌芽はバブル崩壊後「そんなふわふわしたことを言っていてはだめ」という形で否定され、舞台から姿を消しました。そのため日本での独自性の発露は、サブカルチャーとなり、“マイナー層の趣味”として扱われることになります。


アニメもキャラクターもジャパンポップも世界で話題になり、“ポケモン”や“キティちゃん”などその一部はビジネスとしても大成功しているにも関わらず、相変わらず日本の経済を牽引する“経団連企業”のお歴々は、単純労働を担う移民政策の実施を求めるなど、未だに“効率で勝つ”ための方法ばかりを考えています。

大企業の多くは“世界で差別化できる付加価値の高い商品を開発したい”と口ではいいながら、“他人と異なる考え”“一般的でないキャリアを積んできた人”を組織から排除するという矛盾に満ちた行動をとっているのです。

その一方で、画一的な組織に馴染めない人達が、世界に通用するかもしれないアイデアを“仲間内の楽しみ”として自分達だけで消費しているのは本当にもったいない限りです。


企業が、本当に“付加価値の高い商品やサービス”を開発したいなら、追求すべきは効率ではなく効果です。そして、効果のキーワードは“多様性”です。

男性だけでなく女性、中高年だけでなくシニアや若手、サラリーマンだけではなく、回り道をした人や経済活動をしてこなかった人(主婦など)、健常な人だけでなく、様々なハンディを背負った人、人生には仕事しかないという人だけでなく、仕事以外に優先順位をもつ人、ずっと日本で育った人だけでなく、いろんな国で育った人。

そういう多様な人の考えががぶつかり合うところにこそ「新しい考え方」が醸成され、「新しいコンセプト」が生まれます。これは効率のために画一性を求める世界とは180度異なります。

★★★


さらに言えば、画一的なものを求めているのは企業だけではありません。世界一品質に厳しいと言われる日本の消費者もまた、非常に強く“画一性”を求めています。

1円安い食品を求めていくつものスーパーをはしごする主婦は、その行動によって自分の夫の給与が上がること、自分の息子が派遣社員から正社員になれることを邪魔しています。


誰も彼もがサービスの質や品揃えの在り方や商品のディスプレイには目もくれず、“価格”だけでモノを選ぶようになるならば、企業側がその裏返しである“コスト”だけを追求するようになるのは当然の帰結です。

需要者が虫食いのあるキャベツも曲がったキュウリも買わないというなら、業者側は、農薬がたっぷり付着し、遺伝子が操作された“効率よく作られた野菜”を店頭に並べようとするでしょう。

自分の子供が他の家の子と少しでも同じでないと不安だというなら、学校側は地域や子供の特性や個性に関わらず、画一的な教育を提供しようとするのです。


世界のルールを変えるのは“供給側”ではなく“需要側”です。多様性に価値をおく“独自の視点で商品やサービスを選ぶ需要者”の存在があってこそ、企業も国も様々なもの、他者とは違うものを提供しようと考えるのです。

「他人と同じでないことを怖がらないこと。寧ろ楽しむこと。それを需要者として消費行動に反映させること」、これが、新たな価値を創造する、“効果の世界”への第一歩です。


それでもこの国では、「他と区別もつかないほどに綺麗に揃ったもの」が大好きな人がたくさんいます。彼らの力はまだまだ相当に強固です。しかも企業は長らく効率でしか勝負をしてきておらず、多様性を組織に取り組むことに非常に慎重です。

これをいったいどう変えていくのか、が、この国の次の10年の課題であると思います。


そんじゃーね

2008-05-22 大半の保険は不要

最近、保険のテレビ広告があまりにもひどい。

まず最初から「いくら払えますか?」「毎月お手軽な負担で!」「これなら毎月○万円だけ」というタイプの営業トーク。これ、変でしょ。

たとえば車を買いに行って、「ローンはおいくら払えますか?毎月○万円ですか。だったらランドクルーザーですね」っていう展開にはなりませんよね。払えるからといって要らないもの、無用に高級なものを買うのは単なる無駄です。


また、高齢化社会につけこんで「60才からでも入れます。」「持病があっても入れます。」という言葉も意味不明です。

保険に「入れる」のと、「イザというときに保険金が払ってもらえる」というのは別の話です。たとえば「持病があっても入れる保険」の意味は、「その持病の悪化による入院や手術の費用にたいして保険金が払われる」という意味ではありません。

これまで病歴がある人は保険に加入できない場合が多かったので、その弱みにつけこんで「入れる!入れる!」と連呼するのはいかがなものかと思います。


「入院一日5000円保障」などという場合も、「ただし○○の場合のみ」という支払い条件が山ほどついていて、実際に払ってもらえるケースが非常に限定的な場合もあります。

しかもそれらの条件は、ものすごく小さな字で「約款」に書いてあり、その「約款」は加入前には客に渡さない、という保険会社さえあるのです。支払い条件も知らせずに「入院1日5000円」というのは、おかしくないですか?


最近、週刊誌等の「家計防衛記事」の多くが「保険を見直そう」と書いています。もちろんそうなのですが、ちきりんにいわせれば、そもそも大半の保険は「不要」です。

★★★

ちきりんが思う保険の必要性は下記の通り。

なお、自動車保険と火災保険は別です。また事業上の保険はカバーしていません。個人の保険の話です。


(1)単身者、ディンクス夫婦、引退後で勤労収入のない人、子供は保険に入る必要はありません。

また、子供のいる働き手の人でも、公務員や大企業のサラリーマンについては、おそらく個人で民間の保険に入る必要はないです。会社が掛けている団体保険でかなりの保障があるし、病欠中の所得保障制度がある場合も多いです。加えて遺族年金など公的な保険も手厚いです。

なので民間の保険に入る必要があるのは、

・扶養家族がいる自営業、中小企業勤務等の人と

・ 育児・介護の主担当の人

だけです。


(2)必要な保険は、「定期保険」だけです。

定期保険とは、掛け捨ての保険料を払って、死亡保障を、一定期間(5年とか10年など)つける保険です。これだけで十分です。

必要額は、「毎年の必要額×扶養必要期間」ですから、年300万円の生活費で子供が成人するまで20年なら、合計で6000万円の保障が必要です。加入時年齢によりますが、月の保険料は2万円弱くらいです。

年300万円の生活費は少なく見えるかもしれませんが、遺族年金が年に100〜200万円あり、住宅ローンは別の保険がかけてあって、働き手が死亡した場合ローンを返す必要はなくなるのが通常です。

また、子供が成長したらどんどん必要額が小さくなるので、5年ごとくらいに保険の一部解約を行い、保障額を切り下げていくべきです。(当然保険料も下がります。)


必要な保険については以上です。

★★★

終身保険なんて今から入るのは無意味です。(ただし、かなり前に入った終身保険は解約しないほうがいい場合があります。)

入院保険も不要でしょう。保険より万が一のための貯金を一定額しておいた方がよいです。

例えば、妻の入院保険は夫が入院しても払われないし、夫の入院保険は妻が入院してもでません。しかし貯金で備えておけば一人分の入院費だけ貯めておけばいいです。ふたりとも同時に入院する可能性は低いでしょ。

それに入院期間はどんどん短くなってます。“入院日数”に支払い額が比例する保険は必ずしも加入者に有利ではありません。

ガン保険、婦人病保険等、病気を限定する保険もばかげています。お金で貯金しておけば、どんな病気の場合でも使うことができます。使途を限定すればするほど保険金は支払われにくくなります。ガンは“有名”ですが、他の病気で治療費が高額になる疾病はいくらでもあります。

また貯金なら治療費以外にも流用できます。たとえばうつ病で働けなくなった場合、ガン保険はもちろん、うつ病では入院より“投薬・カウンセリング“治療が中心なので、入院保険も全く役に立ちませんが、保険料分を貯金しておいたら治療中の生活費に充当できます。

一生懸命保険料を払って、ほんとうにお金が必要な時に手元にお金がなく「あの保険料を残して貯めていたら・・」と思うのは全くばからしいものです。


保険は統計的に計算された商品です。また、加入者が払う保険料には、保険会社の経費(人件費、CM代その他の経費)がきちんと上乗せされています。その部分も実はバカにならないほど高いです。高給とりの社員が山ほどいる大手有名保険会社の保険を購入することは、「ブランドもの」を買うのと同じような「プレミアム」を払うことを意味しています。


また、保険料を払ってもらう時の申請というのは、本当に面倒でしかもお金が手に入るまでかなりのタイムラグがあります。

入院施設のある複数の医師のいる中堅以上の病院の場合、保険金請求に必要な「治療記録」を書いてもらうのに 3千円から 5千円の手数料がかかる場合が多く、しかも依頼してから書いてもらえるまでに 2週間以上かかったりします。(当然です。医者はこんな書類を作成することを、患者の治療より優先したりはしませんから)

書類を受け取りに行くための交通費や時間だって馬鹿になりません。そんな額の手数料を払って「入院一日目から支払われる保険」を受け取るとか、コスパ意識なさすぎです。

加えて保険金不払いやら、極めつけは保険会社の“破綻”の可能性まである・・・こうなってくると、そこまでして保険に入る意味があるの?って感じになります。すべてにおいて「万能」のキャッシュを手元に残す方が賢いのです。


傷害保険もばかげた商品です。治療期間が短いケガには支払われる保険金は多額にはなりえません。また、ケガで料理ができなくなって外食が増えるとか、自転車に乗れなくなってタクシーを使うことになっても、そんな(治療に無関係な)負担増をカバーしてくれる保険はほとんどありません。ケガに備えるなら、普通に貯金をしておくほうが使いやすいのです。

加えて、大けがをして障害が残る可能性を考えた時にもっとも意味があるのは民間保険ではなく、公的な健康保険と公的年金にきちんと入っておくことです。そうすれば一生続く障害者年金がもらえます。

あと、ほぼすべての貯蓄抱き合わせ保険(年金払い積み立てなんとか等)はこの低金利時代にはとても無駄です。


んじゃね

2008-05-21 消費税が逆進的って嘘だと思う

消費税増税が議論されています。

日本は歳出の半分しか税収でまかなえていないので、どこかの段階で大幅な増税が必要になることは間違いありません。

そして、日本の各種税金の税収に占める割合(右側半分ほどが税収。左側は借金)はこうなってるんですが、

f:id:Chikirin:20151125201411j:image:w500

(単位:億円、出典資料


これをみてわかるのは、「細かい税金をいじっても根本解決にはならない」ということです。

増税というと健康によくないたばこ税や、お金持ちから徴収すべきと言う意味で相続税などが真っ先に槍玉にあがります。

けれどそれら周辺的な税では、税率を倍にしても全体への増収効果は限定的です。

相続税やたばこ税を上げろという意見は、財政改善策ではなく「特定の思想の実現策」に過ぎません。


財政再建のために必要なのは、そんなインパクトの小さい増税ではなく、基幹税である「法人税」、「所得税」、「消費税」のいずれかを“どどん”と倍にするくらいに増収できる方策です。

現在この 3つの税収はそれぞれ 10兆円程度ですが、この中で「税率を倍に上げることで税収を倍にする」ことが可能なのは、消費税しかありません。


法人税は企業から、所得税は労働者から、そして消費税は消費者から徴収する税金ですが、このうち、最も「逃げるのが容易い」のは企業です。

法人税を倍にしたら外資系はもちろん、さすがの日本企業も本社の移転を真剣に考えるでしょう。

所得税を倍にした場合も、所得の高い企業経営者や、外資系企業の社員、海外に拠点をもつ大企業の社員は、所属籍が香港やシンガポールに変更され、日本には出張ベースでやってきて仕事をするという形になるかもしれません。

「倍」ってすごいインパクトですからね。


ところが消費税の場合、倍の 10%にしたくらいでは、海に囲まれた日本で「消費が海外に移る」ことは考えられません。

アメリカとカナダの国境近くの街では、消費税や薬価の違いによって買い物ツアーが生じ、消費が移動しますが、

たかだか 5%ほどの違いのために日本からアジア諸国に日常の買いものに行くのは、コストが高すぎるますからね。

しかも消費税の場合、日本人以外の人(海外から来た観光客や留学生)も消費するたびに税金を払ってくれます。

人口が減る日本で所得税を増やすのは大変ですが、消費税なら日本人が増えなくても、税金が増やせる。


このように、法人税、所得税、消費税という基幹税の中で、財政赤字を解消するために重要かつ現実的なのは、消費税(増税)だけなんです。


★★★


消費税増税に反対する人が常に掲げる理由は、「消費税は逆進性が高い」というものです。「消費税は金持ち優遇だ。貧乏人ほど負担が大きい」と彼らは批判します。

けれど私は、これも「本当にそうなの?」と疑っています。


お金持ちにも企業にも、所得税や法人税に関しては様々な「節税対策」が存在しており、所得の多い人ほど、そういう策を(合法的に)駆使しています。

けれど、裕福な人がクルーズ旅行をしたり、数百万円もする高価な宝石付きの腕時計を買ったり、一人数万円もの食事を家族全員で楽しんだりしたとき、消費税を節税できる合法的な策はほとんどありません。

贅沢な消費をすれば、みんなちゃんと消費税をどっさり払うことになるんです。

節税策の多い所得税と法人税とは異なり、30万円のコートを買ってその消費税をごまかせる個人は存在しないってことです。


同様に、大企業も法人税はあの手この手で節税できますが、豪華なオフィスの施設費用や業務経費に掛かる消費税を「節税」する方法はほとんどありません。

所得税は、配当や貯金で暮らす富裕層の高齢者より、必死で働いている庶民の方が多く支払っている場合も多いし、法人税についても、誰もが知る大企業がほとんど払っていない、という場合もあります。

けれど消費税は、まず間違いなくお金持ちの方が貧乏人よりたくさん払います。拠点も社員数も多い大企業も、その経費の大半について、消費税を払わされます。

この意味で、「消費税の逆進性が高い」というのが、私には嘘に見えます。「消費税は貧乏人に不利で金持ちに有利だ」というのは、教科書的な理論にすぎません。


★★★


しかもこれからは高齢化に伴い働く人がどんどん減っていくのだから、働く人から徴収する税金(所得税、法人税)より、働いてなくてもお金のある人からはちゃんと徴収できる消費税の重要性は益々高まります。

だって高度成長期に働き終え、既に十分な資産を形成した高齢者は、消費税がゼロだったら、定年と同時になんの税金も払わなくてよくなるんですよ? 

引退した売れっ子芸能人や作家、スポーツ選手も、働くのを止めて「悠々自適」な生活を始めた時点で、払う必要があるのは消費税だけです。


大企業や公務員組織を退職して多額の退職金を受け取って引退した人

田んぼをコンビニやパチンコ店に売って数千万円の貯金がある元農家、

自営業でそこそこ成功して小金を貯めた中小企業のオーナーや

芸能人、作家、プロスポーツ選手などとして人気がでて多額の資産を持っている人


こういう人が引退後に払うのは、基本的に消費税だけです。


しかもそういう人の中には、(自営業だったので国民年金しか貰っておらず)年金額が月数万円とごく僅かな人も多いんですよね。

多くの人は「低年金の高齢者」、「低所得の高齢者」と聞くと、貧しい人をイメージしますが、実際には、低年金・低所得で大金持ち、という高齢者がたくさんいるんです。

日本は福祉大国なので、こういった低年金の高齢者には、多彩な福祉サービスが提供されています。(医療費負担をゼロにする補助やバス代無料などね)


それなのに、彼らが引退後に払うのは消費税だけ。

なのに消費税を低く抑えるってどうなの?


ここを増税しないで、どーするの? 

日本の貯金の半分以上は高齢者が持ってるんだよ?


★★★


そもそも欧州の消費税は 20%から 25%、福祉大国を嫌い、自己責任が大好きなアメリカでさえ、大半の州の消費税は 10%前後です。

よほどの高度成長が続き、人口が増え続けている途上国以外は、そういうレベルの課税が必要になるんです。


消費税を上げると貧しい人が困るとか、高齢者にも貧しい人がいるという理由で、消費税増税に反対するのもおかしいです。

「貧しい人が困るから消費税を上げるべきでない=お金持ちからも税金を取らなくてよい」ではなく、

消費税を上げて税金をしっかり徴収し、そのお金で貧しい人を助ける、というのが、国が果たすべき再配分の姿です。


もし反対が多くて消費税増税ができず、税収が足りなくなれば、政府は行政サービスや福祉のレベルを切り下げてきます。

それで困るのは、金持ちではなく貧乏な人なんですよ。


これに限らず、弱者自身が“弱者に有利な制度”に反対して潰してしまう例は他にもあります。

解雇規制の撤廃は、今、失業している人や年収の低い人には有利に働きます。解雇規制の撤廃が最も怖いのは、現在の給与が高い人なのです。なのに必ずしも年収が高くない人にも、解雇規制撤廃に反対する人が多いのはよく理解できません。

国民統一番号制度の導入も同じです。仮名口座で脱税しているお金持ちや、献金を受け取っている政治家にとっては、この制度の導入は身も凍るほどの恐怖でしょう。

これは、金持ちの脱税資金に課税できる、一般庶民には有利な制度なのです。なのに、資産もたいして持たない人が「管理社会、絶対反対!」などという理由で反対するのは全く意味不明です。

「何が自分たちの得になるのか」、教科書的な知識ではなく、現実に即して、合理的、実利的に考えるべきではないでしょうか?


f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium

 そんじゃ


http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2008-05-19 食べることは生きること

この 4月から 40 〜 75 才の人のお腹周り計測が健康診断に取り入れられたこともあり、最近は「メタボ」という言葉をやたらと目にします。「男性の腹囲 80センチ」では、相当数の人がひっかかりそう。


さて、内臓脂肪蓄積を含めたこの“太る”という現象は、白髪や老眼とともに、加齢に伴う最もポピュラーな身体の変化のひとつです。

加齢により体はあちこち変わってきます。体力、運動能力の大半が衰えるし、消化能力(焼肉が食べたくなくなる)、呼吸器の能力、脳力等、すべて衰えはじめます。

もちろん人間の体は“鍛える”ことができるので、一定範囲で加齢に対抗することは可能だけど、最終的には誰しもこの“自然の力”に逆らうことはできません。


★★★


若い時には「いくら食べても太らない」といった人まで含めて太り始めるのは、だいたいが 35才すぎです。個人差があるので、数年早い人遅い人はありますが、ほぼ皆このあたりで「いったんは」太り始めます。

この時期の太り方の特徴は、「何も生活を変えていないのに」太り始めるということです。

若い時に太るのには、それなりに理由があります。一人暮らしを始めたとか、就職したとか、スポーツをやめたとか、結婚したとかですね。

ところがこの時期(35才)は皆それとは違う経験をします。食べる量も今までと同じだし、運動量も昔と同じ。な・の・に、体重が増え始めるんです。


若い頃から好きに食べ、特に運動らしいこともしていない人には、「オレは太らない体質なんだ」と思ってる人がたくさんいます。でも・・それは大きな誤解です。35才あたりを境にして、今までと全く同じ生活をしていても、太り始めます。


なんでか?


体がピークアウトしたからです。人間は生まれてから右肩上がりに成長し、ピークアウトして死に向かう。体がその頂点を超えた、ということですね。

その年齢までは、生活のためのエネルギーに加え、体や脳の“成長のためのエネルギー”が必要だったのに、それがある時点で不要になる。「お前はもう成長なんてしなくていい」と神から宣告される年齢がくるんです。

すると摂取量が今までと同じでも、余分なエネルギーが発生し、それが蓄積されて太り始める。成長のためのエネルギーはもう不要で、生活するエネルギーだけを摂取すれば足りるようになる。

20代の方には全然わからない、「ふううん」なトピックかもしれません。でも、その年齢になれば絶対わかるから、覚えておいて損はないです。


★★★

さて上記で“いったんは”太り始める、と書きました。どういうことかというと、この後は、「太るのが止まる人」と「太り続ける人」に分かれるからです。

この時点で、やばいと思って手を打つ人と、やばいやばいといいながら手を打たない人に分かれます。(ここは性差があって、女性には手を打つ人が多いです。)


この「手を打つ」という作業がまたややこしいんだよね。それは若い時の「ダイエット」とはちょっと違うんです。

若い時は「食べ過ぎて太る」のだから、食べすぎをやめればやせます。「太る」のは「食べ過ぎ」という一時的な原因から起こっているので、それをやめれば元に戻ります。

一方加齢により太り始めるのは、一時的な状態ではありません。必要なエネルギーの量自体が減りはじめたのです。

だからこの年齢で太りはじめたら「食べる量を減らし、それを今後ずっと死ぬまで減らしたままにする」という対策が必要になります。

しかも、必要エネルギーは 35才で減ってそれで終わりではなく、40才でまた減り、45才でまたもう一段減るというように・・・ピークを越えたら、死ぬまで毎年少しずつ必要なエネルギーは減っていくわけです。

つまりこの年齢からのダイエットとは「ちょっと頑張る」という話ではなく、「生活を変えていく」という長丁場の作業になるんです。


これはとても難しいです。「食べすぎをやめてやせる」という方法ではコントロールできず、「普通に食べてて太る」わけだから、「普通以下にしか食べないという努力が必要」です。

しかも必要エネルギーは“どんどん”減っていくから、食べる量もいつも以下に減らした上に、さらに毎年減らしていく必要がある。そしてそれでも「太るのがとまる」だけで、やせたりはしない。


つらい作業でしょー。


好きな甘いモノ(でも、お酒でもいいけど)、「ダイエットだから1ヶ月食べない」ことは比較的楽にできるけど、「必要エネルギーが減ったから、もう一生食べない(飲まない)」と決めるのは大きな決断です。

しかも、毎年どんどん止めなければならないものが増えていくわけで、「え〜、それじゃあ、なんのために生きてるの??」とも思う。

その上、いくら節制していても 50才とか 60才で何か病気が見つかればその時点で「○○は食べてはいけません」と言われてしまったりする。


んなあほらしい!


と思う人がいて当然です。


なので、ちきりんは必ずしも全員が太らないように「好きなモノを我慢して食べない」という生活をするべきだとは思っていません。


何をいいたいか。

35才くらいから太り始めたら、それぞれ自分で「何をどう食べて生きていきたいか」を考えるべき、ってことです。

この年齢からの体重増加は、一時的なダイエットでは解決できません。好きなモノでもカロリーが高いものは我慢するのがダイエットの王道だけど、これをやると「一生好きなものを楽しめない」という生活に入ってしまいます。

だから、そうではなく「これを食べるのは私の生き甲斐!」と思えるものと、「どうでもいいもの」にわけて考えるべきだと思うんです。


カロリーが高かろうが低かろうが、大好きなものは食べた方がいい。胃腸系の病気になって食べたいものが自由に食べられなくなった人を身近にみれば、みな同じ気持ちになると思います。我慢なんてしてる場合じゃない!と痛感します。

一方で、「どうでもいいもの」でカロリーの高いモノを食べるのは、やめたほうがいい。そういうエネルギーを受け入れる余裕は 35才以下の人しか持ち合わせていないんです。


どうでもいいものって?


たとえば、ちきりんにとっては菓子パンとかです。特に美味しいとも思わないし、食べたいとも思わない。でもびっくりするほどカロリーが高い。小腹が好いたときにお手軽なのですぐコンビニで買いそうになるのだけど、これはもうやめました。

仕事中の缶コーヒーやジュースも止めました。それらをお茶に変えても、そんなに不便でも不快でもない。でも一日で結構なカロリーです。だったらやめよう、という感じ。

一方で、銀シャリやら雑炊、豆ご飯、お餅などのご飯系や、ご飯とお酒が美味しく食べられる和風、アジア風のおかず料理の数々は、気にせず食べてます。

友達と飲みに行ったり食べにいくのも楽しいし、小豆系の甘味(粒あん系大福とか)も、これを食べずしてなんのために働く?って感じです。


もちろん、ダイエットは自分でやればいい話なので、他人が食べてるものを指して、「そんなもの体に悪い」とか「そんなの食べたら太る」とか言うべきではありません。太るもやせるも自己責任。好きにすればいいとは思います。「飲み過ぎるな」とかも同じ。大きなお世話です。

35才から太りはじめましたって時に、なにか対策をとるか、気にせず楽しく太っていくか、もし何か方策をとるとしたらどういう手をとるか、ってのは、その人の「生き方」なんだから、他人の生き方に余計な説教は不要です。


楽しく食べて、楽しく生きよましょう。美味しくものが食べられるということは、それだけでどれだけ幸せなことか、心から感謝しつつ。


そんじゃーね

2008-05-18 世界と反対方向に走る私たち

外国法人によるJパワー株式の取得制限の話。呆れて声もでないです。ちきりんが「株式を買われて困るなら、株式を公開するな」と書いたのはすでに3年以上も前です。

私は外国人に電源開発(Jパワー)が買われてもいいと言っているわけではありません。それはどっちでもいいです。エネルギー専門家でも国防関係者でも、誰かが決めてください。

問題は、特定の客にしか売らない商品を、誰でもどうぞ!と店頭に並べることの不誠実さです。

客がその商品を気に入り、レジに持って行ってカネを払う段になっていきなり「あなたは日本人じゃないから、この商品は売れない」と言い出す。これはいくらなんでも失礼でしょ?

そんな店に客が来たいと思う?


しかも、その店はここ何年も「国際的に負けない市場になりたい。アジアの各国市場にさえ負けそうな我が国の株式取引市場を国際化し、活性化したい。世界中から客が来てくれる取引所になるのが目標だ!」と言い続けてきたというのに。


なんじゃそれ?


客が商品をレジに持ってきてから、ぐだぐだ言うのはマジでやめた方がいいです。詐欺みたいな商売を国がやっていては、さすがにやばいでしょ。


★★★


ところでこの投資の話と、昨日の移民の話は、とってもよく似てる。

日本は、「海外からの投資を呼び込みたい」と口でいいながら、実際には、海外の人には売らない商品をこれ見よがしにガラス棚に並べる変わった国です。

世界中が、オイルマネー、ロシアマネーを蓄えた大金持ちを自分の店にいかに呼び込むか、必死で知恵を絞っているっていうのに、日本は必死でそういうお金が自分ちの店に入ってくるのを阻止しようとしている。

かなり変わってます。


移民も同じ。

世界は今、「ハイエンド移民」の取り合い合戦を始めている。一番成功しているのはシリコンバレー。世界中から「最高の頭脳」と「圧倒的なリーダーシップ」のある人材を呼び込むことに成功している。

超エグエグ国策国家のシンガポールも、技術、金融、ビジネスなどの一定分野で修士・博士の学歴をもち、英語で仕事ができる人には自動的に労働・滞在ビザを出すような移民政策を開始した。

高齢化が進む自国民の老後の介護要員として、質の高いフィリピン人を確保するために、医師、薬剤師、介護士等々の資格をもつフィリピン人の移民認定に積極的に乗り出し優遇策を打ち出す先進国も現れてる。

世界は「高い頭脳と専門的技能をもつ移民の取り合い」を行っており、あの手この手でそういったハイエンド移民の取り込みを画策している。


で、日本は?

「工場で文句も言わず、労働基準法以下の条件でも働く単純労働者移民を入れてくれ!」と経団連は言う。


ため息が出るよね。


世界がほしがっている移民とは全く違う移民を日本は受け入れたいってことらしい。世界が必死になって集めている移民を日本はほしいと全く思ってないらしい。



あまりにも世界と違う、私たちの国にっぽん。

世界中が目の色を変えて取り合っている国際資本と世界の頭脳を、門前払いする国にっぽん。

日本の人口はどんどん増え続けており、日本の教育技術レベルは世界一だから、他国から人を集める必要もお金を集める必要も全然ないの? そうなの? ほんとに??


f:id:Chikirin:20150810175729j:image:medium

この国は・・・ご飯が美味しいことだけが、救いである。



http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+personal/  http://d.hatena.ne.jp/Chikirin+shop/

2008-05-17 経団連の攻防 “移民編”

前に、「日本の今後数十年のキーワードは高齢化を含む人口減少だ」と書きました。その絡みで移民政策についても何度か積極的なことを書きました。

移民については賛否両論が大きく分かれ、友達からも「あれについては自分は意見が違う」と何度か言われました。

なんだけど、もう「移民に反対」なんて議論は成り立たないだろうと、ちきりんは思ってるんだよね。ノーチョイス。移民なしでは成り立たないっす、私たちの国は。

議論の対象になるのは「いつ」とか「どう」とか「どのレベル(の人数)で」とかだけなんじゃないかな。


なんだけど、この話は今日は省略。今日の本題は、この「移民が必要」という話が、最近は別の方向から出てき始めたなあ、ってことについて。

★★★


今までは、移民が必要という議論は主に、

(1)人口の減少による経済規模の縮小、活力減少問題

(2)高齢者介護と医療の担い手不足問題

という2面からでてきていました。


でもこの二つの理由、あんまり「パワーがない」のよね。だから話が進まない。

だって(1)はマクロには問題だけど、ミクロにはかなりどーでもいい。

少々経済が不活性化したって、日本の今の経済レベルからすればせいぜい「海外旅行はできなくなります」とか「ブランド品は買えなくなります」とか「節約して暮らしましょう」くらいな話だろうと皆が思ってる。

マクロ的には、世界第2位の経済規模が15位になることは大問題かもしれないけど、個々人のレベルではそんなことが「心配で眠れない!」ってな人はいないよね。


(2)についても、問題が顕在化するのが、まだ先、なんです。

今、介護が必要とされてる世代はちゃんと子供を3人生んでいる。だから介護してくれる人がちゃんといる。だから現時点では、孤独死が増えてきましたね、という程度ですんでるんです。大半の人たちには危機感が感じられない。

子供を一人、もしくはゼロしかもたない人の多い世代が老後を迎えるのは、まだ早くて30年後なので、危機感が醸成されないんです。人間は30年も先のことを考えて心配で眠れない、というふうにはできてませんから。


ところが!


ここんとこ、「パワフルな理由」がでてきました。移民政策を一気に進展させる可能性のある超パワフルな理由。


日本でパワフルな理由と言えば?


そう、


泣く子も黙る経団連!



彼らが「工場で(安い賃金で)働く(元気で病気をしない若い)人間が必要だから、移民を入れろ」と言い出したのです。


これは強力ですよ。すごい強力。なんたって、今や日本で強力なパワーと言えば道路族と経団連だけですからね。


★★★

豊かになった日本には、安い賃金で文句も言わず、厳しい製造現場で働こうという若者が不足してる。日系移民も数に限界がある。なのでいよいよ「日系ではない移民もそろそろ入れてくれ!」と経団連が言い出した。

移民なんていれたら、失業してるフリーター日本人はよけい職がないって?

ヨーロッパと同じですよ。移民がやるだろう仕事、経団連が移民にやらせたい仕事と、日本のフリーターがやりたい仕事は全然ちがう。


経団連って、ホントに笑える。地方議員や道路族と同じくらいやることがわかりやすい。ストレートなんだよね。子供みたいだ。

あれがほしい、これがほしいと自分が欲しいものを、周りを頓着せずに主張する。なんの捻りも建前もない。

ほんとに時代遅れでうざい団体だよ。


そんじゃあね!

2008-05-16 ふたつの議論の方法

“議論の方法”には、全く異なるふたつの方法があります。ひとつは、「合意点を探るための議論方法」、もうひとつは、「自分と相手の主張の差を明確にするための議論方法」です。

共同で事業を運営している仲間との議論であれば、その大半が最初のタイプの議論となるでしょう。一方、政党の党首同士が討論するような場合は必ずしも合意は必要でなく、その主張の差が有権者にわかりやすい方がよいので、後者の議論方法のほうが適切です。


先日テレビの討論番組で、A氏とB氏が議論していました。A氏は「正社員の既得権益を守るために、非正規雇用で働いている人が犠牲になっている。」と主張。次にB氏がそれに反論する形で、「正社員、非正規雇用の人という分け方をすること自体が間違っています。正社員でもひどい条件で働かされている人がたくさんいます。」と発言されていました。


採るべき労働政策案についてA氏とB氏が合意するためにこの議論を行っているのであれば、ふたりの主張は次のように整理すれば効果的です。

「働いている人を、

(1)大企業の正社員で、整った労働条件のもと高い給与をもらっている人を“大企業の正社員”

(2)立場は正社員ではあるが、残業代もなしに長時間労働を強いられ、実質的には最低賃金より低い給与で働かされている“名ばかり正社員”

(3)非正規雇用で、厳しい労働環境の下、仕事の安定性さえもてない“非正規雇用の労働者”

の3種類に分けて議論しましょう!」


こう整理すれば、A氏とB氏の合意点を見つけるのは圧倒的に容易くなります。A氏は「大企業の正社員の好待遇を守るために、(3)の非正規雇用の労働者が割を食っている」と言っており、B氏は「割を食っているのは、非正規雇用の労働者だけではなく、(2)の名ばかり正社員も同じです」と主張しています。(1)(2)(3)と整理すれば、ふたりの意見に大きな対立点はなく、双方とも相手の意見に同意できるでしょう。

このように「合意するための議論方法」を採用すれば、一見対立しているように見える意見でも「では、次は“名ばかり正社員”と非正規雇用の人をどう助けるかという方法論について議論しましょう」という形で、次の段階の議論に進めることができるのです。


一方、ふたりの主張の差異を明確化するのが議論の目的であるなら、「何が問題視すべき課題なのか?」という議論設定にすればいいのです。そうすると、A氏が問題視しているのは「正規雇用と非正規雇用の格差」、すなわち「雇用形態問題」であるのに対し、B氏は「雇用形態に関わらない、劣悪な労働条件が問題」と主張しているとわかります。こうなると、この問題をどちらの視座から捉えるべきか、白黒をつけることが求められます。

このように議論には、「合意点を探るための議論方法」と「自分と相手の主張の差を明確にするための議論方法」があるので、どういう場合にどちらの議論方法を選択すべきか、が非常に重要です。

★★★

たとえばテレビの討論番組なら、「差異強調型」の方が見ていておもしろいですよね。ディベートでも差異強調が基本です。与野党が政権を争っている時も、差異強調型で議論しないと有権者に選択を迫ることができません。

一方、夫婦で家を買うかどうかや子供の進路について話し合うなら、「合意点を探るための議論」をする必要があります。そんなところで差異を明確化しても不幸なだけです。また、ひとつの政党の中で異なる複数意見が存在しているのだけれど、選挙までに党の意見を一本化したいという場合も、合意するための議論が必要となります。

つまり、その議論によって問題を解決したい場合は前者の議論方法を採用する必要があり、反対に、問題は話し合いで解決するのではなく、誰か他者に多数決で正否を決めて貰うのだ、という場合には後者の方法が適しているのです。

そして、議論の司会者役を務める人は、その議論の目的に鑑み、今は論点をすりあわせて議論を整理し、合意形成と問題解決をめざすべき時なのか、それとも後々の選択に向けてそれぞれの主張の差異を際だたせるべきなのか、ということを理解している必要があります。

特に、議論することで問題を解決したい場合は、各人の議論をかみあわせるための“議論の交通整理”が必要で、司会者にはそのスキルが求められるでしょう。


またテレビの討論番組を含め、議論を外から見ている人は、「今、自分が聞いている議論は、合意を得るための議論なのか、それとも差異を際だたせるための議論か、どちらだろう?」ということを意識して聞いていると、論点が見えやすくなります。

時には、議論をしている大半の参加者が「合意を形成して問題を解決しよう」という方向で議論しているのに、その中に1名だけ「合意にいたる必要性など感じない。俺は差異を強調したいんだ」という意図をもつ人が混じっているような場合もありますが、それも見破ることができるようになります。

それぞれの人の主張を聞きながら、「ああ、この人は合意に向けて努力してるんだな」とか「ああ、この人にとっては自分がいかに他者と違うかを印象づけることが大事なんだな」とわかれば、討論番組もまた違った角度から楽しめるようになるでしょう。


そんじゃね。

2008-05-15 情報開示できるかするかやるべきか

学生から社会人となった最初の職場で学んだことが、“三つ子の魂”のように長くその人の信念となることがあります。

ちきりんも最初の証券会社でたたき込まれた「情報開示」(ディスクロージャー)の重要性については、今でも「これこそ物事を適切に動かしていくための鍵」だと信じています。

「説明責任」(アカウンタビリティ)という言葉もよく聞きますが、これも本質的には同じことを意味しているのでしょう。情報開示が中立的な言葉なのにたいして、説明責任は「説明する義務のある人」が「内容を知る権利のある人」に情報を開示するという「権利義務関係を伴う情報開示」と言えます。


最近は、官僚が周到に準備して法案提出した案件について、事前の情報開示が不足していたため、後から問題化するケースが増えています。

たとえば「後期高齢者医療制度」や「電気用品安全法(PSEマーク法)」に関しては、法律成立時は国民どころか国会議員や関連業界さえ、よくその内容を理解しないまま法律が成立してしまったと思われます。そのため実際に施行される日が近づくと、関係者から次々と問題点が指摘され、議論が大紛糾しました。

他にも、自治体レベルでのゴミ収集ルールが変更される際、実際の変更日の直前に「そんな話は聞いていなかった!」という住民からの抵抗が高まり、実施を延期せざるをえなくなるケースも起こっています。


この「官僚組織内だけで検討・法案化され、何も知らされていなかった国民や企業が実際の施行前にびっくりして反発」というのは、まさに「情報開示」の問題です。いずれも法案の内容そのものに問題があるというより、そもそも「誰も知らなかった」ところに大きな問題があります。

一度大騒ぎになると、その後で首相や担当大臣が「説明不足だった」と頭を下げて説明を始めても「すべてが言い訳」のように聞こえます。最初から丁寧に説明していれば納得してもらえた話も、問題化してからでは、説明しても揚げ足を取られて前に進まなくなるのです。


しかも、説明不足をさんざんに糾弾された後、やっと始めた「説明」もお世辞にも上手とは言えないものです。後期高齢者医療制度に関しては、なぜこんな制度が必要なのか、という問いにたいして、多額の医療費を使う後期高齢者を通常の健康保険から分離することで、若者層や中高年層など労働者の負担を軽減するのだというような説明がなされました。

しかし、すべての人は年を取るし、高齢になれば病気になる可能性が高くなります。若年層はともかく中高年層は、「後期高齢者を切り離したから、貴方の負担がラクになりますよ。」と言われても、手放しで喜べるはずがありません。むしろ「自分が年をとった時には、どうなっているんだ?」という不安の方が大きくなるでしょう。

抜本的に制度を変えようという時に、その背景にある資料や数字も、それ以外にどんな選択肢が検討され、なぜ最終的にこの案が残ったのかというロジックも何ひとつ伝えずに、「貴方にトクになる改正なんですよ」とだけ言われても、「ああ、そうですか」と素直に納得するほど、今や国民は政治家や官僚を信頼できていません。

★★★

このような事態が多々発生しているのは、政府与党も官僚組織も、「情報開示なんてものが全く不要であった長い過去の経験」が頭から離れていないからでしょう。

実際に昔は、官僚が作った政策や法案は国民がよく知らない間に問題なく成立していました。それがここ10年くらいは、事前説明を怠ると大混乱するようになってきたのです。

過去に情報開示が不要であった理由は、自民党政権が盤石であったということに加え、どんな政策変更が行われても「国民負担が大きくは増えなかった」ということがあります。


たとえば国民皆保険制度が昭和30年代にできました、という話なら、事前説明などなくても誰も文句を言いません。なぜなら、それは国民に有利になる政策変更だからです。

バブル時代には、地方に高速道路やら美術館などがじゃんじゃん建造されました。これだって、国債発行で作るわけですから、国民は懐の痛みを感じずに済みます。そういう状況であれば、為政者が国民に何も説明せず好きにやっても問題にならなかったわけです。

そんな時代が長く続いてきたので、政治家も官僚も、身内以外にその背景や理由を説明する必要性をほとんど感じなかったのでしょう。

しかし、今や新たな政策の大半は国民に負担を強いるものとなりつつあります。こんな経済停滞時代に国民の負担を増やす政策を通そうと思えば、当然に、なぜそれが必要なのか、本当にそれが必要なのか、一番適切な方法なのか、などについてきちんと説明しないと話は通りません。情報開示と説明責任を果たすことが政策成否の鍵を握るようになってきたのです。

★★★

とはいっても、政治家、官僚側も有権者に全部を見せられるか?というと、コトはそう簡単でもありません。彼らはこれまで、情報を囲い込み、自分達に都合のいいようにその情報を解釈することで、その権限や権益を維持してきたからです。すべての情報を開示すれば、その情報をどう判断するかという権限は、自分達ではなく国民に移ってしまいます。

このため彼らは、情報開示不足が原因で足下が揺らいでいるにも関わらず、自分達の権限維持のためには、やはりすべては見せられない、という矛盾した状態に追い込まれています。

このジレンマにどう立ち向かうか。「決して積極的には情報開示をしない」、「聞かれたことだけに答え、聞かれていないことは重要なことでも一切説明しない。」という今までのやり方が、本当にこれからも通用するのか、頭のよい霞ヶ関のみなさんの今後の行動に注目したいものです。


そんじゃ。

2008-05-13 旅先(旅行先国)一覧

注記)このエントリは随時更新しています。 

最終更新日 2017/09/03


1985年 

・イギリス

・フランス

・イタリア

・スペイン


1986年 

・イギリス

・オランダ

・西ドイツ

・ポルトガル

・スペイン

・モロッコ

・USSR(ソビエト)

・オーストリア(ウィーン)

・東ドイツ(ベルリン)

・ベルギー

・ルクセンブルク


1987年 

・香港

・中国(広州、桂林地域)


1988年 

・タイ

・ビルマ


1989年 

・インド

・フランス


1990年 

・タイ

・ベトナム


1991年 

・メキシコ

・アメリカ

・カナダ


1992年 

・アルゼンチン

・チリ

・メキシコ

・韓国


1993年 

・ベリーズ(カリブ海)

・グアテマラ

・メキシコ


1994年 

・シンガポール


1995年 

・イスラエル

・トルコ

・エジプト

・タイ


1996年 

・モルジブ

・香港


1997年 

・スイス

・フランス

・スウェーデン


1998年 

・中国(北京、上海、南京地域)


1999年 

・東欧(ドイツ、チェコ、ブルガリア、オーストリア)

・シンガポール


2000年 

・南仏

・カンボジア(アンコールワット、プノンペン)

・タイ(アユタヤ等)


2001年 

・台湾


2002年

・中国(西安、敦煌、新疆ウイグル地区)


2003年 

・ペルー(マチュピチュ、ナスカ、リマ等)

・タヒチ、チリ(イースター島)


2004年 

・イギリス

・ドバイ(ビーチ)

・ケニア(サファリ)


2005年 

・ギリシャ&エーゲ海クルーズ

・キューバ


2006年 なし


2007年 

・ロシア(モスクワ、サントペテルスブルク)

・ブラジル(サンパウロ、アマゾン川流域、イグアス)


2008年

・バンコク

・モルジブ


2009年

・バリ島(インドネシア)

・香港、マカオ


2010年

・ニューカレドニア(イル・デ・パン島)

・タイ、プーケット


2011年

・タヒチ(ボラボラ島)

・イタリア(北部からローマまで)


2012年

・セブ島(フィリピン)

・タンザニア(サファリ)


2013年

・イタリア(南イタリア、シチリアなど)


2014年

・マレーシア

・モロッコ

・スリランカ


2015年

・インドネシア

・ミクロネシア連邦政府(チューク)

・アメリカ(グアム)


2016年

・アメリカ(グアム)

・ラオス

・パラオ (ペリリュー島含む)


2017年

・モルジブ

・イタリア、ギリシャ、クロアチア(ドブロブニク)



visited 53 states (23.5%)

Create your own visited map of The World


------------------------------------------------------------

★海外のみ

★仕事の出張、トランジット滞在、留学、親戚訪問は含めていません。

★抜け漏れありかも。

2008-05-12 豆ご飯

f:id:Chikirin:20080512231525j:image

GW間、全然日本食を食べなかったので(バンコクでは、回転寿司食べましたが・・)、帰国後はせっせと日本食を。

さやつきでグリーンピース売ってたので豆ご飯。おかずは鰆の塩焼きと小松菜のお浸し。豆ご飯と鰆なんて超春ぽい。

ちきりんが季節感を大事にし始めたのは留学がきっかけ。春しかないカリフォルニアに2年間住んで、「季節があるってすばらしいことなのね」と痛感した。ちなみにあそこは雨も全然降らないので、渡米して半年後くらいに初めて雨が降ったとき、(嬉しくて)泣きそうになったですよ。


おいし〜な〜

んではね。


全体はこちら。

f:id:Chikirin:20080512231817j:image

2008-05-11 現在過去未来

モルジブに行く前にバンコクに3日ほどいたんですけどね、バンコクといえばタイシルク、タイシルクといえばジムトンプソン。なんだけど、NaRaYaって知ってます?ジムトンプソンの廉価版のお店って感じかな。小さなポーチがJTでは3000円、ナラヤなら500円です。

ちきりん、バンコクはたぶん5,6回訪れているのですが、バブルの頃はジムトンプソンの店は日本人でごった返して新宿駅状態でした。ナラヤもそこそこ混んでたけど日本人は多くなかった。


今回・・・ナラヤは大混雑。

誰で?

中国人の団体観光客さんでいっぱいでした。

その行動、プラスティックの買い物かごにガンガンシルク小物を放り込み、一種殺気立ってる感じ、は、バブル期のジムトンプソンの店での日本人と全く同じように見えました。

じゃあジムトンプソンの方は?と見に行ったら、がらがら。ありゃりゃ、日本人もいない。最近ジムトンプソンは「ブランド化」をすごく意識してて、小物も売ってはいるけどメインの商品はシルクの布。洋服やインテリアファブリックのオーダーメードに軸足を移している。店もちょっと敷居の高い感じになってます。

奥の方にお客さんが・・・見ると、“頭からすっぽり黒い布”をかぶった女性が3名。布を選んでた。



ほ〜なるほどね〜。

今ジムトンプソンの布で、服やカーテンをオーダーする経済力ってのは、そういうことなのですよ。

★★★

モルジブに移った。

最初の日にホテルのシステムの説明会がある。(モルジブのホテルは、多くがクルーズ船と似た感じのシステムなんです。)

グループが言語別に別れて説明を受けることになった。日本人はほとんどいない。(というか、この日の到着組では私たちだけ)というわけで英語グループで説明を聞くちきりん。

ところが、英語組とは別に“すごい多くの人がいるグループ”がある。英語組の倍くらいの人。英語グループより多いってどこの国???と思ったら・・・ロシア語グループ!


ほほお!!



英語組にはドイツ人やらイタリア人やらフランス人(と私たち日本人2名)。ドイツ人が「ドイツ語の説明はないの?」と聞いていた。ガイドが言った。ないんです。と。

英語とロシア語のみ。


ほへ〜

★★★

そう。ロシア人だらけでした。モルジブ。すんごい数のロシア人。ガイドもロシア語の人がガンガン雇われているようだった。


ホテルの部屋にある「紙に書いてある説明書」には、英語、フランス語、ドイツ語、そして日本語だ。昔は(バブル時期は)日本人も多かったのだろう。モルジブは2回目なのだが前にちきりんが来た時もバブル期だった。そうね、確かにあの時はもっと日本人がいたと思う。

ちなみにこの紙の説明書にはロシア語はない。

浜辺にある「板でできた掲示板」。各国語で、明日のイベントが張り出されている。その木の掲示板には、木工細工で「English」「French」「Italian」、「German」と作ってある。

そう、この木工細工付きの木の掲示板は、日本人がモルジブに来るようになる“前に”作られた、ってこと。もちろんロシア語もない。


木工細工付き木の掲示板・・・モルジブが欧州人だけの楽園であった時代に作られた。

部屋の紙の説明書・・・日本人が押し寄せた“Japan as No.1”時代に作られた。

ガイドのおねーちゃん・・・ロシア人が押し寄せ始めてから雇われた。


しかも、ロシア人の訪問客はハネムーナーとは違い、子供を連れた家族づれも多い。これも彼らの余裕を表している。ハネムーンだったら、みな、それなりの予算をつぎ込む。(だから来ている韓国人カップルはみなハネムーナーっぽい。ちなみに中国人はほぼ見なかった。)でも、家族旅行にかけられるお金はハネムーンの予算よりかなり低くなるのが普通だろう。


そして今、“家族旅行でも”モルジブに押し寄せることができるロシアという国。


なるほどね〜。


世界経済が、報道されている通りに現実である、ということを直接、自分の目で見ることができたのは、ちょっとおもしろい経験だった。


20年後、モルジブにはどこの国の人が?


インドか?中国か?はたまた?




是非また行ってみたいもんだすね。

んじゃ。

2008-05-09 ロマンチックか?ディナー

さて、ちきりんが行っていたのはモルジブなんですけどね。今回は結構ファミリー層が多かったのですが、モルジブと言えばハネムーン旅行先の定番、ということで、ホテルでは様々なハネムーナー用の企画がオプショナルイベントとして売り出されてます。



そのひとつが「海の上での二人きりのロマンチック・ディナー」!!!



これ↓

f:id:Chikirin:20080509221014j:image





ここで食事する勇気あります?



しかもこのすぐ手前(写真を撮っている位置)に水上レストランがあって、そこの客から凝視されながらのディナーだよ。

左下手前に写っている台(これも可動式の浮き台)にウエイターが料理持って乗って、持って行くのかな??

この台を現地の人が泳ぎながら、御輿みたいに引っ張ってカップル席まで運ぶとか?



ギャグだな・・・



ハネムーナーらしき人たちもたくさんいらっしゃいましたが・・・ちきりんの1週間の滞在中、ここで飯食ってるカップルはゼロでした。


そりゃーそーだろ。


ちなみに、このスペシャルディナーのお値段は一人250ドル。二人で500ドル。6万円??



6万円もらっても、ここでご飯食べられるかどーか悩ましいと感じるちきりんでありました。あっ、もちろん60万円もらえるってなら、なんの躊躇もないっすけどね。



またね。

2008-05-07 楽園から帰国!!

帰ってきたです。

ここから↓


f:id:Chikirin:20080507211150j:image

f:id:Chikirin:20080507211304j:image

f:id:Chikirin:20080507211257j:image

f:id:Chikirin:20080507211251j:image


雨期だというのに、ちきりんがいた1週間のうちの大半は晴天で気温も十分。不思議だな。日頃の行いがそんなによい気はしないのですが、とってもラッキーでした。

毎日5時間くらい海の中におりました。海、ほんとに好きなんです。



詳しくはまたね